Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 創価の人間主義を世界が讃嘆

2004.12.28 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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2   仏にほめられる境涯たれ
 日本列島をはじめ、世界百九十カ国・地域の、広宣流布に邁進されゆく尊き全同志の一年間のご健闘を、私は心から讃嘆申し上げたい。(拍手)
 この一年、皆さま方のおかげで、見事な「勝利また勝利」の一年を飾ることができた。
 有名な「異体同心事」の一節には「あなたは、長年にわたって法華経への奉公を厚くされてきたうえ、このたびはまことに勝れた御志が見られると、人々も言っています。また、彼らも言っています。一つ一つ、私が承って、日天にも(諸天善神の一つである)天照大神にも申し上げています」(御書一四六三ページ、通解)と仰せである。
 日蓮大聖人は、強き信心をもって広宣流布に行動した人のことを、すべて知ってくださっている。わが生命に、そしてまた、わが一家眷属に、無量無辺の大功徳を積みゆく一年となったことを、晴ればれと確信していただきたい。
 かつて戸田先生は、一年の締めくくりにあたり、同志をねぎらいながら言われた。
 「顧みると、今年は遺憾がなかっただろうと思います。来年も同じく、自分たちの信仰のうえにたって、来年の目標を完遂して、たえず、凡夫にほめられるのではなくて、仏さまにほめられる境涯になろうではありませんか」(『戸田城聖全集』4)
 そして新年にあたり、とう書きつづられている。
 「『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』の御聖訓を日夜誦して、きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ」(同全集1)
 私どもは、妙法という宇宙と生命の最極のリズムにのっとりながら、新しい一年をさっそうと出発してまいりたい。
3  明年の一月二十六日で、わがSGIは、記念すべき発足三十周年の佳節を迎える。
 本日は、SGI公認通訳の代表の方々も参加されている。いつも、本当にありがとう!(拍手)
 本年も、皆さま方をはじめ、多くの関係者のご尽力をいただいて、各言語での出版活動が推進された。この十一月十八日には、「御義口伝」の英語版が発刊された。
 日蓮仏法の真髄の法門を学ぶSGIの友が、どれほど偉大な世界広宣流布の「行学の英雄」と育ちゆくことか。私の心は躍る。
 私の著作や対談集の外国語版も、今年だけで五十四点が新たに発刊された。現在、私の著作は、世界の三十四言語で出版されていると、うかがっている。各国での発刊にご尽力くださった皆さま方に、深く感謝申し上げたい。
 皆さまのおかげで、私たちの思想と運動に寄せられる共感と理解は、いちだんと大きく、深く、広がってきた。創価の人間主義の前進を世界の知性が讃嘆する時代が、本格的に到来している。
 (=この一年で池田名誉会長が受章した世界の大学・学術機聞からの名誉博士・名誉教綬などの学術称号は十九、世界の各都市からの名誉市民称号は三十八、国家や議会、大学や各種機聞から、海外からだけで百三十の顕彰が贈られている)
4  「学会が新たな人間共同体を」
 これまで何度も拝してきたとおり、「立正安国論」では「仁王経」の文を引かれ、「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」と記されている。
 鬼神とは、目に見えない超人的な威力や働きをもつものをさす。現代的に言えば、思想も、その一つといえよう。思想の乱れが、人々の生命を蝕み、意識や思考を歪め、それが、社会の混乱をもたらす原因となっていく。
 仏法の深き英知は、社会の乱れの源を、思想による人間生命の乱れに見たのである。
 大聖人は、法華経の文に即しながら、こう仰せである。
 「このような闘諍堅固の時は、法華経以外の教えは力を失い、法華経の大良薬をもって、この大難を治すべきである」(御書五五〇ページ、通解)
 「現世安穏・後生善処の大利益のあるとの大白法(法華経)を信じて、国土に弘められるならば、万国の人にその身を仰がれ、後の代に賢人の名を残されることになろう」(同ページ、通解)
 濁悪の社会で広宣流布の行動を貫いている学会員の皆さま方もまた、最高に崇高な使命をもった、末代まで仰がれゆく栄光の賢者である。人間が人間らしく生きぬいていくために、正しき哲学、正しき行動、正しき連帯が、今ほど求められている時はない。
 宗教社会学の権威であったオックスフォード大学のウィルソン名誉教授も、「(創価学会は)非人間的な傾向が強まる現代社会において、新たな人間共同体を生み出している」(「聖教新聞」一九九七年十一月六日付)と評価し、期待してくださっていた。
5  婦人部総会は幸福と友情の安全地帯
 明年も年頭から、全国各地の幾十万の会場で、婦人部総会が開催される。
 わが婦人部の集いこそ、暗い混迷の時代にあって、「人間性のオアシス」であり、「希望と平和の花園」であり、「幸福と友情の安全地帯」である。私も、妻とともに、大成功を祈りに祈っている。
 月刊誌「パンプキン」で連載を行ってきた、アメリカの″平和研究の母″ボールディング博士との対談が、明春で終了する。(=『「平和の文化」の輝く世紀へ!』と題し、二〇〇六年一月、潮出版社から発刊)
 連載を終えるにあたり、博士は、私との対談をたいへんに喜んでくださり、次のような言葉を寄せてくださった。
 「対話を通して相互の考え方に耳をかたむけることは、大きな喜びを与えてくれます。なぜなら、それによって、たがいの思想を深化させていくことができるからです」
 「平和の文化といっても、それは異なる世界を受容することから始まるのです。私は、そのことに人生をかけてこられた池田会長に、深い感銘をおぼえます」と。
 私への評価はともあれ、「平和の文化」の担い手として、地域に喜びの対話を広げているのが、婦人部・女子部の皆さま方である。創価の女性の連帯に寄せる博士の信頼は、まことに深い。
 「女性の力は本当に偉大です。そう、″爆発的に偉大″なのです! もっともっと多くの女性が、自分たちこそ『平和の文化』の建設者であると目覚めていくことは間違いありません!」
 こう博士は、語っておられた。
 私は、「女性の世紀」の先頭に立つ「世界一の婦人部・女子部」の皆さまに、「一年間、本当にご苦労さまでした。明年も、万事、よろしくお願いします」と申し上げたい。(拍手)
 おかげさまで、わが創価学園生、創価大学生、女子短大生、アメリカ創価大学生たちも、はつらつと伸び、育っている。
 先日は東西の創価学園で、一年の捧尾を飾る伝統の音楽祭が、盛大に開催された。そのフィナーレで響きわたったのはベートーヴェン作曲「交響曲第九番」の「歓喜の歌」の調べであった。
 また、本年五月に行われた、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスの「インターナショナル・フェスティバル」でも、学生たちが「歓喜の歌」を演奏し、合唱したとうかがっている。
 今や世界中で愛され、人類の宝と仰がれるベートーヴェンが、生前、卑劣な誹謗中傷を受け続けたことは、意外と知られていないかもしれない。
6  「このヴィーン(=ウィーン)で人身攻撃をする敵を小生ほど持っているものはない」(『新編 ベートーヴェンの手紙』上、小松雄一郎編訳、岩波文庫)と彼は記している。しかし、精神の王者たるベートーヴェンは毅然としていた。
 彼はまた、「ぶよ(=昆虫の一種)が刺した位では疾駆している馬を停められはしない」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳、岩波文庫)との、フランスの哲人ヴォルテールの言葉を書きとどめている。
 ベートーヴェンが、ゲーテの文学を心の糧とし、深い敬愛を捧げていたことは有名である。
 一八一九年、ある来訪者が、ベートーヴェンの面前で、ゲーテに対する中傷を始めた。ベートーヴェンは激怒し、即座に猛然と抗議したといわれている。相手は謝り、自分の間違いを訂正した。(『芸術研究』4、『ロマン・ロラン金高架』23、佐々木斐夫・片岡美智訳、みすず書房、参照)
 ″自分の敬愛する人を侮辱されて、黙ってなどいられるか!″――沈黙は、敗北につながる。真の英雄には、臆病な沈黙などないのである。
 かつて日顕宗は、このベートーヴェンの「歓喜の歌」を歌うのは、「外道礼讃」であり謗法であると、愚かな言いがかりをつけてきた。世界の文化人、学識者も呆れ果てる暴論であった。
 「歓喜の歌」は、シラーの詩がもとになっている。その原詩には、「欺瞞のやからには没落を」(「喜びをうたう」手塚富雄訳、『世界文学大系』18所収、筑摩書房)とある。
 十四年の歳月を経て、狂いに狂った邪宗門が、この一節のとおりの様相を示していることは、ご存じのとおりである。
 学会の″創立の父″である牧口先生は、訴えておられた。
 ″悪を排除した清浄な団体には強固な団結が生まれ、強大な勢力を得ることができる″(『牧口常三郎全集』9、参照)――と。
 仏法を破壊する悪を断じて許してはならない。学会が世界的な大発展を遂げたのも、こうした悪と徹底して戦い、打ち勝ってきたからである。
7  人生を生きぬけ 勇気をもって!
 ともあれ、私たちは、新たな決意に燃えて新年を迎えたい。
 明年も、日本全国の一千を超す会館、そして五百以上の個人会場で行われる「日本一の新年勤行会」から、はつらつと出発してまいりたい。
 個人会場の提供者の皆さま、また役員の皆さま、年頭からたいへんにお世話になります。
 さらに、世界でも、約一千の会場で、新年勤行会が行われる。この青き地球を、元旦から、妙法の大音声でつつんでまいりたい。
 大聖人は、新年の御聖訓で、「そもそも(世間の道理である)俗諦のなかにおいても、(仏が説きあらわそうとした究極の真理である)真諦のなかにおいても、勝負をもって要とする」(御書一〇〇二ページ、通解)と仰せである。
 仏法の「要」は勝負である。人生も勝負。一年また一年も勝負。一日また一日も勝負である。
 新たな「青年・拡大の年」も、健康第一で、三百六十五日、朗らかに、また朗らかに、勇敢に、また勇敢に、「連戦連勝の大前進」を続けてまいりたい。
 私は、妻とともに、全同志のご健康とご長寿、ご多幸を祈りに祈ってまいります。
 結びに、喜劇王チャップリンの言葉を贈り、本年を締めくくるスピーチとしたい。
 「勇気をもって、人生に立ち向かうのです!」(江藤文夫『チヤyプリンの仕事』みすず書房、参照)
 「戦う心を失わなければ、恐れるものはない」「戦う心を失わないかぎり、勝利は確実である」(Charles Chaplin, My Autobiography, Penguin Books Ltd.)
 一年間、本当にありがとう! 明年、また、元気に集い合いましょう!
 (東京・信濃文化センター)

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