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日蓮大聖人・池田大作

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方面長協議会 青年を伸ばし、新しい陣列を

2004.12.25 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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2  一人の「人間革命」からすべては始まる
 きょうは、信越長も参加されている。新潟の同志は、本当によく頑張られた。雄々しく立ち上がった。どうか皆さまに、くれぐれもよろしく、お伝えいただきたい。(拍手)
 インドの大詩人タゴールはつづっている。
 「魂が沈滞して惰眠をむさぼるときだけ、魂の敵は圧倒的な力を獲得するので、この妨害物は行手をふさぎ、突き進めないようにする。
 だからわが国の師匠たちは告げるのである。仕事をするために生きねばならない。そして生命と活動とは切り離せないほどにかたく結ばれていると」(『サーダナ』美田稔訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)
 生命は、人間が活動してこそ輝きを放つ。躍動する。活動を止めれば、生命は光を失う。
 「生命」即「活動」であり、「活動」即「生命」なのである。
 なかでも、友の幸福のため、社会のために尽くしゆく「学会活動」は、わが生命を最高に輝かせる尊き行動である。
 ゆえに、広宣流布をめざし、学会活動に生きゆく皆さまは、一年また一年、最も充実し、最も「栄光」に輝き、最も「福徳」に満ちた生命となっていくのである。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、こう記している。
 「たった一人の悪人の悪が人類に及ぶとしても、またたった一人の善人の善は人類を照らすのです。ですから、人類が善くなるか悪くなるかは、私たちひとりひとりにかかっているわけです」(片山敏彦・宮本正清翻訳監修『ロマン・ロラン「日記」』4、みすず書房)
 まったく、そのとおりである。一人の「人間革命」から、すべては始まる。世界の変革は始まる。
 まず自分自身の「人間革命」から、生き生きと、若々しく出発していきたい。
3  差異を讃えよ! 人は平等に尊い
 今、創価の人間主義の思想と運動に対する共感は、世界各地に、いよいよ加速度を増して広がっている。
 このほど新たに、平和研究機関「ボストン二十一世紀センター」の編纂による学術書が完成した。タイトルは『地球的視野を育む教育』。
 コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジからの発刊となる。同カレッジは、全米随一の教育大学校として知られ、私も一九九六年の六月に、「『地球市民』教育への一考察」と題して講演を行った。
 この学術書には、アメリカの教育界を代表するネル・ノディング博士をはじめ、著名な研究者の方々が「世界市民教育」をテーマに論文を寄せている。私も、序文を寄稿させていただいた。
 ボストン二十一世紀センターによる研究書は、これまで七冊が、ハーバード大学やスタンフォード大学をはじめ、全米の大学で教材として使用されてきた。累計で二百二十講座にも及ぶ。
 今回の出版にも、多くの学識者から、高い評価の声が寄せられている。
 なかでも「ジョン・デューイ協会」の次期会長であり、著名な教育者であるラリー・ヒックマン博士は、序文で私が記した「地球市民育成」のための提案に対し、深い賛同を寄せてくださった。
 (ヒックマン博士は、次のように述べていた。
 「池田SGI会長は、地球市民意識の高揚のために、″知恵″″勇気″″慈悲″を育むことが不可欠であると述べておられます」
 「そのなかでもとくに、″差異を讃えあう勇気″についての指摘は重要です。
 現代の学術界においては、物事の差異を鮮明にすることに、力点が置かれています。しかし、それによって、異なる民族間の差異が強調され、さらには相互間の力関係に焦点が置かれるようになってしまいます。
 その結果、池田会長が主張されている″人間を人間として見る″という視点が失われてしまうのです」
 「池田会長が、かつて、政治的にむずかしい要素をはらむ中国との対話の道を聞いたことは、大いなる勇気の行動であったと、私は思っています」
 「池田会長は、対話を通して平和の種を蒔いておられます。これは会長のビジョン(構想)のすばらしい表明であると思います」)
 さまざまな差異があっても、万人に仏性があり、すべての人間が平等に尊いと教えるのが仏法である。そして、勇気をもって対話を重ね、たがいの理解を深めあい、友情を結んでいくのが、創価の哲学運動である。皆さま方の日々の行動それ自体が、すでに「地球市民」「世界市民」の生き方となっていることを、誇り高く自覚していただきたい。
4  「創価学会の実践は教育のモデル」
 博士は、SGIの運動についても、深い共感を示してくださっている。
 今年の5・3「創価学会の日」に寄せたメッセージでは、こう述べておられた。
 「創価学会の実践は広い意味での教育のモデルを世界に広めております。
 一つは、外から与える教育ではなく、自らが今いるところで、自発的に自己を開発していくという思想です。そして、そうした自己教育を通して自分を成長させ、社会の発展に寄与するという実践です。
 さらに自己の成長と深化を生涯、求めゆく運動を通して、教育の意義と可能性を大きく拡大しております。なかでも、とりわけ私が評価したいのは、池田SGI会長が進めておられる『地球市民教育』の運動です」
 「私は今後、国家は徐々にその力を弱めていくと考えています。それに代わり、地球市民が国家を超えて連帯し、交流し合う時代が到来すると考えています。その意味で、SGIのような存在こそ、世界の交流への新たな道を開く力になると注目しているのです」(「聖教新聞」二〇〇四年五月十一日付)
 温かなご理解に、心から感謝したい。自身を変革し、社会に貢献していく。人と人を結んでいく。世界に広がる創価の運動は、壮大な文明史的意義を持っているのである。
5  行動をともなわない哲学は空論
 なお、ヒックマン博士は、次のようにも語っておられた。
 「″価値″あるとされるものは、ただそこに事実として存在しているにすぎません。
 価値は、それを実体験し、改善を重ねてこそ、実生活に″役立つもの″となっていくのです。つまり、価値というのは、″行動的な創造″の産物なのです」
 だからこそ、博士は、創価(価値創造)の平和・教育・文化の運動に期待してくださっているのである。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、「行動こそは最高の哲学なのです」(「ルイ・ジレ=ロマン・ロラン往復書簡」清水茂訳、『ロマン・ロラン全集』32所収、みすず書房)と書簡に記している。
 アメリカのケネディ大統領も、「変革というのは行動なのである」(『ニュー・フォロンテァ』坂西志保訳、時事通信社)と訴えた。
 行動なくして価値は生まれない。行動をともなわない哲学は、空論にすぎないのである。
 また、アメリカの教育哲学者デューイ博士は、民主主義と教育について述べた著書で、こう記している。
 「生活の一形態としての民主主義は(中略)もし前進しないのなら、すなわち、従前のままであろうとするならば、それはすでに死滅に至る退歩の道を歩んでいるのである」(「教育に対する民主主義の挑戦」三浦典郎訳、『人間の問題』所収、明治図書出版)
 いかなる制度や組織も、自己改革や前進の息吹を失えば、衰退していく。日々新たな決意で、前へ、前へ進みゆくことだ。
6  「まだまだ、これから」と生涯求道
 連日、全国、全世界の同志の皆さま方から、真心あふれる、お便りをいただいている。
 そうしたお手紙につづられている、あまりにも気高き、広布と人生の戦いのようすを読んでは、感謝し、合掌し、お題目を送らせていただく日々である。
 先日、東京の目黒婦人部・宝寿会(多宝会)の方より、丁重なお手紙を頂戴した。
 この方は、今年、入会五十年を迎えられた。学会の草創のころから、広宣流布に尽くしぬいてこられた大功労の同志であられる。
 愛知県出身で東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業され、教師を経て、植物写真家としても活躍してこられた。国立科学博物館の植物研究部に勤務されていたご主人との共著に『茶花植物図鑑』『花をたずねて』などがある。朝日カルチャーセンターで、植物入門講座の講師を務められたこともある。
 昨年九月に行われた本部幹部会で「創価学会貢献賞」を受賞され、私も心から祝福させていただいた。お手紙には、この一年も悔いなく戦い、勝利した充実感が満ちあふれでいる。ご本人の了承を得て、若干、紹介させていただきたい。
 手紙には、″いさぎよく散るケヤキの並木道を駆け抜け、「今年はヤッター!」と叫ぼう。そして「来年もヤルゾ!」と叫ぼう″と、じつに若々しく、すがすがしい、明年への決意が記されていた。
 また、最近、読まれた本の読後感を書かれ、「さらに努力し、勉強せねばと心に誓いました」「まだまだこれからです」と、生涯求道の心意気がつづられている。
 以前に頂戴したお手紙には、こうあった。
 「一流の信仰をもったからには、自身が一流にならねば恥ずかしいと思います。
 泥沼の中に低迷していた昔の私自身が恥ずかしいと思い、脱皮に脱皮を重ね、今、美しい蝶になって飛翔できるようになりましたのは、創価学会のおかげと思っております。
 絶対に創価学会に疵をつけることなく、自分を磨き輝かせ、周囲を照らしてまいりたいと心に誓っております」
 一流をめざして生きぬき、戦いぬいてとられた方ならではの「一流の言葉」である。
 「報恩感謝」の心に、一流の人格が光る。ここに、崩れざる幸福の道がある。ここに、無量無辺の福運の源泉がある。忘恩、不知恩は、畜生道である。
 学会のおかげで偉くさせてもらいながら、みずからの原点を忘れ、堕落して、あろうことか、学会に弓を引くような者は、人間として最低である。ある人が、″そうした輩は、畜生にも劣る″と厳しく言っていた。
 モンゴルの文豪ダムディンスレンの小説の中に、老いた父が、息子たちにこう遺言する場面がある。
 「多くの良き仲間たちがおこなっている建設事業にいささかなりとも貢献し、人びとの利益となるよう生きてゆくのだぞ」(『種牛ゴンポ』岡田和行訳、芝山豊・岡田和行編『モンゴル文学への誘い』所収、明石書店)
 私たちは、世界百九十カ国・地域に広がった、「最善の仲間」であり、「最高の友人」である創価の全同志とともに、盤石なる幸福の人生の「大建設」に邁進したい。
 広宣流布という人類究極の平和の「大建設」に、晴ればれと取り組んでまいりたい。
7  勝利への合言葉は「団結」
 明年の新たな前進のために、イギリスの作家ホール・ケインの革命小説『永遠の都』から、いくつか言葉を贈りたい。
 これは、戸田先生のもとで学んだ、思い出深き一書である。
 舞台はローマ。愛する天地に、「人間共和」の世界をつくろう!――主人公デイビッド・ロッシィは、友に語りかける。
 「われわれは彼ら(=権力者)に思い出させてやろうじゃないか、利害関係や政治、政党、帝国主義の名において行なわれた革命はつねに失敗してきたことを」
 「宗教の名において行なわれた革命は後退することがあっても、勝利をおさめる日がくるまでは絶対に死に絶えないということを」(新庄留夫訳、潮出版社。以下同じ)
 私たちの目的は、広宣流布である。それは、人類史のなかで、だれも成し遂げたことのない、「永遠の都」の建設であるといえよう。その根本は、一人一人の「人間革命」である。
 ロッシィは、国外の協力者たちに呼びかける。
 「知力を養え! 知力を養え! 団結せよ! 団結せよ! これがわれわれの合い言葉であり、われわれの戦う武器なのであります」と。
 指導者は、愚かであってはならない。皆の幸福のため、広布の城を守るためには「知力」が必要である。「智慧」が肝要である。そのうえで、「団結」が第一である。
 またロッシィは、革命を担い立つ自身の心境をこうつづっている。
 「常に断崖の縁を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」
 つねに「真剣な人」は、どんな状況になろうと、あわてず、的確に問題を解決することができる。
 広宣流布は、「仏」と「魔」との、壮絶な戦いである。リーダーの皆さんには、広布を阻む魔を厳然と見破り、大切な同志を守りきる、賢明な指揮をお願いしたい。
 ロッシィたちは、見事に革命を成し遂げる。
 その五十年後――『永遠の都』のラストには、活気あふれるローマの街角で、市民たちが語りあう印象的な場面がある。市民の一人は語る。
 「われわれは理想のために生きるべきだ。理想というのは、この世でたったひとつの生き甲斐あるものだ」
 ロッシィたちは、「永遠の都」を築くために命をかけた。そして新しい世代に、「理想のために生きる」人生の尊さを残したのである。
 今年、皆さんは見事な完勝の結果を残した。本当によくやっていただいた。明年も私たちは、だれもが「見事だ!」と讃嘆するような、末法万年に残る勝利の広布史をつづってまいりたい。
8  戦いを決するものは「士気」と「勢い」
 さらに、ロシアの文豪トルストイの『戦争と平和』に記された、連帯の哲学、勝利の哲学の言葉を贈りたい。
 「もしわるい人間が、お互いに結合して力をつくるなら、潔白な人間も、同じことをすべきである(『トルストイ全集』5、中村白葉訳、河出書房新社)
 そのとおりである。悪は結託する。善も「結合」し、「連合」しなければ、悪に勝てない。
 まして私たちは、一切衆生が成仏する直道を弘めている。「最高の善の連帯」なのである。
 また、『戦争と平和』は、「戦いの運命を決するもの」は何か、と問いかける。それは、″指導者の命令″でもなければ、″環境″でも、″武器の数″などでもない。戦いを決するものは、「士気と呼ばれる、あのとらえがたい力」である、と。(同全集6〈中村白葉訳〉kあら引用・参照)
 戦いは「勢い」で決まる。勢いが止まれば、不思議と、疲れたり、乱れたりするものである。
 創価のわれらもまた、朗らかな「士気」、歓喜あふれる「勢い」で、人間共和の大理想へ、いよいよ進んでまいりたい。
 先日、昭和女子大学の松本昭名誉教授より、まことに貴重な、文豪・吉川英治氏の「直筆の書」をご寄贈いただいた。
 それは、文豪が、亡くなる一年前の昭和三十六年(一九六一年)九月二十八日に、軽井沢で筆を執り、直接、松本名誉教授に贈られた意義深き書である。
 松本名誉教授は、当時、「毎日新聞」の学芸部記者として、吉川氏の『私本太平記』の連載の担当を務められていた。四年にわたった、その連載小説を書き上げた翌日にしたためられたのが、この書である。文豪が若き英才に寄せた信頼と期待は、絶大であった。
 松本名誉教授は、「生涯の師」から直接、受け取った書を、「形見」として大切にしてこられた。
 その無上の宝をお贈りくださったのである。最大の感謝をとめて、お受けするとともに、創価学会の宝として、また日本の宝、後世への宝として、大切に保管させていただく所存である。
 松本名誉教授は、三年前に『人間復活――吉川英治、井上靖、池田大作を結ぶこころの軌跡』を、そして本年十月には『教師よ、最高の芸術家よ――牧口常三郎の創価教育と日本の″道の文化″』を発刊されている。(ともに「アールズ出版」より)
 いずれも、直接、交流した吉川英治氏、井上靖氏に光をあてるとともに、日本の文学と文化と教育の流れを大きくとらえ、「心の文化」「平和の文化」を論じた著作である。
 そこでは、日本の思想史のなかで、創価の三代にわたる哲学と行動が重要な意義を担っていることを論じている。たとえば、次のような一節がある。
 「吉川英治が最後の大作『私本太平記』で追究した『人間を不幸にする権力の魔性』に対し、この牧口常三郎の後を継ぐ愛弟子の戸田城聖が、政治と権力の問題にとりくみ、″回答″を出すのである」
 「(=吉川英治、井上靖、学会の三代の会長という)これらの人々が織りなす、ドラマの中心にあるのは″権力の魔性の否定と人間の尊厳″であり、それは日本文化の深奥に通ずる大道でもあったのである」(『教師よ、最高の芸術家よ』)
 松本名誉教授は、学会の「師弟」という一点を鋭く見つめてくださっている。
9  学会の魂は峻厳なる師弟の精神に
 学会の魂は、峻厳なる師弟の精神にある。学会は、師弟一体の不惜身命の戦いによって、築きあげられてきた。
 戸田先生が、どれほどの思いで牧口先生にお仕えしたか。私が、どれほどの力と命をそそいで、戸田先生と学会を守りぬいてきたか。まさに、命がけであった。
 戸田先生の事業が最も苦境にあったとき、多くの人間が先生のことを中傷批判しながら去っていったなかで、私はただ一人、先生に仕えきった。自分のすべてを犠牲にして、心身ともに疲労困憊の先生を、お守りしぬいた。
 給料のない時期もあった。寒くても開襟シャツ一枚で過ごさねばならないこともあった。
 先生が会長に就任された後も、熾烈な闘争の連続だった。しかし、どんなに苦しくとも、私の妻は静かな笑顔で支えてくれた。
 戸田先生は、その私たち夫婦を、深く深く信頼してくださった。
 広布の激闘のためにお体が衰弱された先生が、晩年、学会本部で倒れられたときは、「大作はいるか! 大作はいるか!」と私を呼び続けられた。
 「絶対に、私の側から離れるな」「四六時中、離れるな」と言われ、早朝や深夜に、急遽、先生に呼ばれることもあった。
 私が無実の罪に問われた「大阪事件」のさいは、「もしも、お前が死ぬようなことに、なったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と、涙ぐんで言われた。
 創価の師弟とは、それほど厳粛なものなのである。
 どんなに口でうまいことを言っても、どんなに戦っているような格好をしても、にせものは見破られる。本物は、どこまでも本物である。
 格好でも、口でもない。心である。「心こそ大切なれ」なのである。
 私は、戸田先生が言われたとおりの道を、寸分違わず進んできた。何があろうと、師弟不二の道を歩みぬいてきた。これこそ、わが人生の最高の誉れである。
10  「この人こそ人材!」と尊敬を
 ここに集った方々は、全国各地の広宣流布の指導者の皆さんである。
 広布のリーダーは、大切な同志に「喜びを与えていく人」であっていただきたい。リーダーに、気取りなど必要ない。リーダーが真剣でなければ、戦いは勝てない。
 そして、真剣ななかにも、ユーモアを忘れず、皆がホッとして、安心するような話をしてあげてほしい。ざっくばらんに、何でも意見が言える雰囲気が大事である。
 「勝つ組織」には、何ともいえない温かさ、朗らかさがあるものだ。
 それが強い団結を生み、次の「勝ち戦」への原動力となっていく。
 大切な同志を、まるで″部下″のように使ったりする幹部がいれば、とんでもない間違いである。学会は、全員が「平等」である。
 リーダーは、広布の同志を、″わが兄弟″″わが姉妹″と思って、心から大事にしていくことだ。
 全員が次の学会を担っていく″黄金の人材″であると信じて、深く尊敬していくことだ。
 今の時代、観念論では人はついてこない。リーダーがみずから行動し、何かの結果を出してこそ、皆に活気が生まれ、前進の勢いが出てくる。
 どうか、ここにいる一人一人が、「今」を勝ち、「未来」の勝利をも決しゆく一騎当千の闘士となって、わが地域で、わが組織で、痛快なる前進の指揮を執っていただきたい。(拍手)
11  「朝の来ない夜はない」
 ところで、吉川英治氏の名作『私本太平記』は、足利尊氏の青年期からその死までを軸として、南北朝時代の戦乱の社会が活写されている。
 ″大楠公″の歌で知られる、楠木正成・正行の父子の″桜井での別れ″が、一つのクライマックスとして感動的に描かれていることも有名である。
 この『私本太平記』の最後には、「朝の来ない夜はない」との名言が記されている。
 いかなる暗黒の時代が打ち続とうとも「必ず朝は来ます」と。(吉川英明責任編集『吉川英治全集』43、講談社)
 では、そのあけぼのの光は、どこから来るのか――それは、つねに、たくましき庶民の、なかから生まれる。新しい時代には、新しい使命を担った新しい人間が出現してくる!――これが、吉川文学の一つの結論であった。
 ″大衆こそ、大英知なり!″これが「民衆の心」に生きた文豪の鋭い洞察である。
 民衆のなかに、希望がある。知恵がある。未来がある。
 創価学会は、民衆のなかから生まれた団体である。新しい民衆の「知恵と力」によって、新しい民衆の「希望の時代」を開いてきたのが、わが学会の誇りである。
 私たちは、時代の最先端を進んでいるのである。
12  次代を担う青年の育成に全力を
 吉川文学といえば、戸田先生のもとで『三国志』を学んだことも忘れられない。
 『三国志』に、次のような一節がある。劉備玄徳りゅうびげんとくの師匠であった廬植ろしょくの言葉である。
 「くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危ないぞ。戦を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」(同全集24)
 含蓄の深い言葉である。平穏に見えるときこそ、油断と安逸を排していかねばならない。
 また、『三国志』には、呉の周瑜しゅうゆの次の言葉もある。
 「いつの時代になろうが、かならず人の中には人がいるものです。ただ、それを見出す人のほうがいません。また、それを用うる組織が悪くて、有能もみな無能にしてしまうことが多い」
 「何事も、その基は人です。人を得る国はさかんになり、人を失う国は亡びましょう」(同全集25)
 戸田先生は、「学会は人材の城を築け!」と叫ばれた。
 新しい人材を見つけ、新しい人材を育て、新しい人材を大胆に聡明に登用していくことである。
 なかんずく、各方面にあっても、各県・各区にあっても、核となる人材を全力でつくり、盤石に固めていくことである。人材の核をつくる――ここに「青年・拡大の年」の一つの焦点がある。
 私も今、次を担う青年の育成に心血をそそいでいる。それなくして、学会の永遠の発展はないからである。
13  「印刷工場の人たちの感想は」
 さて、吉川英治氏が深い信頼を寄せていた昭和女子大学の松本昭名誉教授は、自著の中で、吉川氏との貴重なエピソードを紹介しておられる。(前掲『人間復活』)
 「毎日新聞」で『私本太平記』の連載が開始されて間もない、昭和三十三年(一九五八年)の一月末、若き松本名誉教授は新しい原稿を受け取るため、吉川邸にうかがった。
 すると吉川氏から、読者の評判を尋ねられた。
 「どう、みんなの感想は…」
 「はい、悠大な小説で、みんな楽しみにしています」
 「工場の人たちの評判は…」
 「いえ、聞いていませんが…」
 「ダメだよ、工場の人たちの評判を聞かなくちゃ…、ぼくも植字工をしたことがあるんだヨ」
 作家の原稿を、一字一字、活字を拾って組み上げる作業をしている印刷工場の人こそ一番最初の読者であり、その人の感想こそ大衆の心であると吉川氏は考えていた。
 氏の言葉に、松本名誉教授は、「大衆の心」を重んじる吉川文学の真髄を学んだという。
 この話に、私は胸を打たれた。私自身、青春時代、印刷会社(西新橋の昭文堂印刷)で働いたことを、人生の″宝の歴史″としている。
 「聖教新聞」は、来る日も来る日も、また来る年も来る年も、印刷会社の皆さま方の真剣な努力とご苦労に支えていただいている。私は、また、私たちは、この席をお借りして、全国の印刷会社の関係者の皆さま方に、満腔の感謝を表したい。(拍手)
 とくに東日印刷におかれては、昭和三十年(一九五五年)に、「聖教新聞」の委託印刷がスタートしてから、世紀を超えて″きずな五十年″の長きにわたり、お世話になってきた。
 昭和四十年(一九六五年)、「聖教新聞」が週三回刊から日刊に発展したさいにも、全力で対応してくださった。一貫して変わらぬご理解とご尽力に、あらためて深謝申し上げたい。(拍手)
14  文豪ユゴーは叫んだ。
 「思想は印刷されることによって、かつてなかったほど不滅なものとなった」(『ノートル=ダム・ド・パリ』上、辻昶・松下和則訳、潮出版社)
 印刷は、思想を不滅のものとする。
 また、アメリカの第三代大統領ジェファソンは、こう述べている。
 「印刷術によって人類の上にふりそそがれた知識の光は、世界の状態を著しく変えてきました」
 「その光はひろがり続けており、印刷物が保存されている間は、太陽がその軌道を引き返すことがないように、決して後退することはありません」(『ジェファソンの民主主義思想』富田虎男訳、有信堂)
 知は光である。良書は太陽である。
 印刷は、「文化の光」「精神の光」を永遠に放ちゆく聖業なのである。
15  指導者は「善悪を言いきる力」を持て!
 今月二日は、私が、小説『人間革命』の執筆を、沖縄で開始してから四十周年であった。
 この時に、ヨーロッパでは、小説『新・人間革命』の第一巻のデンマーク語版が発刊された。
 翻訳・出版の労をとってくださった方々に感謝申し上げたい。
 デンマークの首都コペンハーゲンの北欧文化会館で行われた出版記念レセプションには、友人であるデンマークの名門「アスコー国民高等学校」のへニングセン元校長も、祝福のメッセージを寄せてくださった。
 この近代デンマークの「三大文化人」といえば、教育者グルントヴィ、作家アンデルセン、そして思想家キルケゴールである。
 十九世紀半ば、文学者、思想家として名を馳せていたキルケゴールが、卑劣な罵詈、誹謗による言論の暴力の標的とされたことは、よく知られている。すなわち、風刺によって有名人をこきおろすのを得意とする「コルサール」紙が、キルケゴールに対する誹謗攻撃のキャンペーンをはったのであった。「コルサール事件」として歴史に刻まれている。
 キルケゴールは、見破っていた。
 「嘘と中傷と厚顔と邪悪で固めた言葉を吐き散らす!――すべてこれ人を傷つける喜び、卑しむベき金銭欲のため」であると。(『わが著作活動の視点』田淵義三郎訳、『キルケゴール著作集』18所収、白水社、引用・参照)
 また彼は、平然と悠然と、喝破した。
 思想家の正しさや、その主張が真実であることを、どうやって証明するのか。
 それは、その人が、悪人から迫害されていることをもって証明とするというのである。
 (さらに、キルケゴールは、次のようにも述べている。
 「すなわち彼は真理とか、そのことの正しさとかを自分が享受している名誉や名声その他のものによって証明はしない。正にその反対である」「危険がわだかまり、悪がその根を張っているところを避けたり、素通りするような宗教的著作家、説教家、教師こそはにせものであり、その嘘の皮はいつかははがされる」〈同前〉と)
 「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」という牧口先生の信念にも通ずる鋭い洞察である。
 キルケゴールは、当初、良識派の人たちから、自分を擁護する動きがあると期待していたようだ。ところが、事態は逆であった。(工藤綏夫『キルケゴール』清水書院、参照。以下同書から)
 本来、真実の言論を死守すべき人々――大学教授などの知識人――がキルケゴールの偉大さを妬み、「言論の暴力」を行使するほうに喝采を送ったのである。
 人間の心は恐ろしい。
 「なんといっても、この人間の心ほど偽りに満ちているものは何もない」(『自らを裁け』山本和訳、前掲著作集19所収)と、キルケゴールが指摘したとおりである。
 この迫害のなかから、社会の虚偽と戦う、真の言論の闘士として、一人、断固として立ち上がっていった。
 「わたくしがいわねばならぬあることが、はっきりとある。そしてわたくしは、それをいってしまわずには死ぬにも死ねないほどに、そのことを自分の良心にかけて持っているのだ」と。
 そして、揮身のエネルギーを発揮して、次々と不滅の著作を書きに書いていったのである。
 仏法の指導者もまた、善悪を明確に言いきっていかねばならない。
 それが学会の根本の伝統精神であり、広布の指導者の責務である。
 幹部が邪悪を放置しておくようでは、清純な学会の組織は守れないからだ。それでは、諸天善神も去っていく。ゆえに、幹部が率先して「悪いものは悪い!」と正義の口火を切っていくことだ。
 それが慈悲である。それが邪悪を根っこから断ち切っていくことになる。
 御書にも、「慈無くしていつわり親しむは是れ彼が怨なり」「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」と繰り返し、記されているとおりである。
16  言論の勝利に不滅の光彩!
 キルケゴールが新たに発刊した言論誌(「瞬間」)は、その論調から、幅広い階層に読者を増やした。迫害の逆風にもかかわらず、大きく部数を伸ばしていった。まさに、言論の勝利であった。
 アメリカの著名な教育者ホレース・マンは言った。
 「印刷というものは、知識をひろめるために発明されている。しかし、中傷者は、それを、人を中傷せんがために利用するのである」(『民衆教育論』久保義三訳、『世界教育学名著選』17所収、明治図書)
 ゆえに、大事なのは、真実を見極める眼を磨くことである。
 私が対談を進めているモンゴルの大詩人ツェデプ博士は強調された。
 「中傷を浴びせる輩は、覚えておくがいい。人生が、その輩を恐るべき審判にかける時が来ることを!」
 この言葉のとおり、キルケゴールを誹謗し、中傷した輩は、歴史に、その忌まわしき名を刻印している。反対に、言論の暴力と戦い、真理を主張しぬいたキルケゴールの思想は、多くの人々を啓発していった。そして今なお、不滅の光彩を放っている。
 そのキルケゴールの言葉を贈りたい。
 「人間における最高の情熱は信仰である」
 「たまたまわたしの身におこることがわたしを偉大にするのではなく、わたしのおこなうことが、わたしを偉大にする」(『おそれとおののき』桝回啓三郎訳、前掲著作集5所収)
 正義ゆえの迫害と戦い、勝った人間こそ、最も偉大なのである。
 ともあれ、悪質な言論の暴力を打ち砕き、良質の活字文化を復興させていくことだ。ここに、わが「聖教新聞」の重大な使命がある。
 そしてまた、ここにこそ、正義を社会に打ち立てていく最重要の急所がある。
 「正義であればこそ、負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。師子は吼えてこそ、師子である」
 これは、戸田先生の叫びである。戸田先生は、仏子である学会員をいじめるような人間は絶対に許さなかった。会員を守るために、徹底的に言論で戦われた。正義を師子吼された。どこまでもありがたい師匠であった。
17  一生涯、「いよいよ」の信心で
 ここで、御聖訓を拝したい。まず、千日尼へ与えられた御文である。
 「いよいよ信心を励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、男女僧尼が必ず憎むであろう。憎むなら憎むがよい。法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身を任すベきである。如説修行の人とはこういう人をいうのである。
 法華経の見宝塔品には『恐畏の世(濁悪恐怖の世)において、よくわずかの間でも説く』とある。これは悪世末法の時、三毒強盛(貧り・瞋り・癡かの心が強く盛んなこと)の悪人たちが集まっている時に、正法をわずかの間でも信じ持つ者を、天人が供養するであろうという経文である」(御書一三〇八ページ、通解)
 千日尼は、今で言えば「多宝会」の方々にあたるであろうか。
 夫の阿仏房とともに、佐渡流罪中の大聖人を慕い、御供養を続けた大功労者である。
 その千日尼に対して大聖人は、″さあ、これからですよ!″と、「いよいよ」の信心を教えておられる。そして、この悪世において正法を持つ者を、必ず諸天が護るでしょう、と励まされているのである。信心に、「定年」はない。むしろ、年を重ねた分、光り輝くのがこの信心である。
 明「青年・拡大の年」は、ぜひとも、経験豊かな先輩が、若い世代に「信心の模範を示す年」にしていただきたい。
18  「師弟」の軌道に幸福と成長が
 また、「華果成就御書」には次の有名な一節がある。
 「良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない」(御書九〇〇ページ、通解)
 仏法の根幹は「師弟」である。この仏法の正しい軌道を外れてしまえば、信心の成長はない。
 私は、若き日より、戸田先生の言われたとおりの道を進んできた。
 この道は、牧口先生と戸田先生という″偉大なる師弟″が、命をかけて開き、つくり上げてこられた道である。それが、すなわち、広宣流布の″不二の師弟″の道である。
 この道に徹する人生が、どれほどすばらしいか。どれほど幸福か。そのことを私は、後継の青年たちに明快に教え残しておきたい。
 さらに、賢人の箴言を紹介したい。
 大教育者。へスタロッチは、呼びかけた。
 「自分のためではなく、わが同胞のために。自身のためではなく、人類のために。何ものにも束縛されない、心の中の神聖なる声を、高らかにあげる――その声に耳を傾け、その声に従う時にのみ、まさに、私たちは人間性の高貴さを見いだすことができるのだ」(The Education of Man, translated from German to English by Heinz and Ruth Norden, Philosophical Library, Inc.)
19  そして、マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「人は、彼の仲間の幸福のために働く、その程度に応じて正しく向上するものである」(『ガンヂー全集』1、高田雄種訳、春秋社)
 きょうもまた、明日もまた友のもとへ――皆さま方の奮闘こそ、「高貴な道」である。人生の正しき「向上の道」である。
 一年間、まことにご苦労さまでした。
 本当にありがとうございました。どうか、お体を大切に!
 大切な、大切な会員・同志の皆さま方に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 「勝って兜の緒を締めよ」である。仏法の真髄は「進まざるは退転」である。
 最高幹部の皆さんは、「どうしたら、皆が喜び勇んで、最高の力を発揮していけるか」、真剣に祈り、知恵を集め、次の勝利へ手を打っていくことだ。皆さん方から「幹部率先」の模範を示していただきたい。
 明年も、断固として戦い進もう! そして、断固として勝ち進もう!
 (東京・新宿区内)

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