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日蓮大聖人・池田大作

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第二総東京代表協議会 広布も人生も「徹する人」が勝つ!

2004.12.12 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  わが地域に世界の理想郷を築け
 第二総東京は世界平和の人材の城である。第二総東京は広い。限りない未来がある。
 近年、広宣流布が大前進し、すばらしき模範の天地となった。
 なかんずく、栄光輝く第二総東京婦人部の皆さん、この一年間、本当にありがとう!(拍手)
 第二総東京は、新しい精鋭が勢揃いした。青年も躍り出できた。私は、うれしい。
 先輩は、後輩を温かく見守り、励ましてあげてほしい。とくに、一生懸命、頑張っている人を、心から讃え、優しくねぎらい、最大に、ほめていくことである。
 八王子は、「すべてに一番!」の心意気で見事な前進をしている。小金井、町田、村山、秋川の健闘も光っている。全国の同志が注目している。
 明年は、わが友に、わが地域に、希望を贈り、温かな心の世界を大きく広げながら、いちだんと社会に聞かれた新しい時代をつくってまいりたい。
 まず、大事なことは、祈ることだ。
 「日本一の地域に!」「世界一の発展を!」
 大きな目標をめざして進むことである。
 状況に流され、ただ漫然と生きるなら、動物的な生になってしまう。
 広布も、仕事も、人生も、「何か秀でたものをつくろう」という決意がなければならない。
 「最優秀になろう」と競いあう。国家においても、個人においても、すべて熾烈な競争である。それが社会の一実相といえよう。だからこそ、勇敢に挑み、勝ち抜く意地がなければならない。
 そして「徹する」ことである。すべてに、おいて、徹してこそ、人間はできる。
 何より、信心は徹しなくてはいけない。あらゆる勝負は、徹した人が勝つ。徹するなかに、努力にがある。忍耐がある。責任感がある。信心に徹した人は必ず幸福になる。真の勝利者になる。永遠に金剛不壊の大境涯と輝く。どこまでも学会活動に徹し、師弟不二に徹することである。
 「徹する」とは、決して口先のことではない。
 私は、十九歳の時から、戸田先生に徹してきた。創価学会に徹してきた。
 人を頼み、「なんとかなる」と手を抜けば、何事も勝利はない。そんな甘いものではない。
 努力することだ。行動することだ。そして人との連結を強め、味方を増やすことである。これを実行したところが勝つ。わが地域に、日本一、世界一の広布の理想郷を築いていただきたい。
2  師弟一体で正義の勝関を
 御聖訓には、「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」とある。
 個人であれ、団体であれ、国であれ、この御聖訓に示された方程式は、変わらない。
 どんなに隆盛を極めた団体も、どんなに権勢を誇った人間も、仏法者を迫害すれば、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」との御聖訓どおりの姿となっている。
 妙法の力は、偉大である。日蓮大聖人の仰せに、絶対に間違いはない。
 私自身、この御聖訓を深く確信し、学会と同志を守るため、いかなる権威・権力も恐れることなく、敢然と障魔と戦い、勝ち抜いてきた。師の戸田先生は、その私を深く信頼してくださった。何かあると、必ず「大作!」と私を呼ばれるのが常であった。そして、先生と二人で綿密な打ち合わせを行い、「行ってこい!」と、私を派遣された。困難なことばかりであったが、すべて勝利でお応えした。
 時代は変わっても、師弟一体で戦う峻厳な精神を、断じて忘れてはならない。
 私が師の命を受けて戦った天地の一つが、北海道である。北海道の同志の方々は、私とともに、見事な勝利を飾ってこられた。
 中部の地でも、信教の自由を脅かす卑劣な動きがあり、青年が怒りに燃えて立ち上がった。今や民衆の勝鬨は全中部に轟いている。
3  乳母が教えてくれた知恵の物語
 現在、私は、ハーバード大学教授で、中国思想研究の第一人者である、ドゥ・ウェイミン博士と対談を進めている。(=対談集『対話の文明』は二〇〇七年一月に第三文明社から発刊)
 博士は、とくに儒教研究で世界的に知られる。二〇〇一年の国連「文明間の対話年」にあたり、アナン事務総長が世界の各文明を代表する識者を招き、″賢人会議″を結成した。
 そのさい、儒教文明を代表して参加したのが、ドゥ博士であった。
 この世界的な哲学者を中国思想の探究へと大きく導いてくれた人は、いったい、だれであったか。その一人は、幼少時代、乳母として世話をしてくれた農村出身の婦人であったという。
 婦人は、満足な教育が受けられず、読み書きもできなかった。若くして夫に先立たれ、苦労を重ねてきた人だった。学問がなくとも、彼女には豊かな知恵があった。幼い博士に、たくさんの物語や逸話、格言を語り聞かせてくれた。
 その乳母の話にこめられた「正義」や「勇気」「友情」「誠実」といった価値観が、幼い博士の心を高め、中国思想の魅力に目覚めさせてくれたというのである。
 なかでも、この乳母が、幼い博士に向かって、身振り手振りを交えながら、何度も繰り返し語って聞かせてくれた諺がある。
 それは、「苦労の中の最大の苦労を耐えぬいた者のみが、人々を導く人になる」。
 この言葉を胸に、博士は、苦労に次ぐ苦労を耐えぬき、学びに学びぬいて、世界的な大学者となっていかれたのである。
4  創価の母は気高き「幸福博士」
 このお話を、私は創価の母の皆さま方と二重写しにしながら、感銘深くうかがった。
 こうした母たちこそが、すばらしき人材を育む偉大なる「魂の大地」なのである。
 今、第二総東京婦人部の皆さんは、女子部と一体で「コスモス平和大学校」を聞き、人間主義の仏法を、平和と幸福の哲学を生き生きと学んでおられる。社会のため、人々のため、未来のために、勇敢に、忍耐強く「精神闘争」を繰り広げておられる。
 「知性は戦いの中で研ぎ澄まされる」(『ドイツ論3――哲学と宗教』エレーヌ・ド・グロート・梶谷温子・中村加津・大竹仁子訳、鳥影社)
 これは、フランスの女性作家スタール夫人の言葉である。
 そのとおりの気高き「幸福博士」の皆さま方を、私は心から讃えたい。
 また、日ごろから未来部の育成に尽力してくださっている「二十一世紀使命会」の皆さま方に、心から感謝申し上げたい。
 ドゥ博士は、SGIの理念に深く共感され、私どもの平和・文化・教育の運動に多大な協力を寄せてくださっている。博士は仏法の「如蓮華在水」の哲理について、こう洞察しておられた。
 「蓮華は、泥土を養分として生育し、泥土の中で美しい花を咲かせます。これは、世界の濁りを超越して、人間が美しき精神を開花させることに譬えられます。
 ここに、″どこか遠くにではなく、みずからが生きる大地でこそ、変革を行っていく″という大乗仏教の智慧があります。何ものをも拒絶することなく、むしろ、それを生かして価値を創造していく智慧でもあります」
 まさに、これこそ、わが婦人部の皆さま方の実践である。
 みずからの地域に根ざした地道な行動が、どれほど崇高であるか。そして、どこか一カ所が、見事な勝利の花を咲かせていくならば、それは、全体の開花に連動していく。どうか、その模範と光り輝く人華を、第二総東京は、来年も爛漫と咲き薫らせていっていただきたい。(拍手)
5  ウィルソン博士 ″学会は平等主義で大勝利″
 私は、同じくハーバード大学教授で、文化人類学の世界的大家であるヌール・ヤーマン博士とも対談を続けている(=対談集『今日の世界 明日の文明』は二〇〇七年九月に河出書房新社から発刊)
 ヤーマン博士は、かつて三百年近く鎖国を続けた日本の歴史と風土を分析されながら、そうした精神土壌のなかで、「聞かれた文明の対話」「異文化との交流」を進めている私たちの行動に、深い理解を寄せてくださっている。
 (=ヤーマン博士は名誉会長が一九九三年、ハーバード大学で二度目の講演を行ったさい講評を寄せ、こう語っている。
 「日本に対して国際的により開かれた社会のあり方を望む議論があります。たんに通信や情報産業等の分野ばかりでなく、知的・文化的な次元で、外なる世界との交流を進めることが求められているのです。
 そうした意味で、池田氏と創価学会が、国際的対話、各国との友好交流を力強く進めることによって、日本を世界に開こうとしていることは、まことにすばらしい信念であり、行動であると称賛してやみません」)
 私は、青年時代、哲学者・和辻哲郎の著書『鎖国』などを読んだことを思い出す。近世、欧米人が未曾有の科学を発展させていった時期に、日本は国を閉ざしてしまった。この人類の科学的精神の成長期に、日本が世界から孤立してしまったことが、深刻な影響を残したことを、深く憂慮する論調であった。
 思えば、この十月に亡くなられた国際宗教社会学会の初代会長ブライアン・ウィルソン博士は、こう喝破しておられた。
 「宗門(日顕宗)は保守的な集団であり、規模も小さく、社会から孤立している。
 そのうえ日本は数百年にわたり外の世界から隔絶した鎖国状態にあったため、宗門の視野もそれだけ狭いものとなっている」
 「宗門の顕著な特徴は、権威主義と身分意識、そして階級制度である。
 (これに対して)在家団体である創価学会は、民主主義、平等主義であり、僧侶たちの考え方に特有の身分主義を認めないのである」
 博士は、イギリス・オックスフォード大学の名誉教授で、宗教社会学における最高峰の知性である。深い共感をもって、学会の勝利を見つめておられた。
 二十六年前(一九七八年)の十二月、初めて東京の聖教新聞本社でお会いして以来、いくたびとなく語りあった。本当に懐かしい。対談集『社会と宗教』(本全集第6巻収録)も上梓した。
 十月二十一日には、博士を偲ふセレモニーかオックスフォード大学て執り行われ、参列したイギリスSGIの理事長が、その模様を報告してくださった。
 「博士の同僚六人が哀悼の辞を述べられ、その中で、アイリーン・パーカー博士(ウィルソン博士の弟子)が、創価学会とウィルソン教授とのすばらしいつながりについて、心のこもった言葉で語られました。最後には、ひつぎに向かって題目をあげることで、追悼の辞を締めくくられました」
 本当にすばらしい学識と人格の博士であられた。私も妻とともに、心から追善をさせていただいている。
 イギリスの大詩人ミルトンは叫んだ。
 「かくも厚顔無恥なるうそつきは、なにか特別の恥辱の熔印を押されて、徳高き人びとと学識豊かな人びとの集うあらゆる交友の場から追放されるべきであり、そうでなければそれこそ言語道断ということになりましょうぞ」(『イングランド国民のための第一弁護論および第二弁護論』新井明・野呂有子訳、聖学院大学出版会)
 虚偽を語る人間を放置しては断じてならない。厳しく戒めて、高潔な真理探究の世界から叩き出していかねばならないというのである。
 悪とは絶対に妥協しない。「こんなことくらい、どうでもいい」という安易な方向に流されない。これが真の人格であり、見識である。また、真の人間の世界の品格である。
 この点は、牧口先生も、まことに厳格であった。
 「仲間の大多数に平和な生活を得しめんが為には、あくまで悪人を排除しなければならぬ」と。
 牧口先生は、悪への対処を医療になぞらえた。
 すなわち、小さな悪であれば、いわゆる「対症療法」で対処できる場合もあるが、根の深い悪については、毅然と「切開」し、根本から取り除くしかないと教えられている。
 日蓮大聖人は「立正安国論」で「一凶を禁ぜよ」と厳命しておられる。だからこそ悪は断ち切っていかねばならない。正義は、まつこうから邪悪と戦い、断じて勝ち抜いていかねばならない。
6  賢明に! 絶対無事故の前進を
 ロシアの宇宙飛行士セレブロフ博士は、宇宙で十回も船外活動を経験したことで有名である。私との対談集『宇宙と地球と人間』(潮出版社)では、博士が三度、宇宙で死に直面したことも話題となった。
 宇宙飛行では、小さな油断やミスが重大な事故につながりかねない。
 たとえば、宇宙遊泳のさい、大切な命綱が外れてしまったことがあった。命綱は宇宙ステーションの外壁に掛ける仕組みになっていたが、その接続部分のボルトが外れてしまったのだという。
 三〇〇度近い寒暖差を繰り返す宇宙空聞につねにさらされ、かなりの振動を受けるため、ボルトが緩んでしまったらしい。固い頑丈なボルトが緩むことなどありえない″と、だれしも思ってしまう。実際、チェックもされていなかった。
 博士は、この重大な事故を振り返りながら、こう語っておられた。
 「このことから普遍的な教訓を学べます。つまり、難しく複雑なシステムは常に入念にチェックするから大丈夫である。最も初歩的なことからミスや事故が生じるということです」と。
 非常に大事な話である。事故や事件は往々にして、「これくらいは問題ないだろう」「自分は大丈夫だろう」といった心の隙から起こるものだ。小事こそ大事である。
 御聖訓には、「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と仰せである。
 信心は聡明な賢者をつくるためにある。
 どうか、油断や惰性を排して、徹して賢く、絶対無事故の勝利の前進をお願いします。
 大切な同志の皆さま方に、心からの感謝をお伝えください。
 一年間、本当にご苦労さま! 風邪をひかれませんように!
 どうか、勝利と栄光と福徳のお正月を、お迎えください!
 (東京牧口記念会館)

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