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日蓮大聖人・池田大作

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第44本部幹部会、東京総会 創価とは最高の幸福世界! 勝利への道を

2004.12.9 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  偉大な英雄は、他人を助けるために闘う人
 「創価完勝の年」の捧尾を飾る本部幹部会の開催、おめでとう!
 海外の皆さま方も、ご苦労さまです!
 スウェーデンの著名な女性教育者、思想家の一人にエレン・ケイ(一八四九年〜一九二六年)がいる。
 牧口先生も、彼女の思想に注目し、著書『創価教育学体系』の中で光をあてておられた。
 彼女の著書に、次のような言葉があった。
 「最も偉大なる英雄は、権力や光栄のために闘う人ではなく、他人を助けるために闘う人である」(『戦争平和及将来』本間久雄訳、大空社)
 私たちも、日々、休むことなく戦っている。
 権力のためではない。栄達のためでもない。苦しむ人、不幸な人を助けるためである。
 日蓮大聖人の仏法は、一切衆生を、生命の根底から救いゆく「希望の大法」である。
 この法を持ち、弘めゆく学会員こそ、最高に偉大なる「生命の英雄」なのである。
 それは、日蓮大聖人が断言しておられるとおりである。
 (大聖人は「法華経を受持された人は、すべての人の『主人』の立場である」〈御書一一三四ページ、通解〉、「法華経を持つ者は必ず皆、仏である」〈御書一三八二ページ、通解〉等と記され、妙法を持つ人が最高の位であることを明らかにされている)
 また、世界の一流の識者の方々が、人間を結び、社会に貢献しゆくSGIの運動に賛同し、深い共感を寄せてくださっていることも、皆さま、ご存じのとおりである。
2  十九世紀フランスの大文豪ユゴー。
 彼は、みずから執筆した戯曲の登場人物に、次のように語らせている。
 「すべてのものは生まれては死に、また他所で生まれかわる」(『自由劇』川路柳虹訳、『ユーゴー全集』8所収、ユーゴー全集刊行会)
 大事なのは、生命が永遠だからこそ、「未来」のために、「今」を大切に生きることだ。それが仏法の「現当二世」の生き方である。
3  尊き仏法求道の旅に喝采
 きょうは、海外十七カ国・地域から、百十一人のSGIの友が参加してくださった。
 詩情豊かな″冬のソナタ″の国である韓国からも、多くの同志が来ておられる。(「冬のソナタ」は、韓国で制作されたテレビドラマ。日本でも放映され、大人気を博した)
 皆さん、ご苦労さまです。お帰りになったら、″ソナタの国″の″カナタ(彼方)の皆さん″に(笑い)、くれぐれもよろしく、お伝えください!
 ともあれ、海外の皆さま方、遠いところ、寒いところ、ようこそ、お越しくださいました。
 皆さま方の尊き仏法求道の旅――本当にすばらしいことである。
 日本の皆さんも、海外の友の真剣な一念を、ぜひ学んでいっていただきたい。
 SGIは、今、世界の各地で、めざましい発展を遂げている。あの地でも、この地でも、うるわしい幸福のスクラムが広がっている。私は、「SGI、万歳!」と声を大にして、讃嘆申し上げたい。(拍手)
 日本の″ソナタ″の同志の方々も(笑い)、ご苦労さまです。
 今年は、十年に勝る「前進」と「歴史」と「勝利」を刻んだ一年間であった。「勝利また勝利」のすばらしき劇のごとき一年間であった。そしてまた、皆さま方の「忍耐」と「勇気」、そして広宣流布への決意あふれる「信心」によって、永遠に輝く一年間となった。
 全国、全世界の同志の皆さま方に、重ねて感謝申し上げたい。「完勝の一年」、本当に、ありがとうございました!(拍手)
 皆さまの偉大なる信心の功績を、大聖人が最大に御賞讃してくださっていることは間違いない。広布真剣に戦いぬいた功徳は、わが生命に永遠に刻まれ、子孫末代までも無量の福徳の光彩でつつんでいくことを確信していただきたい。
4  周総理は指導者の鑑
 それは五十六年前、つまり一九四八年(昭和二十三年)の、きょう十二月九日のことである。
 周恩来総理と、夫人の鄧穎超先生は、創立して間もない大学に足を運ばれた。
 現在、学会青年部も交流を結んでいる名高い人材の城「中国青年政治学院」である。
 その学生たちは、みずからつくり上げた歌劇を披露し、周総理ご夫妻を真心から歓迎した。
 総理ご夫妻は、青年たちの真心をがっちりと受けとめられた。そして、演技が終わると、ご夫妻は、すぐに舞台裏に駆けつけ、一人一人と固い握手を交わされたのである。
 楽団の隅のほうで、けなげに銅鑼どらを鳴らしていた女子学生には、こう激励された。
 「目立たな陰の使命こそ大切です。どうか、無名の英雄として光っていってください。陰の使命に徹してこそ、表舞台で活躍できるのです」(中国青年政治学院〈中央団校〉創建五十五周年のホームベ1ジから)と。
 映画の名場面のような美しい光景である。
 さらに総理ご夫妻は学生たちに、「人民に学べ! 民衆から学べ!」と深く語りかけたのである。
 周総理は、つねに陰の労苦に光をあてておられた。陰で苦しみながらも、頑張っている人、真剣に戦っている人――そういう人に励ましを送ることを忘れなかった。
 指導者として、たいへんに重要なことである。全指導者が模範とすべき姿勢である。
 すべては、人民のために!――との熱き信念に貫かれた周総理の行動にふれて、中国の民衆は、「よし、この人ならば信頼できる!」と立ち上がった。
 そして総理とともに、また総理の精神を継承した指導者とともに、祖国の建設に刻苦奮闘し、現在の大中国の礎が築かれていったのである。
5  日中友好へ心は結ばれて
 周総理は、どこまでも青年を愛した。青年にご自身のすべてを捧げていかれた。私も青年を育てることから心が離れない。総理のお気持ちが非常によくわかる。
 総理とは、相見ぬうちから、すでに、心ではつながっていた。
 周総理は、私のことも、よく知ってくださっていた。私が、一民間人の立場ではあるが、自身の信念として、日中友好、中ソ和解へ行動していたことも、全部、ご存じであった。
 そして、三十年前の十二月の五日、医師団の反対を押しきってまで、七十六歳の周総理は、四十六歳の私と会見してくださったのである。
 (=一九七四年十二月五日、周総理は、重病の身にもかかわらず、「池田会長にはどんなことがあってもみずから会わねばならない」と言い、名誉会長との会見に臨んだ。会見の席上、周総理は、「再三にわたって、中日友好関係を発展させねばならないと提唱されてきたことを伺い、私はたいへんにうれしかった」と語り、名誉会長の日中友好への行動を高く評価した。さらに総理は、「中日平和友好条約の早期締結を希望します」と、日中の未来を民間外交の推進者である若き名誉会長に託したのである)
 今朝、妻から、「あれから三十年がたつて、あなたも周総理と同じ年齢に、なりましたね」と言われた。思えば、総理とのお約束を果たしゆくため、私なりに走り続けてきた三十年であった。
 学会のリーダーもまた、陰で戦う人の心がわかる人でなければならない。
 学会には、だれも見ていないところで、広布のため、同志のため、また地域のために、地道に真剣に努力している人が数多くいる。その人たちのおかげで学会は発展してきたのである。
 そういう陰の立場の人を、学会の幹部は、心から大切にしていくことだ。その功労を讃え、温かく励まし、深く深く感謝できるリーダーであっていただきたい。
 どとまでも、「一人を大切に」していくことである。「会員から学んでいく」ことである。
 この「会員第一」の精神こそ、学会の幹部の伝統精神であることを、断じて忘れてはならない。
6  「無冠の友」「会場提供者」の皆さまに感謝
 先ほども話があったと思うが、広布の陰の功労者の方々に、私からも、心から御礼を申し上げたい。
 (本部幹部会の席上、創価班、牙城会、白蓮グループ、婦人部香域会、白樺会・白樺グループ、会館守る会、サテライトグループ、設営グループ等の各種グループ、さらに「無冠の友」、新聞長、教宣部、書籍長、統監部、未来部育成部長、民音推進委員等の役員など、広布推進を陰で支えた友に対して、この一年の感謝が述べられた)
 なかんずく、″無冠の友″の配達員の皆さま方に、最大の感謝を捧げ、賞讃を送りたい。(拍手)
 私も、かつて新聞配達をした。皆さまの苦労はよくわかる。朝早くから――寒い日も、雨の日も、雪の日も――毎日毎日、広宣流布のために行動されている最高に尊い方々である。
 諸天善神も、仏菩薩も最大に讃嘆し、守ってくださる。これが妙法である。
 私たちは、配達員の皆さまに最敬礼し、「朝早くから、本当にご苦労さまです」「くれぐれも、お体を大切になさってください」と心から感謝していきたい。
 友の労苦を、決して当たり前と思つてはならない。感謝やねぎらいの言葉も言えないのは、人間として最低である。
 また、尊き個人会場を提供してくださっているご家庭に対しても、「いつもいつも、本当にお世話になります」と、最大に感謝したい。(拍手)
 個人会場を提供しておられる方は、いらっしゃいますか?(会場から「ハイ」と挙手が)
 いつも、ありがとう!
 「親しき中にも礼儀あり」である。使わせていただく私たちは、会場を掃除するのはもちろん、すみずみにまで配慮し、心をこめて御礼を申し上げていかなければならない。
 こうした小さな、身近な振る舞いのなかに仏法はある。「心こそ大切なれ」なのである。
 広布のために会場を提供してくださる方々に、迷惑をかけるようなことがあっては絶対にならない。良識豊かに、わが家と同じように、いな、わが家以上に大事にしていくよう、幹部から率先して取り組んでいきたい。
 ともあれ、個人会場を提供してくださっているご家庭は、御聖訓に照らし、子々孫々まで大宮殿に生きる境涯となっていく。この誉れを忘れ、ないでいただきたい。
7  他者とかかわれ大目的に生きよ
 さて、アメリカ心理学会の会長を務めたセリグマン博士といえば、「楽観主義の心理学」で世界的に著名である。「フロイト以来の革命的な理論家」と讃えられている。
 (=名誉会長は一九九七年九月二十日、セリグマン博士と会見。その出会いの軌跡を、人物エッセー「素晴らしき出会い」につづっている)
 このほど、セリグマン博士は、現在、取り組んでいる貴重な研究の一端を紹介してくださった。
 ボストン二十一世紀センターの代表がインタビューし、報告してくれた。
 その研究テーマは「人間は、どのような時に、生命の充実感を覚えるのか」。
 博士は、全世界から寄せられた経験的なデータを分析した。
 その結果、人間が充実感を得る体験は、大きく分けると、次の三つになると博士は考えた。
 第一に「快楽的な生き方」。
 第二に「他者とのかかわりのなかで、みずからのよき人格を発揮していくこと」。
 そして、第三に「自分を超えた大いなる価値や目的のためにみずからの力を用い、貢献していくこと」。
 そのうえで、博士は、世界共通で真の充実感をもたらすものは、第一の「快楽的な満足」よりも、第二、第三の「深い精神的な充実」であることを明らかにした。要するに、幸福であるかどうかは、物質的、経済的な豊かさ、また社会的な地位だけでは決まらない。
 まさしく、日蓮大聖人が御聖訓に仰せのとおり、幸福は「蔵の財」ではなく「心の財第一なり」である。
 この御本仏の仰せは、私たちの永遠に根幹となる指針である。
 自分を超えた大いなる価値や目的のために貢献する――これが、悔いなき人生のためにはいちばん大事になる。それを皆さまは知り、実践されている。「創価」すなわち「価値を創造する」最高に偉大な人生を生きているのである。
 「心の財」を積みゆく学会活動が、心理学の見地から見ても、どれほど理想的な生き方であるか。
 世界の模範の姿であり、最先端の行動である。だからこそ「創価の人間主義が世界に広がる以外にない」と熱い期待が寄せられているのである。
 学会は、あらゆる次元において、宇宙の根本の法則に則った幸福の世界であると宣言したい。
 増上慢と偏見と焼きもちの人間など、悠然と見おろしながら進んでまいりたい。
 セリグマン博士はまた、こうも語っている。私自身については過分な評価であるが、創価学会に対する信頼と評価の証として、そのまま紹介させていただく。
 「私は、池田SGI会長との出会いによって、新しい心理学の発展に確信を持つことができました」
 「幸福を生みだす人格的な基盤を形成するためには、組織や環境も不可欠でしょう。そうした要件を、私は仏法から学びたいのです」
 これが、世界の正視眼の声である。
8  学会活動こそ″理想の生き方″
 価値ある充実の人生であったか。悔いの残るむなしい人生であったか。
 あらゆる迫害を乗り越えた、勝利の人生であったか。戦いに敗北した、悲しい人生であったか。
 人生は、厳しい因果の理法のもとで、どうしても生きぬいていかねばならない宿命を帯びている。せんじつめれば、人生は、幸福であったか、不幸であったか、どちらかしかない。
 それは、その人生が、勝利の歓喜であったか、それとも、敗北の地獄の苦しみであったか、どちらかで決まる。勝てば「幸福」。負ければ「不幸」である。
 ゆえに「仏法は勝負」なのである。そして、「絶対に勝てる法」こそ、妙法なのである。
 大仏法を持った人、すなわち、「広宣流布」という最高に価値ある目標に向かって実践をしぬいた人は、必ず「一生成仏」という、永遠不滅の勝利と幸福の人生を勝ち取ることができる。釈尊も、そして日蓮大聖人も、厳然とそう叫ばれた。
 そのとおりの人生を歩んでいるのが、皆さん方である。私は、声を大にして、「皆さんは勝つた!」と申し上げたい。おめでとう!(拍手)
 皆さんは、偉大な人生を歩んでいける大勝利者である。永遠の、栄光と勝利と福運を担われた方々なのである。
 今は大変かもしれない。さまざまな悩みもあるだろう。しかし、人生は「劇」である。劇であるからには、途中にいろいろな段階がある。最初から最後まで何も起こらず、ずっと恵まれた境遇では、劇にならない。
 何不自由なく、おいしいものを食べ、外も歩かず、働きもせず、富士山など優雅に仰いで――そんな「幸福」などない。幸福そうに見えて、それは、いちばん不幸である。
 日蓮大聖人の仰せに絶対に間違いはない。人生の最極の栄光のために、大聖人は、″偉大なる仏法を受持せよ″と厳命なされた。そして、″妙法流布という善の中の最高の善のために、この一生を生きぬいていけ! 行動しぬいていけ!″と仰せになった。
 この御精神のままに、妙法流布へ勇敢に行動しぬいているのが、創価学会である。だから、学会は偉大なのである。
 学会は今、太陽のごとく輝きを放っている。妙法流布に生きぬく以上の人生はない。皆さんは、その究極の人生を生きぬいている。だから尊いのである。
 ともあれ、「心こそ大切なれ」である。
 「御義口伝」には、「はじめてわが心が本来の仏であると知るのを大歓喜というのである。南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜である」(御書七八八ページ、通解)と明快に断言されている。
 ″わが生命は、仏なのだ!″――このことに目覚める以上の大歓喜はない。
 しかしそれは、口に出して表現できることではない。突然、「自分は仏だ」などと言いだせば、どうかしたのではないかと思われてしまう(笑い)。だから「心」なのである。
 いわゆる″生き仏″などはいない。日顕宗のように、権威ぶった格好をすれば仏などというのも邪義である。
 「心こそ大切なれ」とは、そうした権威主義、形式主義に対する戒めと拝することもできよう。
 根本は、あくまでも「心」である。「信心」――「信」ずる「心」である。
 心は、現実の行動にあらわれる。利己主義の仏や、ずるがしこい仏はいない。
 隣人を助け、悩める友を励まし、人々に妙法のすばらしさを伝えていく。仏の生命は、そうした慈悲の振る舞いにあらわれる。
 御聖訓に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とあるとおりである。日々、妙法を唱え、広宣流布の大願に進みゆく皆さまの心にこそ、大歓喜の仏の生命が躍動してくるのである。
9  「言論の時代だ 新聞が武器だ」
 本日は指導者の集まりである。ことで、戸田先生、牧口先生の不滅の指導を確認したい。
 戸田先生は言われた。
 「上に立つ指導者が真剣であれば、『改革』すべき急所は自然と見えてくるものである」
 幹部が真剣かどうか、責任ある人が真剣かどうか。
 真剣であれば、「智慧の眼」が開かれる。「あの人には、こうしてあげよう」「あそこの組識は、こうしてあげたほうがいいな」ということが、自然のうちに見えてくる。
 指導者の条件。それは「真剣」である。真剣なる指揮、真剣な指導、真剣な行動をお願いしたい。
 また、戸田先生は言われた。
 「これからは言論の時代である。新聞が第一の武器だ」
 戸田先生が、学会の機関紙をつくろうと言われたのは、先生の事業が、嵐の渦中にあった時である。一九五〇年(昭和二十五年)の師走、新橋駅近くの、とある食堂で構想をうかがった。
 そのころ、先生は一身に非難の集中砲火をあびていた。
 激しい戦いで、心身ともに、満身創痩の状況であられた。
 私は、すべてをなげうって、戸田先生に仕えた。「絶対に先生を守りきってみせる!」と、昼も夜も、不眠不休で、先生を守りぬいた。
 先生は、どのような状況にあっても、悠然と、壮大な広布の未来を展望されていた。
 新聞の名前をどうするか検討したとき、先生は「将来のことを考え、たとえば『宇宙新聞』なんてどうだい」と言われた。
 じつにスケールの大きな師であられた。「大作、お前の名前はもっとでかいじゃないか」と先生が言われ、二人で笑いながら話しあったのも、懐かしい思い出である。
 こうして発刊されたのが「聖教新聞」である。(一九五一年四月二十日発刊)
 「聖教新聞」は、学会が最も大変な状況のなかで、師弟一体の闘争によって創刊された新聞なのである。戸田先生が「日本中の人に読ませたい」と言われた「聖教新聞」を、ますます充実させ、広宣流布を推進してまいりたい。
10  悪に対する反撃の精神を持て
 戸田先生は、このような言葉も残されている。
 「私の真の弟子であるならば、広布のために、創価のために、最後の最後まで戦い続けよ!」
 たとえ、何があろうと、どんな困難が立ちはだかろうと、「広宣流布」のため、「創価学会」のために戦いぬく。最後の最後まで戦い続ける。それが「真の弟子」である。
 さらに、戸田先生は言われた。
 「悪に対する反撃の根性のない者は、去っていくがよい。中傷批判は、妬みと偏見と嘘八百の策略であることは、天を見るよりも明らかではないか」
 これが、今も昔も変わらぬ方程式である。
 皆さんは、正々堂々と反撃し、論破し、正義を語りぬいていただきたい。
 牧口先生も「悪人は多くの善人の生活を脅かす」(『創価教育学体系』1、『牧口常三郎全集』5所収)
 悪人は、善人の言動を妬み、悪口雑言する。そして、善人が、あたかも悪人であるかのように、巧妙に仕立て上げる。
 牧口先生は、そうした悪人と戦われた。そして戸田先生は先師牧口先生の正義の仇討ちのために立ち上がった。
 私は、戸田先生の正義の仇討ちのために戦い続けている。これが「師弟不二」の歴史である。
 戸田先生はつねづね、おっしゃっていた。
 「裏切り者、不知恩の者と戦うのが、仏法の慈悲だ。わが学会は、宇宙最極の和楽の世界である。決して、魔に崩されてはならない。厳然と、わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな!」
 だれよりも学会員の方々の、お世話になりながら、自己の欲望や名利のために学会を利用する「不知恩の輩は、断じて許してはならない。そうした恩知らずと戦う心を忘れてしまえば、的を外した戦いになってしまう。それでは結局、善を守りきることができない。
11  忘恩は大罪 忘恩は卑しい
 南米解放の父であるシモン・ボリバルは、「忘恩は人間があえて犯すことのできる最大の犯罪である」(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド『シモン・ボリバール』水野一監訳、春秋社)
 スイスの思想家ヒルティの『幸福論』には、「根本的に卑しい人間のはっきりした特徴は忘恩である」(『ヒルティ著作集』2、斎藤栄治訳、白水社)と記されている。
 また、『ドン・キホーテ』の作者であるスペインのセルバンテスは、「一般に悪人というものは往々にして忘恩の徒」「忘恩は傲慢の産物にして、世に知られたる大罪の一つなり」(『ドン・キホーテ』牛島信明訳、岩波文庫)と言及している。
 「悪い心の持ち主はしばしば恩を仇でかえす」(『サルダナパラス』上田昇訳、『バイロン全集』4所収、那須書房・日本図書センター)――これはイギリスの詩人バイロンの戯曲の一節である。
 オランダの哲学者スピノザには、「忘恩は卑しいことである。なぜというに、たいていのばあい、忘恩は、当人が過度の憎しみ、怒り、高慢または貪欲に充ちている証拠だからだ」(『倫理学〈エテイカ〉』高桑純夫訳、『世界の大思想』9所収、河出書房新社)との言葉がある。
 忘恩は人間性の堕落なり――古今を通じた賢人たちの洞察である。
 先ほども申し上げたが、きょうは、韓国SGIの方々も出席されている。はるばる、ようこそ!(拍手)
 「韓国のガンジー」と讃えられる独立の指導者、安昌浩アンチャンホ先生は、「私たちが何をするにせよ、その根拠となるのは、『人格革命』である」と述べられている。
 人格革命とは、私たちの「人間革命」の哲学にも通じる考えであるといえよう。
 十八世紀の大学者、朴趾源パクチウオン先生は、「古来、道義の盛衰と人心の善悪は、すべて、上にある者が先導しているのだ」(『熱河日記』2、今村与志雄訳、平凡社)とつづられている。
 すべてはリーダーで決まる。責任ある立場の人が、どれだけ真剣に、知恵をしぼり、皆をリードしているのか。厳しく問われる時代である。
 まして、広布の前進において、リーダーが自身を鍛えず、道を踏み外せば、皆の妨げになる。なかんずく、最高幹部の責任は大きい。
 また、独立の闘士であり、大詩人である韓龍雲ハンニヨンウン先生は、次のような美しい表現を残している。
 「積もった雪と寒風に、美しい香りを放つのが梅であるならば、荒れ果てた世の、試練の中で、真実の幸福を得る者は、勇者である」と。
 梅の花は、吹雪や寒風に耐えて美しい花を咲かせる。そして、真っ先に春の到来を告げる。人生においては、試練に挑戦し、乗り越える「勇気を持つ人」こそ、最高の「幸福者」なのである。
12  仏法は無力感に打ち勝つ
 逆に、「人生の苦痛は、無力ということから始まる」(『諸王の賦』長谷安生訳、成美堂)とは、十八世紀イギリスの詩人ハーディの詩劇の一節である。
 生きる力を失ぃ、乗り越える努力ができなくなった時、人生はつらく、苦しいものとなってしまう。妙法は、自身の生命の底から、最高の勇気、最強の生命力である「仏の生命」をわき立たせる。
 仏が不幸になることはない。また、仏が敗北することもない。どんな悪世でも、どんな環境でも、どんな苦難が襲いかかっても、断固として一切を「変毒為薬」することができる。
 変毒為薬を可能にする″導火線″は、「信心」であり、「師弟の薫陶」であり、「同志の励まし」である。それらの″幸福の秘術″を持っている私たちが、人生の戦いに勝てないわけがない。
 皆さんは、どうか自信をもって進んでいただきたい。
 このほど、ロシアの宇宙飛行士セレブロフ博士と私との対談集『宇宙と地球と人間』(潮出版社)が出版された。
 この対談集の中で博士は、「民衆の連帯」を重要視され、このように語っておられる。
 「創価の潮流は、世界に類を見ない力強さがあります。そして、高い見識をもっています」
 「創価学会のような団体が各国に広がっていくことでしか、地球は救えません。私は、創価学会に大きな希望をかけているのです」と。
 一つの貴重な証言として、紹介させていただいた。
 学会は、人類にとって非常に大事な道を創り、開いているのである。(拍手)
13  一人一人が″幸福の大使″ ″平和の外交官″に
 五十年前の十二月、私は戸田先生から任命され、学会の初代の渉外部長に就任した。(一九五四年十二月十三日)
 ここには、五十年前に、まだ生まれていなかった人も多い(笑い)。若いことは、うらやましい限りだ。無限の希望の未来がある。
 戸田先生は、渉外戦の一切の総責任者に、最高幹部ではなく、青年部の私を任命された。
 私も今、青年部に期待したい。ずるさがない。インチキがない。邪智がない。鋭敏にして純粋な心、そして勇気こそ、青年の魂であるからだ。
 私は、渉外部長として、あらゆる人と会い、対話し、突破口を聞いた。責任を一手に引き受け、陰で学会を支えていったのである。
 戸田先生は、広宣流布の活動は、最高の渉外戦であり、外交戦であることを教えてくださった。
 人との接し方、礼儀、言葉遣い、そして人の心をつかむ知恵――あらゆる力をつけていける究極の言論戦が、広宣流布なのである。
 私たちは、一人一人が″幸福の大使″″平和の外交官″として進んでまいりたい。
 仏法には、「四悉檀」という法理がある。
 「悉檀」とは「教えの立て方、述べ方」という意義である。
 仏法をいかに広めていくか。その説き方を、四つに分けている。
 第一に、人々の願いに従って、仏法を理解させていく説き方(世界悉檀)。
 第二に、人の機根に応じて、仏法に導いていく説き方(為人悉檀)。
 第三に、誤りを破折し、生命の悪を断ち切っていく説き方(対治悉檀)。
 第四に、仏法の真理、真実を直ちに示していく説き方(第一義悉檀)。
 仏法を語るさい、時に即し、場合に応じて、この四つを自在に生かしていくのである。
 ここには、渉外の極意があるともいえよう。
 それは、相手の心をつかみ、敵をも味方に変えていく「誠実さ」であり、「粘り強さ」である。
 そして何より、悪を破折し、正義を打ち込んでいく「勇気」であり、「知恵」である。
 この五十年、私は世界広布の渉外戦の先頭に立ってきた。
 次の五十年の誇り高き渉外戦の一切を、わが青年部に託したい。
14  明年(二〇〇五年)のNHKの大河ドラマは「義経」である。
 有名な『平家物語』には、源平の決戦に臨む、若き源義経の心意気が謳われている。
 「戦いはひたすらただ攻めに攻めて勝つのが心地よいものだ」(『平家物語』11、杉本圭三郎訳注、講談社)と。
 戦いは、強く攻めぬくことだ。全力を集中させてこそ勝利はある。戦いの根本姿勢は、徹して攻めることである。
 この義経の心意気は、学会精神にも通じる。「攻めに攻めて痛快に勝ちまくる」――私たちも、この心で進みたい。なかんずく青年部は、「花の義経」のごとく、勢いをもって「破邪顕正」の大攻勢をお願いしたい。
15  きょうは、大勝利の東京総会、おめでとう!(拍手)
 思えば、大聖人は、ここ東京の天地で、御生涯の総仕上げをされた。現在の大田区池上で最後に講義されたのは「立正安国論」であった。
 大聖人の御一代の弘法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。妙法を掲げ、平和と安穏の社会を築きあげけていくのが、私たちの戦いである。
 東京は、永遠に「広宣流布の本陣」である。本陣として、「立正安国」の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある。
 ともに戦おう! 私も東京生まれである。
 大聖人は、大東京の団結の鑑であった池上兄弟の弟・宗長へ仰せである。
 「北条重時殿は立派な人でしたが、念仏者等にたぶらかされ、日蓮を怨みに思われたので、わが身といい、その一門といい、皆、滅びてしまったのです」
 「(法華経の仏種を断とうとする)良観を信じている人が栄えていると、お思いになりますか」
 「(正法正義に敵対した)一門がどうなったか、その末路を見なさい」(御書一〇九三ページ、通解)
 邪悪は必ず滅びる。正邪は明白になる。それが、仏法の峻厳なる道理である。
 終わりに、もう一節、池上兄弟への御金言を拝したい。
 「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(御書一〇八八ページ、通解)
 私たちも、この心で、あらゆる難を乗り越えて、広宣流布へ、まっしぐらに進みたい。
 ″これ以上ない″という最高の人生を、そして、「充実」と「価値」と「勝利」の、偉大にして朗らかな創価の道を、来年も、ともどもに、勇敢に進もうと誓いあい、きょうのスピーチとしたい。
 一年問、ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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