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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部・女子部最高協議会 前進は「勝利の道」希望は戦う心に輝く

2004.12.3 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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2  あまり知られていない記念日であるが、きょう十二月の三日は「妻の日」である。
 つまり、一年聞にわたる「妻」の労をねぎらい、感謝する日である。
 一年の締めくくりの十二月にあたり、感謝を表す英語の「サンクス」の響き(「サン」と「三」のころ合わせ)から、この日が選ばれた。
 日本の活字文化を大きく担われる「凸版印刷株式会社」によって制定されたものである。(日本記念日会編『記念日ハンドブック〈2001年版〉』日本経済新聞社、参照)
 その意味からも、きょうは、全国の″夫一同″を代表して(笑い)、″微笑ほほえみの妻″の皆さまに、心からの感謝を捧げたい。(拍手)
3  婦人部、女子部は二十一世紀の希望
 今年、お迎えしたインドの名門ラビンドラ・バラティ大学の気高き女性教育者ムカジー副総長は、しみじみと述懐しておられた。
 (=ムカジー副総長は、二〇〇四年二月、同大学から、池田名誉会長に「名誉文学博士号」を授与するために来日。その折、東京・信濃町の創価世界女性会館を訪問した)
 「世界女性会館に来ることができて、本当に幸せです。世の女性は、いつもたくさんの苦労を抱えています。しかし、ここに来れば、皆、ほっとして、心を和ませるにちがいありません。
 そして『人類の文明を向上させるのは女性だ。私自身の中に、その力と強さがあるんだ』ということを、ここに来れば、皆、必ず気づくことでしょう」と。
 婦人部、女子部の皆さん方の存在それ自体が、二十一世紀文明の希望の光明となっていることを確信し、心広々と、また心晴ればれと進んでいっていただきたい。
4  大宇宙の無限の活力が涌現
 妙法は、大宇宙を貫く法則である。ゆえに、南無妙法蓮華経と唱えゆく私どもの色心(心と体)は、自然のうちに大宇宙の根本のリズムに合致していく。
 大宇宙を動かす究極の力を、無限の活力を、わが身に涌現することができるのである。
 しかし、一次元から見れば、凡夫の世界であるから、当然、悩みも苦しみもある。さまざまに矛盾もある。だが、そのなかで断じて負けないで、信心を貫いていくならば、必ず、確かなる「幸福の軌道」へ、「勝利の軌道」へと進んでいくことができる。これが仏法の真髄の力である。
 大宇宙は瞬時も止まることなく動いている。あらゆるものが変化してやまない。信心も、絶対に立ち止まってはいけない。安逸に流されれば、魂はすぐに老いる。それは人間として「敗北の道」である。
 日蓮大聖人は「心こそ大切なれ」と仰せである。
 いかなる時も、広宣流布へ「戦う心」を燃やしていくことだ。
 ひたぶるな唱題によって、心を勇気で満たし、希望で光らせていくことだ。
 そして、一つ勝利すれば、また次の闘争へ。そしてまた次の闘争へ。
 つねに前へ前へ!――そのたゆみなき前進の心によって「勝利の道」が聞かれていく。栄光の人生が輝く。信心の世界は、頑張れば頑張るほど、福運がつく。生命力がつく。
 友の幸福のため、あの家へ、この家へ、歩きに歩き、正義の仏法を語り広げていく――まさしく仏の使いである。菩薩の振る舞いである。これ以上の尊い行動はない。
 学会活動は、自分が幸福になるのはもちろん、人も幸福にする。一家一族をも無量の福徳につつんでいける。自身を変革し、地域を変革し、社会を変革し、ひいては、世界を変革していけるのである。広布の活動には一切、ムダはない。これほどすばらしい意義ある人生はない。
5  「対話」こそ平和の最強の力!
 これまで、私は、世界の識者と千六百回を超える対話を重ねてきた。
 イギリスの大歴史学者トインビー博士と対談したのは、私が四十代のころであった。
 じつは、博士のほうから、「人類が直面する基本的な諸問題について語りあいたい」とお手紙をいただき、私がイギリスへ飛んだのである。
 イギリスと言えば、バッキンガム宮殿にアン王女を表敬し、難民問題など喫緊の課題について意見を交わしたことも懐かしい。チャールズ皇太子とは私邸に、お招きを受けて親しく語りあった。サッチャー首相とも二度、お会いした。
 さらに、ドイツの哲人政治家ヴァイツゼッカー大統領、キューバのカストロ国家評議会議長、南アフリカのマンデラ大統領など――世界各国の指導者と、立場を超え、同じ人間として、胸襟を開いて語りあった。人々の幸福を願い、懸命に信頼の橋を架けてきた。ただ「誠実の心」で!
 対話こそが、世界平和のための最強の力であると信ずるからである。
6  ズットナーの平和への戦い
 私は現在、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長で、オーストリアの世界的な心臓外科医であるウンガー博士と対談を進めている。(=対談集『人間主義の旗を』は二〇〇七年八月に東洋哲学研究所から発刊)
 このオーストリアの女性作家で、名高い平和運動の指導者に、ベルタ・フォン・ズットナー(一八四三年〜一九一四年)がいる。ズットナーは、あのアルフレッド・ノーベルの平和への熱意を深く啓発し、「ノーベル平和賞」の設立の原動力になったともいわれる女性である。(彼女自身、一九〇五年、「ノーベル平和賞」を受賞した)
 十九世紀末に出版され、世界的なベストセラーになった、彼女の著書『武器を捨てよ』は、あまりにも有名である。「人類よ、武器を捨てよ!」――人間を絶対に殺してはならない。生命は、かけがえのない尊厳なものである。
 ズットナーは、戦争へ傾斜していく世界にあって、この非暴力の思想を人類の頭脳に叩き込もうと、徹底して訴え続けたのである。その先見性のゆえに、多くの人々から、嘲笑され、侮辱され、無視され、中傷された。しかし、彼女は、誹謗中傷など恐れない勇気に満ちあふれでいた。
 作家のツヴァイクは「彼女がもの笑いの種にされてもけっして行動を思いとどまろうとしなかったというこの事実は、銘記すべき彼女の偉大さとして、現下の時局にたいして示された彼女の手本として、のこるものであります」(「世界大戦中の発言」藤本淳雄訳、『ツヴァイク全集』15所収、みすず書房)と讃えている。
 ズットナーは、一人一人と対話を積み重ね、皆の良心を奮い立たせていった。
 また、社会を平和の方向へと変革していくには、組織が必要である、連帯が不可欠であると知っていたがゆえに、オーストリアやハンガリーに、″平和のための組織″をつくった。
 さらに、この聡明な女性の真剣な大情熱が、アルフレッド・ノーベルや鉄鋼王カーネギーなど、力ある人物の心をつかみ、がっちりと味方にしながら、時代を揺り動かす大波を起こしていったのである。思想の戦いは、たしかに地味である。言論の戦いは、まことに地道である。しかし、それは、人の心から心へ、そしてまた、世代から世代へと、決して消えることのない影響をもたらしていくものだ。
 彼女の魂の名著は「全世界を征服した」と謳われた。今もなお、不滅の光彩を放っている。
 良書こそ「平和への力」である。「正義の光」である。「希望の源泉」なのである。
7  ウンガー博士「母から学んだ恐れない心」
 女性の勇気の持つ力について、私は、ウンガー博士とも、さまざまに語りあった。
 博士は、両親の思い出を振り返りながら言われている。
 「私は家族から、『金がすべてではない。正義に生きることが大事だ』ということを学びました。母は明るい、心の広い女性でした。母から学んだのは、『恐れない』ということです。母は非常に楽天的な女性でした。どんな問題に突き当たっても『こんなことは何でもない!』『解決策は必ずある!』と言うのが常でした」(「聖教新聞」二〇〇〇年十一月二十日付)
 ともあれ、人生のいかなる戦いにあっても、勢いがあるほうが勝つ。これが鉄則である。
 皆さん方の生命の勢いで、また皆さんの勇気と智慧の励ましで、さらに異体同心の絶妙なるチームワークで、わが家の勝ち戦を、わが地域の勝ち戦を、そして、わが学会の勝ち戦を、明年も断固としてお願いしたい。(拍手)
 世界の婦人部は、はつらつたる息吹で、希望と幸福のスクラムを広げている。そうしたようすを、私と妻は、多くの手紙や報告で日々、拝見している。本当に、うれしいかぎりだ。
 アメリカSGIは二〇〇五年の五月三日を大きな目標としている。婦人部を中心に、題目の渦を全米に巻き起こし、意気軒高に進んでいる。
 アメリカは世界広布の先顕である。大事な天地である。私も、いよいよ全力をそそいで、アメリカの総仕上げをしていく決心である。ともどもに、楽しく前進したい。
 アメリカSGIの機関誌「リビング・ブデイズム(生きた仏法)」の新年号では、婦人部の特集記事で、新しい一年のスタートを切る。
 アメリカの婦人部は、全米婦人部長をはじめ、社会での活躍もめざましい。全米婦人部長はカリフォルニア州の司法局次長として、幾多の法律家を統括する法曹界のリーダーでもある。州内で起きる最も悪質な刑事犯罪を扱うチームの最高責住者として、指揮を執ってきた。
 また、女性のある地区部長は、アメリカを代表する大病院サンフランシスコ総合病院の最高経営責任者(CEO)を務めている。彼女は、看護師として活躍されてきた。日本でいえば、白樺会である。そして、アメリカで女性として初めて、しかも看護師出身で、大病院のトップに抜擢されたのである。社会的に大きな話題となった。
 彼女が、この仏法に巡りあったのは、三十年前。場所は、現在、最高経営責任者を務めている病院の待合室であった。当時は、二人の幼子を抱え、経済苦に泣き暮らす毎日。子どもを診てもらいに来ていた彼女に、温かく声をかけてくれたのが、アメリカSGI婦人部の方だったのである。
 信心によって希望を見いだした彼女は、子どものころからの夢であった看護師をめざし、新たな人生を歩み始める。向学の志に燃え、大学にも入学した。(当時、授業料が無料だったサンフランシスコ市立大学で看護学を専攻)
8  社会で″なくてはならない人″に
 私が彼女と初めてお会いしたのは一九七五年。ハワイで行われた全米総会で、彼女がメンバーの救護を担当する役員をされていた時のことである。
 その翌年、見事、大学を首席で卒業。病院での仕事が始まった。
 彼女は、患者一人一人の回復を心から願い、真剣に唱題を重ねて、献身的に働いた。困難な仕事を頼まれでも、決して「ノー」とは言わない。どんなに苦しい時も、笑顔を絶やさなかった。その慈愛の振る舞いに、患者や看護師仲間、さらに医師からも、絶大な信頼が集まった。
 彼女は、学会活動のなかで、相手の悩みに耳をかたむけ、真心をこめて激励する――そういう姿勢を身につけていった。だから、病院でも皆が相談にきた。そして″なくてはならない人″と頼られるようになっていったのである。
 彼女が初めに勤めたのは大学病院だったが、実績を買われて、この信仰に巡りあったサンフランシスコ総合病院に移る。推薦を受けて「看護師長」に。さらに、看護師局の全責任を担う「総看護師長」を経て、全部局を統括する「事務総長」となった。
 権威や格式を重んじる大病院としては、異例ずくめの昇進であった。
 その都度、推薦された理由の一つは、「この人が、この病院のことを、いちばんよく知っているから」であったという。大誠実の対話に徹し、皆の話に耳をかたむけ、励まし続けた。その日々の振る舞いが、美しい信頼の花を咲き薫らせていったのだと私は思う。
 そして彼女は、五年前、巨大な病院全体を代表するトップに就住したのである。
 彼女は先日も、信心の喜びと学会への感謝を、生き生きと語っていたそうである。
 「私は、病院の仕事がどんなに忙しくても、地区部長として、学会活動できることが、うれしくてなりません。いつも学会の組織で、元気をいただいて、それを仕事へのエネルギーにしているのです」
 妙法を持つ人は、必ず永遠の幸福につつまれる。「もし、このことが嘘である、ならば、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏は嘘つきの人・大嘘つきの人・悪人である」「太陽と月は地に落ち、大地はくつがえる」(御喜一四〇五ページ、通解)と大聖人は断言しておられる。
 仏は決して嘘をつかない。妙法の力は絶対である。広宣流布のために、祈り、語り、動いた分、大功徳を受けることは間違いないのである。
 ともあれ、創価の女性の活躍は、世界中で枚挙にいとまがない。
 南米ベネズエラの婦人部員のある博士は、検察庁の高等学院の学院長である。先日は、中南米はじめ十一カ国二百人の代表が参加し、ベネズエラの首都カラカスで行われた国際会議を主催する責住者として尽力された。(社会と司法の現状をめぐる第一回「イベロアメリカ国際会議」)
 この会議では、地区婦人部長を務める教授(ロス・アンデス大学)も講演を行っている。
9  二十一世紀は女性が輝く団体が勝つ
 有名なブラジルの教育者パウロ・フレイレは、″民衆こそが世界の変革にかかわるべきだ″と呼びかけた。
 彼は「(=民衆が)自信をもつということは、世界をよりよいものにしていくたたかいにおいて不可欠なもの」(『希望の教育学』里見実訳、太郎次郎社)と述べている。
 どうか婦人部、女子部の皆さまは、「世界一の女性の平和の大連帯」として、誇りも高く、自信満々と前進していただきたい。
 信心利用の輩や、人間の道をはずれた策略家に対しては、断じて容赦してはならない。学会を利用する悪人を、厳しく見抜いて、正さねばならない。事実無根の悪口や中傷に対しては、悠然とはね返していくことだ。その本質は「嫉妬」であるからだ。
 オランダの大哲学者スピノザが、「ねたみ屋にとっては他人の不幸ほど愉快なものはなく、また他人の幸福ほど不快なものはない」(『エチカ』上、畠中尚志訳、岩波文庫)と喝破したとおりである。
 二十一世紀は「女性の時代」である。「女性の力」が社会に輝きわたる時代だ。いかなる団体であれ、国家であれ、「女性の力」を、生き生きと発揮させるところが発展していく。
 反対に、女性を軽んじ、侮辱するようなリーダーがいるところは、衰退し、滅びていく。
 その意味で、創価の女性――なかんずく婦人部が盤石なところが勝つ。繁栄していく。それが勝利の方程式なのである。
10  周総理との歴史的会見から三十周年
 今年の十二月五日は、私が中国の周恩来総理とお会いしてから、ちょうど三十年である。(一九七四年、第二次訪中のさいに、北京で会見)
 会見の思い出は、今も鮮やかである。
 あれは、私が日本に帰国する前夜だった。答礼宴の席で、中日友好協会の廖承志りょうしょうし会長が、「総理が待っておられます」と私に伝えてこられた。私は、総理の病状が重いことを聞いていたので、一旦は辞したが、どうしてもとの強い要望を受け、会見の場へ向かった。
 寒い夜だった。通訳の林麗韞りんれいうんさんが、私の妻の体を案じて、「そんな薄いコートじゃいけません」と、厚手のコートを掛けてくださった。温かな心づかいに、今も感謝は尽きない。
 着いた場所は質素な建物だった。病院だったのである。
 周総理は、立って私たちを待っていてくださった。
 会見が始まると、総理の態度は、真剣そのものであった。
 途中でメモが回ってきたが、総理がすぐにそれを脇に置かれたのを覚えている。そのメモは、医師団が総理の容体を心配し、早く会見を終えるように、お願いする内容だったようである。林麗韞さんから後にうかがった。
 日中友好のため、世界の平和のため、自分が生きているうちに、確固たる軌道を敷いておきたい――総理の姿は気迫に満ち、重い病気であることなど、微塵も感じさせなかった。本当に偉大な総理である。
 会見に、こちらからは、私の妻だけが同席した。総理のお体を考え、できるだけ少人数にしたかったのである。妻は臨時の″記者″となって、会見の内容をメモしてくれた。
 総理との会見の意義は、年を重ねるほどに、いよいよ大きさを増している。
11  人民のため、将来の世代のために
 本日(三日)、周総理の母校である南開なんかい大学の「周恩来研究センター」から、孔繁豊こうはんほう所長、紀亜光きあこう秘書長が創価大学に来学された。
 孔所長は、三十年の記念の意義をこめ、特別講演を行ってくださった。(講演は「周恩来総理と池田大作会長の歴史的会見」と題して。南開大学「周恩来研究センター」は総理に関する研究書を多数発刊。その一つ、『周恩来と池田大作』の日本語版は朝日ソノラマから出版されている)
 また光栄にも、私に「『周恩来学』特別貢献賞」を授与してくださった。心より、厚く、厚く、御礼申し上げたい。大いなる励ましと受けとめ、総理から託された、日中の永遠の友好のために、さらに尽力してまいる決心である。
 総理夫人の鄧穎超先生とも、私たち夫婦は親しくさせていただいた。周総理も、そしてまた、鄧穎超先生も、一生涯、ただただ人民のために、命を磨り減らして戦われた。未来のことをつねに考え、将来の世代のために、人知れず手を打たれていた。
 若き周総理が、抗日闘争のさなか叫ばれた言葉がある。
 「われわれ青年には、今日があるばかりでなく、はてしない未来がある。青年は自分の一生のことを考えるだけでなく、自分の子々孫々のことまで考えなければならない」(高橋強・川崎高志『周恩来――人民の宰相』第三文明社)
 壮大なる未来を見つめながら、一つ、また一つ、眼前の試練に挑むことだ。そして、断じて勝ち越えることだ。それこそ、青年の使命である。
 きょうは、女子部の代表も出席されている。
 女子部は、本当によく頑張っている。成長ぶりがめざましい。
 次の五十年の「広宣流布」と「世界平和」の道を聞きゆく女子部の連帯を、さらにいちだんと拡大し、充実させてまいりたい。
12  文豪ユゴーの励ましの手紙
 現在、東京富士美術館で「ヴイクトル・ユゴーとロマン派展」が開催されている。(二〇〇五年一月十五日まで)
 ユゴーは、偉大な芸術家であった。偉大な芸術とは、精進を重ね、自分を磨きに磨き、苦労しぬいて完成されていくものだ。今回の展示では、そうしたユゴーの精神の闘争を、目のあたりにすることができる。
 貴重な展示品の中に、ユゴーが、女性作家ジョルジュ・サンドにあてた直筆書簡がある。
 これは、サンドが愛する孫を亡くして悲しみに沈んでいることを知り、なんとか励ましたいと、文豪が真心とめて書き贈った手紙である。その中でユゴーは、亡くなったかわいいお孫さんは今、優しくサンドを見守っていると語りかけ、こうつづっている。
 「死というものはありません。すべてが生であり、愛であり、光なのです」と。
 仏法の生死不二の哲理にも通ずる洞察である。
 ともあれ、ユゴーのごとく、その人が最も大変なときにこそ、「時」を逃さず、励ましの手を差しのべることが大切である。
13  「生と死」は、人生の根本問題である。私とともに対談集を発刊した、″アメリカの良心″ノーマン・カズンズ博士は、こう記していた。
 「何人も死を恐れる必要はない。人間はただ、自分の偉大な力――自分の生活を他人のために捧げるという自由意志の力――を知らずに死ぬかも知れないということを恐れる必要がある」(『人間みな同胞』鮎川信夫訳、荒地出版社)
 そのとおりである。「自分中心」の利己的、な生き方を越えて、人のため、社会のために行動する。その時、人間は真の生命の充実を味わうことができる。
 命ある限り、最も偉大な広宣流布の大願のために、最も偉大な自分自身の力を出しきっていくことだ。最も偉大な力とは、内なる仏界の生命の力である。
 本年二〇〇四年は、ジョルジュ・サンドの生誕二百周年でもある。
 サンドは、庶民の味方、女性の味方となって、理想を求めて生きぬいた。
 彼女の作品に、次のような一節がある。
 「心穏やかに生きようとして悪を許容するのは卑怯なのだ」
 「(=私たちの)義務は悪を打ち倒し、善を勝利させるよう努めることである」(『スピリディオン』大野一道訳、藤原書店)
 悪との戦いから逃げてはいけない。戦いをさけ、安楽な生活を願う生き方は、結局、自分を不幸にしてしまうとの、サンドの叫びである。
 仏法は勝負である。悪と戦い、断固として勝ち抜くなかにこそ、「一生成仏」があり、「広宣流布」がある。勝ちゆく力は、正義の言論である。強き信心である。
 学会は、どこまでも清らかな信心の団体である。それが、牧口先生、戸田先生以来の峻厳な伝統である。
 ゆえに学会は、どんな激流も乗り越え、あらゆる障魔を勝ち抜いてきたのである。
 この伝統を、断じて永遠に守りぬかなければならない。
14  ピンチはチャンス! 変毒為薬の大仏法
 カズンズ博士は、著書の中で、アフリカで医療活動を行ったシュバイツァーの「真理はそれ自身の特別な時機を持たない」との言葉にふれながら、こう記している。
 「行動すべき適切な時機は? その時機は間違いなく、今である。今でしかあり得ない」「環境がもっとも順調でないように見える時機、それが正しい時機なのである」(前掲『人間みな同胞』)
 困難な時だからこそ、勇んで行動し、道を切り開いていく――世界の一流の人物に共通する哲学といえよう。
 一九三二年、女性として初めて「大西洋単独横断飛行」を成し遂げたアメリア・イヤハートは、こうつづっている。
 「わたしは、長年の聞に万事順調、申し分なしと見えた時とそ、必ずトラブルが出てくるものだということを悟るようになった。そしてまた、その逆に、声も出ないほどの失望落胆の底に落ちこんだ時に、往々にしてすばらしい『チャンス』が目の前に迫っているものだということも、実際に嬉しい嬉しい経験から習いおぼえた」(『ラスト・フライト』松田銑訳、作品社)
 いわんや、仏法は「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の法理を教えている。
 信心を根本とすれば、いかなる困難や労苦も乗り越えることができる。一切を意味あるものとして、生かしていける。功徳へと転じていくことができるのである。大きな壁が立ちはだかったときこそ、より大きな境涯を聞き、より大きな福運を積んでいくチャンスなのである。
 何があろうと、「月月・日日」に、水の流れるがごとく、大河の流れるがごとく、前進しゆくことだ。
 十八世紀のイギリスの作家サミュエル・ジョンソンは、小説の中で登場人物に語らせている。
 「人生を停滞させてはいけません。動きが止まれば濁って来るのです」(『幸福の探求』朱牟田夏雄訳、吾妻書房)
 行動こそが、新たな道を開くのである。
15  「自分は大丈夫」と油断するな
 同時に、順調なときこそ、「油断は大敵」である。
 日蓮大聖人は、主君の信頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(御書一一七六ページ、通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えでおられる。また、別の門下に対して、「冬は、火事で家が焼亡することが多い」(御書一一〇一ページ、通解)と厳しく注意をうながされている。
 時代は、ますます複雑な悪世である。凶悪な事件も多い。悪質な詐欺も横行している。火事や交通事故はもちろんのこと、こうした事件にも、十分に注意していただきたい。
 賢く、鋭く、「善と悪」「正と邪」を見極めていくことである。悪人にだまされるような、愚かなことがあってはならない。
 古代ローマの哲学者キケロは記している。
 「特に注意しなければならないのは、美徳の振りをした悪徳に欺かれないようにすることである」(「弁論術の分析」、『キケロー選集』6所収、片山英男訳、岩波書店)
 「自分だけは平気」「信心しているから大丈夫」といった過信があってはならない。
 信心をしているからこそ、油断なく、賢明に生きていくのである。愚かでは不幸である。「負け戦」の人生となってしまう。仏とは、最高の賢者である。勝者である。信心は最高に価値ある人生を生きる原動力であり、勝利の推進力なのである。
 ともあれ、絶対に無事故で、健康で、年末年始を、朗らかに有意義に飾っていただきたい。
16  フランスの哲学者パスカル。その著作集に次のような言葉があった。
 「宗教の真理は、どんなに小さいものでも、死を賭して守られてきたものでした」(『パスカル著作集』5、田辺保訳、教文館)
 パスカルは、聖職者の堕落を許さなかった。どんな世界的な宗教も、原点に返り、創始者の精神を守りぬく断固たる闘争がなければ、形骸化し、腐敗していく。
 歴史をひもとけば明らかなように、弟子たちの、命を賭した熾烈な戦いがあってこそ、宗祖の教えは「生きた宗教」として、時代精神へと発展を遂げることができるのである。
 創立七十五周年へ、創価学会は堂々と進んでいる。その勝利の歴史は、日蓮大聖人直結の信心で「不惜身命」「死身弘法」を貫いた師弟不二の大闘争によって、築きあげられてきたものである。とのことを、どうか胸に刻んでいただきたい。
17  広布へと行動する人が偉大
 ここで、日眼女(四条金吾夫人)への御聖訓を拝したい。大聖人は、こう仰せである。
 「法華経を持たれる人は一切衆生の主であると、仏は御覧になっているであろう。また梵天・帝釈も、この人を尊敬されるであろうと思えば、うれしさは言いようもない」「この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている』と説かれている」(御書一一三四ページ、通解)
 御本尊を受持し、広宣流布のために行動する皆さまとそ、最高に尊貴在、最も偉大な存在である。仕事がなんであれ、社会的地位がどうであれ、学会の中で、広布のリーダーとして戦う人が、いちばん尊い。
 一婦人が、大学教授に向かって、「幸福になるためには題目をあげることです!」と確信をもって指導する。すごいことである。″世間の位″でなく、″信心の位″が最も尊いのである。
 学会は、庶民が、世間の肩書や地位など関係なく、広布の指導者として指揮を執っている。だから強い。だから、いかなる波浪にも、びくともしない。
18  「創価の母」を諸天は厳然と守護
 大聖人は、続けて仰せである。
 「一切の人が憎むならば憎むがよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめとして、梵天・帝釈・日天・月天等にさえ、いとおしく思っていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえ、ほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか」(御書一一三五ページ、通解)
 御聖訓どおりの難を乗り越え、勝ち越えてきた、わが創価学会を、なかんずく創価の女性たちを、ありとあらゆる仏菩薩が、諸天善神が、護りに護り、讃えに讃えている。
 この大確信に燃えて、「勝利! 勝利!」の広布の母の曲を、そして、創価の女性の讃歌を、二十一世紀に高らかに奏でてまいりたい。
 結びに、各地域で行われる婦人部総会の大成功を、心よりお祈り申し上げたい。
 そして、三首の歌を贈り、私の御礼のスピーチとさせていただきたい。
  尊くも
    涙と汗を
      流しつつ
    妙法広布に
      生き抜く貴女よ
  
  新たなる
    生命の革命
      純粋に
    不幸を倒さむ
      幸福博士と
  
  最高に
    貴く強く
      美しき
    母の心に
      敵うものなし
 どうか、お元気で! それぞれの地域の皆さまにも、どうかよろしくお伝えください。本当にありがとう!
 (東京・信濃文化センター)

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