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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議 次の五十年へ 広宣の魂を継ぐのは青年

2004.10.28 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  「われ一人正義の旗持つ也」
 最初に、皆さまとともに、お題目を唱えたい。
 甚大な被害をもたらした新潟県中越地震(十月二十三日発生)の被災者の皆さま方に、あらためてお見舞い申し上げるとともに、今回の地震で亡くなられた方々のご冥福を心からど祈念したい。
 また、新潟をはじめ各地の被災地の皆さま方のご健康、ご無事、そして一日も早い復興を、皆でご祈念したい。
 さらにまた、全同志の皆さまの一家一族の健康と長寿、創価学会の大発展と明年の大勝利を祈ってまいりたい。(=名誉会長の導師で、参加者全員で題目を唱えた)
 きょうは、親子の対話のように、気楽にやりましょう。皆さん、自由にリラックスして聞いていただきたい。
 創価学会は広宣流布のための組織である。
 学会の組織のなかで、広宣流布のために戦い、苦労した功徳は、絶大である。
 たとえば、広布の拠点を提供してくださっている方は、また、そのご家族は、生々世々、宮殿のような家に住む境涯になれる。おとぎ話のようではあるが、すべてが真実である。仏法の因果は絶対なのである。広布のリーダーである皆さん方は、この仏法の「永遠の勝利の軌道」を、悔いなく堂々と生きぬいていただきたい。
2  私が、かつてしるした「正義」の揮毫について述べたい。(=その場で墨痕鮮やかな「正義」の書が紹介された)
 「正義」――この文字は、あの嵐の昭和五十四年(一九七九年)、第三代会長を勇退した直後の五月五日、神奈川文化会館でしたためたものである。
 その二日前の五月三日、創価大学の体育館で本部総会が行われた。それが実質的な″会長辞任の総会″となったのである。
 その陰には、嫉妬の宗門と結託した醜い反逆者たちのさまざまな陰謀があった。
 しかし、どんな立場になろうとも、私は変わらない。正義は、どとまでいっても正義である。
 世界の広宣流布を成し遂げていくのだ! 愛する同志のために戦いぬくのだ!
 こう深く心に期した私は、総会の終了後、学会本部には戻らず、神奈川文化会館へ向かった。横浜の港から、洋々たる海を見ながら、世界広布の新たな指揮を執り始めたのである。
 その神奈川文化会館で五月五日に書きしるしたのが、この「正義」の二文字であった。
 脇書には、「われ一人正義の旗持つ也」とつづったのである。
3  反逆した人間の末路は無残
 恩師の戸田先生は「第三代会長を守れ! そうすれば、創価学会は盤石であり、広宣流布は必ずできる!」と遺言された。この厳命に背いた人間たちもいた。
 そして、勇退から二十五年を経た今、反逆の輩は無残な末路を迎え、宗門は衰退の一途をたどっていることは、皆さんがご承知のとおりである。
 私は勝った。正義の学会は、厳然と勝ったのである。(拍手)
 全国の同志の皆さま方も、今日まで本当にまじめに、誠実に頑張ってくださった。
 とくに私は、あまり日のあたらない、目立たないところで、広布のために、粘り強く努力してくださっている方々を心から誉め讃えたい。最大に賞讃の光をあてて差し上げたいのである。
 こうした、懸命に陰で戦ってくださる方々のおかげで、学会は″日本一の教団″になったのである。″世界的な学会″になったのである。本当にありがとう!(拍手)
 広宣流布を現実に前進させているのは、会員である。無冠の同志である。役職が高いから偉いわけではない。役職は言うなれば″仮の姿″にすぎない。大事なのは″さあ戦おう!″という本因の一念があるかどうかだ。この深き決意に立った同志たちが、なかんずく青年たちが、新しい勝利の歴史をつくったのである。それを絶対に忘れてはならない。
 ともあれ、皆さんも地元に帰ったら、地域の同志の方々に、「いつも、ありがとうございます!」「いつまでもお元気で!」「ご健康を祈っています!」等と大いなる讃嘆と励ましを贈っていただきたい。
4  すべては後継者で決まる
 きょうは大事な会合でもあり、日興上人の「原殿御返事」を拝しておきたい。
 「原殿御返事」は、日興上人が、身延離山の前年に、原殿に与えられた書状である。これには、日興上人が身延離山を決意された事情と心境がくわしくしるされている。
 御手紙を受け取った原殿は、邪師にたぶらかされた波木井実長の一族でありながら、正しい信心を持った人物とされる。明確ではないが、実長の子息のだれかをさしていると推測される。
 日興上人は、この後継の信徒に、大切な手紙を送ったのである。
 すべては、後継者で決まる。青年が育っかどうかにかかっている。
 ゆえに、青年を下に見て、自分は組織の上にあぐらをかき、大変なことは全部、青年にやらせる。そんな幹部がいれば、とんでもないことだ。いちばん大切なのは、青年なのである。
 日蓮大聖人に、お仕えした日興上人もまた青年であった。
 日興上人は、数え十三歳の時に、大聖人の弟子となり、伊豆流罪、佐渡流罪にお供し、大聖人が御入滅になられるまで常随給仕されたのである。日興上人は、原殿に、こう語られる。
 「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書一七三三ページ、通解)
 大聖人は、御自身の一切を日興上人に付嘱された。そして日興上人、ただお一人が、大聖人の「正義」を守りぬかれたのである。
 反対に、五老僧は、師匠である大聖人に背いていった。権力の迫害を恐れた臆病のゆえであり、日興上人への嫉妬のゆえであった。自身の生命に巣くう名誉欲や慢心のゆえであった。
 五老僧――言うなれば大聖人門下の最高幹部である。この最高幹部が大聖人の御精神にことごとく違背し、「師敵対」したのである。
 先ほども申し上げたが、学会を裏切り、師敵対し、同志を裏切っていった人間たちも、やはり最高幹部であった。これが重大なる歴史の教訓である。
 日興上人は青年を育てた。御自身の持てるものすべてを、青年にそそいでいかれた。
 青年を大事にする指導者こそ本物である。広布のリーダーは「後輩を一人も脱落させてはいけない」「全員を広布の人材に育てよう」と祈りに祈り、後輩のために走りぬいていくことだ。そこに、万年に続く「令法久住」の方程式がある。
5  青年こそ宝! いちばん大切なのは青年!
 ともあれ、次の五十年へ、青年にすべてを託す以外にない。
 そのためには、諸君全員が、創価学会の「会長」であり、「責任者」であり、「大指導者」であるとの自覚で、全責任を担い立っていただきたい。
 中国の周恩来総理もまた、青年をこよなく愛した指導者であった。そして青年から″人民の父″と慕われた指導者であった。
 戦後に誕生した新中国が、あれほどの荒廃と混乱のなかで、数億の人民を抱えながら、見事に国土の再建を果たしていったのも、一つは青年を大切にしたからである。
 国家の指導者が率先して、青年を励まし、ともに未来を語り、たがいに尊敬しあいながら、若き心を啓発していった。その模範が周総理であった。
 そのなかで、「人民の指導者とならん!」と立ち上がった青年たちが、後継のバトンを受け継いで、今日の大発展の中国を築きあげてきたのである。
 青年こそ宝!――この急所の一点を、リーダーは深く銘記していただきたい。
6  ベネズエラの友が最優秀の蘭を
 南米のベネズエラから、ニュースが届いた。ベネズエラの国花をご存じの方はいるだろうか。
 ″花の王者″と謳われる「カトレア(蘭)」である。
 ベネズエラでは、毎年、蘭のコンテストを盛大に開催している。世界的にも有名である。
 うれしいことに、今年のコンテストで、わがSGIの同志が栽培した花が、「ベネズエラ最優秀カトレア」に選ばれた。(拍手)
 (グアヤナ市のカロニ環境博物館で開催された第十一回全国蘭コンテストで)
 このカトレアを栽培したのは、ベネズエラSGIの二人のきょうだいである。お二人は、この最優秀に輝いたカトレアを「ダイサク・イケダ・カトレア」と名づけられたそうである。
 (二人は、「私たちの師匠である池田先生への最大の感謝と讃嘆の心をこめて、最優秀のカトレアに先生の名前をつけさせていただきました」と語っている)
 このカトレア(ダイサク・イケダ・カトレア)は、優れた形と、花びらの質、彩りなどが高く評価され、審査員からも「群を抜く花」と絶讃されたという。ごきょうだいの丹精の賜であろう。
 まことに恐縮であるが、お二人の真心に報いるため、また、SGIの全同志の喜びになればとの思いで、紹介させていただいた。私どもには、世界中に、うるわしい真心で結ばれた同志がいる。各地で、各国で、模範の市民として社会に貢献し、社会で実証を示している。そういうニュースが、毎日、どんどん寄せられている。
7  平和を願う一市民として世界に友情の絆を
 本年は、私が初めてロシアを訪問してから、ちょうど三十年となる。(一九七四年九月、モスクワ大学の招聘で訪問)
 この時にあたり、ロシア連邦政府が、私のささやかな文化交流の尽力に対して感謝状を贈ってくださるとの知らせを受けた。温かきロシアの心に、深く、深く、御礼申し上げたい。
 (=ロシア連邦政府から名誉会長への「文化交流感謝状」の授与式は十月三十日、聖教新聞社で行われた)
 この九月には、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と、二冊目となる対談集『学は光――文明と教育の未来を語る』(潮出版社)を発刊した。初訪問三十周年の節目に、ロシアSGIが新たな体制で出発したことも、まことに意義深いことである。
 三十年前、初訪問したとろは共産主義のソ連の時代であり、「宗教否定の国に何をしに行くのか」「共産主義の片棒を担ぐのか」等の強い非難を受けた。
 しかし私は、批判など覚悟のうえだった。「そこには人間がいる。人間がいる限り、私は行く!」との信念で、ロシアの人々と会い、対話し、信頼と友情の紳を結んできた。
 初訪問のさいには、コスイギン首相と会談した。(九月十七日)
 当時は、ソ連と中国の対立が深まっていた時代であった。この年の五、六月に私は中国を初訪問していた。
 コスイギン首相に率直に聞いた。
 「中国はソ連の出方を気にしています。ソ連は中国を攻めるつもりがあるのですか」
 首相は言った。
 「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」
 私はさらに尋ねた。
 「それを中国の首脳に、そのまま伝えてよろしいですか」
 首相は答えた。「結構です」
 このソ連の意向を、私は中国の要人に伝えた。
 両国の間にわだかまっていた、不信を信頼に、恐怖を安心に変えたい――その一心であった。
 (=名誉会長は、一九七四年十二月、ふたたび中国を訪問。周総理と会見する。翌年の七五年一月にはアメリカを訪れ、国連事務総長、アメリカのキッシンジャー国務長官等の要人とも会談した。さらに同年、中園、欧州、ソ連を訪れるなど世界を東奔西走し、平和への潮流を広げた)
8  一九九六年六月、キューバを訪問し、カストロ国家評議会議長と会見した思い出も鮮やかに残つている。当時は、キューバとアメリカとの関係が悪化しており、アメリカの心ある政治家から、関係の改善を待望する心情も伝えられていた。
 その後、状況は好転し、カストロ議長との友情は今も続いている。
 私は一民間人にすぎないが、平和を願う一人の市民として、人間として、また仏法者として、私なりに力を尽くしてきた。各地に平和の礎を築き、橋を架けてきた。懸命に、人類が平等に幸福を満喫できる、世界広布の布石を打ってきた。
 新しい人間主義――ここにしか二十一世紀の希望はない。それを広めゆく旗手は皆さまである。全世界を舞台に、大いに活躍していただきたい。
9  学会活動に定年なし
 本日、参加されている人の、なかには、まもなく定年退職する方がおられるかもしれない。
 まずは、「これまで、本当にご苦労さま。長い間、ありがとう」と申し上げたい。(拍手)
 ともあれ、定年後の戦いで、人生の勝負は決まる。すばらしい、充実した、人生の総仕上げを飾っていただきたい。定年によって心の張りを失い、寂しい気持ちにおちいったり、元気をなくしてしまう人もいるが、そうなっては、人生は敗北である。家族も不安になってしまう。日本には、そういう″定年の悲劇″が多いが、決してそうであってはならない。
 定年後も希望に燃えて、生き生きと、健康に毎日を送ってほしい。その秘訣は何か。学会活動である。広布のため、人々のために行動していくことである。仏法は、本当にありがたいものだ。
 定年と言えば、周総理夫人である、鄧穎超とうえいちょう先生の言葉を思い出す。
 中国の″人民の母″として、全国民から敬愛されている鄧先生だったが、私たち夫婦のことを、それはそれは大事にしてくださった。信頼してくださった。
 日本で、中国で、八度にわたりお会いした。最後にお会いしたのは、逝去の二年前である(一九九〇年)。鄧先生は、入院中であったにもかかわらず、わざわざ退院して、北京の中南海のご自宅で、私どもを迎えてくださった。
 しかも、そのお体で、日本に帰る私たちに対し、「飛行場までお見送りに行きます」と言われたのである。先生のお体を心配し、固く辞したが、このお言葉を永久に忘れることはできない。
 鄧先生は、こう言っておられる。
 「私たち同志は、退職しても、『立場は退いても心は退かず』でいきましょう。後輩や青年たち、また、新しい同志たちの手助けをしていくのです。そして、自分の経験を伝えながら、新しい指導者を育てていくのです」(金鳳『鄧穎超伝』人民出版社)
 まったく同感である。
 「生命ある限り、人民に奉仕する」――私の大好きな、鄧先生の言葉である。
 定年を迎えてから、どうか。それでその人の真価がわかる。学会活動に「定年」はない。
 私自身、定年の年齢のころから、「さあ、総仕上げをしよう!」「小さい日本ではなく、広い世界が相手だ!」と、猛然と立ち上がったのである。
 皆さまは、まだまだ若い。ともに生きぬきましょう! 私と一緒に戦いましょう1(拍手)
10  世界一の団結こそ学会の誇り
 ここで、次の五十年の広布の基盤建設のために、日夜、奮闘されている皆さまのために、古今の箴言を紹介したい。
 まず、古代ギリシャの哲学者デモクリトスの言葉。
 「不正を行なう者には力の限り復讐しなければならず、これを見過ごしてはならない。そうすることが正義であり善であり、そのようにしないことが不正義であり悪なのである」(日下部吉信編訳『初期ギリシア自然哲学者断片集』3、筑摩書房)
 悪とは、徹底的に戦うことだ。そうしなければ、自分が負けることになる。不正を見て見ぬ振りをしたり、それと戦わないのは、悪と同じになってしまう。
 次に、アインシュタインの言葉。
 「避けなければならぬ最大の危険は、分裂による弱体化である」「その訳は、一度分裂が起こると協同は困難となり、同一組織内の対立抗争が不可避になるからです」
 「組織体が弱化すると、病を生み出す病源菌が力を得る」(O・ネーサン、H・ノーデン編『アインンュタイン平和書簡』2、金子敏男訳、みすず書房)
 いずれも、第二次世界大戦中、平和の勢力の団結を訴えた言葉である。
 団結は力なり。世界一の団結こそ、学会の誇りである。学会の強さである。
 一方、日顕宗は、自界叛逆が始まったようだ。四分五裂で、衰亡の坂を転げ落ちていることは、周知のとおりである。
11  勇気!賢者はあきらめない
 ドイツの文豪ゲーテは謳った。
 「誰が自分自身を知ろう、自分の能力を誰が知ろう。
 勇気ある人はやれるだけやってみるのだ。
 自分が何をなしたか、失敗だったか成功だったか、
 それは時を経てみてわかることだ」(「人に宛てて」松本道介訳、『ゲーテ全集』1所収、潮出版社)
 だれが何と言おうと、自分の信じたことを真剣にやりぬくことだ。いっときの評判など、はかないものである。厳然たる「時」こそが、その成否を証明する。
 そのために、最も大切なものが「勇気」である。臆病者は、敗北者である。
 ずるくて、臆病な人間は、悪との戦いを避ける。そうした要領のいい姿が、人格者に見えたり、公平な善人に見えることがあるが、だまされてはならない。
 ゲーテは、作中人物にこう語らせている。「世の中には人間はたった二いろっきりいやしないんだ、正直者か悪党か」(『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』中田美喜訳、『ゲーテ全集』4所収、潮出版社)と。皆さんは、悪と戦う勇気ある人であっていただきたい。
 さらに、ドイツの詩人ノヴァーリスの詩篇から。
 「賢い人は、嵐や波浪との戦いで
 らっし去られそうになっても
 勝負をけっしてあきらめない」(『ノヴァーリス全集』1、青木誠之・池田信雄・大友進・藤田総平訳、沖積舎)
 勝負をあきらめた人間には、敗北しかない。生きとし生けるものは、つねに戦っている。戦いをやめれば「死」である。「生きる」ということは、「戦う」ことなのである。
 イギリスのシェークスピアの戯曲『リチャード二世』では、ある登場人物が言う。
 「敵を恐れることは、恐れが力をくじきますゆえ、みずからの弱みとなるのみならず、敵に力を与えます」(『シェイクスピア全集』6〈小田島雄志訳〉所収、白水社)
 真理を突いた言葉である。
 皆さんは、臆病であってはならない。学会の中に臆病者がいれば、敵に力を与えてしまう。
 折伏精神を、断じて失つてはならない。正義の学会をおとしめたり、尊き庶民をぼかにするような人間とは、断固、戦うことだ。厳然と非を正していくことだ。
 学会の組織の中では威勢のいいことを言いながら、いざ、敵に出あったら、一言も反論できない――そんな″内弁慶″の人間は、リーダー失格である。
 戸田先生は晩年、遺言のごとく言われた。
 「強く生きぬけ! 学会は強気で行け! それが正義のためだ」
12  鍛えと労苦から「気高い心」
 ナチスと戦った、ドイツの劇作家プレヒトの戯曲の中で、侵略者と戦う民衆は叫ぶ。
 「すべての手段で戦うのだ。
 まずなによりも行動を起こせ!」(『ホラティ人とクリアティ人』、『プレヒト戯曲全集』8〈岩淵達治訳〉所収、未来社)
 最後に、古代ローマの哲学者セネカの言葉で結びたい。
 「労苦は気高い心を育てます」(『道徳書簡集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)
 今は、あらゆる意味で環境が整っている時代である。しかし、それに決して甘えてはいけない。
 心を鍛えないと、人間として堕落する。苦労を求め、苦労に徹し、困難と戦いぬいて、気高い心を育んでいくことだ。気高い心を持ってこそ、立派な指導者となれるのである。
 私は、次の大創価学会を担う人材を陸続と輩出するため、人材育成に全精魂をかたむけていく決心である。ともに頑張りましょう!(拍手)
 (=ここで名誉会長は「熱原の三烈士」をピアノで演奏した)
 どうか健康第一で! 青年の諸君は親孝行を!
 きょうは、本当にありがとう!
 (創価文化会館)

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