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日蓮大聖人・池田大作

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第四十二回本部幹部会、新世紀第三会中国… SGIの人間革命運動に世界が喝采!

2004.10.7 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  心がわき立つような前進を
 音楽隊の皆さん、すばらしい演奏をありがとう!
 (=席上、音楽隊の創価グロリア吹奏楽団が「世界広布の歌」「世紀の英雄」を演奏。さらに、池田名誉会長の提案で、女子部の友のリクエストに応えて、「世界に一つだけの花」を披露した)
 本当に、よくやってくれた。突然のお願いで、「初めての勤行」のようなところも、少々、あったけれども。(笑い)
 会合の演奏も、学会歌だけでなくていいのである。とくに女子部の皆さんが、「ああ、聴きたかった!」と思うような曲もいいのではないだろうか。
 音楽一つとっても、「明るい!」「すばらしい!」「新しい時代が来たな!」と心がわき立つような前進でありたい。ともあれ、きょうはありがとう!(拍手)
2  海外の友から連絡が入った。
 SGIの皆さまを代表して、私への顕彰が決定したとのニュースである。
 まず、南米「ベネズエラ・ボリバル共和国」では、「ミランダ州教育貢献特別一等章」。
 また欧州では、イタリア北部の街「ニケリーノ市」から「平和の建設者賞」である。
 (ベネズエラでは現地時間七日、イタリアでは同八日に授与式が行われた)
 また、ちょうど今朝、ロシア連邦・サハ共和国を訪れているSGI代表団から報告があった。
 「サハ共和国からも新たに名誉教授称号の決定通知を預かりました」という知らせであった。
 (=サハ共和国のヤクーツク国立農業アカデミーから。授与式は二〇〇七年七月四日、東京で行われた)
 まさに世界に渦を巻くように、SGIに対する賞讃の声が広がっているのである。(拍手)
3  今回は、ドイツからも、多くの研修メンバーがおいでになっている。遠いところ、ご苦労さま!
 ダンケ!(ありがとう) 本当にうれしい!
 きょう十月七日は、四十三年前に私がドイツに第一歩をしるした記念日である。(一九六一年、当時の西ドイツ)
 その翌日の十月八日、私は西ベルリン(当時)を訪問した。「ベルリンの壁」を望みながら、平和のため、ドイツのために、深い決意をこめて題目を唱えた。同行の友に、「三十年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう」と語ったことも懐かしい。
 私は同志とともに誓いあった。
 「壁のない平和な世界を作ろう。そのために対話を! 行動を! 潮流を!」と。
 ベルリンの壁が崩壊したのは、この初訪問から二十八年後の一九八九年のことである。
 「冷戦の終結」に対するSGIの貢献を、識者や研究者が高く評価していることは、皆さまもご存じのとおりである。
 (=冷戦終結の立役者であったゴルバチョフ元ソ連大統領は、名誉会長に語っている。「あなたはご自身の平和旅によって、鉄のカーテンのもとでも、平和への対話や民間外交が可能であることを証明しました」〔『二十世紀の精神の対話』。本全集第105巻収録〕)
 ドイツの広宣流布の前進は、まことに目覚ましい。大文豪ゲーテが「ここから見るライン河が一番美しい」と絶讃した地には、「ヴィラ・ザクセン総合文化センター」がある。
 ユゴーも愛した、世界的に有名な天地である。
 このライン河流域は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。ドイツの皆さん、おめでとう!(拍手)
 私は、これまで大勢の方々と友情を結び、対話を重ねてきた。
 その一人、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領も、このヴィラ・ザクセン総合文化センターに来られている。(九五年九月二十三日)
 これまで多くの識者が訪れ、建物の歴史的意義に感銘を寄せていた。
 この九月十二日には一般公開され、千人を超える市民の皆さんが来てくださった。地元市民の要望で聞かれた仏法入門講座も大盛況だったということである。
 (同センターは地元ビンゲン市の重要文化財。ヨーロッパの「歴史的遺産公開の日」に合わせて、毎年、市民に建物を開放する「オープン・デー」を開催。二〇〇四年で十一回目を迎えた)
4  歴史的建造物の修復・保存に尽力
 私は一昨年、伝統ある「ドイツ古城協会」から、同協会初の「特別顕彰状」をいただいた(二〇〇二年七月)。ドイツの総合文化センターをはじめ、ヨーロッパの歴史的建造物を修復し、活用している努力が評価されたものである。
 欧米のSGIでは、その土地の由緒ある建物を、ていねいに保存しながら、使わせていただいている例が多い。
 イギリス・ロンドン郊外の「タプロー・コート総合文化センター」は、イギリスの国家遺産省から歴史的建築物に指定されている。
 先月の「歴史的遺産公開の日」には、約六百人の市民が来館した。
 フランスのパリ南郊、シャルトレット市には、「フランス総合文化センター」が立っている。
 同センターの本館は、十六世紀初頭からの歴史を誇る美しい古城「プレ城(シャトー・ドュ・プレ)」を修復・改装し、利用している。
 また、セーヌ川をはさんだ対岸には、ミレーやコローなど「バルビゾン派」の画家が活躍した「フォンテーヌブローの森」が広がる。ナポレオンの居城だった「フォンテーヌブロー城」もある。
 「イタリア文化会館」は、″花の都″フィレンツェにそびえる、歴史と文化の館である。館に向かつて、糸杉の見事な並木道が続いている。
 同館の起源は、じつに、千九百年も昔にさかのぼる。
 もともとは、古代ローマ帝国の首都ローマへと続く街道の警備塔として造られた。イタリア・ルネサンス最大の後援者である、メディチ家ゆかりの人々が住んでいたこともあるそうだ。
 オーストリアの首都ウィーンに立つ「オーストリア文化センター」は、十九世紀中ごろに建てられた館を整備して、一九九五年にオープンした。
 ヨーロッパの名門ハプスブルク家の、最後の皇女エリザベートが愛した館としても知られる。SGIの会合や研修会をはじめ、市民への一般公開、文化張興の芸術祭などを通して、広く親しまれてきた。
 スウェーデンの首都ストックホルム近郊には、「スウェーデン文化会館」がある。緑の森に包まれた丘の上に立つ、美しい白亜の館である。同館もまた、さまざまな行事を通して市民に開放し、大勢の方々に喜んでいただいている。
5  会館は「平和の城」「文化の庭」「哲学の学校」
 また、フランスの「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」では、大文豪ユゴーゆかりの品々を収集・保存している。『レ・ミゼラブル』の自筆校正刷りなど、貴重な「国宝」も所蔵している。
 今月末からは東京富士美術館で、同文学記念館の所蔵品をはじめ、フランスの国宝六点が出展され、「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」が開催される。(十月三十日から)
 毎日、学会活動で忙しい私たちだが、たまには目をちょっと遠くへ向けて(笑い)、自分自身を深めゆく、雄大な文学と芸術の旅を楽しんでいただきたい。
 アメリカの「ニューヨーク文化会館」も、ニューヨーク歴史建造物保存協会から表彰された貴重な文化遺産である。(一九九六年三月、同協会の最高栄誉賞である「モーゼス賞」を受賞)
 この建物は、「民衆の家」として親しまれた、社会教育の学校であった。あの大教育学者デューイ博士も、しばしば講演のために訪れたという。
 先日、同会館では、アメリカSGIが制作した「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展がオープンした。
 九月十八日に行われた開幕式典には、国連のチョウドリ事務次長も出席してくださった。新たな息吹が吹き込まれた社会教育の殿堂に、多くの友が集っている。
 スウェーデン文化会館を初めて訪れた折、私は、次のように記帳させていただいた。(一九八九年六月)
 「世界の王宮よりも/すばらしき/人間の幸の妙宮の開所を/私は心より祝したい」
 創価学会・SGIの会館は、わが生命に、一生成仏という「永遠の幸福の宮殿」を築くためにある。いわば、″生命を鍛える道場″であり、尊き人間的成長の広場であるといえよう。
 今、紹介した世界各国の会館は、かつて、ロマン薫る歴史の舞台として名を馳せた。
 そして現在、「日蓮仏法の闘士」「妙法の貴婦人」たちが集う、「平和の城」「文化の庭」「哲学の学校」として栄え、光り輝いているのである。
6  世界の心ある人々は真実を追求
 さて、これまで私が、皆さまを代表して、世界の大学、学術・研究機関からいただいた名誉博士・名誉教授などの学術称号は、百六十四を数える。(拍手)
 中国をはじめ、海外のいくつかの学術機関で、「池田大作研究」を進めていただいており、各地から、講演などの要請をいただいている。
 中国の伝統文化研究の一大拠点である「曲阜きょくふ師範大学」からも、名誉教授称号授与の決定通知をいただいている。同大学のある曲阜は、孔子の生まれ故郷として有名である。
 また、キルギス共和国の教育者養成の名門「オシ国立大学」と、韓国の千年の歴史と文化の都に光る「百済くだら芸術大学」から名誉教授称号。さらにモンゴルの名門私立大学「オトゴンテンゲル大学」からは名誉博士号授与の決定通知書をいただいている。「オトゴンテンゲル」とは、モンゴルを代表する名山の名前である。日本では、富士山にあたるだろうか。
 このほか、ブラジル、ペルー、インド、フィリピンなどの学術機関から、名誉称号授与の決定通知をいただいている。
 また、これまで世界の各都市からいただいた名誉市民称号は「三百七十」を超える。(拍手)
 世界の心ある人々は、真実を見つめ、求めている。
 これらの栄誉は、学会の発展の象徴であり、すべて、学会員一人一人の奮闘の賜である。ゆえに、私が代表していただいた栄誉は、すべて、皆さま方の栄誉であり、子孫末代の福徳となる。
 その決心で、私はこれからも全力で、「対話の波」「平和の波」を起こしていく。
 私どもは、日蓮大聖人の仏法を基調とした平和と人道の潮流を、さらに勇敢に、世界へ広げてまいりたい。(拍手)
7  中国、北欧でも人間主義に期待
 今月十五日から、中国の北京ペキン大学で国際会議が行われる。テーマは「二十一世紀 東洋思想の展望」。これは、北京大学の「池田大作研究会」の先生方などが主催者となり、私の初訪中三十周年を記念し開催してくださるものである。(東洋哲学研究所との共催)
 この会議には、創価大学の代表とともに、湖南こなん師範大学の「池田大作研究所」、安徽あんき大学の「池田大作研究会」、広東カントン肇慶ちょうけい学院の「池田大作研究所」、さらに台湾の中国文化大学の「池田大作研究センター」などの先生方が一堂に集まり、私の思想、生命論、平和哲学、教育観など、各大学で研究した成果が発表されるという。(拍手)
 また、北欧デンマークの名門アスコー国民高等学校にも「アスコー池田平和研究会」が開設された。池田平和研究会の会長には、同校のへニングセン元校長が就任され、平和と教育を探究する機関誌も発行されている。(=創刊号の表紙には、デンマークの″民衆教育の父″と謳われる教育者グルントヴィと、名誉会長の肖像が描かれている)
 また、以前にも「聖教新聞」で紹介されたが、アスコー国民高等学校の正面に広がる美しい蓮の池は、「池田池(イケダ・ダム)」と命名されている。(二〇〇一年、アスコーの住民評議会で決定された)
 市民の憩いの場であり、毎年夏になると「池田池」の祭典が盛大に聞かれ、これが伝統になってきているという。
 アスコー国民高等学校と創価大学、創価学園も、有意義な教育交流を進めている。
 (=十二日には、アスコー国民高等学校のあるヴァイエン市のブスク市長夫妻、へニングセン元校長一行が関西創価学園を訪問。「情熱の日」記念集会の席上、創立者の名誉会長夫妻に「アスコー永遠友好賞」が授与された)
 創価の人間主義を、世界が待望している証左である。われわれの平和と希望の連帯が、歴史に燦然と輝きゆくことは間違いない。
8  今は、季節の変わり目である。なかには、体調を崩している方もおられるかもしれない。健康管理には十分注意していただきたい。
 大切なお体である。皆、健康で、長生きをして、自分も、一家も、友人も、ともに幸福になっていく――それが広宣流布に生きる創価学会の信仰である。
 どとまでも同志に尽くし、尊き使命にわが身を捧げゆくことだ。その人は、大歓喜の人生となる。境涯も輝いていく。「幹部だから偉い」のではない。「自分は偉くない。広布の同志の皆さんが偉いんだ」――これが仏法者の精神である。
 この一点を、未来のリーダーの皆さんは、生命に刻んでいただきたい。
9  活字文化で「人間性」を復興
 ところで、私事で恐縮だが、十月十二日に、小説『新・人間革命』の第十三巻が発刊される運びとなった。
 以前の小説『人間革命』は十二巻で完結した。新しい第二幕をつづった『新・人間革命』は、前作の十二巻を超えた。「聖教新聞」での連載回数も、前作は約千五百回。『新・人間革命』は、連載三千回に迫る。両方を合わせた発行部数は、文庫なども入れると、四千万部になる。
 師弟の魂を、創価の正義を、広宣流布の大偉業を後世に残しゆくことは、恩師戸田先生との誓いであった。私はこれからも、全生命をそそいで、「精神の糧」となりゆく文を、書いて書いて書きぬいていく決心である。(拍手)
 今、社会は、活字離れが深刻な問題となっている。出版界は、非常に危慎している。
 活字文化の衰退は、人間性の衰退につながる。活字といっても、売らんがための悪書もある。
 だからこそ、自身の向上のために、良書を選び、良書を読むことである。その点からも、御書を学ぶことが大切である。私たちは活字文化の大金字塔が輝く時代をつくってまいりたい。
10  「恩を知らない者は畜生にも劣る」
 恩知らずを畜生といい、恩を知るを人という――これが、日蓮大聖人の心であり、釈尊の心である。恩を知ってこそ人間である。恩知らずは、人間の顔をした畜生である。どんなに世間的に偉くなろうと、その正体は畜生である。
 恩を知るか、恩を知らないか――この一点が重要である。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす
 ――恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(人の道に適った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである――。
 また、大聖人は教えておられる。
 「夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや
 ――老いた狐は、自分が生まれた古塚を忘れず、必ず後ろを向けずに死んでいく。また、中国の武将・毛宝に助けられた白い亀は、後に毛宝が戦いに敗れると、彼を背に乗せて、河を渡って助け、その恩に報いた。畜生すら、このように恩を知り、恩に報いる。まして人間が恩を知り、恩に報いないでよいはずがあろうか――。
 畜生ですら恩に報いるものがいる。まして人間である。まして仏法の世界である。そこで裏切りを働くのは、畜生以下である。
11  師弟こそ最高の正義の道
 これまでも、皆を指導するべき立場にありながら、学会への大恩を忘れ、裏切った人間が出た。人間として、これ以上の恩知らずはいない。最高に厳しい仏罰を受けることは間違いない。
 牧口先生、戸田先生の時代にも、幹部が退転した。
 釈尊の時代には、提婆達多が出た。
 大聖人、日興上人の時代には、五老僧が出た。五老僧は、一番上の弟子である。それが五人も裏切った。
 不思議なことに、卑劣な退転者は、上のほうに現れる。退転し、反逆して、最後に無残な仏罰を受ける。それによって、厳しい因果律を明快に皆に見せていくのである。ことに、仏法における一つの方程式がある。ゆえに立場が上になればなるほど、徹して自身を律していくことだ。戒めていくことだ。また、周囲も遠慮せず、意見を言っていくことだ。
 忘恩――人間として、これほど恐ろしい犯罪はない。ずるく、卑しく、醜い生き方はない。
 戸田先生のときの退転者も、先生から本当によく面倒をみてもらった人間だった。その大恩を忘れて背き、敵になっていった。
 こうした裏切り者に対する先生の怒りは、それはそれは、すさまじかった。
 「大恩を受けたあいつが、どんな一生を送るか、どんな末路をたどるか、見てやれ!」と厳しく言い放たれていた。
12  なぜ、上の立場の人間が裏切ったのか。そこには、自分が偉くなりたい、派閥を作りたい、金もうけしたい――そうした卑しい心の働きがあったであろう。
 いずれにしろ、裏切りは、師弟を忘れるときから始まる。師匠を馬鹿にする傲慢から始まる。
 だからこそ、大聖人は徹して師弟を教えられた。戸田先生も厳しく師弟を訴えられた。
 「師弟の道」こそ正義である。いちばんの「善の道」である。
 師弟不二――ここにしか仏法はない。それを魂に刻んでいくことだ。
 また、大聖人は「王は民を親とし」と仰せである。
 為政者にとっては民衆こそ主人である。人民がいるからこそ為政者がいる。ゆえに、政治権力は、人民のために使うものである。自分のために用いるなどというのは、畜生である。これが大聖人のお考えであった。
13  文明間の対話へ米国で学術会議
 美しい紅葉の始まった、アメリカの学術の都ボストンから報告があった。
 この十月の初め、ボストン二十一世紀センターで「文明間の対話のための池田フォーラム」が有意義に開催されたということである。
 この学術会議は、著名な「ソロー協会」のボスコ前会長から協力をいただき、私の名前をつけた会議として、今後、継続して行われることになっている。(=ソロー協会は、アメリカ・ルネサンスの哲人ソローの精神を継承する学術団体。池田名誉会長は、同協会の「終身名誉会員」)
 第一回となる今回は、「アメリカ・ルネサンスの哲学者たちと東洋思想の出あい」などをめぐって開かれた。錚々そうそうたる学者の方々が集い、実り多い討論が重ねられたということである。
 この会議には、トインビー博士の歴史学にたいへん造詣の深い、ウィンストン・ラングリー博士も参加しておられた。博士は、たいへんに高名な国際政治学者であり、名門マサチューセッツ大学ボストン校の副学長を務めておられる。
 このアメリカを代表する大学者が、トインビー博士と私との対談集(『二十一世紀への対話』。本全集第3巻収録)に論及されながら、こう語ってくださった。
 「池田会長とトインビー博士には、幾多の共通点とともに、際立った違いがあります。それはトインビー博士が『一つの文明からのあまりにも激しい挑戦には、他の文明は応戦しきれないことがある』と悲観的に見ていたことです。この悲観論は、二つの世界大戦を経験した多くの西欧の知識人に共通した心情でありました。
 しかし、それに対して、池田会長の文明観は『応戦できない挑戦など、どこにもない』という力強い楽観主義に貫かれております。それは、池田会長の思想の基盤に、日蓮仏法の楽観主義があるゆえだということが、よく理解できます」
 深いご理解に心から感謝したい。私自身のことは、ともかくとして、このラングリー博士が洞察されたように、人生であれ、文明であれ、応戦できない挑戦などない。勝ち越えられない試練など絶対にない。それが、人類に希望を送る仏法の人間主義である。
 さらに、ラングリー博士は、SGIを高く評価し、その優れた特長を四点にわたって挙げてくださった。
 すなわち第一に「行動性」。
 第二に「倫理性」。
 第三に「社会貢献性」。
 第四に「漸進主義の変革性」。
 さらに、こうした特長は、閉ざされた反社会性の日顕宗と、じつに対照的であるとも洞察されていた。善良な人間が、無力感にとらわれ、沈黙している限り、歴史は変わらない。
 一人一人の人間が、みずからの精神の力を信じて、社会の変革に立ち上がる。そして、自分自身の可能性を社会に聞きながら、他の人々の心にも、人間の可能性への希望と確信を呼び起こしていく。この「人間革命の運動」に対する博士の共感は、まことに深い。
 また、博士は、中国、ロシア、キューバ等との私の文化・教育交流の足跡にも、注目しておられた。そして「人類家族」「地球家族」を、観念ではなく、現実のうえで結合させている創価の行動に、絶大なる期待を寄せてくださっている。世界の知性の声に応え、地域で、世界で、さらに人間を結び、文明を結ぶ対話を繰り広げていきたい。
14  戦い続けたから学会は勝った!
 十九世紀の作家ラフカディオ・ハーン。ギリシャで生まれ、後に日本に帰化。小泉八雲の名前でも知られている。
 きょうは山光(鳥取・島根)の皆さんも集まってくださった。
 ハーンは、島根県に住んだこともあり、その人と自然をこよなく愛した作家であった。(一八九〇年四月に来日。同年八月、島根県の松江に、中学の英語教師として赴任。著作『日本瞥見記べっけんき』などで、みずからが見た松江の光景を描いている)
 今年は、ハーンの没後百年。私も、追善のお題目を送らせていただいた。
 ハーンは、文学者がいかにあるべきかを講義するなかで、こう力説している。
 「人びとは強くなるために戦う。そして精神的な力のために、人はあらゆる種類の困難と格闘することを学ばなければならない」(「生活および性格と文学との関係について」田中一生訳、『ラフカディオ・ハーン著作集』9所収、恒文社)
 文学者は忍耐強くあれ。苦難に立ち向かえ。苦難を克服することがわれわれに力を与えてくれるのだ! これがハーンの叫びであった。
 人生は戦いである。困難と戦わなければ、絶対に強くなれない。強くなるために戦うのである。
 わが創価学会も、広宣流布を阻む三障四魔、三類の強敵と一歩も退くことなく戦い続けてきた。
 戦い続けたから、強くなった。だから、勝った。
 そしてまた、あらゆる広布の闘争に勝ち続けてきたからこそ、名実ともに″日本一″と謳われる学会になったのである。百九十カ国・地域に広がる″世界的″な学会になったのである。
 これからも、断じて戦い続けよう!
 広宣流布の「永遠の勝利」のために!
 創価学会の「万代の発展」のために!
 そしてまた、大切な皆さま方の「世々代々の幸福と繁栄」のために!
15  満々たる生命力で勇敢に打って出よ!
 中国の文豪・魯迅が生きた十九世紀末から二十世紀の初頭は、祖国・中国が危機にさらされていた時代であった。
 かっては、世界に比肩するものがないほどに栄えた中国が、どうしてこうなってしまったのか。
 魯迅は、その一因として「外からの刺激がないところから向上心も失せ、くたくたに疲れて行きなやみ」「善いことを見てもそれを手本にして学ぼうという気がなくなってしまった」(「文化偏至論」、『魯迅選集』8〈松枝茂夫訳〉所収、岩波書店)と述べている。
 外からの刺激を求めていくことだ。また、心のアンテナを磨いて、いろいろなところから学んでいくことだ。
 現状に安住したり、妥協して、守りに入つてはならない。それは滅びの前兆である。
 妙法とは、無限の希望の大法である。限りない前進の原動力である。ゆえに私たちは、満々たる生命力で、勇敢に打って出てまいりたい。そこから、必ず、新しい勝利の突破口が開かれる。
16  中国革命の闘士の一人である許広平きょこうへい女史の言葉にふれたい。
 戦時中、許女史は、狂った日本の軍部権力に捕らえられ、獄中で残酷な拷問を受けた。
 それに耐えに耐えぬかれた女史の炎の叫びである。
 「わたしたちには未来があるのだ。わたしは、こう確信していたのである。それに、最後の勝利が、いつも行く手からわたしを招いている。勝利の決勝点にむかつて、まっしぐらに競走しないなどという理由は、わたしにはない」(『暗い夜の記録』安藤彦太郎訳、岩波新書)
 わが「決勝点」に向かって、そして、永遠の幸福の建設に向かって、私たちも、まっしぐらに進んでまいりたい!
 続けて、許女史は言う。
 「しかも、ほんとうの勝利がきたときには、敵がどんな倒れかたをするか見てやりたい。それはわたしのかたい信念なのだ」(同前)と。
 これまで学会に、さんざん悪口の限りを尽くしてきた退転者たち。そして忘恩の悪坊主たち。そういう人間たちの哀れな敗残の姿は、皆さんがご存じのとおりだ。
 大聖人は「終にほろびざるは候はず」と仰せである。これが仏法の厳しき因果なのである。
17  次の五十年へ、新しい広宣流布の闘争を
 五十年前(一九五四年)の十月、戸田先生は、私たち青年部に向かって、こう叫ばれた。
 「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」(「青年よ国士たれ」、『戸田城聖全集』1)
 次の五十年へ、新しい広宣流布の闘争は開始された。
 私も、すでに新たな戦いを始めている。真剣である。もう一回、一から学会を建設しゆく決意で進んでいる。
 ともあれ、明年は「青年・拡大の年」に決定した。
 青年部の皆さん、おめでとう。よろしく頼みます!(拍手)
 きょうは、長時間、本当にありがとう。お元気で。お帰りになられたら、同志の皆さんに、くれぐれも、よろしくお伝えください。海外の皆さん、遠いところ、ご苦労さまです。
 本当にありがとう! 幸せに、幸せに! 健康で、健康で!
 サンキュー! ダンケ! 謝謝! シー・ユー・アゲイン!(またお会いしましょう)
 (創価国際友好会館)

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