Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議 師弟に生きぬく青春は美しい

2004.9.29 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  御書を魂に刻め 暗記するほど!
 わが創価学会は、五十年という一つの時代の節目を越えて、次の五十年へ「新たな出発」を開始した。いよいよ新世紀の「本門の時代」である。
 私は、もう一回、一から作り直す気概で、万代に崩れぬ広宣流布の組織の構築に全精魂をそそいでいく決心である。ここに集った各部のリーダーの皆さん方も、どうか、よろしくお願い申し上げたい。
 青年時代、私は、毎朝のように、戸田先生のもとで、さまざまな学問を教わった。御書を拝した。数人の同志も、そこに同席させていただいた。
 戸田先生は、青年部の私たちに、徹底して御書を学ばせた。その訓練は、厳しかった。「この御文は、すべて覚えておきなさい!」と言われることも、しばしばだった。
 寸暇を惜しんで、学びぬき、言われたとおり必死で暗記もした。若き魂に刻み込んでいった。そうして努力した分がすべて、かけがえのない信心の財産になっている。
 学会は「御書根本」で進む。青年部の諸君は、暗記するくらい、真剣勝負で、御書を研鎖していただきたい。若いのだから、いくらだって吸収できるのである。
2  日蓮大聖人は仰せである。
 「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである。
 たとえば、朝廷に仕える人が、十年、二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら、主君に報告もせず、個人としても敵として怒ることがなければ、長年の奉公の功績も、みな消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである」(御書一四九四ページ、通解)
 「法華経の敵」と戦わなければ、どんなに修行を積んでも、どんなに善行を重ねても、成仏はない――大聖人は、こう断言しておられる。大事な御文である。
 仏法は勝負である。勝つか負けるかである。ゆえに、広宣流布を阻む邪悪とは、断じて戦わねばならない。人々をたぶらかし、不幸にする虚偽は、真実の言葉で打ち砕かねばならない。それが折伏行の実践であり、仏法の根本の精神である。
3  三類の強敵と戦ってこそ仏に!
 大聖人御自身が「三類の強敵」と戦いぬかれた。次のように、仰せになっている。
 「私が法華経第五の巻の勧持品を拝見するに、末法に入って法華経の大怨敵である三類の強敵が必ず現れるであろうとあるが、そのなかの第三の強敵・僣聖増上慢こそは、この者(良観)であると見定めたのである。折あらば、この国敵を責めて、その大慢の心を倒して、仏法の威力を現そうと思っていた」(御書三四九ページ、通解)
 大聖人は、三類の強敵のなかでも、最も強力な僣聖増上慢である良観を厳しく責めぬいていかれた。その大慢の心を徹して破折されたのである。
 広宣流布のために戦えば、「三類の強敵」が必ず競い起こる。法華経にも「悪口罵詈」「猶多怨嫉」とあるとおりだ。
 そのとき、戦うか、退くか――それで成仏が決まってしまう。
 ゆえに大聖人は、「法華経の敵を責めぬけ!」と繰り返し叫ばれたのである。
4  広宣流布へ行動すれば必ず難にあう。三障四魔が競う。それと一歩も退かずに戦いぬいてきたのが、創価学会の師弟の誉れの歴史である。あの狂った軍国主義の時代にあって、牧口先生と戸田先生は、毅然と仏法の正義を叫ばれ、軍部権力に投獄された。
 そのときである。それまで牧口先生を慕っていた多くの弟子は、手のひらを返すように先生を非難し、罵倒し、退転していった。
 ただ、戸田先生お一人が、どこまでも牧口先生にお供され、「牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と、師匠に感謝を捧げられたのであった。
 これほどに、創価の師弟は厳粛なのである。ここに仏法の真髄がある。
5  青春を捧げて思師に仕える
 戦後、戸田先生の事業が挫折したときのことである。一人、二人と去っていくなかで、私は先生にお仕えし、あらゆる苦難と追及の矢面に立って戦った。
 私は、戸田先生のために青春のすべてを捧げる覚悟であった。朝から晩まで、寝ても覚めても、私の心には、戸田先生のことしかなかった。今もそうである。妻と二人のときも、話すことは戸田先生のことばかり――広布の師弟とは、そういうものである。
 師弟とは、人間にしかない。人間にとって最も尊い関係といってもいい。
 いわんや、仏法の師弟はなおさらである。広宣流布の大闘争をともに生きゆく師弟――人間性の真髄とも言える、これほどに尊く、美しい絆はない。
 ともあれ私は、「戸田先生をお守りすることが、広宣流布を守ることである」と決めて、一心不乱に奮戦した。この若き日の闘争こそ私の誉れである。そしてまた、仏敵とは断じて戦いぬく破邪顕正の精神こそ、学会の師弟の魂でなければならない。
 大聖人は、次のように述べておられる。
 「法華経の行者は卑しくとも、守護する天は強い。たとえば、修羅が日月を呑もうとすると頭が七分にわれ、犬が師子を吠えれば、かえってはらわたが腐るようなものである。今、日蓮が世の中を見るのに、日本国はそのとおりになっている」(御書一五九五ページ、通解)
 大聖人は「師子」であられた。師子を誹謗したものは、天に責められ、ことごとく厳しい報いを受けて、衰亡していったのである。
 学会もまた「師子」である。広宣流布の師子である。それを誹謗し、迫害する者に、厳然たる仏罰が下されることは、間違いない。
 大聖人は「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしも・ひるむ事なかれ」と仰せである。
 悪に対しては、追撃の手をゆるめてはいけない。いよいよ、声を大にして、責めていくべきである。それが大聖人の御命令である。
 私たちは、堂々と仏法の正義を叫んでまいりたい。その勇気ある行動が金剛の自分自身をつくる。最高の幸福境涯を開いていく――こう大聖人が御約束なのである。
 仏法の魂は「行動」である。いくら教学を学んでも、行動がなければ、観念にすぎない。御書を「心肝に染めた」ことにはならない。「行動なくして、仏法なし!」である。
 「御義口伝」にいわく。
 「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり」と。
 南無妙法蓮華経の「経」とは、「足」にあたる。
 私たちは、わが人生の「栄冠の道」を、さっそうと歩みぬいていきたい。すがすがしい秋の風とともに、勇んで広宣流布に行動してまいりたい。(拍手)
 仏法のため、人々のために動けば、周囲も輝き、自分自身も輝く。
 反対に、自分のことしか考えない利己主義の行動は、周りを苦しめるだけである。結局は、自分自身も損をする。信心は、「他者に尽くす」ことを教えている。それが、すべて「自分のため」になる。広布の活動に一切、ムダはない。
6  幹部率先の行動が組織を変える
 人にやらせてばかりで、「行動」がなくなれば、すぐに老けてしまうものだ。
 大変なことであればあるほど、自分から、サーッ、サーッと動く。反応する。若鮎のように! みずみずしい心で!
 人に会えば、自分から、声をかけていく。
 「お元気ですか!」「お久しぶりですね!」と。そうすれば皆もうれしいし、自分も気持ちがいい。組織の上にあぐらをかいて、イヤなことは人にやらせる。そういう幹部であってはならない。
 「幹部率先の行動」によって、組織はいくらでも、生き生きと変わっていくのである。
 人生は、最終章が大事だ。途中がどれだけ良くても、最後がどうかで、すべてが決まる。
 周りからどう思われるかではない。納得できる自分自身であることが大切である。
 先輩幹部の皆さま方は、黄金の夕日が赫々と輝きわたるような、荘厳な人生の総仕上げの日々を飾っていただきたい。(拍手)
7  同志を誹謗する者は許さない!
 戸田先生は、いつも女子部の幸福を願っておられた。
 私も、女子部の皆さんに一人も残らず幸福になっていただきたい。それを毎朝毎晩、妻とともに真剣に祈っている。
 幹部は――とくに婦人部の先輩方は、女子部の皆さんが、未来へ希望を持ちながら、生き生きと安心して活動できるよう、きめ細かに相談に乗ってあげていただきたい。
 もちろん、女子部の皆さんの「自主性」を尊重することが第一である。また、相談を受けた幹部は、当然のことだが、プライバシーを厳守してもらいたい。口の軽い幹部は失格である。
 さらに、これまでも繰り返し語ってきたが、女子部は会合の終了時間を厳守していただきたい。
 そして、遅くとも夜十時までには帰宅する。これを皆で呼びかけあいながら、絶対無事故の活動をお願いしたい。
 戸田先生は、大切な学会の同志が侮辱されたり、見くだされるようなことがあれば、決して黙っていなかった。みずから相手のところに行って、「言いたいことがあるなら、俺の前で言ってみろ! いくらでも論争してみせる!」と真剣であった。
 黙っているのはいちばん、卑怯である。臆病である。それでは、同志を守ることはできない。
 学会の同志が――とくに婦人部や女子部が――理不尽な中傷批判をあびせられるようなことがあれば、断じて許してはならない。徹底して反論し、ウソを打ち砕いていけ!――それが戸田先生の叫びであった。
8  価値創造! 人生には意味がある
 このほど、アメリカ屈指の名門コロンビア大学のデイビッド・ハンセン博士から、SGI(創価学会インタナショナル)への高い評価の声が寄せられた。ボストン二十一世紀センターの代表が報告してくれたものである。
 ハンセン博士は、アメリカの権威ある教育・文化研究団体「ジョン・デューイ協会」の会長としても、活躍されている知性の人である。
 教育哲学者のデューイについては、これまで私も、さまざまな機会に語ってきた。
 かつてコロンビア大学で、牧口初代会長とデューイの教育理念の共通性を掘り下げ、国家を超えた人間教育を展望して講演したことも懐かしい。(1996年6月13日、同大学ティーチャーズ・カレッジで「『地球市民』教育への一考察」と題して講演)
 ハンセン博士は、″人間は何らかの「意味」をもって生きるべきだ。ゆえに、SGIが実践する「価値創造の思想」が重要である″と大きな共感を寄せてくださっている。
 (博士は、次のように語っていた。
 「私は、大学において、人生の意味の探究について、教えてきました。
 ゆえに、池田SGI会長が示される価値創造の思想に、重要な意義を見ております。
 すなわち、人間は、ただ存在していればいいのか。あるいは、何らかの意味を持って生きるべきか、という問題です。『価値創造』〈創価〉という言葉には、人間は、ただ存在するだけではない。意味を持って生きなければならない、との問いかけがあります。
 ゆえに私は、SGIが実践される価値創造の思想を心から賞讃したいのです」
 「仏法のヒューマニズムは、何を示しているのか。池田会長は、人間が宗教に奉仕するのではない。宗教が人間に奉仕するのであると主張されています。これは、まことに真実をついた考えです。そして私は、そのためにも教育が大切であると考えるのです」)
9  スピードで勝て!
 中国の古典『管子かんし』には、「敏速に事を行うのは万事にわたる手本である」(遠藤智夫『新釈漢文大系』42、明治書院)との言葉がある。
 スピードが大切である。なすべきことを、すぐになせ。それがリーダーの責務である。遅れた分だけ、皆が迷惑する。むずかしい問題ほど、早く対処すべきだ。悩んでいる人がいれば、ただちに激励の手を差しのべていくことである。そうであってこそ、組織は血の通った、生き生きとしたものになる。もう一歩、大きく発展していける。
 幾度も親しく語りあい、総合月刊誌「潮」誌上で連載対談を行ったアメリカのガルブレイス博士(=対談集『人間主義の大世紀を』は二〇〇五年九月に潮出版社から発刊。同博士は〇六年四月逝去)は、自身の体験をふまえて、自著にこうつづっている。
 「(=論戦において)攻撃を受けた場合には、直ちに強力に応戦すべきである。これが肝心だ」
 「口をつぐんで『さわらぬ神にたたりなし』という態度をとるのが学者の常であった。これは最も愚かなことである」(『回想録』松田銑訳、都留重人監修『ガルブレイス著作集』9、ティビーエス・ブリタニカ)
 そのとおりだ。黙っていれば、相手の言い分を認めたことになる。正義を断じて叫ばねばならない。嘘や捏造の不当な批判に対しては、断固として反論することだ。打ち破っていくことだ。
10  偉大なる人民の指導者であった周恩来総理は語った。
 「指導部には、戦闘力もあり、なにをも恐れぬ団結した戦闘精神が必要で、このような指導部があれば仕事はうまくいくものだ」(『周恩来総理の思い出』外文出版社)
 リーダーに戦う気迫があるか。これが勝負を決する。祈り、語り、行動することだ。
 「声仏事を為す」である。弱々しい声では、仏事をなすことはできない。広宣流布はできない。気取らず、自分を飾らずに、わき出る思いを語ってこそ、友の心に響くのである。
 また、周総理の言葉に、「若い人たちが成長したのは、年輩の人たちが手塩にかけて育てたから」(中京中央文献編集委員会編『周恩来選集〈1949年〜1975年〉』中京中央ML著作編訳局訳、外文出版局)とある。
 青年を育てることだ。鍛えることだ。先輩の幹部は、後輩の面倒をよく見てあげてほしい。皆の成長と幸せを、真剣に祈っていくことだ。先輩は「こういうことは、もうわかっているだろう」などと思わずに、自分の体験等を話してあげる。そして、後輩の話を聞いてあげることだ。
 「困っていることはないですか」「聞きたいことがあったら、何でも聞いてください」――温かく声をかけながら、よく相談に乗ってあげることである。
 そして後輩を自分以上の大人材に立派に成長させていただきたい。
11  真心と祈りが人を動かす
 会員に奉仕しゆくリーダーの要件は何か?
 だれよりも、自分自身が会員の幸福を祈り、自分自身が会員に尽くしていくことだ。
 自分自身が、学会のリーダーとして、「さすがだ」「立派だ」と言われる人になることだ。
 自分自身が、「御本尊に向かうように」会員に向かい、会員一人一人を尊敬し、大切にしていくことだ。すべては、会員が根本である。会員がいなければ学会はない。広宣流布もできない。会合も必要なければ、もちろん幹部もいらない。
 すべては、会員のおかげである。会員がいるから学会はあるのだ。私自身、万事、その心で、会員のためになるならば、どんな小さなことにも魂魄をそそいできた。
 「一念三千」の仏法であるから、心は、すべて通じていく。
 言葉一つ、手紙一つ、電話一つにも、真心をこめていくことだ。そこから一切は開けていく。
 どうすれば人の心をつかむことができるか――どの企業も団体も、その一点を真剣に模索している。お辞儀の仕方一つでも、きちんと訓練する。どこも生き残りをかけて、必死である。
 仏法は、最高の人間学である。それを持った私たちは、会員に喜びと希望をあたえゆく、時代の最先端のリーダーでなければならない。
 「一騎当千のリーダーたれ!」――これが戸田先生の遺言であった。
 良き模範として、皆の依怙依託の存在になっていただきたい。
 シラーは、ドイツが誇る大詩人である。
 彼は、詩や劇によって「人間の精神の自由」を謳いあげた。
 シラーはつづった。
 「悪徳を攻撃し、宗教、道徳、社会の法則の敵に復讐することを目的とする」(『群盗』の序文〈一七八一年〉の言葉。ロマン・ロランが「民衆劇論」〈宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』11所収、みすず書房〉で紹介)
 悪徳に対し、人間精神の敵に対して、シラーは「芸術の光」をもって立ち向かった。
 シラーは、ある戯曲の中で呼びかけた。
 「太陽の輝くかぎり、希望というものはあるのです」(『メッシーナの花嫁』相良守峯訳、岩波文庫)
 生ある限り、希望はあるのだ。たとえ、雨や嵐の日でも、雲を突き抜ければ、太陽はいつも輝く。太陽と希望は一体である。リーダーは、友に希望を贈りゆく「太陽」であっていただきたい。
 シラーは晩年、一つの戯曲を書きあげる。
 幼い息子の頭上のリンゴを矢で射貫く伝説のスイスの英雄「ウィリアム・テル」の物語である。そこにつづられた珠玉の言葉を紹介したい。(『ヴィルヘルム・テル』桜井政隆・桜井国隆訳、岩波文庫。以下同書から引用・参照)
 威張り散らす悪代官。その横暴を、どうしたらいいか。
 聡明な婦人が言う。
 「悧巧な人は先手を打ちますよ」
 人生に勝ち、社会で勝つために「先手」を打つことだ。会議や打ち合わせも、そのためにある。
 やがて勇士が立ち上がり、たがいに誓いあう。
 「あの天上の永遠の星辰にかけて誓言いたしますが、私は決して正義に背くようなことはいたしません」
 正義に背かない生き方を!――われらの信仰の道もまた同じである。
 ふらふらする情けない男性に対して、勇敢なる女性は毅然と叫ぶ。
 「立派な人には何が同胞よりも大切ですか。
 気高い心にとっては、潔白な人民の擁護者になって、
 しいたげられた者の権利をまもるよりも、
 もっと立派な義務があるものでしょうか」
 同胞ほど大切なものはない。潔白な人民ほど尊いものはない。
 さらに民衆の連帯は広がる。戦い半ばに倒れた一人が、未来を見つめて呼びかける。
 「固く団結してくれ。――固く、永久にだ」
 「一致してくれ。――一致だ。――一致だ」
 勝利は成った。自由が来た。その時、民衆のリーダーは、こう語る。
 「なんの、仕事は始まったばかりで、仕あがったのじゃない。お互に勇気と堅い団結が必要なのはこれからだ」
 わが学会も、決して油断せず、心を「一致」させ、「勇気」と「固い団結」で進んできた。民衆の新時代を切り開いた。だからこそ世界百九十カ国・地域へと大発展を遂げたのである。
 臆病な人間、意気地なしの人間は、結局、敗北してしまう。賢明な人間、勇敢に戦いぬいた人間が勝つ。
 それが人生の鉄則である。
 これからも、ともどもに勝利また勝利の大道を進みたい。(拍手)
12  「この作家のことならまかせておけ」
 シラーが生きた十八世紀後半。ドイツでは「人間性の解放」を訴える革命的な文芸運動「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)」が起きた。
 シラーはゲーテとともに、その旗手として活躍する。二人の深き友情は有名である。
 彼らが生きた時代、ドイツは、文化の輝きで世界を照らした。
 ゲーテとシラー。私も青春時代から大好きな詩人であった。徹底して読んだ思い出も懐かしい。
 どうか青年部の皆さんは、「この作家のことなら、何でも聞いてください」「御書の講義は、まかせてください」と言えるくらいに、徹して学んでいただきたい。智慧を磨いてほしい。
 知識は智慧の水を汲み上げるポンプである。
 シラーの″詩人の眼″は、人間の内面を見つめていた。彼は言う。
 「真剣な努力の意志は、精神の大いなる、最も美しい性質である」(ペーターゼン編『シラーの対話』橋本忠夫訳編、教材社)
 「心こそ大切」である。「挑戦し続ける心」は美しい。その人は必ず光っていく。
13  ドイツに続いて、ロシアの文豪の言葉にふれたい。
 トルストイは喝破した。
 「高慢な人間には多くの罰が降りかかる」(『人生の道』上、原久一郎訳、岩波文庫)
 文豪の人間への洞察は仏法にも通ずると思う。
 広布破壊の反逆者が、だれからも相手にされず哀れな末路をたどっていることは、皆さまがよくご存じのとおりである。
 終わりに、広布に励む皆さまへの御礼に、一曲、ピアノの演奏を贈りたい。
 (=名誉会長が、父子の魂の継承を謳った「大楠公」を奏でた)
 どうかお元気で! きょう、お会いできなかった方々にも、どうかよろしくお伝えください。
 一家一族のご繁栄を心から祈ります。本当にご苦労さま。ありがとう!
 (創価文化会館)

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