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福建社会科学院名誉教授授与式、冰心文学… 限りなき正義の闘争 これが創価魂

2004.9.26 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  教育の誤りが破綻の根本原因
 お休みのところ、たいへんにご苦労さまです!
 きょうの、この栄えある授与式を、私たちの恩師であり、大教育者であられた初代会長牧口先生、第二代会長戸田先生が、どんなに喜んでくださっていることか――私の胸には、その感動が強く強く迫ってまいります。ありがとうございました。(拍手)
 牧口先生は、平和の闘士でした。また牧口先生は、貴・中国のことを、文化の大恩の国であると、深く尊敬していました。しかし、当時の日本は、その恩に報いる、どころか、非道にも中国大陸を侵略していった。牧口先生は、この残虐な日本の軍国主義と、まっこうから戦いました。
 そして、軍部権力に逮捕され、牢獄に入れられ、牢獄で亡くなったのです。
 牧口先生は叫びました。
 「限りなき正義の闘争を!」と。
 これが、わが学会の魂です。牧口先生から戸田先生へと受け継がれた、学会の原点の精神です。
 牧口先生は、教育が社会の根底をつくると考えていました。
 「人材養成の教育が、一切の社会的機構の根底である」と。
 教育が大事です。かつての日本の権力者たちは、自分たちの都合のいいように教育をねじまげ、戦争のために利用した。ここに、日本の不幸と破綻の根本の原因があったと、私は強く訴えたいのです。(拍手)
2  牧口先生「悪と戦わぬ善はない」
 牧口先生は、こうも言いました。
 「臆病は罪である」
 臆病な人間には、正義はない。勝利もない。
 だからこそ先生は、″強くあれ、強くあれ″と同志を励ましていかれました。
 戸田先生も、「臆病者は去れ!」「相手にするな!」と厳しかった。
 皆さんは、勇敢なる師子であっていただきたい。
 さらに牧口先生は「有害なるものを、いつまでも黙許する(黙って見逃す)必要はない」と断言しました。悪に対して、何もしないでいるならば、悪と同じになってしまう――そう牧口先生は、繰り返し、繰り返し、弟子たちに教えたのです。
 「悪と戦いぬくことは、善である。悪と戦わぬ善はない」――これが牧口先生の一つの遺言です。
 悪とは、戦わなければならない。「間違っている!」「おかしいではないか!」と叫ばなければならない。それが正しい生き方なのです。
 牧口先生、戸田先生が獄中で大難と戦っておられるときです。
 ある最高幹部も牢獄に入りました。彼は、面会に来た夫人に「早く出てきてほしい」とうながされ、退転して、牢を出ていきました。
 退転した人間の本質は臆病です。また、その末路は、あまりに哀れであり、惨めです。
 牧口先生は、厳しく言いました。
 「正しき仏法は、総仕上げのときに、勝利できる法である。ゆえに、信仰は、絶対に必要なのである」と。
 皆さんは、断じて退転してはいけません。何があろうとも、正しき仏法に生きぬいて、見事なる「勝利の人生」を飾ってください!
3  青年たちとともに日中友好の信念の道を!
 「二十世紀の諸葛孔明」と謳われた周恩来総理は、つねづね、こう叫んでおられました。
 「試練を耐えぬいた人民と人民の友誼ほど強いものはない」「われわれ人民の団結は、絶対に壊されない」と。
 まったく、そのとおりです。
 それはちょうど三十年前の寒い寒い北京の冬の夜でした。忘れ得ぬ一九七四年の十二月五日のことです。私と妻は、周総理にお会いしました。世界的偉人であり、大英雄の総理が、なんと玄関まで出迎えてくださいました。しかも重病を押して。本当に感動しました。
 私は、周総理とまっすぐに目を見つめあい、心を開いて語りあいました。相手の目をきちんと見て、握手を交わし、率直に話をする。これは世界の指導者に共通しています。
 私たち夫婦は、周総理と固い握手を交わしながら、中国と日本の永遠なる友好に、一生涯、尽くしぬくことを深く深く決意したのです。
 そして総理もまた、両国の友好を強く望んでおられることが、私にはよくわかりました。
 いかに時代の風が揺れ動とうとも、いかに反動の波が逆巻こうとも、この信念は、微動だにしません。いな、人類の平和のため、世界の安定のために、二十一世紀の両国の「友情と信義の大道」を、私たちは、さらに断固として切り開いていく決心です。
 後継の若き青年たちとともに! 未来に永遠に続きゆく友好の道を!
 ともあれ、日本は、誠実に謙虚に、貴国と友情を結んでいかなければなりません。中国の方々に心から信頼されるようになってこそ、日本は真に文化国家となれる――それが恩師の戸田先生の教えでした。
4  若き総理の歴史の舞台・中野区
 きょうは、うれしいことに、新世紀の大中国の学術と芸術を担っておられる、すばらしき文化の宝の先生方を、このようにお迎えすることができました。
 これほどの喜びはありません。ありがとうございました。(拍手)
 周総理は私と妻に、日本へ留学された足跡を、桜の思い出を通しながら語ってくださいました。
 若き日、周総理は東京の各地で下宿し、終生、忘れ得ぬ青春の歴史の舞台として、心に抱いておられました。その一つが、皆さん、ご存じのとおり、わが中野区であったのです!(拍手)
 それは、現在、私たちの中野文化会館が立っすぐ近所でした。
 以前、最優秀のわが中野青年部が研究調査し、周総理の下宿一帯を再現した模型を作製しました。それは現在、両国の友好の一つの象徴として、天津てんしん(テンチン)にある「周恩来・鄧穎超とうえいちょう記念館」に大切に展示されています。
 周総理は語っておられます。
 「同志との楽しき語らいは、永遠に長く続けたい。戦友との会合は、永遠に多く繰り返したい」
 私も同じ心情です。周総理も、きっと、きょうの楽しい、有意義な式典を、笑顔で見守ってくださっていると信じます。
 真実のわが同志であり、永遠のわが戦友である、愛する「中野兄弟会」の皆さま方!
 その懐かしき名前は、私が命名させていただいたものです。
 全国各地から、そしてまた、中国をはじめ遠く海外からも、ようこそ集ってくださいました。
 あの青春の日の誓願を、三十星霜にわたって、勇敢に誠実に、そして忍耐強く貫き通してきた、誇りも高い兄弟会の友を、私は一生涯、忘れることはありません。皆さんの健闘を心から讃えたいのです。(拍手)
5  謝冰心しゃひょうしん「戦争を防ぐのは私たち女性!」
 経済学の大家であられる厳正げんせい院長はじめ、福建ふっけん社会科学院の先生方。
 映画音楽の巨匠であられる章紹同しょうしょうどう・福建省文学芸術界聯合会副主席。
 そして、文学界の旗手であられる王炳根おうへいこん館長はじめ、冰心ひょうしん文学館の先生方。
 また、すべてのご列席の皆さま方。
 ただ今、私は、大中国の旭日の大発展を力強く牽引されゆく「頭脳の大城」福建社会科学院より、最高の栄誉を賜りました。(=同社会科学院から池田名誉会長に「名誉教授」証書が授与された)
 そしてまた、私と妻が敬愛してやまない謝冰心先生を記念する「文化の黄金の柱」の文学館から、無上の顕彰をお贈りいただきました。(=同文学館から池田名誉会長に「名誉館長」、香峯子夫人に「愛心大使」の称号が贈られた)
 いかなる栄誉よりも尊く、意義深き「精神の栄冠」として、謹んで持受させていただきます。
 厚く厚く、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
 私たち夫婦は、「中国文学の母」謝冰心先生と、静岡と北京で二度、お目にかかり、ご一緒に人生を語り、文学を論じ、未来の友好を展望しました。(=一九八〇年四月五日、静岡研修道場に歓迎。その十九日後の四月二十四日、北京で再会。名誉会長の第五次訪中の答礼宴であった)
 謝冰心しゃひょうしん先生はかつて、日本の女性に烈々と呼びかけられました。
 「戦争はあく迄私達女性の手で防がねばならない」(「婦人」一九四八年八月号)
 妻は、この謝冰心先生の平和への悲願を、あらためて深く強く、胸に刻んでいます。
 そして、栄えある「愛心大使」の称号を、日本全国、さらに世界百九十カ国・地域の婦人部、女子部の皆さま方の代表として、受けさせていただきました。(拍手)
6  「人間の大海へ」「時代の大波へ」果敢に打って出よ!
 古来、日本は、福建の地から、文化的に大きな恩恵を受けてきました。福建省は、世界市民として活躍される華僑の方々の故郷としても、まことに高名です。
 福建出身の華僑の人口は、じつに一千万人以上とも言われています。福建の人材が世界的な成功を勝ち得てきた原動力は、いったいどこにあるのか。これは、多くの人々が注目する関心事でありましょう。
 この点について、貴・社会科学院の先生方は、多次元にわたる透徹した分析をされました。私は、感銘深く学ばせていただきました。
 その一つは、時代の変化を見極め、迅速に適応していく行動力。
 また、目的に向かって、積極果敢に打って出て、臆することなく挑戦を続ける不屈の勇気です。
 さらに、相れない人をも包容し、多くの人々と結合していく、仲の良い団結の知恵。
 そして、故郷を愛し、恩返しを果たしていく、美しき報恩の心。
 福建の開拓者たちには、こうした人間としての美質が光り輝いている。
 その豊かで強靭な人間性の力が、世界への勝利のネットワークを広げてきたと、貴・社会科学院の知性は洞察しておられるのです。
 そして、この方程式は、わが創価学会にも当てはまると申し上げたい。なかんずく、わが学会にあって、模範のなかの模範である「中野兄弟会」の人材山脈に通じていると、私は確信します。(拍手)
7  「激しい波浪も巌には楽しみだ」
 十二世紀、福建の天地で学究と教育の生涯を送った大哲学者の朱子(朱熹しゅき)は、こう達観していました。
 正義の人物は、悪口をあびせられ、排斥される。
 善人の行動は、讒言によって阻まれる――と。
 古今東西、こうした魔性の働きが起こるのが、人間社会の実態です。あの高潔な母・謝冰心先生でさえ、文化大革命の嵐にあって、言われなき讒言や迫害を受けられたのです。
 しかし、毅然たる正義の女性は、まったく揺るがなかった。
 不動の信念を固めた女性ほど、強いものはありません。男性は、かなわない。
 謝冰心先生の、有名な詩の一節があります。
 「波浪が激しければ激しいほど、屹立する巌にとっては、わが足場を厳然と守り抜く楽しみが、ますます大きくなるのだ」(「春水」、『冰心選集』上、人民文学出版会)
 人生の波浪が大きければ大きいほど、自分の足元をがっちり固めて、悠々と「すごい波だな」と眺めるくらいの心意気で、勝ち越えていく――そういう信念の人生を生きなさい、と教えておられるのです。
8  最後の最後まで人民に尽くす人生を
 周総理から謝冰心先生に、遺言のごとく託された言葉があります。その言葉のとおりに、謝冰心先生は、荘厳な人生の総仕上げをされた。世界の全女性が手本とすべき方です。
 周総理は謝冰心先生に、こう言われました。
 「人生の年輪を重ねてきた私たちが、(中略)人民のために、なお、なし得ることは何か。それは『鞠躬尽瘁きっきゅうじんすい』(=身を捧げて労苦を尽くす)という一言に尽きる」(『冰心文集』4、上海文芸出版会)
 私たちは年はとってしまった。それでも、できることがある。最後の最後まで、人民に尽くして尽くして、尽くしぬいていくことだ――。
 仏法の修行も、創価学会の精神も、まったく同じです。私たちは生涯、この心で戦いたい。
 また、世の指導者が、お二人のような決意で民衆に尽くしぬくならば、社会はもっとよくなるにちがいない。これが心ある識者の一致した見方でありましょう。
 尊敬する福建社会科学院、尊敬する冰心文学館のさらなるご隆昌、そして、尊敬する諸先生方のますますのご活躍を、心よりお祈り申し上げます。
 さらにまた、ご列席のすべての皆さまが、ご健康であられるよう念願します。「健康第一」で進みましょう!
 終わりに、謝冰心先生の言葉をふたたびともどもに命に刻みつつ、私の御礼のごあいさつとさせていただきます。それはまさに「不滅の声」であり、そのまま創価学会の精神です。
9  「人民のため・ならば、いかなる強大な邪悪な勢力も恐れるな! 断固として、真実を叫びぬきなさい!」
 この精神で、勝ちましょう!
 大中国、万歳!
 美しき福建の天地、万歳!
 そして中野兄弟会、万歳!
 謝謝シェシェ!(ありがとうございました)
 (東京牧口記念会館)

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