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日蓮大聖人・池田大作

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山梨最高協議会 「黄金の人材」「黄金の信心」で光れ!

2004.9.23 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  「これだけは!」と誇れる″何か″をつくれ
 きょうは、本当にご苦労さま!
 久方ぶりに、敬愛するわが山梨の同志の皆さまと語りあうことができ、こんなうれしいことはない。今や堂々たる「勝利の山梨」「黄金の山梨」と輝き始めた!
 山梨には多くの観光客も訪れる。山梨に住んで東京に通う人もいる。憧れの天地である。どこよりも楽しく、朗らかに、仲良く進んでいただきたい。
 ともあれ、人生には、自負できる、誇りをもてる″何か″がなくてはいけない。
 「これだけはだれにも負けない」という何か。「これだけは断じて貫く」という何か。「どうだ、これを見よ」と叫べる何か。それを皆さんはつくっていただきたい。
 そして自分自身が「金の人」になることである。
 有名な「生死一大事血脈抄」には仰せである。
 「金は大火にも焼けないし、大水にも流されず、朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは、法華経の金を持つゆえに、まさしく真金の人である」(御書1337㌻、通解)
 「法華経の金」すなわち「信心の金」を光らせていこう。「人材の金」をつくっていこう。日本一のわが地域を築いていこう――この決心で、歴史をつくるのだ。自分の心に、永遠の幸福の城を築きゆくことだ。
 「黄金の人材」「黄金の信心」光る山梨であっていただきたい。
2  青年が輝く勝利の山梨
 この上半期も、わが山梨の大発展は本当に見事である。
 すばらしい勝利の実証を、総県幹部の皆さま方から、一つ一つ、うかがっている。
 山梨は、「聖教新聞」の拡大にも、まことに地道に着実に取り組んでくださっている。この夏も、上半期の激闘の直後にもかかわらず、大きく拡大してくださった。
 山梨は各地域に「文化長」がおられる。その方々を中心とした文化活動も、つねに全国の模範である。あらためて、山梨の尊き全同志の皆さま方の広宣流布へのご尽力に、心から感謝申し上げたい。
 このたび山梨は、婦人部、そして青年部が新体制となって出発した。おめでとう!
 しかも、うれしいことに、新しい女性リーダー(婦人部長と女子部長)も、新しい青年リーダー(全同年部長)も、ともにわが創価大学の出身である。
 ここ山梨は、日蓮大聖人が、末法万年尽未来際のために、令法久住の若き弟子を育成していかれた天地である。また、仏法の師弟の真髄を示された日興上人が生誕なされた故郷でもある。
 その山梨に、広宣流布の人材の大河がとうとうと流れゆくことを、大聖人も、日興上人も、いかばかり、お喜びであろうか。
 甲斐の山々が陽に映えゆく、ここ山梨には、昨年の春、南アルプス市が誕生した。わが「南アルプス圏」の同志も、お元気である。
 さらに市町村の年備によって、この九月には「甲斐市」が誕生し、「甲斐剛」(旧・中巨摩圏)が新たにスタートした。また、十月には「笛吹市」が誕生し、「笛吹圏」(=旧東八代圏)が新出発される。おめでとう!
 ご存じのように「創価山梨リード吹奏楽団」は、この九月に西関東吹奏楽コンクールに出場。金賞を獲得し、全国大会出場を勝ち取った。健闘を心からたたえ、ねぎらいたい。
 創価学会の信心は「広宣流布の信心」である。そこにこそ大功徳があると大聖人は仰せである。
 御聖訓には「一切は現証には如かず」――すべてにおいて現証に勝るものはない――と厳然と示されている。
3  これからの世界に必要な価値を
 王者の山・富士を擁する大地で、正義の中の正義のために勇敢に戦いゆく人生は、なんと荘厳であろうか。
 きょうは、富士山をはさんで、静岡でも、拡大県長会議が行われている。
 以前、ハーバード大学名誉教授のモンゴメリー博士と会見したときのことである。
 博士は、懐かしそうに回想されていた。
 「私も、かつて富士が見えるところにいたことがあるんです。山梨県です」
 戦後、日本の復興のために貢献された博士は、一時、甲府にも住まわれたのである。
 博士は、アメリカ創価大学の「環太平洋平和・文化研究センター」の所長として、長年にわたり、じつに献身的に尽力してくださった。
 私のハーバード大学での講演も、温かく見守っていただいた。
 ボストン郊外にある博士のご自宅にお邪魔したことも、忘れ得ぬ思い出である。幾重にも感謝は尽きない。
 博士は、「聖教新聞」の客員論説委員も、務めてくださっている。
 最近の寄稿の中でも、SGIやアメリカ創価大学に対する大きな期待を述べられながら、平和ヘの努力を実らせるための「組織」の重要性を論じておられた。
 「『平和への橋』は教育と、個人の覚醒から始まる。そしてそれが、より強固な組織へと発展し、最も高度な『人間的価値』を守ることにつながっていく」(「聖教新聞」二〇〇四年五月十六日付)
 目覚めた民衆が平和へ連帯せよと博士は言う。
 激動の時代であるからこそ、人間主義の組織を断固として守り、強め、広げていくことである。
 それが「人間的価値」を守ることになるからだ。
 「聖教新聞」が創刊五十周年を迎えたときにも、博士をはじめ世界的な識者の方々が、多くの祝賀の声を寄せてくださった。
 博士は、こう語っておられる。
 「一般の新聞は、暴力などの否定的な側面をはらんだニュースも含め、社会で起きている出来事を報道する、という性格を持っております。
 しかし、聖教新聞は″社会で起きている″ことではなく、″社会に起こるべき″価値についてのニュースを報道しているのであります」(同二〇〇一年四月二十日付)
 ありがたい評価の声である。
 思えば、戸田先生は、中国の周恩来総理、インドのネルー首相、フィリピンのマグサイサイ大統領などアジアの指導者にも、「聖教新聞」を贈呈しておられた。
 今や、日本はもとより世界の知性も、「聖教新聞」の論調に注目を寄せる時代となってきた。さらなる発展をめざしたい。
4  社会的信頼を壊す「嘘」を許すな
 私のハーバード大学の講演に出席してくださったアメリカの著名な女性平和学者シセラ・ボク博士も、明確に論じておられた。
 「社会的信頼という被膜は、往々にして薄いものである。
 うそが広がると――模倣、報復のために、または欺瞞が露見するのを防ぐために――、信頼は傷つく。
 しかし信頼は、社会の善として保護されなければならないものであって、空気とか、飲み水と同じである。
 それに被害がおよぶと、共同体全体が苦しむ。それが破壊されると、社会の土台が揺らぎ、崩壊する」(『嘘の人間学』古田暁訳、ティビーエス・ブリタニカ)
 嘘を放置することは、人間社会を根底から破壊してしまうことだ。
 今の日本の混迷の背景にも、この言論の信頼の崩壊がある。活字文化の衰退がある。このことは、多くの学識者が危惧しているところである。
 ゆえに言論の暴力とは、断じて戦わなければならない。そして良質の活字文化を復興していかねばならない。
 (ボク博士は、ハーバード大学での二度目の講演に対し、次のように語っている。
 「非常に有益な講演でしたが、特に私自身、世界で多くの民族紛争が発生しているのを深く憂慮しており、池田氏から大変示唆に富んだ話をしていただいたと思っております」
 「対話を進めるために、共通の上壌として皆が共有しうる最小限の価値観が必要でしょう。
 と同時に池田氏が、対話といっても、いつも春風のようなものばかりではなく、時には相手の傲り高ぶる心を撃つような激しい言論もありうる、と主張しているのに同感です。
 例えば宗教が人間に犠牲を強いるような極端な場合、悪は悪として弾劾しなければなりません」〔「聖教新聞」一九九三年十月十八日付〕)
 希望と幸福、平和と人道、そして真実と正義の言論を担う「聖教新聞」を、私たちは、地域に社会に、さらに大きく広げていきたい。
5  創価の舞台は全世界 楽しく! 勇敢に!
 このほど、山梨の代表の皆さま方が、海外のSGIの名誉役職に就任された。おめでとう!
 国境を超え、民族を超え、民衆の心と心を結びゆく、創価の人間革命運動の舞台は、全世界に広がっている。
 たとえば、ロサンゼルス。エネルギッシュに、楽しく進むアメリカの同志が心に浮かぶ。
 ブラジルのサンパウロにはすばらしい自然文化センターがある。冬でも暖かい。山梨と違って雪は降らない。(笑い)
 カナダのトロント。近郊の教育文化センターは大自然が美しい。広大な森や湖がある。
 イタリア・ミラノの同志も元気だ。一度行ったら、もう日本には帰りたくないというくらい(笑い)、魅力あふれる街である。さらに香港、ドイツ、フィリピン、スイス――まさに世界中で、創価の友は、法のため、人のため、平和のために活躍している。
 どうか、皆さま方も、百九十力国・地域の同志とともに、楽しく、勇敢に、心広々と前進していただきたい。
 妙法は永遠の幸福の大法である。社会で勝利し、人生に勝利しゆく根本の軌道である。
 いい人生を送るのか。ふつうの人生か。それとも、後悔ばかりの悪い人生か。その分かれ目は、生きる哲学にある。
 堂々と、朗らかに、自由闊達に、友に仏法の偉大さを語っていきたい。
 「創価学会は、今や、『世界の学会』です」
 「広宣流布は、人間と人間のつながりを広げていくのです」
 「自分のため、一家のため、社会のため、一緒に、すばらしい人生を生きましょう!」
 ″勇気の言葉″が、新しい道を開くのである。
6  「学会活動が長寿の秘訣!」と
 山梨は、健康寿命(健康で生きる寿命)が、女性で全国一位、男性が全国二位となっている。(六十五歳の人を対象にした、二〇〇三年、山梨県の調査による)
 その一つの理由に、山梨特有の、人々が寄りあい、集いあう風土があげられているようである。
 学会の世界には、人間と人間の究極のうるわしいふれあいがある。この山梨をはじめ、全国で、多宝会、宝寿会、錦宝会の同志が、生き生きと活躍されている。
7  日本を代表する長寿県の沖縄からも、うれしい報告があった。
 今年の「敬老の日」、沖縄では、本年度中(二〇〇五年三月末)に百歳になる三百六十二人の方が祝福された。そのなかの一人が、沖縄広布の草創の女性の功労者である。
 その方は昭和二十九年の十一月に入会。沖縄広布五十周年の本年、見事なる勝利の姿で、晴ればれと、数え年で百歳を迎えられた。彼女は「百歳まで長生きを!」との私との約束を果たせたことが何よりもうれしい、と語っておられたそうである。(この方が折伏した女性も、今回、百歳を迎える)
 彼女は、本部幹部会の衛星中継にも喜々として参加されるなど、生涯青春の人生を、はつらつと歩んでおられる。
 毎朝七時に起床して、「聖教新聞」と「大白蓮華」を熟読。「聖教新聞」の記事を切り抜いては、孫たちや友人に、「ここはいいよ! 読んでね!」と手渡されるという。
 ″聖教″と″大白″はつねにそばに置き、時間があれば読む。それを何よりの楽しみとされているようだ。
 お子さんたちも、広布の第一線で活躍されている。現在、十三人の孫と、十八人のひ孫に囲まれる、悠々たる境涯である。
 今回、沖縄の名士の方々から、「長生きの秘訣は何でしょうか」と聞かれ、目を輝かせながら、「信心したおかげです。皆さんも、この信心に励むといいです」と胸を張って語られたそうである。
 日蓮大聖人は、若き南条時光に教えられた。
 「殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ
 妙法という最極の幸福への王道を、私たちはみずからも深め、一人でも多くの友に語り伝えてまいりたい。
8  妙法の題目こそ最高の追善
 「彼岸」にあたり全国の会館で「創価学会秋季彼岸勤行法要」が行われている。
 私も、ここ山梨をはじめ、日本全国、そして全世界の亡くなられた尊き同志ならびに友人、そしてご尊家の先祖代々の諸精霊に、真剣に追善回向の題目を送らせていただいている。
 この「彼岸会」は、じつは日本独特の仏事である。古代の農耕儀礼に起源をもつとも言われ、それが仏教と結びついたともされている。
 その起源、由来はともかく、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるとおり、春夏秋冬の四季に富んだ日本にあって、過ごしやすい時季に入る「季節の変わり目」でもある。
9  また、太陽が真東から出て真西に沈み、昼と夜の時間が等しいのが「春分の日」「秋分の日」である。世界でも、さまざまな宗教的行事などが行われてきた。
 この地球の運行の正確なリズムが、人々の生活に大きな区切りをつけてきたことは、確かであろう。
 春分・秋分は、昔の日本では「日の願い」という意味の「日願ひがん」を行う日であったので、仏法の「彼岸会」が、この時に行われるようになったとの説もある。
 私たちは、いわゆる「常彼岸」――毎日がつねに彼岸の心で、朝晩の勤行で追善回向をしている。その上で、四季の大きな節目の日であるこの日を、あらためて追善回向を深めゆく日として、法要の勤行会を行っているのである。
 大聖人は、「御義口伝」に仰せである。
 「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ
 妙法を唱えて追善できることは、どれほど、すばらしいことか。
 たとえ地獄の苦しみの境涯にあったとしても、妙法によって追善されれば、成仏の方向へ転ずることができる。
 亡き人に対して、これほどの孝養はない。
 この深遠な生死不二の法理にのっとって、永遠の生命観に立っていくならば、本来、死は恐れるものでもなければ、嘆き悲しむものでもない。
10  妙法は「永遠の幸福」の大法
 大聖人は、夫を亡くした南条時光の母を、こう励まされている。
 「亡くなられたご主人は、法華経の行者であられたので、即身成仏は疑いありません。それほど嘆かれることはないのです。
 しかしまた、嘆かれるのが凡夫として当然でありましょう。聖人にも、この嘆きはあるのです。
 釈迦仏が御入滅されたとき、悟りを得ている多くの高弟らが嘆かれたことは、凡夫の振る舞いを示されたのでしょうか。
 いかにも、いかにも追善供養を心のかぎり励まれるのがよいでしょう。
 古徳の言葉にも『心地は九識の清浄の心におき、修行をば六識にせよ』と教えていますが、いかにも道理です」(御書1506㌻、通解)
 もちろん、人間の情としては、とくに近しい人の死は、あまりにも悲しい。それもまた、当然の理である。
 だからこそ大聖人は、悲しみを追善供養の祈りに変えていくことを教えられている。
 ここに仰せの「心地は九識の清浄の心におき」とは、妙法を根本として信心の一念を定めることであり、南無妙法蓮華経と唱えることである。
 「修行をば六識にせよ」とは、修行は現実の生活の場で行いなさい、ということである。
 現実にどんなことが起きても、それを避けずに、ともかく信心を根幹に妙法を唱え、広宣流布に生きぬいていく。
 その行動すべてが、仏道修行となる。すべてが自分自身の成仏の道となるのである。
 仏法では、悟りの境地、成仏の境涯のことを「向こう岸」に譬えて「彼岸」という。迷い・煩悩の世界が「此岸」「こちらの岸」である。
 此岸から彼岸へわたるのが仏道修行である。
 大乗の菩薩の修行に、六波羅密がある。この「波羅蜜」(梵語パーラーミターの音写)とは「彼岸に到る」という意味で、修行の完成を意味している。
 大聖人は「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」と仰せになっている。
 私どもが生きる現実は、迷いと苦悩の波がうねる大海である。
 それを、悠然と堂々と渡りきっていける大船こそ、妙法蓮華経という永遠の大法である。
 この「生命の究極」ともいうべき大法を、私たちは持ち、行じている。
 「生老病死」の苦悩と悲哀を、「常楽我浄」へと大転換しながら、「生も歓喜」「死も歓喜」の軌道を歩んでいくことができる。
 このことは、私が、ハーバード大学での二度目の講演(一九九三年九月の講演「二十一世紀文明と大乗仏教」〈本全集第2巻収録〉)でも論じ、深い共感が寄せられたところである。
11  有名な御聖訓には「死後の地獄等という苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にも立たない。獄卒(地獄の鬼)の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない。こうなった時は、どうして名聞名利や我慢偏執(我を頼んで心が傲り、偏ったものに執着すること)の心でいられようか」(御書1439㌻、通解)と仰せである。
 厳しき生死の因果律の前には、いかなる権勢も名誉も、まったく無力なのである。
 トインビー博士が真剣な表情で力強く語っておられたことを、私は忘れることはできない。
 「社会の指導者たちは、生死の問題を真正面から解決しようとせず、すべて避けて通っている。ゆえに、社会と世界の未来の根本的解決法は見いだせない」
 「私はこの道を高等宗教、なかんずく大乗仏教に求めてきた」
 行き詰まったら原点に戻ることだ。人類が立ち返るべき原点は、この「生死」という根本的課題である。
 人間は、死んだらどうなるのか。
 生命は、永遠なのか、どうか。
 幸福に生き、幸福に生涯をまっとうするためには、どうすればいいのか。
 だれ人も避けえぬ、この命題を真摯に見つめるときに、戦争や暴力を廃絶し、平和と共生をめざしゆく道も、おのずから見えてくるのである。
 トインビー博士は「世の中には、いいものと悪いものがつねに双方あって、たたかいあい、競いあいながら存在していくものなのだ」(秀村欣二・吉沢五郎編『地球文明への視座』経済往来社)と達観しておられた。
 言論の戦いにあって、善は断じて勝たねばならない。
 そのために、いかなる迫害も恐れずに、勇敢に発言し、執筆し、行動していくことが、真の知性の証である――これが、トインビー博士の信念であった。
 (=トインビー博士等を描いた名誉会長のエッセー集『君が世界を変えていく』の映像版作品は、アメリカで数々の顕彰を受けている。全米屈指の伝統と権威を誇るコロンバス国際映画祭では、二部門で最優秀賞に輝いている)
 御聖訓には、「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」と仰せである。
 ともあれ、善が強く団結すれば、悪さえも、付き従ってこざるをえないのである。
 ゆえに、正義は徹して強く進みゆくことだ。
12  「信心」とは「行動」―立つべき時に立て
 この十月十三日で、「山梨の日」三十周年を迎える。
 (=一九七四年十月十三日、山梨学院大学古屋記念堂で「山梨広布二十年記念総会」が開催され、名誉会長が出席した)
 その意義深き十月を、「山梨栄光勝利月間」とし、二〇一〇年の創立八十周年に向けて、山梨の皆さんは勇躍前進される。皆が仲良く団結して、新しい勝利の歴史を築いていただきたい。希望を拡大し、友情を拡大し、幸福を拡大していくことである。
 いよいよ、山梨の新時代が到来した!
 信心とは行動である。
 立つべき時に立つことだ。リーダーは、皆の心の奥に届く励ましを、前進への「起爆力」を贈っていただきたい。
 同志のためなら、何でもしてあげたい――その慈愛あふれる率先のリーダーのもとで、皆は奮い立つものだ。
13  ここ山梨教学研修センターの「広宣庭園」には、山梨の全百十三支部の木、さらに山梨の壮年部、婦人部、男子部、女子部、学生部、未来部と、各部の木を植える運びとなっている。
 この山梨同志の庭で、友と語らいながら、大いに英気を養っていただきたい。私も、いちだんと、山梨の拡充に力を入れていく決心である。
 草創からの同志の皆さん方も、お元気でうれしい。役職は変わっても、信心に「引退」はない。
 学会活動だけは一歩も退いてはいけない。
 すべて自分自身のためである。一家のためであり、永遠の生命のためである。一生涯、信心だけは絶対に手放してはならない。
 これからも、「広宣流布の最強の山梨」の陣列が、大東京の完全勝利の原動力となっていただきたい。
14  希望に燃えて、健康で長寿で、ともにともに、三世に朗らかに前進しゆくことを決意しあって、私のスピーチとしたい。お会いできなかった同志にも、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 強く、強く、どこまでも強く、すばらしき人生を生きぬきましょう!
 (山梨教学研修センター)

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