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日蓮大聖人・池田大作

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第四十一回本部幹部会、第三回沖縄総会 われらは無敵 妙法は大宇宙の不滅の力

2004.9.9 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  「難即安楽」の仏法
 海外から来日したSGIの青年部の皆さま、ご苦労さま!
 海外の方々は、どんなときも、にぎやかで、お元気である。人間として、すばらしいことである。当然、お金がないとか、体が弱いとか、どこの国のどんな人にも、それぞれに悩みがあり、苦しみがある。
 しかし、それで意気消沈するのでなく、苦難があればあるほど、挑戦の心を燃やし、喜び勇んで
 生きていくのが、「難即安楽」「煩悩即菩提」の仏法である。
 この点、恵まれた環境にいる日本の同志よりも、苦労の多い海外のメンバーのほうが、かえって何倍も鍛えられ、人間ができているという声も多い。
 日本の皆さんも、負けないで、元気いっぱいにやりましょう!
 ともあれ、海外の皆さん、本当におめでとう。遠くから、ようこそ、お越しくださいました!
 十年前の一九九四年の六月、私はスコットランドヘ行き、グラスゴー大学の名誉博士号の授与式に出席した。
 式典の前、今は亡き、イギリスSGIの理事長が、「おめでとうございます!」と、私の受章を祝福してくださった。そして、「グラスゴー大学は、英国の誇る名門校です。その大学全体(全学部の推挙)からの意義深き名誉博士号を、日本人で受けられたのは、先生だけでしょう」と心から喜んでくださったことが、懐かしく思い出される。
2  英国紳士の真心のコート
 式典は、それは、それは厳粛で、荘厳であった。教育の伝統というものが、どれほど大切にされているかを身に染みて感じた。
 初夏の六月とはいっても、当日は、非常に寒かった。
 式典の会場から一歩、外へ出ると、寒風が強く吹いていたのである。そのとき、とっさに自分のコートを脱いで、「先生、風邪をひいてはいけませんから」と私の体にかけてくれたのが、理事長であった。
 しかし、私は、真心だけいただいて、コートはお返しした。
 「(名誉博士の)ロープを着ているから、私は大丈夫です。あなたこそ、大切なイギリスの指導者です。絶対に風邪をひいてはいけません」と申し上げて。
 このときの理事長の真剣にして誠実な英国紳士の態度。すばやくコートを脱いだときの姿。
 そして、心温まる笑顔を、私は、今もって忘れることはない。
 彼も、この日の光景を、最後まで、懐かしく思い出されていたようである。
3  仏法の同志のつながりは深く強い。こうした尊い心の絆を結んだ同志が世界に数多くいる。
 SGIは今、百九十力国・地域に広がっている。
 仏法史上、未曾有の世界広布の興隆も、皆さん方の先輩たちの命がけの闘争によって築かれたものである。
 諸君は、できあがった組織のなかで、要領よく振る舞うような安易な青春だけは、送ってはならない。
 尊き草創の同志が、苦難と試練のなかで培ってきた「広宣流布の熱き魂」を、「師弟不二の深き心」を、若きSGIの指導者の皆さま方は、断じて受け継いでいただきたい。
4  叫ベ! わが正義を堂々と
 文豪ロマン・ロランは、フランスの詩人ペギーの信念を、伝記の中に、こうつづり残している。
 「真実を知っているときに、その真実を大声で語らない者は、嘘つきどもや欺瞞家どもとぐるになっているのだ」(『ペギー』第2部、山崎庸一郎訳、『ロマン・ロラン全集』16所収、みすず書房。「カイユ」創刊号の「田舎の友よりの手紙」に書かれたペギーの言葉を紹介している)
 真実を知りながら叫ばない。それは「嘘つき」「欺瞞家」と同じだと言うのである。西洋の知性の洞察は、まことに鋭い。
 諸君もまた、勇敢なる言論の師子であっていただきたい。悪意の嘘や嫉妬の中傷に対しては、堂々と真実を叫びきっていくことだ。それが、正義の学会を守り、自分自身を無量の福徳で飾っていくことになる。
 日蓮大聖人は、天台大師の師である南岳大師の、次のような言葉を引用しておられる。
 「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができないで、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて、正法を破壊させるならば、この人は、じつは菩薩ではない。
 (この人は)外に向かっては、(人々を)いつわりあなどって、つねに、次のように言うであろう。
 『私は忍辱の行をしているのです』と。この人は死後、諸々の悪人とともに地獄に堕ちるであろう」(御書1374㌻、通解)と。
 戦うべきときに、「私は今、侮辱や迫害を耐え忍ぶ修行をしているのです」などと言って戦わない。そういう臆病な人間を、謗法と戦わない者の罪悪を、厳しく破折しておられるのである。
 正義を叫ばなければならないときに、遠慮したり、あれこれと理由をつけて沈黙し、正法を破壊する悪を放置する。それでは、その人自身が、大きな罪を負ってしまうことを知らねばならない。
5  沖縄の広宣の勇者、万歳!
 沖縄の皆さんも、ようこそ、おいでくださった。沖縄総会、おめでとう!
 沖縄健児の心意気あふれる、私の大好きな歌がある。歴史に名高い久松五勇士のことを歌った「黒潮の闘魂」である。
 私は、この歌を聞くたびに、広布のため、けなげに奮闘してこられた沖縄の同志の姿が胸に迫ってくる。沖縄こそ、日本で最初の広宣流布の地であると私は確信している。沖縄の皆さん、よろしく頼みます!
 「沖縄創価学会、万歳!」と心からたたえたい。
 ともあれ、私は、皆さんと語り、皆さんと妙法流布の思い出をつくりながら、ともに歓喜の沖縄を築きたい一心である。
 また、テレビでもきょうは、沖縄のことを紹介していた。そのなかに、こんな沖縄の言葉があった。
 ハイサイ!(「こんにちは」の男性語)
 ハイタイ!(「こんにちは」の女性語)
 イキガ!(男性)
 イナグ!(女性)
 (会場にいる沖縄の同志から「ハイー」と次々に返事が)
 お帰りになられたら、同志の皆さんにくれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 日本全国の代表の皆さんも、日夜、広宣流布のための指揮、そしてわが同志の方々の幸福への指導等々、本当にありがとう。ご苦労さま! どうかお体を大切に!
 全員がご長寿であっていただきたい。
6  女性が輝けば未来が輝く
 また、きょうは、青春勝利の女子部の新出発、おめでとう!
 いかなる団体であれ、会社であれ、女性がはつらつと活動し、生き生きと頑張っているところは繁栄していくものだ。
 反対に、女性を大事にしない組織は、必ず衰亡する。これは鉄則である。
 わが学会にあっても、女子部がはつらつと成長しているところは、必ず発展している。
 一人の女子部の存在がどれだけ大きいか。
 どこかの家庭を考えてみても、わかる。
 お父さんは娘の言うことなら、ちゃんと聞く。お母さんは、娘とけんかをしても、かなわない(笑い)。恋人の男性は頭が上がらない。(爆笑)
 やがて結婚をして子どもが生まれた時も、母という存在は、かけがえのないものだ。
 女子部の皆さんが自分自身を磨いていけば、将来、わが子も信念の道についてくる。わが子から尊敬される。全部が、いい方向へ向かっていく。
 「一人」が変われば、すべてが変わる。なかんずく、聡明な女子部の力は計り知れない。
 女子部を心から大事にすることだ。
 女子部が、強く、正しく、成長していけば、男性もリードしていける。ご両親も、うれしい。
 だからこそ、青春時代に、一生の幸福の土台を築いていくことが大切なのである。
 世界の歴史を見ても、国家の存亡にかかわる危急の時、救国のリーダーとして活躍した女性が数多くいる。
 男女同権である。だが日本では、まだまだ意識が低い。もしも女性を下に見るような男性のリーダーがいるならば、時代錯誤であり、とんでもないことだ。
 アメリカの大詩人ホイットマンは謳っている。
 「女性の正義のなかから、あらゆる正義が開かれ現れる。
 女性の共感のなかから、あらゆる共感が開かれ現れる」(Walt Whitman; Edited by Francis Murphy, Penguin Books)
 まったく、そのとおりである。
 いちばん強いのは、清らかで強いのは、女子部である。将来にわたって、希望を達成し勝利していく道は、女子部を大事にする以外にない。その一点を心に刻んでいただきたい。
 女子部の友が、一人も残らず、幸福な人生を歩めるよう、とくに婦人部、壮年部の皆さんに最大の応援をお願いしたい。
7  人間を差別する傲慢と戦え!
 明治の末か、大正の初めごろだったか、私の父は、徴兵で、現在の韓国・ソウル(当時、日本の支配下で京城と呼ばれていた)に二年間、滞在していた。
 少年時代の私に、その時の話を、よくしてくれた。
 「日本人は、あまりにも傲慢だ! 同じ人間じゃないか。かわいそうだよ!」
 「どうして日本人は、こんなにいばりくさって、傲慢なんだ。あんないい人たちを、いじめて、いじめて、いじめぬいて、何という国か!」
 私は、父の話を今でも忘れない。
 だから私は、世界のどこの地域にも増して、韓・朝鮮半島の友を大事にしてきたつもりである。
 また、これからもそうである。
 民族を差別して、人間を差別する、馬鹿にするなどという振る舞いは、たいへんな間違いである。断じて正さなければならない。
 また、仏法の観点から見れば、正法正義を掲げて広宣流布に生きる人や集まりを見くだし、誹謗する勢力がいる場合、仏法者として、命を賭して戦うべきである。
 大聖人ご自身が「人間を軽賤する者」(勧持品、法華経四一八㌻)と生涯、戦いぬかれた。
 人間を差別する心と戦う。学会は、永遠にこの精神でいきたいと思うが、どうだろうか!
 皆さんは、「鬼押出し」という地名をご存じだろうか?
 一七八三年(天明二年)、浅間山で噴き出した溶岩が固まってできた景観の地である。
 (″火口で鬼が暴れて、岩を押し出した″という、当時の人々の印象が名前の由来とされる)
 かつて、戸田先生に連れて行っていただき、大自然の恐ろしさについて語りあったことも懐かしい。(一九五七年〈昭和三十二年〉八月)
 信越婦人部のある友が、草創期の思い出を語っておられた。学会活動で、鬼押出しなどの浅間山麓を通らねばならない時は、本当に怖かった。深夜など、後ろも振り返ることができないくらい怖かった。それでも広宣流布のために足を運んだ――と。
 その体験談に、私は深い感銘を受けた。その方のお顔も、お名前も、一生忘れない。今も毎日、題目を送っている。
 友の幸福を願い、遠い道のりを、座談会に、家庭指導にと真面目に通い続けた方々。その一人一人の努力によって、現在の学会の堅固な土台が築かれたことを、広布の未来を開く青年部諸君は、決して忘れてはならない。
 大聖人は、一枚の「かたびら」(裏地のない単衣)を届けられた女性門下に対して、次のように仰せである。
 「法華経に供養する功徳は、あなたの父母、祖父母、さらに限りない多くの衆生にも及ぼされていくことでしょう。まして、あなたがいとおしいと思う最愛のご主人に、功徳が及ぶことはいうまでもないと、思っていきなさい。思っていきなさい」(御書1231㌻、通解)
 法華経に供養する功徳の偉大さ、一人の女性の信心の力用をたたえられた一節である。
 これは、若々しく、はつらつと戦う女子部の友にもあてはまる御聖訓であると思う。信心の功徳は、すべてに通じる。女子部の皆さんは、ご家族が信心していない場合も、少しもあせる必要はない。心配する必要もない。
 また、周りの人も、その人の家庭の状況を顧みず、「早く信心をさせよう」と急かして、本人を苦しめるようなことがあっては絶対にならない。長い人生である。ましてや生命は永遠である。
 ″いつか必ず信心できるように、そのために今、私自身がしっかり信心を貫き、実証を示そう″――その決意と確信をもって、心広々と進んでいただきたい。
8  こまやかな振る舞いに仏法がある
 また大聖人は、南条時光への御書の中で、「親に良いものを与えようと思って、何もできない時には、せめて、一日に二、三度は、親に笑顔を見せてあげなさい」(1527㌻、通解)と、親孝行の大切さを示されている。
 一般的に、父親という存在は、娘に弱いものだ。かわいい娘から「お父さん、勤行したの?」「お題目あげたの?」などと声をかけられるたびに、お父さんは内心、ビクッとしている。(笑い)
 娘が笑顔を見せてくれれば、これほどうれしいことはない。
 お母さんも、たまには、疲れて帰ってくるお父さんをいたわり、「きょうは、あなたの分も、ちゃんと勤行しておきましたよ」「お題目もあげました」と言ってあげれば、お父さんはずいぶん助かる。(笑い)
 なにより、そういう知恵や心遣いは、空気をなごやかにする。
 女子部の皆さんのなかには、仕事の都合などでご家族と離れて暮らしている人も多いと思う。
 そういう場合は、定期的に、電話などで、ご家族の方々に元気な声を聞かせてあげることである。そうしたこまやかな振る舞いのなかに、仏法がある。
 親が信心していても、信心していなくても、大切な自分の親であることに変わりはない。信心したら、さらに、どんなにすばらしいか――その日を楽しみにしていけばいいのである。
 また、現在、経済的に大変だったり、生活が思うようにいかないという人もいるだろう。そういう人も、むしろ今は苦しいほうが、後でもっと大きな楽しみが待っているのだ――そうとらえて、前向きに生きるところに人生の醍醐味があり、信仰の力が輝くことを知っていただきたい。
9  ″妙法の女性は男子に勝れたり″
 ともあれ、世界的に「女性の時代」に入っている。日本でも、女性の管理職が増えてきた。
 東京創価小学校の校長も女性である。全国的に女性の校長が、たくさん活躍されている。
 また、女性が能力を発揮しやすいように、企業の風土を変えていくことが、業績の向上につながるという報告もある。
 女性の力を生かす。女性の知恵に学ぶ。そこに新しい発展がある。
 学会においても、いちだんと女性が輝いてこそ、今の何倍も伸びていける。
 男性は、紳士が最敬礼をするように、女性を大事にしていくべきであると思うが、どうだろうか。
 今まで学会で退転した幹部は、ほとんど皆、女性の意見を聞かず、生意気に蔑視していた。
 増上慢の心でいばり、女子部、婦人部を見くだす人間、馬鹿にする傲慢な幹部は、結局、だれからも相手にされなくなってしまう。そういう人間は、皆、敗北者となっている。成功者は一人もいない。これが、私が五十年以上、多くの実例を見てきた結論である。
 仏法は厳しい。恐ろしいほど峻厳である。
 大聖人は、「男女はきらふべからず」と宣言なされた。広宣流布における使命は、男性も女性も同じである。
 そしてまた、御書には「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたり」と厳然と示されている。
 信心に励む同志に対しては、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(普賢品、法華経六七七㌻)である。
 幹部は、尊き仏子を心からたたえ、大切にしなくてはいけない。女性も男性も、先輩も後輩も、皆が一緒に、仲良く団結して進んでまいりたい。
10  白ゆりは民衆の希望の花
 このたび、新しく誕生された、婦人部の「白ゆり長」の皆さま方、まことにおめでとう!(拍手)
 (本部幹部会の席上、婦人部のブロック担当員の名称が、新たに「白ゆり長」、副ブロック担当員の名称が「副白ゆり長」と命名されることが発表された)
 白ゆり長――いい名前である。
 白ゆりは″花の王者″である。品格があり、個性があり、美しい。しかも、長持ちする。(爆笑)
 いにしえより、ゆりの花は、人々から非常に大事にされてきた。
11  「永遠の都」ローマでは、古代、ゆりの花は「希望」の象徴とされた。多くの貨幣には、「口ーマ民衆の希望」という言葉とともに、ゆりが刻まれていた。優雅な美しい歴史がある。
 わがブロックの誉れの「白ゆり長」「副白ゆり長」とともに、皆さんはどうか、希望と福運のスクラムを、仲良く、楽しく、拡大していっていただきたい。
 ともあれ、「女子部、万歳!」「婦人部、万歳!」「『創価の世紀』、万歳!」と叫びたい。
12  SGIは「世界の宝」「人類の宝」「未来の宝」
 海外からの青年部の皆さん、崇高な求道の研修、遠いところ、本当にご苦労さま! 重ねて讃嘆申し上げたい。
 伝教大師は晩年、″広宣流布しゆく人こそ、真実の国宝である″と述べた。(本書三四三ページ参照)
 「広宣流布」即「世界平和」である。これを推進していくのが、われわれであり、海外の皆さん方である。
 それぞれの国や地域にあって、皆さん方こそ「宝の中の宝」である。これほど尊い人はいない。
 「世界の宝」「人類の宝」「未来の宝」の集まりなのである。ゆえに、絶対に不幸になるわけがない。そのことを、強く断言しておきたい。
13  フランスの大文豪ヴィクトル・ユゴーは、次のような言葉を残している。
 「青年は、そのなかに、真実、美、正義という本能を持っています。青年は、雲もなく、隠れることもない、いまだ汚されていない人間の良識であります」(二〇〇四年十月、東京富士美術館で開催された「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」に展示された手紙から)
 これは、ユゴーが二十歳の若者にあてた手紙の一節。新聞を創刊するなど、若き言論人として立とうとしていた青年に、ユゴーが、まっすぐ正義の道を進みゆくことを願い、贈った言葉である。
 動乱のヨーロッパ社会で、現実の辛酸を味わい尽くしてきたユゴーは、人間の怖さ、醜さを知悉していた。
 人間は、容易に信じることのできない存在かもしれない。だからこそユゴーは、青年の純粋さに光を見ていた。
 戸田先生も、青年を信じておられた。
 私が先生にお会いしたのは、十九歳の時。その私に対して、先生は、将来の学会の全責任を担いゆくリーダーに育てようと、深い期待を寄せてくださった。
 訓練は、厳しかった。その信頼は、厚かった。そして、それに応えようとする、私の決意も、深かった。これが「師弟」である。
 青年の時代である。青年しかない。青年を育てる以外にない。
 私もまた、青年部の諸君を絶対に信ずる。心から信頼している。
 このたび、青年部に、多くの新リーダーが誕生した。おめでとう!
 私は、本当にうれしい。
 どうか皆さんは、自分らしく、思うぞんぶん、力を出しきっていただきたい。
 何でもいい。今いる場所で、何かやってみることだ。信心の世界、自分の世界で、「自分はこれをやった!」と言える「何か」を残してほしい。歴史を刻んでほしい。
 そうすれば必ず、永遠の勝利と幸福の種が、しっかりと、わが生命の大地に根を張っていくのである。
14  師弟不二の青春は永遠の誉れ
 私も、若き日より、全力で戦いぬいてきた。
 わが青春は、師匠戸田先生とともにある。
 戦後、戸田先生の事業が大変な苦境におちいつた。終戦直後の経済変動の波が、容赦なく襲いかかったためである。天才的な手腕をもった戸田先生も、出獄まもないころで、この激流に抗しきることはできなかった。債権者が、会社にも、先生の自宅にまでも押しかけてきた。事態が厳しくなるにつれ、社員が次々と辞め、多くの人が先生のもとを去っていった。なかには、恩を忘れ、「戸田の馬鹿野郎」と罵倒する人間もいた。
 広布の前進に影響が及ぶことを心配された先生は、学会の理事長も辞任してしまった。
 これから先、どうなるのか。学会は、どうなってしまうのか。しかし、わが身を捨てて、戸田先生を本気で守りぬこうとする人は、だれもいなかった。
 この時、私はただ一人、厳然と立ち上がった。二十一歳、二十二歳のころである。
 死をも覚悟して戦う戸田先生を、何としてもお守りするために、私は働きに働いた。題目を、あげにあげぬいた。莫大な負債と、現実の分厚い壁を前に、一歩も退かなかった。しばらく、給料がもらえない時期もあった。食事にも事欠き、真冬でも開襟シャツ一枚で過ごした。
 私は、全生命を賭し、すべてを犠牲にして、戸田先生に尽くしぬいたのである。
 こう言っても、どこまでわかってもらえるだろうか。それはとうてい、言葉では言い尽くせない。「師弟」とは、それほど厳粛なものなのである。
 牧口先生、戸田先生は、軍部権力によって投獄された。
 戸田先生は、二年間を獄中で過ごされ、牧口先生は、牢獄で崇高な殉教を遂げた。
 獄中闘争の苦しさは、常人の想像をはるかに超えている。
 牧口先生、戸田先生は、それを耐えぬいた。筆舌に尽くせぬ苦しみに屈せず、信念を、信心を貫き通した。だから、偉大なのである。
 私は、この偉大な師のために、進学の道も捨てた。その代わり、あらゆる学問を、戸田先生に直接、教えていただいた。
 そして今、この私に、世界の数々の大学が、最高峰の知性の栄誉を贈ってくださっている。これらの栄誉を、私は、すべて師匠に捧げるつもりで、お受けしている。
 「戸田大学」で学んだことこそ、私の最大の誇りなのである。
 (=二〇〇六年十二月現在、世界の大学、研究機関から二百二の名誉学術称号を授与されている)
15  躍動する宇宙、躍動する自分
 今、五十年先の勝利に向かって、各国、各地で、真剣にして、新鮮なリーダーが続々と広布の舞台に躍り出ている。
 リーダーは、決して惰性におちいってはならない。停滞してはならない。そうなっては、皆がかわいそうである。「進まざるは退転」である。間断なく、動きに動いていくことだ。広宣流布は、自分が動いた分だけ拡大していく。
 この宇宙では、ありとあらゆるものが、休まず動き続けている。静止しているものは、ただの一つもない。
 御聖訓には、「日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり」――太陽と月が四天下(世界)をめぐるのは、仏法の力なのである――と説かれている。
 地球は自転しながら、太陽の周りを公転している。太陽系は銀河系の中にあるが、銀河系もまた、渦を巻きながら回転している。太陽系が銀河系を回るスピードは秒速二二〇キロメートルと言われる。
 大宇宙は瞬時も止まることなく、妙なる音律を奏でながら運行している。その究極の不滅の力、法則、リズムこそ、南無妙法蓮華経なのである。
 この妙法を持つということは、宇宙の最極の力と智慧を持つということである。これ以上、強いものはない。ゆえに、恐れるものは何もない。
 宇宙は動いている。万物は躍動している。
 私どももまた、妙法のリズムに合致して、生命を生き生きと回転させながら、仏意仏勅の学会とともに、法のため、広布のために、動きに動いてまいりたい。
 そうした行動は、すべて自分のためになる。一家一族を永遠の福徳で包んでいく。どうか、このことを深く確信していただきたいと申し上げ、私のスピーチとしたい。
 きょうは、長時間、本当にありがとう。お元気で! サンキューー シー・ユー・アゲイン!(また、お会いしましょう!)
 (東京牧口記念会館)

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