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日蓮大聖人・池田大作

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関東代表協議会 「戦争」から「平和」へ指導者革命を!

2004.8.15 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  私たちの舞台は地球大――アメリカ創価大学に四期生が入学
 アメリカ創価大学で、待望の第四回入学式が盛大に開催された。(八月十四日)
 その模様を、私は心躍らせて、うかがった。
 将来、この最高学府こそが、世界平和の電源地となり、創価の人間主義運動の中心となることは間違いないからだ。
 「人間教育」という私の終生の大事業の世界的展開は、いよいよ、これからである。
 今回の入学式でアメリカ創価大学には、一年生から四年生までが、そろったことになる。創立者として本当にうれしい。
 当日は天候にも恵まれ、学生は元気よく、にぎやかな式典だったそうである。
 日本から参加したある人は、キャンパスの優れた教育施設や雄大な自然環境に感動し、「もう、狭くて暑い日本には帰りたくない」(笑い)と言っていた。
 また、ある人は、キャンパスから見える夕日があまりにも美しく、感嘆の声をあげたという。
 私は、アメリカ創価大学に集った学生の健康と学業の成就を、また大学を支えてくださっている皆さまのご健康とご繁栄を、毎日、妻とともに真剣に祈っている。
 さまざまな意味で、アメリカは世界の中心である。影響力も大きい。
 そのアメリカの地につくられた創価教育の学府に、世界中から秀才たちが集い、学ぶ時代になった。
 五十年先、百年先、三百年先の未来のために、創価教育は今、土台づくりの時である。教育の気風と伝統が、固まっていく時期である。
 青年こそ二十一世紀の希望である。社会のため、民衆のために尽くしぬく「世界平和の指導者」を、いよいよ本格的に輩出してまいりたい。
2  戦争は残酷戦争は悲惨
 八月になると思い出すのは、戦争のことである。きょう十五日は「終戦記念日」である。
 戦争は、あまりにも残酷である。悲惨である。
 多くの民衆が、地獄の苦しみを、いやというほど味わった。
 私は五男である。わが家は、働き盛りの四人の兄が戦地にとられ、いちばん上の兄は戦死した。
 父も病に倒れ、私自身は肺病。空襲では逃げ回り、強制疎開で、立派だった家を壊された。疎開先の馬込(東京。大田区)の家も、建てたばかりで空襲に遭い、焼け出された。
 どれほど多くの家族が、人生をめちゃくちゃにされ、悲しみに暮れたことであろう。
 私は戦争を憎む。人々を悲劇へと追いやった指導者たちを憎む。
 愚かな指導者たちのもとにいる民衆ほど、不幸なものはない。これは小説『人間革命』にも記したが、断じて忘れてはならない二十世紀の教訓である。
 権力は魔性だ。だからこそ、民衆が強くなり、賢明になるしかない。権力を厳しく監視していかねばならない。
 わが学会の初代会長牧口先生、第二代会長戸田先生は、国家主義と命がけで戦いぬかれた。その誉れの直系が、私たちである。
 一人たりとも不幸な人を出さない。悲しませない。皆を喜ばせ、楽しませ、幸福にしていく。それが、二十一世紀の指導者であらねばならない。
3  弘教に励む友を心からたたえよ
 下半期の出発である。各方面で新しい人材が躍り出ていく。
 私は新任のリーダーに申し上げたい。
 「新しい心で進め!」
 「もう一度、信心の原点に立ち返って、『広布の一兵卒』『創価の志願兵』として戦おう!」
 人ではない。自分が先陣を切ることだ。
 皆さまは、広宣流布の指導者である。同志に希望と勇気を与え、幸福へと導く責任がある。
 真っ先に、悩める友のもとへ駆けつける。いちばん大変なところへ自分が行く。そうした大誠実の行動のなかに、人格が光っていくのである。
 またリーダーは、黙っていてはいけない。自分から、どんどん、声をかけることだ。
 「しばらくですね! 調子はどうですか」
 「お体、気をつけてくださいね」
 温かい言葉。元気が出る言葉。心に残る言葉。それを送っていくのが、仏法の指導者である。
 折伏をしている人は仏の使いである。その人を最高に大事にしていくのは当然である。
 一生懸命、弘教に励んでも、なかなか実らない場合もある。その人もまた、心からたたえ、励ましていくことだ。
 「聞法下種といって、最高の仏法を語り聞かせること自体に大功徳があるんですよ」等々、仏法の法理を語る。ともに祈り、ともに動く。さらには具体的にアドバイスを送ることである。
 どこまでも同志のために―――リーダーが、ここに一念を定めてこそ、団結が固まる。広宣流布の波が広がる。
 次の五十年ヘ、私たちは新しい勝利を開くべく、「指導者革命」の大波を起こしてまいりたい。
4  モンゴルと日本に「文化の橋」を
 昨年、私は、モンゴル国の名門私立大学オトゴンテンゲル大学より、名誉博士号授与の決定通知書をいただいた。(=二〇〇四年十二月に授与式が行われた)
 首都ウランバートルにある同大学の名前の由来は、モンゴルの名山オトゴンテングル山。
 モンゴル民主化後の一九九一年に創立され、政府から認定された最初の私立大学の一つである。(これで、モンゴルからは六大学目の名誉称号となる)
 現在、世界各地で、牧口先生、戸田先生を顕彰し、SCIをたたえる施設の建設が進められている。これは、世界が、私どもの掲げる「創価の正義」に希望を見いだし、信頼を寄せている一つの証明である。
 大聖人の御遺命である広宣流布は、小さな日本だけにとどまるものではない。舞台は世界である。どの国の同志も、波瀾万丈の劇のごとく、真剣に、けなげに戦っておられる。
 私は、この人類史に残る偉業を、皆さまの功績を、未来に永遠にとどめたいと願っている。
5  モンゴルは、″恐竜の化石の宝庫″として有名である。ここ群馬の中里村――現在は万場町と合にして神流町だが、そこにも、恐竜の足跡などの化石がある。モンゴルの恐竜研究の大家gあ訪れたこともある。
 かつてモンゴルのフレルバートル駐日大使と、群馬とモンゴルの″恐竜研究の交流″について語りあったことも、懐かしい。(一九九八年四月)
6  日本とモンゴルの縁は深い。しかし、両国の歴史上の大きな接点は、十三世紀の「蒙古襲来」と、二十世紀(一九三九年)の「ノモンハン事件」(ハルハ河戦争)の二つしか記憶されていない。そのほかは「空白」であった。
 一二七五年(建治元年)九月、幕府は「蒙古」の使者を処刑。日蓮大聖人は、この蛮行を嘆き、記されている。
 「気の載にも、平左衛門尉殿や相模殿が、日蓮の言うことをさえ用いておられたならば、先年の蒙古国からの使者の首を、よもや斬ることはなかったでしょう。今になって後悔しておられることと思います」(御書1095㌻、通解)
 「蒙古襲来」と「ノモンハン事件」という、「戦争の歴史」しか持たない両国――私は、一九九三年にエンフバヤル文化大臣(後に首相)にお会いしたとき、この事実にふれて、申し上げた。
 「これは、きわめて不幸なことです。私はこの両国間の『空白』を埋めたいのです。『文化』の力で埋めたいのです」
 今、そのモンゴルとの友好が、深く、広く結ばれている。そのことが、私にはうれしいのである。
 (二〇〇二年七月、「ノモンハン事件」の舞台となったモンゴルのドルノド県に、日本とモンゴルとの国交樹立三十周年を記念して、「池田平和記念公園」が設置された。同公園の碑には、小説『新・人間革命』冒頭の次の一節が刻まれている。
 「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」〈「旭日」の章〉)
7  清き蓮のごとく君よ咲き誇れ!
 今回の夏の研修では、多宝研修道場の「守る会」の方々をはじめ、群馬の方々には、たいへんにお世話になっている。心から御礼を申し上げたい。
 「陰徳の人」を最大にたたえる。それが仏法である。学会の世界である。また、絶対にそうでなければならない。
 研修期間中、群馬の友が、多宝研修道場に見事なハスの花を飾ってくださった。ありがたいことである。その美しさに、心が洗われる思いであった。何度もカメラのシャッターをきった。
 蓮華(ハス)の花は、ご存じのとおり、仏法上の深い意義が託されている。
 蓮華は、花(因)と実(果)が、同時に成長していく。
 これは、他の花には見られない特徴であり、南無妙法蓮華経の「因果倶時」の法理をあらわしている。
 全員が、美しき大輪の蓮華の花のごとく咲き誇り、人生を謳歌しゆくための仏法である。
 まだまだ暑さが続く。私どもは、健康第一で、聡明に、疲れをとりながら、朗らかに、広布の王道を進みたい。
 わが胸中に、幸福の「心の都」を燦然と輝かせてまいりたい。
 (群馬多宝研修道場)

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