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日蓮大聖人・池田大作

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関東会・東京会合同研修会(3) 勝利へ!人間をつくれ

2004.8.14 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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2  同志を敬え! 「仏の使い」を
 広布の最前線で戦う同志は、皆、尊き仏子である。
 御聖訓に、「法華経を一字一句でも唱え、また人にも語る人は、教主釈尊の御使いである」(御書1121㌻、通解)と仰せのとおりだ。
 ゆえに、リーダーは、どこまでも「会員根本」「会員第一」で進んでいただきたい。
 法華経に「当に起っこ退く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(普賢品、法華経六七七㌻)とあるように、広宣流布へ一生懸命に戦っている学会員を、仏のごとく最高に尊敬していくことだ。
 陰で戦っている人、苦労している人を見つけだしては、「いつも本当にご苦労さまです!」「朝早くから、ありがとうございます!」等と自分から声をかける。心からたたえる。できることは何でもする。これがリーダーの鉄則である。
3  第二代会長戸田先生は言われた。
 「いかなる事業も、人材なくしては、あいかなわぬ。私の手駒となりうる人材の、一人でも多く輩出することを、青年部に期待します」
 どう人材を育てるか。そして、一人一人がどう使命の舞台で、力を発揮していけるか。
 大事なのは、人事である。どんな会社でも団体でも、そうである。
 勝つか、負けるか。皆が幸福になるか、不幸になるか。発展するか、滅びるか。その大きな分かれ目は、人事にある。
 戸田先生は、人事に関しては、たいへんに厳しかった。
 いくら人前でいい格好をしていても、地道な信心の実践がない人間、同志愛のない人間、広布ヘ戦う学会精神が燃えていない人間が、万が一にも幹部になれば、広布の前進は停滞してしまう。皆がいやな思いをする。
 創価学会は仏意仏勅の広宣流布の団体である。広布を進める人がいちばん偉い。その人を苦しめたならば、だれ人も、堕地獄を免れない。
 大聖人が「千劫という長い間、阿鼻地獄において責められることこそ不憫に思われる」(御書960㌻、通解)と仰せのとおりである。
4  フランスの歴史家ミシュレは書いている。
 「何よりも人間たちを作りたまえ。そうすればすべてはうまくいくであろう」(『民衆』大野一道訳、みすず書房)
 私が対談した、大経済学者のガルブレイス博士(ハーバード大学名誉教授〈=二〇〇六年四月、逝去〉)も、「いまや世界は人材開発競争の時代」(『日本経済への最後の警告』角間隆訳、徳間書店)と指摘していた。
 古い、保守的な人間が、当たり前のような顔をしていばっていると、皆が迷惑する。とんでもないことだ。
 未来は青年に託す以外ない。この点、少しも遠慮があってはならない。
 学会も、新しい、力強い息吹をもった人材を、どんどん育成し、登用していきたい。
 どうか一人一人が、二十一世紀の本舞台で、偉大なる勝利の歴史をつくっていただきたい。
5  ″対話こそ平和達成へのカギ″
 話は変わる。北欧ノルウェーの首都に「オスロ国際平和研究所」がある。この世界的に名高い研究所とは、長年にわたり、平和への交流を続けてきた。現在のスタイン・トネソン所長をはじめ、歴代所長とも交流を結んでいる。
 (=名誉会長は二〇〇二年七月、トネソン所長と東京で会見。その折、名誉会長の「平和の促進と平和研究への協力」をたたえて、オスロ国際平和研究所第一号の「平和賞」が贈られた)
 トネソン所長は昨年(二〇〇三年)八月、デンマークのアスコー国民高等学校で、語学研修中の創大生と女子短大生、東西の学園生を温かく激励してくださった。創立者として本当にうれしい。
 所長は、創価の人間主義の運動への期待を、こう語ってくださった。
 「若い人も年配の人もみんな平和について情熱的であり、対話を展開している。この対話運動が平和達成へのカギです。メンバーはいつも希望をもち、他人のことをわがことのように心配し、激励を惜しまない。深いエスプリ(=精神)と積極的な活動に大いに期待しています」(月刊誌「パンプキン」二〇〇三年十一月号)
 平和への具体的な条件とは何か。
 トネソン所長は「変化する社会現象から危険を除くためには、そうした(人間革命の)哲学をもった人びとが積極的に政治に参加し、かかわっていくことが重要です。人間の変革と政治の変革の両面を同時に行う必要がある」(同前)と指摘している。
 人間革命と政治革命の両面が必要というのである。
 私は、ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵の言葉を思い起こす。
 伯爵は、政治に関与することは義務であると前置きしたうえで、「今日存在する最も強い政治力を示すものは、機関銃でもなく、原子爆弾でもなく、世論である」(『ヨーロッパにおける女性の使命』鹿島守之助訳、『クーデンホーフ・カレルギー全集』2所収、鹿島研究所出版会)とつづっている。目覚めた民衆の声ほど強いものはないのである。
6  師弟の日――社会の根本悪に追撃を
 八月十四日は、私が戸田先生と最初にお会いした日である。もう五十七年前になる。永遠に忘れることのできない「師弟の記念日」である。
 この日は、「伸一会の日」となっている。
 「伸一会」は、一九七五年(昭和五十年)、当時の青年部の中枢で結成された。五期まで発足し、三百人を超える陣容である。メンバーは今、副理事長や副会長、また方面長や県長等々、各地の広布のリーダーとして指揮をとっている。
 今回、研修に参加している東京会、関東会のなかにも、伸一会の友が多数いる。さらに、学術界や教育界など社会の各分野にも、幾多の人材を送り出している。明年は、伸一会の結成二十周年である。大勝利で飾っていただきたい。
 なお、八月十四日は「関東の日」、さらに「茨城婦人部原点の日」でもある。そして、東京の「大田青年部の日」であり、ここ地元・群馬の「男子部の日」「女子部の日」でもある。
 皆さん、本当におめでとう!(拍手)
7  私が戸田先生と初めてお会いしたのは、座談会の会場であった。
 そこで先生が講義されていた御書が「立正安国論」である。その一節を拝したい。
 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには
 社会を不幸にする根本悪に対し、断固たる追撃をしていくことだ。
 安国論には、涅槃経の次の文が引かれている。
 「法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり
 仏敵を目にしながら、破折の声をあげない。戦うべき時に戦わない。その人に真の幸福はない。
 戸田先生は、卑しい保身の心根を、鋭く見抜かれた。増上慢の幹部は、烈火のごとく叱られた。
 あの厳しさありて、学会は大前進してきたのである。
 安国論は、こう締めくくられている。
 「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ
 安穏の世界のために、邪悪と戦え! 言論で戦え!――これが仏法である。御書の教えである。折伏精神こそ、日蓮仏法の魂である。
8  法華経に「悪口罵詈」(法華経四一八㌻)とある。
 末法において正法を弘める者は、無智の悪人等から必ず悪口され、罵られる。悪口罵詈がないのは、真の仏法者とはいえない。
 この根幹を忘れないでいただきたい。とくに後継の青年部は「戦う魂」を五体に刻みつけた精鋭でなければならない。
 仏法は勝負だ。戦う以上は、断じて勝利をつかむことである。自分が行くところ、行くところで、「勝利! 勝利! 勝利!」の大旋風を巻き起こしていただきたい。
 「本当に立派だ」と同志からたたえられる人に!
 そして、日本と世界の歴史に、広宣流布の歴史に、誉れの名を残していただきたい。
 (群馬多宝研修道場)

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