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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(8) 歴史を創れ わが人生の金字塔を築け!

2004.8.2 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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2  信仰とは仏と魔との戦い
 学会の根本は、日蓮大聖人の御書である。きょうは最初に、いくつか御書を拝したい。
 「光日房御書」の一節にこうある。
 「法華経を信ずる人は用心を重ねて、法華経の敵を、警戒していきなさい」(931㌻、通解)と。
 信仰とは、仏と魔との戦いである。善と悪との争いである。ゆえに、ちょっとでも油断すれば、すぐに魔に付け入られる。邪悪な考えに毒されてしまう。だからこそ、戸田先生はつねに幹部に「断じて魔を寄せ付けるな、信心の利剣で断ち切っていけ」と強く強く訴えられた。
 大聖人は、「敵を知らなければ、敵にだまされてしまう」(同㌻、通解)と仰せだ。
 大事なのは、魔を魔と見破る眼を持つことである。そのために、教学があり、信心があるのだ。
 大聖人の時代も、門下の人たちから尊敬されていた高弟たちが、仏法破壊の敵となり、同志を苦しめた。現代も、方程式は同じである。戸田先生は、遺言のごとく言われた。
 「敵は内部だぞ!」「師子身中の虫』が仏法を破るのだ!」
 そして、「増上慢の幹部や貪欲な宗門の坊主には注意しろ、いつか学会を裏切るぞ」と厳しく警告されたのである。
 その一言一句を私は胸に刻みつけてきた。今、すべてが、そのとおりになった。
 大恩ある学会を切った坊主や退転者たちが、いかに卑劣であり、非道であったか。皆さまが、よくご存じのとおりである。
 大聖人は、法難と戦う門下に仰せである。(「兵衛志殿御返事」)
 「これから後も、いかなることがあっても、少しも信心が弛んではならない。いよいよ強く(仏の敵を)責めていきなさい」(御書1090㌻、通解)
 仏法の敵とは、断じて戦いぬかねばならない。「いよいよ強く」との心で! そうでなければ、大切な広布の組織を厳護することはできないからだ。
 これまで私は、戸田先生の直系の弟子として、ありとあらゆる迫害の矢面に立ってきた。
 そして、一歩も退くことなく、戸田先生からお預かりした学会の組織を守りぬいてきた。
 わが同志が幸福で健康な人生を送っていけるよう、祈りに祈ってきた。
 それが私の最大の誉れである。最高幹部の皆さまゆえに、あえて申し上げておきたい。
3  敵をも感服させる痛快な歴史を
 続いて「持妙法華問答抄」の一節を拝したい。
 「受けがたい人間としての身を受け、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生をむなしく過ごしてよいものであろうか」(御書464㌻、通解)
 人間は、何のために生まれてきたのか? この人生の究極の問いに対する答えが凝結した一節である。
 私たちの使命――それは広宣流布である。世界平和である。人間革命である。
 私たちは皆、かけがえのない使命を持って、仏意仏勅の学会の一員となった。深い深い縁で結ばれた同志なのである。ゆえに仮にも、できあがった組織のなかで、何の挑戦もなく、何の苦闘もなく、要領よく生きるのであれば、あまりにむなしい。
 同じ一生ならば、命がけで働いて、わが人生の金字塔を築いていくべきだ。広宣流布の大闘争の歴史を敢然と残していくべきだ。
 「あの人のように生きたい!」と、同志の心に永遠に焼き付くような不滅の歴史を!
 「見上げたものだ。あっぱれだ!」と、敵すらも感服させるような痛快な歴史を!
 それが偉大なる創価の人生である。
4  「聖愚問答抄」には、法華経の文を引かれて、次のように仰せである。
 「大智慧の舎利弗も、法華経には、信によって入ることができたのである。その智慧の力によってではない。まして、その他の声聞はいうまでもない」(御書499㌻、通解)
 釈尊の多くの弟子たちのなかでも、「智慧第一」といわれた舎利弗。彼でさえ、「信」によって初めて法華経の妙理を会得したのである。
 「智慧の力」ではなく、「信心の力」で成仏したのである。
 学会は「信心」が根本である。信心の強い人――つまり、ひたぶるに唱題し、ひたむきに学会活動に励む人。その人が、いちばん偉い。それが学会の世界である。
 もしも、学歴とか社会的立場などが優先されるような学会になってしまったならば、もはや未来はない。それでは、信心の世界ではなくなってしまうからだ。その一点を強く申し上げておきたい。
5  戦後の混乱期、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げ、苦境にあったときのことである。若き私は、先生の会社を支えるため、孤軍奮闘していた。
 ある日、先生が言われた。
 「大作、君には申しわけないが、学校を断念してくれないか」「その代わり、ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな」
 そして、このころから毎日曜日、先生のご自宅におじゃましては、あらゆる学問を教えていただいたのである。時には食事まで、ご馳走になりながら。
 政治、経済、法律、漢文、化学、物理学――戸田先生の博識は、万般にわたっていた。
 その後、日曜だけでは時間が足りなくなり、数年間にわたり、会社の始業前の時間を講義にあててくださった。まさに全精魂をこめての授業であった。私も全身でお受けした。
 この″戸田大学″での薫陶ありて、今の私がある。
6  戸田先生「女子部を幸せにしてあげたい」
 戸田先生は、女子部に対して、折々に慈愛あふれるご指導をされた。その一端は、小説『人間革命』にもつづらせていただいた。
 戸田先生は、一九四六年(昭和二十一年)の九月、戦後初めての地方折伏の折、栃木の山村で、けなげに戦う女子部の姉妹に、こう指導されている。(第二巻「幾山河」)
 「(結婚は)焦っちゃいかん。幸福は、遠くにあるのでは決してない」
 「ちゃんと信心してごらん。欺されたと思ってもいいから、立派な信心を貫いてごらん」
 「貴女に一番ふさわしい立派な人に、必ずめぐり逢える。どういう順序でそうなるか、それはわからん。が、きっとそうなる。場所ではないよ。信心だ。さもなかったら、御本尊様は、うそだよ」
 「心配することなんか、少しもない。信心で、自分の宿命を大きく開いていくんだ。私がじっと見ていてあげる。けっして焦ってはなりませんぞ」
 「元気になるんだよ。卑屈になってはいかん」と。
 「女子部員は全員が幸福に」――これが戸田先生の願いであった。
 当然ながら、結婚だけが幸福ではない。信心を貫く人生こそ無上の福徳に包まれるのである。
 先生は女子部の会合で言われた。
 「私はみんなを幸せにしてあげたいと思う。そして五年、十年たった後、『先生、私はこんなに幸せになりました』と報告にきてほしいのです」
 「女子部の皆さんには、尊き婦人部という多くの見本があります。ただ題目を唱え、御本尊を信じて、幸福に華やかに生きている見本であります。だから貴女方も妙法を信じて、幸せになっていきなさい」
 今、女子部が非常に伸びている。リーダーが、しっかりした「核」となって、模範を示し、そのあとを後輩が続いている。若き使命の人材の流れが、できつつある。戸田先生も、どれほど喜んでくださっていることか。
 大切な青春時代を、断じて勝ち抜いて、永遠に崩れぬ幸福の土台を築いていっていただきたい。
7  虚栄を捨て去れ
 絢爛たるルネサンスが花開いたイタリア。ヨーロッパ最古の学府ボローニャ大学で、私は万能の巨人レオナルド・ダ・ヴインチと人類の議会・国連をめぐって講演した。(一九九四年六月。本全集第2巻収録)
 ダ・ヴインチの手記にこんな言葉があった。
 「善いことの記憶も、忘恩のもとでは、脆い」(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』上、杉浦明平訳、岩波文庫)
 イギリスの詩人ミルトンにも、「忘恩」は「最大の罪」と述べた文があった。(『イングランド国民のための第一弁護論および第二弁護論』新井明・野呂有子訳、聖学院大学出版会)
 「恩を報ずる」のが、人間の道であり、仏法者の生き方である。
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは語っている。
 「智慧あるひとが最も幸福なひとである」(『ニコマス倫理学』、『アリストテレス全集』13、加藤信朗訳、岩波書店)
 彼は喝破した。
 「虚栄のひとは愚鈍であって、自分を知らないひと」(同前)
 二千年以上も前の言葉だが、現代にも、そういう人間がいる。見栄っ張りの人間は、自分のことをよく知らない。しかし、内実がともなわないことは、周りが皆、知っているものだ。
 幹部の皆さんが話をする場合も、「自分をよく見せよう」とか「うまく話をしよう」などと思ってはいけない。思う必要もない。大事なのは、「うまく話す」ことではなく、仏法の指導をすることである。
 快活に、誠実に、ありのままの自分でいい。真実を語る。体験を語る。御書を語る。確信を語る。そこに人間的魅力が光っていく。
 「もつと、もつと話を聞きたい」と言われるような名指導を、どうかよろしくお願いしたい。
8  理想に生きる人生こそ幸福
 真実の言葉は、時代を変える。私の胸にはフランスの詩人ユゴーの勇姿が浮かぶ。
 剛毅なるユゴー。民衆愛のユゴー。彼はイタリアの革命家マッツィーニに一文を送り、統一前夜のイタリアの民衆に呼びかけた。
 「兄弟よ」「諸君の高遠偉大なる理想を想起するがいい。理想に忠実なれ。其処に自由があり、其処に幸福がある」(『追放』、『ユーゴー全集』9、神津道一訳、ユーゴー全集刊行会)
 いい言葉である。皆さんも、よき同志のつながりを大切にしてほしい。苦難に心がくじけそうな友がいれば、力強く励ましてもらいたい。
 理想を思い出せ! 広宣流布すると言ったではないか! 誓ったではないか! 叫んだではないか!――と。
 理想に向けて実践するなかにこそ、本当の自由があり、幸福がある。
 ユゴーは断言する。
 「物質上の成功は精神上の幸福では無い」(同前)
 たとえ名声やお金があっても、不幸を感じている人が、いかに多いか。
 真の幸福は、強き心にある。使命を果たしぬく大闘争のなかにある。
 戸田先生は厳然と語っておられた。
 「広宣流布の功績は長く、人生は短い。
 短いみずからの運命にあって、永遠に残りゆく壮大な歴史を、因果の理法という歴史を、勇み喜んで、戦いつづっていけるような自分自身であれ!」
 「数知れぬ、悪意の波、また中傷の波があれども、断じて屈するな!」
 使命ある皆さまは、広宣流布の黄金の歴史に、名を刻む一人一人であっていただきたい。戦いきった功徳の宝冠の輝きが、子孫末代までも包みゆくことは、絶対に間違いない。
9  フランスの女性思想家シモーヌ・ヴェイュは、宗教という宝を、青年に、また民衆に贈るべきだと訴えた(「根をもつこと」山崎庸一郎訳、『シモーヌ・ヴェーユ著作集』5所収、春秋社。参照)
 私たちは、「人間のための宗教」である日蓮大聖人の仏法の普遍性を証明しながら、いよいよ本格的に、平和・文化・教育の運動を世界に広げてまいりたい。
 皆さんは、一人一人が「広宣流布の大将軍」である。平和のため、全人類の幸福のための闘争へ、大軍勢を率いて、この一生を終えていくのだ。
 「勝ち戦、万歳! 創価学会、万歳!」と叫びながら、尊き一生を勝ち飾っていくのである。
 日蓮大聖人は「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せである。
 大聖人と「同意」で、「われ、地涌の菩薩なり」との大確信を胸に、広宣流布の人生を生きて生きぬいていただきたい。
 どうか、ど冗気で!
 偉大なる広宣流布の指揮を、よろしくお願いします!
 (長野研修道場)

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