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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(7) 心を結べ! すばらしき出会いで

2004.8.1 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

前後
2  アメリカSGIの理事長から連絡が入った。
 ルイジアナ州のニューオーリンズ市に、SGIの新しい会館がオープンした(七月三十一日)。それを記念し、市から顕彰が贈られた。それは、私とニューオーリンズSGIを、文化と教育を通しての″世界平和の推進団体″とする宣言書であったということである。
 これも、国境や民族を超え、平和・文化・教育運動を進めるSGlに対する信頼の証である。私は同志の皆さまとともに、この栄誉を分かちあいたい。
 (=ニューオーリンズ市では、二〇〇四年三月、名誉会長夫妻の訪問三十周年を記念して、「ダイサク&カネコ・イケダ友情の森」が開設され、市民の憩いと交流の場として親しまれている。ここには、牧口初代会長、戸田第二代会長、池田名誉会長を顕彰するオーク〈樫〉の本が植樹されている)
 平和研究機関「ボストン二十一世紀センター」の代表からも報告が届いている。
 センターが出版する研究書は、ハーバード大学やコロンビア大学など全米の主要大学の講座で教材になってきた。その講座の数は、累計で二百を超えたという。
 (=名誉会長はボストン二十一世紀センターの創立者として、研究書に序文や論文を寄稿している)
 名門のスタンフォード大学でも教材となった。
 同大学のマクレナン宗教生活部長は、創価学会が軍部権力や宗教権力の弾圧を乗り越え、世界平和のための国際的な組織へと発展してきたことに対して、「こうした歴史が開かれたのは、創価学会の絶え間なき変革の賜でありましよう。他の宗教もまた、創価学会の模範にならって、それぞれの殻を破って広き世界へと打って出ていくべきです」と語っておられたそうである。
 (=マクレナン部長は、創価学会の歴史を知れば知るほど、池田SGI会長の業績の偉大さがより鮮明になる、会長の指導力に深い共感を覚えると述べている)
 一流の知性は正視眼で見る。開かれた、広々とした心を持っている。正しいものを評価し、たたえてこそ、その社会に洋々たる未来が開ける。偉大なものに嫉妬し、善人をおとしめる社会は、いつしか衰亡していく。
3  友好の「金の橋」を断じて永遠に
 私は世界に「橋」を懸けてきた。民族や体制の違いを超えて、民衆の「心と心を結ぶ橋」を。
 なかでも、日本と中国の友好は、私の信念であり、悲願であった。
 今から三十年前、中国の周恩来総理は私に言われた。
 「平和友好条約の早期締結を希望します!」
 それは一九七四年十二月五日。厳寒の北京の病院でのことであった。
 鄧小平とうしょいうへい副首相との三度目の語らいとなったのが、翌年の四月十六日である。
 当時、日中の平和友好条約は、「覇権問題」で暗礁に乗り上げていた。その打開へ、真剣に語りあった。私の立場で全力を尽くしたつもりである。
 (両国が七二年九月に調印した「日中共同声明」には、″日中両国は覇権主義に反対する″との項目が、盛り込まれていた。これが「反覇権条項」と呼ばれるもので、日中両国は「アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」と、うたっている。しかし、この「反覇権条項」をめぐり、日中両国に意見の隔たりがあり、条約の締結を困難にしていた)
 幾多の試練を越え、条約が締結されたのは、七八年の八月であった。周総理は、すでに逝去されていた。その遺志を継いだ鄧小平とうしょうへい氏の存在なくしては、なしえない壮挙であった。
 本年は鄧小平氏の生誕百周年である。(八月二十二日が誕生日)
 今、旭日の発展を続ける中国。氏が心から喜んでおられる姿が、私の胸には浮かんでくる。
 日中友好の「金の橋」を、私どもは、いやまして堅固に、永遠のものにしていきたい。
 (「人民日報」のインターネットのホームページが、鄧小平氏の生誕百周年を特集。「鄧小平同志と中日平和友好条約」と題する張香山ちょうこうざん氏〈中日友好協会顧間〉の一文が紹介され、次のように記されている。
 「鄧小平同志は一九七五年四月十六日、日本の創価学会の池田大作会長と会見した」「その際、鄧小平同志は、『反覇権条項』を平和条約に入れることは、歴史に鑑みて、日本とアジア太平洋地域諸国との関係改善に有益であり、必要であると訴えた」
 「鄧小平同志は、三木首相への伝言を池田会長に託した。それは″首相の勇気と決断を期待します。『共同声明』の原則を堅持することが、中日両国の人民にとって有益です″との内容であった」
 〈=なお、名誉会長の日中友好への尽力、世界平和への貢献等に対して中国の学術界が強い関心を寄せ、二〇〇六年十月現在、北京大学「池田大作研究会」、湖南こなん師範大学「池田大作研究所」、安徽あんき大学「池田大作研究会」、広東カントン肇慶ちょうけい学院「池田大作研究所」、上海杉達サンダ学院「池田大作教育思想研究センター」、中山ちゅうざん大学「池田大作とアジア教育研究センター」、華中かちゅう師範大学「池田大作研究所」、遼寧りょうねい師範大学「池田大作平和文化研究所」、北京連合大学旅游りょゆう学院「池田大作時習会」、湖南大学「池田大作研究センター」、武漢大学「池田大作研究所」、広西師範大学「池田大作教育思想研究所」が発足している〉)
4  ここで、中国の大文豪・魯迅先生の言葉を紹介したい。
 魯迅先生は、どこまでも民衆の味方であった。ゆえに先生は、民衆をいじめる邪悪な人間を容赦なく責めぬいた。あるとき、無責任な評論家たちが、弱い立場の人を誹謗する記事を書いた。魯迅先生は烈火のごとく怒り、反撃の一文をつづったのである。
 「もし暗黒の主力に対しては、一言も発せず、一矢も放たず、それでいて『弱者』に向かってはあれこれ文句をつけるのだとすれば、いかに正義面をしていようとも、私は言わざるを得ない――ほんとうにもう我慢できない――彼は実は殺人者に力を貸す者にほかならない、と」(「秦理斎夫人事件について」丸山昇訳、『魯迅全集』7所収、学習研究社。原文は、引用部分すべてに傍点)
 暗黒の主力、つまり社会の暗黒を生みだす根源の問題には、何も言わないのに、弱い人間に対しては、あれこれ文句をつけ、それで自分が、あたかも正義であるかのように偉ぶっている。そんな人間は「言論」にたずさわる資格などあるものか! 悪人に手を貸す者であり、共犯者と同じではないか!――こう魯迅先生は叫んだのであった。
 創価の父である牧口先生は指導された。
 「言わなければならないことを言えないような臆病の者は、大聖人の弟子にはなれない」と。
 この邪悪を許さぬ闘争精神こそ、学会精神でなければならない。
 魯迅先生は、こうも述べている。
 「少しばかり勝利を得ると、凱歌の中に酔いしれ、緊張を失い、進撃を忘れる。そこで敵はまた、隙に乗じて立ち上がるのである」(「滬寧奪回祝賀のかなた」須藤洋一訳、同全集10所収)
 敵を忘れるな!――ここに常勝の方程式がある。いかなる組織も、最高幹部に油断や慢心があれば、魔のつけ入る隙を与えてしまう。
 勝った時こそ、次の勝利の因をつくるのだ。「勝利の喜び」を「追撃の勢い」に変えていくことだ。
5  「真実は人間を結合させる力」
 さらに、古今の英知に学びたい。ドイツの哲学者カントは述べている。
 「我々は自分の力を試めすことによってのみ、初めて自分の力というものを知るようになる」(『判断力批判』上、篠田英雄訳、岩波文庫)
 初めから、しりごみしていたら、何ひとつ、成し遂げることはできない。大胆に、勇敢に、自分の力を試すのだ。試す舞台は、いっぱいある。
 何度もお会いし、語らいを重ねた、ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵はつづっている。
 「真実は人間を一つに結び、結合させる力を持っている。真実は錯誤と虚偽が人間同士の間に設けた柵を破壊する」(『倫理と超倫理』、『クーデンホーフ・カレルギー全集』3〈鹿島守之助〉所収、鹿島研究所出版会)
 そのとおりである。真実に勝る力はない。真実の前では、いかなるウソも一瞬にして消え去る。
 正義と真実のスクラムを、いよいよ強めてまいりたい。
6  戸田先生は、厳粛な場で、青年が居眠りなどをしていると厳しかった。
 「寝るなら墓場で寝なさい。あっという間に終わる人生ではないか。何をしているんだ!」と。
 また古代ギリシャの哲学者プラトンは、「睡眠を取りすぎることは、わたしたちの身体にも魂にも、またこれらすべての公私の活動にも、ほんらい調和しないのです」(『法律』下、森進一・池田美恵・加来彰俊訳、岩波文庫)とつづっている。
 限りある人生である。一日たりとも、一瞬たりとも、ムダにしては損である。もちろん、睡眠は大事である。規則正しい生活と睡眠は、健康の基本である。偉大な目的に向かって、生き生きと、聡明に、価値創造の日々を送っていきたい。
7  「恩知らずになるな!」とは、戸田先生の遺言の一つであった。
 イギリスの劇作家シェークスピアは、劇中の人物に、次のように語らせている。
 「恩知らずってやつは恐ろしい化け物だ」(「コリオレーナス」、『シェクスピア全集』3〈小田島雄志訳〉所収、白水社)
 恩知らずほど恐ろしいものはない。世間においても、仏法においても。
 虚栄におばれた人間ほどみじめなものもない。これまでも、学会の力で偉くなりながら、恩を忘れ、虚栄におばれ、信心を失い、哀れな末路をたどっていった人間がいたのは、ご存じのとおりだ。
 さらに戸田先生は指導された。
 「所詮、現代の政治も、魔の問題に帰結する。魔は、政治を支配するもの、政治家の内にこそ潜んでいる。
 すべての人間は、十界を有しているとする仏法の真理を仰ぐとき、魔の正体は初めて明らかになる。政治権力の魔性も、人間生命の実在の姿に焦点を合わせたとき、初めて知ることができる」
 権力の魔性も、人間生命に巣食う。ゆえに、より根本的には、政治を変えるには「人間を変革する」しかないのである。
8  愛する同志を守りぬく!
 イギリスの詩人ジェームズ・トムソンは詠んだ。
 「悪の野獣にここぞと付け込ませ、/然るべき懲罰を免れると思わせてはならぬ。/『正義』は厳しく、安易に容赦しない」(「無為城」、『ジェームス・トムソン詩集』〈林瑛二訳〉所収、慶應義塾大学出版会)
 正義は悪を安易に容赦しない――よくよく胸に刻んでいきたい言葉である。
 フイリピン独立の英雄ホセ・リサール博士の言葉にこうある。
 「我々に与えられてきた数々の侮辱に対し、あくまでも戦うつもりです」(カルロス・キリノ『暁よ紅に』駐文館訳・発行)
 広布を破壊し、学会を破壊する仏敵とは、あくまでも戦う。愛する同志を断じて守りぬく――それが牧口先生、戸田先生の精神であったし、私の精神である。
 ここに創価の三代の魂があることを知っていただきたい。
 (長野研修道場)

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