Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

全国最高協議会(6) 勝つことが正義! 勝つことが幸福!

2004.7.31 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

前後
1  創価の母は「世界の宝」
 婦人部の象徴である白ゆりは、戸田先生がお好きな花であった。路傍に凛として咲く、白ゆり。清楚で、気品高く、美しい。まさに、学会婦人部にふさわしい花である。
 かの伝教大師は、「国の宝とは何であるか」と問うた。そして、正しい仏法を求め、勇敢に実践する人こそが「国の宝」であると結論したのである。(伝教大師は「山家学生式」の中で「道心〈真実の道を求める心〉ある人を名づけて国宝となす」〔『伝教大師全集1』〕と記している)
 広宣流布にけなげに戦いぬかれる学会婦人部の皆さま方こそ、最高に尊貴な「国の宝」であり、「世界の宝」である。
 尊き婦人部の皆さま、来る日も来る日も、ご苦労さまです。本当にありがとう。
 女子部も、一人一人が見事に成長している。力のあるすばらしい人材が育ってきた。
 広宣流布の道は、人生の幸福を開く道である。皆さんは、この道を、まっすぐに走りぬいていただきたい。どこまでも、学会とともに生きぬいていただきたい。
 そこにこそ、最高の青春の躍動があり、輝きがあり、勝利がある。
2  古代ギリシャの哲学者アリストテレスは言った。
 「生れの良いひとや権勢のあるひとや富裕なひとは名誉をうけるに値するとみなされている」「だが、本当は、善いひとだけが名誉をうけるに値するのである」(『ニコマコス倫理学』、『アリストテレス全集』13、加藤信朗訳、岩波書店)
 名誉に値するのは、生まれでも、権勢でも、財産でもない。善の人にこそ最高の名誉を与えよ。これがギリシャの哲人の叫びであった。
 明年は、学会創立七十五周年である。それを記念して、長年にわたり、広布に尽力してくださった全国の誉れの同志の皆さま方を、最大に顕彰させていただきたいと考えている。
 尊き使命に生きるわが学会員こそ、最高の名誉を贈られるべき人であるからだ。
 さらに、イギリスの詩人ミルトンは叫んだ。
 「しばしば〔爵位もなにもない〕平民のなかに、貴族たちよりもはるかに多く、徹(ウイルトゥス)と知恵にあふれた人物がいるものであります」(『イングランド国民のための第一弁護論および第二弁護論』新井明・野呂有子訳、聖学院大学出版会)
 そのとおりだ。民衆こそ偉大である。民衆こそ尊貴である。なかんずく、無限の徳と知恵を持った最強の民衆の連帯こそ、わが創価学会なのである。
3  善の可能性を開花させる戦い
 恩師戸田先生は烈々たる気迫で青年に語られた。
 「勝つことが正義である。ゆえに正義は、絶対に負けてはならない」と。
 妙法は、究極の正義の力である。不滅の勝利の原動力である。道理の上で正義であることを、現実に打ち立てることだ。
 ゆえに、この仏法を持ったわれわれは、断じて勝たねばならない。勝たなければ、正義ではない。負ければ、正義ではない。
 フランスの文豪ユゴーは叫んだ。
 「幸福の戦、偉大の戦、正義の戦、美の戦、真理の戦、悪を排し理想を求める善の戦の他には、戦なるものはあるまい」(『追放』、『ユーゴー全集』9、神津道一訳、ユーゴー全集刊行会)
 人生は戦いである。生きることは、あらゆる現実との戦いである。そのなかにあって、私たちは、最極の「使命の闘争」をしている。それが「広宣流布」である。
 広布とは、全人類を平和と幸福に導いていく戦いである。
 世界を人間主義の哲学の光で照らしていく戦いである。
 人間の善なる可能性を最大に開花させゆく戦いである。
 この崇高なる目的に向かって進む創価の同志は、断じて、負けてはいけない。断じて、勝たねばならない。
 「勝つ」なかに、希望がある。前進がある。幸福がある。未来がある。
 「仏法は勝負」である。ひとたび戦いを起こしたならば、最高の作戦で、最高の布陣で、最高の勝利を勝ち取っていく。それが学会精神である。
4  学会の役職は責任職
 学会の役職は、責任職である。自分が置かれた立場で全力を尽くし、使命をまっとうする。脇目もふらず、愚直なまでに、まっすぐに、自分の決めた道を進む。
 それでこそ、ありのままの自分の良さが光ってくる。「自体顕照」の光が輝きを放つのである。
 いい格好をしたい。皆にほめられたい。それではまだ本物のリーダーとはいえない。自分のための行動になってしまう。
 あくまでも、広宣流布が根本である。同志の信心の成長が目的である。そのためのリーダーである。
5  日本の軍国主義と戦いぬき、約二年間の獄中生活を耐えられた戸田先生が、しみじみと述懐されたことがあった。
 「牢獄に入れられたとき、『いつ帰れるか』『いつ出られるか』――こう思うと、本当につらかった。だが『一生、俺は、ここに入っているんだ』と決めてしまえば、案外、楽なものだった」と。
 微妙な「一念」の差である。それで、すべてが決まってしまう。
 どんなに環境が悪くても、困難な状況であったとしても、「ここで、わが使命を果たしきっていこう!」と腹を決めた人は強い。
 徹して、強気でいくことだ。攻めの命で進んでいくことだ。それが、「限りない前進」を教えた信心の極意である。
6  御聖訓には「魔競はずは正法と知るべからず」と仰せである。
 牧口先生は言われた。
 「さらば従来の日蓮正宗の信者のなかに『だれか三障四魔競える人あるや』と問わねばなるまい」(昭和十七年の総会)
 宗門は、だれ一人、三障四魔と戦っていない。それでは正法といえないではないか!――こう叫ばれたのである。
 昭和十八年の六月二十七日。宗門は、牧口先生、戸田先生を呼びつけ、法主の立ち会いのもと、学会に「神札」を受けるよう申し渡した。弾圧を恐れ、謗法を強要した。牧口先生は断固として拒否し、退席された。
 翌日も、牧口先生は法主と会い、国家諫暁に立ち上がるよう、強く訴えた。その八日後、特高警察に逮捕されたのである。
 牧口先生は、戸田先生に憤然と語られた。
 「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諫暁の時ではないか。なにを恐れているのか知らん」
 臆病な宗門は、保身のために、宗祖の精神を踏みにじり、捨て去った。
 学会だけが、三障四魔、三類の強敵と戦った。迫害に耐え、一切を勝ち越えた。
 平和のため、民衆のために、難を恐れず、正義を叫びきる「勇気」。これを断じて失ってはならない。
7  ドゴール「偉大なことは情熱なくしてはできない」
 今の青年部の皆さんは、フランスのドゴール大統領(一八九〇年〜一九七〇年)をご存じだろうか。
 私との対談でキッシンジャー博士(元米国務長官)は、「彼(=ドゴール)と同じ部屋にいると、彼が動くたびに重力の中心がそちらのほうに移動するように感じました」(『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』。本全集102巻収録)と述懐していた。それほど存在感のある大政治家であり、フランスの「救国の英雄」であった。
 第二次大戦中のこと。ドゴールは、イギリスのオックスフォード大学で演説した。
 若き学生たちに「思想が世界を導く」(『ド・ゴール大戦回顧録』2〈新装版〉、村上光彦・山崎庸一郎訳、みすうず書房)と語りかけた。
 武力でもない。
 財力でもない。
 世界を導くのは思想である。
 人間は思想によって生きる。
 われらには、人間主義の大仏法がある。信心があり、題目があり、御書がある。
 だから強い。胸を張って進みたい。
 「われわれの団結は完全であり、なにごとが起ころうと亀裂を生ずるものではない」(前掲『ド・ゴール大戦回顧録』4)
 これがドゴールの毅然たる方針であった。
 団結こそ勝利である。派閥など断じてつくるな。これが戸田先生の遺訓であった。
 ヨーロッパに吹き荒れたフアシズムの嵐と戦いぬいたドゴール。彼は確信していた。
 「勝利に到達するために努力を倍加せねばならぬ」(同前)
 「偉大なことは情熱なくしてはなされない」(前掲『ド・ゴール大戦回顧録』5)
 パリが陥落し、フランス政府がナテスに降伏しても、ドゴールは決して屈しなかった。「私がフランスだ。私は戦いをつづける」(G・ボヌール『ド・ゴール』宗左近訳、角川文庫)と、イギリスに渡った。亡命政権を樹立し、祖国の解放のために戦い続けた。
 燃えるがごとき情熱! それだけが心に届く。心に勇気の火をともす。
 われらも、大情熱を胸に生きぬきたい。日々の唱題こそ「情熱の極致」であるからだ。
8  フランスの女性作家スタール夫人は述べている。
 「宗教は人民に必要であるとしばしばいわれている。そしてわたしは、地位の高い者にはなお一層宗教が必要であることをたやすく証明することができると信じている」(『フランス革命文明論』2、井伊玄太郎訳、雄松堂出版)
 地位の高い者にこそ、宗教が必要だ。個人よりも国家にこそ、道徳が必要だ――そう彼女は言うのである。さすがにフランスの知性の言は鋭い。深い精神性をもたない指導者に導かれた民衆は不幸であるからだ。
 ドゴールが、「最後の勝利の日まで戦う」と宣言したごとく、われらもまたわれらの道を、荘厳なる広宣流布の大道を、ともに勇敢に進もうではないか!
 (長野研修道場)

1
1