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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(4) 広宣流布は慈悲の闘争

2004.7.29 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  学会は永遠に「破邪顕正」で進め
 日蓮大聖人の仏法の目的は、全人類の幸福である。そのための折伏であり、弘教である。苦しむ人を救っていく慈悲の闘争である。折伏の修行を離れて、大聖人の仏法の「信心の血脈」はあり得ない。
 「折伏精神」が学会の根本である。
 大聖人ご自身、「法華折伏・破権門理」の金言を高らかに掲げ、敢然と折伏に行じられた。その御生涯を通じて、一切の邪法・邪義を責めぬいていかれたのである。
 折伏精神を忘れた指導者は、もはや大聖人の門下ではない。それでは、信心の功徳も出ない。
 「仏法は体のごとし世間はかげのごとし」である。
 仏法が「体」である。社会は「影」である。
 無理に相手に合わせたり、周りとうまくやっていこうとするあまり、根本の精神を手放すようなことがあれば、本末転倒であることを知らねばならない。
 時代も社会も、変化の連続である。学会活動の形態も、さまざまに変化していくのは当然であろう。しかし、何があろうとも、だれに対しても、悪を悪と言いきり、わが正義を叫びきっていく。
 この破邪顕正の魂は、断じて失ってはならない。
2  末法において、妙法を弘める者は、必ず難にあう。法華経に明快に書いてある。
 「悪口罵詈」(悪口を言われ、ののしられる〈法華経四一八ページ〉)である。
 「猶多怨嫉」(釈尊の在世よりも、より多くの怨嫉をうける〈法華経三六三ページ〉)である。
 大聖人は、繰り返し、これらの言葉を引かれている。そして難を受けないのは、法華経の行者ではないのだ、ニセの行者なのだと教えてくださっている。
 (御書には「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可し」、「大難なくば法華経の行者にはあらじ」等と記されている)
 現代において、仏法ゆえに、非難され、中傷され、迫害されているのは創価学会しかない。折伏精神のかけらもない日顕宗には、広宣流布ゆえの難など一つもないのである。
 「創価学会は宗教界の王者である!」――これが戸田先生の大師子吼であった。次代の青年への遺言であった。
 私たちは、折伏・弘教の誉れの大道を威風も堂々と進んでまいりたい。
 思想の王者らしく! 平和の王者らしく! 人間の王者らしく!
3  聖教の拡大は、人間主義の拡大
 「日本中、世界中の人々に『聖教新聞』を読ませたい」――戸田先生はこう願っておられた。
 大聖人は、厳然と仰せである。
 「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」「若し文字を離れば何を以てか仏事とせん」と。
 「聖教新聞」は、人間主義の機関紙である。「広宣流布の文字」をつづった新聞である。
 「聖教の拡大」は、すなわち、「広宣流布の拡大」である。折伏に通じる尊い「仏の仕事」なのである。
 ゆえに、やった分だけ、自分が得をする。自分自身の広布の地図が広がる。何より、爽快な気持ちになる。それは、だれよりも、皆さんが、よくご存じであろう。
 さらにいちだんと、最高幹部が率先して取り組み、自分が動いた体験を、拡大した喜びを、友に語り広げていきたい。そして、「皆さんも頑張ってください」「お題目を送っています」「何でも応援しますから」等とさわやかに、礼儀正しくお願いしていくのである。
 リーダーは「真剣さ」が宝である。「誠実さ」が命である。リーダーの一念が、振る舞いが、組織を大きく前進させていく。この一点を皆で確認しあいたい。
4  晩年の数年間で幸不幸は決まる
 さらに、戸田先生が、よく言われていたのは、「人生は最後が大事だ」ということである。
 「人生の幸不幸は、途中では決まらない。死ぬ前の数年間で決まる。本当の幸福境涯は、晩年の数年間に開かれる」と。
 まさに、戸田先生の人生が、そうであった。
 途中が、いくら良くても、最後が苦しみばかりであれば、人生は不幸である。敗北である。反対に、最後が幸福であれば、あらゆる労苦は良き思い出に変わる。ゆえに、それまでは、うんと苦労しろ、もがき苦しんでいけ、死身弘法じゃないか!――こう戸田先生は、青年に厳しく指導されたのである。
 今、社会のあらゆる分野で、学会の青年たちが、たくましく成長している。
 経済界、教育界をはじめ、芸能界やスポーツ界で活躍するメンバーなど、多くの才能豊かな友から、さまざまな報告もいただいている。私は、本当に、うれしい。若き青年たちが努力の汗を光らせながら、伸び伸びと成長してくれることが、私の最大の喜びである。
 「新しい時代」をつくりゆく「新しい人材」の陣列は、着実にできあがっている。そのことを皆さんに伝えさせていただく。
5  青春時代に一生の幸福の土台を
 きょうは婦人部、女子部の多くの女性リーダーが参加されている。皆さまの健闘を心からたたえ、フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイュについて少々ふれたい。皆さまもまた平和の女性哲学者であるからだ。
 真の仏法は世界に開かれている。「壁」や「境界」を取り払い、あらゆる英知をいかすのが、価値創造の生き方である。
 ヴェイユは一九〇九年、医師の娘としてパリに生まれた。十六歳で、名門の高等中学校であるアンリ四世校に入学する。(以下、シモーヌ・ベトルマン『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ』1、杉山毅訳、勁草書房から引用・参照)
 ″哲学者アランの教えを受けたい!″――これが彼女の希望であった。
 アランは、生徒に、優れた書物を徹底して読ませた。よく思索するように、できるだけ多くの文章を書かせた。ヴェイユは、猛烈に学び、書きに書いた。だれよりも果敢に師匠にぶつかっていった。師は、弟子の急速な成長を心から喜びながら、薫陶を続けた。
 青春の鍛錬は、一生の幸福の土台である。
 師アランの哲学との出あい――それが彼女の出発点となった。
6  ヴェイユは、高等師範学校を卒業後、二十二歳で国立女子高等中学校の哲学教師に就任する。生徒のために、骨身を惜しまなかった。高度な内容にもかかわらず、生徒がよく理解していることに、訪れた視学官は目を見張った。
 彼女は、勉学の進んでいない生徒にも配慮を忘れず、無償の個人教授を申し出た。じつは、彼女は身体が強くなかった。いつも、ひどい頭痛に苦しんでいた。だが、自分の使命と責務を放棄することを、自分に許さなかった。
 生徒たちは、尊敬をこめて語っている。
 「(ヴェイユ)先生は自分の平穏な生活や個人的な利害よりも、わたしたちを優先させるまでに至りました」
7  苦しむ人の側に立ったシモーヌ・ヴェイユ
 苦しむ人々の側に立ちたい――これがヴェイユの願いだった。その願いのままに彼女は生きた。
 彼女はみずからの弱い体を顧みることなく、農民や漁師たちのなかに入って働いた。自分は教師を務めながら、劣悪な環境で働く多くの庶民の苦しみから目をそらさなかった。自分の時間を割いて、庶民のために、思想や学問を、親身になって教えもした。
 ″彼女(ヴェイユ)がいてくれると、自分が高められる″――多くの庶民が彼女を敬愛した。
 さらにヴェイユは、学校を休職し、身分を隠したまま、工場労働にも従事した。
 「抑圧されている人々のための熱烈な闘士」と彼女は呼ばれた。
 世界の人々の苦しみを自分の苦しみとする「胸を痛める心」。この世の不正義と戦う勇気。それが彼女の五体に脈打っていた。
 ヴェイユが勤める学校の地元に、政治から見放された庶民がいた。その人々の声を、彼女は毅然と代弁した。それゆえ、一部のマスコミ等から陰険な非難・中傷が浴びせられた。
 しかし彼女は、屈するどころか、ますます言論で攻めぬき、貧しい庶民の待遇の改善を勝ち取ったのである。
 こうした彼女を、ある友人は、祖国の希望の星となった勇敢な「ジャンヌ・グルク」に、なぞらえている。
8  ヴェイユは、権力の魔性の本質を、鋭く見抜いていた。
 彼女は言う。権力というものは「精神的な価値をまったく殺してしまうものだ」(「ある決算のための考察」花輪完爾訳、『シモーヌ・ヴェーユ著作集』1所収、春秋社)
 そのとおりである。だからこそ民衆が権力を厳しく監視していかねばならない。
 彼女は、独裁権力との闘争に身を投じた。スペイン市民戦争が勃発するや、即座にスペインに入国し、ファシズムと戦う義勇軍に志願して従軍した。一九三六年のことである。
 第二次世界大戦では、ナテスと戦うレジスタンス運動に参加した。捕まれば、命の保障はない。
 けれども彼女は信念を曲げなかった。苦しみ、戦っている同胞がいるのに、何もせずにいるなどということは、彼女には耐えられなかったのである。
 苦しむ友、悩める友の話を聞くと、いてもたってもいられない。わが身を顧みず、駆けつける――そういう学会の婦人部、女子部の姿を、ほうふつさせる。
9  ヴェイユが亡くなったのは一九四三年。肺結核と栄養失調が原因といわれる。まだ三十四歳の若さであった。
 主な著作に『根をもつこと』『抑圧と自由』『重力と恩寵』などがある。著作の大半は死後に編纂された。彼女の思想と行動は、文学者をはじめ世界に大きな影響を与えた。
 彼女が生きた時代は、女性の社会進出への偏見が、いまだ根深い時代であった。そのなかで、彼女は、人間的な友愛と連帯に生きぬいた。
 彼女は言った。
 「真理は一つである。正義は一つである」(「政党の全面的廃止についての覚え書」山崎庸一郎訳、同著作集2所収)
 正義は一つであり、その旗のもとに民衆は集い来る。われらは世界平和の大道を、大確信をもって進みましょう!
 最後に青年部に、ヴェイユが教え子にあてた手紙の一節を贈りたい。
 「大切なのは、おのれの人生を損わないことです。そのためには、みずからをきたえなければなりません」(「あある女生徒への手紙」橋本一明訳、同著作集1所収)
 今こそ鍛えの時である。何ものにも負けない自分自身を築くのだ。
 どんな迫害も覚悟の上だ。来るなら来い―――この心意気が、草創以来の学会の魂である。
 一生涯、わが信念を貫く。師弟の道、同志の道を行く――これが最も偉大な人生である。
 あのヴェイユのごとく、ジャンヌ・ダルクのごとく、わが友よ生きぬけ―――と申し上げ、記念のスピーチとしたい。
 最高の幸福の人生を、ともに生きぬきましょう!
 (長野研修道場)

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