Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

全国最高協議会(1) 師弟こそ仏法の根幹

2004.7.26 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

前後
1  次の闘争へ次の勝利へ!
 伝統の全国最高協議会の開催、ご苦労さまです。
 この上半期、全国の同志の師子奮迅の大闘争によって、わが学会は、偉大なる広宣流布の歴史を刻むことができた。すべては、尊き学会員の皆さま方の誠実と忍耐と執念の行動のおかげである。
 心から深く深く感謝申し上げたい。
 また、きょうは、下半期へ向け、有意義に協議を重ねながら、語りあうほどに、心身ともに健康になっていくような、価値ある集いとしてまいりたい。
 私が尊敬する中国の周恩来総理は、革命の理想へ、戦い続けた生涯であられた。
 一つ戦うと、また次の闘争へ。
 一つ勝つと、また次の勝利へ。
 こうして、「きょうから明日へ」「今年から来年へ」と走り続けて一生を終えられた。これが本物の革命児である。
 学会は広宣流布の組織である。広宣流布に停滞は許されない。
 つねに前進! つねに成長!
 これが、妙法という、何があっても行き詰まらない「無限の活力の大法」を持った私たちの生き方なのである。
2  師弟の関係が人間をつくる
 近代インドの思想家にヴィヴェーカーナンダ(一八六三年〜一九〇二年)がいる。
 本年二月、私は、詩聖タゴールの精神を受け継ぐ「西ベンガル州立ラビンドラ・バラティ大学」から最高に誉れある名誉文学博士号を授与していただいた。その折、親しく懇談した同大学のムカジー副総長もまた、ヴイヴェーカーナンダの精神性に着目し、研究を続けておられた。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、ヴイヴェーカーナンダが、師匠である思想家ラーマクリシュナについて述べた言葉を伝記につづっている。
 「自分のいっさいは彼(=師匠ラーマクリシュナ)の賜であり、いかに微小な思想といえども自分の所有ではない、自分の思想はすべて彼からきている」(『インド研究』、『ロマン・ロラン全集』15、宮本正清訳、みすず書房)
 いかなる世界にあっても、師弟の関係が人間をつくるのである。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」――日蓮大聖人は、こうご断言されている。
 私の師匠は、戸田先生であった。偉大な先生であった。厳しい先生であった。
 「大作、今、何の本を読んでいる!」「その本の内容を言ってみろ!」――追及の矢は、次々に飛んできた。
 一方で、先生は、私を心から信頼し、かわいがってくださった。
 私の姿が少しでも見えないと、「大作は、どこに行ったのか」と心配され、いつもそばに置いて離さない。
 朝から晩まで一緒であった。そうやって、ご自身の持てる力のすべてを、私にそそぎ込んでくださったのである。
 私が大阪で不当逮捕されたときのことである。
 (=一九五七年〈昭和三十二年〉七月三日、名誉会長は、事実無根の選挙違反の容疑で逮捕された。二週間に及ぶ勾留の末、同月十七日、大阪拘置所を出所した)
 戸田先生は、弟子の私に代わって、牢に入ることも覚悟されていた。実際、先生は、私の勾留中、足元もおぼつかないほど憔悴した体を引きずって、大阪地検に抗議に行かれたのである。そして検事正に強く訴えられた。
 「なぜ、無実の弟子を、いつまでも牢獄に閉じ込めておくのか! 私の逮捕が狙いなら、今すぐ、私を逮捕しなさい」と。
 この気迫。あふれんばかりの弟子への慈愛。ありがたき師匠であった。
3  仏法の根幹は師弟である。そこに自身の限りない向上があり、無限の「正義の勝利」の大道が開かれる。
 若き日より病弱であり、医師からは、「三十歳まで生きられない」と言われた私である。限られた時間との戦いであった。青春に悔いを残したくはなかった。だからこそ、まっすぐに「師弟の道」を進んできた。愚直なまでに、師匠の言われたとおりに私は生きてきた。
 すべては御仏意である。何になりたいとか、どうしてほしいとか、そういう思いは微塵もなかった。
 「ただ戸田先生をお守りしたい」「戸田先生のために命を捧げよう」
 こう祈っていた。
 不世出の大師匠であられた戸田先生の「真実の弟子」の生き方を、後世に残せれば、それでよかったのである。
 師は命を削って弟子を育てた。弟子もまた命がけで師にお応えした。この生死を超えた師弟の闘争ありて、今の私がある。
 そしてまた、御本仏の仰せの「師弟不二」の実践があったからこそ、学会は世界的に発展したのである。この一点を、断じて、ないがしろにしてはならない。
 きょうは、後世のために、あえて皆さまに申し上げておきたい。
4  婦人部、女子部の意見を大切に
 青年部もよくやってくれた。なかんずく、女子部の健闘は見事であった。
 若々しい広布の乙女たちが、友のため、法のため、社会のために、生き生きと活動している。これほど尊く、美しい姿はない。
 学会活動のなかでこそ、人生の永遠の勝利の土台は、築かれゆくのである。
 私は、毎日毎日、女子部の皆さんの健康と幸福と無事故を心から祈り続けている。
5  尊き婦人部の皆さま、たいへんにご苦労さまでした。
 「創価の女性の世紀」の到来である。男性幹部は、婦人部、女子部が活動しやすいように、女性の意見に真剣に耳をかたむけ、その声を最大に尊重してほしい。いばる幹部は失格である。力がないから、いばるのである。権威や役職で命令するのである。
 打てば響くように、女子部、婦人部の要望に、すばやく対応していくことだ。その誠実な行動が、広宣流布を何倍も進めるのである。
 ともあれ、広宣流布に真面目に戦ってくださっている婦人部、女子部の皆さまを最大に大切にしたい。きょうは、それを全員で約束しあいたい。
6  先輩は後輩を自分以上の人材に
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは言う。
 「幸福であろうとするひとは優れた友を必要とする」(『ニコマコス倫理学』、『アリストテレス全集』13、加藤信朗訳、岩波書店)
 優れた友情、さらに、優れた先輩・後輩の関係は人生を豊かにする。
 先輩は、後輩を自分以上の人材に育てる――これが学会の伝統である。
 にもかかわらず、後輩の成長を妬んだり、後輩の努力の上にあぐらをかいたりする先輩がいるならば、とんでもないことだ。
 先輩は、後輩の成長を祈りぬき、喜んで後輩の犠牲になっていく。その大きな心に、後輩も励まされる。先輩の期待に応えよう、もっと成長しようと頑張るのである。ここから互いの信頼が生まれ、団結ができあがる。
 御聖訓には「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり」と仰せである。
 学会は、異体同心の信心で勝った。信心の団結で勝った。下半期もまた、いちだんと団結を固めあいながら、大聖人の御遺命である世界広布へ、心一つに進んでまいりたい。
7  善の破壊者とは断固たる闘争を
 世界の偉人の箴言をひもときながら、少々語っておきたい。
 ドイツの文豪ゲーテは言った。″
 「私が善を実現しようとするのを妨げる者があれば、私は確固たる態度をもって対処せねばならぬ」(関泰祐訳編『真実に生きる――ゲーテの言葉2』社会思想社)
 「戦い」である。平和という最高の善を実現する広宣流布。その破壊者とは断固、戦いぬく。この「闘争精神」こそが、学会精神である。
 「世の中には敵がいっぱいに居る」。ドイツの詩人シラーはつづった。
 「どこへ行っても/善良で罪を知らぬ人間を陥入れようとて、/悪巧みが密かに網を張っている」(『メッシーナの花嫁』相良守峯訳、岩波文庫)
 悪巧みの網また網――これが、現実の世界である。ゆえに、断じて正義が勝たねばならない。団結せねばならない。
 中国・北宋時代の大政治家・王安石おうあんせきの墓碑には、こう刻まれているという。
 「正義があっても、戦わなければ姦邪(=よこしま)を駆逐することはできない」(丹羽隼兵『宋名臣言行録』PHP研究所)と。
 まったくそのとおりだ。
 アメリカの思想家エマーソンの指摘も鋭い。
 「正義の莫大な力は、政治において忘れられがちであります」(「逃亡奴隷法について」、『エマソン選集』4〈原島善衛訳〉所収、日本教文社)
 権力者は民衆の力を利用しようと狙っている。民衆よ、だまされるな!
 民衆よ、結束して正義の力を世界に示せ――こうエマーソンは訴えたのである。
8  うるわしき和合の世界を守れ!
 学会は「師弟」の戦いで一切を乗り越え、勝ってきた。この根本の魂を、だれ人にも、絶対に破壊されてはならない。
 最も卑劣な破壊者は、内部から出る。釈尊の時代、大聖人の時代から、これは変わらぬ方程式であった。
 古代インドの大宰相カウティリヤは指摘した。
 「内部の謀反は、蛇のように危険である」(『実利論』下、上村勝彦訳、岩波文庫)と。
 古代ギリシャの大詩人ソフォクレスの戯曲の言葉は、示唆に富んでいる。
 「まことの友を捨てるのは/いちばん大切な自分の命を捨てるのと変わりない」(『オイディプース王』岡道男訳、『ギリシャ悲劇全集』3所収、岩波書店)
 師を裏切ることは、自分自身を裏切ることだ。学会を見くだし、同志を裏切った報いは、必ず自分自身に返っていく。
 同じく古代ギリシャの哲学者アリストテレスは″虚飾の人間を厳しく見抜け″と教えた。
 「偽りはそれ自身あしきもの、非難さるべきものである」「真実はうるわしきもの、賞讃さるべきものなのである」(『ニコマコス倫理学』上、高田三郎訳、岩波文庫)と。
 戦おう! 信心は戦いである。人生は戦いである。
 人間は、戦うから強くなる。幸福になる。何か価値をつくり、思い出をつくることだ。
 中国の文豪・魯迅が、「外からの刺激がないところから向上心も失せ」ると書いたとおりである。(『憤』松枝茂夫訳、『魯迅選集』5所収、岩波書店)
 なかんずく青年は、広布の一切を完璧に担い立ち、未来への新しき道を切り開いてもらいたい。そして、わが同志が、一人も残らず、すばらしき人生の総仕上げを飾っていただきたい。
 まずは最高幹部が模範となって、広宣流布の「大闘争心」を燃えあがらせ、この下半期、いよいよ盤石なる「創価二十一世紀」の構築へ、ともどもに出発していきたい。
 (長野研修道場)

1
1