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日蓮大聖人・池田大作

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第三十九回本部幹部会、第九回婦人部幹部… 勇気の中に勝利が! 闘争の中に大歓喜が!

2004.6.15 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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2  イギリスのバッキンガム宮殿に、アン王女を表敬したことも思い出深い。(一九八九年五月二十五日)
 世界の難民問題や教育問題などについて種々、語りあった。
 また、イギリスのチャールズ皇太子とも親しく会見した。(九四年六月八日)
 お二人とも、すばらしい人格と知性を兼ね備えた方であった。「人類の幸福のために」との信念を強く持っておられた。
 これまで、私は、どんな国の人とも、どんな立場の人とも、率直に何でも語りあってきた。大きく心を開いて、深い友情を結んできた。皆、同じ人間である。ゆえに、会って、話しあえば、必ずわかりあえる。必ず心を通わせることができる。
 それが、私の信念である。また、一切衆生の平等を説いた仏法の精神である。
3  広布に進む人は断じて幸福に!
 きょうは沖縄からも代表の皆さんが参加している。沖縄の同志は、偉大なる広宣流布の歴史を築いてくださった。創価学会の勝利の歴史を飾ってくださった。本当によく頑張った。皆さん、ご苦労さまです!
 草創の先輩の皆さんも、沖縄広布の大前進を、さぞかし喜んでいるだろう。とくに、婦人部の見事な奮闘を、私たちは心からたたえたい。
 なかんずく、「総県婦人部長の活躍はすばらしい」という讃嘆の声が沖縄の友から数多く寄せられている。
 じつは、総県婦人部長は、三年前、会合中に軽い脳内出血を起こした。このとき、会合で話す様子が、ろれつが回らず、いつもと違った。彼女の話を聞いていた同志が「おかしいな」と気づいて、「すぐに病院に行きましょう」と即座に手配し、病院に連れていったのである。
 早期発見であったために、脳内出血も大事にいたらず、十一日間の入院で完治。元気になって、ふたたび広布の庭に戻ることができたのである。
 とっさの判断と連携で、婦人部長を救った同志も優秀である。立派である。
 また、この体験を通して、沖縄の皆さんは、広宣流布のために尽力してきた人は、何らかの形で、必ず護られるという強い確信をいだいた。
 妙法のために戦っている人は、一切を乗り越えていくことができる。それが仏法の鉄則である。
 そして、このように、生命を賭して、真剣に戦ってくれる本物の婦人部の皆さまが、全国各地に数多くおられる。ゆえに、創価学会の「広宣流布の勝利」があると、私は宣言したい、讃嘆したい!
 総県婦人部長は、以前にもまして、ますます若々しくなられた。本当にうれしい。きょうの会合にも、お元気で参加している。ご苦労さまです。
 ともあれ、沖縄の皆さんは、たいへんによく戦ってくださった。沖縄に帰ったら、すべての同志の皆さんに、くれぐれも、よろしく伝えてください。
 全同志のご健康とご長寿を心より祈ります!
4  皆さま方の行動は、広宣流布のための行動である。それは、世界で最高の人生である。究極の正義のための闘争である。そしてまた、社会に、永遠の幸福と平和を根底からつくりあげる実践である。
 これ以上の偉大な運動はない。尊き使命に生きる皆さまを、諸天善神が護らないわけはないのである。
 御聖訓には「極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず」と仰せである。
 戦うべきときに、勇敢に、忍耐強く戦いきった功徳は永遠である。あまりに大きい。それが釈尊の固い約束であり、大聖人のお約束なのである。
 皆さま方の行動は、究極の善である。究極の平和の道である。究極の人間の振る舞いである。その意味において、皆さま方の大福運は、一家眷属へと広がり、子孫末代にまで通じていく。その誇りと確信をもって、悠々と前進していただきたい。
5  将棋の名人 ″勝ち続けることが、私の健康法″
 美しき青葉に包まれた、ここ創価国際友好会館は、東京・渋谷区の「千駄ケ谷」にある。
 「千駄ケ谷」という地名は、何に由来するのかつ
 一説には、昔、この一帯の谷あいで「千駄」の米が収穫されたからと言われる。「一駄」は、一頭の馬が背負う量。「千駄」は、千頭の馬が背負う量である。それほど多くの米が穫れる、豊かな実りの大地であったようだ。命名したのは、江戸城の築城で有名な名将・大田道灌と伝えられる。
 この千駄ケ谷には「日本将棋連盟」の本部がある。将棋は、日本が誇る文化である。愛好家は、じつに一千万人を超えるという。最近は、若い世代の台頭も日覚ましい。女性の活躍も注目されている。その将棋界の中心拠点が、ここ千駄ケ谷なのである。
 いつもお世話になっている千駄ケ谷駅には、「王将」と刻まれた将棋の駒の碑がある。有名な大山康晴十五世名人の文字である。
 大山名人は語っている。「勝つことを第一義に生きてきた。勝ちつづけることが、私の健康法であった」(『勝負のこころ』PHP研究所)
 勝負一筋を貫いた人の名言である。われらも「常勝即健康」の気概で、勝ち抜き、生きぬいてまいりたい。
6  戸田先生も将棋が、お好きだった。頭脳を、よりよく回転させる助縁ともされていたようだ。師弟二人で将棋を指しながら勝負の哲学を語りあったことも、懐かしい思い出である。
 戸田先生は言われていた。
 「人生の闘争も、将棋を指すように、いつも四手先、五手先まで考えていけ」
 何ごとも、先の先まで読んで、二段構え、三段構えで考えていきなさいということである。
 将棋の世界で語り継がれている勝利の鉄則がある。
 「攻めあいは、ひるんだら負け」
 激戦のときこそ断じてひるんではならない。強気で攻めぬけということだ。
 「攻めるは守るなり」
 攻撃こそ最大の防御である。
 「終盤はスピード」
 最後の最後で勝負を決するのは、スピードである。
7  勝利の王手を青年部が!
 思えば十三年前、一九九一年十一月二十九日、あの邪宗門の日顕宗から、笑止千万の「破門通告」が届いた。その日を、私は同志とともに、ここ創価国際友好会館で迎えた。
 アフリカ二十六カ国の総意として、各国の大使の方々が、梵天・帝釈のごとく来館され、「教育・文化・人道貢献賞」を贈ってくださったのである。まことに不思議な時の一致であった。
 この国際友好会館は、その意味で、創価学会の「魂の独立」の原点の城といってよい。
 全国の「千」を超える会場を結ぶ衛星中継も、この会館から発信されている。
 地元の婦人部の方々は、破邪顕正の祈りをけなげに貫き、地域の友好に誠実に尽くしておられる。自覚と誇りをもって懸命に戦っておられる。本当に、うれしいかぎりである。
 あの法盗人の日顕には、当時、なんと世界の千六百万人もの「退座要求署名」が送られた。そして、ご存じのように、大恩ある学会を裏切った日顕には、厳然と仏罰が下された。
 中国の古典『春秋左氏伝』には、こうある。
 「恩知らずと戦うのだ。勝たぬはずはない」(『中国古典文学大系』2、竹内照夫訳、平凡社)
 御聖訓には仰せである。
 「日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう」(御書266㌻、通解)
 創価学会は、仏意仏勅の広宣流布の団体である。世界第一の正義の団体である。何ものも、その前進を阻むことはできない。
 きょうは、わが青年部が、この千駄ケ谷から、師子奮迅の大攻勢をしていこうと集っている。
 もう青年部の時代である。皆が使命深き闘士である。「勝利の王手」を頼みます!
8  セルビア・モンテネグロにも使命の同志が
 先ほど、ヨーロッパの良識からの意義深き栄誉を拝受した。
 (=幹部会の席上、セルビア・モンテネグロSGIの代表から、名誉会長に「ブラチャ・カリッチ賞」が手渡された。この賞は、東欧の著名な経済・文化団体「カリッチ財団」が創設した最高栄誉である)
 セルビア・モンテネグロの、わが気高き地涌の菩薩の皆さま! この栄冠は、貴国の同志の勝利の象徴です。本来は皆さまがいただくべきところを、私が代わってお受けしたと思っております。
 セルビア・モンテネグロといえば、かつて、サイレンが鳴り、ミサイルが降る戦乱があった地域である。そのなかで、妙法を唱え、励ましあって前進してこられた。大変なことである。それを考えれば、どれほど日本は恵まれていることか。
 同志の皆さまに、全員で拍手を送りたい。遠くから来日され、本当にうれしい。(拍手)
 (セルビア・モンテネグロは、旧ユーゴスラビアを構成していたセルビアとモンテネグロによって成立した連合国家。旧ユーゴスラビアでは九一年以降、各共和国が独立。ユーゴ解体の過程で、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなどで紛争が激化した。コソボ自治州でも武力衝突が深刻に。九九年には軍事介入した北大西洋条約機構〈NATO〉がユーゴを空爆し、多くの死傷者、避難民が出た。
 空爆停止の約一カ月後、九九年七月三日にユーゴスラビア連邦〈のちのセルビア・モンテネグロ〉にSGIの支部が誕生。翌年二月、結成式が行われた〈=なお、二〇〇六年六月、セルビア共和国、モイアネグロ共和国へと、さらに独立を果たしている〉)
 御聖訓に照らして、妙法の同志の活躍が光り輝く国土、世界は、必ず無量の諸天に護られる。必ず栄えていく。
 ここに「立正安国」の法理がある。戦後の日本も、創価学会の前進とともに復興してきた。
 (「立正安国論」に「妙法に帰依すれば、この三界という凡夫の住む国土は皆、仏国である。仏国であるならば、衰微することがあろうか。あるはずがない。十方の国土は、ことごとく宝土である。宝土が、どうして壊れることがあろうか。あるはずがない。国に衰えがなく、国土が破壊されることがなければ、身は安全であり、心は何の不安もないであろう」〈御書三二ページ、趣意〉と)
 世界中で翻訳されている、私とトインビー博士との対談集は、現在、セルビア語でも翻訳・出版が進んでいる(=二〇〇五年八月発刊)。関係者の皆さまに深く感謝したい。(=このほか、二〇〇六年十一月現在、名誉会長の著作『生命を語る』『私の釈尊観』『私の仏教観』がセルビア語版で発刊されている)
 本当に不思議なる使命の同志を、もう一回、盛大な拍手でたたえたい。ありがとう!(拍手)
9  ″マレーシアSGIは健全な青年を育成″と
 きょうは、マレーシア創価学会の方々もお見えくださった。ようこそ!
 本年は、マレーシア広布四十周年。また、きょう六月十五日は、法人を取得して、ちょうど二十周年の記念日である。おめでとう! 本当によく頑張ってこられた。
 マレーシアの大発展は、世界の模範と言われている。首都の中心には、堂々たる十三階建てのマレーシア総合文化センターが、誇り高くそびえ立っている。
 私も四年前(二〇〇〇年)、センターの建設現場に立ち寄った。題目を送らせていただいた。
 このセンターではこれまで、じつに約百回にわたり、学術セミナーをはじめ、社会に開かれた文化行事が行われている。国家の要人、海外の識者からも、深い感謝と賞讃が、多く寄せられている。
 本年中には、全国で二十三番目となる立派な会館が完成し、これで、マレーシアの主な州に文化会館が建つことになる。おめでとう!
 州の政府から、「健全な青年を育成しているマレーシア創価学会に、どうしても活動拠点をつくってもらいたい」との要請を受けて建設された会館もある。名誉なことである。
 文化の壁を超えて、信頼を勝ち取り、人間主義を拡大することが、どれほど至難な大事業、大偉業であるか。
 皆さまが悠然と、理解の輪を広げてこられたことは、まるで″神業″、いや″仏業″である(爆笑)。偉大なことである。
 大聖人は、「智者とは世間の法より外に仏法をおこなわ」と明快に仰せである。
 マレーシアの友は、御聖訓のままに、仏法即社会、信心即生活の大道を歩みぬいてこられた。マレーシアは勝った。断じて勝った。
 皆さまの異体同心の団結の勝利は、世界広布の歴史に永遠に輝くと申し上げたい。
10  日寛上人は「立正安国論」の「安国」の意義について、日本の鎌倉時代にとどまらず、「一閻浮提」(全世界)に、そして「未来」に通じると指南されている。
 (日寛上人は「立正安国論愚記」で、「安国」の両字について「文は唯日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」〈文段集八ページ〉と記している)
 私は入信当時、日寛上人が著された文段などを学び、身震いするほど感動した。「すごい仏法だ! 本当に正しい仏法だ!」と、心が広がり、いちだんと納得し、深く信心を決意したものである。
 この日寛上人の仰せのとおりに、世界へ、そして末法万年へ「立正安国」の波を起こし、広げてきたのが、創価学会の師弟の歴史である。世界平和こそわれらの悲願であり、根本路線なのである。
11  仏教は二極の対立を乗り越える″第三の力″に
 私は今まで、世界中で対話を繰り広げてきた。学者、哲学者、政治家をはじめ、ありとあらゆる分野の方々と、堂々と論じあってきた。「会える人にはすべて会う」決意で努力してきた。
 仏法を根本にすえて対話すれば、すべての縁が生かされ、世界が広がるのである。
 アメリカ・ハーバード大学の、宗教学研究の第一人者として著名なコックス教授や、世界的に有名な経済学者であるガルブレイス名誉教授とも対話を重ねた。
 ハーバード大学では二度、講演させていただいた。(一九九一年九月と九三年九月)
 九三年の講演の折には、両教授から講評を寄せていただいたことも、よき思い出である。
 私との対談のなかでコックス教授は、仏教の役割に期待し、次のように明晰に語られた。
 「キリスト教徒とイスラム教徒の間で繰り返されてきたような抗争は、仏教の歴史には見られません。この二宗教に仏教的な要素が、どう、良い影響をもたらすか――私も希望を抱いている一人です。
 それは、ちょうど西洋音楽の『和音』にも例えられるでしょう。二つの音だけでは、和音にならない場合でも、そこに、もう一つの音が加わることによって、美しいハーモニー(=調和)が生まれるように」(「聖教新聞」一九九二年五月四日付)
 仏法が平和のハーモニーを生みだすとの、絶妙の譬喩である。
 たしかに、人間社会において、東西冷戦などのような「二極」の対立が、どれほど不毛にして不幸な不協和音を、もたらしたか。世界が苦しんだ。厳しき歴史の実相である。
 そこに、新たな″第三の力″が加わっていくことで、聡明に、全体の調和をはかりながら、より幸福と平和の方向へ、一歩、また一歩と前進していくことができる。こうした力が、世界で必要とされているのである。
 ここにも、日蓮仏法の対話の精神が生かされ、価値創造の智慧が光っていることを、知っていただきたい。
 二本の足だけでは不安定な場合も、「かなえ」のように三本の足で支えれば、安定することができる。
 『三国志』の英雄・諸葛孔明は、王道の理想を実現する第三の勢力として「蜀」の陣営を広げた。
 私たちもまた、「広宣流布の諸葛孔明」として知恵を尽くし、民衆が希望と誇りを持つことのできる「永遠の都」を築いていきたい。
12  学会は「日本の柱」「二十一世紀の柱」
 大聖人は、命に及ぶ佐渡流罪の大難のなかで、「開目抄」を著された。この「開目抄」の心を、後年、次のように端的に記されている。
 「日蓮によって日本国の存亡は決まる。たとえば家に柱がなければ保てず、人に魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である」(御童日919㌻、通解)
 大聖人直結である学会の勝利によってこそ、日本と世界のゆるぎない平和と繁栄の道が大きく開かれていく。そう決意して、「日本の柱」「哲学の柱」「二十一世紀の柱」として堂々と戦い、そして勝ってまいりたい。
 ともあれ、偉大なのは広布に走る皆さまである。
 大聖人は法華経薬王品の一節を通し、″法華経を受持する者は、一切衆生の中で第一である″と述べておられる。
 (大聖人は「松野殿御消息」で「法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦これ第一等云云」と仰せである。「報恩抄」「撰時抄」などでも、この薬王品の一節を引用されている)
 広布の大目的に生きるわが創価の同志は、「一生成仏」と「所願満足」の人生を、永遠に勝ち飾っていけるのである。
 あまりにも尊く、いじらしい広布の同志を悪口罵詈し、裏切り、苦しめれば、どうなるか。法華経の行者を迫害する者の厳しき末路を、大聖人は断言されている。
 (たとえば「顕謗法抄」では経文をあげて「法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲ちょうちゃくせるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫・阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ」とある)
 仏法の極意は、「絶対勝利の信心」である。
 広布のために不惜身命で戦う一人一人に、御本仏の偉大なる生命力が現れる。日寛上人は「当体義抄文段」で「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集六七六㌻)と仰せである。
 どんな難にも負けない無敵の力が、わが生命にわき上がる。梵天・帝釈も、われらの題目に呼び出されて、仏の軍勢を護りに護る。
 さらにまた、広布を阻む悪鬼・魔民さえも、妙法の力用によって、私たちを守護する働きに変えることができる。
 ゆえに、師弟不二にして、異体同心のわれらの前進には、何も恐れるものはない。いかなる状況からでも、勝利の活路を必ず開くことができるのである。
13  きょうは、″花の都″の輝くフランスからも、同志が駆けつけてくださった。皆さん、ようこそ!
 どうか楽しき前進を! 帰られたら、同志の皆さんによろしくお伝えください。
 来年は、日本で新たな″大ナポレオン展″が開催される予定である。
 (=二〇〇五年十一月、八王子市の東京富士美術館で開催。ヨーロッパ・アメリカなど各国の関係機関の協力を受け、ナポレオンゆかりの第一級の美術品や資料が多数、出品された)
 ナポレオンは、大きな戦闘に臨むにあたって、こう記している。
 「決定的瞬間が到来したようだ。もはや思いきり戦うのみである」(アンドレ・マルロー編『ナポレオン自伝』小宮正弘訳、朝日新聞社)
 思いきり戦い、断じて勝つ!――これが、戦の指揮をとる将軍ナポレオンの決意であった。
 いわんや平和と人道の闘争を貫く私たちは、さらに勇敢に学会精神を燃えあがらせて、思いきり、悔いなく戦ってまいりたい。
14  ″哲学と精神性の光″を社会ヘ
 インド独立の指導者マハトマ・ガンジーは語った。
 「私は宗教が政治と無関係であるとは信じない。宗教から離れた政治は、焼くよりほかに仕方のない屍のようなものだ」(C・F・アンドリュース『ガンヂーの革命運動と宗教』福永渙訳、大鳳閤書房)
 哲学や精神性を失えば政治は堕落してしまう。それでは、多くの庶民が苦しむことになる。
 だからこそ、人間主義に根ざした″哲学と精神性の光″を社会に送る創価の運動が重要になってくる。世界の知性が大きな期待と賞讃を寄せる理由も、ここにある。
 十八世紀から十九世紀の韓国の思想家・丁若鏞チョンヤギヨン(一七六二年〜一八三六年)は語った。
 「たいせつなことは地位の高低ではない。いかにして国のため民のために正しい政治をするかである」(全浩天『朝鮮史に生きる人びと』そしえて)
 そのとおりだ。韓国は日本にとって、文化の大恩ある国である。偉大な人物がたくさんいる。日本では、あまりにも知られていない。
 「韓国のガンジー」と言われた安昌浩アンチャンホ。独立の父ともたたえられる賢人である。
 彼はよく語っていたという。
 『機会』は力のある者へはいつでもやって来る。力のない者は、例えそれが目の前にあっても活用でき得ない」(李光洙『至誠、天を動かす』具末謨訳、興士団出版部編、現代書林)
 深い味わいのある言葉だ。チャンスを生かすには「力」がいる。そして、「勇気」がいる。
 「勇気の人」が勝利する。信心とは「究極の勇気」である。勇気で進みましょう!
15  さらに、世界の箴言を、いくつか皆さまにお贈りしたい。
 イギリスの詩人・劇作家のシェークスピアは、戯曲の中で登場人物に語らせている。
 「すべてを決するのは最後だ」(「トロイラスとクレシダ」、『シェイクスピア全集』2〈小田島雄志訳〉所収、白水社)
 勝負は最後の戦いで決まる。執念で決まる。
 人生も同じである。いかに華やかな、恵まれた生活を送っても、最後がみじめでは、むなしい。敗北である。逆に、どんなに辛酸をなめたとしても、最後に勝てば「勝利の人生」である。
 ルネサンスの桂冠詩人イタリアのペトラルカは、手紙の中で記している。
 「魂の偉大さにくらべれば何ものも偉大ではない」(近藤恒一編訳、『ルネサンス書簡集』岩波文庫)
 人間は、自然の偉大さや美しさには心を奪われ、讃嘆する。しかし、自身の魂の偉大さには、なかなか気づかない――桂冠詩人は、こう訴えているのである。
 魂ほど偉大なものはない。信心ほど偉大なものはない。その宝は、わが胸中にある。不可能を可能にする強き祈りで、堂々と前進してまいりたい。
16  嘘を暴け! 真実が勝利する時代を開け!
 ドイツの哲学者ヤスパース。彼は、他の国や人々との関係において、真実が要求するのは「嘘、詭弁、詐欺といったあらゆる現象に精神力で対処し、不断の努力でそれらを暴露することである」(「われわれはどこに立っているのか」、ハンス・W・ベーア編『世界の知性15の発言』〈長谷川博隆・長谷川明子訳〉所収、河出書房新社)と論じている。
 嘘は、断じて暴かねばならない。真実が勝利する時代を開かねばならない。
 日蓮大聖人は、嫉妬に狂った他宗の僧侶らの議言によって、おとしいれられた。悪意のデマを流され、中傷された。学会を狙い、私を狙った、嘘やでっちあげの中傷も、これまで無数になされてきた。狂った「言論の暴力」に、いくたびも襲われた。
 すべて法華経に「悪口罵詈」「猶多怨嫉」と説かれているとおりである。
 しかし、私たちは敢然と戦い、すべてに勝利した。学会の正義は、裁判の場でも完全に明らかになった。皆さまが、よくご存じのとおりだ。
 シェークスピアの有名な戯曲に「オセロー」がある。勇敢な将軍オセローが悪人の部下の策略にはまり、美しい妻デズデモーナが不貞を働いたと思い込む。そして、ついにはみずから妻を殺害してしまうという悲劇である。
 戯曲の中で、デズデモーナの潔癖を知る女性が言う。
 「どこで? いつ? どのように? なにを証拠に? ムーア様(=将軍オセロー)はどこかの悪党にだまされておいでなのだ」(前掲『シェイクスピア全集』1〈小田島雄志訳〉所収)
 「いつ」「どこで」「どのように」など、明確な証拠がない。これが嘘の常套手段である。
17  中国の民衆の魂を覚醒させた文豪・魯迅。彼は、著作の中で「私の生涯のなかで、私に大きな損害を与えたものは、(中略)『流言』というものである」「(=流言を流した)こんな奴らのことを、畜生、と総称することにした」と述べている。(『華蓋集』有浦杲訳、『魯迅全集』4所収、学習研究社)
 魯迅もまた、さまざまな中傷に苦しめられた。歴史に偉業を残した人物は、多かれ少なかれ、こうした苦難を乗り越えているのである。
 他方で彼は、低俗な出来事に惑わされる愚かさをつづっている。
 「これからはもう決して下らぬことにはかかずらわぬことだ。泰山(=中国の名山)が目の前に崩れて来ようとも顔色を変えず、爆弾がすぐ側に落ちようとも身じろぎ一つせぬように修錬しなければならぬ」(『且介亭雑文』、『魯迅全集』11〈松枝茂夫訳〉所収、岩波書店。原文では全文に傍点あり)
 何があっても微動だにしない強き精神――それを鍛えゆくのが、信仰である。
 人々のため、社会のために尽くす――広宣流布ほど偉大な仕事はない。
 どうか皆さん、お元気で! 生き生きと、楽しく! 朗らかに!
 幸福になるための学会活動です。尊き同志の健闘を、ほめたたえあいながら、にぎやかに進みたい。
 皆さま方の勝利を心から願って、きょうのスピーチを終わりたい。
 来月、元気な姿でお会いしましょう! 長時間、本当にありがとう!
 (創価国際友好会館)

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