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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 「心をつかめ」「人間のなかへ」

2004.6.2 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  「不知恩の人間にはなるな!」
 全国の同志の皆さま方のおかげで、わが創価学会は、すばらしい前進を続けている。とくに各地で、美しき対話の花園を広げゆく婦人部の皆さまの活躍が目覚ましい。たいへんにご苦労さまです!
 わが恩師戸田先生は、本当に偉大な指導者であられた。私は、戸田先生のさまざまなお話を、遺言として、深く胸に刻んできた。すべてが、物事の本質を鋭くついた指導であった。
 なかでも、先生が厳しくおっしゃったのが、「不知恩の者になるな」であった。
 御聖訓には「(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩に報いることを第一としてきた。世の中には四恩がある。これを知るのを人倫と名づけ、知らないのを畜生という」(御書491㌻、通解)と仰せである。
 恩を知る人こそが、人間として最も美しく、最も崇高である。最後には人生の栄冠を勝ち得ることができる。反対に、学会にお世話になり、学会のおかげで偉くなりながら、増上慢になり、感謝を忘れ、学会を見くだし、同志を裏切る――そういう不知恩の人間には、断じてなってはならない。また、そういう恩知らずを絶対に許してはならない。それが戸田先生の教えであった。
 報恩こそ、人間として忘れてはならない根幹なのである。
2  また御聖訓には「師弟相違せばなに事も成べからず」と教えられている。
 師匠の牧口先生に対する、弟子の戸田先生の姿勢が、どれほど厳格であったか。ふだんは、豪放磊落、恐れるものなど何もない戸田先生であったが、牧口先生のことに話が及ぶと、とたんに襟を正し、深い敬愛の心をこめて、牧口先生を偲んでおられた。
 その峻厳さは、周囲の人たちが、びっくりするほどであった。
 ともあれ、偉大な師匠をもてる人は幸福だ。
 「師弟」とは、親子以上の、人間の究極の絆である。そこには策もない。要領もない。本当の生きた魂と魂の触発であり、交流である。
 「親子」の関係ならば動物にもある。しかし、「師弟」という関係は人間にしかない。師弟の道こそ、みずからの人生を無限に高めていく向上の道である。
 なかんずく、広宣流布の大願に生きゆく仏法の師弟ほど、深く尊い絆はないといってよい。この仏法の師弟という最上の人間の道を教えるのが、創価学会なのである。
3  「この世で果たさん使命あり」
 広布の大道を勇んで進みゆく皆さまに、いくつか筏言を贈りたい。
 まず、ロシアの作家レオーノフの言葉である。
 「すべての勝利、それは自分に勝つことから始まる!」
 自分に断固として勝つために、仏法がある。師弟がある。同志の励ましがある。
 次に、アメリカの公民権運動の指導者キング博士の信条である。
 「私にとって宗教は現実ですし、それは人生に深く編み込まれています。じじつ、宗教と人生は分かつことはできません。私にとって宗教は命なのです」(辻内鏡人・中條献『キング牧師』岩波書店)
 宗教と人生の最も正しい軌道を歩んでおられるのが皆さま方である。
 さらに、ペルシャの詩人ハーフイズの格言に、こうある。
 「妬む者は驕りで名誉や富や心や信仰を失う」(『ハーフイズ詩集』黒柳恒男訳、平凡社)
 卑しい妬みの人間になど、断じて負けてはならない。
 文豪トルストイは語った。
 「人間は、使命を果たすべく、この世に生まれてきたのである。後回しにすることなく、そのことに一瞬一瞬、全力をそそいでいくべきである。それのみが、真の幸福である」
 「この世で果たさん使命あり」――わが「地涌の同志」の崇高な人生の実像が、ここにある。皆さまのご健闘を心よりねぎらい、たたえたい。
4  沖縄は「勇気」で進め!
 とくに、けなげな沖縄の友は、一足早い梅雨の季節のなかを、全国の先陣を切って、尊い汗を流し、懸命に戦っておられる。わが沖縄の全同志のご健康と、そして栄光と勝利を、私は真剣に祈っている。
 浦添市を発祥の地とする琉球王国――。その琉球王国の歴史に光る哲人指導者に、蔡温さいおん(一六八二年〜一七六一年)がいる。
 現在の沖縄市をはじめ各地で治水や植林事業を進めたことも、よく知られる。那覇市を中心とする琉球王国の黄金時代を築いた大指導者である。
 彼の信念の記に、「恐れば事をなしがたし」(崎浜秀明編著『蔡温全集』本邦書籍)とある。
 戦いは、勇気である。執念である。最後の最後まで、攻めぬいたほうが勝つ。
 リーダーは、皆の勇気を呼び覚まし、日本中、世界中に広宣流布の渦を起こしていただきたい。
5  なかんずく、焦点は青年である。
 「青年を獲得する者が未来を有する」(『現代の精神的状況』、『ヤスパース選集』28、飯島宗享訳、理想社)とは、ドイツの哲学者ヤスパ‐スの言葉であった。
 私がお会いした、統一ドイツの哲人政治家ヴァイツゼッカー初代大統領も、青年をこよなく愛し、青年に最大の期待を寄せておられる方である。(一九九一年六月十二日、ボン市の大統領府で会見)
 初代大統領は九五年九月、ライン川のほとり、ビンゲン市にあるSGIのヴィラ・ザクセン総合文化センターにも足を運んでくださった。(同センターで開かれた、詩人ゲオルゲの記念展示会に出席)
 初代大統領はたびたび来日しておられるが、五年前の来日では、行く先々で、青年との出会いを刻まれた。
 その時、大統領が「自分たちから進んで発言するのは沖縄が一番多い」(「琉球新報」九九年四月十七日付。名桜大学での討論会から)と語り、最も深い期待を寄せたのが、沖縄の青年たちであった。大統領は、「美しい海のことだけでなく、きょう、ここで沖縄の若者たちと語ったことが私には強く記憶に残るだろう」とも語っておられる。(同前)
 沖縄の方々への深い敬愛の心は、ノーベル平和賞受賞のロートブラット博士(バグウォシュ会議名誉会長、二〇〇五年八月逝去)、ゴルバチョフ元ソ連大統領、パラオ共和国のレメンゲサウ大統領など、多くの指導者が、異口同音に述べておられる。
 ヴァイツゼッカー初代大統領は、沖縄の青年に、こうも言われた。
 「皆さんは繁栄のなかで漫然と過ごすのでなく、困難を行動で克服する生き方で、達成感と生きがいを感じてほしい」(「毎日新聞」九九年五月七日付)
 私も、大統領と同じ心で、勇敢なる沖縄健児の前進を見つめている。
 さらに次のヴァイツゼッカー大統領の言葉を、私は、全国の青年部に贈りたい。
 「若い人々は控えめにならず、どしどしものを言ってほしい」(同前)
 「『闘う民主主義』の方が『受け身の民主主義』よりも優れている」(中日新聞社編『ヴァイツゼッカー日本講演録』永井清彦訳、岩波書店)
 イタリア独立の英雄マッツィーニは謳った。
 「人間との絆を強め、幅広い人々との連帯を広げていくことは、私たち一人一人の力を何倍にも強める道であり、私たちの善なる義務を果たすべき舞台であり、また正義への進歩を実現させる道なのである」(The duties of man, and other essays, J.M.Dent/E.P.Dutton)と。
 重要な指摘である。皆さま方が、多くの人々と連帯し、広宣流布という「正義への進歩」を断行している姿こそ、人類の大いなる希望なのである。
6  法華経に「悪口罵詈」「猶多怨嫉」と説かれているとおり、広宣流布に戦えば、必ず、難がある。迫害にあう。それが仏法の方程式である。
 だからこそ、どんな困難があろうとも、「来るならば来い!」「断じて勝ってみせる!」との気迫で、堂々たる指揮をとっていただきたい。
 いちばん大変な時に、いちばん大変な所で、勇敢に叫びぬき、戦いぬき、勝ってこそ、勇者である。形式でも、立場でも、肩書でもない。信心の大闘争を勝ち抜いてこそ、仏法の指導者にふさわしい実力と福運がそなわるのである。
 ともあれ、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」――これが大聖人の厳命である。
 この一年を決する大事な六月を、朗らかに、強くまた強く、勝ち進んでまいりたい。
7  トラップ一家「歌声で平和に貢献を」
 気高き婦人部、女子部の皆さま方の活躍を、世界の多くの識者も絶讃している。
 私が今、対談を進めている「平和の文化の母」エリース・ボールディング博士も、創価の女性の貢献に、惜しみない賞讃を寄せてくださっている。
 先般の語らいでは、「母の励ましの力」が、どれほど大きいかということも話題となった。
 ボールディング博士ご自身、お母さまが、いつも「人間はだれもが重要な存在なのよ」と教えてくれたことが、生涯にわたって平和活動を貫く原動力になったという。とともに博士は、「善き友」との出会いが人生の支えとなってきたと語っておられた。
 その一つとして、博士は、世界的に名高い映画「サウンド・オブ・ミュージック」で有名なフォン・トラップ一家との思い出を振り返っておられた。
 「サウンド・オブ・ミュージック」といえば、数々の名曲で知られる。そのなかでも「すべての山を登れ」の雄大な調べを、私たちは、埼玉・所沢での第二回世界平和文化祭(一九八二年)、創立六十周年を祝賀した関西文化祭(一九九〇年)など、さまざまな機会に、困難に打ち勝つ思いを託して歌いあげてきた。
 モデルとなったフォン・トラップ一家は、戦時中、ナテスの迫害を受け、故郷のヨーロッパからアメリカヘと移住した。その母と七人の子どもたちが、ボールディング博士の大学にも訪れ、忘れ得ぬ出会いを結んだのである。
8  この一家は、自分たちの境遇を嘆くようなことは、一切なかった。ただアメリカ中を歌声で包んで平和に貢献したいとの希望を、ボールディング博士たちに、すがすがしく語ったという。
 博士は、次のように回想しておられる。
 「トラップ一家のこの姿が、アメリカの人々に、平和は必ず再建できるという信念を呼び覚ましました。そして、それまで戦争の中で忘れてしまっていた大切な仕事を思い起こさせたのです。それは、いま自分たちが生きている、まさにその場所で、平和な世界の再構築に取りかかることでした。
 自分が人生で何をすべきかを探求していたとき、この心美しい一家が語り、歌うのを耳にして、平和の創出者になりたいと願っていた私は、勇気づけられました」
 まるで映画の名場面のような、味わい深い言葉である。
 環境がどうあれ、人がどうあれ、今いるその場所で、平和と幸福の社会の建設のために、一歩でも二歩でも前進していこう。その信念に燃えた女性の強き心こそが、人々に希望の光を送り、世界を照らし、未来を照らしていくのである。
 なかんずく、わが婦人部、女子部は、皆が「創価の太陽」であり、「広宣流布の幸福博士」である。この尊き婦人部、女子部を、これまで以上に尊敬し、大事にしてまいりたい。
 そして、明るく愉快に、勝利の歌声を響かせながら、広布と人生の「すべての山」を、ともどもに登りきっていきたい。
9  『アラビアン・ナイト』――女性の知恵と言論が国を救った
 先日、ある女子部員から、私とテヘラニアン博士との対談集(『二十一世紀への選択』。本全集第108巻収録)でもふれられている『アラビアン・ナイト』の物語について、質問があった。ここで、簡単にお話ししておきたい。
 ご存じのように、この『アラビアン・ナイト』は、アラビアやインド、イランなどに伝わる話を集めた、世界的に有名な説話集である。日本では『千夜一夜物語』として知られ、各地の世界観、人生観、風習などが反映された多くの物語で構成されている。有名な″船乗リシンドバッドの冒険″″アラジンと魔法のランプ″なども、含まれている。
 『アラビアン・ナイト』の作者は不詳である。各地域の民衆に伝承されていた物語が、六世紀ごろ、ペルシャ語でまとまった形を整え、八世紀ごろにアラビア語に翻訳された。それからさらに発展を続け、じつに約千年を要して完成したといわれる。
10  舞台は、はるか昔の、ある王国――。この国を治める国王が、不実の妻を殺してしまうところから、物語は始まる。すべての女性への不信にかられた国王は、それ以来、新しい妻を迎えては、一晩で殺してしまうという蛮行を、毎日、繰り返すようになった。
 次元は異なるが、私は、戸田先生が「絶対に人を殺すな。いかなる理由があろうとも、人を殺してはいけない」と強く語っておられたことが、忘れられない。
 かの国王の所行に人々が悲嘆に暮れていた時、大臣の娘である美しく聡明な女性(シャハラザード)が立ち上がった。彼女は皆を苦しみから救うために一計を案じ、みずから志願して、命がけで暴悪な王のもとへ嫁いでいった。
 そして婚礼の夜、彼女は王に、心躍る物語を聞かせ始める。これまで何人もの女性が、夜が明けると命を奪われてきたが、彼女は朝の光がさすころ、いよいよ物語が佳境に入ったところで、わざと話を中断した。
 「こんなの、つぎの晩に話してあげるのにくらべたらなんでもないわ。でももしわたしが生きのび、王さまがわたしをこの世に置いて下さったときのことなんですけれど」
 すると、残りの話を聞きたい国王は、その日は、彼女を殺さなかったのである。
 彼女は次の日も同様に、ちょうど佳境で話を中断。こうして毎夜毎夜、先人の物語や、古人の教訓を語り続けていった。このように、彼女が語り聞かせるという形で、さまざまな物語が繰り広げられていく。
 そして、ついに彼女は、千一夜にわたって物語を続けた。その時には、王は心を悔い改め、善政を行い、この聡明な女性とともに王国に平和と幸福と繁栄をもたらした。(『アラビアン・ナイト』1、前嶋信次訳、平凡社。引用・参照)
 ――これが『アラビアン・ナイト』全体の大きな流れである。
 「女性の知恵と言論の勝利」の物語ともいえるだろう。
11  尊き女子部の皆さんは、聡明なる言論の力で、友情のスクラムを大きく広げている。創価の乙女の健闘を、私は最大にたたえたい。心から感謝申し上げたい。
 広宣流布のために、いちばん行動した人が、必ずいちばん幸福になる。これが仏法の鉄則である。
 日蓮大聖人が、そうお約束してくださっている。どうか安心して、朗らかに、伸び伸びと、進んでいただきたい。
 心清らかな女性。信心強き女性。そのさわやかな振る舞いが、どれほど信頼と共感を広げていることか。
 「あんなすばらしい人が信心しているのか」と学会への設識を一変させたことも数知れない。
 「おじぎの仕方ひとつとっても、女子部の人は違う。すがすがしくて、心を打たれる」と語る人もいた。
 二十一世紀は「女性の世紀」である。
 男性のリーダーは、女性を最大に大切にしていくことだ。賞讃していくことだ。感謝していくことである。婦人部、女子部の方々が、「これほどまでに気をつかってくれるのか」と思うくらいに、温かな配慮と励ましをお願いしたい。
 この一点を徹して実行すれば、学会は、これまでの何倍もの力を発揮できる。さらに大きく発展していけるのである。
12  人を動かすのは「誠実」の二字
 人の心をつかむ。心を動かす。そのためには何が大事か。
 「誠実」の二字である。格好でもない。頭でもない。「誠実の力学」こそが人間を動かすのだ。
 創価学会は信心の団体である。民衆の団体である。法のため、社会のために、一筋に前進する無名の庶民。その偉大さに心から感動し、ともに汗を流し、泥まみれになって戦うことを、リーダであっていただきたい。
13  「声仏事を為す」である。広宣流布は、声で進む。「ありがとう!」「ご苦労さま!」と感謝の言葉を忘れないことだ。
 問題があれば「こうしたら、どうだろう」。また、一人一人に、「何か心配なことはないですか」等と、具体的に心をくだいていく。
 打てば響くように、同志がやりやすくなるよう手を打っていく。それでこそ皆、張りあいがもてる。全員が力を発揮できる。それが「勝つリーダー」なのである。
 ともあれ、順調なだけでは、人間は鍛えられない。嵐の中を、耐えて耐えて耐えぬいて、同志のなかに分けいって、勝利へと大反撃のうねりを起こしていく。それが本当の指導者である。
 行動しよう! 健康になるために。
 戦おう! 幸福のために。自分自身の人間革命のため、社会の繁栄を築きゆくために。
 明るく進むのだ。楽しく進むのだ。前へ、また前ヘ!
 そして、世界をあっと言わせる完全勝利の歴史をつくろうではないか!
 次の五十年の盤石なる広宣流布の土台を、今こそ築いてまいりたい。
14  冷戦下のソ連へ、人間と人間を結びゆく旅
 ロシアの″文化の都″にあるサンクトペテルブルク東洋学出版センターから、今月中旬、私の御書講義録のロシア語版が発刊される運びとなった。(=同センターはロシア科学アカデミー・サンクトペテルブルク東洋学研究所の付属機関、二〇〇四年六月、御書講義録を発刊した)
 関係者の皆さまに心から感謝申し上げたい。
 翻訳されたのは「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」「単衣抄」「妙法尼御前御返事」「舟守弥三郎許御書」「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」、そして「開目抄」(戸田城聖著、池田大作補訂)の講義録である。
 「開目抄」については、ご存じのとおり、現在、「大白蓮華」で新たな講義を連載している。後世のため、世界のために、全力でつづり残しておきたいと思っている。(=二〇〇六年、『開目抄講義』上・下巻〈聖教新聞社〉として発刊)
 このたびのロシア語版の御書講義録のタイトルは、『人間を信じて――日蓮大聖人の御書より』である。
 まさに三十年前、私は人間を信じて、口シア――当時のソ連に第一歩をしるした(一九七四年九月八日)。それは、厳しい東西冷戦の渦中にあって、人間と会い、人間と語り、人間の心を開き、動かし、そして結びゆく旅であった。
 コスイギン首相をはじめ国家指導者、ノーベル文学賞作家のショーロホフ氏などの文化人、さらにモスクワ大学のホフロフ総長はじめ多くの教育者、学者、学生とも出会いの歴史を刻んだ。
 さらに、幾多の市民とも、数えきれない対話を繰り広げた。
15  モスクフで宿泊したのは、クレムリン宮殿のすぐそばにあるホテルであった。
 日本では一般的に「ソ連は怖い国」との印象があった時代である。訪問団の多くは、非常に緊張していた。
 当時は、ホテルの各階にカギを預かる当番の方がいて、私たちのフロアの担当は、中年の婦人であった。私と妻は、その婦人とすれ違うたびに、必ず「おはようございます」「ありがとうございます」等と声をかけた。
 最初、語りかけたときには、びっくりした表情で、何も言わずに目を見開いたままであった。それまで、そういう客は、あまりいなかったようだ。けれども、私たち訪問団は、皆、誠実なあいさつを心がけた。いつしか、彼女も、にこにこと笑顔を返してくれるようになった。
 ある時、彼女が語ってくれた。「私は、夫を戦争で亡くしたんです……」と。
 あの第二次世界大戦でソ連は二千五百万人ともいわれる犠牲者を出した。人口の一割以上にあたる。彼女の最愛の夫も、その一人であったのだ。心から平和を祈ってやまない庶民の心に、私は深くふれる思いであった。
 モスクワ川で釣り糸を垂れているおじいさんとも、しばし語りあった。
 「幸せですか?」と私がたずねると、笑顔皺を浮かべて、「ええ。こうして、孫と一緒に釣りに行くことができる。前は戦争に行っていて、釣りもできなかった」と答えてくれた。
 こうした、平和を願い、幸福を求めゆく庶民と心を通わせながら、私は世界を駆けめぐってきたのである。
 当時、お世話になった方々のことは忘れられない。今も、友情の交流を続けている方も多い。
 三十年前、在日ソ連大使館の参事官として私たちの訪ソに協力してくださった、元ロシア外務省アジア太平洋局長のクズネツォフ氏も、以前、温かな回顧の声を寄せてくださった。
 (氏は述べている。
 「池田会長のソ連滞在スケジュールは、非常に内容の濃い、充実したものでした。
 そのなかで、最も重要な位置の一つをしめているのが、会長とコスイギン・ソ連邦閣僚会議議長〈首相〉との会見でした。会見後、コスイギン氏は『今までにこんな興味深い日本人に出会ったことはない』と述べております」
 「注目すべきは、わが国における池田会長のあらゆる行動が、平和と教育、文化の推進という理念に、終始、貫かれていたことです」
 「当時、ソ日文化交流に関する政府間の協定は、まだ結ばれていませんでした。そのようななか、創価学会を母体とした創価大学や民主音楽協会は、わが国との文化・学術交流に積極的に関わり、両国の関係の進展を促してきました」
 「そしてそれが、国際情勢が緊迫した際に、ソ連・ロシアと日本との衝突を回避する役割を幾度となく果たしたのです」
 「池田会長が一貫して主張される『平和主義、文化主義、教育主義、その根底の人間主義』との理念が、国連も求めているように、世界中の国家関係の基となっていれば、この四半世紀、常に我々を脅かしてきた戦争や紛争の脅威から、地球は救われていたでありましょう」〔「聖教新聞」一九九九年九月八日付〕
16  時代を動かすのは、人間を信じて、人間のなかに飛び込み、人間の心と心を結びゆく行動である。身近な地域社会にあっても、私たちはいちだんと勇敢に、粘り強く、人間主義の対話の波を起こし続けてまいりたい。
 人と人を結びゆく「対話」。友の幸福を願う励ましの「行動」――私たち創価の人間主義の運動こそ、二十一世紀の希望なのである。
17  一人一人を大慈悲で包んで
 ここで「佐渡御書」に学びたい。日蓮大聖人が、流罪の地・佐渡の塚原三昧堂から、不惜身命の信心を貫くよう、門下一同を励まされたお手紙である。
 冒頭に、こうつづっておられる。
 「この手紙は、富木殿のもとへ送り、四条金吾殿、大蔵塔の辻入道ら、桟敷の尼御前、その他これを見ていただくべき人々、一人一人にあてたものです。
 京都と鎌倉の合戦で亡くなった人々の名を書き付けて送ってください」(御書956㌻、通解)
 (京都・鎌倉の合戦とは、「自界叛逆難」の的中となった「北条時輔の乱」のこと。大聖人門下にも、この合戦で死亡した人があったと思われ、追善供養のため、名前を知らせるよう仰せになったと拝される)
 また追伸として、こう仰せである。
 「この手紙を、志のある人々は寄り集まってご覧になり、よく思索して心をなぐさめてください」
 「伊沢の入道、酒部の人道は、どうなったでしょうか。
 河辺、山城、得行寺殿などのことは、どうなったのか書き付けて知らせてください」(御書961㌻、通解)(一説には、これらの門下は、竜の口の法難で土牢に幽閉されたとされる)
 命にも及ぶ大法難、大闘争の連続のなかにあって、大聖人が、どれほど大きく、一人一人の門下を包んでおられたか。一人一人のことを胸の奥深くに入れながら、どれほどこまやかに手を打ち、温かく励まし、皆に張りあいを与えていかれたか。そのお振る舞いの一端を拝する思いである。
 大聖人の大慈悲のお振る舞いがあったればこそ、弟子たちも、あれほどの大難を、ともに乗り越え、勝ち越えることができたのである。
18  大聖人に直結して、末法今時において、各方面の広宣流布を託されている指導者こそ、皆さまである。どうか、大切な大切な同志一人一人を胸に入れながら、「仏の軍勢」を勝利へとリードしていただきたい。
 一生懸命に戦っている同志の尊き労苦の姿を、くれぐれも見逃すことがあってはならない。心から讃嘆していくことである。
 あの『三国志』の大英雄・諸葛孔明も、名指導者の要件として、″天よりも曇りのない目をもって、人物の善悪を見極めること″をあげていた。
 そして、国土のすみずみまで心を配りながら、公平かつ厳正な目をもって、優秀で善良な人間を登用し、貪欲で惰性の人間はしりぞけていくことを強調した。そうすれば、良き人材は雲のように集まってくるというのである。(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店。参照)
 孔明は、恩を忘れて自分の繁栄ばかりを考え、全体のことを心配する気持ちをまったくもたない人間、また、自分は何もしないくせに、いばって他の人々を非難する人間に対しては、まことに厳しかった。
 そうした人間を放置しておいたら、将来に破滅と禍をもたらしてしまうからである。厳しいようであるが、大切な歴史の教訓である。(中村史朗『諸葛孔明語録』明徳出版社。参照)
 わが創価学会は、悪とは断じて戦いながら、善き同志と同志の、生き生きとした「異体同心の団結」をもって、幸福と正義の「永遠の都」を築きあげていきたい。
19  勇敢に! われらこそ「日本の柱」
 諸葛孔明の勝利の将軍学には、こうある。
 「これに先んずるに身をもってし、これに後るるに人をもってすれば、士勇ならざるはなし」(前掲『諸葛孔明の兵法』)
 指導者が率先して事に当たれば、皆が勇気を奮い起こす。
 「軍は勢を用うるに成り」(同前)
 戦いは、勢いに乗れば勝つというのである。
 どうか皆さまは、「創価の諸葛孔明」として、模範の指揮をお願いしたい。
 どうせ戦うならば、悔いなく戦うことだ。使命に燃え立つ一人の人間が、偉大なる妙法に生きぬく時、どれほどの力が出るか。思うぞんぶん、やってみることだ。
 味方をつくり、広宣流布の陣地を広げ、永遠不滅の大勝利の叙事詩をつづってまいりたい。
 終わりに、「開目抄」の一節をともどもに拝して、記念のスピーチとしたい。
 「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず
 健康勝利の前進を! 楽しき行進を!
 各方面の同志に、どうかくれぐれも、よろしくお伝えください。ありがとう!
 (東京・新宿区内)

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