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日蓮大聖人・池田大作

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第三十八回本部幹部会、第八回全国青年部… 歌え! 舞え! 民衆勝利の讃歌を

2004.5.18 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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2  学生たちに広まった歌
 さて、皆さんは、「デカンショ節」をご存じだろうか。
 「デカンショデカンショで半年暮らす/あとの半年ねて暮らす」
 戦前、学生たちの間で流行した歌である。(とくに明治時代後半から大正時代にかけて流行)
 もともとは、江戸時代から、兵庫の丹波篠山の地方で、盆踊り唄として親しまれてきたものと言われる。それが、形を変え、全国の学生に広まったのである。
 この「デカンショ」に、当時の学生たちは、ヨーロッパを代表する二人の大哲学者の名前をあてはめた。
 すなわち、「デ」はデカルト、「カン」はカント、「ショ」はショーペンハウアーである。
 ご存じのように、デカルトは十七世紀のフランスで活躍し、「近代哲学の父」と称される。
 「われ思う、故にわれあり」とは、彼のあまりにも有名な言葉である。
 人間精神を深く探究したデカルトは、高慢な人間、忘恩の人間、臆病な人間を厳しく戒めてもいる。
 また、ドイツのカントは十八世紀に生まれ、ちょうど今年(二〇〇四年)が、没後三百周年となる。
 牧口先生は、牢獄で亡くなる前までカントの哲学を精読されていた。カントから発した「真・善・美」の哲学を包み込みながら、牧口先生は独創的な「美・利・善」の価値論を生みだされた。
 ヨーロッパで、いち早く「法華経」に着目したのも、カントであつた。
 (カントは、日本人について、「彼らの宗教書は花の本〔=妙法蓮華経〕と呼ばれる」と述べている。〔『自然地理学』、『カント全集』15〈三枝充意訳〉所収、理想社〕)
 カントは、人間の自由と尊厳を希求した。「永遠平和」をめざした。彼は、善なる人間が結合すべきだ、根源的な悪に勝利していくべきだと論じたのである。
3  「実践者」と語りあいたい
 さらに、十九世紀――ドイツのショーペンハウアーは、ヨーロッパでいち早く仏教を受容した知性として名高い。
 そうした志向性を、さらに大乗仏教の真髄へと深められたのが、トインビー博士であった。
 (トインビー博士は、日蓮大聖人の仏法の世界性に注目し、こうつづっている。
 「〈日蓮大聖人は〉自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間仲間を救済する手段であると考えた」「創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行している」〔英語版の小説「人間革命」第一巻「序」〕)
 トインビー博士は、若い私を大乗仏教の実践者として大事にしてくださった。どうしても会いたいと伝えてこられた。
 博士は心臓に持病をかかえていた。無理は禁物であった。しかし、ぜひとも会って語りあいたい――この博士の熱望があって、対談が実現したのである。
 ロンドンの博士の自宅で、長いときには朝から夕方まで、毎日のように語りあった。ともに近くの公園を散策した。妻も一緒であった。
 人類の未来のために、思いは厳粛であった。
 世界一の学者との真剣勝負の対話は、今も私の誉れである。
4  悪書は追放!
 ショーペンハウアーは、「言論の暴力」と、まっこうから戦った。
 「詐欺的売文の阻止に努めなければならない」(『読書について 他二編』斎藤忍随訳、岩波文庫)
 「悪書は単に無益であるのみでなく、断然有害」(レフ・トルストイ『文読む月日』上、北御門二郎訳、筑摩書房。トルストイが紹介しているショウペンハウアーの言葉から)
 「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである」(前掲『読書について 他二編』)
 このように、世界的な哲学者であるショーペンハウアーは、徹底して叫んだのである。
 詐欺的な売文を、絶対に放置するな!
 悪書を断じて許すな!
 この言葉を胸に刻み、青年の諸君は戦いぬいていただきたい。正義の学会を、守っていただきたい。
 また、何より日蓮大聖人が、はるか昔に、深い次元で、悪書を糾弾せよと訴えておられる。
 (御書に「法然の選択集という悪書が国中に充満するゆえに、法華経等は国にあっても人々は聴聞しようと願わない」「この書の悪義を対治しなければ、仏が説かれた三悪道を免れることはできないであろう」〈六一ページ、趣意〉等と仰せである)
 ともあれ、半年は深き哲学を一生懸命に探究し、あとの半年はゆったりと暮らそう――このように、学生たちは、にぎやかに歌い、学びあった。
 私たちも、創価完勝の年の上半期を思うぞんぶんに戦いきって、大勝利で飾ったならば、あとは半年間、悠然と生きていこう――それくらいの朗らかな心で進んではどうだろうか。(笑い、拍手)
 人生は、伸び伸びと、強く、悠々と、勝ち進んでいくのである。だからこそ、ここぞという時には、断じて勝たなくてはいけない。
5  周総理″われわれの友誼と団結を阻止できない″
 スイスの大哲学者ヒルティは叫んだ。
 「つねに偉大な思想に生き、つまらないことは軽視するようにつとめよ。これは、一般的に言って、人生の多くの苦難と悲哀を最もたやすく乗りこえさせる道である」(秋山英夫訳編『希望と幸福――ヒルティの言葉』社会思想社)
 本当に、そのとおりである。
 偉大な思想のために、人生を生きるのだ。そうすれば、どんな苦難も、悲哀も、悠然と見おろす境涯になっていく。ここに、大聖人が教える、幸福の近道がある。
 広宣流布とは、最も偉大な思想を広めゆく、最も偉大な人生の道である。
 私は三十年前、中国の周恩来総理と忘れ得ぬ出会いを結んだ。
 かつて周総理は、民衆の連帯について、こう語っておられる。
 「われわれの間の友誼と団結の発展はいかなる力も阻上できないものである」(森下修一編訳『周恩来選集』上、中国書店)
 いい言葉である。信念に生きぬき、同じ目標に戦いゆく同志の心の結合は、何があっても微動だにしない。また、してはならない。
 私たちは、学会健児として、地涌の菩薩として、がっちりと魂のスクラムを組み、心一つに前進したい。
 戸田先生は、増上慢の人間には、本当に厳しかった。幹部でありながら、仏法を破壊し、同志を裏切り、自分自身の信念を裏切る人間に対しては、ことのほか厳しかった。
 「去っていく人間は、勝手に去っていけ。いてもらう必要などない。かえって、こちらのほうが迷惑だ。いつか敗残者になり、哀れな姿をわれわれに見せるだろう。
 どれほど学会が正しいか。信仰の世界が、広宣流布に戦う人生が、どれほど偉大であるか。
 仏勅の学会をあなどり、崇高な師弟を見くだすとは、とんでもないことだ」
 こう、はっきりと言われた。
 皆さまは、精鋭中の精鋭である。
 異体同心の連帯をいちだんと強めながら、楽しく、朗らかに、戦い進んでまいりたい。
 来月、そして再来月の本部幹部会も、全同志の万歳で勝ち飾っていきましょう!
6  「文化の勝利」が「平和の勝利」
 きょうは幹部会に、SGI芸術部長が見えている。
 彼は、アメリカ音楽界の最高栄誉である「グラミー賞」を、じつに八回も受賞された。世界一の芸術家である。
 (=二〇〇六年二月、グラミー賞授与式で、通算八度日、九つの栄冠に輝いている)
 SGI芸術部長をはじめ、世界を代表する″文化の大英雄″アメリカ芸術部の皆さんが、多忙をきわめるなか、日本の同志のために、はるばるお越しくださった。
 一千万の友の魂をゆり動かす感動の極致の名演奏、本当にありがとう!(拍手)
 (スピーチに先立ち、グラミー賞、エミー賞、アカデミー賞などに輝いたアメリカ芸術部のメンバーが、最高峰のステージを披露した)
 「文化の勝利」こそが「平和の勝利」である。
 たとえて言えば、「ピストル」からは「平和の勝利」は生まれない。
 われらの「武器」は「文化」である。「音楽」である。「文化の勝利」だけが、永遠に崩れない「平和の勝利」につながる。根本の道は、これしかない。
 政治は権力、経済は利害を動かす。
 しかし、文化は魂をゆり動かす。音楽は心に語り、心を結ぶ。
7  妙音菩薩は皆に勇気と希望を
 仏法の世界には、音楽が満ちみちている。
 法華経の会座には、妙音菩薩が登場する。(妙音菩薩品二十四)
 この妙音菩薩は、苦悩渦巻く娑婆世界に舞い来って、妙なる「天の曲」「天の歌」を奏でながら、人々に限りない希望と勇気を贈ってくれるのである。
 仏法の人間主義を基調とした、あのアショーカ大王の平和と繁栄の時代にも、音楽の祭典が盛んであった。生命尊厳の大法をたたえ、正義の人々を励ますために、明るく絢爛と、音楽が奏でられたのである。
 まさに、音楽は平和の象徴である。偉大な文化が興れば、偉大な平和が築かれる。
 私も、その方程式を実践してきた。私たち創価学会の世界は、すべてが仏法の本義に、完壁に、かなっている。
 最高の平和の音楽家の皆さまに、もう一度、感謝の拍手を送りたい。(拍手)
 妙音菩薩は、それはそれは、立派な菩薩であった。
 智慧は限りなく深く、無量百千の功徳と威徳にあふれており、その信念の大境涯はゆるぎないものであった。姿形も、たとえようのないほど美しく、すばらしい生命の光を放っていた。
 どうして妙音菩薩は、こうした自由自在の力を勝ち取ることができたのか?
 釈尊は説いている。
 ″妙音菩薩は、過去世において、仏に十万種の妓楽(舞踊と音楽)、そして八万四千の宝の鉢を供養したからである″と。
 日蓮大聖人は「御義口伝」で、仏法の生命論の立場から、この「八万四千」とは、要するに「八万四千の塵労」であると教えておられる。
 人生には、無数の、きりのない苦労がある。しかし、妙法を唱え、人々のため、広宣流布のために力を尽くしていけば、それがすべて無量無辺の智慧と功徳として輝きわたる。これが、仏法の重大な因果の理法である。
 法華経に説かれる仏菩薩は、たんに経典の中の存在ではない。像にして拝んだりするようなものでもない。
 仏菩薩とは、人間である。なかんずく、広宣流布のために戦う皆さまのことである。
 広宣流布の活動は、法のため、友のため、社会のために、来る日も来る日も、苦労の連続であるかもしれない。しかし、それらは全部、偉大なる福徳に変わっていく。少しもむだはないのである。
 時には、無理解や偏見に、ぶつかることもあろう。学会の草創期にあっても、「勤行がうるさい」「学会歌がうるさい」、さらには「音楽隊の練習がうるさい」などと非難されたものだ。
 しかし、かつては文句を言った人たちも、やがて「もっと学会歌が聞きたい」「お金を払ってもいいから、音楽隊の演奏を聴かせてください」「鼓笛隊のパレードを見せてほしい」というようになった。
 時代は変わるものだ。人の心は、もっと変わるものだ。
 仏の言葉には断じてウソはない。広宣流布のために、いちばん苦労した人、いちばん戦った人が、人生においていちばんの勝利者となる。栄光の人間として、輝いていくことができるのである。
 私も、戸田先生のもと、どれだけ戦ってきたことか。その労苦は、だれ人も想像できないにちがいない。
 ここに迎えたアメリカ芸術部の皆さま方も、人生の試練に勇敢に立ち向かい、宿命を使命に変えながら、雄々しく戦ってこられた。
 大切な大切な同志である。まさしく妙音菩薩というべき方々である。
8  対話の力で理想の社会を
 現在、世界の各国、各都市で開催されている″ガンジー・キング・イケダ展″が、大きな反響を呼んでいる。たずさわっておられる方々に、心から感謝申し上げたい。
 この五月も、三十年前に私が講演を行ったカリフォルニア大学ロサンゼルス校をはじめ、多くの大学で開催された。
 来月は、オーストラリアを代表するシドニー大学でも開かれる予定である。
 (=同展はこれまで、ニュージーランドの国会議事堂〈二〇〇三年七月―八月〉やドイツのベルリン市庁舎〈同年九月〜十月〉などでも盛大に開催された。オーストラリアでは、シドニー大学をはじめ、メルボルン、バース、プリスベーン等の各都市でも開催。なお、名誉会長は二〇〇〇年十一月、シドニー大学から名誉文学博士号を授与されている)
 同展は三年前、キング博士の母校であるアメリカの名門モアハウス大学から強い要請をいただいて、始められた。この展示を構想し、中心となって推進してくださったのは、モアハウス大学キング国際チャペルのカーター所長である。
 (所長は、同展の意義について、こう語っている。
 「いま、世界は、暴力と憎悪に満ち、人びとが安心して暮らすことさえままなりません。ガンジーやキングが平和のために残した『非暴力』の精神は、明らかに失われつつあります。
 世界が必要としているのは、この非暴力の伝統を人類は受け継がなくてはいけないことを人びとに訴えるために、手本になる人物なのです。
 だからこそ、池田博士の業績を紹介することが人類にとって大切であることを訴えました」
 「多様性が新たな世界的パラダイム〈基本的な枠組み〉となっている時代に、差異に橋を架けることが必要です。その意味でも、この展示は、いまの時代にかなったものだと自負しています」〔月刊誌「パンプキン」二〇〇四年三月号、潮出版社〕)
9  また、現在、私が対談を進めている世界的な法学者のナング博士は、こう語っておられる。
 「ガンジーの一生は、一人一人に目標を与え、その目標を達成するために人々を募り、共に戦うというものでした。
 彼は、運動のなかで何度も投獄されながらも、信念を貫き、彼を批判する人々とも対話を行い、対立を理解に変えていったのです」(=二〇〇四年三月十八日、創価大学での特別公開講演会「ガンジーとその人間主義」から。ナンダ博士はインド出身。アメリカ・デンバー大学の副学長。世界法律学者協会の名誉会長でもある。対談は、二〇〇五年五月、『インドの精神――仏教とヒンズー教』として東洋哲学研究所から発刊されている)
10  そしてナンダ博士は、ガンジーに続き、信念の対話による平和を広げてきた模範こそ、わが創価の友である、と賞讃してくださっている。
 敵をも味方に変えていく――それが対話の力である。世界の知性の心からの信頼に、私たちは全力で応えてまいりたい。
11  ″皆、同じ人間だ″
 本年は、先ほどふれた中国とともに、私がロシア(当時、ソ連)を初めて訪問してから三十年となる。(=初訪ソは一九七四年九月)
 コスイギン首相ともお会いし、率直に意見を交わした。平和のため、世界の相互理解のため、私は一民間人として、私なりに友好と交流の道を開いてきた。
 あの出会い、この出会い、思い出はつきない。
 さまざまな批判もあった。しかし、「どの国の人も皆、同じ人間である」との信念で、世界各国の人々と誠実に対話し、友情を結んできた。
 (=名誉会長はこれまで五十四カ国・地域を訪問。名誉会長の民間外交の意義は国内外の学識者からさまざまに評価されており、研究書も多数、出版されている。ゴルバチョフ研究の第一人者である、中澤孝之氏〈時事通信社モスクワ支局長、外信部長を経て、長岡大学教授などを歴任〉の『ゴルバチョフと池田大作――冷戦、ペレストロイカ、そして未来へ向けて』〈角川学芸出版〉などがある)
12  私は叫ぶ「闘う人間だ!」と
 世界の英雄であり、卓越した指導者であったガンジーは、鋭く喝破した。
 「わたしは、どんな宗教も人間のいとなみと分離しているとは思いません。それは他のすべての活動に道徳的基盤を与えます。さもなければ、人間のいとなみは道徳的基盤に欠け、人間の生活は『意味のない騒音と怒り』の混乱におちいるでしょう」(『私の非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)
 ″宗教の基盤を欠いた人間の生活は、意味のない騒音と怒りの混乱におちいる″――ガンジーの言葉は、現代の日本、そして世界に対しても警鐘を鳴らしているように思える。
 そうした意味からも、深い信仰に立脚し、社会のため、たゆみなき広宣流布の対話を推進している皆さまは、すばらしい貢献をしているのである。
 思えば、マハトマ・ガンジーも、キング博士も、青年たちが、そのあとに陸続とついてきた。
 青年は、「正義」を知っている。正義を持つ人を、正義に生きる人を知っているのだ。
 正義の人の偉大なる夢を受け継いだ、勇敢な後継の青年たちが、激動の社会の真っただ中に突入し、大闘争に断固として勝利する。そして、大きく時代を変えていく。これが、歴史の方程式である。
 広宣流布の勝利も、一切が、後継の青年で決まる。
 日蓮大聖人は、若き門下である南条時光を、たいへんに大事にされた。今で言えば、″青年部″のリーダーの一人といえよう。
 時光の父親も大聖人に帰依していたが、その父親が亡くなったあとも、青年の時光を励まし続けられた。
 大聖人は、時光にあてたお手紙の中で「人が謗るだろうが、われら日蓮一門は、悪口や誹謗など、ものとも思わない」(御書一五一〇ページ、趣意)と仰せである。
 また、信心をやめさせようと、身分や地位の高い人がいろいろ言いだして、圧迫を加えてきても、「したたかに(強く)御返事をなされるがよい」(御書1540㌻、通解)と教えられている。
 低次元な悪口などに、決して動じない。理不尽な圧迫には、ただちに反撃していく。
 「何を言いますか! 仏法の哲理を知りもせず、学ぼうともしていないのに、あなたは何を論じる資格があるというのですか!」――傲慢な人間に対しては、強く論破していく。
 この強さを、この不屈の精神を、大聖人は若き時光に教えられた。
 創価学会は、この精神ですべてに勝ってきたのである。
 これこそ、学会青年部の魂である。青年部の皆さん、頼みます!
13  一生涯「青年の心」で
 青年は、受け身になっては敗北である。
 人生を開いていくのは「積極性」である。これが人間の世界だ。
 飛行機が大空に飛翔するためには、「向かい風」が必要である。ゆえに、飛行場の滑走路は、年間を通じて最も風が吹いてくる方向を考慮して設計されているという。
 青春の偉大なる飛翔もまた、烈風に雄々しく立ち向かうなかで成し遂げられる。
 人間は、「向かい風」に立ち向かうときに、大きく成長できる。勝利への飛躍ができる。人生の楽しさも、そこにある。
 青春――なんとすばらしい響きだろうか。若さは宝である。
 それは、年齢だけで決まるものではない。どうか皆さまは、牧口先生のごとく、わが一生を「青年の心」で生きぬいていただきたい。
 大聖人は、夫を亡くし、深い悲しみを味わった南条時光のお母さんを励まされ、「法華経を持ちたてまつる人は、地獄即寂光と悟ることができるのです」(御書1504㌻、通解)と述べておられる。
 こうした境遇に置かれている方は、今も少なくないであろう。
 大聖人は、宿命に悩む門下をほうっておかれなかった。その苦しみに同苦し、励まし、心の支えとなっていかれたのである。
 御本尊を持ち、自行化他の実践に励む人は、地獄を転じて、寂光土へと変えていくことができる――これが御本仏のお約束である。
 ゆえに、どんなに苦しい逆境にあろうとも、妙法を唱え、広宣流布に生きゆく人は、すべてを変毒為薬しながら、自身のうえに、最高の幸福の大境涯を開くことができる。
 断じて負けない。絶対に行き詰まらない。無尽蔵の幸福を勝ち取ることができる。これが日蓮仏法の真髄である。
 学会とともに生きぬく「広布の母」に恐れるものなどないのである。
14  また強敵と戦う壮年部の先輩として、四条金吾がいる。
 金吾は、あの「竜の口の法難」の折にも、命がけで大聖人にお供した。
 大聖人は、彼の純真な信心を永遠に忘れないと感謝しながら、「太陽の前には、いかなる闇も消え去る。それと同じように、不二の師弟は、地獄をも寂光土に変えることができるのです」と激励されている。
 (「日蓮と殿〈金吾〉とが、ともに地獄に入ったならば、釈迦仏も法華経も、地獄にこそ、おられるにちがいない。たとえば、闇の中に月が入って、あたりを照らすようなものであり、湯に水を入れて冷ますようなものであり、氷に火をたいて解かしてしまうようなものであり、太陽に闇を投げて闇が消え去るようなものである〈地獄も即寂光土となるのである〉」〈御書1173ページ、通解〉)
 ともあれ、今、全国各地で、日覚ましい健闘をされている壮年部の皆さま、なかんずく、「太陽会」「敢闘会」など昼間も広布の活動をされている皆さまに、心から感謝申し上げたい。
 御聖訓には、「仏になる法華経を耳にふれるならば、これを種として必ず仏になる」(御書552㌻、通解)と仰せである。
 乱世だからこそ、仏法の勇気が光り、智慧が光る。
 皆さまが、勇敢に打って出て、出会いを結び、対話を交わした分だけ、仏縁が広がり、幸福の種が蒔かれる。皆さまのご健康とご活躍を祈ります!
15  魂の勝利の歌よ! 世界に響け!
 先ほど、偉大なるアメリカ芸術部の皆さまが、ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』にちなんだ歌を、劇的に力強く、歌い、舞ってくださった。本当に、ありがとう!
 『レ・ミゼラブル』は、私も、青春時代、夢中になって読んだ。青年が読むべき″最初の一書″といってもいい。ちょっと長いけれど、読んでない人は、いつか必ず挑戦してほしい。
 私の経験から言えば、とくに西洋の古い翻訳本は、初めは、時代背景などが続き、複雑で、退屈な場合がある。だから、そこは、ざっと飛ばし読みしてもいいのではないか。心に響くところから読んで、あとからまた、ゆっくりと読むとか、自分で工夫することも大事であろう。
 ともあれ、青年は、自分の意見を語れる何かをもつべきだ。その土台をつくるのが読書である。
 一八三〇年、フランスの市民が立ち上がった世界的に有名な「七月革命」――。
 その当時、フランスの勇敢なる民衆が、ともに心に刻んでいた行進曲がある。そのなかに、次のような一節があった。
 「私たちは言われてきた、奴隷になれと。
 私たちは言った、闘う人になろうと」(カジミール・ドラヴィーニュ作詞「パリの行進」。東京国立博物館のウジェーヌ・ドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」の特別展の図録から)
 私は人間だ!
 闘う人間だ!
 断じて負けない!
 これが、フランス民衆の魂の歌であった。大勝利の讃歌であった。
 わが学会精神も同じである。
 何が起ころうとも、断じて闘う。断じて負けない。断じて勝ってみせる――この心意気で、われらもまた、学会歌を高らかに歌いながら、堂々と進んでまいりたい!
16  これから、本格的に梅雨の時期に入る。なにかと体調を崩しやすい季節であるから、健康には、十分、注意していただきたい。
 大事なのは、健康のため、成長のため、一家一族の幸福のため、そしてまた、広宣流布の大願のために、一センチでも、二センチでも進んでいくことである。
 近代看護の創始者ナイチンゲールも、「進み続ける」ことの大切さを繰り返し強調していた。
 (ナイチンゲールは自分の学校の生徒や卒業生にあてた手紙の中で「私たち看護するものにとって、看護とは、私たちが年ごと月ごと週ごとに《進歩》しつづけていないかぎりは、まさに《退歩》しているといえる、そういうものなのです」「あなた方は、進歩しつづけないかぎりは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい」〔「看護婦と見習生への書簡」湯槇ます・小玉香津子・鳥海美恵子・小南吉彦訳『ナイチンゲール著作集』3所収、現代社〕などと、つづっている)
 派手さはなくとも、なすべきことを堅実になす。たとえ一歩でも二歩でも、粘り強く、自分の決めた目標に向かって進んでいく。
 その人こそ、信頼を勝ち取る人であり、最後に必ず勝つ人なのである。
 以上をもって、本部幹部会を終わりたい。
 長時間、ご苦労さまです。体をこわさないように、また、疲れをためないように!
 お元気で! また、お会いしましょう!
 サンキュー・ベリー・マッチ!
 (東京牧口記念会館)

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