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日蓮大聖人・池田大作

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各部合同協議会 幸福に! そのために勇気を!

2004.5.11 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  「陰で支える人」に光を
 白樺会(婦人部の看護者のグループ)の方々、SGI公認通訳会議の方々、さらに女子部の代表の皆さま方!
 「幸福が同時に正義であるのは、何と美しい事ではないか」(『追放』、『ユゴー全集』4〈神津道一訳〉所収、ユーゴー全集刊行会)とは、文豪ユゴーの叫びである。
 きょうは、「幸福」即「正義」、「正義」即「幸福」の、最も美しく、最も尊い人生を生きゆく創価の友が、勇んで集われた。遠いところ、またご多忙のところ、本当に、ようこそ!
 初めに、偉大な「健康の大使」である白樺の皆さま方に、全同志を代表して、心からの感謝を捧げたい。いつもいつも、本当にありがとう!
 皆さまは、友のため、法のため、社会のために、日夜、懸命に行動しておられる。最高に尊い方々である。
 御書には、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」とある。皆さま方の気高き慈愛と献身を、諸天がたたえる。大聖人が讃嘆され、守護されることは、絶対に、間違いない。
 また、私たちは、白樺会、白樺グループ(女子部の看護者グループ)をはじめ、陰で真剣に戦っておられる方々に、これまで以上に光をあてて、最大に宣揚すべきである。これが、仏法の真髄の世界であるからだ。陰の人を大事にしてこそ、真に優秀な人材の顔ぶれが、いちだんと強く輝いていくからである。
2  人類の先駆者に
 五月十二日は、近代看護の創始者ナイチンゲールの誕生日である。(一八二〇年生まれ)
 これを記念して、この日は「国際看護師の日(ナイチンゲール・デー)」と定められている。
 ナイチンゲールは、深く心に期していた。
 「自分の生涯の使命は、人類を救うこと」(エドワード・T。クック『ナイティンゲール――その生涯と思想』2,中村妙子・友枝久美子訳、時空出版)
 「人類のために苦しむのは、ひとつの特権です」(「カサンドラ」田村真訳、『ナイチンゲール著作集』3所収、現代社)
 そして彼女は「人類の先駆者になろう」(ヒュー・スモール『ナイチンゲール 神話と真実』田中京子訳、みすず書房)と叫んだのである。
 「先駆者」――まことに誇り高い響きである。
 その先駆者の使命をもって、彼女は、九十年にわたる人生を、病に苦しむ人々に尽くし、看護学の確立のために、戦って戦って戦いぬいた。
 反動の勢力からの、いかなる圧迫も恐れず、すべてを毅然とはね返して、新しい舞台を切り開いていったのである。
 ″人生は闘争である。なかんずく悪との格闘である″(前掲『ナイティンゲール――その生涯と思想』1、中村妙子訳。参照)――これが、ナイテンゲールの信念であった。
 彼女の戦いは、万人の健康のための戦いだった。未来の人類のために、あえて引き受けた忍耐の闘争であった。
 ″私には戦いなど関係ない。人生は楽しく快適に暮らせればいい″(「信仰 内なる心を含む信仰」薄井坦子訳、前掲著作集3所収。参照)といった、安易な考え方に対しては、彼女は厳しく戒めた。
 「それは《人間的》生活ではない。彼らの感情は人間というよりは蝶のそれに近いものだ」(同前)
3  ナイチンゲール″不可能? でもやらなければ!″
 彼女の名を不滅にした、あのクリミア戦争下の野戦病院にあっても、彼女は、一刻を争う病気やけがの治療に奮闘しただけではなかった。
 看護師を下に見る傲慢な医師たちや、硬直した官僚主義、権威主義の組織の悪弊とも戦い続けた。
 わが使命を、懸命に、完璧に、やり遂げながら、ゆるがぬ信頼を勝ち取り、環境を一つ一つ、粘り強く変えていったのである。それは、「随って随わせる」聡明な知恵の戦いであった。
 ある時、医師たちが、「そんなことはとてもできませんよ」と、こぼした。しかし、ナイチンゲールは、静かな声で、ぴしゃりと言った。
 「でもやらなければならないのですから」(前掲『ナイティンゲール――その生涯と思想』1。引用・参照)と。痛快な歴史の一コマである。
 いつの時代も、現実は、つねにさまざまな問題が渦巻いているものだ。しかし、大切なのは、今いるその場所で、勇敢に戦い、みずからの境涯を開いていくことである。
 ナイチンゲールは、後輩に、こう教えている。
 「ひとえに優れた女性でありたいとひたすらに願うのであれば、常に進歩しつづける女性でなければなりません。誰でもよく知っているように、よどんだ水やこもった空気は、遅かれ早かれ腐って使えなくなってしまうからです」(「看護婦と見習生への書簡」湯槇ます・小玉香津子・薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳、前掲著作集3所収)
 「常に進歩しつづける女性」――それは、「月月・日日につより給へ」の妙法を体現されゆく白樺の皆さま方である。そしてまた、心が生き生きと上昇しゆく、わが婦人部、女子部の皆さま方である。
4  「生命の世紀」「白樺の世紀」
 「看護の母」ナイチンゲールは、未来を展望して、看護の道に続きゆく後世の人々に、こう語り残している。
 「自ら厳しい実践の中で、看護の改革を組織的に行なう苦しみと喜びを知り、われわれが行なったものをはるかにこえて導いていく指導者が現われることを希望する!」(「病人の看護と健康を守る看護」薄井坦子・田村真・小玉香津子訳、前掲著作集2所収)
 彼女が志向してやまなかった「健康の世紀」「生命の世紀」そして「女性の世紀」が、ついに到来した。
 それは、何よりも「白樺の世紀」である。
 法華経に説かれる「柔和忍辱の衣」(法華経三六九㌻)を着した、皆さま方の哲学と慈悲にこそ、人々は、大きな希望を見いだしていくにちがいない。
5  私も若き日に、戦時下で体調が最悪の状況のなかで、看護師さんにお世話になったことは、前にもふれた。(本書八一ページ参照)
 「若いんだから、頑張るのよ」と元気づけてくれたやさしい顔は、今でも忘れない。
 激流のごとき青春の日々にあって、看護師さんの温かい励ましが、どれほどありがたく、力になったことか。
 慈愛あふれる人格こそが、多くの人々に希望の光彩を広げる。
 ゆえに私は「白樺の友に学ベ!」と声を大にして叫びたい。
6  あれこれ嘆くな 必ず「仏」に!
 鎌倉時代、日蓮大聖人の女性門下であった富木尼御前は、自分も病弱な身でありながら、老いた義母に真心の看護を尽くした。
 その人知れぬ労苦を、じっと見守り、ねぎらい、賞讃してくださったのが、大聖人であられる。
 みずからの病気と闘う富木尼御前を励まされた御聖訓には、こう仰せである。
 「あなたもまた法華経の行者であり、御信心は月が満ち、潮が満ちるように強盛であるから、どうして病が癒えず、寿命の延びないことがありましょうか。こう強く確信して、御身を大切にして、心の中で、あれこれ嘆かないことです」(御書957㌻、通解)
 「われらは間違いなく仏になると思えば、なんの嘆きがあるでしょう」(御書976㌻、通解)
 私もまた妻とともに、大切な大切な白樺の皆さま方の、限りないご健康とご多幸、そしてご長寿を、懸命に祈りぬいていく決心である。
 なお、きょうは、「現代の鳩摩羅什」であり、「世界広布の大功労者」であるSGI公認通訳の代表も参加されている。宝の皆さまである。本当にご苦労さま。いつも、ありがとう!
 世界百八十八カ国・地域の全同志とともに、私は心より感謝申し上げたい。
7  政治に精神性の光を!
 今は緑輝く五月。ロンドンでのトインビー博士との二年越しの語らいを思い出す。今年で、対談を終えてから三十一年となる。
 (=名誉会長とトインビー博士は一九七二年と七三年の五月、約四十時間にわたる対話を行い、対談集『二十一世紀への対話』〈本全集第3巻収録〉を発刊した)
 博士は私との対談のなかで、「あなたは必ず世界から名誉博士号を受けるでしょう。私以上に、たくさん受けるかもしれません」と言ってくださった。忘れ得ぬ歴史である。
 今、その言葉のとおり、全世界の数多くの大学から名誉学術称号をいただいている。(=二〇〇六年十二月現在、世界の大学、研究機関から二百二の名誉学術称号を授与されている)
 トインビー博士は一九六七年、来日のさい、「読売新聞」紙上で、こう論じておられた。
 「精神的に成長しなければならない一番必要なものは政治の問題だと思う。
 私たちが人間に対してもっている道徳はそんなに低くはない。
 しかし、政治になると、それが標準以下になることが多い。そういう点からいってインドのマハトマ・ガンジーの態度は私たちの手本になるのではないか。
 インドを独立させるという大仕事を武力、暴力を使わないで、しかも相手をにくまないでなしとげることを教えた。この点が大事なところだ。つまり宗教的精神の政治への導入である」(一九六七年十一月十九日付)
 何度も味わい、深く思索すべき言葉であろう。
 先の見えない時代である。世界は確固たる「哲学」と「精神性」を必要としている。
 創価の大哲学運動への賞讃が、世界でますます高まっているのは、皆さまがよくご存じのとおりである。
8  青春のスクラム楽しく 女子部の時代が到来!
 女子部長、書記長を中心に、「花の女子部」の前進と拡大は、まことに目覚ましい。
  青春の
    スクラム楽しや
      女子部かな
 「女子部の時代」である。女子部の育成に、いよいよ全力をあげていきたい。
 「若さ」は、それ自体、大きな力である。
 創価学会は、青年学会″として、勢いよく前進してきた。
 しかし、年を取るにつれ、幹部であっても、心堕ち、文句ばかり言って真剣に学会活動をしない人間が出てくることを、私は心配する。
 もしも、要領だけの、ずるい幹部がいれば、組織は停滞してしまう。
 未来永遠にわたって、はつらつたる草創の息吹を全学会にみなぎらせたい。その新たな革命のうねりを起こしゆくのは、だれか。
 青年部である。なかんずく女子部の皆さんであると私は強く期待している。
 女子部は純粋である。真面目である。何事にも真剣だ。ウソを許さない。
 女子部がいると、会合がパッと明るくなる。皆が元気になる。勇気と希望がわく。
 信心強き女性が一人、毅然と立ち上がれば、一家も、地域も、社会をも、大きく幸福の方向へと向けていけるものだ。
 「婦女一体」の前進も、うるわしいかぎりである。女子部に対する、婦人部の方々の真心からの激励は、計り知れない力となっている。
 女子部の皆さん、よろしく頼みます!
9  悩みも成長の原動力に
 はつらつとした『赤毛のアン』の物語で有名な、カナダの女性作家モンゴメリー。彼女は、小説の中でアンに語らせている。
 「どんな人生も、試練や悲しみをへなければ、発展もしないし、ふくらみも出ないのよ」(『アンの愛情』掛川恭子訳、講談社)
 深い含蓄のある言葉である。
 悩みをも成長の原動力にする「煩悩即菩提」の希望の哲理。それを、わが胸にいだいて、広宣流布の大目的に進みゆく創価の乙女の青春ほど、強く、朗らかなものはない。
 またモンゴメリーは『アンの幸福』で、アンの心情をこうつづっている。
 「なくてはならない人だと思われるのは、うれしいものだ」(掛川恭子訳、講談社)
 牧口先生の指導には、「いてほしいと言われる人になれ。その極限が仏である」とある。
 その言葉のとおり、今、社会の最前線で、女子部員の活躍が、さわやかな共感を広げている。
 先日も、ある最大手の印刷会社のトップの方が、女子部員である秘書が、すばらしい模範の姿を示しているとの声を寄せてくださった。
 こうしたうれしい報告が、これまで数多く届けられている。
 日本を代表する家具商社に勤め、最年少で女性管理職(業務推進室の室長)に抜櫂され、信頼を広げてきた区の女子部長もいる。
 さらに、有名な生命保険会社において、支社の「事務総合リーダー」として手腕を発揮する女子部の友がいる。彼女は、区の教学部長を務めている。
 その他、大手コンピューター会社で見事な営業実績をあげて社長賞を受けたり、銀行で頭取賞を受賞したり、さらにまた、老舗の和洋菓子店で「年間売り上げ第一位」の成果をおさめたりと、女子部の勝利の実証は枚挙にいとまがない。
 仏法の真髄は「人の振る舞い」にある。
 大聖人は、「みやづか仕官いを法華経とをぼしめせ」と仰せだ。仕事を「法華経の修行」と思いなさいと教えられている。
 自分がいる場所が、わが使命の舞台である。
 その会社の繁栄を祈り、職場の発展を祈って、真剣に、誠実に努力する一人の女子部員の健闘が、どれほど大きな波動を社会に広げていくことか。
 けなげな、また、凛々しき「本門の女子部」の行進に対し、私は妻とともに喝采し、記念の言葉を贈りたい。
  晴れ晴れと
    強き唱題
      今日も勝て
  
  幸福に
    そのために
      勇気をば
  
  世界一
    幸福の道
      この道と
10  困難を乗り越えてこそ勝利が!
 アメリカをはじめ、今、世界各国で反響を広げている「哲学書」がある。
 アメリカ実践哲学協会の会長であるマリノフ博士の著書『大いなる問い――哲学は、いかにして人生を変えうるか』である。日本語にも翻訳され、最近、発刊された。
 (=日本語版の題名は『元気哲学――人生篇』〈吉田利子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ〉。
 同書では、代表的な古今の「九十九人の哲学者・哲学書」をあげ、ソクラテス、プラトン、釈尊などとともに、日蓮大聖人が紹介されている。池田名誉会長も、その一人にあげられている。
 また、「『人生問題を解決し、あなたを元気にする』哲学の八つの効能」の一つとして「解放する」ことが取り上げられ、名誉会長の次の言葉が引用されている。「生命は、じつに測りがたい可能性を秘めている……多くの場合、私たちが限界を感じるのは、自分自身を限りある存在として規定してしまうからにほかならない」)
11  マリノフ博士は強調しておられる。
 「仏法が目指すように、人類の真の勝利の証は、すべての人々が苦悩から解放されることにある。しかし、苦悩からの解放といっても、それは苦悩を避けて通ることを意味するのではありません。それを乗り越えることです」
 「池田SGI会長が教えられているように、人間には自らの限界を乗り越えていく力が備わっています」(「聖教新聞」二〇〇三年十一月五日付)
 だから、自分で自分の可能性を狭めてはいけない。
 苦労を避けて成長はない。
 個人も、そして団体も、大きな困難を乗り越えてこそ、偉大な勝利の歴史を築くことができるのである。
 博士は、こうも語っておられた。
 「私たちは、他人を助けようとする力が増せば増すほど、それだけ強い友情に満ちた友人を見つけることができます」(同二〇〇三年二月十八日付)
 創価の友情と結合が、生き生きと拡大しているゆえんも、ここにある。
 フランスの思想家モンテーニュは記している。
 「少しも他人のために生きない人は、ほとんど自分のためにも生きない人である」(『エセー』6,原二郎訳、岩波書店)
 自分のためだけに生きる人生は、最後は、さびしい。深い喜びは、つかめないであろう。
 御書には「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」と仰せである。
 人のために行動することで、自身が豊かになる。大きく成長できる。
 友のために祈り、法のために歩き、正義を語りぬいた事実は、厳然たる功徳となって自身に返ってくるのである。
12  宝はわが胸中に
 大聖人は女性の門下に、こう仰せである。
 「わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。
 たとえば籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。
 口に妙法を呼びたてまつれば、わが身の仏性も呼ばれて、必ず、顕れる。梵天や帝釈の仏性は、呼ばれてわれらを守ってくださる。仏・菩薩の仏性は、呼ばれてお喜びになる」(御書557㌻、通解)
 題目が根本である。
 題目で、何ものにもゆるがぬ「仏の生命」を開いていくことができる。
 スイスの思想家ヒルティは記した。
 「すべての真の財宝は、われわれの力の中にあるものにあるのだから、嫉妬や羨望はおよそ意味をなさない」(『幸福論』1、『ヒルティ著作集』1、氷上英廣訳、白水社)
 他人と比べるのではない。大切なのは自分自身の「心」を磨いていくことだ。わが生命を豊かに光り輝かせていくことだ。
 どうか「題目第一」、そして「健康第一」で、希望と歓喜に燃えて、人類が夢に見た「生命の解放」そして「生命の勝利」に向かい、快活に大連帯を広げてまいりたい。
 大教育者ペスタロッチは、若き日の論文の中で、″偉大にして崇高なる事業は、必ず卑劣な誹謗にあう″と達観しながら、こう叫んだ。
 ″真実と道義の友よ、勇気を持て!″″不幸になるのは、かえって誹謗した張本人だ。君たちは、誹謗されることによって、むしろ栄光を勝ち得るであろう″(「アギス」佐藤守訳『ペスタロッチー全集』1所収、平凡社。参照)
 この言葉を皆さま方に贈り、記念のスピーチとさせていただきたい。
 きょうは、本当にありがとう! お元気で!
 (東京・新宿区内)

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