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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部代表懇談会 「誠実な対話」で壁を破れ!

2005.5.3 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  五・三「創価学会母の日」おめでとう!
 全国の、また全世界の広宣流布に戦いゆく同志の皆さま方のおかげで、晴れやかな「五月三日」を迎えることができました。
 五月三日は、わが創価学会の原点の日です。
 皆さま方の広宣流布に向かっての献身的なご努力に心から感謝します。本当にありがとう。ご苦労さまです。
 きょうより、また来年の五月三日をめざし、健康で、楽しく、堂々と前進してまいりたい!
  栄光と
    勝利の旗も
      堂々と
    広宣流布の
      金の城かな
 昭和三十五年(一九六〇年)の五月三日、第三代会長就任の朝に、大田区の小林町の自宅で詠んだ和歌である。
 尊き全会員の守護と、三世永遠の広布の勝利を強く深く祈りつつ、私は、この一首をつづった。
 明年(二〇〇五年)は四十五周年となる。
 南は沖縄、九州から、北は北海道、東北まで全日本列島に、創価の「栄光と勝利の旗」がひるがえり、広布の「金の城」は世界百八十八カ国・地域に広がった。
 尊き同志の力で、「完璧な勝利」の五月三日を飾ることができた。
 これも、すべて、学会員の皆さまの祈りと戦いのおかげである。全同志に、私は心からの熱い感謝を捧げたい。なかんずく、婦人部の皆さま、ありがとう!
 そして「創価学会母の日」、おめでとう!
2  うれしいことに、また光栄なことに、五月三日を祝賀してくださる世界の知性の声が、今、間断なく寄せられている。
 私がともに対談集(『地球対談 輝く女性の世紀へ』主婦の友社)を発刊した、女性の未来学者のヘンダーソン博士からも、真心あふれるメッセージをいただいた。
 深く感謝しつつ、その一端を紹介させていただきたい。
 「五月三日にあたり、すべてのSGIのメンバーの皆さまに、心からのお祝いを申し上げます。
 この日は、全世界にとっても、まことに喜ばしい日であります。
 池田SGI会長は、『地球市民の思想』を、世界の主流の思想へと高められました」
 「私たちは、今や、地球市民の声こそが、(超大国のパワー〈力〉に対する)第二の″スーパー・パワー″となっていると考えることができます。
 その重要な連帯を担っているのが、創価学会のような″一つの地球家族″というビジョンをもって運動を推進する団体なのです。
 こうした国境を超えた運動こそが、狭い視野しかもてない政治などの指導者たちの存在を乗り越えていく力となるのです。
 私たちは今こそ、この地球的なビジョンを、より強力に世界に伝えていかねばなりません。それによって、私たちは世界を変えていくことができるのです」
 皆さま方の日々の行動は、最も堅実に地域に根ざしつつ、しかも地球的なスケールで波動を広げている。
 皆さま方が勇敢にあげゆく「正義の声」こそが世界を変えていく力なのである。
 ヘンダーソン博士と私の対談集は、大きく反響を広げ、アメリカでは英語版、ブラジルではポルトガル語版の発刊の準備が進められている。(=英語版は二〇〇四年九月、ポルトガル語版は二〇〇五年三月にそれぞれ発刊された)
3  博士は、五月三日が「創価学会母の日」であることを喜ばれ、こうも語られた。
 「社会の大きな変革は、もはや古い権威の力に期待することはできません。その変革は――女性たちのなかからこそ始まります」
 「女性のかけがえのない役割は、たんに母としての存在だけでなく、平和で調和に満ちた社会を築く、最大の原動力としての存在にあるのです」
 「私は、『二十一世紀こそ女性の世紀である』という、池田会長の見解に深く同意いたします。そして創価学会婦人部に、心からの賞讃を贈ります」
 世界の女性リーダーが、こうして「女性の世紀」の先頭に立つ婦人部の皆さま方の大前進にエールを寄せてくださっている。これほど誇り高いことはない。
4  日蓮大聖人は、女性には「偉大な力」があることを、繰り返し強調された。
 そして、広宣流布にいちずに戦う女性信徒を「聖人」「上人」と敬い、また数々のお手紙をしたため、励ましていかれたのである。
 大聖人の大慈悲に、多くの人々が感謝した。そうした姿に嫉妬した者もいたであろう。釈尊と同じように、大聖人も卑劣なデマを流され、迫害されたのである。
 ともあれ、信心強き女性信徒を、大聖人は心から信頼された。
 今でいえば、婦人部であり、女子部の方々である。広宣流布を現実に進めているのは、そうした庶民である。
5  「日蓮が如く」戦う心に大生命力が
 昭和四十五年(一九七〇年)、言論問題の真っただ中で迎えた五月の三日、私は謳った。
  三類の
    嵐の怒濤を
      乗り越えて
    創価の本陣
      勝利の指揮執る
 思えば、文永十年(一二七三年)の閏五月、あの佐渡流罪の大難のさなか、大聖人が記されたのが「顕仏未来記」である。
 「(謗法が充満する末法の)この時に当たって、諸天善神は、その国を捨てて離れ、ただ邪天・邪鬼等がいて、王臣(権力者)・比丘(僧)・比丘尼(尼)等の身と心の中に入り住んで、法華経の行者に対して悪口を言わせ、誹謗させ、辱めるようにさせる。そういう時である。
 しかしながら、仏の入滅後において、四味・三教等(の権教=仮の教え)への邪な執着を捨てて、真実の大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩が必ず、法華経の行者を守護するであろう。
 この行者は、(諸天善神や地涌の菩薩などの)守護の力を得て、本門の本尊・南無妙法蓮華経を一閻浮提(全世界)に広宣流布させていくにちがいない」(御書507㌻、通解)
 この時、大聖人は、「今年、今月にも、万が一にも死をのがれようのない身命である」(御書509㌻、通解)という法難の渦中にあられた。
 そのなかで、厳然と「一閻浮提への広宣流布」を宣言なされたのである。
 この大聖人の「未来記」を断固として実現するために、ありとあらゆる難を覚悟して立ち上がったのが、仏意仏勅の創価学会である。
6  昭和二十六年(一九五一年)の五月三日、第二代会長に就任された戸田先生は、「七十五万世帯」の大折伏を叫ばれ、「東洋広布」「仏法西還」を訴えられた。
 昭和三十五年(六〇年)の五月三日、第三代会長に就任した私は、先生の遺命の「三百万世帯」の拡大、そして「世界広宣流布」への前進を、わが同志とともに誓いあった。
 御聖訓には、「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」、「日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」と仰せである。
 この「日蓮と同じく」「日蓮が如く」との御金言のまま、広宣流布の大誓願を掲げて、新たな戦いを開始する日こそ、「われらの五月三日」である。
 大聖人のお心をわが心として、諸難を恐れずに、妙法流布へ打って出る――ここに、五月三日の永遠の原点がある。
 だからこそ、この五月三日を決意新たに迎えるわれらには、いつも、またつねに御本仏の大生命が赫々と脈動するのだ。
7  大聖人は、四条金吾の夫人である日眼女へのお手紙の中で、こう励ましておられる。
 「年は・わかうなり福はかさなり候べし」と。
 妙法という生命の大法とともに生きる人は、年ごとに若々しくなる。生命が輝いていく。福運あふれる人生を勝ち飾っていける。
 これが御本仏のお約束である。
 若さとは、「動く」ことである。
 知恵を振り絞り、心を働かせ、何かを為すことだ。どんな境遇にあっても、何とかしようという挑戦の心を忘れないことだ。
 その人の生命は若い。
 反対に、自分からあきらめて、動かなくなれば老いるしかない。これが生命の鉄則であろう。
 学会は今、大きく動いている。堂々たる前進をしている。
 この仏意仏勅の学会とともに、同志とともに、大きく動いていく――その実践のなかにこそ、無量無辺の福徳が輝くのである。
8  正法正義の行者を、必ず諸天が守る
 戸田先生は、ご自身の会長就任一周年にあたる昭和二十七年(一九五二年)の五月三日を、私ども夫婦の結婚式の日としてくださった。
 そのときに、先生は言われた。
 「二人して、広宣流布のために、生きて生きて生ききれ!」
 このご指導どおりの人生の年輪を、私たちは刻んできた。今年で五十二年となる。
 一九九〇年(平成二年)の五月三日、私は妻とともに、勇敢なるわが同志のご健康とご多幸を祈念しつつ、次の一首を書きとどめた。
  夫婦して
    創価の大軍
      護りたる
    正義のために
      広布のためにと
 嫉妬に狂った邪宗間が、私をはじめ学会への牙をむき出しにしたのは、この年のことであった。
 私たちは、御書のままに、断固として祈り、戦った。そして断固として勝った。勝ちに勝った。
 大聖人は、四条金吾に送られたお手紙に、こうつづられている。
 「法華経法師品には『則ち変化の人を遣わして之が為に衛護と作さん』(仏がさまざまな姿の人を派遣して、必ず法華経の行者を守る)と説かれている。疑ってはならない。
 また安楽行品には『刀杖も加えず』(法華経の行者を刀や杖などで害することはできない)とあり、普門品には『刀はいで段段に壊れなん』(法華経の行者を、斬りつけようとする刀は、すぐにいくつにも折れてしまう)とある。
 これらの経文は、よもや嘘ではあるまい。強盛な信力こそ、ありがたいことである」(御書1114㌻、通解)
 正法正義の行者を、諸仏も、諸天も、必ず守る。いかなる怨敵の刃も、強盛の信力には絶対に、かなわない。これが法華経の約束である。
 広宣流布の闘士を迫害する輩は、「還著於本人(かえって本人に著きなん)」(法華経六三五㌻)の法理によって、かえって自分自身にその悪の果報を受け、自滅してしまう。
 その厳粛な実例は、皆さま方がご覧のとおりだ。
 牧口先生は、「日蓮大聖人が『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せになって居るように、これ(=現証)こそ宗教の生命といふべきもの」(「牧口常三郎全集」10)であると断言された。
 そして、″真実なる信仰が強盛であればあるほど、現証の起こるのが早い″とも記されている。
 これが「創価の父」の大確信である。
 学会には「強盛なる信心」がある。これほど、強いものはない。
 五月の三日は、ありとあらゆる難を乗り越え、勝ち越えて、「正義の勝利」の金字塔を打ち立てゆく日である。
9  人生は戦い
 仏法は勝負である。人生は戦いである。古今の哲人が洞察したように、この宇宙にあっては、生きとし生けるもの、すべてが戦っている。
 「人生とは――戦いであり、進軍である」(『文読む月日』上、北御門二郎訳、筑摩書房)
 ロシアの作家トルストイは、このイタリアの独立の英雄マッツィーニの箴言を書き残した。
 トルストイ自身、人生の最後の最後まで戦い続けた文豪である。
 ロシアの文豪といえば、ショーロホフ氏(一九〇五年〜八四年)との会見を鮮明に覚えている。(ショーロホフ氏は、口シアを代表する作家。一九六五年、ノーベル文学賞受賞)
 お会いしたのは、私が初めてソ連(当時)を訪問した折のことであった。(一九七四年九月十六日)
 氏は、モスクフにある質素なアパートの一室で待っていてくださった。
 私との出会いをたいへん喜んでくださり、「ぜひ、乾杯をしましょう!」と、コニャックを何度も勧めてくださる。私はアルコールがまったくだめなので断ろうとしたが、なかなか許してくれない。そのやりとりに、部屋が何度も爆笑に包まれた。懐かしい思い出の一場面である。
 氏は、幾多の嵐を乗り越えてきた不屈の作家であった。
 最高傑作と言われる『静かなドン』が「盗作だ」と中傷されたこともあったが、氏は″言いたいやつには、言わせておけ″と、じっと耐えぬき、書き続けた。
 「文学者でもある池田会長は、何も言わなくても、すべてわかってくれる」――初めての出会いだったが、旧知のように、すぐに心が通じあった。
10  出会う人の心を変える
 この初訪ソは、モスクワ大学の招きによるものであった。
 モスクフの空港に到着した私たちを、真っ先に出迎えてくださったのが、同大学のホフロフ総長である。著名な放射線物理学者の総長は、じつに不思議な人格の魅力にあふれた方であられた。
 当時、日本において、ソ連に対するイメージは決してよくなかった。社会主義陣営と西側諸国の間の壁を象徴する、″鉄のカーテン″という言葉もあった。マスコミの影響も大きかった。
 しかし、ホフロフ氏の人柄には、そうした懸念を一掃する力があった。出会う人の心を、がらりと変えてしまう力があった。
 人の心には、さまざまな先入観や偏見がある。それらが、正しい理解や認識を妨げている場合が、あまりにも多い。そうした″心の壁″を破るものは何か。それは、温かな人間性であり、開かれた対話であり、どこまでも誠実な振る舞いである。
 ホフロフ総長は、一九七七年、登山中の不慮の事故で亡くなられた。九六年にモスクワ大学で「生誕七十周年記念式典」が行われた。私は、この式典に、総長の功績をたたえるメッセージを送らせていただいた。
11  平和のカギは民衆の手に
 現代を代表する経済学者である、アメリカのガルブレイス博士(ハーバード大学名誉教授)と続けてきた対談の連載が、このたび、月刊誌「潮」の六月号(二〇〇四年)をもって完結となった。
 「人間主義の大世紀を――わが人生を飾れ」と題して、政治・経済から、平和・文化・教育・言論など、さまざまなテーマを縦横に語りあうことができた。
 おかげさまで、各界より多大な反響が寄せられ、大きな意義を刻む対談となった。
 九十五歳の博士も、一回一回、後世のために、真剣に臨んでくださった。また、キャサリン夫人も、私たちの対談を温かく見守ってくださった。心から感謝申し上げたい。(=二〇〇五年九月、『人間主義の大世紀を―わが人生を飾れ』〈潮出版社〉として発刊。ガルブレイス博士は二〇〇六年四月、九十七歳で逝去)
 最終回の対談で、ガルブレイス博士は、″平和を実現しゆくカギは、あくまでも民衆の側にある″と強調され、″政治家など指導者を、人々がつねに監視していかねばならない″と叫ばれた。
 まったく同感である。ここに、民主主義の根本の道がある。
 この草の根の模範の行動を貫いてきたのが、わが創価学会である。
 ガルブレイス博士も、平和のために行動するSGIの活動に、長年にわたって深く注目し、大きな期待を寄せてくださった一人である。
 ともあれ、民衆は賢くなり、力を持って、語りに語っていくこと――これが時代変革ための大きなポイントであるという点で、博士と私は一致した。
 これこそ、今、わが同志の皆さま方が、全国の津々浦々で展開している、触発と変革の対話運動なのである。
12  電光石火で反論
 また、対談の最終回でガルブレイス博士は、″言論人には「真実に対する責任」がある。それは、とりもなおさず「真実の追求に対する責任」である″と喝破しておられた。
 博士自身、かつて不当な誹謗・中傷を受けた一人である。
 それは、半世紀前の一九五五年のことであった。こともあろうに、ある上院議員がテレビで、民主主義の擁護者である博士のことを″熱烈な共産主義的活動を行った″と決めつけ、中傷したのである。
 博士は、ただちに電光石火で反撃した。
 その日のうちに、全通信社と全放送局のネットワークに反論の電報を打ったのである。
 その中で博士は、この議員が博士の文章に手を加えて細工をしたと述べ、こうした卑劣な行為は、まともな政治家の仕業ではないと鋭く糾弾した。
 さらに博士は、追撃の手をゆるめなかった。
 博士は、その議員の地盤の州にある著名な大学で講演し、″非難中傷に対する反撃の心得″について論じたのである。
 実際、博士の息もつかせぬ鋭い反撃は、多くの反響を呼び、共感を広げていった。
 そして結局、博士を中傷した議員は、陳謝の意を示さざるを得なくなったのである。(『回想録』、『ガルブレイス著作集』9,松田鉄訳、ティビーエス・ブリタニカ。参照)
 ともあれ、「わが人生」を偉大な勝利で飾り、「人間主義の大世紀」を築くゆくために、勇敢なる正義の言論戦を堂々と繰り広げることだ。
 何ものも恐れずに進むことだ。
 その分だけ、「平和と人道の連帯」への共感が広がる。理解が深まるまる。信頼が増し、新たな友情が拡大されるのである。
 これが対話の「真髄の力」である。
 御書には「声仏事を為す」とある。大聖人は「声を惜しまず」正法を語りぬく重要性を、繰り返し教えておられる。
 (「御義口伝」に「日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべき」、「如説修行抄」に「法華経独り成仏の法なりとこえも惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」等と仰せである)
 また御書には、仏敵を「せめ返し・せめをとし」と示されている。
 正法を破壊する悪人とは断じて戦うことだ。
13  生き生きと! 題目に勝るものなし
 さまざまな課題をかかえ、困難な状況にある友を、どう激励していくか。
 大聖人は、広宣流布の女性指導者として活躍する千日尼に、こう仰せである。
 「(相手の謗法不信の罪が)浅い罪であるならば、こちらから許して功徳を得させるべきである。重い過失であるならば、信心を励まして、その重罪を消滅させるべきである」(御書1306㌻、通解)
 相手が大変な状況にある時こそ、真心からの声をかけていくことである。題目を送ってあげることだ。
 たんなる「気休め」や「なぐさめ」ではない。
 信心を根本に、大きな希望に燃えて立ち上がり、自信をもってふたたび前進していけるように、リードしてあげることである。
 その人が悪縁に紛動されて、不幸の方向へ流されないように、微動だにしない「幸福の土台」を固めてあげることだ。
 広布に生きぬく人生は、絶対に護られる。同志から、また諸天善神から、そして仏菩薩から、厳然と加護される。
 これほど盤石な、幸福と安穏の人生の軌道はないのである。
 ともあれ私たちは、一年また一年、「五月三日」を迎えるごとに、大きく境涯を広げてまいりたい。新たな栄光の「金字塔」を打ち立ててまいりたい。
 大聖人が女性の弟子に与えられた御聖訓には、こう説かれている。
 「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(御書557㌻、通解)
 題目に勝る力はない。
 私たちは朗々と題目を唱え、縁する一切の人々に希望の″生命の光″を贈りながら、朗らかに、悠々と、「歓喜の中の大歓喜」の行進を繰り広げてまいりたい。
 御書には「心こそ大切なれ」と仰せである。立場や肩書ではない。年齢でもない。
 広宣流布のため、友のために働く。尽くしていく。その「心」に、「行動」に、大きな福徳が積まれていくのである。
 ますます生き生きと、若々しい心で、「わが人生はすべてに勝利!」と誇れる一日一日であっていただきたい。
 結びに、尊敬する大切な全同志の幸福を心より祈りつつ、
  晴れわたる
    五月三日の
      勝利山
 と一句をお贈りし、記念のスピーチとさせていただく。
 どうかお元気で!
 健康長寿の人生を!
 きょうは本当にありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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