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日蓮大聖人・池田大作

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第三十七回本部幹部会、第七回全国青年部… 朗らかに! 創価の前進は世界の希望

2004.4.22 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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1  人類の幸福がわれらの使命
 全国の皆さん、また芸術部をはじめ各部の代表の皆さん、ご苦労さま!
 海外の皆さんも、ありがとう!
 インドの大詩人タゴールは叫んだ。
 「宗教的情熱が向けられるべき唯一の目標は人類の幸福である」(「インド史のヴィジョン」山崎元一訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)
 宗教は、人類の幸福のためにある――非常に大事な真理である。
 これが、日蓮大聖人の御遺命であり、根本であり、釈尊の根本の精神であった。
 そのとおりの実践をしているのが、わが創価学会である。
 この正しい軌道をはずれてしまえば、どんな宗教も、結局、衰退を余儀なくされていく。
 そうした時代のなかにあって、宗教界の太陽のごとく輝いているのが、わが創価学会である。
 皆さんは勝った。堂々と勝ったのである。
2  ″宗教なくして道徳はない″
 次に、アメリカのワシントン初代大統領の言葉を紹介したい。
 「宗教的原理なしに国民道徳が実行されうるとは、理性にてらしても、経験によっても到底期待しえない」(黒田和雄編訳『アメリカ大統領演説集』原書房)
 宗教性という大地があってこそ、国民の道徳という柱が立つ。これは道理である。
 さらにワシントンは、「善徳もしくは道徳が民主的政治にとって必要な原動力の一つであることは、実質的にいって真理である」(同前)と述べている。
 つまり、宗教と道徳がなければ、健全な民主主義は育たないし、理想の政治もない。ゆえに、国民の幸福もない。これがアメリカ初代大統領の叫びであった。
 ともあれ、私たちは、民衆の幸福と社会の繁栄を築きあげていく根本の大法を、社会に世界に広げてきた。
 創価学会は正しいのである。
 大事なのは、「忍耐」である。すべてをはねのけて進む「勇気」であり、皆を包み込む「朗らかさ」である。
 低次元の中傷批判など、笑いとばしながら、愉快に、そして朗らかに、正義の道を前進してまいりたい。
3  「犬は師子を吠れば腸くさる」
 天も晴れ、地も晴れ、心も晴れわたる、勝利と栄光の五月三日を記念する幹部会、本当におめでとう!(拍手)
 日蓮大聖人は、迫害に屈せず、信心の勝利の道を進む弟子の姿に、「長き夜が、ついに明けたように、うれしい」(御書一一六五ページ、趣意)と仰せである。
 学会は、ありとあらゆる「三類の強敵」との戦いを、すべて勝ち越えてきた。
 まさに、御聖訓に仰せの「妙法独り繁昌」しゆく「創価の世紀」――この偉大な夜明けが、いよいよ到来したのである。
 ひとたび、太陽が昇れば、星は消える。
 尊き皆さま方をいじめたり、軽んじたり、苦しめてきた日顕宗など増上慢の一派は、ことごとく敗北し、衰亡の一途をたどっているのである。
 仏罰の現証は厳しい。仏法の大法則に反逆すれば、破滅の方向へ、不幸の方向へと進んでいくことは当然である。
 御聖訓に「犬は師子をほうれば腸くさる・修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る」とあるとおりだ。仏法の「因果の理法」は厳然である。
4  あらためて、大切な海外の同志の皆さま、遠いところ、ようこそお越しくださいました!
 皆さまの崇高な仏法求道の研修――本当に立派である。人間として、これ以上の行動はない。
 きょうは、皆さんに、すばらしいニュースをご報告したい。
 それは、広布四十周年を迎えるオセアニアで、わがSGIの連帯が新たに拡大したのである。
 今回、新しく創価の組織が誕生したのは、太平洋に輝く「マーシャル諸島共和国」。
 オーストラリアとハワイの中間に位置し、「美しき楽園」として世界的に有名である。青き大海原に、サンゴの島々が宝石の輪のように連なり、「太平洋の真珠のネックレス」とも謳われている。
 この世界の憧れの天地に、今月、六人の同志によって、「地区」が結成されたのである。
 先日(二〇〇四年四月九日)、歓喜あふれる第一回の地区座談会が開催された。
 初代の地区部長は、同共和国の大統領をはじめ、社会から厚い信頼を寄せられている同志である。
 この国を入れて、わがSGIの平和と文化と教育の連帯は、世界百八十八カ国・地域になったことを、ご報告したい。
 御聖訓にいわく。
 「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし
 この大聖人の未来への大宣言は、わが創価学会によって、完璧に実証されているのである。
 牧口先生、戸田先生も、どれほど、喜んでくださっていることか。
 「大作、やったな!」「弟子たち、やったな!」と微笑んでおられるお顔が、目に浮かぶようである。
 きょうは、牧口家、戸田家のご関係の皆さまも、ご多忙のところ、ご出席くださっている。心から感謝申し上げたい。
 さらに、広宣流布の正義の僧侶の方々も、本当にありがとう!
 そしてなんと言っても、幹部会といえば、花の芸術部の皆さん、いつもいつもありがとう!
5  世界の知性が五月三日を祝賀
 世界の知性が、われらの「五月三日」を心から祝賀してくださっている。
 世界中から、祝福の手紙や電話などの連絡が寄せられている。
 「中国学術界の至宝」と言われ、香港中文大学の終身教授である饒宗穎じょうそうい博士からも、丁重なメッセージをいただいた。
 饒先生は、「東洋のレオナルド・ダ・ヴインチ」ともたたえられる巨人である。
 この饒先生の傑出した学才は、仏教学、儒学、道学、考古学、敦煌学、言語学、そして書画の世界と、万般にわたっている。今年、数え年で八十八歳。今も赤々と、探究と創造の炎を燃やし続けておられる。
 この現代を代表する大学者の声を、きょうはそのまま、伝えさせていただきたい。
 「五月三日『創価学会の日』、まことにおめでとうございます」
 「池田先生が創価学会の会長に就任されたのは一九六〇年の五月三日です。当時、メンバーは日本にかぎられ、その数は百四十万世帯ほどであったとうかがいました。
 しかし、四十余年を経た現在では、創価学会は世界に広がり、一千万人を超えるメンバーが活躍しておられます。
 私は、こうした拡大もさることながら、創価学会のすばらしい特徴は、その名が示すごとく、社会に優れた価値を創造してきたところにあると思っております。
 創価学会は、文化の価値、学術の価値、教育の価値を重視し、仏教の慈悲と寛容の精神を社会に宣揚してこられました。
 SGIが世界各地で『互益(=自他共に利する)』活動を展開し、全人類に『太和(=大いなる平和)』の境地を広げていることに、敬意を表したいのです」
 「法華経では『皆成仏道(=法華経を信受した衆生は、すべて成仏すること)』、さらに『平等大慧(=一切衆生が平等に仏性をもつと悟った仏の智慧)』を説いておりますが、その精神を体現され、社会と世界に正しくこの精神を実践し、活動を展開してこられた方こそ、池田先生であります」
 またじょう先生は、こう記してくださっている。
 「本年は池田先生が初めて海外の大学で講演をされてから三十周年に当たるともうかがいました。
 初めての講演は、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校であり、以来、ハーバード大学や北京大学、ボローニャ大学などで三十回を超える講演をされています。いずれの大学も学問の最高峰であります」
 さらに現在、世界の多くの大学から講演の依頼が寄せられていることをご報告させていただく。
 饒先生のメッセージでは、続けて、こうつづられている。
 「私は一人の学究者として、池田先生の学問的博識と分析力、精神性の高みが比類なきものであること、さらに、多くの人々に強い影響を与えてこられたことに驚嘆しております」
 「先生の実践こそ、偉大なる透徹した智慧の力をもって、人々を啓発するものであると確信いたします」
 過分な賞讃であり、丁重にお礼を伝えさせていただいた。
 ともあれ、私たちの哲学と運動への信頼が、どれほど大きいか。世界の知性は、正しく見ている。応援してくれている。大いなる希望をもって見つめている。きょうは、このことをお伝えしたかったのである。
 とくに、若い諸君に、よろしく頼みたい。諸君たちの時代である。
 このほかにも世界各国から、多くの識者の声が、続々と届いている。
 世界の第一級の「英知」と「良識」が、私たち創価学会の勝利を待っている。祈り、求めている。すごいことである。
 今、世界の将来がわからない時代だ。だからこそ、「日本の柱」であり、「人類の希望」である学会を、何ものにも絶対に壊させてはならない。
 さらに学会を成長させ、いちだんと拡大していただきたい。これを青年部にお願いしたい。
 断固として戦い、断固として勝つことである。これが真実の人生であり、信仰者であり、「本門の青年部」の姿だ。
 青年部、断じて頼む!
 もう君たちの時代に入っているのである。
 思えば、私自身、三十代から広宣流布の全責任を担い立ってきた。
 それも、ありとあらゆる迫害を耐えぬきながらの闘争だったのである。
6  陰徳の人が最後は勝つ!
 なぜ、創価学会が幾多の難を受けながら、これだけ隆々たる大発展を遂げたか。
 この一点に注目し、世界では、多くの研究者が創価学会の運動を真摯に探究している。
 (たとえば、国際宗教社会学会の会長を務めたウィルソン博士はドブラーレ博士とともにSGI運動を研究した『ア・タイム・トゥ・チャント』を発表。そのほか、中国とマレーシアの学者による『普遍的価値の実践――マレーシア創価学会の平和・文化・教育運動』、オックスフォード大学出版局発刊の『創価学会・イン・アメリカ』など枚挙にいとまがない)
 結論から言えば、わが異体同心の同志が、来る日も来る日も、偉大な「陰徳」の行動に徹しぬいてこられたからである。
 皆それぞれ、職業も違う。立場も違う。すなわち「異体」である。であるけれども、広宣流布をしよう、世界を平和へ向けていこう、幸福になろう、人も幸福にしていこうと、ともに奮闘している。ゆえに「同心」である。創価学会は、まさしく「異体同心」で進んできたのである。
 「陰徳」とは、人知れず行う、善い行いのことである。
 私どもの毎日は、地味な活動の連続だ。一対一の対話、小さな会合、そして座談会――。脚光を浴びるわけでもない。新聞やテレビに出るわけでもない。それどころか、無理解の非難や、嫉妬の悪口に出あうことすらある。
 しかし、だれがほめなくとも、ただひたすら広宣流布のために、断固として陰徳の行動に徹しぬいてきた。創価学会は、だから勝ったのである。
 御書にいわく「陰徳あれば陽報あり」。
 隠れての善行があれば、善き果報が出ないわけがないと、大聖人は断言しておられる。
 陰徳の行動に徹した人は、その時点で、すでに勝っているのである。
 家族に、子孫に、そして自分自身に、その果報が厳然として現れることは間違いない。
 これが、本当の人生の生き方である。
 ″人にいい格好を見せよう。早くお金を貯めよう。早く偉くなろう″――自己の鍛えも、人に尽くす行動もなく、そうした表面的な華やかさばかり求めるのは、全部、名聞名利である。幻を追っているようなものだ。そのような卑しい心では、本当の幸福を感じることはできない。
7  苦労こそ幸福
 「陰徳あれば陽報あり」の御文は、大聖人が、あの四条金吾に、たびたび送られた言葉である。
 師匠である大聖人が、法華経に説かれるとおりの大難を受けたとき、多くの弟子の心はゆれ動いた。
 ″幸福になるために信心したのに、なぜ、これほど難が続くのだろう。どうして、こんなに苦しい思いをしなければならないのか″――そうした疑いが渦巻いていた。師匠の大聖人を責める者すらあった。
 「臆病」ゆえに、心堕ちたのである。逃げ去った者もいる。恩を忘れ、大聖人を裏切り、弓を引いた者もいる。
 そのとき、勇猛に師子奮迅の力で戦い、大聖人を厳然とお守りしたのが、四条金吾夫妻である。
 そのため、大聖人が四条金吾夫妻に送られた御書は、じつに多い。
 金吾は、あの「竜の口の法難」のさいにも、死を覚悟して大聖人にお供した。その姿は、大聖人門下の鑑である。
 大聖人が流罪された佐渡にも、勇んで馳せ参じた。現代のように交通の発達した時代と違い、当時、鎌倉から佐渡に行くことが、どれほど大変だったことか。その苦労は、今からは想像できないほどである。
 そしてまた、金吾自身も、大聖人を憎む極悪の僧・良観や、金吾を妬む同僚から、事実無根の讒言を捏造され、陰謀によっておとしいれられた。(四条金吾の主君・江間氏は、良観の信者であった)
 領地没収、追放の危機にさらされた。命も狙われた。
 しかし金吾は、大聖人の仰せのまま、「法華経の兵法」をもって雄々しく戦いぬいた。
 私も、戸田先生のもとで、三類の強敵、三障四魔と戦った。とくに、戸田先生が最も苦境におちいったときは、先生を支えるために、言葉では言い尽くせぬ苦労を味わった。しかし私は、ただ一人、師匠に仕えきった。今思えば、あの時が、いちばん幸福だった。
 この時代の、人知れぬ死闘ありてこそ、今日の学会があるのである。
 ともあれ、大聖人の仰せどおりに戦いぬいた四条金吾は、ついに勝った。主君からも、社会的にも、信頼を勝ち取り、所領も以前の三倍となったのである。
 日蓮大聖人も、金吾の勝利の姿を、心からお喜びになられた。
 「前々から言っていたように、『陰徳あれば陽報あり』なのだ」(御書1178㌻、通解)。「仏法を弘めるために、あなたは、ひどい目にあったが、今になってみれば、すごい境涯ではないか」(御書1180㌻、趣意)――。
 まさしく、正義の「絶対勝利の法則」である。
 法のために、どれほどの苦難にあっても、勇気の信心を貫いていくかぎり、必ず乗り越えられる。それどころか、考えられないような大境涯を開いていくことができる。
 大聖人の仰せに、絶対に間違いはない。
8  地道な学会活動に永遠の大福運が
 名声、人気、財宝など、「陽報」のみを追い求めても、それらは皆、はかなく消え去ってしまう。
 永遠に崩れざる大福運は、「陰徳」によってしか積むことはできない。道理のうえからも、体験のうえからも、そうであると断言できる。
 「陰徳あれば陽報あり」とは、陰で、真剣に、いちばん苦労して戦った人こそが、いちばん大きな果報に包まれるという、厳正にして公平なる「希望の法則」である。
 これが仏法であり、私たちの学会活動が必要なゆえんなのである。
 広布の活動には、さまざまな苦労があるかもしれない。しかし、皆さんは、大聖人が仰せのとおりの人生の大道を歩んでおられる。生命は永遠であり、学会活動によって積まれた福徳は、一家、一族に全部つながっていくことを確信していただきたい。
9  指導者は「民衆のために」
 私はこれまでに、皆さん方を代表して、世界から百五十六の名誉学術称号をお受けした。(=二〇〇六年十二月現在、世界の大学、研究機関から二百二の名誉学術称号を授与されている)
 光栄にも、世界第一の知性の「陽報」と言えるだろう。
 その源は、先ほど申し上げたとおり、戸田先生が最も苦境にあったとき、大学進学を断念して、先生をお守りした「陰徳」にある。そしてまた、自分の一身に難を受けきって、学会を守りぬいてきた「陰徳」にある。そう私は確信している。
 この「陰徳あれば陽報あり」という原理を、大聖人は、中国の古典の『淮南子えなんじ』から引かれたと拝される。
 (『淮南子』は紀元前二世紀、中国の前漢時代に淮南王わいなんおう劉安りゅうあんが編纂・巻十八「人間訓」に「夫れ陰徳有る者は、必ず陽報有り、隠行有る者は、必ず昭名(=明らかな名声)有り」〔楠山春樹『淮南子』下、『新釈漢文大系』62所収、明治書院〕とある)
 そこには、いにしえの名君たちが、民の幸福のために尽くしぬいた陰徳によって、末代まで栄え続けたという陽報が記されている。
 その反対に、民に尽くす陰徳がなかった権力者は、皆、無惨に滅亡したという歴史も示されている。
 つまり、政治家をはじめ責任ある指導者に「人民のために」という根本の陰徳があるかどうか。
 そこに衰退か、永続的な繁栄かの分岐点がある。広布の組織にあっても、同じである。
 「陰徳・陽報」とは、この厳粛な歴史の鉄則である。
 ともあれ、誠実に陰徳を積みゆく人間ほど、尊く強いものはない。
 権力の魔性を鋭く監視しながら、正義と真実が勝ち栄えゆく時代を創ることだ。そのために、われわれは立ち上がった。その使命を大聖人は教えられたのである。
 どうか、この誇りと自信をもって、堂々と進んでいただきたい。
10  女性の声を聞け
 さて、五月の三日は、偉大なる創価の母の記念日――「創価学会母の日」である。
 皆で「聡明な母の日 万歳! また万歳!」と、お祝い申し上げましょう!
 とくに青年部の諸君は、お母さんを大事にしていただきたい。
 「母の日」ぐらいは、「母上! きょうは何でもいたします」と、日ごろの感謝の思いを伝えてはどうだろうか。
 とはいっても、反対に「私のことはいいのよ。それより、ちゃんと勤行しなさい」と言われる人もいるかもしれないが。(爆笑)
 また、新生アメリカ婦人部の出発も、おめでとう!(アメリカSGIは、このほど全米五地域の新体制に発展した)
 日本全国、そして全世界の婦人部の皆さまに、私たちは心からの感謝を捧げてまいりたい。
 現在、私は、「平和研究の母」と言われるエリース・ボールディング博士と対談を行っている。(=月刊誌「パンプキン」で連載。二〇〇六年一月、『「平和の文化」の輝く世紀へ!』〈潮出版社〉として発刊)
 博士は語っておられる。
 「平和の文化」は、どこから始まるか。それは、他の人々の言葉に、真摯に耳をかたむけることから始まるものなのです――と。
 そのとおりである。
 学会の組織は「平和の文化」の最先端をめざして進んでいる。
 ゆえに、大事なポイントの一つは、男性のリーダーが、これまで以上に真剣に、また謙虚に、女性の皆さんの声を聞くことだ。それに徹しぬいていくことである。
 女性を心から尊敬していく。女性の優れた意見を大事にし、女性の知恵に学んでいく。
 ここに、創価学会が、もう一歩、前進し、拡大し、水続的に発展していくカギがあることを心に刻んでいただきたい。
 いかなる団体であれ、社会であれ、女性を下に見て、女性の力を発揮させないところは、だんだん衰亡していく。反対に、女性を大事にしたところは、長い日で見れば、必ず向上していく。これは歴史の法則である。
 いわんや、日蓮大聖人の仏法は、男女平等である。御書に「男女はきらふべからず」と明確に説かれているとおりである。
11  破竹の前進を! 自分が壁を破れ
 ここで、妙密上人へのお手紙を拝したい。
 大聖人は、広布に戦う無名の在家の弟子を「上人」とたたえられている。これが、御本仏の振る舞いである。
 大聖人は、″すべては一人から始まる″として、こう仰せである。
 「(日本でただ一人、妙法を唱えた日蓮から始まり、この妙法は)二人・三人・十人・百人、そして(日本の中の)一国・二国・六十六カ国まで弘まり、すでに(壱岐・対馬の)二島にまで及んでいるであろう。
 今は、日蓮を誹謗していた人たちも(妙法を)唱えるであろう。また、日本国の上一人から下万民にいたるまで、法華経の神力品で説かれているように、一同に南無妙法蓮華経と唱えることもあるであろう。
 それは、木が静かであろうと思っても風がやまないために動き、春をとどめようと思っても必ず夏が来るのと同じように、とどめようのないことである」(御書1241㌻、通解)
 ちょうど今の季節――みずみずしい若葉が、ぐんぐんと伸び、育っていくように、そして、さわやかな薫風が吹きわたつていくように、広宣流布は今、千載一遇の好機到来である。
 三世十方の仏菩薩も、また梵天帝釈も、欣喜雀躍と動き、働いている。
 無数の諸天善神も、さらには悪鬼魔民さえも、正義に生きぬく皆さまを護らずにはおかない。
 一人でも多くの友を、平和と人道の大連帯に糾合しながら、無量の福徳を薫らせていきたい。
 われらには「祈りとして叶わざるなし」の信心がある。
 「法華経に勝る兵法なし」の妙法がある。
 「異体同心で万事を成ずる」団結がある。
 勇敢に打って出て、友情を結び、仏縁を広げながら、壮大なる勝利の劇を、愉快に、悔いなく、飾りゆこう!
 一人が、また、一地域が壁を破れば、そこから″破竹の勢い″が生まれる。これが勝利の方程式である。
 御書にも、「竹の節を一つ破れば、他の節も次々に破れる」(御書1046㌻、通解)という原理が示されている。
 どうか、自分が行くところ、向かうところで、「先陣を切った!」「壁を破った!」という誉れの歴史を残していただきたい。
12  異体同心で進め
 何のために信心をするのか。永遠の幸福をつかむためである。
 宿命を転換し、偉大なる人間革命を成し遂げ、さらには全世界を平和にしていく。
 そのための学会活動である。
 戸田先生は、幹部でありながら地道な広布の活動をせず、文句ばかり言う人間には、厳しかった。仏法のために行動しなければ、結局、本人がいちばん、損をするからである。
 大聖人の法門を知り、「御聖訓どおりの信心は、かくあるべきだ」と知りながら、広布の活動をしない人間。
 せっかく御本尊の偉大さを教わっていながら、信心の実践を何もせず、愚痴ばかり言って、偉ぶっている人間。
 さらに、信心を利用する、ずるい人間。自分だけは難を避け、悪口を避け、苦労を避けて、いい子になって、広布の同志を批判する人間。
 そういう人間のことを戸田先生は、「ネコが台所で、人間の食べ残しの食べ物を盗み食いしているような奴らだ。それでは、成仏という大功徳は絶対に得られない。畜生のごとき、独りよがりな卑屈な泥棒信心だ」と言われていた。
 それはそれは厳しかった。そうやって鍛えられたからこそ、今日の創価学会の強い「核」ができあがった。
13  生涯、同志とともに!
 異体同心で前進しよう!
 こう心に決めるとき、三世に輝きわたる偉大な功徳がわくのである。
 中国の周恩来総理は言い残した。
 「革命を裏切った者たちは、最後にはだれからも相手にされないあわれな虫けらに変わり果ててしまうだけであります」(森下修一編訳『周恩来選集』上、中国書店)
 信念を裏切り、同志を裏切った人生ほど、哀れで悲惨なものはない。
 われらは、ひとたび決めた誓いの道を、一生涯、貫き通したい。
14  自分自身が勝利して再会を!
 アメリカのワシントン初代大統領は叫んだ。
 「すべての国ぐににたいして信義と正義を守れ。すべての国ぐにとの平和と調和との関係を育成せよ。宗教と道徳とが、このように振舞うことを命ずるのである」(前掲『アメリカ大統領演説集』)
 すべての国々に対して信義と正義を守れ。そうすれば争いはなくなる。宗教と道徳を根幹にしてこそ、平和は築かれる。これがワシントン大統領の信念であった。
 そして、ロシアの文豪トルストイは述べている。
 「生きることが喜ばしく、死ぬことも喜ばしいのです」(「書簡集」、『トルストイ全集』21〈除村吉太郎訳〉所収、岩波書店)
 仏法は「生死不二」と説く。生きることが本当に楽しく、喜びに満ちていれば、死ぬことも本当に安らかで、喜ばしい――ということを申し上げて、私の話を終わりたい。
 長時間、ありがとう!
15  来年の五月三日も、元気で集いあおう! ともかく、勝って会おう!
 人生も、社会も戦いである。「仏法は勝負」である。
 どうせ戦うならば、自分自身が「よかった!」「おもしろかった!」と言える戦いをすることだ。
 皆が「すごいな!」と驚嘆する結果を示しゆくことである。
 他人はどうあれ、自分自身が戦いきることだ。戦いきれば、すべてが勝利である。楽しく前進していただきたい。
 芸術部もありがとう!
 「わが人生は芸術なり」と、輝く価値創造の日々を生きぬいてください。
 海外の皆さま! 遠いところ、本当にご苦労さま! お体をお大事に!
 サンキュー!
 (東京牧口記念会館)

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