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日蓮大聖人・池田大作

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創価女性協議会 勇気の一歩を! 歩き続けた人が勝つ

2004.2.27 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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2  微笑みに感謝!
 母の微笑みは、人間の宝である。
 あのロシアの大文豪トルストイも、母の微笑みには、周囲を明るく照らし、悲しみさえも忘れさせてしまう妙なる力があると論じていた。
 「人の顔の美と呼ばれるものはすべて、微笑のうちにある」(「幼年時代」、『トルストイ全集』1〈中村白葉訳〉所収、河出書房新社)
 「母親のこころは、――それは地上における神性の驚くべき至高の現われです」(ビリューコフ『大トルストイ』1、原久一訳、勁草書房)
 これが、トルストイの洞察であった。
 わが「創価の母」の皆さま方は、いかなる激しい広宣流布の戦いの連続にあっても、美しい微笑みを絶やさず、同志を励まし、青年を育んでくださっている。
 太陽の婦人部の皆さまに心からの感謝をこめて、記念のスピーチを残したい。
3  きょう二月の二十七日は、「アメリカ婦人部の日」であり、「ブラジル婦人部の日」である。
 ブラジルの女性詩人コラ・コラリーナは謳った。
 「人生の価値は、出発点にあるのではない。歩み続けるなかにある。
 歩みながら種をまいていくならば、最後には、必ず収穫を得るものがあるだろう」
 人生は、歩き続けた人が勝つ。
 種を蒔き続けた人が勝つ。
 婦人部の皆さま方は、来る日も来る日も、法のため、人のために、尊き使命の歩みを、一歩また一歩、辛抱強く貫いておられる。
 そして、社会のため、未来のために、幸福者を増やそう、地涌の菩薩を増やそうと、希望の種を一つまた一つ、労苦を惜しまず植えておられる。
 御書には、「たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」と説かれている。
 年々歳々、功徳の花を香しく咲かせ、福運の実りを豊かに広げゆかれるのが、皆さま方の栄光の人生である。皆さま方の「大誠実」に勝る力はない。
 「誠実はわたしには貴重な宝であり、どうしてもそれだけに失うわけにはまいりません」(『わたしの非暴力』2,森本達雄訳、みすず書房)とは、マハトマ・ガンジーの言葉であった。
4  広布の功徳は子孫末代まで
 広宣流布に生きる人生ほど、偉大なものはない。
 その功徳は、自分自身はもちろん、子や孫、子孫末代までも包んでいく。
 日蓮大聖人が「目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生・三悪道さんあくどうはなるるのみならず皆初住・妙覚の仏となりぬ」と、説いておられるとおりである。
 戸田先生は、よくおっしゃった。
 「自分一人が幸福になるくらい簡単なことだ。子孫末代まで、幸福になっていくのが大聖人の仏法なのである」と。
 われら妙法の同志は、生々世々、自分自身が仏の福徳に輝いていくだけでなく、子どもたちや孫たちも、永遠に、幸福の軌道を進んでいくことができるのである。
 そのためにも大事なのは、総仕上げである。
 建物だって、いくら土台が立派でも、途中で工事をやめてしまえば、それまでの努力はむだになってしまう。中途半端では何事も成し得ない。
 信心も同じだ。
 「これだけやったから、あとは休みなさい」というのは、大聖人の御書にはない。(笑い)
 大聖人は、折あるごとに、「歩みをとめてはいけません」「水の流れるように信心をしていきなさい」「法華経の信心を貫いていきなさい」と仰せになっているのである。
 ぼんやりしていれば、人生は、あっというまに過ぎ去ってしまう。
 進まざるは退転である。広宣流布のスピードに取り残されてはならない。
 そして、あらゆる困難を乗り越えて、最後まで完璧に仕上げていけば、三世永遠に、くめども尽きない偉大な生命力を得ることができるのである。
 不老不死の妙法とともに、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」との御聖証どおりの実証を示される世界の婦人部を、私は心からたたえたい。
5  「悪知識を捨て、善友に近づけ」
 大聖人は、日女御前に「謗法の者を防ぎ、寄せ付けないようにしなさい。(法華経の)『悪知識を捨てて善友に親近せよ』とは、このことである」(御書1244㌻、通解)と仰せである。
 この御金言のままに、ブラジル婦人部は一丸となって、祈りに祈り、一凶を禁じて、極悪を敢然とはね返してきた。
 さらに、御聖訓には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」とある。
 悪と徹して戦い、功徳の大道を開いてきた模範が、ブラジル婦人部である。
 この六月には、ブラジル全土で婦人部の結成記念の集いを行う。
 友人とともに七万人が楽しく集うことをめざして、対話の波を朗らかに広げている。
 ブラジルSGIに対して、社会から寄せられる共感と信頼は、あまりにも大きい。
 なお、二月二十七日を記念して、私の妻に、ブラジルの五十万都市ロンドリーナ市から、名誉市民の称号が贈られることが決定した。(=名誉会長には一九九三年、同市の名誉市民称号が授与されている)
 日本の皆さま方をはじめ、全世界の婦人部の方々を代表しての受章であり、ひとこと、報告させていただきたい。
 ロンドリーナ市は、四十もの民族が共生する天地であり、国際交流都市として発展を続けている。
 市の未来構想プロジェクトの一環として、三十七万坪(約百二十二万平方メートル)に及ぶ広大な「池田大作博士環境公園」が建設されたのも、ロンドリーナである。
 今回の授与は、市議会議員全員の発議による決定である。まさしく、世界の婦人部への大いなる賞讃と期待の証なのである。
6  「人々はもっと知りあえる!」
 現在、私が対談を進めている「平和研究の母」エリース・ボールディング博士は、八十三歳の今も若々しく、みずみずしく、平和への思索と行動を続けておられる。(=月刊誌「パンプキン」で連載。二〇〇六年一月、『「平和の文化」の輝く世紀ヘ!』〈潮出版社〉として発刊)
 博士は、その信念をこう語っておられた。
 「私たちは全員、人生の探求者でなければならない、と思うのです。
 人がもし探求心を持つならば、その人はすでに学びの心を開いているのです。それは、人生へのあらゆる豊かな理解を広げます」
 全員が人生の探求者であれ――すばらしい言葉である。
 さらに、ボールディング博士は言う。
 「一方、そのような寛大な心を持たない共同体は、精神的にも貧しくなってしまいます。
 事実、私たちは都市化によって、あまりにも共同体としての相互のふれあいを失ってしまいました。
 地域の隣人の数がしだいに減っていくのは、じつに深刻な事態です。
 現在、多くの人たちが、地域共同体の再興を叫んでいます。それは、人々は本来、もっとお互いを知り、心を配りあい、助けあうことができるからなのです。
 そうした観点から見ても、SGIの皆さまの活動は、一人一人が社会に重要な貢献をされています。すばらしいことです」
 地域に根ざした婦人部の皆さま方の対話の積み重ねこそ、世界の知性が希求する「最高にして最先端の価値ある貢献」なのである。
 まさに創価の女性の連帯こそ、「平和の文化」の光で、社会を照らしゆく太陽である。
 現在、アメリカの各地でも、「平和のために 希望を拡大!」をテーマに、婦人部総会が開催され、六万人の友が楽しく有意義な語らいの輪を広げている。
 さらにアメリカ婦人部は、女子部の友とうるわしい「婦女一体」の活動も進めておられる。
 団結は、計算できない結果をもたらす。
 インドの大詩人タゴールは言った。
 「多くの人の仕事の団結が、いままで考えられなかった大きな成果を産み出した」(「協調」森本達雄訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)
 結合は力である。
 タゴールは、こうも語った。
 「力がないところには繁栄がなく、力は結合以外によっては得られない」(「議長あいさつ」蛯原徳夫訳、同著作集)
 私たちは、異体同心の団結の力で、暴力と憎悪の流れを、断固として押し返しゆく、正義と平和の潮流を巻き起こしてまいりたい。
7  励ましで友を照らせ
 学会の婦人リーダーは、「あの人の励ましがあったから、今の私がある」「あのひとことの激励が忘れられない」と、同志から慕われる人であっていただきたい。
 私も、前にエッセーなどで書いたことがあるが(「真心の輝き 仏法は『親切心』を育む哲学」。本全集第129巻収録)、戦争中にお世話になった年配の看護師さんのことが忘れられない。
 十四歳のころから、私は、東京の蒲田駅の近くにあった新潟鉄工所で働き始めた。すでに太平洋戦争も始まっていた。
 鉄工所は、まもなく軍需工場となった。鉄の削り屑が飛び散る工場は、結核の私にとって、最悪の環境であった。
 軍事教練も厳しく、病状は悪化するばかりだった。
 あまりにひどくて、人力車に乗せられて帰宅したこともあった。
 ある時、やむをえず、工場の医務室でお世話になったのが、その看護師さんである。
 彼女は、「ちゃんとした病院で診てもらいましょう」と、すぐに工場を早退する手続きをとってくれ、一緒に病院にまで付き添ってくれた。
 そして、「絶対に生きぬいていくのですよ」と元気づけてくれたのである。
 私はうれしかった。
 さらに、仕事などできる体ではないと、転地療養を勧めてくださり、医師からは鹿島の療養所に入るように命じられたが、ベッドが空くのを待っているうちに敗戦を迎えたわけである。
 温かな励ましが大事である。とくに病気の人、逆境と闘っている人を、粘り強く、励ましていっていただきたい。相手の苦しみに同苦する心こそ仏法の真髄だからである。
8  勝利の要諦は祈りと団結
 有名な「日女御前御返事」の一節を、あらためて拝したい。
 「この御本尊を、決して、よそに求めてはならない。ただ、われら衆生が法華経を持って、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを『九識心王真如の都』とはいうのである」
 「この御本尊も、ただ信心の二字に納まっている。(法華経に)『信を以て入ることを得たり』とあるのは、このことである」
 「南無妙法蓮華経とばかり唱えて、仏になるべきことが最も大切である。ひとえに、信心の厚薄によるのである」(御書1244㌻、通解)
 一切は、「信心」で決まる。
 「信心」が強いか弱いか。その一点が御本尊の功力を決する。
 正義の信心の人、広宣流布に戦う強盛なる信心の人を、御本尊は守ってくださる。大聖人が必ずお守りくださるのだ。
 信心が狂って、地涌の菩薩を妬み、異体同心の和合を破壊し、広宣流布に敵対する者は、いかに御本尊を持っていようとも、断じて守られない。否、反対に、厳しい仏罰を受ける。
 このとおりの今の邪宗門の姿は、皆さまがよくご存じのとおりだ。
 戸田先生は、厳然と言われた。
 「仏意仏勅の学会への反逆は、大聖人への師敵対だ。その仏罰の最後の姿を見れば、わかる」
 御聖訓には、「既に之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん」と仰せである。
 この濁悪の乱世にあって、勇敢に広宣流布に生きぬかれる皆さま方を、三世永遠に、御本尊が左右前後に立ち添って、守りに守ってくださることは、御本仏の絶対のお約束である。
 この「日女御前御返事」では、仏法の根本は「信」であることを示されながら、中国の妙楽大師の釈の一節が引かれている。
 「摩訶止観に『仏法は海の如し唯信のみ能く入る』とあるが、孔子の教えも、信ずることを第一にしている。まして、仏法の深い真理に、信なくして、どうして入ることができようか」(御書1244㌻、通解)
 一切の戦いは、「信心」から始まる。まず、祈ることである。祈りきることである。祈りぬくことである。学会は、婦人部の祈りの力で、すべてを押しきり、勝ち越えてきた。
 これが、永遠の勝利の法則である。
9  強き人生を! 幸福の人生を!
 わが同志は、全国各地で生き生きと動き、はつらつと広宣流布の波また波を起こしておられる。
 なかでも、岐阜の同志の拡大と前進は、まことに目覚ましい。
 「岐阜」の地名は、一説では中国に由来するとされる。その縁は、多くの中国の方々も注目しているところである。
 すなわち、「岐阜」の「岐」は、古代中国の名君・周の文王が決起した「岐山きざん」にちなみ、「阜」は、中国の大賢者・孔子が生まれた「曲阜きょくふ」に由来する。
 戦国の英雄・織田信長が、天下の大平と学問の興隆を願って、この要衝の地を「岐阜」と命名したという。
 ご存じのとおり、周の文王は、御書でも、年配者を大事にして八百年の繁栄の土台を築いた指導者として賞讃されている。
 (「日女御前御返事」に「周の文王は、老いた者を大切に養って戦いに勝ち、その子孫は三十七代・八百年の間、末裔には心得違いの悪政の時代もあったが、根本である文王の功によって、長く栄えることができたのである」〈御書1250㌻、通解〉と述べられている)
 また、文王の子の武王が、異体同心の団結で、横暴なる殷の紂王を打ち破り、父の仇を討った歴史についても、大聖人は書きとどめておられる。
 (「異体同心事」に「殷の紂王は、七十万騎の大軍だったが、同体異心だったので、周の武王の軍と『牧野ぼくやいくさ』の戦いに負けた。周の武王は、わずか八百人の軍勢であったが、異体同心だったので勝ったのである」〈御書1463ページ、通解〉とある)
 さらに、孔子に関しても、大聖人はいくたびとなく論及されていた。たとえば、讒言にたぶらかされて正法正義を迫害する権力者を、痛烈に叱責されて、こう仰せである。
 「孔子が言うには『わが身を忘れる者がいる。すなわち、国主となって政道を曲げている者がそれである』と」(御書357㌻、通解)
 為政者としての責任を忘れて、政道を曲げ、民を苦しめる――こうした″権力の魔性″を厳しく監視しなければならない。断じて戦い、民衆が、正しい方向にリードしていかねばならない。
10  孔子″弟子のお陰で悪口が消えた″
 日蓮大聖人の御生涯は、権力による迫害の連続であられた。大聖人は、広宣流布のため、全民衆の幸福のために、身命を賭して戦いぬかれた。
 振り返れば、孔子も、故郷である魯の国の安定と繁栄を願って献身したにもかかわらず、その魯の国の人々から軽んじられた。
 大聖人は、こう喝破されている。
 「(わが国の人々が、日蓮より優れていると慢心をいだき、日蓮を誹謗するのは)祖国の魯の人々が孔子を侮り、善星比丘が釈尊をおどしたのと異ならぬ愚かなことである」「じつに、はかないことである」(御書362㌻、通解)
 私は、青春時代、この御文を拝しながら、孔子にまつわる歴史のドラマを胸に深く刻んだ。
 それは、いかなる苦難にあっても孔子とともに生きぬき、仕えた弟子の姿である。また、命に及ぶ危難に直面した孔子を、命がけで守った弟子の姿である。
 孔子は紀元前の人物である。その生涯と人物像は、多くの伝記で、さまざまに描かれている。
 司馬遷の『史記』によれば、弟子の一人である子路は、信義のためにはわが身をかえりみない勇敢な人物であった。強権の政治家に対しても、恐れなく立ち向かっていった。
 孔子は語った。
 ″子路を弟子に得てから、「私は自分の悪口を耳にしないようになったものだ」″(「史記」5,小竹文夫・小竹武夫訳、筑摩書房、引用・参照)
 師は、その弟子の勇気と果断な行動力を深く信頼していた。
11  ″太陽や月を謗る身のほど知らずよ″
 また、孔子より三十歳ほど若く、弟子の筆頭格となっていった子貢の活躍も、よく知られている。
 『史記』にも、諸国を相手に堂々たる外交を展開する、子貢の見事な雄弁が描かれている。
 財政的な才能に優れた子貢は、孔子の学派を財政面からも支えたとされる。
 魯の国の有力政治家が、師匠の孔子のことを謗り、悪口を言ったときのことである。
 弟子の子貢は、決然と反撃した。
 ″やめなさい! 先生(孔子)のことを謗ることなどできない。
 他の賢者は、丘のようなもので、まだ越えることができる。しかし先生は、太陽や月のようなものであり、越えることなど絶対にできない。
 たとえ、誰かが(悪口を言って)自分から交わりを絶とうとしても、いったい、太陽や月にとっては何の障りになるだろうか。「身のほど知らず」をさらすだけのことだ″(『論語』金谷治訳注、岩波文庫。引用・参照)
 偉大な正義のわが師を冒漬する者よ! 恥を知れ! との師子吼である。
 フランスの思想家ヴォルテールは叫んだ。
 「誤謬(=あやまり)に対しては、真面目に反論、馬鹿げたことは、笑いとばし、偽りは、断乎排撃すべきだ」(『ルイ十四世の世紀』4、丸山熊雄訳、岩波文庫)
 仏法は勝負だ。広宣流布は、永遠に三類の強敵との戦いである。
 「強い敵を倒して、はじめて、その人が力のある士であると知ることができる」(御書957㌻、通解)と、大聖人は教えられた。
 いかなる強敵も打ち破って広宣流布を成し遂げゆくことが、不滅の学会精神である。その人こそ真の勇者なのである。
12  師弟の闘争で、創価は世界に
 ともあれ、勇気ある弟子の戦いあればこそ、賢人・孔子の名は不朽の輝きを放っている。
 私も、戸田先生をお守りするために命を捧げ尽くして戦いぬいた。
 戦後しばらくして、先生の事業は挫折し、多額の借金をかかえた。多くの人が戸田先生のもとを去っていった。給料は出ない。冬なのに、コートもない。
 会社の建物は本当に粗末だった。そのなかで、私は一人、戸田先生を守り、支えた。働いて働いて、働きぬいた。
 ある春の日、戸田先生と二人で、都心のお堀端を歩いた。GHQ(連合国軍総司令部)本部のある立派なビルが見えた。
 雨が降ってきた。しかし車はない。傘もない。タクシーも、なかなか、つかまらなかった。
 「大作、寒いな」とおっしゃる先生。
 私は申し上げた。
 「先生、将来、必ず、先生の乗用車を買って、乗っていただきます。立派な広宣流布の宝城も、必ずつくってみせます。どうか、ご安心ください」
 先生は、にっこりと笑って、本当にうれしそうだった。
 今でも忘れることのできない、師弟のドラマの一コマである。
 大聖人は「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」と仰せである。
 私は、この御金言を色読していったことを、永遠の誉れの歴史と思っている。妻が、その証言者である。
 今日の創価学会の世界的発展は、三代の会長が師弟の道に徹し、あらゆる迫害を乗り越えて生きぬいてきたからである。
 学会は世界の一大民衆勢力となった。いわば、大空をものすごいスピードで飛ぶ飛行機のようなものである。
 猛スピードで飛んでいる間は、安定している。しかし、ぼやっとして、油断すれば、たちまち墜落してしまう。リーダーの責務は重大である。
 師弟を忘れて正しい仏法の実践はない。学会の発展もない。
 この一点を、深く胸に刻んでいただきたい。
13  異体同心の勝利の城を!
 うれしいことに、私たちは、孔子の末裔の方々とも、深い友誼を結んできた。
 上海大学の銭偉長せんいちょう学長の夫人・孔祥瑛こうしょうえい先生は、孔子の七十五代目の直系の子孫であるとうかがった。私への名誉教授の授与(一九九七年五月)を見守ってくださった慈顔が思い出される。
 また、同じく名誉教授称号を授与してくださった(二〇〇〇年八月)華南師範大学の顔沢賢がんたくけん学長は、孔子門下の随一の秀才と謳われた顔回の末裔という。
 この顔回についても、御書に記されている。
 (「上野殿御消息」の「三世の諸仏が世にご出現になっても、皆々、『四恩を報じなさい』と説き、三皇、五帝、孔子、老子、顔回等の昔の賢人は『四徳を修めなさい』と教えている」〈1526㌻、通解〉など)
 なお、「岐阜」の由来となった孔子の生誕地「曲阜」にある名門学府、曲阜師範大学からも、名誉教授称号の決定通知をいただいていることを、謹んでご報告申し上げたい。(=二〇〇四年十月、授与された)
 この大学は、専門機関としては中国唯一の「孔子研究所」を擁することでも知られている。
 孔子の弟子の一人とされる左丘明さきゅうめいは、失明しながらも、今なお読み継がれる歴史書『国語』を著したと伝えられる。そこには、「衆心城を成す」(多くの人が心を合わせれば、城のように堅固になる)という一節がある。
 わが大中部には、本年一月、中部池田記念会館が晴れやかに、堂々とオープンした。
 中部のけなげな同志は、いかなる「悪口罵詈」にも負けなかった。
 「猶多怨嫉」の大難に、断固と戦い、打ち勝った。記念会館は、その異体同心の「勝利の城」である。
 私は、「岐阜、万歳!」「大中部、万歳!」と心から祝福申し上げたい。
14  新しき大地は小さな砂から
 二月二十八日は、中国の著名な女性作家・謝冰心しゃひょうしん先生の祥月命日である。今年で、亡くなられて五年となる。
 謝先生と私たち夫婦は、静岡で、そして北京でお会いした。文学について、日中友好について、さらに青年への期待について、真剣に語りあった。
 文化大革命など、さまざまな苦難を乗り越え、勝ち抜いてこられた偉大な女性である。
 (=中国・福州市には「沫心ひょうしん文学館」があり、池田名誉会長に「名誉館長」、香峯子夫人に「愛心大使」の称号が二〇〇四年九月に贈られた)
 その謝先生の言葉に、こうある。
 「新しき陸地を創造するものは、逆巻く波浪ではない。
 水底の細かい小さな土や砂が、新しき大地を創りゆくのだ」(『沫心選集』上、人民文学出版社)
 新しき歴史を創りゆくのは、政治や経済など表面の華やかな動きではない。民衆一人一人のたゆみない行動こそが、目には見えなくとも、新しい時代を確実に創っていくのだ――。
 こうした深き歴史観がこめられた言葉である。
 これまでの人類の歴史においては、土台を築きゆく大功労の庶民が不当に虐げられてきた。その歴史を変革するには、民衆一人一人が強くなることだ。
 それ以外に、永久の「人類の幸福」への道はない。私たちが進める広宣流布の運動の眼目も、そこにある。
15  心に″常楽我浄の春風″を
 また、謝冰心先生は、こうつづっている。
 「心の中に、はつらつとした春の息吹があれば、たとえ秋風が吹き荒れても、何ら愁うことはない」(同前、下)
 人生は戦いである。寒風との戦いである。思いもかけないような苦難の嵐に襲われる時もある。
 先日(二月二十四日)、お迎えした、インドのラビンドラ・バラテイ大学のムカジー副総長は、「あらゆる雲の陰に太陽が輝いている」と話しておられた。いかなる苦難があっても、その向こうには、大いなる喜びが輝いている――というのである。
 副総長ご自身が、二十代の若き日に夫に先立たれ、苦労を重ねながら、大学で政治哲学の研究に打ち込まれた。そして、人間教育の大道を進んでこられたのである。
 仏法は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と説く。
 宿命転換の大法を持つ皆さまである。
 尊き使命をもった仏子の皆さまである。
 広宣流布に生きぬく行動は、一切が福運となって輝いていく。
 時には、深い悩みや悲しみに直面することもあるかもしれない。
 しかし、三世の生命から見れば、すべてに意味がある。最高に幸福な人生となることは絶対に間違いない。
 ゆえに、何ものも恐れず、一人、広宣流布に毅然として立つことだ。堂々と、自分自身に生ききっていくことだ。その人に必ず、″常楽我浄の春の風″が到来するのである。
16  勇敢であれ! 思いっきり戦え
 謝泳心先生は、「勇敢であれ!」と訴えておられた。臆病心を捨てるのだ。
 さらに、謝先生は、こう呼びかけておられる。
 「将来、悔いなく振り返られるように、今こそ、ていねいに、真剣に、汝自身の一日一日の名画を描きましょう」(同前、上)
 かけがえのない人生である。かけがえのない一日一日である。
 ″弱さというものは、唾棄すべきものだ″(「友への手紙」福田陸太郎訳、『タゴール著作集』11所収、第三文明社。参照)とは、信念の力を信じたタゴ―ルの叫びであった。
 皆さま方は、ますます健康第一で、勇敢に、また朗らかに毎日を戦いぬいて、自分自身の″生命の勝利の名画″を描ききっていただきたい。
 終わりに、戸田先生のもとで学んだ『永遠の都』の一節を贈りたい。
 「正義という永遠の精神が存在するのだ。
 諸君の子にそれを教えたければ、母親たちはそれを守らなければならぬ」(ホール・ケイン、新庄哲夫訳、潮出版社)
 創価の正義を永遠ならしめるのも、婦人部の皆さまである。
 ″地域の太陽″″家庭の太陽″″世界の太陽″として、いっそう多くの人に、希望と勇気の光を送っていただきたい。
 世界広宣流布の本格的な進展は、いよいよ、これからである。私はますます、全世界の同志のために働き、尽くしていくつもりである。
 皆さんもまた、世界を舞台とする気概で、前進していただきたい。
 広宣流布は平和と幸福のための大闘争である。思いっきり戦わねば損である。
 どうか、よき人生を! 強い人生を! 勝利の人生を! と申し上げて、スピーチを結びたい。
 ありがとう!
 (東京・信濃文化センター)

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