Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 強くあれ! 勇敢なる人生は幸福!

2004.2.18 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

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2  全国の最高協議会の開催、本当にご苦労さま!
 この二月も、全同志の師子奮迅の大闘争によつて、わが学会は、仏勅の広宣流布へ堂々たる大行進を続けている。
 さらに、日蓮大聖人の太陽の仏法は、今や、世界百八十七カ国・地域へと広がった。創価学会は、民衆の一大平和勢力として、大きな期待を集めている。
 御本仏の「広宣流布せさせ給うべきなり」とのお言葉を、事実のうえで、実現しているのは、わが創価学会しかない。
 日蓮大聖人のご賞讃はいかばかりであろうか。また、牧口先生、戸田先生がどれほど喜んでくださっていることか。
 今こそ、チャンスである。強く、強く、どこまでも強く、正義を堂々と語りぬき、万年の広宣流布の基盤を築いてまいりたい。
 仏法の賞罰は厳然である。
 仏意仏勅の学会を私利私欲のために利用したり、大恩る学会を裏切ったりした者は、必ずや諸天から裁かれる。こう戸田先生は断言された。
 反対に、広宣流布にわが身を捧げ、懸命に尽くしていく人は、自分自身はもちろん、先祖も、そして子孫末代までも、計り知れない福徳に包まれていく。それは、御聖訓に照らして、絶対に間違いない。
3  指導者の使命
 マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「勇敢であることは、精神性の第一の条件である。臆病者は道徳的ではあり得ない」(浦田広朗訳、『私にとっての宗教』新評論)
 古代ギリシャの『プルターク英雄伝』の次の言葉が、私は、青春時代から好きであった。
 「真の勇気にとってはなにごとも不可能ではなく、これに反して怯儒(=臆病で意志が弱い)にとってはなにごとも可能でない」(鶴見祐輔訳、潮出版社)
 つまり、勇気である。勇気こそ一切の勝利の源泉であるということだ。
 広宣流布という大正義の勝利のために、勇敢に、前進また前進の指揮をとっておられる、大切な大指導者の皆さま方! 遠いところ、多忙なところ、本当によく来てくださった。
 大変ではあるが、指導者は、戦い続けてこそ指導者である。広布に打ち込んだ分だけ、自分の歴史ができる。すべてが福運となるのである。
 御聖訓には「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし」と仰せである。
 指導者の一念いかんで、広布の勢いは決まる。
 広布の前進いかんによって、その地域の福徳も、人材の成長も決まってしまう。指導者の責任と使命は、限りなく大きい。
4  ″私が恐れるのは、多数による沈黙″
 今、SGIが中心となって、ニューヨークの国連本部で「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展が開催されている。
 連日、アメリカをはじめ各国の方々から大きな反響が寄せられてきた。
 この展示に掲げられた、アメリカの人権の闘士キング博士の言葉には、こうあった。
 「私が恐れるのは、少人数による暴力ではない。多数による沈黙である」と。
 平和と人道を実現していくうえで、最も戒めるべき大敵は何か。それは、臆病な沈黙である。狡猾な傍観であるというのだ。
 なかんずくリーダーは、本来、みずから犠牲となっても、敢然と勇気の声をあげ、邪悪と戦いきっていくべき存在である。
 そのリーダーが、ずる賢く、悪との戦闘を人に押しつけて、われ関せずという心に堕落したならば、それは、もはや正義の命脈が途絶えてしまったのだ。恐るべきことだ。悲しむべきことだ。哀れなことだ。
 戸田先生は、峻厳に言われた。
 「臆病な人生を生きねばならぬ人間は、畜生のようなものである。卑怯であり、不幸である。勇敢なる人生を生ききる人は、最高の人生であり、幸福である」
 新しい時代は、新しい人材が必要だ。新しい発想が大事だ。
 リーダーみずから、先頭に立って動く。明るく、朗らかに、「いつもありがとうございます」「いつもご苦労さまです」と声をかけ、頭を下げ、同志の労苦をねぎらっていく。そういうリーダーを皆が待っている。
 新しい時代は、女性が輝く時代である。
 大聖人は「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」と仰せである。
 大聖人の御在世も、毀誉褒貶にとらわれることなく、まっすぐに師弟に生きぬいた崇高な女性門下がいた。信心強き女性たちがいたのである。
 学会の勝利は、婦人部で決まる。なかんずく、婦人部の強き祈りで決まる。
 私は、婦人部、女子部の皆さんの日々の健闘を最大にたたえたい。最大に感謝申し上げたい。
 また、婦人部、女子部の友が活動しやすいように、周囲の幹部は最大に配慮していっていただきたい。
5  周総理もナポレオンに共鳴!
 わが創価学会は、仏法を基調として、「文化」「平和」「教育」を推進する団体である。
 われらの世界広布、そして世界平和への大前進。それは、つねに未来へ、未来へ、新たな希望を果てしなく広げゆく、晴ればれとした価値創造の運動である。
 きょうは、創価の大切な指導者であられる皆さまのために、来年に向けて、明るいロマンにあふれる展望を語っておきたい。
 ご存じのように、東京富士美術館では、これまで三度にわたって、ナポレオンの展覧会を盛大に開催してきた。(一九九三年〜九四年、九九年)
 おかげさまで、日本はもとより、世界からも注目を集める画期的な展覧会となり、大成功の歴史ができた。
 その後、「三回目となる新たなナポレオン展を、ぜひ開いてほしい」という多くの期待が、幅広く寄せられてきた。
 とくに、青年たちから、二十一世紀の新しい指標を示すような″大ナポレオン展″をお願いしたいという声が高まっている。
 オーストリアの作家ツヴァイクは、ナポレオンを通して、こう論じた。
 「いずれの領域においてでもあれ、最初の飛躍において、それまで達しえなかったものに達したただ一人の若い人間は、彼の成功という単なる事実だけで、彼のまわりの、そして彼の後に続く青年全体を鼓舞するものである」(『昨日の世界』1、『ツヴァイク全集』19、原田義人訳、みすず書房)
 この言葉のとおり、ナポレオンの青春の軌跡は、青年を奮起させてやまぬ力に満ちている。
 周恩来総理も、若き日、ナポレオンに触発を受けた一人であった。周総理は、ナポレオンを論じた十代の論文で、時を創り、時代を開いていく英雄の存在の重要性を訴えておられる。(『周恩来早期文集』上、中央文献出版社・中央文献出版社・南開大学出版社。参照)
 現代は、青年に贈る良質な精神の糧が、あまりにも貧弱となってしまった。
 その意味からも、日本、そして世界の各界からの強い要請に応えて、明年、二十一世紀の″大ナポレオン展″を、全国各地で晴れやかに開催したい。
 人類の平和のため、文化の興隆のために、新たな世紀を開く人間を触発しゆく、意義ある展覧会としてまいりたい。そのための準備が、すでに着々と始まっていることを、本日、ご報告させていただきたい。(=東京富士美術館をはじめ、全国各地で開催された)
6  文化の英雄
 いうまでもなく、ナポレオンは、国により、人によって、さまざまに評価が分かれる。
 肯定もできれば、否定もできる。また、その両面のいずれからも、多くの教訓を得ることができる。
 今回は、これまでの三度の展覧会の成果をふまえながら、とくに「文化の英雄」としてのナポレオンに光をあてていきたい。
 ナポレオンは、あまたの王が幾世紀を費やして達成したよりも、はるかに壮大な偉業を短期間で成し遂げたと謳われている。
 彼は、何事も「迅速」を重んじた。
 善をなすことを遅らせるのは悪である――これが、彼の信条であった。(「ナポレオンの生涯に関する覚書」西川長夫訳、『スタンダール全集』11所収、人文書院。参照)
 とりわけ、文化面での彼の業績は、じつに多彩である。
 また、彼自身、文化人としての誇りをいだいていた。
 有名なエジプト遠征のさい、「最高司令官」という肩書の前に「フランス学士院会員」と名乗ったほどだ。エジプト遠征には、多くの学者、芸術家を同行させ、歴史と文明の研究の道を大きく開いたことも有名である。
 今回の展示では、エジプト遠征の大きな成果となった、古代エジプト研究の基礎をつくったとされる考古学資料――すなわち、遺跡などの調査記録も出品する計画がある。
7  凱旋門を平和の使者が行進
 さらに、ナポレオンは、花の都パリを見事に整備し、凱旋門をはじめ、荘厳な建造物を建設していった。
 パリといえば、この一月、わがフランス鼓笛隊の乙女たちが、凱旋門からシャンゼリゼ大通りをさっそうと行進した。
 フランスと中国の「国交樹立四十周年」を祝賀する記念パレードに友情出演したのである。
 もう三十年以上も前になるが、私は、けなげな鼓笛隊の友を励まして、語ったことがある。
 「将来は、パリの凱旋門を行進しよう! 。パリは平和の象徴、鼓笛隊は平和の使者だから!」
 その一つの夢が、今、フランスの妙音の若き天使たちによって実現し、本当にうれしかった。
 ナポレオンは、教育にも力をいれた。
 「公共教育法」が制定され、六千人の奨学生を援助する制度が設けられている。
 そして彼の指示のもと、わずか三年間で、四千五百の小学校、七百五十の中学校、四十五の高等中学校がつくられていった。
 「教育は、将来のための保証である」「私は、まだまだ教育にたずさわる。それは私の平和のための第一の責任である」とは、ナポレオンの誇り高い発言である。
 彼にとって、「ナポレオン法典」の制定は、不朽の金字塔となった。
 彼自身、「私の真の栄光は四〇の戦闘に勝利したことではない」「何ものも消すことのできないもの、永遠に生きつづけるもの、それは私の民法典である」(ジョセフ・ゴワ「民法典」坂上孝訳、『フランス革命辞典』4所収、みすず書房)と回想していたとおりである。
 法律は、社会の基盤である。
 喜ばしいことに、わが創価大学の法科大学院にも、すばらしい英才が志願してくれ、堂々たる第一期生の陣列が整った。
 人間性豊かにして、国際性に富んだ、力ある正義の人材が、法曹界に陸続と巣立っていくことを、私は確信している。
8  民衆に勲章を!
 ナポレオンは、「病院の編成や整理」「国民の祭典の制定」などとともに、民衆に平等に開かれた「レジオン・ドヌール勲章」を創設した。
 これは、軍人や政治家だけでなく、全国民を対象として平等に顕彰することをめざした、画期的なものであった。
 文豪スタンダールは、語っている。
 「ナポレオンはフランス民衆の道徳を再興しました。これこそナポレオンの真の栄光です。
 ナポレオンの方法は、一家の父の財産を子供たちに公平に分配すること(大革命の恩恵)、およびレジオン・ドヌールです。工場でごく平凡な労働者の服にこの勲章を見かけることがよくあります」(前掲「ナポレオンの生涯にかんする覚書」)と。
 勲章制度それ自体の是非はともかくとして、一握りの特権的な存在だけでなく、広く民衆を顕彰する流れをつくった意義は大きい。
 なお、ナポレオンが、隣国の文化の巨人ゲーテに、このレジオン・ドヌール勲章を贈ったことも、歴史の香しき劇であった。
 明年の″大ナポレオン展″は、ヨーロッパやアメリカなど各国の関係機関との深い友情と信頼によって、貴重な第一級の美術品や資料が多く出品され、大規模な展覧会となる。
 たとえば、二百年前の一八〇四年に行われたナポレオンの戴冠式の全記録を収めた豪華本が展示される予定である。これには、式典の列席者、式次第、服装、戴冠の模様などが、銅版画で詳細に記録されている。当時、側近だった人物に特別に贈られた、まことに珍しい、貴重な品である。
 さらに、ナポレオンの生誕から死去にいたるまで、各時代の主な事跡を記録に残した金・銀・銅などのメダルも出品されることになっている。
 前回は、私どものユゴー文学記念館が所蔵するフランスの国宝、ナポレオンの携帯用椅子が出展された。セント・ヘレナ島で、死の間際まで使っていた「最後の玉座」である。
 今度は、イギリスからセント・ヘレナ島に特別に運び込まれた椅子が展示される予定となっている。現在は、アメリカで保管されている至宝である。
9  リーダーは油断と惰性を排せ!
 また今回は、ナポレオン軍の遠征などで実際に使われた価値ある地図も披露されることになった。当時のヨーロッパ各国の克明な地図である。
 これらは、皇帝ナポレオンの側近ネイ元帥の遺品として伝えられている。全部で約百枚もの地図が二十二の箱に大切に収められているものだ。ナポレオンが、どれほど地図を重んじ、情報を大切にしていたか――その一端がうかがえると思う。
 「ナポレオンによつて地図の進歩がもたらされた」という指摘もある。彼は、つねに地図を手元に置いていた。移動する馬車の中にも地図を張っていた。最新の情報を手にいれると、すぐさま地図に反映させていった。
 戦いの情勢は刻一刻、めまぐるしく変化する.リーダーは瞬時も油断してはならない。惰性に流されてはならない。それが命取りとなる。
 連戦連勝を重ねたナポレオン。彼は、戦いのさなかでも、敵の位置、戦力、動きなどの情報を、しっかりおさえていた。そのうえで冷静沈着に的確な判断を下していった。先入観や感情や憶測などで動くことは決してなかった。
 「勝てる」という確信がもてないうちは、安易に大きな戦いは起こさなかった。指導者が、あいまいな、いいかげんな判断をすれば、全体の動きを大きく狂わせてしまう。リーダーは、その責任を深く心に刻まなければならない。
 ナポレオンの命令の多くは、夜遅くか、あるいは夜明けに下されたという。一日の最新の情報を集結し、その国の住民や兵士らの証言などにも目を通し、すべてを統合したうえで、現状を明確に把握し、次の打つべき手を示していった。
 もちろん、兵士たちが疲れていないか、食事はきちんと取れているかなども、くわしく、つかんでいた。
 ナポレオンは語っている。
 彼が巨大で強力な組織を保っているのは「あらゆる些細なことに最大の注意を払うからこそである」と。(Preceptes et Jugements de Napoleon, edited by Ernest Picaard, Berger Leurault)
 ここに、常勝の組織を創りゆく一つのリーダー像があるといってよいだろう。
10  正確な情報でただちにウソに反撃
 以前、SGI公認通訳の代表の方々が、ナポレオンの貴重な書簡を届けてくださった。アウステルリッツの戦い(一八〇五年)の勝利の直前、義理の息子ウジェーヌ・ドゥ・ボーアルネに送ったものである。
 そこには、こう記されていた。
 「(=正しい報告によって)敵が広めようとする、あらゆる悪い情報を打ち消すことができる」
 「最新の情報によって味方は安心し、偽りの情報を見抜き、反論できるようになるのである」
 正確な最新の情報を、時を逃さず発信し続けること――それが、いかなる戦いにおいても生命線となる。
 日蓮大聖人は「師曠が耳・離婁が眼のやうに聞見させ給へ」と仰せである。
 中国古代の「耳の達人」師曠のように、「眼の達人」離婁のように、真実を聞き分ける確かな耳、真実を見極める確かな眼を持て――そう教えられているのである。
 そして、正確な情報が、味方のすみずみまですばやく行きわたるには、打てば響くような報告と連絡の流れが欠かせない。だからこそ、同志間の対話、呼吸の一致が大切になるのである。
11  前進! 広宣流布のアルプスを越えよ
 ナポレオンは「母」を尊敬した。
 彼の折々の言葉は不滅の輝きを放っている。
 「偉人を作るもの、それは母である」(マルテル編『ナポレオン作品集』若井林一訳、読売新聞社)
 「私はためらわずに、子どもの未来は、完全に母によるということができる」
 また晩年、こうも述べている。
 「私は、女性と十分に対話できなかったことを後悔している。女性からは、男たちがあえて私に語ろうとしない多くのことを、学ぶことができる。女性には、まったく特別な独立性があるのだ」
 新たな大ナポレオン展では、「文化」とともに「女性」がテーマの一つとなる。
 ナポレオンに多大な影響を与えた母レティツィアや皇后ジョゼフィーヌなどの遺品や絵画、彫刻作品を通して、ナポレオン時代の女性像を立体的に浮かびあがらせていく趣向である。
 またジョゼフィーヌがマルメゾン宮殿で愛用していたライティング・デスク(書き物机)も新たな発見資料として公開され、当時のナポレオン様式の気品に富んだ家具デザインを実物で見ることができる。
 「余が剣によって成しとげることに失敗せしところを、後世道理によって完成するものあらん」(鶴見祐輔『ナポレオン』潮出版社)とナポレオンは語った。その大いなる担い手こそ女性である。
 これまで私は、ナポレオン妃(プランセス・ナポレオン)、ロー・ダルモン侯爵夫人というナポレオン家の女性たちと、ナポレオンの理想について語りあってきた。またベアトリス・ドゥ・ブルボン・シシル妃を「特別ナポレオン展」の開会式に迎えた。
 ロー・ダルモン侯爵夫人は、関西創価学園にも訪問してくださっている。
 その折、わが学園生との出会いを心から喜ばれ、こう呼びかけておられた。
 「ナポレオンから学べることは幾つもあります。特に大事なことは『目標をもつ』ことです。そして、目標を決めたら『まっしぐらに進む』ことです。絶対に立ち止まらないでください。いろんな苦しいことがあります。難しい問題も出てくるでしょう。でも、どんな障害に直面しようと、歩みを止めてはなりません。断じて前進、前進を続けてください。あきらめないでください」(「聖教新聞」二〇〇三年十月二十六日付、「人生は素晴らしい」から)
 戦いは執念である。「最後まで、あきらめない人」が勝つ。
12  道を開け!
 現在、私は、アメリカ・ルネサンスの旗手、ソローやエマーソンをめぐる「てい談」を、現代を代表する研究者である、ソロー協会のボスコ会長とマイアソン事務総長とともに重ねている。(=二〇〇六年九月、『美しき生命 地球と生きる』〈毎日新聞社〉として発刊)
 エマーソンは、ナポレオンの生涯が放つ魂のメッセージを、こう語っている。
 「われわれは、いつも危険のなかにあり、いつも苦境のなかにいて、まさに破滅の淵にのぞんでいるが、それを救ってくれるものは、ただ創意と勇気だけなのである」
 「彼(=ナポレオン)の考えによれば、もっともすぐれた防衛術は、つねに攻撃する側に立っていることであった」(「世俗に生きる人――ナポレオン」酒本雅之訳、『エマソン選集』6所収、日本教文社)
 まさしく「攻撃こそ最大の防御」である。
 「開目抄」には、「慈無くしていつわり親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり」とある。
 創価学会は、釈尊、そして大聖人の仰せどおり、「破折の精神」「折伏の精神」で、極悪を責めぬいてきた。この魔性との闘争が、広宣流布を切り開いてきたのである。
 また、エマーソンは、ナポレオンがつねに人々の「世界はもう種ぎれだという気持」(前掲「世俗に生きる人――ナポレオン」)を打ち破り、それまでの壁を乗り越えて、新しい勝利の道を開いてきたことに注目していた。
 ナポレオンの勝利の要諦については、こう洞察した。
 「なすべきことを、ひとたび決意してしまうと、彼は、それを全力を傾けて実行した。彼はありったけの力を出しきった」(同前)
 いわんや、私たちは、最高の「勝利の秘術」である妙法を持っている。
 大聖人は「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」と仰せである。妙法への信心は″無限の智慧の源泉″なのである。
 また、法華経には「師子奮迅之力」(法華経四六三㌻)と説かれる。勇気ある信心を奮い起こし、「師子奮迅の力」をわきいだして戦うところ、開けない道など絶対にない。信心強き人に行き詰まりなど断じてない。師子の勇気で、勝利の名指揮をお願いしたい。
13  ためらうな! 躊躇するな!
 ナポレオンは訴えた。
 「力強さと決意と絶えざる意志をもってしか、戦うことはできない。戦いにあっては、ためらったり、躊躇してはならない」(前掲 Preceptes et Jugements de Napoleon)
 まことに、戦いは、第一に勇気、第二にも勇気である。勇気こそ「人間の強さ」の原動力である。
 反対に「人間の弱さ」は、どこに由来するのか。ナポレオンは「人は怠惰と自信のなさから弱い」と述べている。
 こうした「人間の弱さ」に負け、卑しい保身に走り、裏切っていった司令官や側近たちもいた。
 ナポレオンは案じていた。
 「民衆にはエネルギーと誇りがある。にもかかわらず、私が危惧するのは、幾人かの司令官が戦いたくないと思っていることである」(前掲 Preceptes et Jugements de Napoleon)
 「私は士官たちを豊かにしてあげた。人は金を持つと、命をかけて戦う心がなくなってしまうことを、私は早く知るべきであった」
 まことに重い教訓である。
 リーダーが「戦う魂」をなくしてしまえば、敗北である。使命と責任を忘れ、報恩と感謝の心を失い、皆を利用して、要領よく立ちまわるようになれば、そこから組織が崩れていく。これが、歴史が教える大組織の内部崩壊の構図である。
14  迫害に「これほどの喜びを笑え」と
 大聖人は仰せである。
 「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このようなよこしまな者どもが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない」(御書960㌻、通解)
 「(このよこしまな者どもが)『日蓮さんは私たちの師匠ではあられるが、あまりにも強引だ。私たちは(師匠と違って)柔らかに法華経を弘めましょう』と言うのは、ホタルの光が太陽と月を笑い、アリ塚が華山(約二〇〇〇メートルの中国の名山)を見くだし、井戸や小川が大河や大海を軽蔑し、小鳥のカササギが偉大な鸞鳥らんちょう鳳凰ほうおうを笑うようなものである、笑うようなものである」(御書961㌻、通解)
 牧口先生が生涯、大切に拝された御金言である。
 「難こそ誉れ」――これが仏法者の魂である。
 全人類に幸福の大法を贈らんがために、大聖人は、権力による迫害を受けられた。
 死罪に直面した真っただ中で、門下に「これほどの喜びを笑っていきなさい」(御書914㌻、通解)と悠然と叫ばれた。この崇高な仏法の師弟の世界を離れて、いくら名聞名利を追い求めても、結局は、哀れで無残な人生である。
 戸田先生は厳然と宣言した。
 「『嘘つき』と『増上慢』を、真の和合僧からたたき出していくことが、より広宣流布を早め、より真実のスクラムと団結を勝ち取ることになる。これこそが、皆が納得と満足をして、前進することができる世界なのだ」
 フランスの戦う文豪ロマン・ロラン。その戯曲の主人公は、勇壮に言い放った。
 「裏切りとは決して休戦しないんだ」(「ロベスピエール」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』10所収、みすず書房)
 正義の戦は、徹して、粘り強く戦いぬかねばならない。
 広宣流布は、仏と魔との闘争である。敵も必死である。「魔の力」で「魔の国土」を広げようとしている。われら仏の軍勢は「仏の国土」を築こうと戦っている。これが「立正安国」の闘争である。
 大聖人は生涯、「日蓮一度もしりぞく心なし」と戦われた。断じて退いてはならない。臆病になってはならない。ここに勝利の方程式がある。
15  自分自身の勝利の金字塔を!
 私が青春時代に愛読した一書に、ベルギーの科学史家サートンの『科学史と新ヒューマニズム』がある。そこには、こうつづられていた。
 「ナポレオン(中略)は言った、『なんらの悔を残すことのない唯一の征服は、無智に対する征服である』と。吾々はこれにこうつけ加えてもよいであろう、『また不正と醜悪に対する征服である』と」」(森島恒雄訳、岩波書店)
 広宣流布の闘争も、無智と不正と極悪に打ち勝つ大闘争である。
 戸田先生は、おごそかに断言された。
 「折伏は慈悲の行為であり、法施なのである。その人を尋ぬれば仏の使いであり、仏よりつかわされたる人であり、仏の事を行う者である。その位置を考うれば、秀吉、ナポレオン、アレキサンダー等より幾十億倍すぐれる。普賢、文殊、弥勒等は、遠くよりこれを拝し、梵天帝釈等も、来り仕うるのである」(『戸田城聖全集』1)
 この大確信で、われらは広宣流布のアルプス越えに雄々しく挑んでまいりたい。断固として成し遂げて、新しい歴史を創るのだ。
 とくに青年は、見栄や気取りを捨てることだ。私も青春時代、戸田先生のもとで、弘教に、仕事に一心不乱に戦った。
 苦境におちいったとき、手のひらを返したように恩師を罵倒し、去る人間もいた。しかし私は恩師を信じた。恩師を守った。「師弟不二の心」で、すべてに勝ったのである。
 どうか、二十一世紀を担う若き諸君は、青年らしく戦って戦いぬいて、自分自身の勝利の金字塔を、堂々と打ち立てていただきたい。
16  「歓喜の中の大歓喜」の人生の劇を
 終わりに、御聖訓を拝したい。
 「いよいよ妙法に対する強盛なる大信力を出していきなさい。自分の福運が尽きてしまったのに、諸天善神の守護がないといって恨むようなことがあってはいけない」
 「何の兵法よりも、法華経の兵法を用いていきなさい。(法華経薬王品の)『諸余の怨敵は、皆悉な摧滅(=摧け、滅する)せり』との金言は決して空しいはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。決して臆病であってはなりません」(御書1192㌻、通解)
 勝つことが広宣流布である。「法華経に勝る兵法なし」――法華経とは最高の将軍学なのである。
 どうせ戦うならば、勝つことだ。勝てば痛快である。幸福である。祈って祈って祈りぬき、最高の智慧を出すことだ。あらゆる強敵を打ち破り、「歓喜の中の大歓喜」のわが人生の劇をつづっていただきたい。
 婦人部、女子部の皆さまに「一生涯、希望の前進! 一生涯、勝利の舞!」と贈りたい。
 そしてまた、壮年部、男子部の皆さまに「正義の勝利者たれ! 完勝の指導者たれ!」と贈り、私の記念のスピーチとさせていただく。
 どうか、風邪をひかれませんように。きょうはありがとう!
 (東京。信濃文化センター)

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