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日蓮大聖人・池田大作

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第二総東京代表協議会 一人が決然と師子吼せよ

2004.1.3 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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2  日蓮仏法は現実変革の力
 対談集『文明・西と東』をともに発刊した、「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯爵の忘れ得ぬ言葉に、「学校と新聞は、血を流さないで、暴力を用いないで世界を革新し、向上せしめる二つの基本点である」(『実践的理想主義』鹿島守之助訳、鹿島研究所出版会)とある。
 そのとおりである。伯爵とは、東京・信濃町の聖教新聞本社でも親しく語りあった。
 「正義の言論紙」である「聖教新聞」を配達してくださる誉れの無冠の友の皆さま方! 今年も健康で、絶対無事故で、よろしくお願い申し上げます。
 さらにまた、伯爵が創立まもない創価学園に足を運ばれ、凛々しき学園生を絶讃してくださったことも懐かしい。
 今や、創価教育の光は、世界を照らし始めた。
 先日(二〇〇三年十二月十日)行われた、アメリカ創価大学大学院の卒業式には、アメリカ実践哲学協会会長のマリノフ博士も来賓として出席してくださった。
 (=マリノフ博士は、二〇〇三年五月に発刊され、各国でも大きな反響を広げている自著『大いなる問い―哲学は、いかに人生を変えうるか』の中で、日蓮仏法の思想と池田SGI会長の言葉を紹介している)
 博士は、こう訴えておられた。
 「仏法が目指すように、人類の真の勝利の証は、すべての人々が苦悩から解放されることにある。しかし、苦悩からの解放といっても、それは苦悩を避けて通ることを意味するのではありません。それを乗り越えることです。実際、人間は、最悪の環境から最良の結果を引き出すことができる存在なのです」(「聖教新聞」二〇〇三年十一月五日付)
 博士は私の言葉に着目されながら、「人間には自らの限界を乗り越えていく力が備わっています。私たちが限界を打ち破れば、他人が私たちを″限界の璧″に閉じこめておくことが、一層難しくなるのです」(同前)とも語っておられた。
 マリノフ博士は、現代が「価値観の空白」の時代であることを憂慮されている。哲学なき社会は、漂流し、迷走せざるを得ない。
 博士は、こう力をこめておられた。
 「今、人類は再び『哲学』に目覚めるべき時に来ていると思えてならないのです」「哲学の新しい展開によって、人類が新しい時代を開き、今までの人類を凌駕するような、重要な時期にさしかかっていると思うのです」(同〇三年二月十八日付)
 では、いかなる哲学が、その役割を果たすのか。博士は、ずばり答えてくださった。
 「今、世界は困難な状況に直面しています。人類は、この厳しい現実の中から、何とか理想の高みへと飛躍しなくてはならない。人々の間の反目と無理解を、理解と協調へ転換していかねばならない。
 この現実のギャップを″最短距離″で結ぶことができるのは、パワーに満ちあふれた日蓮仏法ではないか」
 「特にアメリカ社会には、仏法の『中道』思想が必要だと私は見ています」(同前)
 これが、二十一世紀を担い立つ哲学者の展望である。創価の前進は、まさしく世界の希望なのである。
3  方画伯「多忙こそ長寿の道です」
 この年末年始、世界の多くの友人から、うれしいお便りをいただいた。
 「香港の芸術の母」であられる方召麐ほうしょうりん先生は、私の誕生日に寄せて、見事な書を届けてくださった。今春、九十歳になられる先生は、「多忙こそ長寿の道です」と語られながら、日々、生き生きと若々しく、美の創造を続けておられる。(=二〇〇六年二月逝去)
 いただいた書の一幅には、方先生の好きな言葉である「松濤」(松に風が吹く音を波の音に譬えた語)。そして、もう一幅には「正義感」と、墨痕も鮮やかにしたためられている。それはそれは力強い文字が躍動している。私は感動した。
 さらに、このほど、アメリカで新しく発刊された私の英文詩集『平和への闘争』には、パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士(ノーベル平和賞受賞)が、過分な紹介文を寄せてくださっている。
 ロートブラット博士は九十五歳。「健康長寿の秘訣」を聞かれて、「一つの大きな目的に向かって、わき目も振らずに進んできました。それが生きがいになっていると思います」と、淡々と語っておられたという。
 「一つの仕事を終えると、すぐ次の仕事について考え始める」――これが、この平和の闘士の信条である。
 その博士が、私の詩集の「紹介文」の中で、こうつづっておられる。
 「いつの時代にも、どれほどわずかであれ、正義を希求する尊き声はあげられてきた。しかし、増幅する暴力と憎悪をもしのぐ正義の大音声を、今ほどあげねばならない時はない」
 こうした大先輩の魂の叫びに応えて、私たちは、今年も、断固として「正義の獅子吼」を貫いてまいりたい。
4  師子吼が「恐れを除き」「魔を砕く」
 蓮祖大聖人は「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」と仰せである。
 仏法では、威厳と力に満ちた仏の姿を、百獣の王である「師子」に譬える。仏を「師子王」、仏の説法を「師子吼」という。
 また「師子吼」には、「一切衆生に仏性があること」を、勇敢に堂々と宣言しきっていく意義がある。(大般涅槃経の師子吼菩薩品に「師子吼とは、決定して一切衆生悉く仏性有り、如来常住にして変易有ること無しと説くに名づく」〔常磐大定訳、『国訳一切経』大東出版社〕と)
 そして、その師子吼には――師子を装うニセ者を打ち破る、無明に眠る者を目覚めさせる、人々の恐れを取り除く、眷属の威光勢力を増す、堕落を戒める、子どもらに教え説く――等々の力が具わっており、仏は衆生のために師子吼して魔軍を砕き破ると経文に説かれている。
 一人が決然と師子吼することが、いかに重要であるか。大聖人は、千日尼への励ましのお手紙に、こう記されている。
 「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分に
 「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし
 広布に進む女性に、恐れるものなどない。また、女性の正義の声ほど、強いものはない。
 ともあれ、「声仏事を為す」である。破折の声を惜しんではならない。言うべきことは、臆さずに明快に言いきっていくことだ。打ち返すべきことは、一つ一つ、痛烈に打ち返していくことだ。
 「御義口伝」には、師子吼の「吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」と明かされている。わが青年部には、破邪顕正の勇気ある大言論戦を託したい。
5  「無実の者を圧する悪者は/罰せられよ!/正義は法廷で/復讐の剣を抜いて待っている」(A・チャンバイ、D・ホラント編『フィデリオ』坂本健順訳、音楽之友社)
 楽聖ベートーヴェンが残した唯一のオペラ「フィデリオ」の最終場面の合唱である。
 そこでは、正しき人を理不尽に弾圧した、権力者の邪悪な行為が明白に暴かれる。そして、その悪人は捕らえられ、人々から糾弾の声をあびながら、みじめに連れ去られていくのである。
 暴君に対する「正義」の勝利!
 野蛮に対する「精神」の勝利!
 この不滅の逆転劇は、人々の魂を揺さぶらずにはおかない。
 今、世間法、国法、そして、仏法のいずれの次元においても、日顕一派の悪事が次から次へ、峻厳に断罪されていることは、周知のとおりである。
 「徳は悪をおびやかすものだ」(同前)とは、「フィデリオ」の一節だ。悪に恐れられてこそ、正義である。悪を打ち倒してこそ、正義である。
6  民衆の底力で平和社会の大建設を
 私が現在、対談を続けている世界的な経済学者のガルブレイス博士は、論じておられる。
 「人間さえしっかりしていれば、どんなに厳しい現実や逆境に出会っても、必ずや彼らが鮮やかな反転と復興と飛躍の原動力となって、その社会を見事に繁栄に導くものである」(『日本経済への最後の警告』角間隆訳、徳間書店)
 私との対談でも「『民衆に力を与えること』――そこに、時代を変革するための大きな鍵があります」(『人間主義の大世紀を』潮出版社)と述べておられた。まったく同感である。
 一切は「人間」をつくり、「人間」を育てることから始まる。
 そしてまた「民衆の力」を引き出し、「民衆の力」を結集することから始まる。
 私どもの進める広宣流布の軌道も、そこにある。
 妙法は、あらゆる人間に内在する無限の生命力と知恵を発光させゆく太陽である。
 「観心本尊抄」には、「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」と説かれている。大聖人は、全民衆を救う妙法を弘めるために出現されたのである。
7  今、私たちは「本門の時」を迎えている。
 日蓮仏法において、「本門の時」とは、一次元から言えば、「自分自身の生命の本領を発揮する時」であり、「民衆が底力を発揮する時」にほかならない。
 法華経文上の本門では、釈尊の本地が、永遠の昔からの仏であることが明らかにされた。
 大聖人の文底下種仏法では、全民衆、全生命が「妙法の当体」であることが明かされ、事実の上にその偉大な生命を開花させる法が示されているのである。本門の如来寿量品第十六の「如来」について、「如来とは一切衆生なり」と、大聖人が宣言しておられるとおりだ。
 民衆が、妙法の当体としての″生命の底力″を思うぞんぶんに発揮して、平和と幸福の社会を大建設していくことが、仏法の究極である。そのための一大民衆運動が、わが創価学会の運動なのである。
 今年は、一人一人が、みずからの本領を悔いなく発揮していく年としたい。その原動力こそ、厳として何ものをも恐れぬ信行である。
8  強敵との大闘争から仏界の大生命が!
 「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうど方人よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」とは、「種種御振舞御書」の有名な一節である。
 邪悪な強敵との勇猛果敢な大闘争のなかにこそ、広宣流布の前進がある。またそこに、本然の仏界の大生命も赫々と現われてくる。これが、人生の方程式であり、仏法の法理なのである。
 大聖人が、お正月に認められた御聖訓に、こう仰せである。
 「勝負を以て詮と為し
 「今年はことに仏法の邪正たださるべき年か」――今年は、ことに仏法の邪正がただされるべき年であろう――。
 私たちは、この断固たる希望と誇りと確信をもって、戦ってまいりたい。そして、厳然と勝利の歴史を飾りたい。
 このほど、「中国初の女性作家」として名高い謝冰心しゃひょうしん先生の名を冠した「冰心文学館」が、私と妻に名誉称号を贈ることを決定してくださった。(=名誉会長に「名誉館長」、香峯子夫人に「愛心大使」の称号)
 その謝冰心先生の詩の一節を、愛する青年に贈り、私のスピーチとしたい。
 「めばえゆく緑の芽が
 青年に語りかける。
 『汝自身を発展させよ!』と。
 白く美しい花が
 青年に語りかける。
 『人に尽くす自分であれ!』と。
 深紅の果実が
 青年に語りかける。
 『汝自身を大いなる目的に捧げよ!』と」(『冰心選集』四川人民出版社)
 本年も、広宣流布の大願へ向かって、新たな「向上」と「拡大」と「勝利」のわが人生を、一歩また一歩、晴ればれと、信念に燃えて、さっそうと踏みだしていこうではありませんか!
 (東京牧口記念会館)

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