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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 信心は永遠の勝利の力

2003.12.28 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  師弟に生きぬく人生は崇高
 本日は、年末のお忙しいなか、また寒いなか、お集まりくださり、感謝いたします。
 今、創価の前進を、世界が讃えている。
 私が、皆さま方を代表して、五大州の大学・学術機関から受章した「名誉博士」「名誉教授」等の栄誉も、百五十におよぼうとしている。
 世界の都市からの「名誉市民」等の称号は、すでに三百三十を超えている。
 すべて、学会の平和・文化・教育運動に対する大いなる期待の表れである。また、皆さま方の子孫末代が世界から賞讃されゆく象徴である。
 広宣流布のため、世界平和のため、私は一切をなげうち、恩師戸田先生にお仕えしてきた。天才中の天才であり、本当に鋭く、慈愛の深い先生であられた。
 この世に師弟ほど強いものはない。師弟に生きぬく人生ほど、崇高なものはない。そこに最極の人生の劇があり、人間の真実の偉大さが光る。私はそう深く確信している。
 どうか広宣流布の将として、すばらしい勝ち戦の人生を飾っていただきたい。輝く自分自身を築いていただきたい。
2  「行動のみが歴史である」――これは、イギリスの詩人ブレイクの言葉である。
 この一年も、私たちは広宣流布のために行動し、すべてに勝った。数十年に匹敵する大勝利の歴史を、堂々と飾ることができた。本当にありがとう!
 ここに、きょう、代表してご出席くださった功労者の皆さまをはじめ、全国・全世界の全同志の皆さま方に、私は心から感謝申し上げたい。
 来年も、大きな山を乗り越え、大勝利の行進を、ともどもに、よろしくお願いしたい。
 また、本年最終の「聖教新聞」を配達してくださる、尊き「無冠の友」の方々にも、この席をお借りして、深く御礼申し上げます。厳寒のなか、本当にご苦労さまです。
 ロシアの文豪トルストイは言った。
 「いかなる栄誉もあてにすることなく、ただ自己の信ずるところを行為せよ。そして善なる行為に悪のさばきをつける者こそ馬鹿者であることを心に刻んで置くがいい」(『一日一章 人生読本』原久一郎訳、社会思想社)
 だれが見ていなくても、ひたすらに、けなげに、日々、みずから信ずる使命の道を歩み続ける皆さまこそ、最高に尊貴な方々である。
 諸天・諸仏が皆さまを讃嘆し、厳然と守っていることを確信していただきたい。
3  わが生命に宇宙大の福運が
 弘安二年(一二七九年)の年の瀬。正月を祝う真心の品々をお届けした窪尼御前に対して、日蓮大聖人は、こう仰せであられる。
 「あなたが、これまで法華経に供養してこられた尊い御志は、さきざき御礼を書き尽くして、筆も尽き、指も動かないほどです。
 三千大千世界に七日間降る雨の数は、数え尽くすことができるかもしれない。また、十方世界の大地の微塵の数を知る人もいるかもしれない。しかし、法華経の一字を供養した功徳を知ることはむずかしい、と仏は説かれています」(御書1483㌻、通解)
 大聖人のお言葉には、絶対に嘘がない。
 この悪世末法にあつて、一閻浮提の広宣流布に尽くし、仏意仏勅の創価学会を守っておられる皆さま方は、わが永遠の生命に、宇宙大の大福運を積まれているのだ。
 イタリアの大詩人ダンテは記した。
 「世界は、そのうちに正義が最も有力である時に、最も善く傾向づけられてある」(『帝政論・書簡集』、『ダンテ全集』8,中山昌樹訳、新生堂)
 正義のなかの正義である皆さま方をいじめ、苦しめた輩が、いかに峻厳なる仏罰を受けることか。
 「悩乱する者は頭七分に破れ」(妙楽大師の言葉、『法華文句記』)、「謗者は罪を無間に開く」(伝教大師の言葉、『依憑集』)、「師子を吠る犬は腸くさる」等々の仰せに寸分違わず、彼らが今、容赦なく断罪されていることは、ご存じのとおりだ。
 「憤しみ深く、意地悪な本性を持つ人々は、正体を隠せないものです」(『書簡集』下、『ルソー全集』14,原好男訳、白水社)と、フランスの思想家ルソーは洞察している。
 戸田先生は、来る年も来る年も、学会活動に励みゆく同志を讃えて、私に言われた。
 「これほど尊い姿はない。この方々がいなければ、広宣流布はできない。このけなげな学会員を、大作が長生きをして、守りぬいてもらいたい」
 新しき年も私は、広宣流布を推進してくださっている誉れの同志に、よりいちだんと光を当て、その労に報いたいと決意している。
4  「祈りとして叶わざるなし」の大確信で
 不況は、いまだに深刻である。倒産やリストラの波も襲いかかってくる。そのなかで、わが同志は懸命に戦っておられる。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 この御聖証を深く深く拝しながら、私も妻も、全同志に真剣に題目を送りゆく日々である。
 激しく揺れ動く乱世である。だからこそ、「『祈りとして叶わざるなし』という大確信を、断じて忘れるな!」と申し上げたい。これが、信心である。
 有名な「祈祷抄」の一節には、「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひ満干ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」と断言されている。この法華経に勝る兵法は、絶対にない。
 「信心」とは、御聖訓を勇敢に実践する力である。
 「信心」とは、祈りを原動力として、社会で勝ち、成功して、「所願満足」していく方程式である。健康で、和楽で、「衆生所遊楽」の人生を勝ち開いていくことだ。
 「信心」とは、「心の勝利」のためにある。それは、途中の勝敗ではない。「心の勝利」とは「永遠の勝利」の意義である。
 「一切の法は皆是れ仏法」である。現実の生活を勝つための仏法であり、信心なのである。地域にあっても、職場にあっても、模範の存在となることだ。
 現実の仕事においては、「知恵」と「努力」と「忍耐」を発揮して、つねに「和を考えていくこと」が大事である。とくに、関係する人々に「誠実さ」と「明るさ」をもって接し、「信頼度」を増していくことだ。
 「あいさつの仕方」や「礼儀のあり方」、また「言葉づかい」など、些細なことが勝利の源泉となる。御聖訓にも「小事つもりて大事となる」と記されている。
5  勇気ある信心を、臆病は不幸
 勝利を決しゆく、一切の根幹は「勇気ある信心」だ。勇敢でなければ、諸天善神も動かない。
 「強盛なる信心の人」とは、どういう人のことか。
 それは、「勇敢に戦う人」のことである。それ以外にない。
 戸田先生は、「蓮祖の御遺命である広宣流布に勇猛に戦い続けた人が、菩薩であり、仏である」と、よく言われた。
 「不惜身命」の行動こそ、法華経の真髄だ。
 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」である。
 ゆえに信心は、臆病であってはならない。臆病であれば、人生は不幸である。充実も、進歩もない。
6  四条金吾は、正義の信仰のゆえに迫害された。同僚の嫉妬の的となって、讒言でおとしいれられた。減俸、左遷の危機にもあった。命さえも狙われた。
 大聖人は、陰謀の構図を「金吾をそねむ人の作り話である」(御書1157㌻、通解)と喝破され、妬みのデマから弟子を厳然と擁護された。その大聖人の仰せのままに、金吾は敢然と戦い、そして勝ったのである。
 正しいからこそ、力があるからこそ、怨嫉され、悪口罵詈される。一切を信心の眼で明らかに見きわめながら、人生と広布の勝利のために、心の発展を成し遂げゆくことだ。
 「仏法は勝負」である。断固として、「生活で勝て!」「社会で勝ちぬけ!」と、強く申し上げたい。
7  聡明に! 健康長寿の人生を
 先日も確認しあったように(十二月十一日の「海外・第二東京代表協議会」でのスピーチ)、「健康長寿の信心」である。
 大切なことは、やはりなんといっても、「睡眠をとること」である。
 人の何倍も忙しい皆さまである。だからこそ、聡明に工夫して、夜は、できるだけ早く休むように心がけていただきたい。疲れをためないことだ。ムダに夜遅くなってしまう惰性は、愚かである。
 自分自身のために、健康長寿を祈っていくことはもちろんである。だが、それ以上に、「仏法のために、同志のために、一家のために、健康になろう、長寿になろう」と心に決めて、祈っていくことだ。
 大勢の人に尽くしていこうという広々とした祈りは、そのまま大宇宙に響いていく。その祈りに呼応して、諸天善神は、「この人は使命が大きい!」と強く守護してくれるのである。
 いかなる病気にも、また、いかなる宿命にも負けない、強靭なる生命を築き上げるのが大聖人の仏法の目的であることを知っていただきたい。
 また病気と闘う同志には、こまやかな励ましをお願いしたい。その人が大変な時にこそ、時を逃さず激励の声をかけることだ。
 大聖人は、門下の苦悩を「わが身の上のこと」として祈っておられた。(「尼御前〈富木常忍の夫人〉のご病気のことは、私自身の身の上のことと思っております」〈御書978ページ、通解〉)
 その御心をわが心として、リーダーが同志に尽くしていくならば、学会は、さらに今の十倍の力を発揮していくことができる。
8  牧口先生は言われた。
 「幸福の第一の条件は、健康である。その健康のためには、活動を第一とする」と。
 「健康第一」――これが「信心即生活」の基本であり、勝利の根本である。
 われらが広宣流布しゆく仏法は――「生きぬくための仏法」である。
 「幸福になるための仏法」である。
 「人生勝利のための仏法」である。
 「社会の公益のために善を施す仏法」である。
 そして「慈悲を根底にして、縁ある人々を包みゆく光線の仏法」なのである。
 この創価の大運動に、世界の知性の信頼は絶大である。新年を迎えるにあたって、現在、すでに、多くの世界の指導者の方々から、友誼と信義に満ちた挨拶状が続々と寄せられていることも、ご報告させていただきたい。
9  平和の道を一歩ずつ
 先日(十二月十四日)、私は、創価大学伝統のベートーヴェンの「第九」音楽祭に出席し、わが創大生たちの見事なる「歓喜の歌」の大合唱を鑑賞した。
 その直前、うれしいニュースが飛び込んできた。欧州連合(EU)首脳会議で検討されていた憲法草案に、この「歓喜の歌」を、″欧州連合の歌″とすることが盛り込まれたというのである。
 十三年前の十二月、日顕宗は、学会が「歓喜の歌」を歌うことは、「外道礼讃」であり謗法であると、滑稽千万な言いがかりをつけてきた。文化というものを知らない、あまりにも幼稚な非難であった。
 それが、どれほど時代錯誤の恥知らずな愚行であったか。また、これで、ひときわ浮き彫りになった。
 じつは、「歓喜の歌」を「欧州の歌」にと、いち早く提唱されていたのが、私と対談集『文明・西と東』(本全集第107巻収録)を発刊した、「欧州統合の父」故クーデンホーフ=カレルギー伯爵であった。
 この忘れ得ぬ哲人は訴えた。「平和の領域は一歩一歩づつしか占拠できないものであって、現実に一歩前進することは空想で何千歩進むより以上の価値がある」(『実践的理想主義』鹿島守之助訳、鹿島研究所出版会)
 新春より、全国五十万以上の会場で総会を行い、幸福と平和のスクラムを広げゆかれる婦人部の皆さまに、この言葉を捧げます。大成功を心から祈っています。
 そして、わが青年部には、伯爵が情熱をそそいだ「パン・ヨーロッパ宣言」の「諸君の敵が強力な場合は、諸君は、それより以上に強くなり給え!」(『ヨーロッパ国民』〈鹿島守之助訳〉所収、鹿島研究所)との言葉を贈りたい。
10  ロシアの大文豪トルストイは語った。
 「人間の力は、精神力だけでなく、身体的な力でさえも、本来無限であると私は信じている。
 しかし、それとともに、恐ろしいブレーキも持っている。それは、自分についての記憶(=ここまでしかやったことがないから、これ以上できないといった思い込み)が無気力を生んでしまうと言ったほうがいいかもしれない。このブレーキを打ち破った時、人間は無限の力を発揮する」(В.Шкловский,Лев Толсмоц,Молодая гвардия)
 私たちは、この無限の生命力を引き出して、前人未到の大金字塔を打ち立てていきたい。
 マハトマ・ガンジーは確信をこめて語った。
 「抑圧に生き残る運動はいずれも成功の異名である尊敬を、かならず集めるものだ。われわれが誠実であれば、この抑圧は勝利の接近を示す確かな合図と見なしてよかろう」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)
 人気や評判など、幻のようなものである。いかなる抑圧にも厳然と耐えぬき、誠実に信念の行動を貫いていくところに、必ず勝利の道が開かれる。
 ルソーは記している。
 「どんな迫害がわたしを待ちうけていようとも、真理のために苦しむという名誉に召されるのは身のしあわせだ」(『告白』桑原武夫訳、岩波文庫)
 そのとおりである。学会精神も同じである。
11  来年も大勝利の行進を
 大聖人は「撰時抄」で大宣言された。
 「日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの小さな塵のようなものであるが、二人・三人・十人・百千万億人と唱え伝えていくならば、妙覚(仏の悟り)の須弥山ともなり、大涅槃(仏の悟りの境地)の大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに求めてはならない」(御書288㌻、通解)
 さあ、「創価完勝の年」へ、異体同心の団結で、大勝利の行進をしていこう!
 皆さま全員が、色心ともに健康で、ご家族が幸福で、新年を迎えられることを、私は切に祈っております。一年間、まことにご苦労さまでした。
 各地にお帰りになりましたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 来年も頑張ろう!
 (創価文化会館)

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