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日蓮大聖人・池田大作

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海外・第二総東京代表協議会 「学会永遠の五指針」を胸に師子王の心で進め

2003.12.11 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  信心の根本の姿勢・戸田先生の「三指針」
 きょうは、遠くブラジルから、またアメリカから、さらにフランス、イタリアからも同志がお越しくださっている。本当にようこそ!
 また、地元・第二総東京の皆さま! いつもお世話になり、本当にありがとう!
 わが尊き学会員の皆さまが、一人ももれなく「健康長寿」であられることが、私の祈りであり、願いである。
 使命ある一人一人が、強く、どこまでも強く、人生を歩んでもらいたい。元気で、幸福にあふれた、価値ある日々であってほしい。断固として、生きて生きて生きぬいていただきたい。
 新しい年、「創価完勝の年」を迎えるにあたり、ここで、もう一度、信心の根本の姿勢を確認しておきたい。
 それは、一九五七年(昭和三十二年)の十二月度本部幹部会でのことであった。この月、戸田先生が生涯の願業とされた七十五万世帯の弘教が、ついに達成された。
 その歴史的な幹部会で示されたのが、「三指針」であった。
 つまり――
 一、一家和楽の信心
 二、各人が幸福をつかむ信心
 三、難を乗り越える信心
 この三点である。
 以来、私たちは、これを「学会の永遠の三指針」として胸に刻み、前進してきた。
 わが同志が、それぞれの境遇において、それぞれの家庭で、職場で、地域社会で、それぞれの人生で、困難に負けず、現実の不平や不満に流されず、希望に帰えて生きぬき、勝ちぬいていくたの指標である。
2  「一家和楽の信心」
 指針の第一は「一家和楽の信心」である。
 日蓮大聖人は、「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」と仰せである。さらに、伝教大師の文「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(『守護国家』巻下)を引いておられる。その家に、妙法の声が響くということが、どれほどすばらしいことか。
 強き信心とは、強力な磁石のように、幸いを万里の外より集める力である。鉄壁の守りとなって、いかなる災難をも退散させていく。
 この大確信をもって、わが家を幸福と安穏の城に築き上げていくことである。
 家族が信心していない場合も、多々ある。しかし、心配することはない。あせることもない。一人が真剣に、厳然と信心に立ち上がれば、縁する人を皆、幸福の方向へ、希望の方向へとリードしていくことができるからだ。
 ちょうど、暗夜の海に一つの灯台が厳然と光を放てば、無数の船が、安全な航路を進んでいけるようなものである。
 大聖人は、こうも説いておられる。
 「目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生・三悪道さんあくどうはなるるのみならず皆初住・妙覚の仏となりぬ」と。
 ゆえに、信心のことで家族が争う必要など、まったくない。
 深く祈りながら、大きく賢い心で、仲よく朗らかな、笑いさざめく和楽のわが家を、堅実に、また着実につくっていっていただきたい。
 「笑いは太陽だ。人の顔から冬を追いはらってしまう」(『レ・ミゼラブル』2,『ヴィクトル・ユゴー文学館』3,辻昶訳、潮出版社)とは、フランスの文豪ユゴーの言葉である。
 また、家族を亡くされた方もおられる。しかし、仏法の眼で見れば、必ず、深い深い意味がある。絶対に悲しみに負けてはいけない。
 中国の周恩来総理の夫人、鄧頴超女史は最愛の夫に先立たれた。だれよりもつらく、悲しかった。しかし、多くの人が涙を流すのを見て、こう言った。
 「強くなりましょう。泣くのはよしましょう。泣いても人は生き返りません。私は三回だけ泣きました。もし泣いて恩来が生き返るのなら私は死ぬほど泣き続けます。私たちがやらねばならないことは、涙をぬぐい、恩来の遺志を継ぐことです」(西園寺一晃『鄧頴超』潮出版社)
 私は、これまで数えきれないほど多くの体験を見てきた。いざという時、信心で立ち上がった人は、必ず、皆、幸福になっている。
 「祈りとして叶わざるなし」の御本尊である。妙法は「変毒為薬」の大法である。あらゆる苦難を「薬」に変えて、大きな境涯を開いていけるのである。
 大聖人は、父の信心を毅然と受け継いだ南条時光を讃えておられる。そして「同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし」とも言われている。
 信心こそ最高の財産である。わが子に正しき信心を継承しゆくことこそ、親子して、また家族ともどもに、永遠の幸福の軌道を歩みゆく最も確かな道である。
 その意味からも、家庭でも、地域でも、未来部の育成に、さらに力を入れてまいりたい。
3  「各人が幸福をつかむ信心」
 第二の指針は、「各人が幸福をつかむ信心」である。
 大聖人は、法華経を引かれて仰せである。
 「此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る」と。
 必ず「幸福をつかむ」ことができる。これが、大聖人のお約束である。
 「信心即生活」である。現実の社会の中で格闘しながら、法のため、人のために広宣流布へ前進する。そこに大功徳がわく。縁する人々をも救っていける。
 有名な御聖訓には、こうも仰せである。
 「冬は必ず春となる。いまだかつて、冬から秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともありません。同じように、いまだかつて、法華経を信ずる人が凡夫のままで終わったなどということも聞いたことがありません」(御書1253㌻、通解)
 この希望の大仏法を、私たちは一人でも多くの人に語り伝え、幸福への仏縁を広げていきたい。
 幸福は、人から、また外から与えられるものではない。自分自身の「心」で、つかみとっていくものである。まさしく「心こそ大切なれ」である。
 御書には、「さいわいは心よりいでて我をかざる」とも記しておられる。
 一人一人の「心」を最大に強め、深めていく力が、「信心」である。
4  なぜ学会が、これほどまでに大発展をしてきたのか。
 その理由の一つとして、国際宗教社会学会の初代会長、ウィルソン博士(オックスフォード大学名誉教授)は、「学会が人間の幸福を第一義とする」点を挙げておられた。
 さらに博士は、創価のビジョンが「自分自身の幸福の探求を、人類全体の運命や地球社会の未来と関連づけている」と高く評価されている。(一九九七年十月〜十一月、創価大学での特別講義)
 「各人の幸福」は、全部、広宣流布に連動している。
 戸田先生は、よくユーモアをこめて言われた。
 「あなた方のためにやることが、結局は広宣流布のためであり、世界のためになるのである。
 だから皆さんの信心の努力の大半を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい」と。
 では、幸福のために、大事なことはなにか。大聖人は、「悪知識」にたぶらかされないことであると、繰り返しだがておられる。悪知識は、無量の善き心を破壊してしまうものだからである。
 「御義口伝」には、「功徳」の「功」とは「幸」ということであり、それはまた「悪を滅する」ことであると説かれている。(御書762㌻)
 生命の無明を滅することが幸福である。「悪」との戦いなくして、真実の「幸福」はありえない。
5  「難を乗り越える信心」
 第三の指針は「難を乗り越える信心」である。
 大聖人は、「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」と仰せである。
 歴史をひもとけば、偉大な人生には、必ず障害があり、難がある。
 古代ローマの哲人セネカが「多くの人は、その英知のゆえに、また多くの者は、その正義のゆえに嫉妬されます」(『道徳書簡集』〈全〉茂手木元蔵訳、東海大学出版会)と喝破しているように、英知があり、正義であるがゆえに、嫉妬され、悪口され、迫害されるのだ。
 いわんや、広宣流布を成し遂げゆく「如説修行の師弟」には、「三類の強敵」が立ちはだかり、「猶多怨嫉」の大難が競い起こる。難を受けることこそ、正しき仏法を正しく実践している証拠である。そして、難を乗り越えてこそ、金剛不壊の成仏の大境涯を開いていくことができる。
 だからこそ、大聖人は、「三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」、「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と教えておられる。
 これが、日蓮仏法の精髄であり、学会精神の真髄である。
6  戸田先生は、苦難と戦う同志を、心から励まされた。
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。
 苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」
 学会精神が燃えているかぎり、われらの広宣流布の前進に行き詰まりは絶対にない。
 アメリカ宗教学会の仏教部門のナツィエ議長も洞察されていた。
 『難にあわなければ本当の信仰ではない』という主張には、耳目を開くものがあります。ここに、いかなる困難をも乗り越えて新しい時代を開いてきた創価学会の強さの秘けつがあると思います」(「聖教新聞」一九九四年十月十七日付)
 ともあれ、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」である。
 師子として立て! 師子として叫ベ! これが大聖人の教えである。
 これからも、いよいよ「師子王の心」で、あらゆる難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。
7  「健康長寿の信心」
 以上、これまでの三項目の指針に、私は、新たに二項目の指針を申し上げたい。
 それは、「健康長寿の信心」である。
 そして「絶対勝利の信心」である。
 大聖人は、病気と戦うけなげな女性門下を激励なされて、仰せである。
 「命というものは、わが身にとって第一の珍宝である」
 「一日の命は、宇宙の全財宝を集めた以上の宝である」
 「あなたは法華経にめぐりあわれたのですから、一日でも生きておられれば、その分、功徳が積もるのです。なんと大切な惜しい命でしょうか。惜しい命でしょうか」(御書986㌻、通解)
 何よりも大切な「命」である。どこまでも、健康で長寿で、かけがえのない一日また一日を生ききつて、無量無辺の価値を創造していくことである。
 二十一世紀は「生命の世紀」である。それはまた「健康の世紀」であり、「長寿の世紀」である。
 その模範と光り輝く、創価の人生であっていただきたい。
 四条金吾の夫人である日眼女に対しても、大聖人は、ある年の新年、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」と激励されている。
 色心ともに、一年また一年、より若々しく、より福々しく、人生の年輪を刻んでいくのが、この妙法である。
 イギリスのサッチャー元首相は「人生は六十五歳から始まる」と語っておられた。六十代からが本当の人生である。
 「御義口伝」には、「我らが生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、そのまま常楽我浄の四徳の香を吹くのである」(御書740㌻、通解)と説かれる。
 私たちは、この「常楽我浄」の人生を、堂々と晴ればれと、舞いに舞っていきたい。そのためにも、より智慧を発揮した信心即生活をお願いしたい。
8  リズム正しい調和ある生活を
 御書には、病の原因として六種類挙げられている。天台大師の摩訶止観の文である。
 第一は「四大順ならざる故に病む
 四大とは、地水火風のこと。東洋思想では、人間も大自然も四大で構成されていると教えている。私たちの身体でいえば、地大(人体の骨等)・水大(血液等)・火大(熱)・風大(呼吸)の身体的エネルギーのことである。
 この四大の調和が気候の不順等で乱れることによって病気になるとされる。ゆえに、環境に応じた、賢明な生活が大事となる。
 第二は「飲食節ならざる故に病む」。食べ過ぎや飲み過ぎ、あるいは不規則な食事などをさす。
 第二は「坐禅調わざる故に病む」である。
 一般的にいえば、節制を欠いた日常生活といってよい。
 ゆえに、教養ある食生活や、十分な睡眠、適度な運動、リズム正しい生活が大事となってくる。
 第四の「鬼便りを得る」の鬼は、身体の外側から襲いかかる病因をいう。現代的にいえば、細菌やウイルスなどのほか、外界からのさまざまなストレスも含まれよう。
 第五は「魔の所為」である。
 「魔」とは、精神的・心理的なストレスにより、三毒等の煩悩を引き起こし、生命の内奥まで入って精神作用を破壊したり、心身の正常な営みを混乱させる働きである。
 そして、第六は「業の起るが故に病む」である。これは過去世と現世に刻んだ悪業によって起こるものである。
 このように、病気の原因は六種に分けて考えられるが、実際は、いくつかの原因が重なりあっている場合が多い。
 このうち、第五と第六の次元を除いて、最初の四つは、まさしく知恵を働かせていくことで、予防していけるものである。聡明に工夫しながら、よく寝て、疲れをためないことである。
 健康になるための根本は、大生命力を涌現させ、魔に打ち勝ち、宿業を転換しゆく、強盛なる信心である。
 有名な御聖訓に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」と仰せである。信心は生命力を大きくする。人格を大きくする。自分自身を大きくする。
 偉大な生命力に満ち満ちた学会の組織で、広宣流布のために戦っていくことだ。
 戸田先生は絶対の確信をこめて言われた。
 「強盛に信心するならば、経文において明らかなごとく、新しく強き生命力を得て、事業に、健康に、生き生きとした生活が始まってくる」「それは地から涌出するところの水のようなものであって、絶ゆることがない」
 わが学会の同志は、一人ももれなく、「健康博士に!」そして「長寿博士に!」と私は心から祈りたい。
9  「絶対勝利の信心」
 指針の五つめは「絶対勝利の信心」である。
 これまで何度も拝してきたが、大聖人は仰せである。
 「仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり
 勝負をさきとする――これが、仏法の魂である。
 「仏」とは、「一切に打ち勝った人」である。仏典では「目的を達成した人」「あらゆる敵を降伏させて、なにものをも恐れることなしに喜ぶ」「ヒマラヤ山が他の山々に打ち克って輝くように」
 輝く人、等々と表現されている。(『仏弟子の告白』中村元訳、岩波文庫)
 まさしく、「仏」とは「絶対勝利の人」の異名なのである。
 大聖人は、「仏法というのは道理をもととするものである。道理というものは、主君という権力者にも必ず勝つのである」(御書1169㌻、通解)と断言しておられる。
 ゆえに、皆さま方が絶対に負けるわけがない。
 「正義の勝利」こそが大宇宙の法則である。その強き確信こそが信心の極意なのである。
 断じて勝たねばならない。勝つことが、正義である。勝つことが、幸福である。勝つことが、広宣流布なのである。
 なお、御聖訓には、「異体同心なればちぬ」、そして、「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」と仰せである。「異体同心」の団結こそ「絶対勝利」の要諦であることを忘れまい。
10  新しい広布の波は始まった!
 日本でも、世界でも、新しいリーダーが誕生した。新しい広布の波が始まっている。
 皆、励ましあい、支えあいながら、心を一つに前進をお願いしたい。
 広宣流布の役職をまっとうするなかで、自分自身の「境涯」が開かれる。広宣流布の責任を担って、粘りぬいた人間が、最後に勝つ。
 役職を軽視して、勝手気ままに生きる人は、一時は、いいようでも、大福運の道をみずから閉ざす。人生の最終章に苦しんでしまう。
 仏法に「境智行位」という法門がある。
 「境」とは獲得すべき真理である。学会の役職にあてはめれば「果たすべき使命」と言えよう。
 その使命を果たすために「知恵」を尽くし、「行動」を尽くしていく。そこに仏法上の生命の「位」が連動している。
 日蓮大聖人は宇宙一の偉人である。根本の仏である。その大聖人の仏法を、大聖人に代わって、皆さまは弘めている。最高に尊貴な方々である。誇りをもち、胸を張って進んでいただきたい。
11  終わりに、哲人の声に耳をかたむけたい。
 フランスの哲学者ベルクソン。彼は「未来を創造するためには、現在、何かを準備しなければならない」(『精神のエネルギー』、『ベルクソン全集』5,渡辺秀訳、白水社)と述べている。
 未来のために、今、何かを始めることだ。
 私が対談したブラジルの言論王、故アウストレジェジロ・デ・アタイデ氏(ブラジル文学アカデミー総裁)は言った。
 「すべての悪の脅威に打ち勝つものは、『対話』による相互理解と連帯の力である」(『二十一世紀の人権を語る』。本全集104巻収録)
 心を開いた対話こそが希望の道である。勝利の道である。
 そして、スイスの哲学者ヒルティは語った。
 「人間の尊厳にふさわしいただ一つの決意、幸福へのただ一つの道が残されているのみである。それは『高きをめざして!』である」(『幸福論』3、『ヒルティ著作集』3,前田護郎・杉山好訳、白水社)
 この言葉を、皆さま方にお贈りし、私のスピーチとしたい。
 (東京牧口記念会館)

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