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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 迫害は「正義」の誉れ

2003.11.25 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  「一人が宝」「庶民こそ王者」
 いちばん偉い人とは、どんな人か。それは、人々の幸福のために行動する人。正義の信念に生きぬく人。これこそ、わが尊き創価の同志である。宝の一人一人である。
 真面目な庶民が不幸に泣くような時代は、断じて変えねばならない。今は民主主義である。民衆が主人なのだ。
 いかなる権威の人間も、民衆に仕えるためにいる。それを逆さまにするな――この一点を、戸田先生は厳しく教えられた。
 どこまでも「一人」を大事にする。そこから広宣流布は始まる。「一人」を励まし、温かく包容する。悩みに耳をかたむけ、ともに勝利へ立ち上がっていくのだ。
 誠実な声、確信の声が、大きな力になる。声は、ただである。空気も、ただである。祈りも、ただである。ただであるけれども、いちばん大事で、いちばん強く、いちばんの生命の根本である。
 御書に「声仏事を為す」と仰せのとおり、リーダーは声を惜しまず語りぬくことだ。
 皆を心からねぎらい、讃え、喜びと希望を贈っていきたい。
2  私が青春時代から愛誦してきた詩人の一人に、十八世紀ドイツのノヴァーリスがいる。
 ロマン主義運動の先駆者として生きぬき、戦いぬいた彼は、誇りも高く、こう叫んだ。
 「わたしたちには、行動が人生だ」(「わたしには人びとの生き方が見える」、『ノヴァーリ全集』1〈青木誠之・池田信雄・大友進・藤田総平訳〉所収、沖積舎)
 私は、この言葉が大好きであった。
 われらの最大の誉れも、この「行動」にある。日蓮仏法の真髄は、「行躰即信心」であるからだ。
 暴虐なナチスに立ち向かった、ドイツの勇敢なる劇作家、ブレヒトは言った。
 「なかまを見棄てておくならきみは/じぶんを見棄てることになるのだ」(「連帯性の歌」、『ブレヒト詩集』〈野村修編訳〉所収、飯塚書店)
 「人間の絆」が根底から揺らぎ、崩れつつある現代社会にあって、われら創価の世界は、なんとうるわしい信頼で結ばれていることか。
 今年も、「激戦の地の友を守らずにおくものか!」と、各方面の同志が一つとなり、全国が「異体同心」で力を合わせて戦った。いな、戦いぬいた。だからこそ、すべてを勝ちぬくことができたのである。
 「一つにまとまったものが、たとえ少なりとも勝つのだ」とは、戸田先生がよく言われた、大切な指導の一つであった。
3  われらは、一生涯、戦う同志!
 古代ギリシャの大哲人プラトンは、こうつづっている。
 「善き人だけが善き人だけと友になるので、悪しき人は善き人とも悪しき人とも、けっして真の友情を結ぶことはない」(『リュシス』生島幹三訳、『プラトン全集』7所収、岩波書店)
 われらの善良なる友情と団結には、悪人は絶対に入り込むことはできない。だからこそ、妬ましくて、しかたがないのである。
 われらは、広宣流布のために、一生涯戦う同志だ! 戦う家族だ! 戦う兄弟だ! 戦う人間だ! 戦う使命だ! 戦う連帯だ! 戦う陣営だ! 戦う牙城だ!
 ここに、あらためて、「この一年間の大闘争、本当にご苦労さま!」と申し上げたい。また、「本当にありがとう!」と申し上げたい。
 かえすがえす、この「栄光・大勝の年」の勝利は大きかった。史上最高の金字塔を打ち立てた。十年にも匹敵する歴史を刻んだ。創価学会の偉大な命運を大きく決定する一年となった。よくぞ戦い、よくぞ勝ってくださった。
 あらゆる著名人や知人の方々からの賞讃も、今度ほど多くあったことはない。皆さま方も、よく感じておられることと思う。
 全同志のご健闘を、私は心から讃嘆し、感謝申し上げたい。明年もまた、大勝利しよう!(拍手)
4  青年部が成長してきた。私はうれしい。
 仏道修行でしか、永遠の功徳は積めない。決して気取らないで、懸命に広布に生きぬくことだ。
 その人が、人生の最終章に光り輝く。大きい人間、強い人間になるのだ。巌窟王のごとく。
 国家主義と戦い、投獄されても屈しなかった、戸田先生の言葉が、私の胸に刻まれている。
 「正義のために戦い、もしか牢獄に入ったら、『いつ出られるか』と弱気になって悩んでも、しかたがない。『一生、入っているんだ!』。こう決意を固めろ」と。
 本当に偉大な先生であった。一事が万事である。断固たる決意が道を開く。
 妙法を持った人間が、断じて不幸になるわけがない! 最後は正義が勝つに決まっている!
 そう心に決めて、強く強く進むことである。
5  大難は悪逆の坊主が権力と結託して引き起こす
 日蓮大聖人は、門下の松野殿へのお手紙に、こう仰せである。
 「法華経の第五の巻(の勧持品)には、『私(釈迦仏)の滅後の末法に入って、法華経の行者が現れるであろう。その時、その国に、戒を持った僧、戒を破った僧など、無数の僧たちが集まって、国主に讒言して、法華経の行者を流罪にし、亡き者にしようとする』と説かれています。
 こうした経文がことごとく、日蓮の身に符合しました。未来に仏になることは疑いないと確信しています」(御書1389㌻、通解)
 この御聖訓には、法華経を身読された大聖人ご自身の闘争を通して、末法における大難の構図が明確に示されている。
 つまり大難は、悪逆の「坊主」によって引き起こされる。事実無根の「讒言(ウソの告げ口)」が用いられる。さらに、卑劣な「権力」との結託がある。そして、大難を乗り越えることによって、必ず「成仏」が決定づけられるのである。
 この仏法の定理は、法華経に明確に示され、御書に繰り返し説かれているとおりだ。
 たとえば「撰時抄」には、こう仰せである。
 「正法の強敵というのは、悪王や悪臣よりも、外道や魔王よりも、また破戒の僧侶よりも、戒律を持ち智者といわれる高僧のなかに大謗法の人がいるのである」(御書292㌻、通解)
 「瑞相御書」には、「かの悪僧らが、正法の人を流罪・死罪に行い」(御書1142㌻、通解)と。
 「行敏訴状御会通」には、「三種、六種の神通力をもった聖者のように見える僧侶たちが、わが正法を滅ぼし失わせるのである」。(御書182㌻、通解)
 さらに、門下の四条金吾の冤罪を晴らすため、大聖人が代筆された「頼基陳状」には、「良観坊の讒言の訴えによって、釈迦如来の御使いである日蓮聖人を流罪に処したてまつり」(御書1162㌻、通解)と、記されている。
6  創価学会は、大聖人の仰せのとおりに広宣流布を成し遂げゆく、仏意仏勅の、尊貴にして和合の団体である。だからこそ、創立六十周年(一九九〇年)を大きな節目として、法華経に説かれ、御書に示されたとおりの迫害を受けた。そして堂々と勝ち越えてきたのである。
 「悪口罵詈」「猶多怨嫉」そして「三類の強敵」が出来することは、「法華経の行者」の条件である。証明である。
 (法華経法師品に、「如来現在猶多怨嫉。況滅度後」と、末法の法華経の行者が釈尊以上の怨嫉を受けることが説かれている。勧持品には、「悪口罵詈」等を加える俗衆増上慢をはじめ、「三類の強敵」が、末法の法華経の行者を迫害すると予言されている)
 その方程式に、わが創価学会が符合していることを、誇りとしていくべきだ。
 「行者」とは、その大法難と勇敢に戦い、正法を実践していく人のことである。勇敢なる正義の行者とはまた、勇敢なる「求道者」なのである。
7  学会破壊を企てた邪宗門・日顕宗
 先日(十一月十三日)の本部幹部会でも申し上げたが、この十一月で、邪宗門から学会に「破門通告書」(二十八日付)なる文書が送りつけられて、十二年を迎える。新しい青年部の友も増えており、ここで、この法難の経緯を、重ねて振り返っておきたい。
 それは、一九九〇年(平成二年)の三月のことであった。宗門は、学会に事前の相談もなしに、一方的に、冥加料の値上げを通告してきた。
 「御本尊の下付」が一・五倍。「塔婆供養」「永代回向」が三倍。一般社会の常識では、とうてい通用しない横暴である。今、思えば、宗門が、いよいよその貪欲の性根をむき出しにする前兆であった。
 私が願主となって、総一坊(八八年)に続いて総二坊が立派に完成したのは、その翌月の四月のことである。九〇年の一年間だけでも、学会は、総二坊のほか、八カ寺を建立した。
 ちなみに、学会が寄進してきた寺は、これまで三百五十六カ寺にのぼる。そのうち、私が会長に就任してからは、三百二十カ寺である。
 さらにまた、七千万人におよぶ登山会を行い、正本堂、大客殿の建立をはじめ、大石寺の整備に総力をあげてきたことは、いうまでもない。皆さま方も、ご存じのとおりだ。
 大石寺の敷地は、戦後の農地改革で、五万一千余坪に激減していた。それが、学会の外護によって、百万坪以上に広がり、未曾有の大発展を遂げたのである。
 だからこそ歴代の日昇法主、日淳法主、日達法主の学会への感謝と賛嘆は、あまりにも深かった。
 とくに、この一九九〇年は、大石寺の開創七百年ということで、九月には慶祝の文化祭を地元・静岡の青年部が中心となって盛大に行った。
 青年たちが真心の準備に尊い汗を流している、そのさなかに、日顕らは、文京区西片にある大石寺の東京出張所(七月十六日)や、本山の大書院(七月十八日)で、いわゆる「C作戦」と呼ばれる学会破壊の謀議を重ねていたのである。
 それは、「無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ」、「法華経行者の跡を削り謀案を構えて種種の不実を申し付くる」等の御文さながらの、広宣流布を阻む陰謀であり、謀略であった。
 秋谷会長に対して、日顕が「驕慢謗法だ!」と怒鳴りつけたのは、本山での謀議の三日後の七月二十一日のことである。まことに一宗の管長にあるまじき、ぶざまた狂態であつた。
8  そして、この年も押し詰まった十二月、宗門は突然、学会に「お尋ね」なる文書を突きつけてきた。人類普遍の自由の讃歌であるベートーヴェンの″第九″(「歓喜の歌」)を歌うことを「外道礼讃」と決めつけるなど、すべてが不当このうえない言いがかりであった。しかも、七日以内に回答せよとの強圧的な通告である。
 学会首脳が、その真意を尋ねようと、再三にわたり、対話の場を要請したにもかかわらず、宗門は、その一切を拒否した。
 さらに十二月二十七日、わざわざ臨時宗会で宗規を変更して、私の法華総講頭、秋谷会長らの大講頭職を罷免したのである。
 全国の学会員が、どれほど驚愕したことか。本来、最も楽しかるべき、わが同志の年末年始が台無しにされた。私は、今、思い起こしても、胸が痛む。
 しかも、この折の、「大白蓮華」の新年号(平成三年)において、日顕は「新年の辞」で、学会の発展を讃えていたのである。
 (日顕は、こう記していた。
 「特に、池田先生の指揮において大書すべきは、戦後の世界的な移動交流のなかで、各国に広まった信徒の方々を組織化した、世界広布への大前進が図られたことであります。
 今日、地球的規模による広布着々たつ進展がみられることは、撰時抄の御金言のごとく、実に広布史上すばらしいことと思います」)
 仏法で厳しく戒められている「両舌」(二枚舌)であり、「自語相違」そのものであった。
9  一九九一年(平成三年)。日顕は、例年行う新年の会長、理事長とのあいさつも、またその後のいかなる話しあいも、「『お目通り』の儀は適わない身」等と言い放って、逃げ回った。
 大聖人は、あの良観が、臆病にも「対話」を拒否し続けた姿を、「日蓮が(佐渡から)鎌倉に上る時は、門戸を閉じて『内へ入ってはならない』と制止し、あるいは、風邪気味であるなどと仮病を使って避けたのである」(御書1283㌻、通解)と書き留めておられるが、「現代の良観」も、まったく同じであった。
 さらに御書には、この「僣聖増上慢」の正体を、こう鋭く喝破されている。
 「経文を鏡(規範)として、両火房(良観房)の身に当てはめてみよ。少しの曇りもなく符合するではないか。
 一つには、名は持戒の僧と世に聞こえるけれども、実際は放逸(勝手気ままで、だらしがない)であるか。二つには慳貪(欲が深い)であるか。三つには嫉妬であるか。四つには邪見であるか。五つには婬乱であるか。この五事に尽きるではないか」(御書350㌻、通解)
 これが良観の本性であると、大聖人は厳然と記しておられるのである。日顕もまた、僣聖増上慢そのものであった。
 良観は、大聖人一門に対して、ありとあらゆる圧迫を加えた。それと同様に、日顕は学会を弾圧し、学会を切ろうとした。
10  「お尋ね」文書をめぐって、宗門があくまで対話を拒否したので、学会は「回答」を送った。その中で、宗門の不当な主張に抗議し、出所不明のテープをもとにした、スピーチのテープ起こしの誤りを指摘した。
 すると宗門は、誤りがあったことを認めざるをえなくなり、それをもとにした質問項目を、全面的に取り下げてきたのである。これによって、宗間のもともとの言いがかりは、根底から崩れた。
 にもかかわらず、宗門は謝罪するどころか、その後、海外組織の攪乱、学会員への御本尊下付の停止など、学会員をいじめ、動揺させようとしてきたのである。
11  大聖人は、法華経に示された「悪鬼入其身(悪鬼其の身に入る)」の原理を通して、「天魔が良観等の愚かな法師たちに取り付いて、日蓮を迫害するのである」(御書1340㌻、通解)と示しておられる。
 破和合僧の謀略の陰に、日顕自身がかつては「提婆達多みたいな人間」と忌み嫌っていた悪知識との結託があったことは、さまざまに立証されているところだ。
 御聖訓に、「悪人は、提婆と親しく交わる」(御書945㌻、通解)と説かれるままの姿であった。
 御書には、「提婆達多はまた、仏をつけ狙い、大石をもって仏の御身から血を出し」(同㌻、通解)とも記されている。
 いうなれば、「現代の提婆」と「現代の良観」が野合して、仏意仏勅の創価学会を壊そうとしたのである。
12  登山止めは仏からの勲章
 宗門は、「添書登山」、つまり末寺を通した登山しか認めないと通知し、大石寺への登山を恫喝の手段にしようとしたが、これも、まったく徒労に終わった。
 そもそも宗門は、戦時中、牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕されるや、卑劣にも「大石寺への登山止め」「末寺参詣禁止」の処分を決めたのである。
 さらに戸田先生に対しては、昭和二十七年(一九五二年)、青年部が悪侶を糾弾した″狸祭り″の時にも、宗会が「大講頭罷免」「登山停止」を決議したことがあつた。
 この決議の時、戸田先生は、「聖教新聞」(一九五二年七月十日付)の「寸鉄」に次のように書かれている。
 「忠義を尽して謗法を責めて御褒美あるかと思ったに、おほめはなくて『登山まかりならん』とおしかりさ。弟子共一同『俺達も一緒に登らんわい、フン』だってさ」
 「寸鉄居士会長先生に御伺いをたてたら『あんまり騒ぐなよ、こんな目出度いことを』とニヤリさ」
 「三類の悪人の仕業の中に『遠離塔寺』と言って寺から追い出すやり方がある、悪人共がさ。
 さて我等が会長に折伏の大将としての一大名誉を贈ったのさ『遠離塔寺』と云う仏様からの勲章なんだ」
 「寸鉄居士ニヤリとして曰く 宗会議員の諸公は三類の敵人中 第二類か第三類か、ニヤリ」
 戸田先生が悠然と達観されていたごとく、今回の登山止めもまた、まさしく「大聖人からの勲章」であったといってよい。
 私たちは、登山会にあたって、絶対に事故が起きないよう、毎日毎日、祈りに祈って、運営してきた。のべ七千万人にもおよぶ登山会の勝利の歴史を残した。
 しかし、あのまま続いていれば、いつかは大事故があったかもしれない。
 大聖人は、つねに門下の身の上に心を砕いておられた。四条金吾に対しては、道中の安全を第一義として、危険な時は身延へ来ないようにとも言われていた(御書1185㌻)。あらゆる意味から見て、どれほど深い御仏智、大聖人の御計らいであったことか。
 登山会の運営で苦労なさった皆さま方は、歳月がたつとともに、より深く実感されるところであろう。
13  「破門」の日は学会の「魂の独立」記念日に
 一九九一年(平成三年)十一月、宗門は学会に対して「解散勧告書」(七日付)を送付。さらに、十一月二十八日付で「破門通告書」を送りつけてきた。
 陰険極まる恫喝であったが、学会員は、むしろ堕落した宗門からの「魂の独立」の象徴として、欣喜雀躍と、この「破門」の日を祝したのである。
 翌十二月の二十七日、ちょうど、総講頭罷免から一年後のこの日、学会は、日顕に対して「退座要求書」を送った。この「退座要求書」には、なんと全世界の約千六百二十五万人が署名したのである。むしろ日顕自身が、千六百二十五万の地涌の陣列から「破門」を宣告されたのだ。
 心ある僧侶も、広宣流布の同志として、立ち上がった。宗門から離脱した寺院は三十カ寺、僧は五十三人を数える。
14  ″仏教史に輝く宗教改革″
 世界の識者からも、学会を擁護し、支持する声が、澎湃と、わき起こった。今、感謝をこめて、その一端を振り返っておきたい。
 ハーバード大学のヌール・ヤーマン教授は、文化人類学の世界的権威である。ヤーマン教授は、十年前(一九九三年)の九月、私のハーバード大学での二度目の講演への講評の中で、並みいる大学者を前に、次のように明晰に語ってくださった。
 「現在、創価学会が展開している″宗教改革″は、かつてプロテスタント革命がキリスト教史を画したように、仏教史において大きな意義をもつ運動であります。この目覚ましい革新運動は、仏教ばかりでなく他の宗教にも大きな影響を与えるでありましょう。まさに、宗教史の新しい出発点であり、新しい建設であります」(「聖教新聞」一九九三年九月二十六日付)
 アメリカ・デラウェア大学の高名な哲学の教授で、今は亡きデイビッド・ノートン博士も、遺言のごとく、力説してくださっていた。
 「平和と文化の輪を日本、ないし世界へと広げる創価学会の活動を批判する宗門は、近視眼的であり、盲目的であるとさえ言うほかありません。何が、宗門を盲目にさせるのか、と聞かれたら、私は″それはジェラシー(嫉妬)が、そうさせるのだ″と答えざるをえないでしょう」
 「宗門の″破門通告″は、すべての人間に仏性がある、その豊かな可能性を開ざしたり、切ったりしてはならないという日蓮大聖人の教えに、全く逆行したもの」(同九一年十二月十九日付)である、と。
 世界の知性の透徹した眼には、宗門の暴挙、愚行が、かくも明快に映し出されていたのである。
15  ″時代錯誤の宗門、革新的な学会″
 日本でも、上智大学の名誉教授だった故・安斎伸先生は、こう語ってくださった。
 「近年、創価学会は宗門と離れ在家教団としての道を歩み始めましたが、開放的、革新的な学会と、閉鎖的、保守的な宗門とを比べれば、これは避けがたい必然的な結果であったと私は見ております。
 平和・文化・教育の価値も理解できず、伝統に固執し、権威と力で信徒を押さえ付け、時代錯誤におちいった宗門。そこから独立しなければ、創価学会もやがては独善的、閉鎖的な教団として終わってしまい、未来性も世界性も絶たれていたことでしょう。
 この事実を日本の識者、ジャーナリストらは知らなければならないのですが、全く理解していない。宗門も然りですが、私はそこには一種の嫉妬心があるからではないかと見ております」(「創価新報」九七年八月二十日付)
 また、金沢経済大学の荒牧哲郎名誉教授も、「衆生を救済すべき宗門が、信徒の集団である学会の解散を勧告するなど、およそ宗教団体には似つかわしくない無慈悲な行為である」(「聖教新聞」九一年十一月二十八日付)との声を計せてくださつた。
 さらに、朝日大学の鴨野幸雄教授(金沢大学名誉教授)は、「『破門通告』との話を聞き、一般的に言って、一方的で極端な措置という感じがしました。何の話し合いもせず、一片の通知で『破門』する。これは法的手続き論的にみて、常軌を逸しています」(同九一年十二月十三日付)と論じておられた。
 そして、同志社女子大学の故・武邦保教授は、「世界の民衆の魂の解放に尽くしている信徒集団(学会)になぜ解散を迫るのか。宗門が、″自爆″行為に走っているのを傍観できないのです」(同九一年十一月二十二日付)と訴えてくださった。
 いずれも、永遠の歴史に光り輝く、知性の先生方の勇気あるご発言であった。
16  ″仏教を人生肯定の宗教として現代に復興″
 また、国際宗教社会学会の初代会長で、私と対談集『社会と宗教』を発刊したオックスフォード大学名誉教授のブライアン・ウィルソン博士は、論じておられた。(以下「さらなる普遍宗教への飛躍を期待」、引用は、「大白蓮華」九二年一月号)
 「創価学会の国際社会・文化に対する広い理解と貢献に対して、宗門は閉じられた宗教的カース卜性に内在する醜い偏狭さをもって反応した」
 「これまでの創価学会の努力がなかったならば、日蓮正宗は海外では無名の宗派のままであったろうし、日本国内でさえもその存在意義はおぼつかなかったであろう。創価学会の運動が、仏教を人生肯定の宗教として現代に蘇らせ、日本の葬式仏教から救ったのである」
 さらにウィルソン博士は、「(大石寺への)登山会中止」についても、世界宗教の上から、積極的に意義づけてくださった。
 「信仰はそうした特定の場所を神聖視する地域主義的シンボリズムを克服すべきである」
 「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命であるはずである。
 ある宗教の形成期には、特定の建物や場所を特別視することもあるが、この特殊な地域主義は、社会のなかで影響を与えるような普遍的精神に場を譲るべきなのである」
 そしてまたウィルソン博士は、「歴史は在家の味方をするであろう」とも断言してくださった。
 今、その達見は、見事に証明されている。
17  ″精神の向上に基づく平和主義を世界へ″
 私と対談集『闇は暁を求めて』(本全集第5巻収録)を発刊した、フランスの「エスプリ(精神)の闘士」である美術史家の故ルネ・ユイグ氏も語ってくださった。
 「創価学会が、仏教の深遠な価値とその世界性を宣揚し、精神の向上に基づく平和主義を、仏教の名において世界にもたらそうとして闘っていることに対し、我々は感謝しなければなりません。
 権威と物質的な利害からの低劣な争いが、この賞賛すべき高揚と輝かしい成功とに足枷をはめようとするのなら、だれの目にも嘆かわしいことでありましょう」(「創価新報」九一年三月六日付)
 そしてまた、アメリカの宗教学者であるハワード・ハンター博士は述べておられた。
 「ごく少数の僧侶のグループが一千余万の人々を破門することによってどのような結果が、正統を唱える少数のグループにもたらされるのか、についても、その行く末の″実証″を見守りたいと思います。それは、世にも奇怪な現象であるからです」
 「教義を社会化、現実化しようと日夜、献身する人々の″心″がわからなくなってしまったら、その宗団は現代の″化石″ の道をたどるしかないのです」(「聖教新聞」九一年十二月二十六日付)
18  学会は「日本の柱」「世界の光」と大発展
 「破門通告」より十二年。仏法勝負の証は、あまりにも厳然としている。皆さまが、ご存じのとおりだ。
 大聖人は、良観等にたぶらかされた有力者の一門が滅んでしまったことを述べられ、「両火房(良観房)を信じている人が、栄えているとお思いになりますか」(御書1093㌻、通解)と厳しく仰せである。
 日顕一派の峻厳な仏罰の姿は、まさしく、大聖人から「破門」され、断罪された末路と見てよいだろう。
 今や、日顕宗の「広布破壊の陰謀」も、「法主信仰の邪義」も、「誤った血脈観」も、「化義の悪用」も、「僧俗差別」も、「腐敗堕落」も、すべてが暴かれ、破折された。
 一方、学会は、「日本の柱」として、そしてまた「世界の光明」として、百八十六カ国・地域の広がりをもって、未曾有の上げ潮の勝利のなか、創立七十三周年を飾ることができた。
 御本仏日蓮大聖人が、私たちを最高に賞讃され、笑みをたたえられながら、諸天善神に、命じておられるにちがいない。
19  この学会の勝利の姿を、牧口先生も、どれほど喜んでくださっていることか。
 先生は言われた。
 「上流に立って害毒を流す僧侶神官等の教導職の罪悪は更にさらに重大であらねばなるまい。たとえ小悪でも最大罪となり、極悪の果報を結ぶことを思わねばならぬ。況や大善に反対し大悪に加担するをや。大悪に迎合し大善を怨嫉するに於いてや」(『牧口常三郎全集』10)
 このとおりである、と私も思ってきた。現実に、大善であるわが学会に対して怨嫉したのが、日顕一派の大悪である。その陰謀に対して、正義のわれらは、断固として打ち勝ったのである。
 さらに、牧口先生は言われた。
 「法華経は、憎まれれば憎まれるほど、幸福になる。戦いには、必ず勝つ。変毒為薬の法門を、身をもって読んでいくのだ」
 「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」
 この創立の父の教えのままに、学会は戦ってきた。だから勝っている。
 「反逆者の末路は、苦悩と醜態の歴史を、醜く残すだけだ」とも、牧口先生は、厳しく見通しておられた。そのとおりである。反逆者の末路の実態は、皆さまがご存じのとおりだ。
 戸田先生も叫ばれた。
 「学会への反逆は、大聖人への師敵対だ。その仏罰の最後の姿を見ればわかる」
 また、「佐渡御書」を拝して戸田先生は言われた。
 「学会への反逆は、悪い王様に味方して、正法を立てる者をいじめる時に、師子王のような心をもって、敢然とそれと戦う者が、仏になるのだというのです」
 「学会精神というものは、日本の国、世界の国を救わんがためにやっているのです」「全民族が幸せに暮らせるようにするための広宣流布です」
 「われわれの精神は師子王のごとく誇りをもっていてもいいのです。そうしたら仏になれるそうです。『例せば日蓮が如しです」(『戸田城聖』6)
 大聖人は厳しく仰せである。
 「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし
 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには
 「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし
 いずれも、牧口、戸田両先生が、よく拝されていた御書である。
 この御聖訓のとおり、断固として、追撃の手を緩めずに戦いぬいてまいりたい。
20  最後の勝利は正義にある
 きょう十一月二十五日、中国の大文豪で、私も四度の語らいを重ねた巴金先生が、百歳の誕生日を迎えられた。私は祝電を送らせていただいた。巴金先生のますますのご長寿を祈りつつ、迫害と戦った「ペンの戦士」の魂の叫びを、胸に刻みたい。
 先生は「正義は必ず勝つ」と信じておられた。
 「私が邪は正に勝てないと言うのは、どんな社会にも是と非、光明と暗黒の闘争があり、最後の勝利は当然、正義にあり、光明にあるからです」(『無題集』石上韶訳、筑摩書房)
 また「砂上の楼閣が堅固なはずはなく、うその上に築き上げた権力も長続きするはずがない」(『真話集』石上韶訳、筑摩書房)
 「人は、うそで自分を欺くことはできない」(前掲『無題集』)と。
 先生は、民衆が強く賢くなることを待望しておられた。
 「人民大衆こそ最もすぐれた審判者である」(『随想録』石上韶訳、筑摩書房)
 「はっきりと言えることが一つある。それは、多くの人々が、確固として自立した思想を持ち、唯々諾々と従うことをせず、真実を語り、真理を信ずるならば、一切の醜悪、虚偽は、必ずや、大いに減っていくであろうということだ」(「文匯報」二〇〇三年十一月二十一日付)
 先生は、「一人立つ」信念の大切さを、命に刻んでおられた。
 「たくさんの人物の運命が、私の確固不抜の信条を強めてくれた。その信条とは、生命の意義はこれを差し出すこと、何かに献げることにあり、受け取ること、獲得することにはない――これである」(『病中集』石上韶訳、筑摩書房)
 「ひとたび口火が切られれば、それについで前進する人が出るはずである。
 第一歩を踏み出せば、第二歩はたやすく踏み出せる。誰かが先頭に立てば、これに続く人にこと欠かないはずである。こうして道行く人は、一層ふえるに違いない」(前掲『無題集』)
 「世界の平和と幸福の道」の先頭に立ちゆく大切な皆さま方のさらなる健闘を、私は祈りたい。
21  最後に、私が青春時代から好きだった言葉を贈らせていただきたい。
 アメリカの詩人ホイットマンは『草の葉』で謳った。
 「ぼくぐらい大胆で誠実な人間がこの宇宙にいるものか」(酒本雅之訳、岩波文庫)
 宇宙でいちばん大胆に! 宇宙でいちばん誠実に! われらも、そのように生きたい。
 古代ギリシャの詩人ソフォクレスは、「言葉に真実があれば、常に最大の力を持つものだ」(「作品名不詳断片」995、木曽明子訳、『ギリシャ悲劇全集』11所収、岩波書店)と述べている。真実に勝る武器はない。
 そしてまた「韓国のガンジー」と讃えられた独立の父・安昌浩先生の信念は、「他人が一つ行う間に十は行う気概を」であった。(李光洙『至誠、天を動かす』興士団出版部編、具末謨訳、現代書院)
 人間は、決意した分、いくらでも大きくなれる。力がわいてくる。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(心地観経)とある。
 今、決意の戦いを起こすことが、次を「希望と幸福への勝利」とすることだ。
 結論するに、「現在を勝つこと」が、「未来を勝つこと」なのである。
 信心は、勝つための原動力である。
 ゆえに私は、「この一生を、師子となりて走りぬけ! 生きぬけ!」と申し上げたい。
 「創価完勝の年」へ、皆さま方が、ますます、健康であり、希望に燃えて前進されゆくことを、私は祈っています。
 大勝利への力強い第一歩を決意しあい、約束しあって、記念のスピーチとしたい。
 (東京・信濃文化センター)

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