Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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海外・東京婦人部代表協議会 わが身を惜しまず同志のために

2003.11.15 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  「慈愛」と「奉仕」が二十一世紀のリーダー像
 遠いところ、仏法の研修のために、アメリカ、イタリア、ドイツ、ザンビア、香港から日本にお越しくださり、心から感謝申し上げます。はるばると、本当によくおいでくださつた。
 小さな日本の国にあっても、北海道、九州など各地から本部に来られる同志に対して、私は、使命に生きぬくけなげな姿に、遠いところ、本当にありがたい、またすばらしいと思っております。
 皆さま方の国は、さらにどれほど遠いか。日本に来ること、それ自体が大変なことである。心から尊敬する偉大な仏道修行の方々です。
 私は胸の痛む思いで、真剣な皆さま方のご健康とご多幸と、一家のご繁栄をご祈念いたしております。そしてまた、皆さま方の国家の繁栄と平和と大発展を、心からご祈念させていただいております。
 どうか皆さま方は、いついつまでも、仏法の指導者として、広宣流布の先駆者として、名誉あるお名前が、その国に永遠に残りますよう、真剣にお祈り申し上げるものであります。
 東京の婦人部の皆さまも、ご苦労さま! 勝つことは、すがすがしい。大勝利、おめでとう!(拍手)
 現実に広宣流布を進めておられる皆さまは、最高に尊貴な人間である。どれほど尽くしても、讃えても、足りない。これが私のいつわらざる心情である。
 わが身を惜しまず、同志のために、後輩のために、青年のために――その「慈愛」と「奉仕」の行動こそが、二十一世紀のリーダーの要件であらねばならない。
2  きょうは、全世界の同志の間断なきご健闘に心から敬意を表しつつ、「創立の日」を記念してスピーチを留めさせていただきたい。
 はじめに、イギリスの歴史に残る十九世紀の名首相、グラッドストンの言葉を紹介したい。
 「正義の実行を躊躇するは即ち正義を拒むことである」(永井柳太郎『グラッドストン』実業之日本社)
 正義の実行にあって、ためらってはならない。遠慮してもならない。大胆に、敢然と断行することだ。いわんや、広宣流布は、「正義のなかの正義」の実行である。
3  トインビー博士――「次の仕事」は「今すぐ」始めよ
 二十世紀最高峰の大歴史学者トインビー博士と対談したとき、私は四十代の半ばであった。
 八十代半ばの博士が、若い私との対話を強く求めてくださったのである。
 「二人して大いに語り、後世のために、後世に役立つ対話を、断じて残していきましょう!」
 私は、あの若々しい大情熱に満ちた博士の英姿を思い浮かべながら、世界の知性との対話を、今なお幾重にも繰り広げている。
 人類の全文明を俯瞰した大著『歴史の研究』をはじめ、膨大な業績を残された博士は、述べておられる。
 「(=成入してからの)半世紀の間、私は今までやっていた仕事が仕上がったその日に、次の仕事を始めたものであった。一息入れて休むということは絶対にしなかった。そして仕上げたいと切望するこの熱心さは、年をとるにつれて増してきた」(『回想録』1,山口光朔・増田英夫訳、社会思想社)
 ここに、真剣勝負の人生を生きぬかれた博士の強さがあり、深さがあった。
 立場や肩書では、人間の価値は決まらない。行動で決まる。人格で決まる。使命に生きゆく一念で決まる。
 「次の仕事にとりかかる適切な時は、明日でもなければ来週でもない。今すぐなのである」(同前)とは、博士の至言である。
 日蓮大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せである。
 私たちは、一日一日を大切に、勇敢にして聡明に生きぬきながら、価値ある大仕事を成し遂げてまいりたい。
4  さらに、ドイツの文豪ゲーテの次の一節は有名である。
 「臆病な思い、/弱気の迷い、/女々しい浚巡、ん/けちな愚痴、/いずれも逆境を転じてはくれぬ、/きみを救ってはくれぬ」(「著者」松本道介訳、『ゲーテ全集』2所収、潮出版社)
 弱いということは不幸だ。弱ければ、自分自身を救うことはできない。ましてや、人々を救っていくことなど、とうていできない。
 御書には「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と仰せである。強くなる以外に勝利はない。
5  五十年前、『価値論』を世界の大学ヘ
 五十年前(一九五三年)の十一月十七日。信濃町に移転したばかりの学会本部で真っ先に行われたのは、初代会長牧口先生の十回忌法要であった。
 戸田先生は、この十回忌にさいして、牧口先生の『価値論』を補訂され、発刊された。
 本の扉には、「牧口常三郎著 遺弟戸田城聖補訂」と記されている。
 法要の席で、戸田先生は言われた。
 「いま、牧口先生の追憶談を聞いていて、二十一歳から四十四の年までいっしょにいた私は、先生のおそばにいたときのようで、胸がいっぱいにこみあげてくる」
 「先生は、じつに純真な、まじめそのものの人であった。それほどりっぱな人が、死なれたところは牢獄のなかである」
 「私は弟子として、この先生の残された大哲学を、世界に認めさせる」「利善美の価値体系を、世界的哲学として認めさせるまで、私の代にできなければ、きみらがやつていただきたい。たのみます」(『戸田城聖全集』4)
 三十年先、五十年先に照準を定めての峻厳な師弟の儀式であった。
 その第一歩として、戸田先生と私たち青年部は、『価値論』の英語の抄訳と解説を、世界各国の大学や学術機関に寄贈していった。
 本年(二〇〇三年)、英国で学ぶ創価同窓の友から、「名門のグラスゴー大学やオックスフォード大学の図書館には、五十年前に贈られた『価値論』が、今も所蔵されています」という、うれしい報告が届けられた。
 そのグラスゴー大学をはじめ、五大陸の約百五十におよぶ大学・学術機関から、私は名誉博士号、名誉教授等の称号を拝受してきた。これも、すべて牧口先生、戸田先生に捧げる栄誉である。
 『価値論』の発刊から五十周年に輝く、師弟の勝利と栄光を、私は皆さま方とともに、両先生にご報告申し上げたい。(拍手)
6  「牧口先生の偉大な人間主義の大哲学を世界に開花させる」――この戸田先生の悲願は、完璧に成就することができた。その象徴こそ、アメリカ創価大学である。
 人間をつくる両輪は、「教育」と「宗教」である。教育なき宗教は、独善になってしまう。
 「人間教育の世紀」の希望の旭日と輝く、このアメリカ創価大学の建設に、教職員の皆さま方、学生の方々は、私の「創立の同志」として取り組んでくださっている。
 創立二百六十年の伝統輝く、アメリカの名門デラウェア大学のローゼル学長も、アメリカ創価大学の学生や教職員を、「偉大なパイオニア(開拓者)と賞賛されていた(「聖教新聞」二〇〇一年十一月九日付)。心から「サンキュー・ベリー・マッチー」と申し上げたい。
 さらにまた、陰に陽に、大学を守ってくださっているアメリカSGIの同志にも、感謝は尽きない。
7  なお、この五十年前に発刊された『価値論』の最終章は、「人間の生命を説き明かす真実の仏法が流布された時に始めて無上最大の幸福なる寂光土が建設されるのである」とつづられている。
 そして、「如説修行抄」の有名な一説で結ばれている。
 「『法華の折伏は権門の理を破す』との金言であるから、ついに、権教権門の者を一人も残さず攻め落として、法王(仏)の門下となして、天下万民すべての人々が諸の教えを捨て一仏乗に帰依して、三大秘法の南無妙法蓮華経だけが栄える時、すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は穏やかで、枝を鳴らさず、降る雨は土のかたまりを砕かない。代は昔の中国における伏義や神農の時代のような理想社会となり、人々は今生には不幸な災難を払い、長生きできる方法を得て、人法ともに不老不死であるという道理が顕れてくる時をおのおの見てごらんなさい。『現世安穏』という証文は疑いないのである」(『価値論』には原文で掲載。御書502㌻、通解)
 この御聖訓のまま、私たちは、さらに勇敢に、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、人類の安穏のために、行動を続けてまいりたい。
8  中国革命の父・孫文は言った。
 「自分がやれると信ずるなら、たとえ山を移し、海をくつがえすほど困難なことでも、いつかはなしとげることができる。
 自分がやれないと思うなら、たとえ掌を返し、枝を折るほど容易なことでも、永遠になしとげることができない」
 周総理が、この言葉を引いている。(『周恩来選集』日本語版《周恩来選集》翻訳室訳、外文出版社)
 大事なのは、指導者の大確信であり、大情熱である。
9  偉大な模範のアメリカを
 きょうは、アメリカ青年部のリーダーが出席されている。新出発、おめでとう! (拍手)
 皆が、どれほど優秀な宝の人材であるか、全部、よくわかっております。
 若き日から、広宣流布の大舞台で、前進の指揮をとっていくことは、これ以上ない、使命と福運の青春である。どうか、親孝行を忘れずに、家族を大切に、友情を大切に、そして地域で、職場で、社会で、大いに活躍していっていただきたい。
 世界一の偉大なアメリカを、広宣流布の模範の前進を、どうかよろしくお願いしたい。
 決して、あせる必要はない。皆さま方の生き生きとした乱舞を、世界の良識は、温かく、また鋭く見つめている。最大の希望を託している。
 人生は、あっという間に過ぎていく。一日一日が大事である。
 「自分は、こんなにも幸せになった!」という輝く証を残せなければ、さびしい。損である。
 三世にわたって幸福になるための仏法である。一切に勝利するための仏法である。
 御書に「悪知識を捨てて善友に親近せよ」と記されているとおり、善友とともに進むのだ。わが人生に悔いを残してはならない。
10  SGIは現実を変えゆく行動主義の団体
 私がともに対談集『社会と宗教』(本全集第6巻収録)を発刊した、国際宗教社会学会の初代会長で、オックスフォード大学の名誉教授であられるウィルソン博士は、かつてアメリカSGIのポストン会館で講演された。
 その折、社会に生きた宗教運動としての創価学会の特質を、次の十点にわたり評価してくださっている。
 (1)一般の市民による在俗の団体である(2)日常の生活に根差した実践的な運動である(3)人々の救済のための幅広い条件を備えている(4)積極的な人生を教える現実肯定の宗教である(5)現実生活での価値創造に力点を置いている(6)既成の僧侶仏教の制約から解放されている(7)地域の組織が人々の相互扶助の役割を果たしている(8)社会に積極的に開かれ、文化的な価値創造をしている(9)行動主義の団体である(10)(後ろ向きに)罪を悔いる宗教でなく、幸福を追求する宗教である。(「聖教新聞」一九九六年四月一四日付)
 一つ一つ、的を射た指摘である。
 二十一世紀の世界宗教として、日蓮大聖人の仏法の真価が、本格的に発揮される時代となった。
 どうか、その自負と自信をもって、地域に、社会に、世界に、いちだんと力強く貢献を果たしてまいりたい。
11  日蓮大聖人は、門下の椎地四郎に「師曠の耳、離婁の眼のように、聞き、見ていきなさい」(御書1448㌻、通解)と仰せになっている。
 師曠と離婁は、それぞれ、耳と目がたいへん優れていたことで知られる中国の人物である。
 ″指導者は、師曠のような聡い耳で、世間の情報を聞きとれ!″
 ″離婁のような慧眼をもって、広布のため、人々を救うため、仏法を弘めるため、勝利のため、社会の動向を鋭く見きわめよ!″とのお心と拝されよう。
 リーダーの皆さまは、賢明にして的確な広布の名指揮をお鵬いしたい。
12  仲睦まじい和楽の行進を
 「創価の女性の世紀」は、いやまして、光彩を広げている。
 大聖人の御在世も、仲良くうるわしい女性の門下の団結の姿があつた。
 佐渡の千日尼と国府尼に大聖人は、「同心のお二人だから、この手紙を人に読ませて、二人そろって、お聞きになられるがよい」(御書1324㌻、通解)と仰せである。
 さらにまた、日眼女(四条金吾夫人)へのお手紙にも、「この手紙は、藤四郎殿の夫人とつねに寄り合ってご覧なさい」(御書1114㌻、通解)と記されている。
 どうか婦人部の皆さまは、ますます、仲睦まじい和楽の行進をお願いしたい。
 「異体同心」でなければ、功徳は出ない。広宣流布もできない。せっかく信心をしても、和合を壊し、団結を崩してしまえば、仏罰を受けてしまう。これほど愚かなことはない。
 今一度、「生死一大事血脈抄」の重大な御金言を深く拝してまいりたい。
 「総じて日蓮の弟子・檀那等が、自分と他人・御とこれと隔てる心なく、水と魚のように切り離せぬ親密な思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈とはいうのである。
 しかも今、日蓮が弘通するところの肝要はこれである。もし、そのとおりに進んでいくならば広宣流布の大願も成就するであろう」(御書1337㌻、通解)
13  「家庭」「地域」が平和の土台
 私は現在、アメリカの「平和の文化」の母として名高い、ボールディング博士と対話を進めている。
 第一回の対談の中で、博士と私は、家庭と地域社会に大きく光を当てて語りあった。
 博士は、こう言っておられた。
 「人々の側に平和をもたらす準備が整わなければ、どうして平和を実現できるでしょうか。私は、平和の土台が、実は″家庭″の中にあり、″地域社会″の中にあることを確信していました。
 そこで私は、まず隣人たちについて知ろうと思いました。お互いが助け合うためには、どうしても近くに住む人たちを、よく知る必要があるからです。
 平和は、たんに危機に対処するだけではなく、お互いが日常的に助け合うなかにあります。
 家庭、そして地域社会こそが、きわめて重要な平和の出発点なのです」(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』潮出版社)
 こうした思いから、博士は、創価学会婦人部が取り組む草の根の対話運動に、絶大なる信頼と期待を寄せておられるのである。
 時代は、ますます混迷の闇を深めている。それぞれの地域社会にあって、創価の女性のスクラムこそ、灯台のごとく、太陽のごとく、希望の光明を放ちゆく存在だ。
 どうか、身近な近隣から、平和と正義と幸福の連帯を、明朗に、快活に、伸びやかに広げていっていただきたい。
14  今こそチャンス 極悪を攻めぬけ
 皆さま方は、広宣流布の英雄である。その皆さまに、私が青春時代から愛読してきた、古代ギリシャの『プルターク英雄伝』の言葉を贈りたい。
 「すべての民主政には誹謗者が附いているものと極まっている」(河野与一訳、岩波文庫)
 そのとおりである。ゆえに、卑劣な嫉妬の誹謗などに絶対に屈してはならない。決然として打ち破り、打ち勝っていくことが、民主主義を守ることである。
 また、プルタークは語っている。
 「嫉妬心も若い人のは競争心だの奮発心だの名誉心だのと美名で蔽われるが、老人にあっては季節外れでみっともない」(『プルターク「倫理論集」の話』河野与一選訳、岩波書店)
 仏法において、釈尊に敵対し、破和合僧の大罪を犯した提婆達多も、大聖人に讒言をあびせ、陰謀を謀った良観も、全部、その根っこには、どす黒い嫉妬があった。
 広宣流布への和合を破壊しようとした日顕も、その根底が嫉妬であることは、憂宗護法同盟や改革同盟等の方々が鋭く指摘されているところだ。
 『プルターク英雄伝』には、「あらゆる徳性のうちで正義心から来る名声と信頼ほど人々を憎ませるものはない。と云うのは、正義心が特に民衆から勢力と信頼を得るからである」(河野与一選訳、前掲書)とある。これまた、正しい洞察だ。
 正義ゆえに迫害される。この本質れ鋭く見ぬき、勇敢に戦っていくことだ。
 勝利の時こそチャンスである。極悪を攻めて攻めて攻めぬくことだ。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」の御金言は絶対である。
15  さらに『プルターク英雄伝』には、「雄弁がいかに大なる魅力を善き事に与うるものであるか、正義が巧みに語らるるときいかにそれが無敵の力を発揮するか」(鶴見祐輔訳、潮出版社)とある。古代ローマの雄弁家キケロを評した言葉である。
 学会も、庶民の雄弁、女性の雄弁、青年の雄弁で勝ってきた。これからもそうだ。
 そして、ロシアの文豪トルストイは言った。
 「真実を口にしたり実行したりするのは重大事に必要なだけだ、などと思ってはならない。真実を口にしたり実行したりする事は常に必要だ」(『人生の道』原久一郎訳、岩波文庫)
 どうか、「正義の言論の英雄」となって、無敵の勝利の力を示しきっていただきたい。
16  結びに、御聖訓を拝したい。
 「第六天の魔王は、十の魔の軍勢を起こし、『生死(迷いと苦悩)の海』の中にあって、この娑婆世界を取られまい、奪おうとして、法華経の行者と争っている。日蓮は、第六天の魔王と戦う法華経の行者の身にあたっており、大兵を起こして戦うこと二十余年である。その間、日蓮は一度も退く心はない」(御書1224㌻、通解)
 われらもまた「退く心」なく、生命の威光勢力を増しながら、人間共和の希望と歓喜と栄光の陣地を断固として死守し、広々と勝ち広げて、壮大なる歴史を飾り、偉大なる大福運の人生を送りゆくことを、決意しあいたい。
 終わりに、皆さま方のご健康とご活躍とご長寿を、心からお祈り申し上げます。
 大切な広宣流布の闘士である皆さまが、絶対に幸福になるように、断じて勝利するように、私は一生涯、祈って参ります。
 お帰りになりましたら、どうか、同志の方々に心からよろしくお伝えください。シー・ユー・アゲイン!(英語で「またお会いしましよう!)
 (東京・信濃文化センター)

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