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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 青年よ苦闘に勝て! 強くなれ!

2003.10.10 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  創価の若き君よ早く生い立て!
 皆さまの広宣流布の尊き労苦、いつも本当にありがとう!
 「陰徳あれば陽報あり」である。
 陰徳(かくれた善行)があるからこそ陽報(はっきり現れる善い報い)がある。これは厳然たる「幸福の法則」である。
 最初から陽報だけでは、道理に反する。心からの満足は味わえないであろう。
 「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」とも、日蓮大聖人は記しておられる。
 私は青春時代、すべてをなげうって、戸田先生のもとで働いた。戦後の混乱のなか、先生の事業が苦境におちいり、周囲の人々が次々と去っても、私は一人残り、耐えて戦った。それが陰徳となって、今日の学会の大興隆を、同志とともに築いてきたのである。
 いよいよこれからが、万年の構想実現の時代である。「本門の時代」である。
 大至急、青年を育てなければならない。これを見誤れば、大変なことになってしまう。
 戸田先生とよく歌った″大楠公″の歌に、「早く生い立ち」とある。
 創価の青年よ、世界の大指導者へ、早く生い立て! 早く生い立て! と、私は万感の思いをこめて、道を切り開いている。
2  ここで、戸田先生の折々の指導を確認したい。
 先生は、会社経営の観点から、こう言われた。
 「商売を繁盛させるには、主人が朝いちばん早く来ることが大事だ。中心者というものは、何をやらなくても、どっかりと座っているだけでも、意味がある。重役出勤は、最もいけない」
 「若い時代に、天下を取ったら、老人の意見を大事にしなければならぬ。逆に、老人となって、天下を動かすときは、必ず若い人の意見を聞いてやらなければならぬ」
 今は時代も多様化し、そのままあてはめることはできないかもしれない。しかし、変わらぬ人間の心理、リーダーの姿勢を、先生の洞察から汲み取っていただきたい。
 また、青年部の「水滸会」で、戸田先生は、こう指導された。
 「わからないところはここだと、ハッキリわかっているのが優等生だ。わからないところが質問できないのが、劣等生である」
 青年にとって「わからないこと」があるのは、当たり前である。
 何が、どうわからないか、自分で悩んで探求し、先輩にぶつかって聞いていく。その潔い鍛錬のなかに、大いなる成長がある。
3  青年の武器は何か。
 ラテンアメリカ解放の英雄シモン・ボリバルは訴えた。
 「勇気によって、不幸に終止符を打つことができる」(Obras Completas de Simon Bolivar, Editoial Lex)
 「信念をもって戦う民衆は、最後に勝つ」(Discursos y Proclamas, Casa Ediorial Garnier Hermanos)
 大切なのは「勇気」である。″あと一歩″″もう一歩″と自身の限界を乗り越えて進むところに勝利の道は開ける。
 ボリバルは喝破した。
 「悪人は、誇りも感謝の念ももたず、恩返しができない。できるのは、恐れることだけである」(前掲 Obras Completas de Simon Bolivar)。悪人の本質は「臆病」だ。徹して責めぬくことである。放置すれば悪は増長する。
 中国の大詩人・白楽天(白居易)は詠っている。
 「生涯は智慧の灯りdえ焼き払わねば成らず、魔性は智慧の刀で切り払うべきである」(岡村繁『白氏文集』3,『新釈漢文大系』99,明治書院)
 広布の戦いの根本は祈りだ。題目で最高の智慧をわきいだすことだ。
 この原点に立ち返る時、壁を破り、大きく前進することができるのである。
4  人類の偉大な″精神の遺産″に学ベ
 10・2「世界平和の日」を記念し、SGI公認通訳会議の皆さまが、ロシアの大文豪トルストイの写真や小説の挿絵、自筆原稿などの貴重な複製を届けてくださつた。
 中には『戦争と平和』の自筆原稿、『アンナ・カレーニナ』『人生論』の校正原稿、『神の国は汝らのうちにあり』の題辞などの写しがあった。
 珠玉の″精神の宝″を、私は深い感銘をもって拝見した。心から感謝申し上げたい。
 トルストイは幾多の中傷にさらされた。しかし民衆は彼を支持した。
 正義の人を貶め、言論の暴力で人権を蹂躙する――現在も、こうした悪書は多い。
 トルストイは言う。
 「殊に何よりいけないことは、良くない著作ばかり読んでいると、自分の理解力や趣味まで段々悪るくしてしまって、良い著作にぶつかった時でさえまるで理解ができないか、たとい理解ができたにしてもまるきり見当違いをするようになる」(「序文十五篇」河野与一訳、『トルストイ全集』19所収、岩波書店)
 「正であり善であるものを、罪であり悪であると言いくるめたりすること」「このような場合――虚言の悪はきわまれりと言うべきである」(『ことばの日めくり』小沼文彦訳、女子パウロ会)
 悪書は人々の善悪の判断を狂わせる″毒″である。
 反対に、「良書を読むことは善に対する意欲をかき立てる」(同前)とトルストイは述べている。
 とくに青年部の皆さんは、世界文学など良書に親しみ、心を深く耕してもらいたい。人類の偉大な″精神の遺産″に学んでいただきたい。
5  トルストイの最晩年の著作『人生の道』には、彼の思索の結晶が、ちりばめられている。
 こんな言葉があった。
 「もしも諸君が他の人々より強かったり、富者だったり、学問があったりしたら、諸君は他人に比べてあり余るそれ等のものによって、他人に奉仕するように努めなければならぬ。
 力において立ち優っていたら、弱い人たちを助けるがよい。智恵において優っていたら、智恵のない人たちを助ける事だ。また学問のある人は学問のない人たちを、富める人は貧しき人を助けなければならぬ。
 しかるに高慢な人々はそういう風に考えない。おれたちの所に他の人々に欠けているものが保持されているとしたら、それを他人に分けてやるにはおよばない。他にそれを誇示すればそれでよい。――こういう風に考えるのだ」(原久一郎訳、岩波文庫)
 貧しい人々のため、弱い立場の人々のため――簡単なようで、なかなかできることではない。
 妙法という最高の智慧を教え、友を幸福へと導く広宣流布の運動こそ、人に尽くす最高の菩薩行である。そこに人生の喜びが光るのだ。
 今回、届けていただいたトルストイの「自筆メモ」(一九一〇年六月十日)には、こうあった。
 「皆が同じように苦しみ、同じように生活の変化を余儀なくさせられている。皆が、人生において最も大切なものである生命観――宗教観を変える必要に迫られているのだ」
 どのような生命観、宗教観をもつかで人生は決まる。私たちには三世の生命を説く妙法がある。人間革命によって、絶対的な幸福境涯を確立することができる。最高に価値ある、豊かな人生を歩んでいるのである。
6  われらの大運動は人間と人間を結ぶ
 フランスの文豪ロマン・ロランは、友人にあてた手紙で、こうつづっている。
 「ただ一つのものだけがたぶん変化の法則をまぬがれます。ただ一つのものが普遍的によいものです。そしてトルストイがそれに公式をあたえました。それは『人々を結合させるもの』です」(『書簡』3,『ロマン・ロラン全集』35,宮本正清・山上千枝子訳、みすず書房)
 ロランは無名の青年時代にトルストイに手紙を書いた。大文豪から思いがけず長文の返事を受け取り、非常に感激した。
 私たちの活動もまた、人と人を結ぶ大運動である。草の根の対話で、正義の連帯、人間主義の大連帯を、いよいよ広げてまいりたい。
 人権闘争のなか、南アフリカの獄中でトルストイの著作を読み、深く心を打たれたのは、マハトマ・ガンジーであった。ガンジーはつづる。
 「私は心の中では常に、非暴力の理法に注意深く、かつ、間断なく従うために、自覚に立って苦闘している。人はそのような苦闘によって強くなるものだ」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)
 戦うことだ。苦闘を乗り越え、勝ち越えていくことだ。そのなかで、鋼のごとき自身を築くことができる。
 さらにガンジーは「時の流れは、つねに道義を護ろうとする者に味方してくれるものである」(『わたしの非暴力』2,森本達雄訳、みすず書房)と断言している。
 最後には正しいものが断じて勝つ。それが歴史の教訓である。
 「わたしには宗教のために政治を離れるというようなことはありえません。わたしには、すべての活動――このうえなくちっぼけな活動でさえ、わたしが自分の宗教と考えているものによって支えられているのです」(K・クリパラーニー編『ガンディーの生涯』本達雄訳、第三文明社)とも述べた。
 ガンジーの行動は、不屈の宗教的信念に支えられていた。暴力や弾圧にも屈しなかった。
 偉大なる精神の力――そこにこそ、インド独立を成し遂げた原動力があったのである。
7  キング博士 ″みずからが変革の主体者に″
 非暴力による精神の革命。これが人類の希望である。
 アメリカ公民権運動の指導者キング博士は訴えた。
 「社会の変革を望むならば、自らが変革の主体者とならねばならない」(キング国際チャペルのローレンス・カーター所長の言葉から。「聖教新聞」二〇〇一年一月十八日付)
 タイの思想家ワータカーンは「本当に偉大な人間とは、人間の世界に貢献する者であり、人類の幸福のために働き、他の人々に善を行わせる者である」(ウインジッター・ランシヤーノン編『ルアンウジットワーータカーンの言葉と思想』サーンサンブック社)と述べている。
 人のため、社会のために働いてこそ、人間は偉大になることができる。大きく境涯を開くことができる。人間自身を革命し、世界を変えていくのだ。
 メキシコの詩人アマード・ネルボは呼びかけた。
 「谷より先に、太陽を仰ぎ見る山となろう」
 「家々よりも真っ先に、銀の月光を浴びる塔となろう。
 そして、いかなる瞳より、はるか彼方の海を見渡す灯台となろう。
 君の希望を高く高く掲げよ。その良き光に照らされて、一日も早く、君が求める究極の理想を見いだすために」(Elevacion, Espasa-Calpe,S.A.)
 そびえる山のごとく、揺るがぬ塔のごとく、堂々と生きぬくのだ。妙法を持つ私たちには無限の希望がある。人間主義の希望の光で、わが地域を、社会を照らしてまいりたい。
 健康な人生、楽しい朗らかな人生、そして「勝つ人生」を生きぬいていただきたい。
 勝った人は、喜びと誇りに満ちて、悠然と進んでいける。負ければ不幸である。惨めである。
 断じて勝利しよう!
 勝つための根本は信心である。信ずるものは御本尊と自分である。自分自身が勝つことである。
8  広布の女性に世界一の大福運が!
 きょうは、女性の通訳の方々、また海外の女性リーダーの皆さま方が多く出席されている。日ごろのご健闘を讃え、日蓮大聖人が女性の弟子に贈られた御聖証を拝したい。
 まず、日女御前への御文である。
 「女性の身として(法華経を信仰し)法華経のお命を継いでおられることは、釈迦仏、多宝仏、全宇宙の諸仏の父母のお命を継いでおられることになるのです。この功徳をもっている人は、世界にいるでしょうか」(御書1250㌻、通解)
 法華経は、あらゆる仏を生み育てた″父母″である。その法華経を、すなわち、一切の仏の根源である妙法を、皆さま方は広宣流布しておられる。
 皆さま方こそが「一閻浮提第一」の大功徳をもてる方なのである。
 また、大聖人は、松野殿の夫人を、こう励まされた。
 「女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもってご覧になり、帝釈天は合掌してあなたを礼拝され、大地の神は御足を押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう」(御書1394㌻、通解)
 まさに、諸天善神が皆さまを守り、皆さまに仕えていく。全宇宙の仏が、皆さまを包み、讃嘆していく。そういう大境涯となることを、悠々と確信していっていただきたい。
 世界広布に生きゆく皆さま方は、最も広く大きい人生を生きておられる。すべての労苦が大福運と変わらないわけがない。
9  大聖人は日女御前へのお手紙に、こうも記しておられる。
 「悪知識を捨てて善友に親近せよ
 「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり
 「信心の厚薄によるべきなり
 御本尊は正しい。絶対に間違いない。要は、信心があるかないかである。それによって、天地雲泥の差となる。
 その信心とは、「破邪顕正」の信心である。「広宣流布」の信心である。「立正安国」の信心である。「異体同心」の信心である。「和合僧」の信心である。「水魚の思い(水と魚のように切り離せない、一体の思い)の信心である。そして「仏法は勝負」の信心なのである。
10  対話が世界への道を開く
 一九九三年三月、サンフランシスコで「SGI公認通訳会議」が結成されてから、今年で十周年。
 現在、十四言語、総勢九十二人の陣容へと大発展を遂げられ、私は本当に、うれしい。
 組織の最前線で、率先して活躍され、尽力してくださっていることも、うかがつている。
 今日の世界広宣流布の広がりの偉大な推進力となってきた皆さま方である。世界への道を開いている皆さま方である。いかに賞讃しても賞讃し尽くせない。
 ここで、深い感謝をこめて、皆さま方に通訳していただいた世界の識者との語らいの一端を振り返りたい。
11  アメリカの女性の未来学者ヘンダーソン博士。
 博士が「皆が勝者になる社会」をめざして、地球社会の変革に取り組むようになったのは、大気汚染から子どもたちを守るために、一人の母親として、怒りの声をあげたことが、きっかけであった。
 巨大な企業や政府を相手に環境保護を叫んだために、「アメリカで最も危険な女性」と悪口を言われたこともあった。
 そうした中傷さえ誇りとして戦いぬいた博士の勇気を私が讃えると、博士は、微笑みながら、こう言われた。
 「言うべきことは、声を大にして言っていく。これが私の存在意義だと思っていますので、だれも私をとめることなどできません!」(「聖教新聞」二〇〇〇年十月三十日付)
 エジプト初の女性外交官タラウィ元駐日大使も、強調されていた。
 「女性は元来、戦争を嫌います。その本質は母親だからです。子どもを育てるゆえに、生命に対してデリケート(=敏感)なのです。政治的決定の場に、もっと女性が九われば、争いや対立を減らせるでしょう」(同一九九四年二月二十五日付)
 大使は、国連の女性差別撤廃委員会の議長を務めるなど、女性の権利向上のために、長年、尽力してこられた方である。
 わが道に徹してこられた女性の視点は、深く鋭い。口、ンア・東洋学研究所のヴォロビョヴァ博士も、そういう方であった。
 法華経研究の大家である博士は、こう主張されていた。
 「権力者や聖職者はずるいものです。うそをつきます。民衆こそが『善の心』をもっているものです」(同九六年二月十七日付)
12  エイルウイン元大統領″民衆よ強く賢くなれ″
 南米チリ共和国のエイルウィン元大統領との語らいも忘れられない。
 敵とも、味方とも、粘り強い対話を貫き、幾多の民衆を団結させ、民主化を実現した哲人指導者である。
 私との対談集『太平洋の旭日』(本全集第108巻収録)で、こう述べておられる。
 「権力というものは必然的におごりや堕落、権威主義をもたらすものなのです」
 「民衆自身が強く賢明にならねばなりません」
 「各人が、一人一人がかかわっている事柄へ大いなる関心をもち参加することです」
 「統治者たちが本来の任務から逸脱したり、特権乱用の誘惑に陥ってしまうのも、社会が政治に積極的に参加していないことに原因があります」
 民衆が、強く、賢くなり、政治に積極的に参加せよ、政治を鋭く監視せよと、強く訴えておられるのである。
 中国の周恩来総理とお会いした折、通訳を務めてくださったのは、中日友好協会の林麗韞りんれいうん女史である。三十年後の今も、変わらぬ友情で、私どもを見守ってくださっている。
 総理の言葉に、こうあった。「われわれは人民の事業を破壊する敵と闘争しなければならない。これが団結の記憶である」(中共中央文献編集委員会編『周恩来選集』中共中央ML著作編訳局訳、外文出版社)
 「闘い」なくして「団結」はない。正義の民衆の団結は、民衆の敵と戦う「闘士と闘士」のスクラムなのである。
13  また、タイ王国のアナン元首相は、外交のあり方について私が問うと、こう答えられた。
 「良い外交は『誠実さ』が基盤になると思います。さらに『忍耐』と『寛容』。そして『正しい目的』です。何かを操作するとか、策略を使ってだましたりしないということです」(「聖教新聞」二〇〇〇年十月二十二日付)
 人と人の関係も同じである。どこまでも「誠実に」「忍耐強く」――そうして築いた友情こそが、人生の宝と輝いていく。
 ドイツの哲人指導者ヴァイツゼッカー初代大統領の信念の言葉にも、「私的な生活におけるとひとしく、政治においても、友情は力を発揮する」(『ヴァイツゼッカーのことば』加藤常昭訳、日本基督教団出版局)とあった。
 さらに、チェコのハベル前大統領も「真実と道徳は、政治の新たな出発点となりうるし、それは今日においても、疑いのない政治的力をもちうる」(「政治と両親」石川達夫訳、『反政治のすすめ』飯島周監訳、恒文社)と指摘した。
 人間の良心、精神的な価値を基盤にした政治を、世界の心ある人々は、強く志向している。
14  「声」こそ炎、「言葉」こそ剣
 そうした政治を実現させる原動力は何か。私も何度も語りあった中国の文豪・巴金氏(=二〇〇五年十月逝去)が、心に叫ぶようにつづっていた。
 「ペンを火とし、剣として、真実のもの・美しいもの・善なるものを歌い上げ、にせもの・醜いもの・悪なるものを撃ち、作品を通して、国家・社会・人民に貢献したい」(『探索集』石上韶訳、筑摩書房)
 私自身、一人でも多くの友が幸福と勝利の道を歩めるようにと、毎日、祈る思いでペンをとっている。
 「声」こそ炎である。「言葉」こそ剣である。正義の民衆の「声」の力、「言葉」の力に、勝るものはない。
 ドイツの文豪ゲーテは手紙の中で、通訳や翻訳の仕事は、異なる人々の精神の交流を促進するものであると述べ、こう記している。
 「なんといっても翻訳は一般世界において最も重要で最も価値ある仕事の一つであり、また常にそうでありましょう」(『ゲーテ=カーライル往復書簡』山崎八郎訳、岩波文庫)
 世界広布の広がりは、多くの優秀な通訳・翻訳者の方々の奮闘なくしてはありえない。
 ″現代の鳩摩羅什″の皆さまに、あらためて心から感謝申し上げたい。
15  太陽の仏法の力で強敵に勝て!
 あらゆる人がともに生きる世界。皆が幸福に輝く時代。それがわれらの悲願である。
 終わりに、日蓮大聖人が「仏法西還」そして「一閻浮提広宣流布」を託された「諫暁八幡抄」の一節を拝したい。
 「月は西から東へ向かうものであるが、それは月氏(インド)の仏法が東へ流布する相である。
 (はじめ三日月のころは西の空に見えていた月は、毎晩、少しずつ東のほうの空で見えるようになり、満月の時は東に出る)
 日は東から出る。日本の仏法(日蓮大聖人の仏法)が月氏に還るという瑞相である。
 月はその光が明らかでない。同様に、釈迦仏の時代に人々を照らした法華経が説かれたのは、ただ八年である。日は、その光明が月に勝っている。これは第五の五百歳、末法の長い闇を照らすという瑞相である。
 仏は法華経を誹謗する者を治されることはなかった。それは仏の時代には謗法の者がいなかったからである。末法には必ず法華経の強敵が充満するであろう。ゆえに不軽菩薩のような折伏を行い、逆縁を結んで衆生を利益するのである。
 おのおの、わが弟子等、信心に励んでいきなさい、励んでいきなさい」(御書588㌻、通解)
 この御文に仰せのとおりの「仏法西還」「世界広宣流布」を、学会は成し遂げてきた。
 尊き地涌の菩薩の皆さま方が、生々世々、永遠に大功徳を受けきっていかれることは、絶対に、間違いない。
 末法万年尽未来際を照らす太陽の大仏法を広宣流布するために、充満する強敵と、いよいよの力を出して恐れなく戦え! そして勝ちぬけ!――これが大聖人のご遺命である。
 この仰せのとおりの雄々しき前進を、ともどもに決意しあい、私のスピーチを結びたい。
 ありがとう! シー・ユー・アゲイン! (英語で「またお会いしましょう!」)
 (東京・信濃文化センター)

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