Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

台湾・北海道・ドクター部合同協議会 旭日の生命力で勝て!

2003.10.4 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

前後
1  青年よ「力をもて!」「自信をもって生きよ!」
 未来の一切は人材で決まる。中途半端では本物はできない。
 「次の五十年」を勝利するために、今、新しい人材を鍛え、育てたい。
 恩師戸田先生は、だれよりも青年を愛する指導者であった。
 女子部には、よく「自信をもって生きよ!! 希望をもって生きよ! 福運を積みゆけ!」と励まされた。
 自信がないのは、損である。他人ばかり見て、確固とした自分がない。それでは不幸である。
 信仰は揺るぎない究極の自信である。
 男子部に対しては「つねに力をもて! 断じて負けるな! 断じて勝ちゆけ!」と叱咤された。
 力のない男性は頼りにならない。社会的な力、英知の力――何かの力を磨くことだ。その根本は信心の力である。創価学会は力ある人間が結合したから、非難中傷の嵐を越えて奇跡的な発展を遂げたのである。
2  皆が勝利者! 北海道の新時代が
 きょうは、東京牧口記念会館で、北海道の栄光大会が意気軒高に行われた。本当にようこそお越しくださった。
 また、今回の「十勝沖地震」に対して、あらためてお見舞いを申し上げたい。被災地の一日も早い復興と、敬愛する北海道の友の絶対の無事安穏を、私は日々、真剣にご祈念している。
 殉教の先師牧口先生を顕彰する殿堂・東京牧口記念会館が誕生して、今年で満十年となる。
 北海道は、牧口先生、戸田先生、そして私が、青春の深き思い出を刻んだ天地である。
 三代の縁深き北海道で奮闘される皆さまに、記念の句を贈りたい。
  満月の
    如き境涯
      師弟かな
 北海道の友のだだたる行進は、まことに頼もしい。
 北海道は懐かしい。北海道の同志のことを私は生涯、忘れない。
 北海道は強い。人生の勝利者が光っている。新しい人材が伸びている。「平和の軍勢」が次々と生まれている。
 まさに新時代である。「北海道、万歳!」と私は心から讃えたい。(拍手)
3  北海道の同志は、見事な拡大の前進をされている。
 私が、仏法とイスラムを結ぶ対談集(『二十一世紀への選択』。本全集第108巻収録)を発刊したテヘラニアン博士は、北海道を訪問し、学会員と語りあうなかで、困難があるほど燃え上がる「開拓精神」を感じたと、深く感動しておられた。
 また、博士は、「北海道の心は、平和と友情を大切にする心であることを感じた」とも語っておられたとうかがった。
 (二〇〇〇年十月十四日、博士は北海道での講演で訴えた。
 「私たちの挑戦すべき課題は、未来を予測することではなく、未来を作り出すことです。
 池田先生のような指導者の歩む道に続くことにより、『文明間の対話』が『文明の衝突』に打ち勝つことができると確信します。乗り越えるべき課題は多いと思いますが、信念、希望、愛、思いやり、勇気によって必ずや『新しい、シルクロード』は、築かれるのです」〔「聖教新聞」二〇〇〇年十月二十日付〕)
 今、北海道をはじめ全国各地で、大勢の同志が精神革命の対話に勇敢に歩みを運ばれている。
 この信念の一歩が、希望の未来をつくる。この勇気の一歩こそが「平和と正義のシルクロード」を築くのである。
4  カーライル「大事業はすべて信仰の力に由る」
 イギリスの歴史家カーライルは言った。
 「此世に於て為されし大事業はすべて信仰の力に由る」(「神の有無」〈『内村鑑三全集』23,岩波書店〉で紹介)
 この言葉を評論の中で紹介したのは、日本の思想家・内村鑑三であった。
 信仰をもった人間は強い。自分自身を変革し、社会をより良く変えていける。歴史に残る大事業さえも成し遂げることができるのである。
 内村鑑三が一九二八年(昭和三年)、北海道の地で行った講演がある。政治家が腐敗している現実を直視しながら、次のように述べている。
 「西洋の政治家は日本の政治家とちがいます。西洋の政治家は自身宗教を信ずる事を恥としません」
 「グラッドストン翁が大政治家でありしと同時に大宗教家でありし事は人の能く知る所でありま
 す」
 「宗教は人生の最大理想であります」「人生の最善を綜合したる者是れ宗教なりと云いて間違ないと思います」
 「世界最大の政治家は、クロムウエルでも、ワシントンでも、リンカンでも、グラッドストンでも、ボルドウインでも、宗教に使われんと欲して、宗教を使わんと欲しませんでした。彼等はく宗教の何たる乎を知っていたからであります」(同全集31)
 宗教を「政治のための手段」としか見ていない当時の政治家に対する厳しい指摘であった。
5  「沈黙は恥」ゆえに正義を語りぬけ
 ドクター部の皆さまも、ご苦労さま!
 釈尊の時代も、日蓮大聖人の御在世も、門下の名医が、先頭に立って、権力の魔性と戦った。
 優れた医師であった四条金吾は、建治三年(一二七七年)、主君の江馬氏から下し文を受け、「法華経の信仰を捨てるとの誓約書(起請文)を書け」と迫られた。
 この背後には、邪義を破折され、逆恨みした竜象房と極楽寺良観の謀略がある――そう見ぬかれた大聖人はただちに筆を執り、金吾に代わって、金吾を冤罪から守る書状をしたためられた。
 「頼基陳状」である。
 その中で、″四条金吾が、竜象房の説法の場に武装の徒を率いて乱入した″との咎めについて、「このことは、何の証拠もない虚言です」(御書1153㌻、通解)と明快に断言された。
 また、厳然と、こうも記しておられる。
 「(祈雨の勝負に敗れた良観が大聖人に対して)尽きることのない讒言を構え、(大聖人を)死罪にさせようと企てた」(御書1158㌻、通解)
 釈尊も、大聖人も、卑劣このうえない議言によっておとしいれられた。
 何一つ罪のない正義の人間を、嘘の作り話でおとしいれる――これは仏法者に対する迫害の方程式である。いな、歴史の常であるといってよい。あの周恩来総理さえも、事実無根の誹謗をあびせられたのである。
 言論の暴力がまかり通るような社会は、善も、正義も、人権もない。結局、皆が不幸になる。
 だからこそ、民衆を惑わす邪義や妄説は、明快に破折せよ!――これが大聖人の魂である。
 嘘は嘘、真実は真実、正義は正義と、毅然と叫べばいいのである。
 デマを言われて、反論もしない人間は卑怯である。それでは、大聖人の弟子とは言えない。
 古代ローマの哲人キケロはつづっている。
 「実際のところ、沈黙は恥である」(『アッティクス宛書簡集』1,『キロケー選集』13,根本和子・川崎義和訳、岩波書店)
 今は末法であり、「闘諍言訟」という悪世の時代である。正しい思想を広める者が迫害される。
 徹底して悪を破折しぬいていかなければ、理想社会は実現しない。
 とくに青年は、破邪顕正の言論戦にあっては、一歩も退いてはならない。弱々しい姿では、この現実社会に、正義を打ち立てることはできない。
 ひとたび言論戦の舞台に立ったならば、相手を圧倒する、強き正義の生命力がなければならない。「この人にはかなわない」と思わせるくらいの気迫で臨むのだ。その原動力は深き祈りである。
 旭日のごとく赫々たる正義の人格が光る人。人間王者の風格の人。それが真の信仰者である。
6  釈尊の時代、提婆達多にたぶらかされて狂った権力者・阿闍世王をまっこうから諌めたのは、だれであったか。「医王」と謳われた耆婆である。耆婆は阿闍世王のもとで大臣も務めた。
 「頼基陳状」には、こう仰せである。
7  「阿闍世王の書属五十八万人が、仏弟子に敵対しているなかで、ただ耆婆大臣だけが仏(釈尊)の弟子であった。
 阿闍世王は(中略)耆婆大臣が仏弟子であることを快く思われなかったが、最後には他の六大臣の邪義を捨てて、耆婆の正法につかれたのである」(御書1160㌻、通解)
 また大聖人は、四条金吾にあてたお手紙で、こう仰せである。
 「今にも国が滅びようとしたとき、阿闍世王は、耆婆の勧めなどによって、提婆達多を打ち捨て、釈尊の御前に参上し、さまざまに今まで犯した罪を、お詫び申し上げた」(御書一一四九ページ、趣意)
 阿闍世王が悪行の罪を悔い、心を改めると、他国からの侵略は止み、国土は安穏になったという。
 まさに、一人の名医の師子奮迅の戦いが、極悪を打ち破り、一国を衰亡から救ったのである。
8  イタリアの革命家マッツィーニは述べている。
 「周囲に対して善を為すがよい。真理と信ずることを説き、〔みずからも〕それに従って行動するがよい。前に向って人生を進むがよい」(ボルトン・キング『マッツィーニの生涯』力富阡蔵訳、黎明書房)
 断固として、歩みを止めないことだ。正義と真実を語りぬくことだ。
 ポーランドの教育者コルチャックは、自作の物語で、こうつづっている。
 「逆境にあってこそ、英雄は真価を見せるのだ」(ベティ・ジーン・リフトン『子どもたちの王様』〈武田尚子訳、サイマル出版会〉で紹介)
 コルチャックは、ナチスの迫害から子どもたちを守るために殉じた人物である。彼は、どんな苦境にあつても、決して希望を捨てなかった。
 順調なときはいい。困難なとき、逆境のときこそ、人間の真価は試される。
 私たちは困難が大きければ大きいほど、大信力を奮い起こし、朗らかに、また愉快に勝利の前進をしてまいりたい。
9  「対話」が人間を結ぶ。「対話」が歴史を動かす。
 この信念のままに、私は世界を駆けた。平和のために。不信や偏見の壁を打ち破りながら。
 ソ連にも、中国にも、友好の橋をかけた。キューバにも、文化交流の道を広げた。
 私は一庶民である。しかし、何も恐れない。大誠実で心を開き、平和を厳然と訴えてきた。
 「声仏事を為す」である。正義を語った分だけ、社会も変わるのである。
10  「幸福の大城」築く台湾SGI
 きょうは、「仏法即社会」の大前進を続ける台湾SGIの理事長らも参加しておられる。
 台湾の同志は、本当によく頑張ってこられた。十一回連続となる「社会優良団体賞」の受賞は、歴史に輝く快挙である。最大にお祝い申し上げたい。(拍手)
 このほど、私が代表して受章した台北市の名誉市民称号をはじめ、私どもに贈られた数々の顕彰も、すべて同志の皆さま方に対する絶大な信頼と賞讃の証である。世界の模範である。すばらしい前進である。
 中国文化大学の「池田大作研究センター」の開設についても、関係者の方々に、あらためて御礼申し上げたい。
 御聖訓には、「智者とは世間の法より外に仏法をおこなわ」と仰せである。
 仏法の正しき軌道をまっすぐに進んでこられた台湾の友を、私は心から讃嘆申し上げたい。
 中国革命の父・孫文は革命闘争のさなか、「衆志は城を成す」と訴えている。
 台湾の同志は、異体同心の「志」によって、社会から讃えられる、平和と幸福の「大城」を築き上げられた。
 フランスの大哲学者アランは、つづっている。
 「魂の力というものは結果によって立正される」(『幸福論』串田孫一・中村雄二郎訳、白水社)
 皆さまの偉大なる魂の闘争が、今日の台湾SGIの大発展に結実したと私は確信してやまない。
11  「健康の世紀」にドクター部の健闘が光る
 また、このたびはドクター部の「健康推進医学者会議」の発足、おめでとう!(拍手)
 「生命の世紀」「健康の世紀」「医学の世紀」の最先端を進みゆく尊き陣列に、世界の友も喝朱を送っている。ドクター部の健闘は、まことにすばらしい。
 昨年(二〇〇二年)、ドクター部員が講師を務め、全国五千四百会場で行われた「健康セミナー」「仏法セミナー」には、五十六万人もの方々が参加した。各地域から、深い感謝と感銘の声が寄せられている。
 ドクター部の連帯は、世界に広がっている。台湾でも、ドクター部ならびに芳杏会(看護師のグループ)の皆さんの活躍がめざましい。
 ご存じのように、今年は台湾などで新型肺炎(SARS)が猛威をふるい、残念ながら、多くの市民が犠牲となった。そのなかで、台湾のドクター部と芳杏会の皆さまは、懸命に治療と予防に献身された。
 薬王菩薩のごとき尊き行動は、医療の現場から、地域社会から、最大に賞讃され、感謝されている。
 スペインの哲学者オルテガは述べている。
 「人間なくしては使命は存在しないが、今われわれはこうつけ加えてもよい、すなわち使命なくしては、人間は存在しないと」(「司書の使命」会田由訳、『オルテガ著作集』8所収、白水社)
 皆さまこそ、「一騎当千」「一人当千」の偉大な使命と力をあわせもった方々である。どうか、その使命をいちだんと深く自覚していただきたい。
12  私は世界の医学者と対話を重ねてきた。
 世界的な心臓外科医でヨーロッパ科学芸術アカデミーの会長であるウンガー博士とも、対談集の発刊に向けて意見の交換を続けている。
 博士は言われていた。
 「私の言う『医師』とは、全体性に立った人格の光る医師です。人間性豊かな医師です。そして、何が重要で何が重要でないかを見極める、バランス感覚のある医師でなければなりません」(「聖教新聞」二〇〇〇年十一月二十日付)
 「(=名医とは)『患者さんのために仕事をする人』だと思います。昼夜を分かたず、患者さんのために働き、患者さんを擁護する人だと言えるでしょう」(同〇一年七月十七日付)
 簡潔にして本質を突いた洞察である。
 また、「『大臣(ミニスター)』の語源も、『利仕する者』の意味です」「同じように、患者という君主に奉仕するのが医師の役目であり、目的です」(同前)とも語っておられた。
 指導的立場にある人間は、人々に奉仕するのが第一の責務である。
 博士の言葉を借りるならば、「政治家にとって、国民は君主である」「聖職者にとって、信者は君主である」「教育者にとって、学生は君主である」とも言えよう。
 民衆こそ「主人」であり、指導者は「奉仕者」なのである。その「主客」が転倒し、逆転するところに、腐敗や堕落の元凶がある。
 戸田先生は、水滸会の会合で語られていた。
 「議会政治が始まったころ、明治時代の政治家は、自己の財産を投げだして、日本の政治に尽くした国士が多かった。現在は私利私欲を第一に考えるものばかりだ」
 「″国家の金を自分の金と思っている″というのが今の政治家だという。政治が乱れてはいけない。しかし、そのような悪い政治を作るのは、民衆にも原因がある。だから政治屋は、民衆をどうだますかということが問題になっている」
 悪い人間にだまされないためには、民衆が聡明になり、強力に連帯していく以外にない。
 ウンガー博士は強調されていた。
 「社会の安定と平和のためには、庶民全員が積極的に社会活動に参加していかねばなりません」
 社会のため、地域のために尽くす日々の学会活動は、平和と安定のために不可欠の行動である。
 大いなる誇りをもって取り組んでまいりたい。
13  心を癒すにはまず「聞く」こと
 ノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師の会」の共同創設者であるラウン博士(ハーバード大学名誉教授)との対話も懐かしい。(一九八九年三月に対談)
 博士は「癒しの芸術」としての医療を呼びかけた。医療は「聞く芸術」とも述べている。
 かつて、こう語っておられた。
 「ある統計によると、アメリカの医師は、患者が話をし始めてから、たった十八秒で話をさえぎってしまうといいます」
 「人の心を知るには、何よりも心から謙虚に接しなければなりません。
 細心の親切心をもって接し、自己防衛的になる必要はないと安心させてあげることです。それを通して友情が結ばれれば、真の心の交流の道が開かれていくのです」(「聖教新聞」一九九八年六月二十八日付)
 まったく同感である。創価の同志は、友の幸福と健康を願いながら、心を開く対話を、真剣に誠実に、そして粘り強く積み重ねている。ここにこそ、壮大なる「対話の芸術」の広がりがあることを、私たちは誇りとしたい。
 とりわけ、女性の活躍はすばらしい。きようは女性医学者の代表も出席されている。
 私が対談集『健康と人生』を発刊した、モントリオール大学のシマー前学長は、「コミュニケーションが上手な女性医師が多くなれば、患者と医師の関係も、もっとスムーズになっていくと思います」(『健康と人生』。本全集107巻収録)と言われていた。
14  社会に貢献してこそ健康に
 対談集では、「健康」の定義も論じあった。
 ある定義によれば、健康とは「肉体的に、情緒的に、精神的に、社会的に、環境に対応していく持続能力」とされる。
 すなわち健康とは、たんに「病気でない」という消極的な状態をいうのではない。生き生きと、ダイナミックに環境に働きかける生命の躍動のなかに健康の内実があると捉えるのである。
 「幸福の第一条件は健康である。健康のためには、活動を第一とする。活動は価値創造(創価)の活動でなければならない」とは、牧口先生の達見であった。
 戸田先生は言われた。
 「人材を輩出するには、忙しいことが大事だ。そうすれば組織が若返る。そのなかで人材が養成されるのだ」
 広宣流布へ戦えば、健康になる。健康になるための活動なのである。
 イギリスの歴史家トインビー博士は、「挑戦」に「応戦」するなかで文明が成長していくことを示された。
 一次元から論じれば、「健康」とは、人間や社会の諸問題に立ち向かう「応戦」の力が発揮された状態と言えよう。
 私たちが進める立正安国の広宣流布の闘争は、「人間の健康力」「社会の健康力」「文明の健康力」を強めていく運動なのである。
15  日蓮大聖人の仏法は「妙の三義」を説く。「開く」義。「具足・円満」の義。「蘇生」の義。これが生命の特質であり、仏の特質にほかならない。
 それを敷衍すれば、「蘇生」とは身体がつねに新しい局面に対応する発動性・創造性を備えていることに通じよう。
 「具足・円満」は身体をダイナミックに調和させる全体性・統合性の働き、さらに「開く」とは、生命に潜在的にそなわる力が開かれ、環境に働きかける能動性を発揮していくことに通ずる。
 この生命の本然の可能性を解き明かしたのが妙法である。その可能性を最高最大に発揮し、開いていく方途こそ御本尊への唱題であり、学会活動なのである。
 「生命力の弱い者は、強いものに負ける」とは戸田先生の指導であった。私たちは、強き信心で日々、生命力を満々とたぎらせて前進したい。
16  広布に生きる福徳は永遠
 法華経の薬王品には、師匠(仏)と法華経の恩に報いるために、みずからの生命を捧げる薬王菩薩の闘争がつづられている。
 戸田先生は、妙法のために戦い、牢獄で殉教された牧口先生を偲び、こう言われていた。
 「先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、法華経に命を捧げた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう」(『戸田城聖全集』1)
 これが、戸田先生の大確信であった。この崇高な師弟の精神に連なる私たちであることを、忘れてはならない。
 薬王品にはまた、妙法を受持し、広布に生きぬく功徳が説かれている。
 「福徳は、無量無辺である。それは人も焼くことができず、水も流し去ることができない。汝の功徳は、千の仏が、ともに説かれても、説き尽くしてしまうことはできない」「百千という、もろもろの仏は、神通力をもって、ともに汝を守護してくださる」(法華経600㌻、通解)
 法華経の行者を、諸仏・諸天は必ず守る。広布に生きぬく皆さまの福運は無量であり、その福徳は永遠である。
 薬王品の釈尊の言葉を、大聖人は何度も引いておられる。「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提えんぶだいに広宣流布して断絶せしむること無けん」との有名な文である。
 この経文のとおりに、日蓮大聖人のご遺命のままに、末法万年尽未来際の広宣流布のために戦っている、ただ一つの団体が創価学会である。
 広布を担う皆さまは、この地球上で最も尊貴な指導者である。これを自覚するならば、喜びと力は倍増する。
 仏法では、この世界は「娑婆世界」であると説く。苦悩が充満した「耐える世界」である。
 その中で広宣流布のために戦う福徳は子孫末代をも包む。これが仏法である。幸福になる真髄の道はこれしかない。
 功徳は、現実に目に見える場合もある。すぐには目に見えない場合もある。しかし「冥益」は厳然である。
 戸田先生は「学会において最前線が動いたならば、本部がピリッと感ずるようでなければならない」と厳しかった。
 どうすれば、皆がいちばん力を発揮できるか。やりやすくなるか。どうすれば、苦難に挑み戦う友に、勇気と希望を贈っていけるか――。そこに心を砕き、真鋼に祈り、電光石火で手を打つのが、リーダーの責務である。
 この一点を確認しあって、私のスピーチを結びたい。
 (東京・信濃文化センター)

1
1