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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 師弟不二! 新世紀の「本門の時代」へ出発

2003.9.30 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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2  民衆を苦しめる、あらゆる邪悪を打ち破り、勝利また勝利の金字塔を打ち立てていく。それが、新世紀の「本門の時代」である。
 私は戸田先生の弟子として、すべての山を勝ち越えた。大難の嵐に耐えながら、同志を励まし、一人、広宣流布の道を開いた。師弟ほど崇高な人生はない。師弟ほど無敵の力はない。
 師弟不二が仏法の魂である。弟子が心を定め、総立ちになる時、新しい時代は開かれる。
 きょうから出発だ。毎日が真剣勝負である。
 とくに青年は気取りを捨てることだ。地道に、一心不乱に、勝利の突破口を開いてもらいたい。
 栄光輝く広宣流布の歴史を、ともどもにつづつてまいりたい。
3  イタリアの思想家マッツィーは述べている。後に文豪トルストイが書きとどめた言葉である。
 「人類社会の進歩向上への真剣な一歩が踏みだされるとき、そこには必ずその主な原因としての信仰の役割があった。それゆえ信仰に基づかぬいっさいの教えは、いつも社会機構の改善に無力だったし、こんごとも無力であるであろう」(『文読む月日』北御門二郎訳、筑摩書房)
 そのとおりである。宗教的信念に支えられた人々が、社会を変革してきた。その情熱と行動が、人類の発展の原動力となってきたのである。
 友のため、平和のため、そして人間性輝く社会を得くため――今、私たちが踏みだす真剣な一歩また一歩が、人類の未来にとって、どれほど重要であるか。深く正しき信仰から発しゆく、この正義の行動を、後世の歴史家は、必ずや驚嘆と感謝をこめて記述するであろう。
 全国のわが尊き同志の見事なる大健闘を心から讃えたい。
4  最高の哲学もつ人が「第一の人」
 婦人部・女子部の皆さまの広宣流布の前進に深く感謝しつつ、御聖訓を拝したい。
 日蓮大聖人が、四条金吾の夫人である日眼女へ送られたお手紙である。
 その中で大聖人は、法華経薬王品の「十の譬喩」は、他の一切経の行者を星々とするならば、法華経の行者が太陽と月のごとく勝れていることを示していると教えておられる。
 続けて、こう仰せである。
 「経文(法華経の薬王品)に、『能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり』と説かれているのが、それである。
 この二十二字の文は、法華経一経の中で、第一の肝心の文である。すべての人にとって眼目というべき文である」
 「この世の中の男であれ女であれ、僧であれ尼であれ、法華経(御本尊)を受持された人は、すべての人の『主人』の立場であると仏は見ておられ、梵天・帝釈は仰いで尊敬されるであろうと思い、うれしさは言いようもない」(御書1134㌻、通解)
5  人間の尊さは、何によって決まるか。
 財宝や権力、地位や人気などで、身を飾ることはできるかもしれない。しかし、それは永続する価値ではない。地位や人気などは、簡単に消えてしまう。激動の社会にあって、いずれも、はかなく、わびしい無常の流転をまぬかれないことは、さまざまな事象が如実に物語っている。
 過去・現在、そして未来という、三世の生命観に立った時、人間の真実の価値を決定づけるものは、いったい何か。
 それは、その人がもつ「哲学」である。いかに正義と真実を語りぬいたかという「行動」である。どう現実を変革したかという「実証」である。
 学会員の皆さまは、偉大なる妙法を受持し、来る日も、また来る日も、広宣流布に走っておられる。立正安国の対話を繰り広げながら、偉大なる勝利の歴史を威風も堂々と刻みとどめておられる。これこそ、人間として最も尊貴な、最も光輝に満ちた人生なのである。
 皆さまは、生命の王者の中の王者である。全人類を、平和と幸福の正しき軌道へとリードする大指導者である。
 梵天・帝釈等も、ことごとく皆さまを仰ぎ、尊敬し、守護していくことは、法華経に明確に示され、御書に厳然と約束されているとおりだ。
6  大聖人は、四条金吾にあてたお手紙で仰せである。
 「法華経法師品には、『仏がさまざまな姿の人を派遣して、必ず法華経の行者を守らせる』と説かれている。疑ってはならない。
 また、安楽行品には『(法華経の行者を)刀や杖などで害することはできない』とあり、普門品には『(切りつけようとする)刀は、すぐにいくつにも折れてしまう』とある。これらの経文は、よもや嘘ではあるまい」(御書1114㌻、通解)
 法華経の行者を、諸天は必ず守護すると断言しておられるのである。
 さらに、御聖訓には、こう仰せである。
 「法華経の敵となった人を、今、生きている間に罰して、皆、人の見せしめにするようにと、梵天・帝釈、日月、四天に申しつけてある。日蓮が法華経の行者であるか否かは、これをもってご覧なさい」(御書1138㌻、通解)
 私は、全方面の誉れの同志が守りに守られ、創価完勝の道が、無量無辺に開かれゆくことを、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の学会の常住御本尊に真剣に祈り続けている。
 どうか、創価の誇りも高く、ありとあらゆる諸天善神を揺り動かし、随えながら、広宣流布の威光勢力を増していっていただきたい。
7  勝利の指揮を生き生きと
 勝利の対構鵡を知る人は群れない。「勝ち得ると信じて居る人が勝ち得るのである」(『社交 及 孤独』、『エマアソン全集』4,戸川秋骨訳、国民文庫刊行会)とは、アメリカ・ルネサンスの旗手、エマーソンの確信であった。
 常勝将軍ナポレオンもまた、「数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった」(『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)と述べている。
 勝負を決するのは、勝利への確信である。執念である。徹して強気で攻めゆくことだ。
 戸田先生は、つねづね言われていた。
 「いちばん苦労している最前線の同志を励ませ」「戦いの勝利の原理は『勇気』と『忍耐』と『知恵』である」。そして、「偉大な創価学会の底力を天下に示すのだ」と。
 勝負に負ければ皆が不幸になる。みじめな思いをする。逆に、勝てば、広布の地盤を大きく広げることができる。皆が幸せになる。ゆえに、断じて勝つことである。
 声高らかに正義を叫び、生き生きと勝利の指揮をとっていただきたい。
8  識者は「創価学会の人たちは日本の未来の希望」と
 世界に平和と知性のネットワークを広げる、アメリカの「ボストン二十一世紀センター」が、晴れの創立十周年を迎えた。
 同センターは、「文明間の対話」や「地球憲章の制定」をはじめ、二十一世紀の趨勢を先取りする平和・文化・教育運動を推進してきた。
 これまでセンターが出版した研究書も、ハーバード大学、コロンビア大学等々、全米の百以上の大学で教材として使用されるなど、その活動は、各界から高く評価されている。関係者の方々に深く感謝したい。
 私が誇りに思うのは、世界最高峰の知性が、わが広宣流布の第一線の友の行動に心からの共感と賞讃を寄せていることである。
 ハーバード大学教授で、宗教学の世界的権威であるハービー・コックス博士も、その一人である。
 教授には、私の二度目のハーバード大学講演(一九九三年九月、「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して。本全集第2巻収録)のさい、講評をいただいた。忘れ得ぬ方である。
 コックス教授は、大関西の同志と交流を結ばれた。兵庫の文化会館を訪問し「二十一世紀の宗教の役割」とのテーマで講演もしてくださった。その時のことを、こう振り返っておられた。
 「アメリカの学識者の中には日本に来て、学術者や企業の要人、また政府関係者だけと会って帰る傾向がありますが、私は幸いなことに創価学会の庶民の方々と直接、触れ合う機会がありました。
 特に、兵庫文化会館で講演させていただいた折は、本当に真剣でまじめな受講態度に深く打たれました。昼間、勤勉に職場で働き、夜、講演会場に解けつけ、一生懸命、ノートを取っておられた姿が印象的でした。
 さらに関西の創価学園では、世界を良くしていこうという、心からの献身の姿にあふれた生徒たちに、深い驚きさえ覚えました」
 「私が会った創価学会の人たちは、まさに国際化、民主化を重んじ、多様性を尊び、自らの力で考え、一人一人の生活の価値創造を奨励しあう、日本の未来の希望を象徴する人々でありました」(「聖教新聞」一九九五年十月四日付)
 これが、世界の第一級の良識の正視眼である。兵庫・関西をはじめ、創価の勝利と人間主義の前進に、世界は希望を見いだしているのである。
9  宗教は社会的正義の建設に貢献すべき
 このコックス教授が師と仰いだのが、同じくハーバード大学のジェームス・アダムス博士であった。このアダムス博士も、一九六〇年代に来日され、すでに当時から「生きた宗教」として、創価学会に注目されていた。
 アダムス博士は論じておられた。
 「私は宗教と社会の関係、すなわち、宗教の社会的な役割について一貫した研究をすすめてきました。それを通して私が得た一つの確信は、宗教は個人の救済にのみ関心を示すべきではない。社会への貢献、社会的な正義の建設にこそ情熱を傾けるべきである、ということです。
 今、人々の心が宗教から離れてしまっているのは、ひとえに、宗教が社会に貢献すべきエネルギーと方策を失ってしまっているからにほかなりません」
 「個人の深化を通して社会を見る眼を開き、社会貢献へのエネルギーを啓発する、という池田SGI会長の人間革命の思想と行動は大変に重要な意義をはらんでいると考えます。
 そうした個人と個人、個人と社会の心のネットワークを粘り強い対話を通して広げ、社会正義の心を開き、平和への共感を築くところに、真の宗教の精神がある、と私は見ております。
 そして、とくに未来を担う青年こそが、宗教の命脈ともいうべき、社会貢献、社会正義の建設の先頭に立つべきである、とも願っております」(堂九一年九月十八日付)
 今、全国で正義の闘争を展開する青年部こそ、新たな人類の精神革命の最先端を進んでいるのである。
 戸田先生は、「若い人が、ぐんぐん伸びていく創価学会にしていけ」と言われていた。
 今、そのとおりの学会になってきた。学会の未来は、そして万年の広宣流布は、強き情熱をもった青年に託す以外にない。
10  自分が太陽と輝け!
 自分が太陽と輝くことだ。何があろうと、カラッとして明るく、生きて生きて生きぬくのだ。
 「心こそ大切なれ」である。最後まで「戦う魂」が光っていなくてはいけない。
 とくに、リーダーが重たい雰囲気だと皆が停滞してしまう。まず自分が変わることだ。リーダーが変われば、勝利の前進の大波が起こる。
 沈黙は卑怯である。確たる哲理を語り、励ますことが、皆の力になる。
 飛行機が飛び立つ時のように、勢いよく行動することだ。たとえば朝であれば、「おはよう!」「おはよう!」と、元気よく声をかける。皆から「人が変わったみたいだ」と言われるくらいに動いてこそ波動は広がる。
 快活に、同志とともに、わが人生を、劇のごとく生きるのだ。大勢の後輩から「さすがだ」「立派だ」「すばらしい人生だ」と仰がれる見事な模範となっていただきたい。
 人生に悔いを残してはいけない。一人の偉大な庶民として、創価の無上道を歩みぬくのだ。
 使命に生きる人生は崇高だ。恩を忘れない人生は美しい。永遠に光る。
 今こそ民衆の真髄の力を、歴史に厳然と残してまいりたい。
11  
 対話こそ平和の王道である。現在、アメリカの「平和研究の母」として著名なエリース・ボールデイング博士との対談も順調に進んでいる。
 博士は五人のお子さんを育てながら、母として、また主婦としての経験をぞんぶんに生かして、独創的な平和研究に取り組んでこられた。これまで「国際平和研究学会」の会長として活躍され、一貫して「平和の文化」の重要性を訴えてこられた方である。八十三歳の今も、世界に平和の声を発信され、行動を続けておられる。
 博士は、かつて日本を訪問し、創価学会の婦人部と交流をされた。私との対談の中でも、その思い出を語っておられた。
 「私は、車座になって、座談会を行っていた婦人部の方々とお会いしました。そこで私は、本当の人間の精神を感じたように思いました。家族と過ごしているような温かさを感じたのです」
 「(=座談会のような)小グループの会合の利点は、おたがいの顔が、平等に見えることです。そして、おたがいの話をよく聞き、おたがいをよく知ることができます。それによって、心を一つにして、目的へと進むことができるのです。創価学会が座談会を伝統としていることは、よく存じています。たいへんに賢明な運動のあり方だと思います」
12  また博士は、女性や母親への期待を、次のように語っておられた。
 「母親は一日中、子どもたちの言い分を聞いていますから、女性はどうしても男性より聞き上手になります」
 「じつはそのおかげで、女性はとても賢くなれるのです。それは、男性が耳にすることもない多くの事柄を、彼女たちが聞きとるからです。女性は、男性がとてもおよばない、たいへんな聞き上手です。その意味で、女性はすばらしい平和の創造者になれるのです」
 「女性には、もっと頻繁に公共の場へ出て、経験的に学んだ事柄を、もっと多く発言する機会を与えねばなりません」
 相手の声に耳をかたむけ、よく話を聞く。そのことで、自身が成長できる。友も心を開く。深い友情を結ぶことができる。こうした心と心を結ぶ対話こそ、平和への一歩であり、「平和の文化」の最も確かな推進力である。
 博士は、この相互理解の対話運動の模範を、SGIに見いだしておられるのである。
 言論の自由は、万人のものである。創価の人間主義を堂々と語りぬくことだ。
 「一対一の膝づめ談判によって、広宣流布は成し遂げられる」とは、戸田先生の指導であった。
13  博士の夫の故ケネス・ボールディング博士は、著名な経済学者であり、「宇宙船地球号」の概念を提唱した平和運動家であった。ケネス博士のモットーは、「存在自体が可能性の証である」。
 生前、よくこう語られたという。――「平和の文化」は「戦争の文化」という大海に浮かぶ、小島のような存在である。しかし、たとえ一つでも″平和の島″が存在するなら、それは必ず、二つ、三つと広がっていくであろう――と。
 どんなに困難でも、どれほど状況が深刻でも、わずかでも可能性があるかぎり、絶対にあきらめない。男は、夢は、必ず実現できる――博士は、偉大な楽観主義者であった。
 エリース博士もまた、その信念を共有しておられる。そして、こうしたケネス博士の楽観主義の精神を、未来の世代に受け継いでほしい、と望まれていた。
 「不可能を可能にする」妙法を持つ私たちは、最強の楽観主義者である。どんな困難にあっても、「断じて乗り越えてみせる」との強き一念と行動で、″すべての人が幸福に生きる世界″を築いてまいりたい。
14  ナポレオン「宗教なき社会は、羅針盤のない船」
 ナポレオンは述べている。
 「国家にとって確固とした永続性のある支えとなるのは、宗教だけである。宗教なき社会は、羅針盤のない船のようなものである」(長塚隆二『ナポレオン』下、読売新聞社)
 ローマ法王庁と「宗教協約」(コンコルダ)を結んださいの言葉である。
 ナポレオン自身は徹底した近代合理主義者で、信仰はもっていなかった。聖職者の堕落と虚偽を嫌ってもいた。しかし、宗教が民衆にとって切っても切り離せないものであることは、よくわかっていた。だから、フランス革命が否定した宗教を、国家を安定させるために、復活させたのであった。
 二十世紀、宗教的信念を非暴力の社会変革のうねリヘと高めていったのが、ガンジーであり、キング博士である。現在、ドイツの首都ベルリンの市庁舎で、「ガンジー・キング・イケダ」展が開催され、各界に反響を広げている。
 これは、ドイツ外務省などの後援を受けて、ガンジー・サーブ財団、マーチン・ルーサー・キング協会などが主催したものである。
 開幕式(九月二十日)には、「核戦争防止国際医師の会(IPPNW)」ドイツ支部の創設者で、精神医学者・平和活動家のリヒター博士、かつてガンジーのアシュラム(研修道場)での生活を経験したフィッシャー元駐印ドイツ大使など多数の来賓をはじめ、市民ら五百人が出席された。ドイツSGIの代表も参加した。
 式典では、アメリカ・モアハウス大学・キング国際チャベルのカーター所長が講演を行った。またベルリン市立マハトマ・ガンジー高校の合唱団の皆さんが、「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」を歌ってくださった。
 ガンジー・サーブ財団のルーエ理事長は、「これほどの幅広い世代による″非暴力の集い″は歴史的な出来事です」と感銘しておられたという。
 (カーター博士は、講演で語っていた。
 「ガンジーとキングの非暴力の思想を、より深く理解し、より高めたのが池田博士であります。人が真の意味での『非暴力の人生』を貫くには、深い精神性がなければなりません。
 池田博士、そしてSGIの思想は、日蓮大聖人の仏法を根底にしています。仏法の真髄は、すべての人々すなわち自分にも相手の中にも『最も神聖なもの』を認めることであります。これこそ平和と非暴力を第一義とする思想です」〔「聖教新聞」二〇〇三年九月二十四日付〕)
 開幕式以降、多数の市民が訪れ、ベルリン市長、副市長もたいへん喜んでくださっているとうかがった。ドイツSGIの友から喜びの報告が寄せられたので、紹介させていただいた。
15  社会を繁栄へ、安穏へ、幸福の方向へ向けていくには、確固たる哲学が不可欠である。
 偉大な民衆指導者であったガンジーの精神を、どう現在に生かしていくか。先日、興味深いニュースが伝えられた。南インドのチェンナイ(旧マドラス)の裁判所で「政治家が、ガンジーの自伝を読むよう命じられた」というものである。(BBC NEWS, 2003, 9.18)
 ある野党の政治家が、土地をめぐる争いで他人を脅迫したとして告訴された。
 担当の裁判官は保釈のさい、その政治家に、マハトマ・ガンジー博物館に通い、毎日、来館者名簿に記帳するように要求した。また、マハトマ・ガンジーの自叙伝『真理の実験』を買い、それを読んでいる証拠を提出するように命じたのである。その政治家は、全五百六十ページのうち、五十六ページまで読み終えていることを報告したという。
 なぜ裁判官は、こうしたことを求めたのか。
 それは、政治家が「偉大な平和主義者であるガンジーの著作に親しむことによって、みずからを改革し、より有権者に奉仕できるようになる」との考えからであった。
16  深き精神性で社会を照らせ
 ガンジーは、政治家の腐敗とは徹して戦った。そして、こう語っている。
 「私の行動は政治もその他のすべての行動も私の宗教から発しているのだ」(K・クリバラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)
 「政治は宗教から離れては、唯だ埋めるより外ない屍のようなものである」(『人格論』、『ガンジー全集』1,高田雄種訳、春秋社)
 哲学なき時代にあって、深き精神性の光で社会を照らす創価の運動が、どれほど尊く、偉大であるか。世界の良識も高い評価を寄せていることは、皆さまがご存じのとおりである。
 私たちは、大きな誇りを胸に、人間主義の連帯をいちだんと広げてまいりたい。
17  邪悪に対しては、断固として戦いぬかねばならない。
 釈尊も、極悪の提婆達多と戦った。日蓮大聖人も、僣聖増上慢の良観と戦われた。
 その正統であるがゆえに、学会は、現代の提婆達多とも、現代の良観とも、断固として戦う。
 「悪人を排斥する団体は、最大多数の善良者を安心して結合させることができる」
 これは、牧口先生の確信であった。
 不当な暴言には、正義の言論で、何倍も打ち返す。これが折伏精神だ。大聖人の魂である。
 仏法は、永遠に仏と魔との戦いである。「戦う心」を失えば、もはや退転である。
 仏法の因果は厳しい。厳しいゆえに、広布へ戦いぬけば、幸福は絶対である。勝利は絶対である。悪人を打ち破るのが、正しき信心である。
18  ガンジー″ 敵をも友に変えていけ″
 ガンジーは言った。
 「最終的には、遺恨なく、敵をも友に変えられるかどうかが、非暴力の厳しい試金石である」(All Men Are Brothers, compiled and edited by Krishna Kripalani, UNESCO)
 事実、ガンジーは非暴力闘争を展開していた南アフリカで、最も激しく対立した敵の将軍とも友情を結んでいる。社会を向上させていく闘争は、一次元からい2えば、「敵」をも「友人」に変え、「味方」をつくる戦いである。
 大聖人は、大きな危難のなかにあった四条金吾を励まして、「源義経は、平家を攻め落とすことは、まったくむずかしかったが、平家方の阿波(徳島)の豪族・田口成良(成能)を味方にひき入れて、平家を滅ぼした」(御書1172㌻、通解)との話を示しておられる。
 困難にあって、いかに活路を開いていくか。勝利を手にするか――。聡明に、粘り強く、縁する人を味方にしていくことを教えておられるのである。
 また大聖人は、別のお手紙で、金吾にこう仰せである。
 「この日蓮は、首題の五字(妙法蓮華経)を、あなたに授ける。法華経受持の者を諸天善神が守護することは、断じて疑いない」(御書1192㌻、通解)
 「法華経に勝る兵法なし」である。
 ますます意気軒高に、強盛なる信心で、異体同心の団結も固く進んでまいりたい。未曾有の上げ潮の、勝利、勝利、また勝利の前進を決意しあって、私のスピーチを結びたい。
 お体を大切に! お帰りになったら、各県長、県婦人部長をはじめ、方面の全同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください!
 (東京。信濃文化センター)

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