Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

二十一世紀女性研修会 人間革命の勝利の劇を

2003.8.21 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

前後
2  最も苦しんでいる民衆を、最高の仏の境涯にするのが、日蓮大聖人の仏法である。人間革命の運動である。
 大聖人みずから、ご自身のことを「民の子ども」(御書1332㌻、通解)と言われた。最下層の身分を意味する「施陀羅せんだらの子ども」(御書891㌻、通解)であると堂々と宣言されている。
 最も貧しく、最も虐げられてきた民衆が、最も偉大な仏になる。宇宙大の境涯を開く。常楽我浄の生命を輝かせる。それを大聖人は、わが身で示された。本当に、すごいことである。
3  荘厳なる師弟の道
 嵐にも毅然とそびえる人間王者――大聖人の闘争を思う時、私の胸には、恩師戸田先生の勇姿が浮かんでくる。
 私も妻も、三百六十五日、心に思うのは、戸田先生のことである。師匠のことだけである。
 私は、すべてをなげうって戸田先生に仕えた。何の逡巡もなかった。経済闘争を支え、渉外の矢面に立ち、折伏の指揮をとり、広布の文をつづった。それからくらべれば、今の青年部は、まだまだ力が出る。
 飛行機などで、ともに地方に向かう時のこと。先生は、いつも「何か話をしなさい」と言われる。
 出発する前に、必死で本を読んだ。何か価値あることをお伝えしようと、懸命に勉強した。
 先生が「聞きたいことがあったら、何でも聞きなさい」と言われることもあった。質問せずにいると怒られた。すべて指導者となるための薫陶であった。
 先生の事業が挫折し、多くの人間が卑劣な言葉を投げつけ、去っていくなか、私は一人、先生を支えた。
 何かあると、「大作に聞け。全部、大作に言ってある」と言われるのが常であった。
 戸田先生には私がいた。牧口先生には戸田先生がいた。
 戸田先生は牧口先生に対して、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」(『戸田城聖全集』3)と感謝した。こんな言葉は言えるものではない。
 私は、牧口先生、戸田先生を世界に宣揚した。
 今や世界的な学会になった。これを見たとき、両先生は、どれほど喜ばれるだろう。それを思うだけで、私の心は躍る。
4  すべての女性が輝く世紀ヘ
 晴ればれと、全国各方面の婦人部・女子部のリーダーが一堂に会して、歴史的な「二十一世紀女性研修会」、まことにご苦労さま!
 日蓮大聖人は、「(乱世の軍師たちは)幕を張った中で作戦を練り、戦場から千里離れたその場で勝利を決したのである」(御書183㌻、通解)と仰せである。
 次の五十年へ、創価学会の勝利を決しゆく前進をお願いしたい。
 戸田先生は、こう言われていた。
 「学会には信心がある。無知な批判など恐れるな!」
 信心強き女性には、だれ人もかなわない。真実が必ず勝利する。
 すべての女性が輝く世紀へ、人類史の先頭を、決然と、愉快に進んでいただきたい。
5  フランスの文豪ロマン・ロランは手紙につづった。
 「いよいよ戦闘が開始されました」
 「戦うのは、幸せです」(「マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークへの手紙」宮本正清・山上千枝子訳、『ロマン・ロラン全集』3所収、みすず書房)
 若きロランが、わが信念をかけた言論戦に挑む決心を、尊敬する女性作家に伝えた言葉である。
 「広宣流布」という正義のなかの大正義に向かって戦う人生ほど、幸福な人生はない。
 また、フランスの女性思想家シモーヌ・ヴェイユは記した。
 「本当に生きるということは、喜びをもって生きることです」(シモーヌ・ベトルマン『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ』1,杉山毅訳、勁草書房)
 創価の女性こそ、「歓喜のなかの大歓喜」の人生の劇を飾りゆく偉大な名優である。人類の平和と幸福のため、真面目に、一生懸命に戦う女性ほど、崇高にして神々しい存在は、断じてない。
 ゆえに、私は妻とともに、「女性の世紀」の一番星と輝く全国の女性リーダーの皆さま方を、最敬礼して讃えたい。
6  平和は日々の振る舞いのなかに
 このたび私は、「平和研究の母」として名高いアメリカのエリース・ボールディング博士と、新たな対談を開始することになった。(=「『平和の文化』の輝く世紀へ!」と題して月刊誌「パンプキン」で連載。同題で潮出版社から二〇〇六年一月に発刊)
 博士は、国際平和研究協会の会長を務め、『平和の文化――歴史の知られざる側面』の著者として知られる。ノーベル平和賞の候補にもなった女性である。
 私と対談集を発刊(『地球対談 輝く女性の世紀へ』、〇三年一月、主婦の友社)した女性の未来学者ヘンダーソン博士も、心から尊敬している方である。
 ボールディング博士は八十三歳。今なお、かくしゃくとして、世界の平和のために発言し、戦い続けている。
 博士は語っておられた。
 「真の幸福感は、深く心の通いあう人間関係の中にこそある」(「聖教新聞」二〇〇一年二月十二日付)と。
 まさに、その幸福と平和のネットワークを、日々、拡大しておられるのが、皆さま方である。
 博士は語る。
 ――「文化」とは、人間の生き方であり、振る舞いである。したがって、「平和の文化」は、一人一人が築いていくべきものである。一人一人が、日々、粘り強く、平和の振る舞いを持続する過程のなかに、「平和の文化」は存在する――そう強調しておられる。
 御聖訓には、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と示されている。
 人を敬う。あらゆる人の生命に仏性を見る――人間の尊厳、生命の尊厳を、みずからの振る舞いを通して確立しゆく「創価の女性」の対話運動こそ、まさに「平和の文化」を確実に創造し、建設しているのである。
 ゆえに、ボールディング博士のSGIへの期待は大きい。
 「SGI運動のような『一人の人間から出発して、平和の波を起こしていく』運動は、必ず迫害を受けるものです。しかし、そうした人々にとって、迫害こそが『正義の証』であり、『勲章』ではないでしょうか」(「聖教新聞」一九九八年十二月十八日付)
 まったくそのとおりである。さらに、博士は強く訴える。
 「宗教者には、平和のために政府にもの申し、市民を教育していく責務がある、と思うのです」(同二〇〇二年十月二日付)
 立正安国をめざしゆく創価の女性のスクラムに、「平和研究の母」からも熱いエールが寄せられている。
7  「勇気をもってただ真実を語れ!」
 この七、八月、オーストラリアのメルボルン大学や、ニュージーランドの国会議事堂などで「ガンジー・キング・イケダ」展が開催された。世界で反響を広げている。
 マハトマ・ガンジーは、「私はブッグ(=釈尊)の教えを知るようになり、非暴力の無限の可能性へと目を開かれました」(ニコラス・F・ガイヤ「ガンジーと大乗仏教」〈宮田幸一訳、「東京学術研究」第35巻第2号所収、東洋哲学研究所〉で紹介)とつづっていた。
 そして今、仏法の正統中の正統である創価学会に、ガンジー、キング博士の精神を受け継ぐ方々からも大きな信頼と深い共感が寄せられる時代となった。
 (ガンジーの孫娘であるウシャ・ゴカニ女史は、青年部のインド訪問団〈一九九四年〉に、次のように語っている。
 「ガンジーの思想は、今日では、インドよりも日本の創価学会によって、より多く実践されています」「池田先生の著書を読ませていただくたびに、私の考えていたことがすべてSGIの中にあることを知って、大きな喜びを感じています。更に、私の考えがSGIの考えに近づいていることを感じます」〔「聖教新聞」九四年九月一日付〕)
 ムンバイ(旧ボンベイ)のガンジー記念館館長で、ガンジーの直弟子であるウシャ・メータ女史も、SGIに共鳴する一人である。
 女史は、ガンジーから直接、教えを受けた。
 「勇気をもって正義のために戦え! ただ真実を語れ!」
 その言葉を今も大切にしておられた。
8  仏法は勝負である。戦いを忘れたら、もはや仏法はない。広布を破壊し、民衆を苦しめる邪悪は、どこまでも追撃し、打ち破る以外ない。戦いに勝つという執念の行動こそ、信心なのである。
 大難を受けなければ、仏法の真髄はつかめない。いちばん信心いか伸びるのは、大きな苦難の時である。
 いかなる苦難にも、「師子王の心」で敢然と戦えば、仏となる。仏になれば、何ものにも揺るがない。そこに三世永遠の幸福が輝くのである。
9  だれもが皆、かけがえのない存在
 リーダーは、人の心を知ることだ。本当に親身になって、人の心を癒し、勇気を与える人格でなければならない。
 フランスの作家スタール夫人は、人間の心模様を鋭く描く。
 「自分の乱しみに耐える力から来る冷静さは美しい。しかし他人の苦しみへの無関心から生まれる冷静さは、尊大な性格以外の何ものでもない」(『ドイツ論』2,中村加津・大竹仁子訳、島影社・ロゴス企画部)
 他人の苦しみに無関心――その人は傲慢だというのである。
 心から心に届く、温かい言葉を贈りたい。それには、相手の魂の奥まで知っていくことである。
 何に悩んでいるか。何を望んでいるか――。皆の心を知り、皆が安心して戦えるように、一人一人を、きめ細かく励ましていく。心の重荷を取って、軽くしてあげる。楽しくしてあげる。慈愛あふれる聡明な女性リーダーであっていただきたい。
 この点、ボールディング博士も、「平和を築くうえで何よりも大切なのは、差異を認め、讃えていける寛容の心です。人間は皆、それぞれに特別であり、しかも、かけがえのない存在と知るべきです」と語っておられた。
 戸田先生はつねづね、「会員の方々あっての幹部である」と教えられた。
 だれもが使命をもつ。無限の力を秘めている。先輩は「後輩を自分以上の人材に!」と全精魂をそそぎ、たゆみなく、新しい人材を育てゆくことだ。
 一人を大切に――ここに前進の力が生まれる。
 婦人部と女子部のうるわしい合金の団結は、新しい世紀に、いよいよ燦然と光彩を放ち始めた。
 学会は、女性の輝ける人材の連鎖によって、永遠に勝利していくのだ。
10  モンゴルと結ぶ深き友情
 大草原のロマン薫るモンゴル国とも、私たちは、豊かで、深い友情を結んでいる。
 教育交流も進んでいる。同国のバガバンディ大統領、エンフバヤル首相は、ともに、わが創価大学を訪問してくださっている。(一九九八年五月十四日。首相は当時、国会議員として同行)
 思えば、十三世紀、日蓮大聖人は、「蒙古」の使者を理不尽に処刑した権力者の蛮行に対し、「罪のない蒙古の使いが頸をはねられたことは、かわいそうなことです」(御書1472㌻、通解)と述べておられた。モンゴルとの友好の交流は、深い歴史的意義がある。
 (一九三九年の「ノモンハン事件」〈ハルハ川会戦。中国東北部とモンゴル人民共和国の国境にあるノモンハンで、日ソ両軍が衝突) 日本軍が大敗した〉の舞台となったモンゴルのドルノド県には昨年〈二〇〇二年〉七月、日本とモンゴルとの国交樹立三十周年を記念して「池田平和記念公園」が設置された。
 公園の中央には、小説『新・人間革命』の冒頭の一節「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」が刻まれた碑がある)
 モンゴルでも、女性の社会進出がめざましい。
 私は皆さま方を代表して、モンゴル国立文化芸術大学から名誉博士号を拝受した。(二〇〇〇年十二月)
 この大学の女性の博士である、アルタンゲレル第一副学長が語っておられた。
 「創価学会の女性の皆さんとお会いして、皆さん、本当に笑顔が美しい。じつに生き生きとされています。社会に進出し、大きな役割を果たしているからではないでしょうか」
 「女性の喜びは、家族と一緒に暮らす安らぎにあるでしょう。しかし、それだけでなく、家庭に閉じこもらないで、世界の平和のために取り組んでいくことも必要です。女性が『世界の平和』を合言葉にして進んでいきたい」
 「世界のいずこの地にあっても、母と子が、幸せと笑顔と喜びに満ちあふれていますように――そう願ってやみません」
 世界に平和の希望を送る創価の女性の尊き姿は、ダイヤモンドのように輝いている。
11  さらに、私が今、対談を重ねているのは同大学のツェデブ学長である。(=「友情の大草原―モンゴルと日本の語らい」と題して、月刊誌「パンプキン」二〇〇五年五月号から連載開始)
 モンゴルを代表する大詩人の学長は語っておられた。
 「教育と文化は、平和なくして語れません。その教育と文化を推進しているのが創価学会の運動です。ゆえに、創価学会の運動それ自体が平和への大きな貢献であると思います。そのご努力に感謝したい。
 平和と文化の『創価』という名の木が『大樹』と育ち、広々と枝を広げ、養った知恵と力を発揮して、世界に大きく葉を茂らせゆくことを期待しております」(「聖教新聞」一九九六年二月十五日付)
 この地上で広宣流布を成し遂げていくのは創価学会しかない。仏意仏勅の学会の中で役職を担い、地域の女性リーダーとして戦うことが、どれほど尊いことか。
 学会の役職は、平几に見えるかもしれない。しかし、戸田先生は、よく「世間は評判である。仏法は因果の理法である」と教えてくださった。
 この全宇宙を永遠に貫き通す厳粛な「因果の理法」からは、だれ人たりとも絶対に逃れることはできない。
 自分の受けた役職を、わが使命と定め、責任をもって真剣に戦いぬく人は、仏法の法理の上から、三世にわたって勝利と栄光の功徳に包まれることは、間違いない。
 どこまでも、真面目に、学会一筋、広宣流布一筋で、生きて生きて生きぬいた人が、最後は必ず勝利する。
 これが、五十六年間、あらゆる大難を乗り越え、「広宣流布の信心」を貫いてきた私の結論である。
12  七百年も前に男女平等を宣言
 男性も、女性も、平等に尊い。日蓮大聖人は、七百年以上も前に、「男女はきらふべからず」と明確に仰せである。
 広布の同志は皆、尊き地涌の菩薩である。
 とくに男性のリーダーは、婦人部や女子部の方々を尊敬し、讃え、感謝していくべきである。決して、傲慢な姿があつてはならない。
 威張るリーダーは時代遅れである。だれもついてこない。それでは自分が損である。敗北の人生となってしまう。
 会員のためのリーダーである。広宣流布のためのリーダーである。その根本を忘れた横暴な振る舞いは、将来にわたって、絶対に許してはならない。
13  真心の言葉、誠実な言葉が大事である。
 たとえば、招かれた場所に、花が飾られていた。そうしたら、まず、花を見ることだ。せっかくの心づかいであるのに、見ないのは失礼である。そして、花をほめ、感謝する。それが教養ある振る舞いである。
 同志の家などを訪ねる場合も、まず、相手の良い点を讃えることだ。
 会合の話も、まず皆の奮闘を心からほめ讃えるべきである。労苦をねぎらい、感謝すべきである。そして、生き生きと、明るく、仲良く前進していく。それを実行したリーダーが勝つ。
 友のため、法のために尽くしぬく「指導者革命」の模範であっていただきたい。
14  「祈り」は必ず叶う
 信心の功徳には、はっきりと顕れる「顕益」と、目には見えなくとも知らずしらずのうちに大利益を受ける「冥益」がある。
 大聖人は、「祈り」と「功徳」の顕れ方について四つの形を挙げておられる。(御書1242㌻)
 「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」である。
 「顕祈顕応」とは、何かに直面したとき、真剣に祈り、それに応じてただちに解決の方途が開かれ、願いがかなうこと。
 「顕祈冥応」とは、祈りに応じた具体的結果がただちに顕れなくても、その功徳は生命に積み重ねられていくことである。
 「冥祈冥応」とは、たゆまざる唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道へ入っていくこと。
 「冥祈顕応」とは、つね日ごろの唱題の功徳が、いざという時、具体的事実として厳然と顕れることである。
 この四つにふれて、大聖人は仰せである。
 「ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現世と未来世の願いが満たされるということである。
 法華経第三の巻(授記品)には『魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する』とある。
 また、第七の巻(薬王品)には『病は消滅して、不老不死の境涯を得るであろう』とある。これらの金言を疑ってはならない」(御書1242㌻、通解)
 真の強盛な信心。真の強き祈り。それは、一切を変毒為薬する根本の力である。さらに、魔民さえも広宣流布の味方へと変えていける。「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 勝利のために、まず強き祈りから始める。そして粘り強く、忍耐強く、祈りぬき、祈りきる。この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない。
 人気や評判などは、あまりにも、はかなく、むなしい。そこには、永遠性の幸福も、充実もない。
 学会には、偉大な哲学があり、思想がある。皆さまは仏法の真髄を実践している。それは、権力者であっても、知らない。大学者であっても、未知の世界であろう。
 しかし、妙法は厳然と存在している。大宇宙の運行も妙法の力である。仏法は森羅万象の一切を貫いている。その大仏法を、皆さまは友に語り、教え、広めておられる。なんと偉大な哲学者か。
 とくに女子部の皆さん方は、今こそ、妙法という無上道を、思いきり学び、実践していただきたい。正義と幸福の連帯を拡大していっていただきたい。
15  「きょう」を勝て「ここ」で勝て
 アメリカの著名な女性の未来学者リンダ・グロス博士は、「聖教新聞」(二〇〇一年九月十九日付)ヘの寄稿の中で、たいへん味わい深い言葉をつづってくださった。
 「変革の力は″今″″ここ″を大切にする中にこそ、正しく育まれていく」――と。
 「未来」といっても、「今」から始まる。
 「世界」といっても、「ここ」から広がる。
 「今」この時に、いかに手を打つか。
 「ここ」の地盤を、いかに固めゆくか。
 その地道な行動の連続以外に、社会を変え、時代を変える偉大な力はないのである。
 いちばん地味であることが、いちばん成長できることである。本も、少し眺めただけでは、伸びているかどうか、わからない。しかし、十年、二十年と時を経れば、若木は見事な大樹となる。
 「きょう」を勝つことだ。「ここ」で勝つことだ。仏法を持ち、毎日毎日、地道に学会活動しきった人が三世にわたって勝利しないわけがない。
16  運命を決めるのは自分自身
 大文豪トルストイの娘アレクサンドラは、日記につづっている。
 「人間が運命に左右されるのか。それとも運命が人間自身に左右されるのか。この問題に対して、私は父の日記から答えを得た。人間は、自分の精神を磨き続けているかぎり、運命に左右されることはない」
 青春時代に、自分自身の生命を磨き鍛えた人は、一生の幸福の土台を築くことができる。
 「一生成仏抄」には、こう仰せである。
 「たとえば、曇って、ものを映さない鏡も、磨けば玉のように見えるようなものである。今の(私たち凡夫の)無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くならば、必ず真実の悟りの智慧の明鏡となるのである」(御書384㌻、通解)
 日々、妙法を朗々と唱え、学会活動に勇んで取り組むなかでこそ、自分自身の生命が最高に錬磨される。その生命は、研ぎ澄まされた明鏡のごとく、最も正しい人生観、社会観、世界観、宇宙観をもって、あらゆる事象を適切に見きわめ、何ものにも負けずに、価値創造の知恵を光り輝かせていくことができるのである。
17  偉大なる父トルストイは、娘に教えた。
 「今、あなたは、自身の人生を、確固たる信仰の基盤の上に打ち立てることができるという、幸せな境遇にあります。
 人生を確固たる信仰の基盤の上に打ち立てるということは、不幸はありえないということです。
 一時間、一日、一年が、私たちの幸福を、ますます倍増させるということです」
 若くして、妙法に生きるわが女子部こそ、「不幸はありえない」人なのである。
 「さいわいは心よりいでて我をかざる」である。
 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」である。
 どうか、この御書どおりの青春と人生を、賢く明るく、そして勇敢に歩みぬいていただきたい。
18  正義の女性の雄弁にかなうものなし
 ポーリング博士とともに、平和のために活動した、アメリカの女性作家パール・バックは語っている。
 「私は、元来もの静かな女なのですよ。ところが、不正義と思えるものによって侵害を受けるや、もはや黙っているわけにはいかず、耐えがたいほど雄弁になるのです」(丸田浩訳、ピーター・コン『パール・バック伝』下、舞字社)
 正義の女性の雄弁に、かなうものはない。真剣な女性の声に、勝るものはない。
19  法難と戦う弟子に大聖人は仰せである。
 「いかなることがあろうとも、少しも信心がたゆむことがあってはならない。いよいよ強く、(仏の敵を)責めていきなさい」(御書1090㌻、通解)。これが、日蓮仏法の根本精神である。
 恩師戸田先生は言われた。
 「いかなる大難に遭おうとも、『これが魔だ!』と見破れば、後は勇気百倍して乗り切れるのである」
 全国の女性リーダーの「雄弁」と、異体同心の「団結」で、全国完勝の波動を、朗らかに、また朗らかに広げていっていただきたい。
 わが婦人部に、そして、わが女子部に、幸福と栄光輝け! と祈って、記念のスピーチとさせていただく。
 (長野研修道場)

1
2