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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 広布の役職は「幸福の宝冠」

2003.8.8 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  アメリカ創価大学を人類の平和の発信地に
 二十一世紀の勝利をどう切り開くか。どう青年を育てるか。私は毎日、真剣に祈っている。書き、語り、全精魂をそそいでいる。
 教育界の光・アメリカ創価大学には、使命深き新入生が集った。本当にうれしい。私の心は、アメリカの広大なキャンパスに飛んでいる。
 思えば、私の青春は戦火の中だった。国家主義の悪を、愚劣さを、いやというほど味わった。戦争は絶対に反対である。
 アメリカ創価大学を人類の平和の発信地にしたい。教育の大事業の総仕上げは、いよいよ、これからだ。ちっぽけな日本だけではない。舞台は世界である。人間主義の指導者を、あらゆる分野に送り出していきたい。
2  信義と勇敢、誠実の信越の同志
 信越会の皆さま方、たいへんにご苦労さま!
 また、ドクター部、白樺会、白樺グループの皆さまも、いつも本当にありがとう!
 日夜、友の健康のために働いておられる皆さま方に、記念の和歌を贈りたい。
  薬王が
    燃えゆく求道
      法華経に
    今は栄えある
      博士の皆さま
3  さらに、役員の皆さま方にも、心から御礼を申し上げたい。
 信義に篤く、勇敢で、誠実なる信越の友との縁は、わが人生のかけがえのない宝である。
 古代ローマの哲学者にボエティウスがいる。有能な政治家でもあったが、政敵から妬まれて讒言され、無実の罪で獄死した。しかし、その生涯は、ダンテをはじめ後世の人々に大きた影響を与えた人物である。
 彼は獄中にあって、昂然とつづっている。
 「善人を憎むことは、極めて愚かな者でなくては為し得ない」(『哲学の慰め』畠中尚志訳、岩波文庫)
 さらに、彼は、こう強調する。
 「正善な魂に特有な輝きが、他人の邪悪に依って取り去られる筈はないではないか」(同前)
 まったく、そのとおりである。こうした強靭なる魂を、誇り高く輝かせておられるのが、信越の同志の皆さまである。
4  日蓮大聖人は、けなげな信越の弟子を最大に大切にされた。
 疫病が流行する世情のなかで、佐渡の千日尼に送られたお手紙では、弟子の無事を知り、「亡くなった父母と夢で会えたような喜びである」とまで仰せである。
 (「私のもとを訪ねてきた阿仏房に、千日尼と国府入道殿の様子を尋ねたのに対して、『まだ病気にもかからず元気でおります。国府入道殿は同道して参りましたが、早稲〈実のなるのが早い稲〉の刈り入れが近づき、手伝う子どももいないので、やむなく途中から帰られました』と語られるのを聞いた時には、盲目の者の眼が開き、亡くなられた父母が閻魔宮から訪れて来られた夢を見て、夢の中で喜んでいるような気持ちでありました」〈御書1314ページ、通解〉)
 この大聖人有縁の大地で、わが信越の同志は、堂々たる広宣流布の大発展を成し遂げてこられた。とくに「聖教新聞」の拡大は、全国の模範と光っておられる。青年部の成長と活躍も、すばらしい。「力ある信越」「抜きん出た信越」の行進を、無量無辺の諸天善神と仏菩薩が、こぞつて讃え、守りゆくことは、間違いない。
 私も、愛する信越の同志が、一人ももれなく三世永遠の大福運に包まれゆくことを、毎日、真剣に祈っている。
5  トルストイ「なすべきことをなせ!」
 信越の婦人部・女子部一体の、うるわしいスクラムを、私は妻とともに最大に賞讃したい。
 創価学会が創立された翌年、一九三一年(昭和六年)の五月のこと――。一人の気品あるロシアの女性が、長野の地を訪問した。大文豪トルストイの末娘(四女)のアレクサンドラその人である。彼女は長野の上田で講演し、お世話になった人々と記念撮影した写真も残されている。
 私は、これまで、トルストイの令孫セルゲイ氏とも交流を結んできた。
 「何があろうとも、なすべきことをなせ!」(ビリューコフ『大トルソトイ』3,原久一訳、勁草書房)
 これがトルストイのモットーだった。
 娘のアレクサンドラも、その行動への勇気と情熱をみなぎらせた女性である。とくに彼女は、父トルストイの最晩年、つねにそばに寄り添った一番の理解者であり、「魂の継承者」であつた。
6  父は、遠く離れた地で病気の治療を受けていた彼女に、励ましの手紙を書き送った。
 「全力を振りしぼって生きるのです。読書をしなさい、考えなさい、人と交流しなさい、自分の心を見つめなさい。今こそ、人生を最大限に生かすのだと、決意するのです」(Нина Никитина ″Главы из книги об Александре Львовне Толстой,″ Звез∂а, No.12,2002,(c)2001 Жунальный зал в ″Русский журнал″)
 彼女は、父の教えどおりに人生を生きぬいた。
 「トルストイ記念学校」や「トルストイ博物館」、さらに病院、財団を設立し、正確な「全集」の発刊を進め、父の平和と人道の精神の遺産を厳然と守りぬいたのも、彼女である。
 第一次世界大戦では、みずから志願して戦場で看護にあたった。「何もしないで、傍観していることは、私には耐えがたい」とは、彼女の変わらざる信条であった。
 彼女は正義に生きた。何ものも恐れることなく。トルストイの死後、善人の仮面をかぶり、トルストイの名声を利用して不正に蓄財し、私腹を肥やすような悪人も出た。しかし、彼女は毅然と、そして断固として戦い、この悪人を追放している。
 この悪人は、別の地域でも、トルストイの名前を使って詐欺を働いた。トルストイ一家は、新聞を通して、この人物はトルストイ家とまったく無関係であることを世間に厳然と公表した。
 また、言葉巧みに人々をたぶらかし、トルストイ記念学校の乗っ取りを画策する輩もいた。彼女は、そのたくらみを阻止すべく、姉のターニャに手紙を送った。権力と戦って囚われた収容所からだった。悪とは絶対に妥協しなかった。
7  彼女の人生は、迫害と苦難の連続であった。トルストイ記念学校の高邁な理想は、権力によって弾圧された。彼女自身、五回にわたり投獄されている。
 しかし、獅子(レフ)という名をもつ父がそうであったように、その娘も、獅子の子として、傲れる権力を見おろしながら叫びぬいた。
 「人類の精神は自由なり! 何ものも、壁であつても、鉄格子であつても、我らの精神を開じ込めることはできない!」
 これは、彼女が、とらわれていた牢獄の壁に書き残した言葉である。
 信越の創価の女性の信念とも深く響きあって、私の胸に迫ってくる。
 大聖人は、信越の先達とも言うべき千日尼に仰せである。
 「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし
 この大哲理を行じゆく皆さま方の人生の前進と飛翔を、何ものも阻むことはできない。
 トルストイの愛娘アレクサンドラは語った。
 「人間一人一人が宇宙の中心なのだ」「姿を消してしまえば、忘れ去られるだけの生き方もできよう。しかし、この世で偉業をなし、何かを創造し、地上に不滅の足跡を残した人生は、人々の記憶の中で永遠に生き続けるのだ」
 生きているかぎり、戦うことである。働くことである。叫ぶことである。
8  一人が信心に立てば一家も幸福の方向へ
 信越の偉大な広布の母たちは、まさしく、永遠不滅の人生を勝ち進んでおられる。
 大聖人は、千日尼に対して「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり」と述べておられる。
 けなげな創価の婦人部・女子部の皆さま方を、全宇宙の仏・菩薩が、見つめ、守り、生々世々、幸福へ、勝利へ、栄光へと導いていくことは、御書に厳然と示されているとおりである。
 なかには、ご家族が信心されていない場合もある。ご家族を、早くに亡くされる場合もあるかもしれない。しかし、大聖人は断言されている。
 「目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのです。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも思いがけなく成仏されたのです。
 さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生は三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行のなかで最初の不退の位.である)初住の位に昇り、また(極果である)妙覚の仏となったのです」(御書1430㌻、通解)
 一人が成仏すれば、皆を成仏させることができる。一人が幸福になれば、皆を幸福にしていくことができる。嵐の暗夜にあっても、一本の灯台が燦然と輝きわたっていれば、多くの船を安全に導いていけるようなものである。自身が根本である。
 仏意仏勅の学会は、究極の「幸福の安全地帯」である。この学会とともに自分自身が生きぬいていくならば、一家眷属も皆、必ず幸福へとリードしていくことができる。この大確信を忘れないでいただきたい。
9  ニュージーランドにも非暴力の闘争の歴史
 先日(七月二十九日)、ニュージーランドの国会議事堂で盛大に開幕式が行われた「ガンジー・キング・イケダ」展は、首都ウェリントンの近郊にある博物館に会場を移して好評を呼んでいる。さらにまた同展は、オークランド郊外の非核都市ワイタケレ市でも同時開催され、大きな反響を広げている。関係者の方々のご尽力に、心より感謝申し上げたい。
 今回のオープニングには、ニュージーランドの先住民である、マオリの代表も参加してくださった。SGIの代表団は、このマオリの方々が住むパリハカ村を訪問した。
 そのさい、私どもの平和への貢献と非暴力の思想を高く評価して、同村の「ポウナム・タオンガ(偉大な宝石)と呼ばれる貴重な石(グリーンストーン)の首飾りと、非暴力と平和の象徴である「白い羽」などを贈っていただいた。まことに感謝にたえない。
 パリハカ村の人々は、植民地支配下での迫害と抑圧に屈することなく、非暴力の闘争を貫き通した。真の勇者の方々である。
 その指導者の一人として名高いトフ・カカヒは、闘争のなかで訴えた。
 「ここマラエ(集会所)に集いし友よ、聞き給え!
 この地に平和を築くため、人々に平和をもたらすために、私は長い間、闘い続けてきた。
 この時代の人々を導く声として、私の声と不屈の心を捧げ尽くす……
 あなた方の声は、この時代のいかなる巨大な力によっても、抑圧することはできない。
 あなた方の口は、いかなる権力や力によっても閉ざすことはできない。
 いな、世界中のいかに巨大な権力や力をもってしても、あなた方の声をかき消すことはできないのだ。
 あなた方は、善によって悪を乗り越える力を、人々に与えることができるのだ」(Parihaka : The Art of Passive Resistance, City Gallary Wellington/Parihaka Pa Trustees/Victoria University Press)
 すばらしい信念の獅子吼である。この非暴力の言論闘争で、わが学会は勝利してきた。だからこそ、パリハカ村の方々は学会に、絶大な信頼を寄せてくださっている。世界の良識と信念の指導者が、学会を信頼し、支持し、擁護している。
 声は力である。信越の同志は先陣を切って、勇敢なる言論闘争で、三類の強敵と戦い勝ってこられた。その栄光の歴史は不朽である。(拍手)
10  大聖人は、信越にゆかりがあり、名医の誉れが高かった四条金吾へのお手紙に記されている。
 「(日蓮は、法華経を見てからは)鎌倉殿の御勘気を二度(伊豆流罪と佐渡流罪)もこうむり、すでに頸の座にすえられたけれども、いまだに恐れることなく法華経を弘め続けているので、今は日本国の人々も、『道理かもしれない』と言うこともあるであろう」(御書1138㌻、通解)
 命におよぶ大難も恐れない。その大聖人のお振る舞いこそが、人々に動執生疑を起こさせ、正しい道理に目覚めさせていったのである。学会は、この大聖人に直結する勇気で戦い、そして勝ってきた。わが信越青年部は、学会精神を炎と燃え上がらせて、さらに偉大なる破邪顕正の勝利の歴史を打ち立てていただきたい。
11  人のため、法のため、平和のために
 戸田先生に、ある青年部の幹部が聞いたことがある。
 「故郷に錦を飾るとは、どういうことでしょうか」
 彼は社会的な名声が欲しかったのである。戸田先生は、その卑しい虚栄の心を見ぬいて厳しく叱られた。いくらお金をもうけても、社会的な名声を得ても、民衆を犠牲にする人間は、悪党である。
 戸田先生は折にふれて言われた。
 「創価学会の幹部といえば、世界一の名誉だ。世界一の宝だ。学会は広宣流布を成し遂げる平和の団体である。その誇りをもって、故郷に帰ればいいのだ」
 「学会の幹部として戦う。人のため、法のため、平和のために働いている。これほど尊いことはないじゃないか。仏法即社会であり、いちばん尊い社会的地位だ。それを卑下するような人間は、私の弟子ではない」
 長身の先生が発する声は雷鳴のようだった。眼光も鋭い。邪悪を見ぬく直感は天才的だった。
 学会の役職には永遠の功徳が光る。尊き同志の頭上に「幸福の宝冠」が輝きわたることは、御聖訓に照らして、絶対に間違いない。
12  一流になるには責任・雄弁・友情
 二十一世紀を勝ちぬく力――それは「人材」である。
 人間教育を担う中国・華南師範大学の顔沢賢がんたくけん学長との語らいは忘れられない。(=二〇〇〇年八月、
 名誉会長への華南師範大学「名誉教授」称号授与のため来日)
 顔学長は、孔子の随一の弟子である顔回の末裔とされ、科学技術哲学を専門とする大学者である。
 かつて顔学長は、学生たちに、「わが大学の精神は、『行うこと』です。『口で言うこと』ではありません」と語り、″行動″の大切さを訴えた。さらに、これからの青年が磨いていくべき力として、次のような点を挙げておられた。
 「天下のことを、みずからの任務とする歴史的責任感」
 「遠くを見すえ、目先のことにとらわれない自己認識能力」
 「困難を見すえて前進しゆく、不撓不屈の精神」
 「みずからの意思を雄弁に、堂々と主張できる表現力」
 「目と耳をあらゆるところに注意深く向ける情報収集能力」
 「良き友を選び、広く交流を結ぶ友誼のネットワーク」
 これらは、すべて、私たちが日々の学会活動のなかで、磨き鍛えていることに通ずる。二十一世紀の最先端の人材のネットワークを、学会は追求し、拡大しているのである。
 とくに、長野は「創価信濃大学校」、新潟は「源流大学校」を機軸としながら、新しい人材を、たゆみなく育成してこられた。どうか「信越を見よ」「信越に続け」と、世界の模範と光る「人材の山脈」「人材の大河」を築き上げていただきたい。
13  決意の「心」で一切が決まる
 「心こそ大切なれ」――ここに、人生の要諦がある。
 この「心」の中に、社会も、世界も、宇宙も、すべて収まっている。今、抱いている決意の「心」で、一切が決まる。
 仏法は「一念三千」を説く。妙法を信じぬく一念は、自身も、周囲も、世界をも、より良く変革していける。その力を秘めている。
 人生は戦い、社会も戦い――それが現実だ。断じて勝たねばならない。
 怖いのは、「自分をよく見せたい」「自分はこんなにやったんだ」という気取りの心だ。
 それでは勝てない。功徳も出ない。紙一重だが、空転になってしまう。
 本来、倒すか、倒されるかという熾烈な闘争のなかで、よけいなことなど考えられないはずだ。
 大事なのは、「断じて勝つ」という一念だ。戦う心が燃えているかだ。この一点を、わが身に深く刻んで、祈りぬく時、すべての行動が生きる。永遠の勝利の軌道を進んでいけるのである。
 四条金吾への御聖訓には仰せである。
 「天台大師の『摩訶止観』の第八、ならびに妙楽大師の『弘決』の第八に、『必ず心が堅固であることによって、神の守護が強い』とあります。神が守るといっても、それは、人の心が強いことによると思われます。法華経は、良い剣ですが、使う人によって、切れ味が違ってくるのです」(御書1186㌻、通解)
 さらに、こうも仰せである。有名な御文である。
 「なにの兵法より
 強い信心で、正義の言論の宝剣で、痛烈に邪悪を叩き斬ることだ。勇気凛々と勝ち進んでいくことだ。これが、弟子一同に対する大聖人の厳命であるからだ。
14  終わりに、オーストリアの作家ツヴァイクの言葉にふれたい。
 「勇ましく限界を越えてゆく人たちがいなかったとしたら、人類はみずからのなかに囚われ、人類の発展は堂々めぐりにすぎなくなるであろう。
 人類のためにいわば一歩前へ踏み出してゆくこのような偉大な使者がいなかったとしたら、どの世代の人々も自分たちのとる道を見つけることはできないだろう」(「ドストエフスキー」神品芳夫訳、『三人の巨匠』〈『ツヴァイク全集』8所収〉、みすず書房)
 勇ましく限界を越えていく人――その人が歴史を開く。
 人類の平和と正義を実現する広宣流布の使者として、勇敢なる一歩、希望の一歩、勝利の一歩を踏みだすことを決意しあって、記念のスピーチを結びたい。
 (長野研修道場)

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