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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(7) 世界は「人間主義の勝利」を待つ

2003.8.6 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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2  さらにアメリカ実践哲学協会会長であるルー・マリノフ博士の近著『大いなる問い――哲学は、いかに人生を変えうるか』では、日蓮大聖人の仏法が取り上げられている。(=邦題『元気哲学』吉田利子訳〈角川書店〉として出版。人類史を代表する哲学者のなかに、日蓮大聖人と池田名誉会長を挙げている)
 博士は「現実に生きる哲学」を志向する。これまで出した著作は全米でベストセラーとなり、七十五カ国で出版されている。『大いなる問い』では、大聖人は「腐敗した既成仏教の改革に挑んだ」「仏教の精髄を再興し、民衆に開かれた力強い題目を生み出した」と解説されている。
 (=さらに「解放」の哲学の象徴として名誉会長の次の言葉にふれている。
 「生命は、じつに測りがたい可能性を秘めている……多くの場合、私たちが限界を感じるのは、自分自身を限りある存在として規定してしまうからにほかならない」〔前掲『元気哲学』〕)
 創価の人間主義を真摯に探究したいという熱意が高まっている。なかでも中国では、名門大学において本格的な研究が開始された。
 皆さまの日々の地道な行動が、人類の思想を大きく動かし、希望の歴史をつくっている。その誇りと確信を胸に、前進していただきたい。
3  女性が輝く新世紀へ、連帯を広げよ
 世界は「人間主義の勝利」を待っている。「女性が輝く新世紀」を見つめている。
 それを実現する原動力は何か?
 「連帯の意識」の大切さを訴えるのは、ケニアの女性作家、ムトニ・リキマニさん。
 民衆の一人一人が、それぞれの場で、自分でも信じられないような勇気を出せたのは、連帯の意識のおかげでした――そう自由への闘争を振り返っている。(=ムトニ・リキマニさんが独立闘争の歩みをつづった『ケニアの女の物語』が名誉会長に贈呈されている)
 そして「あきらめないこと」である。アメリカの女性作家、パール・バックは、「諦めとは停滞であり、死を意味します」「すべての活動になくてはならないのは、希望なのです!」(『母よ嘆くなかれ』伊藤隆二訳、法政大学出版局)と述べている。たとえ一歩でも、一ミリでも、きょうも前へ進むことだ。
 フランスの作家、スタール夫人は言った。
 「発展するため、完璧になるため、高貴な目的に惜しげもなく使われるためにこそ、魂は私たちに与えられている」(『ドイツ論』3,エレーヌ・ド・クロート、梶谷温子、中村加津、大竹仁子訳、島影社)
 自分を最高に暉かせるために、私たちは生まれてきたのだ。「向上心を失うことは″魂の死″を意味します」とは、オーストリアの元文部次官、サイフェルト女史の信念であった。
4  勝利のために最高の知恵を
 大阪に有名な「千早城」がある。私も、かつて、この地を訪れた。和歌山、奈良との県境知覚に楠木正成が築いた山城である。(=一九五七年〈昭和三十二年〉四月十三日。「大阪事件」の年。名誉会長は激闘の合間をぬって千早城址を訪れ、同行の友に正成を通してリーダー論を語った)
 時は一三三三年。押し密せる敵の大軍勢。対する楠木軍は小勢。名将・正成は、あらゆる知恵を絞った。夜の闇にまぎれて奇襲。藁人形で敵を攪乱。城から大石などを突き落として大軍を撃退。見事、攻防戦を耐えきった――そういう話が『太平記』などに伝えられている。
 もちろん、人数も多くて、すべて計画どおり、連携も密であれば、勝利しやすいであろう。
 だが、状況が厳しければ勝てないのか? そうではない。戦いに勝つのに必要なのは、格好ではない。
 どうするか。最高の知恵を出すことだ。祈りから知恵は生まれる。知恵から勝利が生まれる。日の当たらないところまで光を当てて、あらゆる人を味方にしながら、新しい道を切り開く。そうやって勝利してきたのが、学会の歴史である。
5  まずリーダーが、笑顔で皆を励ますことだ。いつも勇気を与えることだ。
 つんとして、ただ口先だけで、威張りくさった格好ではいけない。ありのままの人間性を輝かせていくのだ。
 日蓮大聖人の仏法は「無作三身の仏」を説く。「御義口伝」には「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」と仰せである。
 信心の人知れぬ懸命な労苦の果てに輝く″人間性の力″″人間性の光″――これが最高の力である。
 自分に負けてはいけない。自分に勝つことだ。もう一回、自分自身が原点に返って、新しい挑戦を始めることだ。
6  傲慢な権力にも断じて屈しない。これが信仰の魂である。
 有名な御聖訓には、こう教えられている。
 「大身の人(身分や地位などの高い人)から、(圧迫を加えようとして)言いだしてきたことに対しては、『ああ、法華経の良い敵よ! 三千年に一度咲く優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的にめぐりあえる浮木(のように、会いがたい敵)である』と、お考えになって、強くご返事をなされるがよい」(御書1540㌻、通解)
 信心している人間が、なぜ妬まれるのか? 必ず成仏するからだ――そう大聖人は仰せである。
 「法華経を持つ者は必ず仏になる。ゆえに、第六天の魔王という三界の主が、法華経を持つ人を強く嫉むのである。この魔王は、あたかも疫病の神が、だれの目にも見えずに人に取りつくように、古酒に人が酔い入ってしまうように、国主・父母・妻子に取りついて、法華経の行者を嫉むと経文に見える」(御書925㌻、通解)
 難を乗り越えてこそ、宿業も転換でき、仏になれる。御書にはこうある。
 「『鉄』は炎で熱して打てば『剣』となる。賢人、聖人は罵詈して試みるものである」(御書958㌻、通解)
 また、「三類の強敵を顕さなければ、法華経の行者ではない。三類の強敵を顕すのが、法華経の行者である」(御書441㌻、通解)――この大聖人の仰せのままに、三代の会長をはじめ創価学会は、広布へ戦い、三類の強敵を出現させたのである。
7  戸田先生「青年の成長が私の喜び」
 戸田先生は「何がいちばんうれしいですか?」と聞かれて、こう答えられた。
 「広宣流布のために戦っていく弟子たちが、どんどん成長することだ。青年と会うことが、語ることが、最高の喜びである」。私もまた同じ気持ちである。
 ブルガリアの芸術史家、ジュロヴァ博士は、私との対談集(『美しき獅子の魂』。本全集第109巻収録)の中で語っておられた。
 「師匠を持つ人は幸福であり、自分は彼の弟子だと言える人はもっと幸福です。しかし、もっとも幸福なことは、師匠から弟子と呼ばれることです」
 そのとおりだと思う。
 未来に伸びゆく青年のために、恩師戸田先生の指導者論を残しておきたい。
 先生は言われた。
 「形式的な表面的な弱々しい姿で臨んでいるだけでは、どうして人がついてくるか」
 「いったん決めたことを実行できないような意気地なしではいけない」
 「指導が、あまりに枝葉にわたりすぎてはいけない。指導というのは、信心がどれだけできるか、いかなる難事にぶつかっても、日蓮大聖人の教えと取り組んで、そしてその難を乗りきる。そういう指導が、本当の指導です」
 また「会員を、本当に大事にしないようでは、指導者の資格はない」と厳しかった。
 さらに、戸田先生は、「青年は、何かで第一人者になろうというだけの執念をもつことだ」と、よく言われていた。
 信心即生活であり、信心即社会である。
 「観念は宗教ではない。真の宗教は生活であり、生活上の証拠が必要である。折伏し、勤行するのは、生活が良くなる手段である」とも教えてくださった。
 戸田先生は人間学の天才であった。社会に広く信頼を勝ち得る外交戦について、先生は、こう語られた。
 「外交というものは、自分の一生の地盤にすることだ。品物ではなく、一人間を売ることだ」
 自分らしく、誠実に、人間王者の誇りを胸に、信念を語ることだ。
8  ギリシャの哲学者、プラトンの対話篇に、こういう言葉があった。
 「ひとは、とくにほかならぬ真理について話そうとするとき、真実ありのままを語る勇気をもたなければならない」(『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫)
 ありのままに真実を語る。それがいちばん強い。たとえ時間はかかっても、必ず相手に通じていく。
 プラトンは、こうもつづっている。
 「正しい意味で雄弁家になろうとするものは正しい人であり、正しいことを知っていなければならない」(『ゴルギアース』、『プラトーン全集』〈岡田正三訳〉所収、全国書房)
 私たちは、正しい人生の道を知っている。正しい社会の軌道を進んでいる。それを堂々と語りぬきたい。
 (長野研修道場)

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