Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(5) わが人生の主人公 それは私自身

2003.8.5 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  「私は勝った!」と言える人生を
 毎日、広宣流布のための協議、ご苦労さまです。
 大事な協議会だから、きょうも少々、スピーチをさせていただきたい。
 わが恩師戸田先生の薫陶の一切を皆さんに残しておきたい。友の心の中に「勝利のリズム」をつくっていきたいのだ。
 初めに、いくつか、世界の女性リーダーの箴言を紹介したい。
 「最も恐るべき敵は、過酷な境遇などではない。私たち自身の揺れ動く心です」(My Future As I See It アメリカ盲人協会のホームページから)
 三重苦と闘った、アメリカの社会福祉事業家ヘレン・ケラー(一八八〇年〜一九六八年)の言葉である。
 最も恐ろしい敵は不遇ではない。運が良いとか悪いとか、そんなもので人生は決まらない。
 わが人生を決するのは自分自身である。私自身が、わが人生の劇の主人公なのである。
 さらに彼女は、「人間を変えるものは環境ではなく、人間自身の内なる力なのです」(『ヘレン・ケラー光の中へ』島田恵訳、めるくまーる)と語っている。
 私たちの「人間革命」の思想と響きあう。大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。だれになんと言われようが、「私はやりきった!」「私は勝った!」と言いきれる人生を送った人が勝者である。
 さらにヘレン・ケラーは言う。
 「他人のために尽そうとか、社会に新生命を打ち建てようという、私欲を離れた目的から永続的な確実な歓喜が生れるものであります」(『私の宗教』岩橋武夫・島史也訳、『ヘレン・ケラー全集』三省堂)
 私たちの前進は、社会の善のためである。友の希望のためである。自身の使命のためである。歓喜と充実の人生とならないはずはない。
2  貴女こそ″ミセス輝き″
 アメリカの環境運動の先駆の女性レイチェル・カーソン(一九〇七年〜六四年)。同じアメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士と対談したさいにも、彼女のことが話題になった。
 レイチェル・カーソンは言う。
 「人間は、より高い可能性を求めて進んでいかないなら、人生になんの意味があるだろうか?」(リンダ・リア『レイチェル』上遠恵子訳、東京書籍)
 そのとおりである。
 「さあ、きょうも頑張ろう!」「あの人に会おう!」「この人と語ろう!」――いくつになっても、前向きな青年の心で、生き生きと毎日を出発したい。それが本因妙の仏法の生き方である。
 広宣流布に戦う人は、どこか光っている。生命が躍動している。
 ″ミセス輝き″――ある人が学会の婦人部の皆さんを、こう言って讃えていた。日蓮大聖人の仏法の実践は、わが生命を最高に美しく、最高に清らかに磨き上げていくのである。
3  アメリカの大統領夫人であったエレノア・ルーズベルト(一八八四年〜一九六二年)を、ご存じであろうか。
 彼女は、現在、私が対談を続けているアメリカの経済学者ガルブレイス博士(=二〇〇六年四月逝去)とも交友を結んでおられた。
 突然の病で両足がまひした夫のフランクリン・ルーズベルト大統領を支えながら、人権の向上などに尽力した世界的な平和活動家である。
 彼女は言う。
 「完全に向ってできるだけの努力をすることは、人を大きく成長させてくれる」(『生きる姿勢について』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房)
 とくに婦人部の皆さま方は、ご主人を支え、お子さんを育て、一家を厳然と守りながら、広宣流布に奔走してくださっている。
 その一歩一歩の尊き努力が、わが境涯を限りなく開いていくのである。
4  婦人部、女子部の勇気あふれる前進
 十八世紀から十九世紀にかけて活躍したフランスの作家スタール夫人(一七六八年〜一八一七年)は、当時の独裁権力にまっこうから立ち向かった女性であった。
 彼女の自由闊達な筆は、社会と人間にひそむ悪を鋭く描きだす。
 「虚栄からは、思い上がりや醜悪さといった別の悪しか出てこないだろう」(『ドイツ論』3、エレーヌ・ド・グロート、梶谷温子・中村加津・大竹仁子訳、島影社)
 さらに言う。
 「打算が主人になると、人間には偉大なところも高貴なところもなくなる」(同前)
 まさに、哀れに滅びゆく日顕宗の姿そのものである。この日顕一派をはじめ、正義の学会を迫害してきた陰険な人間たちが今、ことごとく衰退の一途をたどっていることは、皆さんもご存じのとおりである。
 一方、わが創価学会は、すべてに勝利し、「仏法と申すは勝負をさきとし」の御聖訓を厳然と証明している。
 これもまた、雨の日も、風の日も、ただ広宣流布のために戦ってくださっている婦人部、女子部の皆さま方の力である。信心強き、皆さま方の執念の祈りによって、学会は勝った。
 スタール夫人は言う。
 「どんな場合にも揺るがない勇気を鼓舞できるのは、宗教に基盤を持つ哲学であろう」(前掲『ドイツ論』3)
 婦人部、女子部の皆さんの勇気あふれる前進を、私は心から讃嘆し、また感謝申し上げたい。
5  「一人の人間」として時代を開く
 ゴルバチョフ元ソ連大統領の夫人であるライサさんは、私も、妻とともに、何度も出会いを重ねてきた、忘れ得ぬ方である。一九九九年に逝去されたが、ライサ夫人の聡明な笑顔は、今も鮮やかに、心に蘇ってくる。
 九七年の十一月には、大阪の関西創価学園に、ご夫妻をお迎えした。学園生の盛大な歓迎を、心から喜んでくださった。帰国後も、その光景を何度も思い出しては、懐かしく語りあわれたそうだ。
 青春の輝きに包まれた″万葉の秋″の一日――それが、ライサ夫人との最後の出会いとなってしまった。
 ライサ夫人は、創価学会の運動に深い理解と共感を寄せてくださった。ある時は、こう語っておられた。
 「創価学会の偉大さをあらためて実感しました。皆さん、すばらしい方々でした。生き生きとしていました。学会の皆さんは、自分たちの運動に誇りをもっておられました」
 また京都で、学会のメンバーの車で移動された時のことである。ドライバーの方は、大会社の社長さんで、無報酬で役員についてくださっていた。そのことを聞いたライサ夫人は、心からの感謝をこめて、こう語っておられたという。
 「立場や地位に関係なく、一人の人間として、社会に尽くしていく、その姿がすばらしい。こういう精神を、ロシアも見習わなければいけません」
 「一人の人間として」――ライサさんの眼差しは、つねにその一点から発し、その一点へ向かってそそがれた。
 激変のロシア。憎悪と破壊へと走る人々。ライサさんは、その光景に胸を痛めながら、「一人の人間として」声をあげる。
 「前進するには破壊が必要なのでしょうか? それは良識に反します! 建設的であることでしか人間は幸せになれない、と私は確信します」(『ゴルバチョフとともに』山口瑞彦訳、読売新聞社)
 そして、女性が「一人の人間として」輝く時代を開こうと、ライサさんは走りに走った。
 ある対話集会では「女性と平和は切り離すことはできません。女性の性分そのものが、社会に平和と協調をもたらすようにできているのです」と。
6  ご夫妻が全精魂をそそいで前進させてきたペレストロイカ(改革、再建)。しかし、その大切な記録を、この世から葬り去ろうという策謀もあった。それなら「ペレストロイカ図書館」をつくって、真実の歴史を守ってみせる!――ご夫妻は応戦した。
 その心境を、ライサ夫人は、関西創価学園で語ってくださった。
 「かつて私は『事実と歴史は不変のもので、反ばくすることはできない』と思っていました。
 しかし現実は、歴史家が見たいと思う歴史だけが書かれ、事実もゆがめられることがわかりました。だからこそ、『本当のこと』を伝える文章を後世に残すことが大事だと思っています」(「聖教新聞」一九九七年十一月二十一日付)
 戦かいである。戦わなければ、真実の歴史は歪められてしまう。とりかえしのつかないことになってしまう。広宣流布の戦いも、そうだ。負ければ、人類の幸福と平和の道が、永久に開ざされてしまう。ゆえに、断じて負けてはならない。起こした戦は絶対に勝たねばならない。
 人類の未来のために、「正義の言葉」の弾丸を撃って撃って、撃ちまくれ!――と、私は強く申し上げたい。
7  後継の人材を育てよ
 ″中国革命の父″孫文先生――。夫人の宋慶齢そうけいれい女史もまた、革命の闘士であった。
 「次の世代の教育は、われわれ全人民の責任です」(『宋慶齢選集』仁木ふみ子訳、ドスメ出版)。宋女史は訴えた。
 「われわれの次の世代を偉大な事業の後継者にするために(中略)われわれがかれらに残すは、物質的財産のみでなく、もっとも大切なのは、われわれの伝統的な革命精神です」(同前)
 わが家、わが地域で、広宣流布の後継者を、どう育てるか。これほど尊く困難な戦いはないであろう。大事なのは、宋女史が言われたように、育てる側の「責任感」である。
 責任感は祈りとなる。行動となる。それがさらに責任感を深めていく。
 人材が集まるように! 大きく育っていくように!――と、懸命に祈ることだ。そこから一切は開けていく。
 一方、青年に対して、宋女史は、呼びかけた。
 「あなた方は、人民の中に学びに行かなければなりません」
 「あなた方は人民とともに前進しなければなりません」(同前)
 それは、なぜか。青年時代は「自己の本質」――つまり″自分とは何か″″どう生きるべきか″を探求する時代と言えよう。その答えは、人民のなかにある、人民と歩調を合わせて進むなかにあると教えているのである。
 そして宋さんは、アジアの女性に呼びかけた。
 「われわれの眼前にある厳然たる事実は、人民が究極的には勝利するということです」
 「勇気を出しましょう! いっそう警戒し、いっそう努力してたたかいましょう!」(同前)
8  無事故で、会合は時間厳守
 時代は「乱世」である。凶悪な事件も増えている。私は皆さんに、断じて無事故であっていただきたい。幸福になっていただきたい。それが私の心からの祈りである。
 これまでも折あるごとに申し上げてきたが、会合の終了時間は厳守していただきたい。会合終了後も、打ち合わせなどで遅くなってはいけない。
 とくに女子部は十分すぎるほど注意すべきである。夜は、一人で歩かない。必ず二人、三人連れだって帰宅する。万が一、遅くなる時は必ず家に一報する。しっかりと幹部の人が気を配って、無事故を徹底していただきたい。
 そういう細かいところまで配慮ができるのが信心のリーダーである。
9  親に笑顔を
 大聖人は、青年門下の南条時光に対して、親孝行の大切さを示しておられる。
 すなわち賢人とされた人々が説いていた「四徳」を、次のように紹介されているのである。
 「第一に父母に孝行であれということは、たとえ親がものの道理をわきまえていなくても、また、ひどいことを言うことがあっても、少しも腹を立てたり、気分を悪くした顔を見せることもなく、親の言うことに一分も逆らわないことです」(御書1527㌻、通解)
 親御さんから、口うるさく言われても、ともかく、まず、「はい」と返事をする。話を聞く。それだけでも、親は安心するものだ。子どものことを心配していない親はいないのだから。
 もちろん、現実には、さまざまな場合があろう。大事なことは、争いがないように、聡明に生きることだ。
 さらに大聖人は、こう記しておられる。
 「親に良いものを与えようと思いながら、何もできない時には、一日に二、三度は、笑顔を見せて、親に向かってあげなさい、ということです」(同㌻、通解)
 親に贈るものが何もなければ、せめて、一日に二、三度、笑顔を投げかけてあげなさい――心に染みいる指針である。
 「お父さん、近ごろ体は大丈夫?」「お母さん、いつもご苦労さま!」――こうニコッと笑って語りかける。それだけでも親は涙が出るほどうれしいものだ。
 根本は、相手を思う心である。それが慈悲である。その慈悲から、無限の知恵が出る。希望が生まれる。
 一家の問題だけではない。地域の友好も、大きくは、国と国との関係も、相手を思う心が根底にあってこそ、本当の信頼が結ばれる。
 この仏法の根幹である″慈悲の精神″を、わが地域に、社会に、そして世界に、大きく広げているのが、私たちの広宣流布の運動なのである。
 (長野研修道場)

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