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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(4) 「言論は邪悪に勝つ」

2003.8.4 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  友を鼓舞する雄弁の人に
 賢者の言葉には、不滅の光がある。
 「家に書物なきは、人に魂なきがごとし」
 これは、私が青春時代から大切にしてきた信条であった。
 古代ローマの哲人キケロの箴言と伝えられている。
 「国父」とも讃えられたキケロ(紀元前一〇六年〜同四三年)は、ローマ最大の雄弁家。また政治家、弁護士であった。
 雄弁といえば、″ディベート甲子園″(全国中学・高校ディベート選手権。二〇〇三年八月四日)で、創価高校の創価雄弁会が全国優勝を果たした。二年連続、三度目の大栄冠である。創価中学の創価雄弁会も見事、全国第三位を勝ち取った。創立者として本当にうれしい。
 キケロは、混乱の時代、「哲学」と「言論」をもって、邪悪な権力を糾弾し、迫害された人々を救った。格調高い、数々の名演説を残している。
 著作も多数におよぶ。テーマは幅広く、文章は力強い。『国家論』『義務について』『善と悪の究極について』などである。ラテン語の散文の「最高の模範」とされ、ヨーロッパの文化の発展に多大な影響を与えた。
2  波瀾の時代に希望を贈る哲学の言論。それが学会の伝統である。
 皆さまも、「あの人の話を、もう一度、聞きたい」「あの座談会が忘れられない」と言われるような、友の心を鼓舞する″雄弁の人″であってもらいたい。
 大事なのは、格好ではない。誠実である。勇気である。
 「本当にありがとうございます」「どうかご主人にくれぐれもよろしくお伝えください」――真心こもる一言が、どれだけ大きな力となり、波動となることか。
 友の心に染みいるような温かさ。また、動執生疑を起こさせるくらいの力強い確信。さらには、邪悪を打ち破る、切れ味の鋭い正義の論陣。それらが光る言論の王者であっていただきたい。
3  正義の言論で悪人を糾弾せよ
 人間の社会には、嫉妬もある。エゴや策謀が渦巻いている。
 荒海のごとき社会に漕ぎだす前に、青年よ努力だ。大目的に進め!――キケロは呼びかける。
 「青年の年頃に至るや直ちに大きい目標を前途に置いて、ひたすらそれを目指して熱心に努めなくてはならない」(『義務について』泉井久之助、岩波文庫)
 戸田先生が、「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちようどよいのだ」とよく語っておられたことを思い出す。
 キケロの青春時代のことである。まったく無実の一人の市民が、悪党の不当な訴えによって、冤罪におとしいれられ、悲惨な境遇に突き落とされてしまった。
 この事件を目のあたりにしたことが、「正義の言論」の力を鍛える原点となったと言われる。
 この後、キケロは、ウソの告発を受けた、別の人間の弁護に立ち、大胆にも独裁権力を公然と非難した。″言論を武器として、横暴な邪悪の輩にも、打ち勝つことができる″という確信を、彼はつかんでいったのである。
4  キケロは嘆いた。
 「美点を妬み、人の偉大さが絶頂にある時にそれを打ち砕きたいと思うのが、私たちの時代の汚点でもあり、欠陥でもある」(「バルブス弁護」宮城徳也訳、『キケロー選集』2所収、岩波文庫)
 山の頂に登れば烈風が吹きつける。偉大だから迫害される。
 しかし、悪意の攻撃を放置してはならない。
 「私の弁論の目的は、これほど明白なことをあなた方(=審判人)に証明することではなく、悪意があり、不公正で、妬み深い全ての人々の意図を粉砕することなのだ」(同前)
 言論で正義の勝利を! それが生涯にわたるキケロの信念であった。
 彼は述べている。
 「悪人どもの大胆不敵な行動を糾弾しよう」(「書簡」191、高橋英海訳、同選集14所収)
 「万策を講じて育み護持すべきは正義である」(「義務について」高橋宏幸訳、同選集9所収)
 「できるのに不正に対する防御も抵抗もしない人は、いわば、親や友人や祖国を見捨てるのと同様の過ちを犯している」(同前)
 邪悪には断固、言い返せ!――彼は訴えた。
 防御もしない。抵抗もしない。みすみす、皆を苦しめる。それを″人がいい″とは言わない。
 愚者というのだ。ひとたび正義が踏みにじられたならば、断じて反論すべきである。
5  キケロの名声を妬む敵は多かった。しかし真の友人もいた。
 友情について、キケロはつづっている。
 「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ」(「ラエリウス・友情について」中務哲郎訳、同前)
 「真の友人とは、第二の自己のようなものである」(同前)
 信じあえる友人。同じ理想へ進む友人。それは力である。希望である。自分自身が豊かになる。
6  われ、師の真実を叫ばん
 キケロの生涯で、ひときわ名高い、不滅の演説の一つ。それは、冤罪を押しつけられた恩師の真実を証明する獅子吼であった。
 不当な告発を受け、ローマ追放の危機にあった恩師。その背景には、権力者らの陰謀があったと思われる。
 若き日、キケロは恩師から文学の手ほどきを受けた。
 法廷に立った彼は、冒頭、堂々と宣言する。
 ――もし、私に力と才能があるとすれば、そのすべては、この方のおかげである。私は、この方を守るために、すべての力を使う。それが、私の使命である――と。
 キケロは演説の中で、恩師を「最高の詩人」と宣揚した。師の名は、その演説とともに、歴史に燦然と輝いてている。(「アルキアース弁護」谷栄郎訳、同選集2所収、参照)
7  永遠に崩れぬ妙法の国を
 かつて私は、古代ローマの遺跡を訪れた。(一九六一年〈昭和三十六年〉十月。当時、三十二歳)
 キケロが活躍した舞台である「フォロ・ロマーノ(古代ローマの中心地)」を視察した。
 私は一首の和歌を詠んだ。
  ローマの
   廃墟に立ちて
     吾思う
   妙法の国
     とわにくずれじ
8  一つの国や団体が敗北し、滅亡する。その原因は複雑である。リーダーという一点も大きい。
 たとえば、苦労知らずで、人の心がわからない。要領に走る。自分中心で、いい格好をして、いくら動いても空転ばかり。一生懸命、戦う人を応援しない、励まさない。皆の生活や状況を知らない。いいかげんな人間を重用する――。
 そういうリーダーに対して、戸田先生は非常に厳しかった。
 同志が皆、勝利の喜びをつかみ、勇気凛々と、元気に前進していけるよう、リーダーは祈りに祈り、あらゆる手を尽くして、全身全霊で道を切り開かねばならない。勝負というものは激しく、厳しい。それを勝ちぬく真剣な一念が、リーダーにあるかどうかだ。徹して、やりぬく以外にない。
 とくに青年部は、そのことを、実戦のなかで、わが身に刻みつけてもらいたい。
 今、イタリアSGIも大発展し、喜びに満ちて、平和と文化の行進をしている。メンバーは信頼と友情を社会に広げている。
 創価の人間主義を支持して、イタリアの天地に「牧口通り」が一つ、「牧口公園・広場」が二つ、誕生している。これほどうれしいことはない。
 (「牧口通り」は、ベルージャ県の「牧口常三郎通り」、「牧口公園・広場」は、フィレンツェ郊外の「牧口常三郎平和公園」、ステア市の「牧口常三郎平和広場」)
 世界最古の風格が薫るボローニャ大学に招かれて、記念の講演をしたことも懐かしい。
 (=一九九四年六月一日、「レオナルドの眼と人類の議会―国連の未来についての考察」〈本全集第2巻収録〉と題して記念講演を行った名誉会長に、ポローニャ大学から「博士」の証である「ドクター・リング」が授与された)
9  キケロは、ローマのリーダーたちに呼びかけた。
 「わたしは固く信じている。諸君とローマの騎士たちとの結合と、あらゆる良識ある人々の固い団結を砕いて壊せるほどの大きな力は、どこにもありえないであろう」(「カティリーナ弾劾」小川正広訳、同選集3所収)
 彼の名は、巨大な峰のごとく、歴史にそびえ立っている。
 われらもまた、妙法流布の永遠の歴史に誉れの名を残したい。
10  人間主義の味方をつくれ
 さまざまな事業の目的は、ある面から言えば、富を増やすことだ。国の目的は、繁栄・発展と言えよう。
 創価学会の目的は何か。広宣流布であり、世界平和である。「地涌の菩薩を増やすこと」。これが日蓮大聖人の御遺命である。
 ゆえに、広布の人こそ最高に尊い。折伏精神が根本なのである。
 一人の友を救う。一人の味方をつくる。これが何より大事だ。その福運は無量である。それが学会の底力となる。
 世界は人間主義を待っている。仲間が増えるのは楽しいことである。新しい多くの友と手をたずさえて、幸福の大道を進んでいきたい。
 真剣に祈り、励ましあいながら、朗らかに、愉快に、聡明に、創価のスクラムを強めてまいりたい。
 (長野研修道場)

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