Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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海外・九州・東北代表協議会 歩こう! そこに新しい人生の発見が

2003.7.26 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

前後
2  きょうは、日本は九州、東北から、世界はアメリカ、ヨーロッパ、アフリカから、代表の方々がお見えになっている。
 日蓮大聖人は、けなげな皆さま方を、どれほど深く讃えられることであろうか。
 流罪の地の佐渡まで、幼子を抱える身で、はるばる鎌倉から馳せ参じた尊き母に、大聖人は、こう仰せであられる。
 「女性が仏法を求めて千里の路を踏み分けたことは、いまだかつて聞いたことがありません」(御書1216㌻、通解)
 「まさに知るべきである。釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行菩薩等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女性を、影が身に添うように守られるであろうことを。
 あなたは、日本第一の法華経の行者の女性である。ゆえに、名前を一つ、お付け申し上げて、不軽菩薩の義になぞらえよう。『日妙聖人』と」(御書1217㌻、通解)
 今、創価の婦人部、女子部の皆さま方もまた、広宣流布のために「千里の路」を踏み分けて歩みぬいておられる。
 なんと尊貴な、また、なんと光輝ある方々であろうか。
 皆さま方の行く所、向かう所、いずこであろうと、全宇宙の仏菩薩、無量無辺の諸天善神が、影の身に添うごとくお供して、必ず包み、必ず守る。これほどすばらしい旅路はない。
 全世界の平和を目的としゆく、世界第一の尊き創価の女性である。希望の大行進に、私たちは、心からの感謝と賞讃を捧げたい。
3  友情の地図を広げよ
 文豪トルストイも歩きに歩いた。青年とともに歩いた。歩きながら、多くの民衆と親交を結んだ。
 そして、出会った人々と率直に正義と真実を語りあい、さらにまた、親身になって健康と幸福ヘの具体的な助言を贈っていったのである。
 文豪は言う。
 「いかに私が年を重ね、人生がわかっていたとしても、歩くたびに、新しい人生の発見をする。それは、精神面や知識面など、全般にわたってである」
 私も、まったく同感である。
 きょうはヨーロッパの同志も来ておられるが、古代ローマの大哲人キケロは言っている。
 「運動すれば体は疲労で重くなるものだが、精神は活動によってかえって軽快になる」『老年の豊かさについて』八木誠一・八木綾子訳、法蔵館)と。
 たしかに、そのとおりである。
 御聖訓には、「一切衆生が法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見ぬいたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を歩いて南無妙法蓮華経を弘通している。これは釈尊と同様である」(御書816㌻、通解)と仰せである。
 釈尊、そして大聖人に続いて、広宣流布の一歩また一歩を踏みしめゆく、われらの誇りは、あまりにも高い。
 歩んだ分だけ、友情の地図が広がる。栄光の歴史が残る。無量の福運が積まれる。勝利の生命が鍛えられる。
 私は全国各地で活躍されている同志が、一人ももれなく、ご健康であれ! 無事故であれ! そして、大功徳に満ち満ちてあれ!――と心から祈っている。
4  ガンジー、キングの非暴力を継承
 尊き前進を続ける皆さま方に、世界のニュースを一つお伝えしたい。
 ニュージーランドから要請を受けて、今月の末から「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展が開催される。同国の国会の決議により、開幕式および記念展示会は、国会議事堂で盛大に行われる。(=二〇〇三年七月二十九日に開幕)
 この展示会は、二〇〇一年四月、キング博士の母校であるモアハウス大学で開催されたのが最初である。発案したのは、同大学・キング国際チャペルのカーター所長である。創価の非暴力の闘争、そして人間主義の哲学を深く理解し、世界に宣揚してくださっている。
 ニュージーランドの式典には、マハトマ・ガンジーの令孫であり、ガンジー非暴力研究所の所長であるアルン・ガンジー博士、そして、マーチン・ルーサー・キング博士の弟子であるカーター所長が出席される。
 (この展示にこめた思いを、カーター所長は語っている。
 「マハトマ・ガンジーとキング博士――この二人と同じ目的に向かって歩み続ける″生きた模範″が池田大作博士であると私は確信しました。ガンジーとキングの精神を現在と未来に生かしていくために″イケダ″の名を加えたいのです」
 またカーター所長は、創価大学での同展の開幕式〈二〇〇二年九月〉で、こう述べている。
 「ガンジー、キング、イケダ――この三人の人物は〈中略〉苦悩にあえぐ民衆を救うために妬みと称讃に囲まれた世界の舞台に飛び込み、生涯をかけて深く献身し、偉業を成し遂げるという共通の道を歩んだのです」〔「聖教新聞」二〇〇二年九月十三日付〕)
 この二年間で、アメリカ各州、カナダ、アジア、オーストラリアなどで開催されてきた。また同趣旨の展示が、ヨ‐ロッパや南米でも巡回されている。
 (アメリカでは、名門プリンストン大学やカリフォルニア大学バークレー校、インドではガンジー記念館などで行われている)
 今回のニュージーランド展の開幕式には、私の名代として、長男の博正(SGI〈創価学会インターナショナル〉副会長)が出席することが、本部で決定された。
 ニュージーランドでは、人権擁護の先頭に立つ、先住民のマオリの方も、次のように期待を寄せてくださっている。
 「SGIを、わが国に迎えてから、社会が良い方向に変わっていくのを感じます。今回の展示も大歓迎です」
 今後、さらに各国、各都市を巡回していく予定と、うかがっている。
 こうした展示会もまた、全国の同志の皆さま、そして全世界のSGIの皆さまの地道な人間主義の行動に対する、世界からの大きな信頼の表れにほかならない。世界の心ある方々は、正しく真実を見てくださっている。
 それに対して、「日本の国は、なんと卑しい嫉妬の国か」と、ある著名な海外の博士が言われていたことが忘れられない。
5  ベートーヴェン″なすべきことをすぐになせ!″
 ご存じのとおり、この七月(二〇〇三年)、欧州連合(EU)で初めての憲法に、楽聖ベートーヴェンの「交響曲第九番」最終楽章の「歓喜の歌」が「EUの歌」として明文化されることになった。
 その報道を聞いたとき、私は、二〇〇一年の十二月、わが九州の十万人の同志が歌い上げた「歓喜の歌」の大合唱を思い起こした。九州の同志のあの晴ればれとした大合唱の姿は、今も私の胸から離れない。
 「歓喜の歌」を謗法呼ばわりした、狂った日顕宗の愚劣を打ち破った「正義の勝利」「文化の勝利」「人間性の勝利」の歌声であった。
 ベートーヴェンは叫んだ。
 「困難な何ごとかを克服するたびごとに私はいつも幸福を感じました」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳、岩波書店)
 仏法が示す「煩悩即菩提」の法理にも通ずる。
 心強き人は、どんな困難も幸福への糧としていける。たとえ周囲の目には不幸に映っても、「信心の眼」で見れば、まったく違った光景に見えるものだ。
 すべては「心」で決まる。「心こそ大切なれ」である。この強き心をつくるのが信心の目的である。ここに「人間革命」の実践がある。
 さらにベートーヴェンは言った。
 「この世でなすべきことは、たくさんある。すぐになせ!」(『音楽ノート』小松雄一郎訳編、岩波文庫)
 スピードが勝負である。学会もスピードで勝ってきた。
6  ベートーヴェンがノートに書き写した箴言の一つに、「つねに確固として、たとえ災難のなかにあっても、勇気に満ちてあれ」(同前)とある。
 勇気は光である。
 臆病は闇である。
 勇気は喜びであり、臆病はいつも怯えている。
 ゆえに、勇気は幸福である。臆病は不幸なのである。
 さらにベートーヴェンは記した。
 「勇ましく、すぐれた人間は、気高く、栄ある行為をすすめ、卑怯で下劣な人間は、下品な行為をすすめる」(同前)
 そのとおりである。
 仏法では「悪知識を捨てて善友に親近せよ」と繰り返し説いている。
 また、ベートーヴェンは、古代ギリシャの大詩人ホメロスの詩をノートに書きとめている。
 それは、「空しく誉なく生を終らんわれならずすぐれし業をなし遂げて未来にわが名ひびかせん」(前掲『音楽ノート』)
 この信念のままにベートーヴェンは生きぬいた。学会精神もまた同じである。
 有名な御聖訓に、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と仰せのとおりである。
7  今この瞬間に生命を燃やせ
 フランスの作家にジャン・ジオノ(一八九五年〜一九七〇年)がいる。『木を植えた男』などの多くの著作がある。
 彼は、南フランスの貧しい家庭に育った。大地に根ざし、自然とともに懸命に生きる人々を描いたことで知られている。
 彼はつづっている。
 「すべての人間にとって、確実に訪れる未来、それは死である。われわれが唯一所有するもの、それは現在、この瞬間のみである」(Le Chasse au Bonheur, Editions Gallimard)
 だれ人にとっても、死ほど確実にやってくるものはない。だが、そのことを忘れて、最後になって後悔する人も少なくない。今この瞬間をどう生きるか。これがいちばん大事なのである。
 大聖人は「臨終只今にありと解りて信心を致して」と仰せになっている。
 臨終只今にあり――この燃え上がる一念で信心してこそ、勝利の歴史を築くことができる。
8  「怠惰は甘く、その結果は悲惨だ」(Webster's Pocket Quotation Dictionary, Trident Press International)
 こう述べたのは、アメリカ第六代大統領ジョン・クインシー・アダムスといわれる。
 また、十八世紀のイギリスの政治家チェスターフィールド伯の言葉に、こうある。
 「怠惰は弱い意志の隠れ家であり、愚か者の休日である」(Letters Sentences and Maxims, The Chesterfield Society)
 「生涯前進」「生涯求道」。これが仏法の生き方である。広宣流布の人生に、定年などない。
 「もうこれだけやったから」と慢心して退いてしまえば、人生は負け戦である。年配だからといって、若い人に遠慮する必要もない。
 すぐはがれてしまう見せかけの信心か、本物の金剛の信心か――人生の最後になるほど明確に表れてくる。ゆえに、いくつになっても、心は希望に燃えて、自分の立場で、自分のできることを勇んでやっていくことだ。そして、「私は勝った!」「私の人生を見よ!」と胸を張って言いきれる、大満足の勝利の一生を飾っていっていただきたい。
9  何のための人生か。何のための信仰か。
 何のため――その一点を忘れない人生は強い。美しい。
 われらの究極の目的は何か。それは人間革命であり、世界平和である。
 目的を忘れると、人間は堕落する。敗北の人生の道に入ってしまう。
 使命の道、勝利の道を歩みぬくのだ。時には希望の歌を歌い、勇気の舞を舞いながら、ともに愉快に励ましあって、すばらしい人生を生きぬいていただきたい。
10  声は大砲! デマを打ち砕く
 先日(七月十二日)の本部幹部会で、アメリカ・オハイオ州のウエストチェスター市に、光栄にも「DAISAKU IKEDA(ダイサク・イケダ)の森」がオープンし、記念の式典が行われたことを紹介した。
 この″IKEDAの森″が、三十九万坪の広大な「アメリカの声」公園の中にあると申し上げたところ、何人かの方から質問が寄せられた。「その『アメリカの声』公園という名前の由来について、もっとくわしく教えてほしい」ということであった。
 「アメリカの声」とは、長年にわたり世界中に発信されてきた、アメリカ政府の海外向けラジオ放送「VOA(Voice of America)」のことである。
 この「アメリカの声」というラジオ放送が開始されたのは、第二次世界大戦中の一九四二年二月二十四日。ドイツや日本をはじめ、ファシズムの嵐が、世界に吹き荒れていた時代である。
 とくにナテスは早くから、国外向けの短波放送の大規模な送信設備を開発。ヨーロッパの近隣諸国から、北中南米、アジア、アフリカ、豪州まで、嘘や謀略をもって宣伝戦を展開した。
 こうしたファシズムのデマ宣伝に対抗するため、ルーズベルト大統領の指揮のもと、アメリカは、世界に向けた本格的なラジオ放送を開始することを決定した。
 しかし、世界のすみずみにまで電波を発信するには、アメリカで使用されていた施設では、あまりにも電波の出力が弱く、不十分であった。そこで、技術者たちは総力をあげて、ナテスを上回る施設の開発に取り組んだ。そして、世界で最強の出力を誇る、海外短波放送の発信基地を完成させた。(アメリカ・オハイオ州のウェストチェスター市のホームページ〈2003年〉、参照)
 その場所が、現在の「アメリカの声」公園なのである。今回、″IKEDAの森″開設の記念式典が行われた「アメリカの声」博物館は、まさにその施設を記念として保存じ、残したものである。
 当時、アメリカの連邦通信委員会の委員長、ダール氏は、発信基地の意義を、こう語っていた。
 「この施設は、ラジオという大砲であり、重砲である。世界のどこであろうと、敵の嘘やデマに対して、事実という爆弾を投げつける戦いの武器である」(同前)
 この嘘やデマを打ち破る「声」は、四十以上の言語で発信され、地球のいたるところへ響き渡った。
 そして、ナテスのは語を打ち砕き、幾多のレジスタンス(ファシズムヘの抵抗運動)の闘士に、力強い励ましを発信し続けていったのである。
11  力強く語られた民衆の声が最強
 「アメリカの声の父」と呼ばれる劇作家のロバート・シャーウッド氏は、かつて毅然と言明した。
 「人類には、すべての独裁者より、もっと強力な、新しい決定的な力がある。それは、力強く語られた言葉によって啓発された民衆の思想の力である」(「アメリカの声」ホームページ〈2003年〉)
 悪逆なデマとの戦いは、人類史の永遠の課題であるといっても過言ではない。
 それには、デマを圧倒しゆく勢いと気迫と執念をもって、正義と真実の声を発信し続ける以外にない。
 声が邪悪を倒す。声が時代を動かす。
 仏法は「声仏事を為す」と説く。声が世界を変えていくのである。
 御聖訓には「一匹の獅子王が吼えれば、百匹の師子の子は力を筆て、諸の鳥や獣は皆、頭が七つに割れる。法華経は師子王のようなものである。一切の獣の頂とする」(御書1316㌻、通解)とある。
 また、こうも記されている。
 「彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり
 真実を勇敢に語り、師子吼し、叫ばなければ、日蓮門下とは言えないのである。
 「創価の声」は「師子王の声」である。それは、正義の陣列の威光勢力を限りなく増し、そして邪悪の陰謀をことごとく粉砕していく根本の力である。
 御聖訓のとおり、いよいよ「声を惜しまず」「声を張り上げて」「大音声を出して」、創価の声の勝利の金字塔を打ち立ててまいりたい。
12  インドのネルー初代首相は語った。
 「真に偉大な人とは、特定の国だけではなく、全世界のためのメッセージを持っている」(在アメリカ・インド大使館のホームページ〈二〇〇三年〉)
 アメリカでのスピーチの中の言葉である。
 われらも語りぬきたい。人類のため、人間主義の勝利のために!
 大聖人は、門下の四条金吾に仰せである。
 「日蓮もまた、(正法の力を根底に)この日天子を頼みとして、日本国に立ち向かって数年になる。すでに日蓮は『勝った』という気持ちである」(御書1146㌻、通解)
 打ち続く大難を乗り越えての勝利宣言と拝せよう。仏法は勝負である。断じて、勝利の証を示しきることだ。
13  アフリカの世紀を女性がリード
 本日は、うれしいことに、二十一世紀の大陸・アフリカからも代表をお迎えしている。
 アフリカの広宣流布の進展は、じつに見事である。現在、アフリカ大陸には、四十一カ国・地域でメンバーが活躍し、社会の繁栄と平和に大いに貢献されている。
 このアフリカSGIでも、女性リーダーの健闘が、ひときわ光っている。
 トーゴSGIの理事長は、産婦人科のドクターで、女性地位向上団体の役員も務めておられる。フランスで入会され、トーゴの一粒種として奔走。この二十年間で一千人のスクラムを築き上げられた。その八割近くが青年である。地域活動においても、絶大な信頼を勝ち得ておられる。
 トーゴでは、記念の総会が行われる(=七月二十七日に開催)。おめでとう!
 また、南アフリカSGIの理事長は、会社役員を務める弁護士である。
 従民のリーダーシップにより、二〇〇一年に法人を取得。昨年は、会館がオープン。国連主催の環境開発サミットでもSGIの展示が大成功であった。
 カメルーンSGIの本部長も女性。首相府の経済課長である。その重責を担いながら、愛する祖国の広宣流布に全力で取り組んでおられる。
 そして、ここに出席のケニアSGIの婦人部書記長は、ナイロビ大学文学部で教壇に立つ。さらに弁護士の資格も取得された。わが誉れの創価大学の出身である。
 いよいよ、「アフリカの世紀」が始まった。
 その偉大なリーダーの皆さま方の足跡は、広宣流布の栄光の叙事詩として、永遠に謳われゆくにちがいない。
 アフリカのことわざは、まことに含蓄深い。たとえば――。
 「希望のあるところ道はある」
 「千は一から始まる」
 「盤を築くよりも橋を架けろ」
 また「真実が明らかになる時、嘘は身を引く」(「スワヒリ語教室」http://www.etsumi.jp/darasa)と。
 さらに、「ケニア建国の父」として名高い、ケニヤッタ初代大統領の言葉にもこうある。
 「私たちが主張しているのは、正義が証明されることと、不正義が正されることであります」(Montagu Slater, The Trial of Jommo Kenyatta, Secker & Warburg)。まさに、破邪顕正の言論戦である。
 (=池田SGI会長には、「建国の父」の名を冠した国立ケニヤッタ大学から名誉人文学博士号が贈られている〈二〇〇二年五月十八日に学位授与式〉。さらに、東アフリカの名門ナイロビ大学からも、名誉文学博士号が贈られている〈一九九二年十二月二十二日に学位授与式〉)
14  若き友の可能性を信じぬけ
 現在、私は、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と、教育をめぐる新しい対談を続けている。(=「学は光―文明と教育の未来を語る」と題して「創価新報」で連載。二〇〇四年九月に同題で潮出版社から発刊)
 その中で、私たちは「教師は学生を尊敬すべきである」という点で、深く一致した。
 世界的な数学者の総長は、こう語っておられる。
 「目の前に座る未完成の学生のなかに、将来大きく成長するであろう可能性を信じる心、知識や行動すべてにおいていつか必ず自分を超える偉大な人物になると信ずる心、池田博士のおっしゃる『学生に学ぶ心』――これが教師の学生に対する尊敬と信頼なのだと私は考えます。もしも、この心が教師のなかになければ、いかなる博学の講義も指導も、なべて教育の力とはなりえないでしょう」
 総長の着眼は鋭い。青年の可能性を信じぬけ!――すべての教育者が、いな全指導者が、心に刻むべき言葉ではないだろうか。
 オックスフォード大学教授として芸術教育にたずさわった、イギリスの思想家ラスキンの言葉をトルストイは記している。
 「真の教育の目的は――人々に善事を行なわしむるばかりでなく、そのことに喜びを感ずるようにさせることである」(『文読む月日』北御門二郎訳、筑摩書房)
 心から納得できる人間学である。
 さらにラスキンの次の主張も記している。
 「学問がいつかは宗教と敵対するようになる、と考えるのはおかしい。見栄だけの学問なら、単に宗教ばかりでなく、真理にも敵対する。真の学問は宗教に敵対しないのみか、常にそれに協力する」(同前)
 深く胸に刻み、思索すべき言葉だと思う。
15  ネルー″勇敢であれ! あとは結果がついてくる″
 きょうは、大発展を遂げているポルトガルからも、同志がお越しくださった。
 かつて、大航海時代を開いた勇敢なポルトガルの先人を讃えながら、作家ツヴァイクは語った。
 「たった一人の人間でもその小さな無常の生命によって、数百世代もの人々のたんなる希望の夢にすぎなかったことを、一つの現実に、不朽の真実に作り変えることができる」(『マゼラン』関楠生・河原忠彦訳、みすず書房)
 皆さま方こそ、幾百代もの希望の夢を叶えゆく、栄光の「一人」なのである。
 フランスの思想家ヴォーヴナルグ(一七一五年〜四七年)は言った。
 「絶望は、最大の過ちである」(Vauvenargues, Andre Silvaire, Editions du Rocher)
 彼は軍人だった。怪我をして、病気がちの体になった。そのなかで「文学」に生きる道を見いだしていったのである。
 「もうだめだ」「私にはできない」――そう決めつけるのは、人生最大の間違いである。
 ガンジーは叫んだ。
 「臆病は、暴力に勝る悪である」(The Collected Works of Mahatma Gandhi, vol.55,76, Publications Division, Ministry of Information and Broadcasting, Government of India)
 臆病が悪を野放しにする。
 それは卑怯だ。保身である。正義の心を破壊する。ウソはウソ、デマはデマと、断じて真実を叫ぶことだ。
 インドのネルー初代首相が、娘のインデイラに送った手紙には、こうつづられている。
 「勇敢であれ! そうすれば、あとはすべてがついてくる」(Glimpses of World Histry, Oxford University Press)
 娘も後に首相となった。
 勇気が心にみなぎっている人間、勇気が背骨を貫いている人間――その強さがなくてはならない。勇気と慈悲は表裏一体である。勇気がなければ正義もなくなる。勇気こそ仏法の真髄なのである。
16  現在、英訳御書の翻訳・編集作業も着実に続けられている。
 世界広宣流布の土台となる大事業である。永遠に残る聖業である。関係者の皆さまに深く感謝申し上げたい。
 日蓮大聖人の仏法は、全人類の希望である。教学部任用試験に臨む皆さまの健闘を、私は心から祈っている。
17  九州よ、新しい歴史へ模範たれ
 建治二年(一二七六年)七月二十六日、大聖人は「報恩抄送文」にしたためられた。
 「この法華経は、釈尊の在世よりも釈尊の滅後に、また正法時代よりも像法時代に、さらに像法時代よりも末法のはじめに、次第に怨敵が強くなるということさえ、よく心得ておられるならば、日本国においては、この日蓮以外に法華経の行者はいないことを、だれもが必ずわかるであろう」(御書330㌻、通解)
 濁りきった悪世において、法を弘めゆくことが、どれほど難事中の難事であるか。三類の強敵との闘争がどれほど熾烈であるか。そのなかで、蓮祖に直結し、御書の仰せどおりの難を受けながら、現実の社会と世界へ広宣流布を遂行しているのは、学会しかない。三代にわたる創価の師弟以外にない。
 この究極の正義に連なりゆく使命と福徳を自覚すれば、無量の力が出ないわけがない。仏意仏勅の学会を守れば、自分自身が諸天善神から守られるのである。
 断固として祈り、断固として戦おう!
 結びに、
  堂々と
    世界に光らむ
      創価かな
 と句を贈り、記念のスピーチとしたい。
 きょうは遠くからご苦労さま!
 とくに九州は本当によく頑張った。すばらしい九州になった。知性と人格光る優秀なリーダーが陸続と躍り出ている。新しい歴史を、思うぞんぶん、つづっていただきたい。
 どうかお元気で! ありがとう!
 (東京・信濃文化センター)

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