Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議 一番星のごとく友の希望と輝け

2003.7.24 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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2  新しい人材を、新しい息吹を
 戸田先生はよく、いちばん最初に出勤した人を「一番星」と呼んで、ほめておられた。
 「彼は一番星だな。彼はいいな」「きょうは彼が一番星だ」とニコッとされるのが常であった。
 大勢のなかで、ひときわ光っている。いちばん輝いている。それが信仰者の証である。
 広宣流布の一番星と光り、金星と輝く皆さまであっていただきたい。
 新しい人材を育てる。新しい息吹を吹き込む。そこに永遠の発展がある。いかなる団体も、組織も同じであろう。新しい風を入れなければ、人間は、いつしか停滞し、腐敗するものだ。
 広宣流布のために戦う人――その人こそ最高に尊い人材である。今こそ青年を全力で育ててまいりたい。
 新しい前進のために申し上げたい。
 報告は迅速に。これが勝利の鉄則である。
 報告が早ければ、早く手が打てる。一つ注意を呼びかけるだけで、皆が助かる場合も多い。
 報告が遅いのは無慈悲である。混乱を招く。それでは同志を守れない。
 横着ではいけない。また、遠慮などいらない。報告・連絡は徹底して早く――これが、あらゆる団体が、生き生きと発展し、絶対無事故で勝利していける道である。
3  戸田先生は、偉大な人間教育者であった。スイスの大教育者ペスタロッチのことも、よく話にのぼった。
 ペスタロッチは言う。
 「我々の団結は今後もはや邪しまなものに食を与えるようなことは止めねばならない」(「学園講演集」四本忠俊y悪、『ペスタロッチ全集』3所収、玉川大学出版部)
 彼はこう叫び、理想の学園建設をめざした。
 われらもまた、広宣流布を破壊しようとする邪悪とは、断固、戦いぬく。「破和合僧」は仏法上の大罪であるからだ。
 ロシアの文豪トルストイの言葉にも耳をかたむけたい。
 「真の賢者はつねに喜々としている」(『トルストイ 言葉の日めくり』小沼文彦訳、女子パウロ会)
 本当の賢者ならば、聡明な人間ならば、勇気を胸に、いつも喜びに満ちて生きているものだ。
 どんな苦しいことがあっても、喜々として前進し、勝利する。ここに仏法の真髄がある。
 トルストイの次は文豪ゲーテ。彼は、こう記している。
 「勝っておさえつけるか、/負けていつくばうかだ、/指をくわえるか凱歌をあげるか、/鉄砧かなしきか、鉄鎚かなずちになるかのどっちかだ」(『ゲーテ詩集』手塚富雄訳、角川書店)
 人生も、団体も、みじめに侮りを受けるか、晴ればれと勝利するか――このどっちかしかない。
 ゆえに、この一生を、断じて勝つことだ。
 日蓮大聖人は「仏法と申すは勝負をさきとし」と仰せである。
 リーダーの「断じて勝つ」との一念が、敢然と勝利の道を開いていくことを忘れてはならない。
4  最高の「善への勇気」をもて
 スイスの哲学者ヒルティいわく。
 「活動は精神を快活にする」(菊盛英夫訳、『ヒルティ著作集』8,白水社)
 活動すれば、心も体も生き生きとする。なかんずく、学会活動には、なんとも言えない爽快さがある。
 だれしも、たまには、のんびリテレビでも見たいと思う場合があるだろう。そこを一歩踏み出して、同志のもとに出かけ、動き、語り、広宣流布のために、思うぞんぶん活動していく。これ以上の歓喜と満足の時はない。皆さんも経験されていることであろう。
 動いた分だけ、充実がある。向上がある。福徳が薫る。すべて自分のためなのである。
 さらにヒルティは言う。
 「善への勇気こそ、いかなる人生においてもいちばんたいせつなことであることを、決してお忘れになってはなりません」(岸田晩節訳、同著作集7)
 私たちにとっては、広宣流布の行動こそ、最高の善である。そのために戦う皆さまは、最高の「善への勇気」をもった方である。
 私は、尊き人生を生きゆく皆さまに最大の敬意を表したい。
5  アメリカの公民権運動の指導者キング博士は語っている。
 「私はいかなる金も後に残そうとは思わない。また私は日常生活の立派な贅沢品をも残そうとは思わない。ただ私はささげつくした人生だけを後に残していきたい」(梶原寿『マーティン=L=キング』清水書院)
 これがキング博士の信念であった。私たちも同じである。苦しむ人々のために尽くす――これが学会精神である。
 後に残す贅沢な財産は、ないかもしれない。しかし、広布に励む私たちは、生命の中に無量無辺の福徳の財宝を積んでいる。その生命の財宝は、三世に消えることはない。子孫にも先祖にも配ってあげられる。
 妙法の世界は、宇宙大に広がっている。そして、その無限の宇宙が、わが一念に納まっていると仏法では説くのである。
 現在、建設が進んでいる「学会本部新館」は、来年の五月に完成する予定である(=学会本部別館として二〇〇四年五月に完成)。それにともない、信濃町の学会本部周辺をさらに整備し、本部に来られた会員の皆さまに気持ちよく使っていただけるようにしたいと計画している。
6  会員第一のリーダーたれ
 「寺泊御書」の冒頭の一節を拝したい。
 「志のある人たちは一つの場所に集まって、この文の法義を聴聞しなさい」(御書951㌻、通解)
 妙法を信じ、広宣流布への″志″を抱いて進む人たちは、たがいに集いあって進んでいくべきである。
 一人ぼっちでは、どうしても弱くなり、惰性や臆病に負ける。ゆえに皆で集まって、励まし、支えあっていく。そこに組織の大切さがあり、会合の意義もある。
 生き生きと会合に集い、勝利のため、発展のために、裏も表もなく、皆で自由に協議し、心を一つに前進していく。これが学会の伝統である。
 また「高橋入道殿御返事」には、「たとえ一日であろうと、わが味方として、心を寄せてくれる人々を、どうして粗末にできようか」(御書1460㌻、通解)と述べられている。
 味方として心を寄せてくれる人々――たとえば、友人であり、会友であり、身近な同志の皆さんである。その方を絶対におろそかにしてはいけないとの仰せである。
 どこまでも、会員第一のリーダーであっていただきたい。
7  大聖人のご一生は、迫害につぐ迫害の連続であられた。そのなかで、大聖人は、こう宣言なされた。
 「すでに法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか」(御書1039㌻、通解)
 この御聖訓のとおり、皆さま方が無量の福徳に包まれゆくことは、絶対に間違いない。
 また、大聖人は、門下に対して、ご自身と「心を合わせる」ことの重要性を繰り返し述べておられる。それは、なぜか。
 大聖人は、「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(御書1151㌻、通解)と明快に言われている。
 「師弟不二」こそ、仏法の根幹なのである。
 そして、広宣流布へ心を合わせたとき、すべての祈りが厳然と叶っていくことを確信していただきたい。
8  責任が人間を偉大にする
 学会の役職は「責任職」である。
 「責任というものはほとんどつねに人間をたかめて偉大にする」(『ジョセフ・フーシェ』高橋禎二・秋山英夫訳、岩波文庫)
 これは、オーストリアの作家ツヴアイクの言葉である。
 責任がなければ、成長もない。責任は、自分自身を高め、偉大にしていく栄養となる。
 人間として偉くなるほど、責任は大きくなる。それを果たしながら、さらに偉大な人間革命をしていける。
 皆さんも、それぞれの立場で、広宣流布の全責任を担い、見事に果たしきっていただきたい。
 チェコの哲人指導者マサリク大統領は言った。
 「良い計画には、責任を担う勇気のある、誠実で勇敢で賢い人物が必要です」(K・チャペック『マサリクとの対話』石川達夫訳、成文社)
 一家の幸福も、地域の繁栄も、世界の広宣流布も、一切は人で決まる。
 責任を担う勇気のある、誠実で勇敢で賢い人物――皆さまが、そうあっていただきたい。
9  学会は、官僚主義になっては絶対にならない。
 大文豪であるゲーテは大臣も務め、社会のために働いた。それを振り返って、こう言った。
 「私はこれで五十年公務を自分流に果してきた。人間としてで、官僚風にではない」(ビーダーマン編『ゲーテ対話録』3,国松孝二訳、白水社)
 人間として生きぬけ! 官僚風になるな! これがゲーテの生き方であった。
 官僚主義の人間は、皆を見くだし、自分勝手な方向へ動かそうとする。自分は苦労を避け、責任を担わない――そういう人間は、必ず皆から見放され、追放される。末路は悲惨である。
 牧口先生、戸田先生の時代に、もう一度、立ち返って、官僚主義を打ち破ってまいりたい。
 青年部の世紀だ。すばらしい青春時代を生きぬいてほしい。青年らしく、自分らしく、前へ前ヘ進むことだ。
 現実社会には不満や文句もあるかもしれない。しかし、それ以上のものを自分自身で見つけ、やり遂げて、生きていけばいいのである。そう自分が心に決めて、価値的に、聡明に生きていくことだ。
 どうか、お元気で! 一生懸命、皆さんの健康を祈っています。
 きょうは、本当にありがとう!
 (創価文化会館)

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