Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二十九回本部幹部会、全国青年部幹部会… 世界へ人類へ「立正安国」の平和哲学を

2003.7.16 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

前後
1  われらの行動に大いなる福徳
 きょうは、日本全国、そしてヨーロッパ、アジア、アフリカ、北南米など全世界から同志が集ってくださった。
 皆、生き生きとしておられる。本当にご苦労さま!
 皆さまは、妙法のために集まった。広宣流布のために走った。その功徳は計り知れない。
 どんな善いことをするよりも、何百倍、何千倍の福徳を積むことができる。生涯にわたって、永遠にわたって、大いなる功徳を受けることができる。
 広宣流布の行動は、全部、「自分自身のため」になる。御書に明確に示されているとおりである。
2  大宗教は「口によって」広まった
 どうかリラックスして、楽な気持ちで聞いていただきたい。
 最初に、口シアの文豪トルストイの有名な日記がある。
 「すべての大宗教はみな口によって広められたのである。そして私には、こうしてこそ初めて真の宗教を広めることができたのだと思われる。
 単に口によってというよりもむしろ、文書によってではなく、印刷物によってではなく、生命によって、生命の一部によって、すなわち口伝の説法によって、はじめてそれを広めることができるのである」(ビリューコフ『大トルストイ』3,原久一郎訳、勁草書房)
 文書も大事である。しかし、それだけでは、真の信仰は伝わらない場合がある。
 偉大な宗教は何によって広められたのか。権威でもない。命令でもない。上下関係でもなければ、位でもない。口である。生命の一部である口によって広められたのだ――トルストイは、こう明快に喝破している。
 まさに創価学会の行動である。大文豪が、学会の偉大さを証明しているのである。
 トルストイは、上から抑えつける権力の宗教、国家の宗教を断じて許さなかった。学会も、そうした宗教と戦いぬいてきた。
3  きょうはフランスからも同志が見えておられる。
 フランスの文豪ロマン・ロランは手紙につづった。
 「信仰は私の心の中心です」(「ルイ・ジレ=ロマン・ロラン往復書簡」清水茂訳、『書簡』1〈『ロマン・ロラン全集』32〉所収、みすず書房)
 多くの人は「心が中心」で生きている。その心の中心――これが信仰である。信仰がないのは、人間としての中心がないようなものだ。
 皆さまは、正しい信仰という、揺るぎない中心をもっておられる。
4  栄光の未来を青年に託す
 青年部の時代である。
 「若い人たちにとって、世界はつねに新しく始まる」(『ヴァインゼッカー回想録』永井清彦訳、岩波書店)
 これは、統一ドイツの哲人指導者ヴァイツゼッカー初代大統領の言葉である。私も、「人類の未来」をめぐり、親しく語りあったことがある。(一九九一年六月、ドイツの大統領府で)
 新しい栄光と勝利へ出発しゆく、わが偉大なる同志! 青年部幹部会、本当におめでとう!(拍手)
 一妹は青年に託す以外にない。一家でも、会社でも、国家でも。世界も、人類も、いちばん大事なのは、青年である。
 新しい時代を担う青年を育て、励まし、伸ばしていく――ここにこそ永遠の発展の法則がある。
5  人類の「立正安国」のための正義の戦い
 きょう七月十六日は何の日か?
 ご存じのとおり、文応元年、すなわち西暦一二六〇年のこの日、日蓮大聖人は、「立正安国論」をもって、邪悪な坊主と結託した権力者の狂いを戒め、正された。その最も大切な記念の日である。日蓮仏法の「立正安国」――ここに永遠にわたる、慈悲と正義と平和の理念が明快に示されている。
 創価学会の精神も「立正安国」が根本である。
 「立正安国」という大いなる正義の戦いを決然と開始されたからこそ、大聖人は悪辣きわまる迫害を受けた。
 もう少し違った方向へ、うまくごまかして、世間から「とてもいい人だな」「いい話をするな」と思われるよう、ゆるやかな、賢げな話だけをしていれば、迫害など受けなかった。
 民衆の不幸をなくすため、日本の国全体を変えるために、悪い権力者と宗教を正すんだ! こう、まっこうから訴えれば、当然、怒りを買う。しかし抜本的な改革は、これしかない。
 「立正安国論」には記されている。
 「悪い坊主を誠めなければ、どうして善い事を成し遂げることができようか。絶対にできない」(御書21㌻、通解)
 だからこそ大聖人は、「一凶を禁じよ、邪宗を打ち破れ」と、最後の最後まで戦いを貫かれた。
 この大聖人のご精神は、創価学会にしかない。大聖人と同じように、創価学会は、民衆を踏みにじる邪悪に対する思想戦を実行した。人間主義を打ち立てた。
 創価学会の三代の師弟は、大聖人と同じ目的をもって戦ってきた。同じ行動を貫いてきた。それゆえに、あらゆる難を受けた。しかし、尊き同志の皆さまとともに、すべてを堂々と勝ち越えた。
 創価学会は勝った! 創価学会は正しい! それは満天下に明らかになっている。
 今日の未曾有烏の広宣流布への上げ潮は、わが創価学会の正義が完璧に勝利した大証明である――そう私は宣言しておきたい!(拍手)
6  日寛上人は、「立正安国」の「安国」の意義について指南されている。
 「意は閻浮提及び未来に通ずべし」(「立正安国論愚記」文段集八㌻)
 その意義は、全世界そして未来永遠に通ずるということである。
 「安国」とは、偏狭な国家主義ではない。まさに全世界、そして末法万年尽未来際にわたる、「正義」と「平和」の指標を掲げているのである。
 すなわち、「立正安国論」にこそ、人類に幸福と繁栄をもたらす、最高の法理と闘争が示されている。
 私たちは、その仰せのままに、世界と人類の「立正安国」のため、信念の対話と交流を繰り返し広げてきた。その真剣なる行動によって、SGIは今や、百八十六カ国。地域の平和・文化・教育の大連帯となった。
 きょうの幹部会にも十二カ国の代表が出席されている。本当にようこそ!
 ご苦労さま!
 尊き皆さまに真心の拍手を送りたい。(拍手)
 とくにフランスの皆さま方! 韓国の皆さま方! 尊い求道の研修会を心から讃えたい。(拍手)
 また、世界平和の若き大指導者たる、アメリカ創価大学の代表の皆さま方、ありがとう! 私は皆さんの成長が何よりもうれしい。
7  横暴な宗教権力と戦うトルストイを世界は支持
 先日、口シアから、すばらしい人類の「精神の遺産」が、私のもとに届けられた。それは、大文豪トルストイの声の録音である。
 光栄にも、国立トルストイ博物館のレミゾフ館長が「トルストイに続く、平和と人間精神の真実をもたらすための教師であられる池田先生へ」との言葉とともに、託してくださった世界の宝である(大拍手)。(同博物館の創立九十周年を記念して制作されたCD〈コンパクトディスク〉)
 約一世紀前の一九〇八年、アメリカの発明王エジソンは、自身の大傑作である蓄音機を、ロシアのトルストイに贈った。地球大の、大きい次元の逸話である。
 当時、トルストイは、横暴な宗教権力から弾圧され、破門されていた。しかし世界の知性は、こぞって支持した。
 祖国から嫉妬の中傷。世界は味方――学会も同じである。狂った宗門から破門されたが、世界から多大な支持を得、賞讃されていることは、ご存じのとおりである。
 八十歳になるトルストイは、エジソンの真心の蓄音機に、気迫のある声で、手紙の返事や、自分の思想、主張を吹き込んでいった。
 人生の最後の最後まで、トルストイは民衆のために戦った。(録音は一九〇八年二月から翌年十月にかけて)
 録音の中で、トルストイはこう語っている。
 「人間ができる唯一のことは、自分自身が精神的に成長することである。
 精神を変革し、成長した人は、そのことによって、国民に最も利益をもたらすことができる」
 精神の変革――すなわち「人間革命」をせよ、と。私たちの思想と一致する。
8  この録音には、一九〇八年、トルストイが発表した歴史的な大論文の構想も収録されている。
 有名な、論文の題名は「黙ってはいられない」。
 彼は当時、ロシアの恐怖政治のもと、連日、行われていた、おびただしい死刑にまっこうから抗議した。その内容を録音したものである。
 とんでもない現実がある。勇敢に反撃せよ! しゃべれ! しゃべれ! しゃべりぬけ!
 トルストイは恐れなく声をあげた。
 仏法は「声仏事を為す」と説く。声が偉大な仕事を成し遂げるのである。
 (第一次ロシア革命〈一九〇五年〉の鎮圧後、ストルイピン政権のもとで、反体制派が次々と処刑された。トルストイは、こう蓄音機に吹き込んだ。
 「いや、これはとんでもないことだ! このままではいけない! 決して許されることではない。毎日、どれだけの死刑、処罰が実行されていることか! きょうは五件、明日は七件。きょうは二十人の男性が絞首刑に処された。つまり二十人が亡くなったのだ。ところが議会では、フィンランドのことが論じられ、その国王のロシア訪問について論じられている……」)
 権力は、このトルストイの正論を掲載した新聞にまで、弾圧を加えた。さらに、トルストイヘの陰湿にして卑劣な中傷記事が流された。
 これが、いつも変わらぬ、正義の闘士に対する、邪悪な迫害の構図だ。現代も同じである。だからこそ正義の言論で戦いぬかなくてはならない。
 「このままではいけない!」「黙ってはいられない!」――トルストイは勇敢に叫んだ。
 臆病は卑怯である。臆病は悪である。
 いわんや今の日本は、トルストイの時代と違って、民主主義の時代である。
 とくに若い諸君は、正義のために、言いたいことを、どんどん言えばいい。言わなければ損である。
 嫉妬に狂ったデマであり、事実無根のウソであることが歴然としているのに、何の反論もできないような情けない青年に、断じてなってはならない。青年は、勇敢に進むのだ。折伏精神を忘れてはならない。
 戸田先生が、逝去の直前に言われていたのも、「勇気をもて!」という一点であった。
9  民衆の喝采こそ真実の栄冠
 トルストイの勇敢なる叫びは、幾万、幾十万もの民衆の大合唱となって、口シア中に響きわたっていった。
 彼の満八十歳の誕生日は一九〇八年八月二十八日。この時には、民衆からの感謝と祝賀の手紙が、全ロシア、いな、世界の津々浦々から続々と届いたのである。
 私はかつて、妻とともにモスクワ市内の「トルストイの家」を訪問した(八一年五月十五日)。そうした歴史を目の当たりにし、感動した。本当に懐かしい思い出である。(「トルストイの家」は国立トルストイ博物館の一部)
 ある工場の労働者たちは、つづっている。
 「虚偽と暴力とに鉄拳を加えつつ、偽善者や闇黒の悪魔からその仮面を引剥しつつ、あなたは地上高く真理と正義の炬火をかかげて」(前掲『大トルストイ』3)くれました、と。
 ある印刷所で働く植字工たちは「我らロシアの労働者は、国宝としてあなたを誇り」(同前)とします、と書いた。
 トルストイよ、私たちは、あなたの味方です―――これが、権力者から圧迫され、マスコミから悪口を言われ、中傷された人間に対する、民衆の声であった。無名の庶民は、鋭くトルストイの偉大さを見抜いていたのである。
 反対に、権力や名声をむさぼる人間は、真実が見えない。自分を守ろう、飾ろうとする一念が目を曇らせるからだ。
 民衆からの賞讃の声こそ、真実の栄冠である。学会は、この「民衆の声」に包まれて進んできた。だから、強い。だから、負けない。
 私も、最前線で戦っておられる学会員の方々からの感謝の声こそが、わが栄冠と思ってきた。
 「民衆とともに」――学会は、永遠にこの道を進んでいく。(拍手)
10  青年たちは、トルストイに続いて、勇敢に立ち上がった。青年は鋭敏である。
 ある女子学生も、凛々しく声をあげた。
 「あなたには敵が沢山ございます、けど、親しい味方の方がそれよりも遥かに多うございます」(同前)
 結局、権力の陰謀は、ことごとく失敗に終わり、世界中から笑いものとなった。そのことを、今日にいたる歴史が厳然と伝えている。
 トルストイは記した。
 「清らかな思想と善の行動で築いた精神の城は永遠に不滅である。何ものたりとも、その城の人々を傷つけることはできない」(’КРУГ ЧТЕНИЯ’ ''Л.Н.ТОЛСТОИ ПОЛНОЕ СОБРАНИЕ СОБИНЕНИИ,'' 42 ГОСУДАРСТВЕННОЕ ИЗДАТЕЛЬСТВО ХУДОЖЕСТВЕННОИ ЛИТЕРАТУРЫ, МОСКВА, 1957)
 わが創価学会は、まさしく、永遠不滅の「精神の大城」である。
 このわれらの正義の城に、勝利、また勝利の旗を堂々と掲げてまいりたい!(拍手)
11  世界に輝く恩師の名前
 六十年前の七月、牧口先生と戸田先生は、正義を叫んだゆえに、軍部権力によって捕らえられ、投獄された。
 (一九四三年〈昭和十八年〉七月六日、不敬罪と治安維持法違反の容疑で、牧口初代会長は地方折伏に赴いた伊豆・下田の地で、戸田第二代会長は東京・目黒の自宅で逮捕され、投獄された)
 牧口先生は、壮絶な獄死。お二人の存在は、闇から闇へ葬り去られる運命が待っていたと言っても、決して過言ではなかった。
 しかし、今、両先生のお名前は、世界に燦然と光り輝いている。これこそ、師弟の勝利の証である。世界に先駆けて、創価学会の歴代会長の名が、「公園」や「通り」などに命名された国の一つは、ブラジルの天地であった。
 ブラジルの方は、きょうは、いらっしゃるだろうか?(「ハイ!」と元気に返事が)
 かつて訪れた時、ブラジルの皆さまにはたいへんにお世話になった。(拍手)
 一九九六年には、クリチバ市に「牧口常三郎公園」、イタペビ市に「牧口常三郎先生通り」がオープンした。広々とした立派なものである。
 これらをはじめとして、「戸田城聖先生橋」など、各地に次々と誕生していった。
 現在、三代の会長ゆかりの「公園」や「通り」や「橋」は、ブラジルだけで二十二を数える。(拍手)
 師匠を宣揚することが、弟子の役目である。世界からの顕彰は、師匠をお守りした私の誇りである。
 ブラジルの青年部は、青年部結成記念の七月、じっに、十七万四千人もの「若き正義の連帯」を見事に築き上げた。ブラジル、おめでとう!(拍手)
 お帰りになったら、皆さまによろしくお伝えいただきたい。
 世界中で、若き地涌の菩薩が躍り出ている。アフリカも、豪州も、アラスカも――今、全世界で立ち上がっている。
 広宣流布の本陣で戦う日本の青年部の責任は大きい。頼むよ!
 話は変わる。今度はロシアである。創価の舞台は、それほど広い。
 ロシアの西シベリアにカルブザという村がある。現在、そこでは「池田大作記念庭園」の整備を続けてくださっている。
 大庭園の敷地は、なんと百万坪をゆうに超え、はるか地平線の果てまで続いて見える。雄大なスケールである。
 緑の大草原や白樺の林が広がり、鹿や熊や野鳥をはじめ野生の動物たちも、一樹に、にぎやかに生息しているという。大地の実りも豊富である。さらにクローバーやスズランなどの花々が咲き乱れ、すばらしい香りを一面に放っているという。
 昨年、この庭園では、百キログラムものハチミツが採れたと報告があった。とても豊かな庭園である。
12  ″池田庭園″は、この村出身の著名な社会活動家の方から、強い要請をいただいて、命名されたものである。故郷の村に、創価の人間主義の哲学と活力が満ちるように! そして将来、世界市民が交流する友好の場となってもらいたい! との願いをこめてくださった。まことに、遠大なロマンが光っている。
13  わが生命に輝く宝樹の園林
 私たちが勤行で読誦している法華経の寿量品には、「我此土安穏 天人常充満(我が此の土は安穏にして 天人は常に充満せり)」(法華経四九一㌻)等とある。
 仏が住む国土は安穏であり、つねに天界・人界の衆生で満ちている。そこには、種々の宝で飾られた庭園や林、また多くの立派な建物がある。
 宝の樹には、多くの花が咲き香り、たくさんの実がなって、まさに衆生が遊楽する場所である――等と説かれている。
 凡夫には苦しみに満ちているように見える世界も、仏の眼には宝土と映る。それが妙法を持つ人の境涯なのである。
 創価学会の前進は、事実の上で、希望の楽土を広げている。皆さま方の生命も、あらゆる宝の樹、宝の花で囲まれているのである。
14  さて、エジソンや人類初飛行のライト兄弟ゆかりの地は、アメリカのオハイオ州である。
 先日、「聖教新聞」(七月四日付)でも報道されたが、このオハイオ州に、「DAISAKU IKEDA(ダイサク・イケダ)の森」がオープンしたことを、謹んでご報告させていただく。(拍手)
 この森は、三十九万坪もの広大な「アメリカの声」という公園の中に開設された。式典には、地元の市長をはじめ、多くの来賓の方々が集まってくださった。
 (同州のタフト知事は開設記念式典が行われた六月二十九日を、同州の「池田大作の日」と宣言した)
 私と妻は、皆さま方を代表して、この市の名誉市民となっている(拍手)。ご招待もいただいている。
 私が世界の各都市から拝受した「名誉市民」等の栄誉は、二百六十八となった。これも、SGIの皆さまが「世界市民」として信頼と友情を広げている証明である。(拍手)
 この″IKEDAの森″には、ヒメリンゴなどの本が植樹されている。市民の憩いの森、環境教育の森として、今後、大いに活用されていくと、うかがった。
 きょうは、この大公園を擁する地域で活躍する婦人部と青年部の代表も駆けつけてくださった。ともに創価教育に学んだ英才である。ありがとう!(拍手)
15  地球上のあちこちに友情の道、信頼の庭
 ともあれ、今や、全世界の五大州――すなわち、南北アメリカ大陸にも、そしてヨーロッパにも、アフリカにも、さらに韓国をはじめアジアにも、そしてオセアニアにも、SGIの名称や歴代会長の名前を冠したゆかりの場所が、次から次へと誕生している。
 この地球上のいたるところに、私たちを心から歓迎してくれる友情と対話の「道」があり、「橋」があり、「庭園」があり、「森」がある。そして、その名は限りない未来へと、必ずや続いていくであろう。ここにも、偉大な、世界の「立正安国」の瑞相が明確にあると、私は声を大にして申し上げておきたい。(拍手)
 これもすべて、来る日も、来る月も、現実の地域で、社会で、誠実な貢献を貫き通してくださった皆さま方がいたから、できあがったのである。わが同志に対する信頼の結晶であり、勝利である。
 皆さまは、忙しい時も、疲れている時も、悪口を言われても、それらすべてを乗り越えて、一軒また一軒と足を運び、一人また一人と仏法を語りぬいておられる。尊く、気高い方々である。
 日蓮大聖人と同じ心で、わが身をなげうって広布へ戦う皆さまこそが、地涌の菩薩である。仏である。最高に尊い仏の団体が、創価学会なのである。皆さま方の功徳は、あまりにも大きい。
 ここに集まった皆さま方に、私は、最大の敬意を表したい。
 最高に大事な皆さま方である。どうか、ますます健康で、長生きをして、さらに大福運をつけ、世界中の創価の縁の場所を、胸を張って訪問していただきたいことを、お願いしたい。楽しみにしていただきたい。
 また、きょう集まった青年部の皆さんは、お父さんやお母さん、また恩人の方々を、将来、この創価の庭、世界の庭へ、ご案内していただきたい。そのためにも、人一倍、奮闘して、社会で勝利していただきたい。
16  「悪口罵詈」「怨嫉」は正義の行者の証
 御書には、繰り返し、「悪口罵詈」と述べられている。法華経の行者は、無智の人間から悪口罵詈されるという経文である。法華経の勧持品第十三に記されている。
 「猶多怨嫉。況滅度後」(法華経三六三㌻)――「猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」との経文も、何度も引かれている。
 釈尊の在世ですら、怨嫉、つまり、怨みや嫉みが多かった。いわんや、仏の滅後に法華経を弘める者は、より多く怨嫉され、難にあうことは必然であるとの意味である。法華経の法師品第十に説かれている。
 ゆえに、悪口罵詈されるのは、法華経の行者の証拠である。怨嫉されるのは、日蓮仏法の行者の証なのである。創価学会は、悪口罵詈されている。怨嫉されている。すべては、広宣流布のために戦っているゆえである。
 初代会長の牧口先生も、第二代の戸田先生も、そしてまた第三代の私も、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の集中砲火を浴びてきた。これこそ、経文のとおり、大聖人の仰せのとおり、仏法を実践してきた厳然たる証拠なのである。
 にもかかわらず、世法に流され、悪く言われるのは何か間違っているからではないかと疑いを起こして、大切な信心の軌道から外れるようなことがあっては、あまりに不幸である。ゆえに、きょうは明快に申し上げておきたい。
 要するに、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」がなければ、法華経の行者ではないのである。
 日顕宗などは、広宣流布ゆえの難など一つも受けていないことは、皆さんが、よくご存じのとおりだ。まったくの偽ものなのである。
17  大聖人は、佐渡流罪等の大難にあわれた。そのとき、大聖人が難にあうのは、弘教のやり方が間違っているからだと、もっともらしく非難する者たちがいた。
 それに対して、大聖人は、先ほどの勧持品の文を引きながら、こう述べておられる。
 「日蓮は、この勧持品の文のとおり、悪口罵詈されている。汝らは、なぜ、この経文のとおりになっていないのか」(御書953㌻、通解)
 私は、経文のとおりになっている。お前たちは、なぜ、悪口を言われないのか。なぜ、怨嫉され、難にあわないのか。お前たちは、経文のとおりに戦っていないからではないのか――こう烈々と叱咤されているのである。
 また大聖人は、「もし恩を知り、心ある人々であるならば、(私が)杖で二回叩かれるうち、自分が一回は代わりに叩かれるべきではないか」(御書1450㌻、通解)とも仰せになっておられる。
 悪口罵詈され、怨嫉されるのは、法華経の行者の証である。大聖人の真実の弟子の証明である。
 この証を打ち立てたのが、創価の三代の師弟の誉れであることを知っていただきたい。(拍手)
18  広宣流布は「永久平和」への大闘争
 大聖人は、妙法こそ、人類が仏の境涯へと向上し、絶対的幸福を勝ち取っていくための秘術と仰せである。この大仏法の力で、世界に崩れぎる永久の平和を築きゆく闘争が、私たちの広宣流布の運動である。
 妙法を根底とする以外に、万年に崩れざる平和世界を築くことはできない。その偉大な使命の青春を生きるのが青年部である。なんと尊い人生か。大事な諸君であるか。
 この無上道を歩み通したときに、永遠に輝く、生命の栄光と勝利が明確に君たちを待っている。
 皆さんの尊き活躍を、だれが見ていなくても、御本尊が見てくださっている。宇宙大の仏法である。皆さま方の功徳は計り知れないほど大きい。それは、御書に照らして、絶対に間違いないのである。
19  今月(七月)の末には、ニュージーランドの国会議事堂で、「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展の開幕式と記念展示が行われる。それを記念し、非暴力の大英雄、マーチン・ルーサー・キング博士の獅子吼を、わが青年部に贈りたい。
 「人種差別の悪」に対する間断なき精神闘争を呼びかけた言葉である。
 「忍耐強い攻撃と、正義という名の兵器を毎日のように使って、その悪を攻め続けなければならない」(『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版)
 私たちも、この気概で進んでまいりたい。
 大切なわが同志の皆さま方のご健康、ご活躍、ご多幸を祈って、私のスピーチを終わりたい。
 長時間、ありがとう! いつまでもお元気で! また、お会いしましょう!
 (創価国際友好会館)

1
1