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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 友の心に喜びを 希望を! それが勝利の大道

2003.6.29 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  リーダーは生き生きと!
 生き生きと!――これが、勝利を勝ち取るリーダーの姿である。
 調子の悪い時、それを乗り越えていく利剣は、題目の力である。
 題目をあげないと、自分が損をする。はつらつと、生命力に満ちみちた日々であっていただきたい。
 リーダーは正義を厳然と叫ぶべきである。しかし、決して威張ってはいけない。威張る人間に、人はつかない。後輩も育たない。それでは永続性の発展はない。
 まずリーダーである自分が、なすべき責任を果たしゆくことだ。徹して誠実に、謙虚にいくことだ。
 そのほうが″重し″がとれて、後輩が伸び伸びと成長していける。皆に慕われ、心から信頼される自分自身を築いていただきたい。
 要領だけでは、最後は敗北の人生である。だれが見ていなくても陰の陰で戦う人が、最も偉い人である。その人を讃え、励ますのが、本物の名指導者である。
2  日蓮大聖人は、迫害のなか、弟子たちを励まし、「このような濁世には、たがいに、つねに語りあって、絶えず、後世を願っていきなさい」(御書965㌻、通解)と仰せである。
 私どもは、広宣流布のために、つねに、心を合わせ、呼吸を一致させ、真剣な協議を積み重ねてまいりたい。
 有名な「聖人御難事」には、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」とある。
 きょうという日は二度と来ない。大切な一日一日を、どこまでも強気で、「師子王の心」で、勝利することだ。
 これまでがどうあれ、過去は過去である。現在から未来へ、いかにして前進と向上、成長と発展の道を開いていくか。そこから人間革命のドラマが始まる。
 惰性の延長はご破算にして、たえず生き生きと新しく出発するのが、本因妙の仏法である。
 日々、心新たに前進する学会活動は、仏法の法理にのっとって、幸福と勝利のリズムを奏でゆく行動なのである。
3  きょうは、日夜、広宣流布の宝城を黙々と守ってくださる礎会(会館管理者のグループ)の皆さま方、また、広布の同志を励まし、尊極なる生命を厳然と守るドクター部の代表も参加されている。尊い労苦に心から感謝申し上げたい。
 二十一世紀は「生命の世紀」である。「健康の世紀」である。ドクター部の皆さまは万人の健康を守り、健康を創造しておられる。これほど尊い偉業はない。
 ドクター部の大先輩ともいうべき四条金吾に、大聖人は仰せである。
 「(あなたの尊き信心の志は)必ずや、遠くは教主釈尊ならびに多宝如来、十方の諸仏、そして近くは、天の宮殿におられる日天・月天も、明らかに照らし見ておられることでしょう」(御書380㌻、通解)
 一人、決然と立ち上がり、妙法流布に生きぬく人を、だれが見ていなくとも、諸天が見ている。全宇宙の仏・菩薩が見ている。
 満天下に輝きわたる一家眷属の幸福境涯を、生々世々、開いていけることは、御聖訓に照らして、間違いないのである。
4  一人の友を心から大切に
 友のため、法のために駆ける、けなげなわが同志を、一人でも多く、讃え、励まし、ねぎらいたい。そういう思いで、私は日々、真剣に祈り、行動している。具体的な激励を、一つまた一つと、積み重ねている。
 たとえ一言でもいい。縁した「一人」を心から励ますことだ。
 蓮祖は、「一」は「万」の母という、ことわぎを引いておられる。(御書498㌻)
 真心こめて、全精魂で、一人を激励することは、百人、千人、ひいては万人の力を引き出す。
 時を逃さず、的確な一つの手を打っていくことが、百の布石、さらには幾千幾万の布石へと波及していくのである。
 インドの非暴力の大英雄、マハトマ・ガンジーも、いつも明るく皆を励ます指導者であった。
 イギリス人の友人が大病にかかったとき、ガンジーは、毎日、病床に足を運び、快活に笑わせた。それが回復への力になったというエピソードは有名である。
 何があっても、意気消沈しては負けである。苦しい戦いであればあるほど、朗らかに、また朗らかに、友を励ましていくことだ。
 私たちが日々、読誦している法華経の方便品には、「悦可衆心(衆の心を悦可せしめたまう)」(法華経一〇七㌻)と説かれている。
 皆の心を喜びで満たし、皆の心を希望に躍動させ、「歓喜の中の大歓喜」のうねりを起こしていく。ここに勝利への秘術がある。「法華経の兵法」をもった広宣流布のリーダーの指標がある。
 「一人の友を心から大切に」――全リーダーがこの原点に徹しゆくならば、広宣流布の威光勢力は、さらに千倍、万倍となる。このことを深く心に刻みあいたい。
5  子どもたちを喜びと想像の世界へ――ワイルドスミス展
 ブライアン・ワイルドスミス画伯は、心から尊敬する、私の大切な友人である。画伯の作品を紹介する「ワイルドスミス・絵本の世界――おとぎの国のファンタジア」展が開かれている。
 大盛況となった東京富士美術館での開催に続き、現在、さいたまスーパーアリーナで行われ、連日、多くの方々が鑑賞に訪れている。
 東京富士美術館の創立者として、また画伯の友人として、ご尽力いただいている皆さま方に深く感謝申し上げたい。
 あらためて申し上げるまでもなく、ワイルドスミス画伯は、「世界最高峰の絵本画家」の一人と絶讃されている。自由で華麗な作風から「色彩の魔術師」と呼ばれる。
 四十年にわたる画業の集大成となる今回の展示には、絵本の原画をはじめ約百五十点の作品が紹介されている。そこには、画伯が、私の創作童話に寄せてくださったすばらしい絵も含まれている。
 画伯は、みずからの創作を支えてきた信念を、こう語っておられた。
 「子どもの魂は、そこに何でも書き込める白紙の本のようなものである。その白紙の本に私たちが書き込むものが、子どもの魂に触れ、その子どもが何になるかを決定づけるのである。この哲学は、私の絵本八十冊全ての創作を動機づけてきた」(東京富士美術館主催 画業四十周年記念「ワイルドスミス・絵本の世界―おとぎの国のファンタジア」展の図録〈執筆・翻訳・編集協力はワイルドスミス絵本美術館〉から。Brian Wildsmith, ''Open their eyes to beauty,'' U.S.Catholic, 2001)
 画伯の日から見ると、「子どもたちにとって失礼な」(同前)絵本が決して少なくない。そこには、真実や美が描かれていないからだというのである。
 子どもだからこそ、その豊かな感受性を呼び覚まし、喜びと想像の世界へと羽ばたかせゆく、本物の芸術にふれさせてあげたい。子どもたちが胸を躍らせながらページをめくるなかで、地球や人間の美しさ、生きることのすばらしさを感じるような、本物の絵本を与えたい。このような願いが結晶したのが、画伯の作品である。
6  ワイルドスミス画伯の独創的な画業は、偏見や嫉妬の批判を浴びせられながらの壮烈な創造の闘いであった。
 画伯が、オックスフォード大学出版局と手をたずさえて、新しい仕事を開始したときのことである。その作品が、「漫然とした落書きのような絵」などと酷評された。若き画伯は、さすがに絶体絶命だと落胆した。
 画伯は、オックスフォード大学出版局の女性の編集長のもとに行って、「これで、お終いですか?」と率直に聞いた。
 すると、編集長は「とんでもない! これは始まりよ」と明快に断言。そして愚昧な人々の悪口など、いささかも気にすることはない、最高峰の出版をしている誇りも高く、いちだんと新しい創造を始めようと、激励してくれたのである。(同図録。同展を記念してのインタビュー〈二〇〇三年〉)
 これが画伯の希望あふれる出発となった。
 このオックスフォード大学出版局からは、画伯と私の絵本も、またトインビー博士と私の対談集も発刊していただいている。
 「子どもにとって美しすぎる」等と無理解な声もあったが、画伯の絵本は世界中の子どもたちに喜ばれ、受け入れられている。
 画伯は毅然と語る。
 「子どもにとって難しすぎるということはあつても、美しすぎるということはあり得ません。子どもはただ生きているのではなく、また一定の反応をするように仕組まれているのでもなく、ものごとの本質を受け止めて生ています。そういった本質にふれると、子どもはそれをすぐに吸収し、味わえるのです」(同図録。ワイルドスミス氏来日時の、テレビ番組のためのインタビュー〈一九九七年〉)
 心の底から子どもを愛し、信じて、子どものために挑み残した画伯の作品群は、「絵本の革命」と讃えられている。
 子どもは一個の立派な人格者である。偉大な未来からの使者である。
 大人は、子どもの人格を大きく信頼し、尊敬していかねばならない。真剣で誠実な心をもって接していくべきだ。
 私は、この席をお借りして、「二十一世紀使命会」の方々をはじめ、宝の未来部の育成という崇高な労作業に懸命に取り組んでくださっている、偉大な″人間教育者″の方々に、心から感謝申し上げたい。
7  勇敢に「日蓮が如く」大言論戦を
 この七月六日は、不惜身命・死身弘法を貫いた牧口初代会長、戸田第二代会長が、日本の軍部権力によって囚われて満六十年の節である。
 そしてまた、七月三日は、戸田先生の出獄の日であり、不二の弟子である私の入獄の日である。
 まさに、創価学会の三代の師弟は、御書と法華経に違わぬ「如説修行(仏の説の如く修行する)」を貫き通してきた。
 大聖人は門下に幾度となく、「日蓮が如く」と呼びかけておられる。
 大聖人の教えどおりに、寸分違わずという決意で、そのまま実践する。それが、信心の極意にほかならない。
 たとえば、「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ
 また、「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき
 さらに、「何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて」と。
 そして、「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し
 ――「日蓮が如く」「我が如く」「予が如く」である。
 「私(大聖人)と同じく法華経を実践しなさい」「私と同じく破邪顕正の大言論戦をしていきなさい」「私と同じく師子王の心で戦っていきなさい」という仰せである。
 第二祖日興上人も「先師の如く」と明確に言われている。
 (「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し」「巧於難問答ぎょうおなんもんどうの行者に於ては先師の如く賞翫す可き事」)
 大聖人がなされたように、大聖人と同じ心で、広宣流布へ戦っていくべきだ――師弟不二の実践を教えておられる。これに違背したのが日顕一派である。
 そもそも、法華経の魂は、「万人を仏にする」ことにある。
 方便品には「如我等無異」(法華経一三〇㌻)――「我が如く等しくして異なること無からしめん」とある。
 全民衆を、自分と同じ境涯にまで高めたい。それが仏の誓願である。
 その心を、わが心として「不二」の道を進んでいけば、仏と「不二」の境涯になる。それが法華経の真髄である。
 その真髄を体現した尊極の和合僧が、創価学会である。
 わが身をなげうって、不幸の人、貧しい人、苦しむ人を救っていく。これが大乗仏教である。創価学会の魂である。これを忘れたら、何のための学会か。どこまでも民衆のために――この魂があるかぎり、学会は永遠に発展する。
 大聖人の如く、また牧口先生の如く、戸田先生の如く、断固として、広宣流布の大道を勝ち進んでまいりたい。
 御聖訓には「法華経の一字は大地の如し万物を出生す、一字は大海の如し衆流を納む・一字は日月の如し四天下を照す、此の一字変じて仏となる」と記されている。
 御本尊には無量の力用が秘められている。勇気ある信心を貫くことだ。妙法こそ、一切を生みだす大地なのである。
8  聖教拡大の尊き労苦に感謝
 全国の同志の皆さま方の尊きご尽力によって、「聖教新聞」の拡大は目覚ましい。
 同志の皆さま、新聞長の皆さま方、本当に、ありがとうございます。
 尊き″無冠の友″の配達員の皆さま方にも、心から感謝申し上げます。
 部数が増えて、さらにご苦労をおかけすることになりますが、ますますお元気で、光輝ある使命の道を歩みゆかれることを、私も真剣に祈ってまいります。
 ある大会社の社長が学会員に語っていた。
 「創価学会の皆さんの新聞啓蒙は、本当にすごい。その地道な行動は見事だ。労苦を惜しまない配達員の方々が、全国におられる。最も地道で、最も真面目な方々に、創価学会は光をあてていらっしゃる。その無事と活躍を祈っておられる。すばらしいことだ。だからこそ、世界的な創価学会になったのですね」
 そうしみじみと讃えてくださったそうである。
 私も、子どものころ、新聞配達をした。暑い時も、寒い時も、早朝から配達した。眠たい時もあった。雨の日も、雪の日も、休まなかった。
 そうした労苦を、配達員の皆さまが、今、担ってくださっている。尊き生命の行動――それは広宣流布の行動である。
 諸天善神も、仏菩薩も賛嘆し、労苦は全部、大功徳に変わっていくことは絶対に間違いない。これが仏法である。
 私たち夫婦も、毎日、まず全会員の幸福を祈っている。とくに、配達員の皆さま方のご苦労に対し、健康であれ、無事故であれ、いやまして、ご家族が一家和楽で、幸福な日々であられることを祈りに祈っている。
 広宣流布の配達員、万歳!
 幸福の推進の配達員、万歳!
 「聖教新聞」は総力をあげて、今こそ紙面のいっそうの充実をはかってまいりたい。
9  妙法に生きぬく女性は断じて負けない
 きょう私は、連載「わが忘れ得ぬ 尊き同志たちよ」に関西の矢追久子さんを書いている。
 広宣流布のために、人一倍、苦労し、真剣に戦った人を、私は絶対に忘れない。亡くなられた大功労者を、永遠に顕彰してさしあげたい。これが私の真情である。
 わが学会には、全国、そして全世界に、偉大なる信心の模範の女性が、無数におられる。
 私が会長を勇退した時のことである。
 一芸術部の方が、あまりにも宗門の非道な闇討ちに、狂わんばかりに正義の炎を燃やした。真剣に御本尊に、学会の大発展を祈った。そして、師匠の健康を、また一人ももれなく、学会員が総反撃で勝利することを、何百万遍、何千万遍の題目をあげて、祈りに祈ってきたことを、私は知っている。
 なんと美しくすばらしき正義の女性か。私は心で泣いた。その方は無量無辺の大福運を積みながら、今でも悠々と、女王のごとく振る舞っておられる。うれしいかぎりだ。仏法は勝負だ。勝ったのだ。
 御書には、「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし」と仰せである。
 妙法の題目を唱え、広宣流布に生きぬく女性は、いかなる強敵にも断じて負けないとのお約束である。
10  そしてまた、大聖人は、日女御前に、こう仰せである。
 「かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり
 創価の女性の希望の前進を、何ものも妨げることはできない。幸福のスクラムを何ものも壊すことはできないのである。
 創価の同志は、一生懸命に広宣流布の行動を重ねておられる。リーダーは、だれよりも″尊き同志に尽くす人″でなければならない。
 広布へ戦い、友に尽くしぬく。そうやって築いた福運は、どんな嵐にも消えない。そこに自分自身の勝利と幸福が輝くのである。
 今、時代も社会も乱れている。凶悪な犯罪も増加してきた。
 どうか、女子部、婦人部の皆さま方は、くれぐれも、帰宅が決して遅くならないように、再度、厳重に注意しあってまいりたい。
11  責任感がなければ無限の力は出ない
 先哲の箴言を、皆さまに贈りたい。フランスの作家アンドレ・モロワの言葉である。
 「おっちょこちょいは、何でも簡単にできると思いこみ、そのあげく気がついてみるとひどい破目におちいっている。
 臆病者はすべてを不可能だと思いこみ、最初からあきらめて何もしない。
 良い職人は、大きな仕事もやればできることを知っており、一歩一歩慎重にそれを完成させる」(『人生をよりよく生きる技術』中山真彦訳、講談社)
 まったく、そのとおりだ。一人の無責任な軽率な行動が、どれほど多くの人々に迷惑をかけてしまうことか。
 今まで、学会の中でも、そのような愚か者の幹部が何人もいた。その連中の最後は、すべて哀れなものだ。真剣にして誠実に、みずからの責任を果たしゆく人こそが、宝である。
 責任感がなければ、無限の力は出ない。そして、汝自身の生き甲斐もなくなり、使命を成し遂げることもできない、惨めな後悔に泣いていく人生だ。
 ともあれ、勇敢に戦っていくことである。勇敢のなかに、人々を幸福へとリードしていく慈悲もある。
 また、勇敢のなかに、さまざまな問題を解決していく知恵も生まれる。そして勇敢のなかに、勝利への前進の力がわき上がるからだ。
 終わりに、二〇〇一年の七月十七日に詠んだ和歌を贈り、スピーチを結ばせていただく。
 わが同志とも
   護り 勝ちたる
     創価城
   いや増し 輝き
     連続勝利を
 この歌は、学会本部の質素な執務室に書き置いてあったものである。
 どうか、ご健康でご活躍を、そして、愉快な勝利の人生を生きぬいていただきたい。
 同志の皆さま方に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 (東京・信濃文化センター)

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