Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 開け! 広宣の「新しい道」を

2003.6.25 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  青年部の育成に全力を
 暑いなか、遠いところ、ご苦労さま!
 広宣流布の勝利の前進を、私は、心から讃え、感謝申し上げたい。
 世界が人間主義を待望している。恩師が夢見た洋々たる広布の地平が、今、彼方に見えてきた。
 異体同心の団結で、広宣流布の新しい道を開いてまいりたい。
 青年を育てたい。青年を鍛えたい。
 戸田先生は、いち早く私を見いだし、徹底して薫陶してくださった。青年の育成に全力を注がれた。鋭い先生であった。急所をつかむ天才であられた。
 先生は、家庭にあっても、社会においても、女性の存在がいかに大きいか、よく語られていた。
 その意味でも、女子部が大事である。リーダーは、わが子以上に、女子部を大事にすべきだ。
 女子部を応援したい。女子部が輝けば、広宣流布の未来が輝く。友情のスクラムを広げながら、思うぞんぶん、活躍してもらいたい。力を合わせて、すばらしい歴史をつづっていただきたい。
 また男子部が、″女性にいい格好を見せよう″などと思っても、すぐに見抜かれる。(笑い)
 人間、見栄や気取りがあると、本当の力は出ないものだ。たとえ笑われようが、けなされようが、わき目もふらずに強敵に挑み、勝利を勝ち取る。これが一流の男性である。
 人気など考えず、黙々と、忍耐強く、わが使命の道に徹することだ。
 広宣流布の途上には、困難がある。邪悪な心の人間がいる。どう攻めるか。どう打ち破るか。そして尊い同志を守り、どう新しい道を開くか。それを考えなくなったら、青年部のリーダーの資格はない。愚者の集まりであり、無慈悲である。将来のために、あえて申し残しておきたい。
2  戦時中、学会は軍部から迫害を受けた。そうしたなか、ついこのあいだまで「牧口先生」「牧口先生」と言っていた人間が、手のひらを返して、「牧口の野郎」と罵倒し、去っていった。
 それを語る時、戸田先生は、体を震わせ、涙し、激怒しておられた。
 「牧口の野郎』とは何だ! 世界中の人間がそうなっても、学会員だけは違うと思っていた。何たることだ! これが本当に学会なのか!」
 戦後、私が先生とお会いした初めのころ、よく語っておられた。迫害に耐え、戦いぬいた巌窟王の叫びであった。
 人ではない。自分だ。自分が信念を貫き、師弟の道を歩みぬく。それが本当に偉大な人間である。
3  皆さまは「創価の師子王」「広宣流布の太陽」
 法華経の安楽行品には、「遊行するに畏れ無きこと 師子王の如く 智慧の光明は 日の照らすが如くならん」(法華経四四七㌻)――妙法を実践する人が、恐れなく活躍することは師子王のようであり、その智慧の光明は、太陽のようであろう――と説かれている。
 まさに皆さま方こそ、創価の師子王であり、広宣流布の太陽である。
 どうか、人生の総仕上げを立派に飾っていただきたい。いやまして堂々と、勇気ある偉大な人生を歩みきって、栄光の歴史を刻み残していただきたい。
 智慧の光明を赫々と放ちながら、わが使命の地域の威光勢力をいちだんと増しゆく、広布の英雄たる名指揮をよろしく頼みたい。
4  方面長、方面婦人部長の皆さま方は、全員が、広宣流布への同じ使命感と責任感を分かちもつ、仏意仏勅のわが創価学会の中枢の存在である。
 イギリスの大英雄と謳われたアーサー王のもとには、強敵を倒し見事な勝利を収めゆく一騎当千の騎士たちが集った。彼らは「円卓の騎士」と呼ばれた。
 それは、なぜか。それぞれが力ある精鋭中の精鋭として、等しく「円卓」を囲んだという伝承のゆえである。序列や差別のない平等の連帯を象徴しているといえよう。
 もとより次元は異なるが、広布のリーダーの会議も、皆が同じ決意に立った大指導者の「異体同心」の陣列である。
 日蓮大聖人は仰せである。「悪は多けれども一善にかつ事なし
 全創価学会の広布と正義の完全勝利へ、さらに深く心を合わせ、綿密なる連携をもって、希望と歓喜の大前進を開始してまいりたい。
 法華経の最終章である普賢品には、末法の法華経の行者について、こう記されている。
 「この人(末法の法華経の行者)はほどなく、覚りを得る道場に至って、諸の魔軍を打ち破り、『仏の覚り』である阿褥多羅三貌三菩提を得て、法輪を転じ、法の鼓を撃ち、法の螺を吹き、法の雨を降らせるにちがいない。天・人の集いの中の、師子の法座の上に坐すにちがいない」(法華経676㌻、通解)
 普賢品では、この法華経の行者を守りに守るという断固たる普賢菩薩の誓願がなされている。
 現実に今、陰険にして卑劣な時代にあって、広宣流布を断行しているのは、創価学会しかない。学会員の皆さま方しかいない。すばらしき尊極無上の人生であることを忘れないでいただきたい。
 皆さまを、そして子孫末代まで、三世十方の仏菩薩が守護しないわけがない。
5  会合革命で新時代を開け
 その地の広宣流布は、その地の同志にしか成し遂げることはできない。
 だからこそ、この尊き方々を、私たちは最大に尊敬する。そして、全精魂こめて激励するのだ。
 一人が本気になって立ち上がれば、百人、千人の力に通じていく。
 一回一回の会合も真剣勝負で取り組むことだ。中心者も、登壇者も、事前に十分に原稿等を用意し、よく打ち合わせを重ねて、万全の態勢で臨んでいただきたい。
 私も青年部時代、疲労のあまり、準備が不十分なままに御書講義を担当して、受講者の方から叱責され、猛省したことがある。
 皆、大変な状況のなか、真剣な求道心を燃え上がらせて、会合に出席しておられる。がっかりさせたり、いやな思いをさせたりすることは、断じて許されない。
 来られた方が、心から満足され、満々と生命力を強め、信心を向上させていくならば、どれほど大きな広宣流布の力となることか。皆さま方が先頭に立って、みずみずしい、生き生きとした、新時代に即した「会合革命」をよろしくお願いしたい。
6  ギリシャにSGIの法人が誕生
 古代ギリシャの詩人エウリピデスは謳っている。
 「立派な者は仲間を立派にする」(『ペリアデス』西村賀子訳、『ギリシャ悲劇全集』12所収、岩波書店)
 人間の真実の偉さは、何によって決まるか。それは、仲間を、そして後輩を、どれほど立派に光らせたかで決まるといっても過言ではあるまい。
 広宣流布の拡大は、あらゆる人の個性を生かし、「人のつながり」を広げゆくことだ。
 われら創価の世界には、皆の心を豊かに励まし、青年を伸ばし、人材を育てゆく、至極の教育力が満ちあふれている。
 リーダーの皆さまこそ「人材育成の模範」であっていただきたい。
 西洋文明の源流、ギリシャの天地でも、わがSGIの同志は、仏法を基調として、幸福と平和の対話を広げ、誠実に社会貢献してきた。
 そして、このほど、ギリシャSGIの礼拝施設の設置が正式に認可された。政府から公認された宗教文化団体として、この七月三日、新アテネ会館で晴ればれと法人の発足式が行われることになった。ここには、百人の地涌の友が集われる予定と、うかがっている。
 理事長からは「愛するギリシャの発展のために全力を尽くします。大切なメンバーを守り、メンバーに奉仕して、ギリシャを最も幸福な国土社会にしてまいります」との決意のお便りをいただいた。
 さらに、この七月、アテネでは、世界約六十力国の最優秀の高校生が集って「国際化学オリンピック」が開催される。
 このオリンピックに日本代表として選抜され出場するのが、わが創価学園の四人の英才である。
 この学園生の来訪を、理事長たちは、心待ちにしてくださっている。
 一九六二年、私がギリシャを訪問してより四十星霜余――。ソクラテスとプラトンの師弟が歴史を刻んだ舞台で、二十一世紀の創価の人間主義の新たな希望の劇が始まった。そのことをともに喜びあいたい。
7  「九牛の一毛」と謙虚な心で
 「余りにも傲慢な者は数々の禍いが破滅に陥れる」(「作者不詳断片」川崎義和訳、同全集13所収)とは、古代ギリシャの格言である。これは歴史の鉄則といってよい。仏法においても″未だ得ぎるを得たり″と思い、慢心を起こす「増上慢」を峻厳に戒めている。増上慢を放置しておけば、真面目で善良な和合の集いが壊される。だからこそ、厳しく責めるのである。
 大聖人は、御書の中で、「九牛の一毛」という言葉を何度も用いておられる。″多くの牛のなかの、ほんの一本の毛″――すなわち「取るに足らないこと」という意味である。
 法論のさいの心得を教えられた御聖訓がある。
 「自分に若輩の弟子であり、師の日蓮の法門を″九牛の一毛″も学び及んではいない。しかし法華経について不審があると言われる人がおられるならば、及ばずながらお答えしよう」(御書1281㌻、通解)――このように言いなさいと仰せである。ここに厳粛なる師弟の道の一端が示されている。
 この御書を賜ったのは三位房である。三位房といえば、京都の貴族社会に出入りして虚栄に流され、増上慢となって、やがて師匠に敵対して、破滅の末路を遂げたことで知られる。彼は、日ごろから教えられてきた師匠の精神に違背したのである。
 戸田先生は、よく言われた。
 「議員になると、信心と別世界の権力と、わがままな世界に入って、自分は偉くなったと錯覚して、信心を無視し、人々を下に見、破滅していく人間が出るから、気をつけろ」と。
 残念なことに、そのとおりの哀れな先輩がいたことは、ご存じのとおりである。
 わが創価の師弟は、大聖人の仰せに寸分も違うことがない。
 牧口先生が獄中で記された一節がある。
 「災難と云うても、大聖人様の九牛の一毛です、とあきらめて(=はっきりと見つめて)益々信仰を強める事です。広大無辺の大利益に暮す吾々に、斯くの如き事は決してうらめません。経文や御書にある通り、必ず『毒変じて薬となる』ことは今までの経験からも後で解ります」(『幕愚痴常三郎全集』10)と。
 どれほど、崇高な境涯であられたことか。この殉教の師・牧口先生に連なる創価の誇りは、計り知れない。
8  司馬遷の信念の闘争
 ところで、「九牛の一毛」とは、もともとは、二千年以上前の中国の大歴史家・司馬遷が、友人にあてた手紙に記した言葉である。迫害に屈せず、真実の歴史を記し残した、司馬遷の信念の闘争について、私は、これまでも、さまざまにスピーチしてきた。
 司馬遷は、正義を勇敢に叫んだゆえに投獄され、命におよぶほどの弾圧を加えられた。
 それでも耐えぬいたのは、なぜか。司馬遷は書いている。
 「たとい私が法の裁きを受けて死罪となっても、九牛の一毛を損じたくらいのこと。螻蛄けらや蟻と少しも変わらない。しかも世間は節義のために死んだ者と等しなみには見てくれず、ただ知恵が尽き罪が重なって、どうにも逃げられず、とどのつまり死刑になったのだと思うでありましょう」(『漢書』、『漢書・後漢書・三国志列伝選』本田済編訳、〈『中国古典文学大系』13〉所収、平凡社)
 だれがあざ笑おうとも、だれが謗ろうとも、断じて、生きて、生きて、生きぬいて、自分の信念を貫いてみせる。断固として、自分の正義を示してみせる。自分の勝利を残してみせる――これが司馬遷の決心であった。
 この大歴史家は、こうも論じている。
 ――孔子は、災厄のなかにあって、偉大な歴史書である『春秋』を作った。
 大詩人・屈原は、放逐されて、不滅の名詩である『離騒りそう』を書いた。
 孔子の弟子である左丘明は失明して、歴史書である『国語』を著した。
 孫子(孫臏そんぴん)は、奸計にあい、無実の罪で、両足を切断されて、兵法を編みだした。
 秦の宰相・呂不葦りょふいは蜀に流され、さまざまな思想や天文・地理の学説まで網羅する『呂氏春秋』が後世に伝わった。
 また、思想家・韓非子かんぴしは、讒言にあい、秦にとらわれ、名高い「税難」「孤憤」を著した。さらに、詩三百編の大部分は、聖賢が怒りと憤りを発した時に作られたものである――。
 これが司馬遷の透徹した歴史観であった。この歴史の法則を見通した司馬遷は、みずから、その正道を歩みぬいた。そして、苦闘の歳月を経て、じつに百三十巻、五十二万六千五百文字にもおよぶ、大歴史書『史記』を完成させていったのである。
 それは、中国の最古の時代から、司馬遷の生きた漢王朝の時代まで、およそ二千年におよぶ壮大な歴史絵巻であった。
9  『史記』は「悪を貶し善を勧める」
 あるとき、周恩来総理は、外国の使節団から、「中国を理解するために読むべき本として、一冊を挙げるならば何か?」と問われ、間髪を入れず『史記』と答えている。
 御書や法華経を英訳してくださった、米・コロンビア大学元教授のバートン・ワトソン博士は、『史記』研究の大家であられる。『史記』を初めて英訳されたことでも知られている。
 私も、博士と『史記』をテーマに語りあったことが懐かしい。博士からは『史記』の貴重な翻訳書もいただいた。
 博士は『史記』の特徴を一言でわかりやすく表現すると、「悪をおとし善を勧める」ために書かれたのだと言われる。(『司馬遷』今鷹真訳、筑摩書房)
 博士は、こう論じられている。
 「もし善がその善を行なった人間の姓名が永久に保存されることによって報われるとするならば、悪に対する報いは、その姓名の抹殺にある」(同前)
 さらに、ワトソン博士は、『史記』から学ぶ教訓について、こうも記されている。
 「もしわれわれが変化の過程の中に何らかの恒久性を見つけ出そうとするならば、それは善の不滅な力である。悪は悪を行なった人間を破滅させる。だが善は、父から子へ、君主から臣下へ、師から弟子へと永続する」(同前)
 じつにすばらしい洞察である。
 ともあれ、悪とは戦う以外にない。なかんずく、仏法においては、悪と戦わなければ仏にはなれない。
 大聖人は、次のように説いておられる。
 「釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であつた。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人を良く成長させるのである」(御書917㌻、通解)
 仏意仏勅の創価学会は、広宣流布の和合を破壊せんとする末法の提婆達多と戦いぬいてきたゆえに、今、無量無辺の大功徳に包まれている。
10  大聖人は、『史記』をはじめ、中国の歴史書をつまびらかに学んでおられた。
 御書に説かれている「石虎将軍」の逸話も、『史記』に出てくる。
 虎に母親を食い殺された将軍が、石を虎と見て、仇討ちの一念をこめて矢を射ると、その矢は、勢いよく刺さった。しかし石と知ってあらためて射ても、矢はふたたび突き刺さることはなかったという。
 大聖人は、この故事を通して、四条金吾に仰せである。
 「あなたもまた、この故事のように、敵は狙っているのだろうが、(あなたの)法華経の信心が強盛であるので、大難も、事の起こる前に消えたのであろうか。これにつけても、よくよく信心に励んでいきなさい」(御書1186㌻、通解)
 「強盛な信心」――これこそ、究極の信念であり、最大の一念の力なのである。
 題目に勝る力はない。悩めるあの友にも、この友にも、題目を送ってさしあげることだ。そして、真心こめて激励の手を差しのべてまいりたい。
11  創大の通信教育が日本一に
 このほど、創価大学の通信教育に学ぶ学生の人数が、二万一千人を超え、名実ともに日本一のスケールとなった。日本における通信教育の先駆者でもあられた牧口先生も、どれほど、お喜びくださるであろうか。
 すでに牧口先生は、二十世紀の初頭に、二万人の女性が学ぶ通信教育を推進されていた。
 しかも牧口先生は、この通信教育に、「実際的」「親切」「斬新」「快活」「だれでもわかる」「活動を尊ぶ」「平和を載んずる」「最先端の知識を集める」等の点で、日本一との自負と誇りをもっておられたのである。その牧口先生の心を、今、見事に開花させることができた。
 ご尽力くださつている皆さま方の労をねぎらうとともに、通教生の皆さま、また、卒業生の方々のますますのご健勝を、私は心から祈っている。
12  婦人部と女子部がうるわしき前進
 皆さまの新しい出発にあたり、世界の哲学の言葉を贈りたい。
 スイスの哲学者ヒルティ。彼は、ベルン大学で教鞭をとり、総長も務めた。このベルン大学でも、わが学生部が活躍している。
 ヒルティの言葉に、こうある。
 「『時代は先ず何よりも《母》をもとめている』とかつてナポレオン一世が言ったそうですが、これは現代にとっても完全に真理です」「真面目な、勇敢な、 志の高い母親たちをもとめているのです」(『愛と希望』秋山英夫訳、『ヒルティ著作集』6,白水社)
 まさに、創価の母の皆さまのことである。
 全国各地で、一体となって前進される婦人部・女子部のうるわしい幸のスクラムを、私は心から賞讃したい。いな、大聖人が最大に讃嘆してくださっていることを、われわれは深く確信する。
13  心に響く励ましの声を
 中国の良心として名高い宋慶齢そうけいれい女史(孫文夫人)は、″若人こそ私たちの未来″と叫び、その育成を訴えていた。
 私たちも、青年部、未来部の薫陶に、さらに総力をあげてまいりたい。
 この宋女史は、若人に「勇気をもって悪人悪事に向かって徹底的にたたかわなくてはなりません」(『宋慶齢選集』仁木ふみ子訳、ドメス出版)と励ましている。
 青年の月である来月には、全国青年部幹部会が行われる。意気軒昂の大成功を祈りたい。
 大事なのは、リーダーの声である。「声仏事を為す」(御書七〇八ページ等)である。
 皆、打ち続く不況のなか、広宣流布のために奮闘しておられる。その尊き労苦に報いるためにも、リーダーは、真心の声、温かな励ましの声を惜しんではならない。
 声が広宣流布を成し遂げる。その声を発しゆく源泉は智慧であり、そして勇気ある信心である。
14  蒸し暑い季節となった。どうかくれぐれも、ご健康に留意していただきたい。
 終わりに、昭和三十五年の五月の三日、第三代会長就任の日に、私が詠んだ和歌を皆さま方に贈り、記念のスピーチとしたい。
 栄光と
   勝利の旗も
     堂々と
   広宣流布の
     金の城かな
 きょうは、本当にありがとう。遠くから、ご苦労さまです。各方面、各県に帰られましたら、どうか、皆さまにくれぐれもよろしくお伝えください。
 お元気で! また、お会いしましょう!
 (東京・信濃文化センター)

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