Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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首都圏代表者会議 「師弟の大道」こそ勝利の人生

2003.6.7 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

前後
2  スイスで現在、ポーリング博士との友情の結晶である「ライナス・ポーリングと二十世紀」展が、国連の欧州本部に続いて、名門ジュネーブ大学で開催され、反響を広げている。
 (=名誉会長の友人で、ノーベル平和賞・化学賞を受賞したライナス・ポーリング博士の思想と業績を展示。名誉会長の提案で実現した)
 大文豪トルストイも愛読した、スイスの哲学者アミエルに、こういう言葉があった。
 「進まなくなった者は退く」
 「成長を止めた者はもう衰え始める」
 「生きるとは絶えず勝って行くこと」(『アミエルの日記』河野与一訳、岩波文庫)
 世界の賢者の思想は、仏法の智慧を含んでいるものだ。
 日蓮大聖人の仏法の魂は、「進まざるは退転」である。
3  生き生きと、生きることだ。広宣流布へ戦う人は、偉大な生命力がわく。
 ひとたび、わが使命の舞台に立ったならば、逡巡や怠惰は負けである。絶対に、わが魂が光っていなくてはいけない。生きて生きて生きぬいて、すばらしい歴史を残していくことだ。
 現実に広宣流布を進めている人。その人が、いちばん立派である。それは婦人部である。婦人部を大事にすることだ。
 どこまでも仲良く、心を合わせ、健康第一で、勝利の軍勢の前進をお願いしたい。
4  会館は″幸福と平和の宝城″
 六月は、婦人部結成の意義深き月である。きょう六月七日は、信濃町の第二女性会館(旧・創価婦人会館)がオープンして二十五周年と、うかがった。
 開館式の折、私は、「この会館に集われる方々に無量無辺の功徳があふれるように」と真剣に祈念した。この″母の城″では、妻とともに首都圏婦人部の皆さま方と懇談会をもつなど、数々の思い出を刻んできたことも懐かしい。
 学会の会館は、そこに集う人が皆、大福運をつけ、力をつけて、勝利へ、勝利へと向かっていく″幸福と平和の宝城″である。
 管理者の方々、守る会の皆さま、牙城会、創価班、白蓮グループのメンバーをはじめ、全国の会館を守ってくださる皆さま方に、厚く御礼申し上げたい。
 ともあれ、「月月・日日につより給へ」との御聖訓どおり、全国各地で、わが尊き同志は、力強く広宣流布の前進を加速させている。
 日蓮大聖人が、また三世十方の仏菩薩が、どれほど賞讃しておられることか。功徳は計り知れない。
5  地域友好の模範、奄美の大行進
 きたる六月二十二日は、「奄美の日」。昭和三十八年(一九六三年)、私が奄美大島を初めて訪問して、「奄美総支部結成大会」が行われた日である。
 東京から同行した幹部に、私は言った。
 「指導をするという発想ではなく、奄美の同志から、信心を学んで帰ることだ。
 奄美の方々こそ、命がけで広布の道を開いてきた大功労者である。
 奄美の友と接して、本当の信心、本当の戦いと本当の苦労を知ってもらいたい」
 それから、ちょうど今年で四十年となる。
 先駆の大九州にあっても、奄美王者県の広宣流布の拡大は、ひときわ輝きわたっている。
 奄美の友は、学会に対する誤解から学会員というだけで村八分にあうなど、筆舌に尽くしがたい苦難を乗り越えながら、全国、いな全世界の模範と仰がれゆく「地域友好の連帯」を築き上げてこられた。
 現在の健闘もまた、めざましい。「聖教新聞」も、過去最高の拡大である。入会希望者も、毎日のように誕生している。うれしいことに、広宣流布の進展とともに、地域も大いに栄えてきた。
 今年は、戦後、アメリカによる軍政下に置かれた奄美群島が、日本に復帰して五十周年でもある。この節目にあたり、民音(民主音楽協会)の招きによる「ロシア民族歌舞団」の奄美公演が七月に行われる。
 奄美は、沖縄とともに、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の候補地にもなっている。
 (鹿児島県のトカラ列島、奄美諸島から、沖縄県の沖縄本島、宮古・八重山諸島までの南北約千キロメートルにわたる「琉球諸島」が候補地)
6  日蓮大聖人は、過酷な流罪の地である佐渡の島にあって、「私たちが住んでで法華経を修行する場所は、どこであれ、常寂光の都となるであろう」(御書1343㌻、通解)と仰せである。
 目の前の現実を離れて「どこか」に行けば幸福になれる――決して、そんなことはない。自分の心がどうかで決まる。
 今、自分がいるこの場所こそが、自身の仏道修行の場なのだと決意し、挑戦すれば、そこが「寂光の都」となる。「幸福の都」と輝いていく。
 けなげな奄美の友は、この御聖訓のままに、わが地域を「本有常住の常寂光土」と光り輝かせながら、沖縄と一維に、「世界で最初の広宣流布の地帯」をめざして、大行進されている。
 世界の憧れの、幸福と和楽の宝島・奄美に栄光あれ! 勝利あれ! と、私は心から祈っている。
7  未来の人材を皆で育成
 きょう(六月七日)は、高等部の結成記念日でもある。未来の人材に、いちだんと励ましを贈りたい。
 私が世界のSGIの友や、教育者の方々と対話した『母と子の世紀』(本全集第63巻収録)の中国語版が、九月に香港の天地図書から発刊される。
 これには、香港を代表する著名な女性教育者・趙釣鴻ちょうきんこう博士が、すばらしい序文を寄せてくださった。趙博士は、四十年にわたり幼児教育に尽力され、香港政府初の「傑出教育家」に選ばれた方である。
 博士は、本書を高く評価してくださり、そのポイントとして、次の八項目を挙げてくださった。
 一、「子どもをほめること」――それぞれの年齢に応じて、成し遂げたことをほめ、励ましを贈るべきだ。それが子どもたちを、さらに成長させる原動力となる。
 二、「子どもを信ずること」――子どもたちの能力を信頼し、子どもたち自身の力でできることであれば、そのまま、やらせてみる。これが、子どもたちの自信を強める。
 三、「愛情をもって、子どもに接すること」――愛情に包まれて育てば、他者を思いやる心も育てることができる。
 四、「忍耐力をもって、子どもと接すること」――子どもたちの心の世界を理解するためにも、忍耐力をもって、子どもの話に耳をかたむけなければならない。
 五、「子どもとの約束を守ること」――約束を守ることは、大人と子どもの信頼関係の基盤である。
 六、「しっかりとした意志をもって、子どもと接すること」――教育には、まず確かな哲学が必要である。
 七、「子どもに尽くしていこうという心をもつこと」――教育者にとって、教育は一生の使命である。自分の名誉や利害のためではない。高い志をもつて、教育のために尽くしていくことだ。
 八、「家庭と学校が、よく協力すること」――その協力から、教育の効果を高める最良の方法が生まれる。 
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 趙博士は、『母と子の世紀』から「使命を果たすために生きる」というメッセージを読みとってくださったという。
 「私たち教育にたずさわる人間が、つねに教育をみずからの使命ととらえ、誠心誠意、そのなかで戦う。そうしてこそ、教育の楽しさを自分のものとすることができ、未来に生きる人材を育成することが可能となるだろう」
 こう、博士は言っておられる。
 私は、この場をお借りして、実際の教育現場で奮闘しておられる、教育本部の先生方を心から讃えたい。また、未来部の育成に真剣に取り組んでくださっている「二十一世紀使命会」の皆さま方にも、深く感謝申し上げたい。
8  新聞が時代を変える
 今、婦人部の皆さま方をはじめ、全国の同志が、「聖教新聞」の拡大に全力で取り組んでくださっている。「聖教の拡大」は即、「広宣流布の拡大」である。婦人部の皆さま、新聞長の方々、「聖教新聞」を配達してくださる無冠の友をはじめ、すべての皆さまの気高いご尽力に最大に感謝申し上げたい。
 「聖教新聞」は、日本第三位の発行部数の新聞として、大きな注目を集めている。
 先日も、ある識者の方から、「十年間にわたって『聖教新聞』を購読し、そこに掲載される体験談を読み続け、調べてきて、『これは全部、本物だ』と確信しました」という声が寄せられた。
 歴史を見ても、時代の変革期には、つねに新聞があった。
 ″もし新聞がなかったらフランス革命は起こらなかったであろう″とは、フランスの文豪ユゴーの深い洞察である。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーも、非暴力闘争を振り返って、″もし新聞がなかったならば、不可能だったであろう″と語っている。
 ガンジーは、トルストイにも、みずからの論説を掲載した新聞(「インディアン・オピニオン」)を送付していた。トルストイが、その紙面を通して、ガンジーの非暴力運動への理解を深めたことは有名な歴史である。
 思えば戸田先生も、「聖教新聞」を、インドのネルー首相、中国の周恩来総理、フィリピンのマグサイサイ大統領などアジアの十人の指導者に送られた。
 その心を心とし、私は、「聖教新聞」を軸に、世界に知性のネットワークを広げてきた。
 「世界市民は新聞を読むことから生まれた」(『カレル・チャベックの闘争』田才益夫編、社会思想社)とは、チェコの作家カレル・チャペックの言葉である。
 「聖教新聞」は、二十一世紀の世界市民の新聞である。
9  アメリカの第三代大統領トマス・ジェフアーソンは、自由な新聞とは「人間を理性的、道徳的、そして社会的存在へと改良する最良の手段である」と論じている。(「メディアの自由の歴史」田村紀雄・林利隆編『新版ジャーナリズムを学ぶ人のために』所収、世界思想社の中で紹介)
 また近代中国の民主革命の父・孫文は、「新聞は、人々の心に理想を吹き込む」(「在上海〈民立報〉之答詞」、『孫中山全集』2所収、中華書局)との信念であった。
 さらに、孫文の夫人で、鄧穎超とうえいちょう先生の同志でもあった宋慶齢そうけいれい女史も、「強くて勇敢な新聞界は、自由と正義に有利な世論の潮流を起こすために、ひじょうに多くの活動をすることができる」(『宋慶齢選集』仁木ふみ子訳、ドメス出版)と強調していた。
 そして、私も対談集で論じた、キューバ独立の闘士ホセ・マルテイも、「新聞の使命は教育と創造にある」(H・アルメンドロス『椰子より高く正義をかかげよ』神尾朱実訳、神代修監修、海風書房。神代氏の解説で紹介)と訴えた。
 正義の言論「聖教新聞」は、こうした世界の知性の理想を担う人間主義の新聞である。すばらしい読者の方々にお応えできるよう、さらに、さらに充実させ、発展させていきたい。
10  婦人部の大功労を諸天が讃嘆
 今年は、婦人部の最前線の組織である「グループ」が発足して二十五周年。全国のグループ長の皆さま方の大活躍こそ、創価学会の前進の原動力である。
 一つ一つのグループ――それは一見、目立たない舞台かもしれない。大集会のような喝采もないであろう。しかし、少人数だからこそ、一対一で心ゆくまで語りあい、伸び伸びと友情を広げていける。深い信頼の絆を結びながら、偉大なる広宣流布の歴史をつづっていくことができる。
 その大切な核となるのがグループ長の皆さま方であられる。
 少人数での励ましあいが、いかに重要か。大聖人は、繰り返し、門下に示しておられた。
 神奈川、そして首都圏婦人部の先達ともいうべき日目女(四条金吾夫人)へのお手紙にも、「この手紙は、藤四郎殿の夫人とつねに寄りあってご覧なさい」(御書1114㌻、通解)と仰せである。
 彼女たちは、「一千人のうち九百九十九人は退転してしまった」(御書907㌻、通解)と言われる大弾圧のなかで、命も惜しまず、毅然と信仰を貫いていた。
 日眼女に対し、大聖人が佐渡から送られたのが、有名な「同生同名御書」である。
 「人の身には、同生と同名という二人の使いを、天はその人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しも残さず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです」(御書315㌻、通解)と女性門下の真剣な信心を最大に賞讃しておられるのである。
 あの地でも、この地でも、わが同志は、広宣流布のため一心不乱に祈り、そして戦い続けている。
 たとえ、だれがほめなくとも、蓮祖が讃嘆なされている。たとえ、だれが知らなくとも、無数の諸天が見守っていることは間違いないのである。
11  仏法の賞罰は、あまりにも厳しい。
 尊き皆さまの命には、大地よりも厚く、天空よりも高く、大福徳が積まれている。激戦を勝ち越えゆく友の生命は、なんと尊貴な光を放ちゆくことか。
 大聖人は、「師子の声には一切の獣・声を失ふ」「日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし」と仰せである。
 ともあれ、自分自身が師子となって、正義の声を勇気凛々とあげることである。
 そしてまた、自分自身が希望の太陽となって、闇を打ち破っていくことである。
12  教学は何ものにも負けない理論の力、慈悲の光
 信心を深め、揺るぎない勝利の人生を築くうえで、「教学」が大事である。皆が連携して、がっちり力を合わせて、教学の研鑽に取り組んでいただきたい。
 勝つか、負けるか、人生は勝負である。教学は、何ものにも負けない理論の力であり、慈悲の光である。偉大なる理性と、偉大なる感情が融合してこそ、真に優れた人間となる。それが仏の境涯である。いくら頭が良くても、「人を救おう」とは考えず、「自分は偉い」と慢心を起こすようでは、理性と感情が合致していない。それでは勝利の人生を飾ることはできないであろう。
 人間、だれもが、生老病死をまぬかれない。しかし、広布へ戦い、妙法を唱えるならば、自分も、友も、亡くなった人の生命までも、希望の方向へ、幸福の方向へと向けていける。ここに仏法の追善の法理もある。これほどすばらしいことはない。
 妙法の世界は、おとぎ話のようでありながら、すべて真実である。法華経と御書に仰せのとおりである。永遠の幸福と勝利の軌道なのである。
13  学会の友人葬について少々、語っておきたい。
 友人葬は、今や、時代の最先端として、深く、広く、定着してきた。葬儀革命、宗教革命のモデルとして、社会の各界から賞讃と共鳴が集まっている。
 「学会員ではないが、友人葬でお願いしたい」という要望の声も少なくない。友人葬に感銘して入会する方も増えている。仏の尊い仕事を執り行ってくださる全国の五万人の儀典部の方々を、私は心から讃嘆申し上げたい。
14  登れ! 広宣流布の新しい山を
 先月、世界最高峰のエベレスト初登頂五十周年を迎えた。(初登頂は一九五三年の五月二十九日)
 ネパールでの記念の祝賀会には、エベレスト山頂に前人未踏の第一歩をしるしたヒラリー卿も出席された。ヒラリー卿とは、わがネパールSGIの代表もお会いしている。
 そのヒラリー卿は言った。
 「とても登れないよ、と頂上はいう……。不可能? 人間の精神にとって不可能なのか? そこで戦いはまじえられるのだ。山の防戦と危険に立ち向かう、登山家の熟練をためす戦いが」(エドモント・ヒラリー「特別寄稿」白川義員『ヒマラヤ』所収、小学館)
 二十一世紀の広宣流布の新たな山へ、さっそうと、勇敢に登りゆくことを約しあって、私のスピーチとしたい。
 きょうは、本当にありがとう! お会いできなかった皆さまに、どうかよろしくお伝えください。また、お会いしましょう!
 (東京・信濃文化センター)

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