Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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海外代表協議会 慈愛光る勝利の指導者に

2003.3.28 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  勇気の行動にこそ生命の充実と喜びが
 南は先駆の誉れの九州・沖縄から、北は寒風に胸張る北海道・東北にいたるまで、日本列島を包みゆく、わが尊き友の広宣流布の健闘を、私は、心の底から、ねぎらいたい。
 さらにまた、世界の平和と繁栄を祈って邁進される百八十五カ国・地域の「栄光の同志」の活躍を心から讃えたい。
 きょうは、北欧のスウェーデンからも、懐かしい友が駆けつけてくださった。
 牧口先生は、著書『創価教育学体系』で、スウェーデンの女性教育者エレン・ケイに光をあてている。彼女の有名な言葉に、「勇気を欠くこと、これは喜びを欠くことになる」(『児童の世紀』小野寺信・小野寺百合子訳、冨山房)とある。
 そのとおりである。「勇気の行動」にこそ生命の充実がある。限りない歓喜が光る。
 御聖訓には「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」と仰せである。「勇気ある信心」の人は無敵である。
 香港からも、大切な友が来ておられる。
 「中国人民の母」と慕われる鄧穎超とうえいちょう先生(周恩来総理夫人)と、私と妻は、何度となく、金の出会いを重ねた。明年は、鄧先生の生誕百周年。(一九〇四年生まれ)
 鄧先生は、八十歳になられた時、こう言われた。
 「私たちは幸福です。生きぬいて、戦い続けることができるのですから」(金鳳『鄧穎超伝』人民出版社)
 忘れ得ぬ一言である。戦いがあるからこそ、幸福を感ずる。生きているかぎり、人々のため、社会のため、正義のために戦う。それ以上の幸福はない。
2  日蓮大聖人は、真の平和へ、人間革命の哲学を広める言論戦について述べ、「今に至るまで軍やむ事なし」と記しておられる。
 人生は戦いである。仏法は勝負である。広宣流布の戦いがなければ、日蓮大聖人の仏法とは言えない。
 大聖人の仰せのとおりに戦い続けてきたのが、仏意仏勅の創価学会である。御書に照らし、経文に照らして、福徳は無量にして無辺である。なかんずく、厳しい試練にあえて挑み、広宣流布の勝利の道を断固として開きゆく功徳は、計り知れない。
 「報恩抄」には「極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず」と仰せである。
 いちばん大変な時に「勇気ある信心」を奮い起こして戦いぬいた人が、いちばん大きな功徳を積むことができる。これが、仏法の因果の理法である。
 遠く南米ペルーからも、同志が来てくださった。
 古代ペルーの英知の言葉に、「勇敢で高潔な丈夫の特徴は、逆境においてみせる忍耐にある」(Jose Alsina Franch, ''Mitos y literatura quechua, La sabiduria de Pachacutec (Maximas),'' Alianza Editorial, Madrid, 1989)とある。戦いは「忍耐」である。「執念」である。粘りぬいたほうが勝つ。全国の偉大な友の敢闘を、私は重ねて讃嘆申し上げたい。(拍手)
3  「心を一つに合わせる」から強い
 ご存じのとおり、私は現在、口シアの元宇宙飛行士であるセレブロフ博士と、「宇宙」と「地球」と「人間」をめぐる対談を続けている。(=総合月刊誌「潮」に「宇宙と地球と人間」として連載。二〇〇四年十一月、潮出版社から発刊)
 博士ご夫妻は、この一月、東京と関西の創価学園を訪問したことをたいへんに喜ばれ、感銘を深くしておられた。博士は「創価学園生は、自分で自覚して、自発的に、人生について、学問について、世界について、深く真剣に考えている。こんなすばらしい生徒は、世界のどこにもいません」と言われていた。
 うれしいことに、学園生への賞讃の声は、世界の識者から数多く寄せられている。
 先日も、東京の創価学園を訪れた台湾・中国文化大学の張鏡湖ちょうきょうこ理事長一行が、学園の語学教育、環境教育等の充実ぶりに感嘆されていた。
 指導にあたってくださっている教員の先生方、また、お世話になっている職員の方々、そして、使命深き英才を送り出してくださっているご父母の皆さま方に、この席をお借りして深く感謝申し上げたい。(拍手)
4  セレブロフ博士夫妻は、学園生たちが校歌を歌う凛々しい姿に、とくに感動されたという。
 夫妻は、こう語っておられた。「校歌の時は、空気がピーンと張りつめ、心が一つになっていました。心を一つにできるということは強い。外から攻められても負けないということです」
 さすが一流の知性は、本質を鋭く見抜く。
 「心を一つに合わせること」――これに勝る力はない。
 創価学園の大発展も、教職員、父母、そして同窓生が、創立の精神のもとに「心を一つに合わせた」からこそである。
 ともあれ、勝利の方程式は、第一にも、第二にも、「異体同心の団結」である。
 これまで繰り返し拝してきた「異体同心事」に「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはゑぬ、此の一門も又かくのごとし」と仰せのとおりである。
5  人道の競争へ、模範の民衆運動
 きょうは、ボリビアの同志も、はるばるとお越しくださった。
 ボリビアの国名の由来は、「南米の解放者」ボリバル。その師匠の一人、ロドリゲスは、こう訴えている。
 「無知が対立を生み出し、悪意がその対立を永続させる」(Sociedad Bolivariana de Venezuela, ''Escritos de Simon Rodriguez,'' 1, 2 Caracas, Venezuela, 1954)
 この人類の宿命的流転を、いかにして打開していくか――創価の「人間教育」「世界市民教育」「平和教育」の挑戦も、ここにある。
 本年(二〇〇三年)は、初代会長牧口先生の『人生地理学』が発刊されてから、ちょうど百周年。また、第二代会長戸田先生が牧口先生の『価値論』を発刊してから五十周年にあたる。
 私はセレブロフ博士と百年前の牧口先生の卓見を振り返りながら、これからの人類は「弱肉強食の対立的競争」を脱して「人道的競争」をめざしていくべきだと語りあった。
 その模範を、博士は創価の民衆運動に見いだしておられる。
 「人道的競争」の時代を迎えるために、「各国の政治家、経済人たちが、SGIの運動に深く学び、菩薩の人格を磨いていくことが求められる」(『宇宙と地球と人間』潮出版社)と、博士は力説されていたのである。
 生命の尊厳が踏みにじられた混乱の時代である。だからこそ、創価の運動と哲学を見つめる「世界の知性」の希望は大きい。皆さま方の日々の活動が、どれほど深い次元で、人類史の新しい地平を開いていることか。その自負と誇りに胸を張っていただきたい。
 博士は、こうも論じておられる。
 「創価学会の運動は、教養ある方々が集まった、大変に大きな意義のある運動です。それは、調和であり、共生であり、″花がいつまでも咲いていてほしい″という美しい運動です」(同前)
 わが地域から世界へ、調和と共生の花を咲き薫らせていきたい。
 ともあれ、大聖人は、「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」と仰せである。
 人間主義を打ち立てることだ。一人また一人と連帯を広げ、平和の方向へ、幸福の方向へ、人間と社会を変革しなくてはならない。
 断固として、あの地にも、この地にも、正義と勝利の創価桜を、爛漫と咲かせきってまいりたい。広宣流布の勝利の拡大こそが、人類の悲願である恒久平和への最も確実な道だからである。(拍手)
 (さらにセレブロフ博士は、こう語っている。「池田先生ご自身、複雑で不透明な世界にあって、善を標榜され、善の連帯を強く呼びかけてこられました。池田先生は、人間にとって最も必要なものを問いかけておられます。その創価の理念は、世界の基本となるべきものだと思います」〔前掲『宇宙と地球と人間』〕)
6  妙法は人類の大良薬
 本日は、神奈川、千葉、東京をはじめとする「白樺会」(婦人部の看護者の集い)の代表も出席してくださっている。日ごろから同志の健康を厳然と守ってくださっている方々である。心から御礼を申し上げたい。いつも本当にありがとう!(拍手)
 法華経には「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」(薬王品、法華経六〇二㌻)と説かれている。
 大聖人は、縁も深き千葉の天地で戦う富木尼御前に対し、この法華経の一文は末法の女性のための経文であると、明確に仰せになっておられる。
 富木尼御前は、年老いた義母のために、真心の看護、介護にあたり、その慈愛を、大聖人から深く讃嘆されていた女性の門下である。彼女自身、重い病気との闘いが続いた。
 そのけなげな女性へ、御本仏は力強く、「末法の女性が法華経を修行して、定まった寿命を転じて延ばせることは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、だれが驚くでしょうか」(御書985㌻、通解)――長生きして幸福になるに決まっているのですよと最大に励ましておられるのである。
 まさしく、白樺の皆さまこそ、「全世界の人の病を治す良薬」をもって、全女性、全民衆の「健康」「長寿」「幸福」の道を開きゆかれる菩薩であり、仏に等しい方々である。
 仏の境涯は、「抜苦与楽」の振る舞いとなって表れていく。
 ″白衣の天使″ナイチンゲールは言った。
 「いかなる分野においてもあらゆる善きことが成就されるには必ず絶え間のない自己犠牲がある」「その生涯は決して犠牲ではないのである。その生涯は最も幸福な仕事に携わっているのである」(「アグネス・ジョーンズをしのんで」小玉香津子・田村真訳、『ナイチンゲール著作集』3所収、現代社)
 これこそ皆さま方の崇高な人生の劇である。妙法に生きぬく皆さまの福運は、永遠に不滅である。
7  ナイチングールは、こうも語っている。
 「他者よりも優れていると思う人間は他者に仕えよ」(「看護婦と見習生への書簡」湯槇ます・小玉香津子・薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳、同前)
 広宣流布のために戦う同志に仕えていく人こそ、最も優れた偉大な指導者である。
 本日は、日々、広宣流布を支えておられる「礎会」(会館管理者のグループ)の代表にも、お越しいただいた。
 また、いつもお世話になっているSGI公認通訳会議の皆さまも、本当にありがとう!
 仏には「三十二相」と言われる荘厳な相があると説かれている。その一つ、「無見頂相」は、仏の頭の頂を、だれも見ることができないというのである。これは、仏の境涯は計り知れないほど大きいことを象徴していると言えよう。
 では、なぜ、そういう偉大な境涯を得ることができたのか。御書には、父母、師匠、主君に対して、頭を地につけて礼拝し、尊敬して仕えた果報であると明かされている。(1122㌻)
 法のため、広宣流布のため、頭を下げて、身を粉にして、働き戦う人こそが、生々世々、万人から仰がれゆく存在となる。
 なかんずく、広布の法城を守り、支えてくださっている管理者の方々、守る会の方々、さらに個人会場等を提供してくださっている拠点の方々が、未来永劫に大官殿、大殿堂に遊戯していかれるような境涯となることは、御聖訓に照らして、絶対に間違いない。
8  広布に戦う人をほめ讃えよ
 リーダーは、広宣流布へ戦う同志に最敬礼していくことだ。必ず、ほめ讃えていくことだ。
 「ありがとう。本当によくやったね」「大変だったね。立派だったよ」
 心で思うだけでなく、口に出さなければ相手に伝わらない。ほめて、ほめて、ほめぬくことだ。
 「励まし」が前進のエネルギーになる。
 「慈愛の声」が皆の勇気になる。自信になり、張り合いになる。「声仏事を為す」である。
 友の尊き労苦を、決して当たり前と思ってはならない。励ましや感謝の声をかけないのは傲慢であり、無慈悲である。
 御本仏であられる大聖人ご自身が、一生懸命、同志を「ほめ讃える人」であられた。一人の庶民に対して、手紙を書き、伝言を託し、また会って話し、心を砕いて激励された。
 リーダーは、しゃべって、しゃべって、しゃべりぬくことだ。
 広宣流布のために陰で頑張っている人。だれよりも苦労している人。その人を見つけ、光をあて、讃嘆していく。
 一方、広宣流布を阻む邪悪な人間に対しては断固、反撃し、打ち破っていく。
 勇気の言論闘争が、一切の勝利の源泉となる。
9  数多くの看護者を育成したナイチンゲールは語っている。
 「生涯の終わりになっても喜びをもってふり返れるような友情を育ててください」(前掲書簡)
 今、皆さま方が対話を重ね、仏縁を結び、友情を広げていることは、人生のかけがえのない宝をつくつておられるのである。
 広宣流布のために動き語ったことこそが、「今生人界の思出」となる。
 どうか、すべての労苦が、自分自身の「広布と人生の地図」を大きく広げ、勝利と栄光の歴史を深く残しゆくことを、朗らかに悠然と、確信していっていただきたい。
10  ライサ夫人「女性が黙っていては社会は変わらない」
 私も、世界に友情を広げている。先日も、親友であるゴルバチョフ元ソ連大統領ご一家と再会した(三月二十二日)。関西の滋賀、神戸、京都などでの諸行事を終えて、東京まで駆けつけてくださったのである。
 ゴルバチョフ元ソ連大統領も、亡きライサ夫人も、わが関西の同志との交流を、心から大切にしておられた。ご夫妻は、かつて関西の友との出会いを喜びつつ、こう語っておられた。
 「創価学会の皆さんは、すばらしい方々でした。自分たちの運動に誇りをもっておられました。皆さんの姿を見て、疲れも吹き飛ぶ思いでした!」
 今回の出会いは、ライサ夫人が蘇ってこられたような令嬢と令孫も、ご一緒であった。
 ライサさんは、「社会の精神性を変えようとした女性」と言われている。
 ある時、ライサさんは、鉱山労働者の集いに参加した。
 そこでは、政治の問題、生産の問題などをめぐって、激しい意見の応酬が繰り広げられていた。
 一人の女性の労働者が、何か言いたそうにしていた。しかし、どうしても論争の中に入っていけなかった。その女性の様子を見守っていたライサさんは、そっと近寄り、まるで友人のように手をとり、一緒になって議論の輪の中に入っていったという。(ライーサ・ゴルバチョフ『ゴルバチョフとともに』山口瑞彦訳、読売新聞社、参照)
 ――女性が黙っていてはだめ。言いたいことを、言うべきことを、自分たちの信ずることを、どんどん言っていきましょう。そうでなければ、いつまでたっても社会は変わらない――これが彼女の信念であった。
 ライサさんは、事実無根のデマや中傷を浴びせられた。しかし彼女は、決して泣き寝入りはしなかった。自分自身の信条を守り、自分の周囲の人々の大切な人生を守るために、毅然として、真実を書きに書き、語りに語っていったのである。
11  言論の自由には責任が伴う
 先日、私と妻は、台湾SGIの名誉理事長ご夫妻をはじめ、同志の皆さま方とご一緒に、台湾の名門である中国文化大学より名誉博士の学位を拝受した。(三月二十四日)
 この中国文化大学の創立者である張其的ちょうきいん博士も、言論の横暴を、深く憂慮しておられた方である。
 張博士は、言論の「自由」には「責任」が伴わなければならないと、強く主張された。
 すなわち、「責任を担わんとする精神(責任感)こそ、言論の自由において支払われねばならない代価である」(張其的先生文集編集輯委員会・中国国民党中央党史委員会編『張其的先生文集』19,中国文化大学出版部)というのである。なかんずく、博士は、若き正義の活発な言論こそ、腐敗を打ち破る力であると、青年の戦いに後事をゆだねられたのである。
12  学会の役職もまた「責任職」である。幹部は「責任者」なのであり、断じて「権威者」になってはならない。
 どれだけ自分で責任を自覚できるか。自分の背中に責任を担えるか。これでリーダーは決まる。
 「部員さんを一人残らず幸福にしてみせる」「わが地域に立派な広宣流布の基盤をつくっていくのだ」「日本一、世界一の組織にしてみせる」。この責任感である。
 また「あの人の悩みは何か」「この人の仕事はどうか」「体の調子は」「ご家族は」と、一人一人に心を砕いていく。この慈愛である。
 「一念に億劫の辛労」を尽くした祈りと行動から、相手の心を揺さぶる言葉が生まれる。慈愛の振る舞いが現れる。
 責任の大きい人は、苦労も悩みも大きい。しかし、だからこそ人間が鍛えられる。名指導者へと成長できるのである。
 ともあれ、広宣流布の同志に尽くした人は、必ず同志に守られる。御本尊が守ってくださる。そして、三世永遠の功徳の流れをつくることができるのである。
13  青年が非暴力の反転攻勢の先頭に!
 きょうは、アメリカの同志の顔も見える。
 今、光栄にも、アメリカをはじめ世界の各地で、″ガンジー・キング・イケダ展″が開催されている。
 キング博士は、一九六〇年代に、大勢の青年たちが非暴力運動に立ち上がった姿にふれ、「人間的尊厳と自由を奪われていたすべての民が、世界中のあらゆる大陸で行進していた」(クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳、日本基督教団出版局)と語り、民衆が非暴力の反転攻勢に打って出る時代が開かれたことを告げたのであった。
 今、学会も同じである。青年が先頭である。青年が時代を切り開くのである。広宣流布の一切を青年が担って立ち上がる時が来たのである。
14  フランスからも、ようこそ!
 フランスの歴史家ミシュレは、青年に、こう呼びかけた。
 「気取らずに行動しなさい。人間として人間たちに話しかけなさい」(『学生よ』大野一道訳、藤原書店)
 ミシュレについては、これまで、何度かスピーチしてきた。ユゴーと並び称される大作家であり、十九世紀のフランス国民に最も愛された歴史家、と言われる。
 一七九八年、パリの貧しい印刷業者の家に生まれる。革命後の動乱のなかで育ち、家業を助けながら、苦学を重ねた。後に、コレージュ・ド・フランス(パリ高等教育機関)の教授に就任する。
 ミシュレは、″権力者中心の歴史″ではなく、″民衆を主役とした歴史観″を確立した。庶民の出身であることを誇りとし、民衆の権利と正義を叫びぬいた。
 仏教についても学び、あらゆる人間の平等を宣言した釈尊について、共感をこめてつづり残している。
 一八五二年に独裁権力の座についたナポレオン三世と対立。各地を転々として、不遇ななかでも、断じて、不屈の執筆活動を続けていった。著作は『フランス革命史』『民衆』『女性』など多数。一八七四年に逝去した。
15  次にフランスの思想家ルソーの言葉を紹介したい。
 「つねに真実であれ、そのためにどんなことが起ころうとも。正義そのものが真実のうちにあるのだ」(『孤独な散歩者の夢想』今野一道訳、岩波書店)
 真実に立つ人は強い。虚偽でごまかそうとする人は、どこか不安で、おびえているものだ。
 真実の人は、正義の人である。「正義に恐れなし」である。
 「自分の側に正義があると感ずる人は無遠慮にふるまわなければならない。いんぎんな正義になど、なんの意味もありはしないのだ」(「箴言と省察」岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)
 これは、イタリアをこよなく愛した文豪ゲーテの言葉である。
 イタリアからも同志を迎えている。本当に、ご苦労さま!
16  朗々と題目の大音声を、堂々と正義の言論戦を
 「邪悪とは、断固、戦え! 一歩も退いてはならんぞ。追撃の手をゆるめるな!」
 こう戸田先生が遺言なされたのは、四十五年前の三月二十九日のことであった。
 今、全国各地で、青年部の堂々たる正義の言論戦が光っている。
 青年部の時代である。万事、よろしく頼むと申し上げたい。
 ともあれ、だ製能に勝る兵法はない。
 今年は、日蓮大聖人が立宗宣言をされてから満七百五十年。御聖訓には仰せである。
 「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(御書557㌻、通解)
 この妙法の大音声を朗々と唱え響かせ、縁する人々を皆、味方にしながら、断固として、友情の連帯を、愉快に堂々と広げていきたい。(拍手)
 きょうは、オランダの同志も見えておられる。
 オラングの人文主義者エラスムスは″最後の勝利を希望せよ″″警戒をゆるめるな″(「エンキリディオン」金子晴勇訳、『宗教改革著作集』2,教文社、参照)と言っている。
 最後の勝利の日まで、決して油断することなく、希望に燃えて、走り叫んでいくことだ。
17  先日、創価大学から、王者のごとき富士を見つめながら詠んだ句を、わが同志に贈りたい。
 勝ちまくれ
   風雪乗り越え
     富士の山
  
 師も弟子も
   富士の如くに
     勝ち戦
  
 戦いの
   最後の姿は
     富士の山
 季節の変わり目なので、どうか体調を崩さないように!
 全同志のご健康、そして全地域、全世界の友の栄光・勝利を心から祈り、私のスピーチとします。
 ありがとう!
 (東京・信濃文化センター)

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