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日蓮大聖人・池田大作

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第二十七回SGI総会、第二十二回本部幹… SGIは永遠に世界平和の柱たれ

2002.11.14 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

前後
2  ともあれ、広宣流布へ、信力・行力で勇んで進んでいくことだ。
 たまには休みたいなと思うときも、少しがまんして、勤行・唱題に挑戦していく。会合にも馳せ参じていく。その「行動」のなかにこそ、勝利がある。
 私たちの「足」は、妙法蓮華経の「経」にあたると大聖人は仰せである(御書716㌻)。広宣流布のために歩き、動いた分だけ、自分自身が南無妙法蓮華経の当体として輝いていくのである。
 時代は、年ごとに大きく動いている。混迷の闇は、ますます深まっている。だからこそ、強い信心で、また決然たる行動で、全員が「勝利」を勝ち取っていただきたい。
 皆さんの勝利が本末究竟して、子孫末代までの勝利を決定していく。それが仏法の勝利の法則である。それを今、がっちりとつかむのである。
 未来永遠に続くであろう栄光の陣列の第一歩の巨人が、皆さん方なのである。
3  リーダーは広い心で誠実に
 幹部の指導のあり方について、少し語らせていただきたい。
 幹部は、感情にまかせて、同志を怒鳴ったり、叱ってはならない。
 かりに、だれかが会合に遅刻しても、絶対に叱ってはいけない。どんな場合でも、「ご苦労さまです!」「よく来てくださいました!」と快く迎えていくべきだ。
 それが、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(普賢品、法華経六七七㌻)と説かれた法華経の根本精神である。
 せっかく会場まで来てくれたのである。幹部に「叱る資格」などないはずである。
 仕事で疲れて、やっと駆けつけたという場合もある。途中で用事ができて遅れることもある。調子の悪いときもあれば、個人としての都合もあるだろう。人間だから、いろいろあって当然だ。
 それを頭から叱りつけるのではなく、広い心で受け入れて、上手に守ってあげながら、相手を正しい軌道に乗せていくのが信心の指導である。慈悲の心である。
 大事なのは、リーダーが同志の気持ちをわかろうと真剣に祈り、努力しているかどうかだ。この指導者の誠実な姿勢が、相手の心に信頼の種を植えるのである。そこから人材も育っていくのである。
4  立宗七百五十年、世界百八十五カ国に大発展
 世界六十カ国・地域の尊きリーダーの皆さま方! また、全日本列島で未曾有の広宣流布の拡大を進めてこられた、偉大にして誉れある同志の皆さま方! 本日の雲ひとつない晴天のごとく、晴れやかな幹部会の開催、本当におめでとう!(拍手)
 皆さまのおかげで、わが創価学会は、最高に晴ればれと、栄光と勝利の創立記念日を迎え、飾ることができた。すべては、皆さま方のお力である。
 私は、全同志の皆さま方に心から感謝申し上げたい。
 まずSGI会長として、皆さまに謹んで報告させていただきたいことがある。
 このほどSGIに、新たに二つの国が加わった。
 一つは、中央アジアのカザフスタン共和国。ご存じのように、シルクロードの往来によって栄えた東西文明の交流の天地である。
 もう一つは、ロシアの西に位置するベラルーシ共和国。美しい森と平原で知られる国である。
 これで、わがSGIは、世界百八十五カ国・地域となった。「平和と正義の大連帯」が、また一歩、進んだ。邪智謗法の無慈悲きわまる日顕と決別してからは、じつに、七十カ国・地域も増えたのである
 今年は、立宗宣言から七百五十年。この大佳節に、「世界百八十五カ国・地域」という金字塔を打ち立てることができた。わが創価学会は、日本においても、世界においても、堂々と勝ちに勝った―――私は、全世界の同志とともに、こう宣言したい。
 一昨日(十二日)も台湾sGIが、台湾の教育部(日本の文部科学省にあたる)から社会教育の功労団体として、晴れやかな顕彰を受けた。台湾SGIの皆さん、おめでとう!(拍手)
 (「社会教育功労団体賞」を受賞。これは、台湾の教育部が授与する最高峰の顕彰である)
5  有名な古代ギリシャの詩人、エウリピデスは、こう言っている。
 「この上なく偉大なことはすべて/勝とうとする勇気によって成し遂げられる」(『イクシーオーン』久保田忠利訳、『ギリシャ悲劇全集』12所収、岩波書店)
 至言である。勇気なくして、偉業は成し得ない。勇気がないゆえの敗北――それは、人間として、あまりにだらしがない姿である。
 「勝とうとする勇気」とは、私どもでいえば「信心」である。その根本があってこそ、偉大な歴史ができあがる。偉大な勝利を飾ることができる。そのとおりの実践をしてきたのが創価学会である。
 今日の世界広宣流布の大偉業も、すべて、仏意仏勅を胸にした、誇り高き皆さま方の「勇気」によって成就されたのである。無量の大功徳が、皆さまを永遠に包んでいくことは間違いない。このことを深く確信していただきたい。日蓮大聖人の仰せに、断じて嘘はない。
6  広宣流布を開くのは女性
 このたび新たにSGlに加わった、二つの国の中心者は「女性」であり、「婦人部」である。広宣流布の門を開き、土台をつくっておられるのは、偉大なる女性である。
 今回の研修でも、すばらしい「女性の世紀」のリーダーの方々が、たくさん来日しておられる。
 たとえば、「二十一世紀の大陸」アフリカからお越しくださった、ザンビア共和国の地区婦人部長は、元国会議員で、副大臣まで務められた方である。
 (=ここでSGI会長は、「どうぞ前へ」と、地区婦人部長を壇上中央に招き、みずから席を起って迎え、固く握手を。「貴国にとっても、学会にとっても、偉大なる歴史を残されました」と心から讃嘆した。さらにこの後、一人一人を紹介するたびに、席を起って迎え、握手し、「すばらしいご活躍です」「ようこそ、いらっしゃいました」「これからも、ますますお元気で」と深い敬意をこめて、励ましの言葉を贈った)
 また、アルゼンチンの支部副婦人部長は、小学校の名校長先生であられる。
 フランスのヤング・ミセス委員長は、国立病院のがん専門医であり、現在、フランス創価学会のドクター部長としても活躍されている。そして、香港の女子部長は理学博士であり、香港大学で重要な研究をされている秀才である。
 時間の都合により、本日は代表の方のみ紹介させていただいたが、世界ではこのように、妙法を持ち、社会に貢献しゆく、優れた女性リーダーが続々と誕生しているのである。
 インドのマハトマ・ガンジーは言った。
 「(=男性よりも)女性の直観の方が優秀ではないか。女性の方が一段と献身的ではないか。忍耐力も勇気も、女性の方が強くはないか。女性あっての男性である」(K・クリパラーニー編『抵抗するな 屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)
 まったく正しい叫びである。創価学会もまた、女性を最大に尊敬し、大切にしていかねばならない。
 男性が威張り、女性を叱るようなことは、絶対にあってはならない。そうしていってこそ、さらに学会は大発展し、前進していくことができる。きょうは、このことを厳然と決議しておきたい。
7  ロシアにSGIの友が活躍する時代に
 本日はロシアからも、女子部の代表が駆けつけてくれました。彼女は、モスクフ大学を優秀な成績で卒業した英才である。ようこそ!
 思えば、私が初めてモスクワ大学から招聘を受け、モスクワを訪問したのは、二十八年前のことであった(一九七四年九月)。この訪問の折、私はコスイギン首相と会見した。(九月十七日、クレムリン)
 (コスイギン氏は、六四年から八〇年までソ連首相。中国の周恩来総理と会談するなど、冷戦下の国際的な緊張の緩和に努めた)
 初会見のさい、コスイギン首相は私に、「あなたの根本の思想は何ですか」と聞いてこられた。″創価学会の名前は知っているが、実際に、いかなる団体なのか。いったい何をめざしているのか″との思いがあったのかもしれない。私は即座に答えた。
 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
 首相は、″なるほど″と深く納得した様子であられた。このモスクワ初訪問の思い出は、今も忘れられない。(=SGI会長の答えに首相は「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」と応じた)
 コスイギン首相とは、その翌年(七五年)もお会いした。首相が亡くなられた後も、お嬢さまのグビシャーニさんと友好を温めた。お嬢さまも、じつに立派な方であられた。
 ともあれ、あの当時、口シアに地涌の菩薩が誕生するなど、いったいだれが想像しただろうか。
 しかし、ロシアを訪れた私は、妻とともに、大地にしみこませるように題目を唱えた。「断じて、この地に幸福の種を植えてみせる!」との決心であった。
 そして今、そのロシアでは、多くのSGIの友が、見事なる社会貢献をしているのである。(拍手)
 「広宣流布は、必ず成し遂げる!」「不可能を可能にしてみせる!」――これが真の仏法の指導者の魂である。この責任感と、行動がなければ、本物の広布のリーダーとは言えない。
8  人間主義の太陽を世界が渇仰
 わが「創価家族」の仲良きスクラムは、全世界で、いよいよ花盛りである。しかし、時代はいっそう暗くなりつつある。人類が待望した二十一世紀の始まりも、暗闇に一歩一歩入っていくような様相になってしまった。
 だからこそ、今、世界の青年たちに贈るべき魂は「希望」である。「勇気」である。
 「最後まで希望を捨てぬ者がもっとも勇気があるのだ。絶望するのは臆病者にほかならぬ」――これは、古代ギリシャの戯曲の一節である。(エウリピデス『狂えるヘラクレス』岡道男訳、『ギリシャ悲劇全集』3所収、人文書院)
 法華経は、万人の生命に、「無限の希望と勇気の源泉」である尊極の「仏性」が具わっていることを説き明かした。
 すなわち、「希望」も「勇気」も、どこか遠くにあるのではない。外から与えられるものでもない。だれ人であれ、今いるその場所で、妙法の法則と合致しながら、自分自身の胸の中から、何ものにも負けない、宇宙大にして永遠なる生命を、太陽のごとく輝かせていくことができる。ここにこそ、人類が渇仰し、待ちに待った、最上の「人間主義の哲学」がある。
 いな、ここにしか、暗闇に向かう人類を救う道はないと、私は申し上げたい。よろしく頼みます!(拍手)
9  法華経の行者に「三類の強敵」は必然
 このたび、学会創立七十二周年を記念して、新たに創価学会版の『法華経』(『妙法蓮華経並開結』)が完成した。これは、日蓮大聖人がご生涯にわたって所持され、みずから注記を書き込まれた、最重要の法華経をもとに、学会が新しく編纂したものである。その意義は、たいへんに深く、重い。
 ご存じのように、法華経の法師品には「猶多怨嫉。況滅度後(猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや)」(法華経三六二㌻)と説かれている。
 つまり、「釈尊の在世でさえ、怨嫉(うらみ、ねたみ)が多かった。いわんや滅後、なかんずく末法において(法華経を弘める人は)より多くの怨嫉を受け、難にあうのは当然である」と予言されている。
 さらにまた、勧持品には「諸の無智の人の悪口罵詈等し」(法華経四一八㌻)云々と、明確に記されている。
 つまり、釈尊の滅後に、法華経を広宣流布しゆく人は、「三類の強敵」(俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖上慢)による迫害を受ける。すなわち、仏法に無知な人々や、邪知・慢心の坊主、さらにニセ聖者――そうした増上慢の人間から悪口罵詈され、讒言を浴びせられ、権力を使った弾圧を受ける。これが正義の人の証である。
10  「三類の強敵」と勇敢に戦わなければ、真の法華経の行者ではない、偽りの信心であると、大聖人は厳しく戒めておられる。
 現代において、権力による大難を受けたのは、牧口初代会長、戸田第二代会長、その直系中の直系の第三代の私である。この三代で、創価学会は、世界一の広宣流布の団体となった。
 仏法を弘めたゆえに、牧口先生は牢獄に入られた。戸田先生も入られた。私も入った。いわれなき中傷、誹謗、迫害を一身に受けた。「三類の強敵」と戦いぬき、大聖人の仰せどおりの実践を、寸分も違わず、不惜身命で貫いてきた。ここに、創価学会の永遠の原点があり、栄光がある。
 真実の日蓮仏法を弘めゆく中心、「広宣流布の柱」は、永遠に「創価の三代」である。
 皆さんは、これを忘れないでいただきたい。未来のために、絶対に正しい軌道をはずれないために、明快に申し残しておきたい。
11  ルソー「中傷は最低の社会悪」
 釈尊は「九横の大難」という大きな迫害にあわれた。嫉妬に狂つた反逆者の提婆達多から攻撃された。悪意の人間の、卑劣このうえない作り話によって、繰り返し侮辱され、冒漬された。根も葉もない女性問題も捏造された。
 御本仏であられる大聖人は、まったくいわれのない「犯僧」という悪名を、天下に広められた。
 大聖人は「世間の失一分も」と明確に仰せである。伊豆と佐渡への二度におよぶ流罪は、ともに、悪逆な議言によるものであった。ここに、仏法における迫害の構図がある。
 古今東西を見ても、どれほど多くの正義の人が、デマによって陥れられてきたことか。これが人間の世界の現実である。
 フランスの思想家ルソーは、憤怒をこめて、厳しい論調を張っている。
 「中傷は社会的悪のなかでも最低のものであり、これの及ぼす効果はもっとも恐ろしいものである」(「さまざまなエクリ」宮ヶ谷徳三訳、『ルソー全集』3所収、白水社)
 まったくそのとおりである。
 あの高潔な周恩来総理も、近年、悪辣なデマを捏造されて、名誉を傷つけられた。
 (一九九四年、アメリカ在住の中国人女性が「自分は周総理の隠し子」という内容の″自伝″を発表して話題を集めたが、完全な作り話だったことが暴露された)
 フランスの哲学者パスカルは述べている。
 「虚言を用いるものはすべて、悪魔の心によってふるまっている」(『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳、『筑摩世界文学全集』19所収、筑摩書房)
 パスカルは、ウソに対して、徹して厳しい態度で臨んだのである。
12  「大妄語」――人々をだます悪侶の大ウソを、日蓮大聖人は痛烈に破折しておられる。
 「何れの月・何れの日・何れの夜の何れの時」という明確な証拠を出せ! 証人を出してみよ! それがないのだから、でつち上げであることは明々白々でないか!――こう完膚なきまでに論破されたのである。悪意のウソは、断じて放置してはならない。戦わねばならない。ただちに、敢然と、明快に反撃していくべきである。
 大聖人を守り、矢面に立って戦った弟子が四条金吾である。金吾は、そのために議言され、主君から厳しい叱責を受けた。大聖人は金吾に、正義の主張を堂々と貫けと教えられた。
 一切は、議言であり、何の証拠もない大ウソである。嫉妬した人間の作りごとであると喝破されたのである。御書には、「跡形も無き虚言なり」「そねみ候人のつくり事」と仰せである。
 正義のために、真実のために、師匠と一体となって戦う――それでこそ真の弟子である。
13  大難を勝ち越えたのは「一人なれども心の強きゆえに」
 大聖人のご生涯は、命にもおよぶ大難の連続であった。「開目抄」には、「波に波をたたみ難に難を加へ」と仰せである。押し寄せる大波のように、次々と大難が襲いかかった。
 大聖人は、なぜ、その一切を勝ち越えることができたのか。御聖訓には仰せである。
 「一人なれども心のつよき故なるべし
 信念がある! 信仰がある! 強き心がある! だから一人であっても勝てたのである。信念をもった一人ほど強いものはない。どんなに迫害されようと断じて負けない。負けないということが、「妙法蓮華経」である。法華経の精神であり、日蓮仏法の魂である。
 わが学会には、大聖人に直結した「心の強さ」の真髄がある。
 だからこそ、これだけの難を受けながら、「仏法を基調とした、世界第一の平和と文化と教育の団体」を築き上げることができたのである。
 大事なのは、「信念の一人」である。立場でもない。役職でもない。人数でもない。私も、一人、立ち上がった。戸田先生をお守りし、悪意の言論と敢然と戦った。何ものをも恐れなかった。
 一人、立ち上がることだ。なかんずく、青年が自覚することだ。だらしのない臆病な先輩は放っておけばいいのである。青年部が、二十一世紀の創価学会の原動力になっていただきたい。
 「後継」こそ青年の使命である。広宣流布の一切の勝利は青年部で決まる。決然と、一人、立ち上がっていただきたい!
 釈尊が、幾多の苦境を乗り越えて、出世の本懐たる「妙法蓮華経」を説き始めたのは、何歳からであったか。大聖人は、「御年七十二歳」と記しておられる。釈尊の人生の最終章である。
 どうか、皆さまも、「不老不死の大生命力」を輝かせながら、健康で長生きしていただきたい。荘厳なる夕日のごとき、人生の総仕上げをお願いしたい。
14  われらの舞台は世界
 ご存じのように、私には、世界に多くの友人がいる。われらの舞台は世界である。創価の人間主義を全世界に拡大する時代が、いよいよ本格的に到来した。三十年前のトインビー博士との対談を一つの基点として、私の海外出版も現在、三百二十点・三十言語を数える。
 お隣の中国では、中学校の国語の教科書に、私の『人生抄』が掲載されている。中国には、約五千万人の中学生がいる。若き友が私の文章を読んでくれているのは、本当にうれしい。
 (=北京大学出版社刊の教科書『語文』に、魯迅、老舎ら中国の文豪とともに、外国人として、ただ一人、池田名誉会長の箴言が三ページにわたって掲載されている)
 さらに、アメリカでも、私の論文などを収めたボストン二十一世紀センターの学術書が、現在、ハーバード大学、コロンビア大学をはじめ、全米百二十六の大学で教材として活用されている。
 世界の知性は正視眼で見る。焼きもちの人間には真実が見えない。
15  「青年の意気と力とは、じつに世界の歴史を変えていくのです」
 これは、恩師戸田先生の遺言であった。
 喜ばしいことに、私が創立した創価大学に留学してくれた各国の青年の皆さんも、それぞれの国や地域に戻って、愛する天地の繁栄のために尽くしておられる。なかには、その地のSGIの青年部長、男子部長、女子部長等となり、平和のために、さっそうと指揮をとる友もいる。
 ドイツの大詩人ヘルダーリンは謳う。
 「正義の戦さはどんな魂をも生き生きさせるのです」(『ヒューペリオン』野村一郎訳、『世界文学全集』20所収、講談社)
 戦う人は生き生きしている。はつらつと青年の息吹に満ちている。
 わが創価学会は、「世界平和への厳然たる柱」である。「人間教育の眼目」である。「人類文化の大船」である。これからも永遠にそうなっていく使命がある。
 世界の同志とともに、勝利、勝利の歴史を、生き生きと、愉快に創りゆくことを誓いあって、私のスピーチを終わりたい。
 皆、健康で、勝利していただきたい。
 ありがとう! シー・ユー・アゲイン(また、お会いしましょう)!
 (創価国際友好会館)

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