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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 民衆奉仕が指導者の魂

2002.9.10 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  生涯「青春の誓い」に生きぬけ
 きょうも、語りたい。私は、仏法の指導者として、一回一回の、どんな会合も、決して、おろそかにしたくないからである。
 それも、すべて戸田先生から教わったことである。先生の厳愛の薫陶のおかげである。
 人生において、師弟ほど、ありがたいものはない。師弟ほど美しいものはないのである。
 私は行動した。青春の誓いのままに。中国をはじめ、世界に平和の道を開いた。それが戸田先生と牧口先生の悲願だったからである。
 一生涯、青春の誓いに生きて生きて生きぬいていく。その人こそ、真の勝利者である。
 青年ならば、歴史を残すことだ。民衆が大喝采する偉大なる歴史を。そして、健康即勝利の賢者の人生を、晴ればれと飾っていただきたい。
2  「守る会」の皆さまの功労に感謝
 きょうは、つね日ごろから、たいへんにお世話になっている会館管理者の代表の方々が出席されている。この席をお借りして、全国そして全世界の管理者の皆さま方、「守る会」の皆さま方に心から御礼申し上げたい。(拍手)
 崇高なる使命の皆さまは、来る日も来る日も、雨の中も、また風の中でも、朝早くから、人が見ていようがいまいが、広宣流布の法城を荘厳し、厳然と守りに守ってくださっている。
 仏法の因果に照らし、皆さま方の福運は、三世永遠にわたり、無量にして無辺である。御書に「陰徳あれば陽報あり」、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」とお示しのとおりである。
 釈尊の時代に、須達長者と呼ばれる模範のリーダーがいた。七度も貧乏のどん底に落ちた波瀾万丈の人生劇を乗り越え、生活で勝ち、経済で勝ち、社会で勝って、夫婦して堂々たる栄光と福徳の実証を示した大長者である。
 有名な祗園精舎は須達長者の寄進である。精舎とは、現代でいえば、広宣流布を進め、人材を育成する学会の会館や研修道場にあたるだろう。(以下、仏法説話大系編集委員会『仏法説話大系』27、すずき出版を参照)
 須達長者は、人がやりたがらないことにも、勇んで、率先して、黙々と取り組む人であった。
 広大な祗園精舎の園林を毎朝、みずから清掃した。その労苦のおかげで、釈尊が広宣流布の指揮を執る祗園精舎は、いつも美しく整備されていた。
 ある日、長者が所用のため掃除できない朝があった。庭は、いつになく汚れていた。だれも、きれいにする人はいない。
 すると、釈尊が、ほうきを手にして掃除を始めた。あわてたのは弟子たちである。智慧第一の舎利弗も、神通第一の目蓮も、頭陀(衣食住に関する貪欲を払い除く修行)第一の迦葉も、多聞第一の阿難も、皆、師匠とともに、一生懸命、掃き清めていった。
 その後で、釈尊は、地を掃き清めることに五つの「勝利」があると明快に説き示した。すなわち、自分の心が清らかになる。他者の心も清らかになる。それを見て、諸天善神が歓喜する。すばらしい端正な姿で生まれる。一生を終えた後、天界に生まれる――。
 この釈尊の指導を受けて、弟子たちは深く反省し、決意した。
 翌朝、いつものように、長者が精舎の清掃に来ると、すでにすみずみまで、きれいに掃除されていた。長者は驚き、恐縮した。
 長者を釈尊は最大の尊敬をもって迎えた。これまでの労苦に感謝し、その姿が弟子たちの手本となったことを讃嘆してやまなかった――と伝えられている。
 私たちも同じ心をもって、管理者の皆さま方、「守る会」の皆さま方の学会守護の大功労に最大に感謝申し上げたい。「皆さま方こそ行躰即信心の鑑なり」と讃嘆申し上げたい。(拍手)
 真の英雄、真の勇者は庶民のなかにいる。それが皆さまである。皆さまの三世永遠の幸福を私は毎日、祈っている。
3  写真は「心を結ぶ」世界語――オーストリアで「自然との対話展」
 現在、オーストリアの″芸術の都″ウィーンで私の写真展が開催されている。(「自然との対話――池田大作写真展」)
 会場は、十八世紀にモーツァルトが「フイガロの結婚」の試演会を行ったという、由緒あるパルフィ宮殿である。ご関係の方々に、あらためて深謝申し上げたい。
 (九月五日から二十四日まで。オーストリア首相府、ユネスコ・オーストリア委員会、ヨーロッパ青年文化協会、オーストリアSGIの共催)
 開幕式の模様を、オーストリアSGIの理事長が伝えてくださった。SGIメンバーでウイーン音楽アカデミー教授がピアノを、会友の方がサクソホンを演奏。さらに国立王宮劇場の俳優ご夫妻、婦人部の映画女優の方が、私の詩を朗読してくださったという。音楽の都ならではのすばらしい催しである。
 共催のヨーロッパ青年文化協会のサイフェルト会長(オペラの女性歌手、元文部次官)も、真心あふれるあいさつをしてくださった。
 写真の専門家ではない私が、平和への旅の折々に、自然と語りあいながら撮影した作品である。
 幸い、多くの方々から、温かい共感の声をいただき、感謝にたえない。
 写真は瞬時に心を結ぶ″世界語″である。写真を通して新たな友情を結び、平和と共生の光彩を広げていけることは、このうえない喜びである。
 私がオーストリアを訪問してより十年。オーストリアは見事に勝利した。わが同志が、晴ればれと胸を張り、誇りも高く前進している姿は、何よりもうれしい。
4  オーストリアといえば、「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯爵が、壮大な理想をめざして第一歩を踏み出した地である。
 伯爵とは、三十五年前に初めてお会いし、友情を温めあった。
 伯爵は、私たちの仏法ルネサンスの平和運動に「人類を救う希望」を見いだしておられた。この期待と信頼にお応えするためにも、私は一貫して平和への対話と行動を貫いてきた。
 (伯爵は述べている。
 「新しい宗教波動だけが、この〈=第三次世界大戦の〉趨勢を止め、人類を救うことができる。創価学会は、それ故に、偉大なる希望である」「池田大作の指導の下にある創価学会は、物質主義に対する宗教の、そして戦争に対する平和の、勝利をもたらす大いなる希望である」〔斎藤康一『写真 池田大作を追う』講談社〕)
5  ウンガー博士と「宗教間対話」
 ウイーンを一拠点とする「ヨーロッパ科学芸術アカデミー」。その会長を務めるウンガー博士と私たちSGIは、世界の四大宗教の「宗教間対話」に、協力して取り組んでいる。
 心臓外科の世界的な権威であるウンガー博士と私は、現在、対談集の発刊の準備も進めている。
 (=「人間主義の旗を―人間性・慈悲・寛容」。「東洋学術研究」で二〇〇四年十二月から連載開始)
 混迷を深める人類社会を、どのように平和と共存の方向へもっていくか――真摯に語りあうなかで、博士は、市民の社会参加の重要性を指摘しておられた。
 「社会の安定と平和のためには、庶民全員が積極的に社会活動に参加し、全員が仕事をしなければいけないと思っています。また、子どもたちと一緒に参加すれば、実際の行動で模範を示せるし、子どもへの教育にもなるでしょう」
 日々の学会活動が、いかに重要な社会貢献と平和拡大の運動であるか。なかんずく、子どもと一緒に奔走される婦人部、ヤング・ミセスの皆さま方は、偉大な人間教育、平和教育、環境教育などを自然のうちに実践しておられるのである。
 博士は、臨終の姿に関しても、医学的な見地から所感を語っておられた。穏やかに安祥として臨終を迎えた人について――。
 「非常に満足し、幸せな人生を歩んだ人や、心が平穏で、自信をもって人生を全うした人は、良い生命状態で亡くなったと言えるのではないでしょうか。その人が、もし生まれ変わるのであれば、同じく良い生命状態で生まれてくるでしょう」
 仏法の知見にも通ずる視点である。生命を貫く因果律は、まことに厳粛である。いかなる財宝や名声をもってしても、生命の総決算の厳しき判定だけは免れることはできない。
 広宣流布に生きぬいたわが創価の友は、無数の同志の題目に包まれながら、荘厳なる人生の最終章を飾っておられる。それ自体、創価学会が三世永遠の「生命の安全地帯」である厳たる証といってよい。
6  世界平和のため、人類の幸福のために、勇敢に、寛容の心をもって「文明間の対話」「宗教間の対話」に打って出ていく。それが真の宗教者の使命である。
 ウンガー博士は、信仰の意義について、こう語っておられた。
 「信念、信仰というものは、『恐れ』の対極にあるものです。信仰をもっているということは、自身の基盤をもつゆえに、『恐れを知らない』ということです。これは『寛容』にとっても重要なことです。人は、信仰によって正しい分別をもち、安定性をもつことができるのです」
 何ものをも恐れるな! 不屈の正義の魂が信仰である。これがヨーロッパを代表する知性の洞察なのである。
 日蓮大聖人は「あへて臆病にては叶うべからず候」と仰せである。
 さらに、ウンガー博士との語らいが指導者論に及んだ時、博士は毅然と言っておられた。
 「『大臣(ミニスター)』の語源も、『奉仕する者』の意味です」
 「同じように、患者という君主に奉仕するのが医師の役目であり、目的です。絶対に患者さんを、自分たちの手段や、たんなる対象物にしてはならない。人間は一人一人が主体的な存在です」
 「医学も、そして政治も、民衆に奉仕する芸術なのです!」
 牧口先生は『創価教育学体系』で言われていた。
 「教育と政治とは未来と現在とに関し、子供と大人とを相手にする差はあるが、人材を基として社会の改良を目指す点に異はない」(『牧口常三郎全集』6)
 民衆に奉仕する、強き信念をもった新世紀の指導者を育て、社会に送り出していくのが、創価の人間革命運動である。偉大なる民衆を尊敬し、民衆を守り、民衆に尽くしぬく――その原点を決して忘れてはならない。
7  大聖人の厳愛の指導に背いて退転した三位房
 ここで、大聖人が、弟子の三位房を厳しく戒められた御聖訓を拝したい。
 「総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。
 三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい。
 京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる。言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである」(御書1268㌻、通解)
 大聖人の厳愛の指導にもかかわらず、三位房は、後に退転し、悲惨な末路をたどった。
 名聞名利、毀誉褒貶に絶対に流されてはならない。これは、永遠にわたる、民衆仏法の重大なる教訓である。
8  悩める友のもとへ、今すぐに!
 一人でもいい、何でも相談できる人をつくることが大事である。友人でも、先輩でも、かまわない。それが何よりの人生の財産である。
 異体同心の団結で勝利するために、リーダーが絶対に忘れてはならないことは何か。
 さまざまな角度から考えることができるが、とくに重要な一点――それは、打てば響くような「スピード」である。
 悩んでいる友がいる。行き詰まっている友がいる。それがわかったら、すぐに激励に訪れる。電話をする。手紙を書く。誠心誠意、励ましの手を差し伸べる。その迅速な対応が、共感を生み、信頼を育み、安心を広げ、団結を強めていくのである。
 私も、若き日より、「電光石火」を身上としてきた。なすべきことを後回しにするのは敗北の道である。
 二十一世紀は、ますます熾烈な競争の時代である。あらゆる団体が生き残りをかけて、必死に戦っている。勝ち抜くカギは「スピード」である。その根本は「同志を絶対に幸せにする」という強き責任感と祈りである。
 広宣流布は、人類愛の闘争である。「法華折伏・破権門理(「法華の折伏は、権門の理を破す」)」(『法華玄義』)の大精神闘争である。さらに勇猛果敢に、断じて勝ち進んでまいりたい。
 (東京・信濃文化センター)

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