Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界平和祈念勤行会 「我此土安穏」の幸福世界を

2002.9.8 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

前後
2  御聖訓には「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞」と説かれている。仏法といっても、大切なのは、それを行ずる人間の「振る舞い」であり、「人間性」である。
 SGIは、これまで、一人一人を最大に大切にしてきた。各国の文化や伝統を尊重しつつ、社会と地域の繁栄に貢献してきた。「誠実一路」で前進してきた。
 だからこそ、世界百八十三カ国・地域にまで広がったのである。SGIは仏法の人間主義を体現した、最高の和合僧の団体なのである。
 それを妬んで、壊そうとした「破和合僧」の大悪人が日顕一派である。
 ともあれ、広宣流布のために、労苦を惜しまず来日された尊き皆さまを、釈尊も、そして日蓮大聖人も、いかばかりか讃嘆しておられることか。
 有名な「一生成仏抄」には、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」と仰せである。信心の一念から発した行動は、すべてが厳たる功徳善根となって、少しの無駄もなく自身の生命に積まれていくことを確信していただきたい。
3  世界から三百の名誉市民称号
 さてブラジルは、この九月七日に百八十周年の「独立記念日」を迎えられた。おめでとう!(拍手)
 わがSGIの音楽隊・鼓笛隊は、ブラジル各地で要請を受け、記念のパレードに出場し、大喝采を博している。ブラジルの同志に寄せられる社会からの共鳴は、大きく、深い。
 このたび、私たち夫婦は、皆さま方を代表してブラジルのサンセバスチャン・ダ・アモレイラ市から「名誉市民」の称号を謹んでお受けした。さらに私は、台湾の大渓鎮だいけんちんからも「名誉鎮民」の称号をお贈りいただいた。
 名誉市民は、それぞれの市が、最大の信頼をこめて授与くださる称号である。その深い意義は、時がたてばたつほど光り輝いていくにちがいない。
 この世界からの名誉市民の栄誉を、私は、軍国主義の日本と戦い、迫害された牧口、戸田両会長の「直弟子の第三代」として拝受してきた。あらゆる難を受けながら、これだけの栄光と勝利の実証を、世界に厳然と示すことができた。私たち夫婦は、この栄誉を、不二の後継の皆さま方と一緒に、先師と恩師へ捧げさせていただきたい。(拍手)
4  一騎当千の獅子たれ
 日蓮大聖人は、門下の四条金吾を励まされて、こう仰せである。
 「強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万民、さらには日本国の一切衆生にほめ称えられなさい」(御書1118㌻、通解)
 「『四条金吾は、主君の御ためにも、仏法の御ためにも、世間に対する心がけも立派であった、立派であった』と鎌倉の人々からほめ称えられなさい」(御書1173㌻、通解)
 正義だからこそ嫉妬もある。迫害もある。しかし、信念と誠実を貫けば、最後に必ず勝利する。
 いかなる苦難にも断じて負けてはならない。苦難は人間革命のチャンスなのである。
 圧迫されればされるほど、「挑戦」に「応戦」して、それに倍する力を発揮していくことだ。自分自身を、断固として、強くまた強く、賢くまた賢く、鍛え上げていくことだ。何ものにも負けない実力をつけていくことだ。
 「殉教の父」である牧口先生は、「羊千匹より獅子一匹たれ!」と言われた。
 きょう、お集まりの皆さんは、一人も残らず、一騎当千」の獅子に育っていただきたい。自分自身が「一騎当千」の力をつけることは、千倍の広宣流布の拡大に通じていくのである。
5  「原水爆禁止宣言」を原点に数々の平和提言
 きょう九月八日は、ご存じのように、四十五年前(一九五七年)、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を横浜の三ツ沢競技場で発表された記念日である。
 核兵器の使用に代表されるように、民衆の生存の権利を脅かすものは、「これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と、戸田先生は鋭く喝破された。
 人類の幸福を守り、世界の平和を守りぬくことが、青年部への遺訓となったのである。
 仏法では、人間生命の根本的な迷いを「元品の無明」と呼んでいる。その生命の闇を光へと転換していくのが、広宣流布の大闘争であり、人間革命の大運動である。人間の相互の不信や憎悪、暴力や恐怖等を生みだす、生命の根源的な魔性を打ち破っていくのである。
 私は「原水爆禁止宣言」の理念を、「平和主義」「文化主義」「教育主義」そして「人間主義」として展開した。全世界に向かって対話の渦を起こしていったのである。
 日中国交正常化の提言を、学生部総会の席上で行ったのも、「原水爆禁止宣言」から十一年後(一九六八年)の九月八日のことであった。
 さらにまた、内外に反対が吹き荒れるなか、第一次訪中に続いて、ソ連を初訪問したのも、一九七四年のきょう、九月八日であった。
6  日ソの友好はもちろんのこと、当時、深刻に対立していた中ソの緊張緩和を願っての旅であった。私は、コスイギン首相に「ソ連は中国を攻撃するつもりはない」ことを確認し、それを中国の首脳に伝えたのである。
 一年また一年、この日が来るたびに、私は、原水爆を絶対に使用させてはならない、戦争をくいとめ、平和の方向へ、人類を融合させていかねばならないとの決意をこめて、行動を重ねてきた。
 師匠の「原水爆禁止宣言」を原点として、私は数々の具体的な平和提言を、世界に発信してきた。その多くが現実に結実しているのは、うれしいことである。
 (たとえば一端として、「米ソ首脳会談」の早期開催。一九八三年に提言を行い、八五年に実現した。
 八七年、「国連世界市民教育の十年」の制定を提言。国連は二〇〇一年からの十年を「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための十年」に制定し、世界平和のための教育の推進を呼びかけた。
 八九年、「紛争防止センター」の設置を提言。九一年、欧州で「紛争防止センター」が開設された。
 九二年などに、「世界NGO〈非政府組織〉サミット」の開催を提言。二〇〇〇年に「ミレニアムNGOフォーラム」が国連で開催された。
 八四年に「世界不戦宣言の決議」、九〇年に「世界不戦会議の開催」を提言。九九年、「ハーグ平和アピール会議」が開催され、世界不戦への行動をめざす「二十一世紀への平和と正義のための課題」が採択された。
 二〇〇〇年年頭、国連に「紛争予防委員会」を設置することを提言。同年、ミレニアムNGOフォーラムが採択した最終文書に、同趣旨の構想が盛り込まれた。
 九九年、子ども兵士を禁止する条約の制定を提言。二〇〇二年、「子どもの権利条約」の子ども兵士を禁止する選択議定書が発効した。
 九五年、「国際刑事裁判所」の早期設置を提言。本年〈二〇〇二年〉、国際刑事裁判所の設立条約が発効。明年、オランダに開設される予定である。〈=二〇〇三年三月、ハーグに開設〉
 二〇〇〇年、貧困撲滅のための「グローパル・マーシャルプラン」の実施を提言。本年、環境開発サミッ卜の実施計画の中に、貧困を撲滅し、人間開発を促進するための「世界連帯基金」の設立が盛り込まれた。
 このほかにも、中国、韓国、北朝鮮〈朝鮮民主主義人民共和国〉を含む「北東アジア平和会議の開催」〈九四年〉、「北東アジア平和フォーラムの設置」〈九九年〉など、一貫して北東アジアの対話の推進を訴えてきた。
 二〇〇〇年には、南北朝鮮の首脳会談が実現。さらにまた本年には、日本と北朝鮮の対話の流れが加速するなど、北東アジアの平和への対話が進展を見せている)
7  私が深い交友を結んできた一人に、ハーバード大学名誉教授のモンゴメリー博士(アメリカ創価大学「環太平洋平和・文化研究センター」所長)がおられる。
 博士は、広島・長崎への原爆投下以降、人類は十三回に及ぶ核兵器の現実的な使用の危機に直面したと指摘されていた。
 私たちSCIは、世界の民衆の一大平和勢力として、核戦争の回避に国際世論を強めてきた。
 ″核の脅威展″は、核保有国をはじめ、二十四カ国三十九都市で行い、百七十万人が見学している。さらにまた、冷戦の終結へ、SGIが果たしてきた歴史的貢献が大きかったことは、世界の平和学者も証言されている。
 原水爆禁止宣言は人類の生存権を高らかに謳いあげた普遍的な宣言であった。生命の尊厳を冒し、人類社会の存続を脅かす、あらゆる形の暴力と戦いゆく宣言といってよい。
 それは、他の国々との「平和友好宣言」「文化教育交流宣言」にも通じていく。さらにまた、昨年(=二〇〇一年)の九月十一日の同時多発テロ事件以降の世界にとっては「テロ・戦争禁止宣言」の意義をもつものといえる。
 「九・一一」は、二十一世紀の第一年に刻まれた、悲劇の日である。
 私たちは、「人類は、いかなる暴力にも断じて屈しない!」という「九・八」に貫かれた、勇気と信念の非暴力の叫びを受け継ぎ、いやまして高めながら、平和の波動をさらに広げてまいりたい。
 きょうの会合は、青年部の皆さんとともに、歴史的な「世界市民の平和・非暴力宣言」の意義を留めるものとしたいが、どうだろうか。(拍き
8  断じて平和を! 人間革命を!
 新しい前進のために、世界の指導者、哲学者の言葉を贈りたい。
 アメリカのケネディ大統領は述べている。
 「いまや、新しい世代の指導力が、新しい問題、新しい機会に対処する新しい人間が、出現すべき時なのである」(「ケネディの言葉」細野軍治訳、『永遠の言葉とその背景』所収、自由国民社)
 人材で決まる。「人間をつくる」ことが「未来をつくる」ことである。
 ラテンアメリカ解放の英雄、シモン・ボリバルは叫んだ。
 「団結、団結、団結こそ、私たちの合言葉でなければなりません」(神代修『シモン・ボリーバル』行路社)
 団結に勝る力はない。
 スイスの思想家ヒルティの洞察は鋭い。
 「本当の人類の進歩というものは決して大がかりに成就するものではなく、個々人においてのみ従なわれるのである」(『希望と幸福』秋山英夫訳、社会思想社)
 大事なのは、一人一人の内なる心の進歩である。そして、一人の偉大なる人間革命が、一家を変え、社会を変え、全人類の宿命転換を必ず成し遂げていくのである。
9  広宣流布は即、世界平和である。広宣流布に戦う功徳は、三世にわたって永遠に崩れることはない。
 釈尊は、法華経の「法師功徳品」において、妙法を持つ人は、その功徳として、生命が清浄になることを説いている。
 また日蓮大聖人は、功徳について、「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と仰せである。
 功徳の「功」は、悪を滅するとの意義がある。生命の濁りを滅し、清らかな生命を得る――これほど本源的な功徳はない。
 生命の悪、濁りを滅しなければ、本当の幸福はつかめない。だからこそ、悪とは戦わなければならない。
 大聖人は破邪顕正、魔性との対決に、先駆を切って大言論戦を展開された。今、皆さまは、世界の中で、平和と正義の大運動をリードしてくださっている。その尊き青春の労苦のなかから、無限の功徳がわき出ずることは、経文に照らし、御書に照らして絶対に間違いない。
10  妙法は絶対的な幸福境涯を築く最極の法
 人間の心は、不可思議である。非常に移ろいやすいものだ。
 喜び。悲しみ。怒り。苦しみ――瞬間瞬間、生命は変化していく。人生も変化していく。
 こうしたなかにあって、どうすれば、確かなる幸福の軌道を進んでいけるのか――これが、人類が何百年、何千年と探究を続けてきた人生の根本問題である。
 大邸宅に住んでいながら、少しも幸福でない人がいる。ありあまるほどのお金を持っていても、不幸な人もいる。「財産」即「幸福」ではない。むしろ、それによって悩まなければならない人が大勢いる。
 同じように、社会的地位があるから、有名な学校を出たから、幸福ともかぎらない。こうした幸福は、いつ崩れるかわからない、相対的なものだからだ。
 出世をした。とたんに仕事に行き詰まった。そういう場合もある。多くの人に祝福され結婚した。しかし、夫婦仲で悩む。また、子どものことで苦しむ。いくら才能に恵まれていても、病気に負けてしまえば、それを十分にいかすことはできない。
 幸福であるべき道を行きながら、人生の最後の最後で、不幸のどん底に落ちてしまう人もいる。
 そこに、いかんともしがたい「宿業」という問題がある。
 この究極の人生の問題に対して、根本の解決法を示されたのが、日蓮大聖人であられる。
 すなわち、御本尊に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えることによって、いかなる宿業も打開し、自身のうちに、絶対的な幸福境涯を築いていく道を明快に説き明かされたのである。
 大聖人は仰せである。
 「日蓮が唱えるところの南無妙法蓮華経は、末法万年の衆生までも成仏せしめるのである」(御書720㌻、通解)
 また、こうも言われている。
 「日蓮と門下は、御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えることが成仏の根本であると信受し、納得するゆえに、『無上の宝衆(宝の集まり) 求めざるに自ら得たり』と説かれた大宝珠を得るのである」(御書725㌻、通解)
 この妙法の「大宝珠」は、宝のなかの宝である。何があっても壊れない。傷つかない。今世のみならず、三世にわたって輝き光る最高の宝の珠なのである。
 私は、この「大宝珠」を持つ崇高なる「仏の使い」の皆さまを、心から尊敬申し上げている。SGIは、最高に尊き″宝の人々″の集いなのである。(拍手)
11  勤行は大宇宙とわが生命の交流
 ここで、私たちが勤行で読誦している「方便品」「寿量品」について述べておきたい。
  朝夕に
    方便品と
      寿量品
    宇宙の曲に
      合わせ楽しめ
 かつて私は、こう詠んだことがある。
 仏法の最高峰である法華経、その真髄である方便品と寿量品を読誦し、仏法の究極の大法、宇宙の根本の法則である南無妙法蓮華経を朗々と唱えゆくことが、いかにすばらしい幸福と平和の創造であるか。
 法華経は、「一切衆生の成仏」のために説かれた経典である。文底から拝すれば、法華経は、「末法万年尽未来際」にわたって、「一閻浮提」の一切衆生の成仏を開く根源の一法である南無妙法蓮華経の御本尊の、いわば″説明書″としての深遠な意義がある。
 その要諦を納めているのが、諸法実相が説かれた「方便品」であり、久遠実成が説かれた「寿量品」である。
 時間の関係で、詳しくは略させていただくが、「方便品」では、南無妙法蓮華経の智慧が甚深無量であることが讃嘆され、一切衆生が皆、仏である」という法理が明らかにされている。
 とくに、「諸法実相・十如是」の部分は、千変万化するすべての生命(諸法)が、ことごとく南無妙法蓮華経の姿(実相)であることが示されている。
 大聖人は、「十界の依正の当体・ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」と仰せである。
 本来、いかなる衆生も妙法の当体なのである。すなわち、題目を唱え、広宣流布へ行動していく人は、ありのままの姿で、必ず、仏の生命となっていくのである。
 どこか、遠いところに行くのではない。何か、特別の自分になるのでもない。今いる、その場で、そのままの姿で、大宇宙とわが生命をダイナミックに交流させながら、自分自身の本来の「実相」、すなわち南無妙法蓮華経の当体としての姿を輝かせきっていく。それが、勤行である。信心の世界である。
 そこには、妙法の智慧と勇気と慈悲が、限りなく涌現してくる。ゆえに、何ものをも絶対に恐れることはない。
12  自我偈は生命の尊厳を謳う詩
 寿量品の「寿量」とは、仏の寿命・功徳を詮量するという意義である。文底から拝するならば、「南無妙法蓮華経如来」の久遠、永遠の寿命と功徳を、つまびらかに量り、明らかにすることである。
 ここでは、「永遠の生命」が明かされ、それが一切衆生の生命の真実の姿でもあることが説かれている。
 そして、この大法を弘めて、一切衆生を救っていくのが「地涌の菩薩」の使命であると示されていくのである。
 なかんずく寿量品の「自我偈」は、「自身」の尊極にして永遠の大生命力を謳いあげた、壮大な「詩」である。
 日蓮大聖人は、自我偈の最初の「自我得仏来」(法華経四八九㌻)の「自」と、終わりの「速成就仏身」(法華経四九三㌻)の「身」を合わせて、「始終自身なり」と御指南されている。
 自我偈とは、終始一貫して、仏の「自身」、仏の「生命」を讃嘆したものであり、それはそのまま、われわれ自身の三世永遠にわたる自在の境涯を謳いあげた詩といってよい。
 「この人生を生きる意味とは何か」「わが生命の本来の姿とは何か」「われわれは、いずこより来りて、いずこへ行くのか」「生死とは何か」という、一切の思想・哲学・宗教の根底をなす、生命の究極の命題にまっこうからこたえたのが、自我偈である。
 ここに、全人類、全生命を永劫に照らしゆく希望と歓喜の法理がある。
13  自我偈には、「我此土安穏 天人常充満(我が此の上は安穏にして 天人は常に充満せり)」(法華経四九一㌻)とある。
 この現実の社会には、大火に焼かれるような苦しみが、いまだに絶えることがない。その中にあって、永遠の生命の哲理を掲げて、人類が永遠に理想として願望してきた、安穏にして平和の幸福世界を断固としてつくり上げていこうというのが、広宣流布の大運動である。
 ここに、多くの哲学者、宗教者、平和学者等が願望してきた、全人類が幸福に生きる権利を二十一世紀に打ち立てゆく道がある。
 そのあまりにも偉大にして崇高な前進を誓いあって、「九・八」の記念のスピーチとしたい。
 皆さま方の人生の、健康にして幸福に満ちみちた、堂々たる「栄光・大勝」を、私は、祈りに祈っている。(拍手)
14  質問会から
 きょうは、研修会のスケジュールもあり、時間に制限はあるが、はるばる遠くから来日された皆さまのために、若千の時間を質問会にあてたい。聞きたいことがあれば、どんなことでも質問してください。
15  広布に生きる人生こそ最高の善
 ――善と悪を、どのように判断していけばよいのでしょうか。(アメリカ、男子部)
 非常にむずかしい問題です。国際的な問題、個人間の問題、そしてまた、家庭内の問題、その他さまざまな次元で、争いや、対立や、利害の衝突があるが、「こちらが善で、あちらが悪」と、明快に判別できないことが、あまりにも多い。卑近な譬えかもしれないが、夫婦げんかだって、どっちが善か悪か、よくわからないでしょう。(笑い)
 日本に「勝てば官軍」という言葉があるように、「勝ったほうが正義で、負けたほうが悪」という考え方もある。しかしそれは、矛盾が大きい。現実には、正義が負けて、邪義が勝ってしまう場合がある。歴史を見、世間を見ても、悪人が強く、善人は弱いというのは、よくあることです。
 では、何が善で、何が悪なのか。そもそも、善悪とは何か――人類にとって、永遠にわたる、重大な問題といってよい。そうしたなかにあって、ただ一つ、明快に言えることは、「南無妙法蓮華経」こそ善のなかの善だということです。
 南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く、永久不変の大法則です。「法則」であるゆえに、だれかがつくったものではない。変えようもない。「真理」です。森羅万象は、すべて妙法にのっとっている。
 生命には十界がある。私たちの生命には、仏界がそなわっている。仏界は「つくる」ものではありません。自分の生命から「涌現」するのです。そのために御本尊があるのです。
 そして、妙法を信受して、広布に生きる人生こそが、最高の善――極善なのです。
 以上、少しむずかしかったかもしれないが、本源的な次元、そして宇宙的な次元から、善悪の根本について述べました。
 そのうえで私が申し上げたいのは、「人を殺すことは、絶対に悪だ」ということである。どんなことがあっても、人を殺すことは、あってはならない。反対に、「人を救っていこう。世界を平和の方向にもっていこう」と行動することは、正義であり、善なのです。
16  女性よ幸福に
 ――社会には、女性に対する暴力などの問題があります。そうした問題に、どう対処していけばよいでしょうか。(フランス、女子部)
 非常に重要な、人類にとっての根本問題です。女性を、どう守るか。女性が、どう幸福になっていくか。だれにも生存の権利がある。自分の尊厳を守る権利がある。人間らしく、自分らしく、幸福に生きゆく権利がある。
 その権利を壊されてはならない。断じて、守らなくてはならない。ゆえにわれわれは、女性の尊厳を脅かすものと、断固として戦う。だれ人も、不幸に泣いてばかりいるような、弱い存在であってはいけない。強くなっていただきたい。自分を守り、幸福を守るのです。
 仏法は生命尊厳の法です。自分自身を、「仏」にするための教えです。最高の、永遠の幸福を樹立するための信心です。
 「男女はきらふべからず」と仰せのごとく、日蓮大聖人は七百年以上も前に、すべての男女は平等であり、同権であることを高らかに宣言されました。
 女性を苦しめる悪に対しては、断固、糾明し、反撃する。そしてまた、悪い人間を、何とか目覚めさせて、人間性の方向へ、幸福の方向へと引っ張っていく――この決心でお願いしたい。
17  友人への対話――祈りぬけば必ず変わる
 ――友人を折伏するために、そして日顕宗にだまされた人を目覚めさせるために、懸命に対話に励んでいます。「君の言うことはわかる。でも自分は、やらない」という人には、どうすればよいでしょうか。(コートジボワール、男子部)
 「祈る」ことです。断固たる決意をこめて、御本尊に祈ることです。
 祈りに勝るものはありません。これは理屈ではない。祈りがなければ、何をやっても空転です。
 祈って、祈って、祈り通して、そのうえで語っていけば、必ず変わっていきます。
 また、人には、それぞれ「時」というものがあります。いつか、その人も、正しい仏法に日覚める時が来る。祈っていれば、必ずそうなります。焦ってはいけない。
 忍耐強くいきなさい。戦いは忍耐です。
 また、なかなか思うとおりにいかない人がいるからこそ、題目がたくさん唱えられるのではないですか(笑い)。その功徳は、全部、自分のものです。
 広布への行動に無駄はない。「損」はない。学会活動は、「得」ばかりなのです。
18  自信満々と体験を語れ
 ――同世代の若い友人たちに、仏法のすばらしさを伝えていくうえでの、指針を教えてください。(オーストラリア、女子部)
 大切なのは、誠実に話すことです。相手の方は仏法を初めて聞く方でしょう。だから誠実に、誠実に、わかりやすく話していくことです。
 仏法の偉大さと信心のすばらしさを自信満々と話していくことです。そして人生の確信ある生き方、未来への限りなき希望に雄々しく生きぬく、価値ある生活の実証を語っていくことです。
 結論して言えば、自分自身の確信と体験を堂々と語りぬいていくことです。それが相手の生命に、幸福と希望の種を植えることになるのです。
 その種は、いつか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせます。それまで祈り続けて、時を待てばよいのです。
19  生き生きと生きぬけ!
 ――池田先生は、われわれを「二十一世紀の指導者」と期待し、激励してくださいます。私たちは、師弟不二の道を歩んでいきたいと決意しています。二十一世紀に、青年は、どのように生きていくべきでしょうか。(韓国、男子部)
 「二十一世紀」は、私たちがずっと前からめざし、目標としてきた世紀です。
 「二十一世紀」――なんとすばらしい響きでしょうか。
 人間で「二十一歳」といえば、あらゆる点で、若々しく、みずみずしく、希望に満ちた年ごろです。ゆえに皆さんも、二十一世紀を、つねに「二十一歳の青春の息吹」で、生き生きと生きぬいていただきたい。生気はつらつと前進してほしい。
 もちろん二十一世紀は、明るい現実ばかりではない。さまざまな苦難や、試練、混乱に直面する国や社会もあるでしょう。しかし、どういう時代が来ても、妙法を持った私どもは、どこまでも生き生きと、楽しく生きていける強い自分をつくっていきたい。そして皆さまの力で、人々が幸福に暮らせる、わが地域・わが国を建設していっていただきたい。
 そのための広宣流布です。広布に生きぬく人生こそ無上道であり、これほど尊いものはないのです。
20  ともあれ、本当に遠いところ、こうして来てくださった皆さまに、私は、最大の感謝を棒げます。
 皆さまが一人ももれなく、すばらしい人生を、すばらしいご家庭を、築きゆかれんことを、ひたすら、お祈りします。
 大事な大事な人生です。最高に価値ある、思い出深い、勝利の人生を飾ってください!
 いついつまでも、お元気で! これからも、何度もお会いしましょう!
 本日は、皆さまのご多幸と、亡くなられたご家族のご冥福、そして皆さまの国の平和、安穏、発展を、深く祈らせていただきました。これからも私は、皆さまが、そして皆さまのご一家が、永久に幸福であることを真剣に祈ってまいります。
 帰国されましたら、ご家族の皆さま、同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 研修、本当にご苦労さま! どうか、お幸せに! 本当に、ありがとう!
 (創価文化会館)

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