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日蓮大聖人・池田大作

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中国陜西省雕塑院特製レリーフ贈呈式・第… われらの大願は世界平和! 大いなる理想ヘ

2002.9.5 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  うんと苦労せよ、青年ならば
 北海道、中国青年部の皆さん、遠くから、ご苦労さま!
 青年研修で来日されたSGIの皆さんも、海外から、ようこそ!
 古代ギリシャの哲学者プラトンは、次のような言葉を残している。
 「大きな苦労、たくさんの苦労はすべて、若者たちにこそふさわしいのだ」(『国家』藤沢令夫訳、岩波文庫)
 青年は、うんと苦労することだ。人のため、社会のために! 平和のため、民衆の幸福のために! その人こそ、最も青年らしい人ではないだろうか。
 その代表が、きょう集まった皆さまであると私は信ずる。(拍手)
 また、尊敬する周恩来総理は、こう述べておられた。
 「われわれの勢力が強大で、脅威を恐れずにいてこそ、敵は退却を余儀なくされ、平和運動はたえず盛りあがることができる」
 「いささかも気をゆるめてはならない。そうでなければ、敵はほしいままに振舞うだろう」(中共中央文献編集員会編『周恩来選集』中共中央ML著作編訳局訳、外文出版社)
 平和のために、恐れなく!――非暴力のスクラムがわれらの行進である。
2  「青春は無限に美しい」
 「青年は人類の希望」(『巴金 無題集』石上韶訳、筑摩書房)である。
 これは、私が何度も語らいを重ねた、大中国の文豪・巴金先生の不滅の言葉である。
 きょうは、無限に美しく、無限に尊い、栄光の青春の集いとなった。
 世界五十力国・地域から勇み来った皆さんは、広宣流布の若き指導者である。まさしく「二十一世紀の人類の希望」である、と私は確信してやまない。(拍手)
 どれほど不思議な使命を帯びた方々であられるか。広布の逸材であられることか。
 私は、お一人お一人のことを、胸の奥深くに刻みつけ、一生涯、見守っていく決心である。
 きょうは、日本の中国方面の青年部総会、おめでとう!
 中国青年部は、日本一の大折伏を見事に成し遂げられた。心から祝福申し上げたい。(拍手)
 さらに北海道総会も、おめでとう!
 北海道は、四年連続して史上最高の世帯を、悠々と達成された。全地区が総立ちになって、「聖教新聞」の拡大も大勝利を収められた。本当にご苦労さまと申し上げたい。(拍手)
3  SGIの提案がサミットで採択
 人間主義の哲学を掲げるSGIの運動に、新たな地球文明の夜明けを見る思いがする――世界の心ある識者や指導者は、そのように語り、期待している。
 今回、南アフリカで行われた「環境開発サミット」でも、SGIの貢献に、絶大な信頼と共感が寄せられた。
 すでに報道されているように、サミットでは、SGIの提案が、国際社会全体の「実施計画」に盛り込まれ、正式に採択されたのである。
 その提案とは――二〇〇五年からの十年間を、国連の「持続可能な開発のための教育の十年」にするというものである。(拍手)
 (「実施計画」とは、貧困、エネルギー、地球温暖化など、人類が直面する諸問題を解決するために、具体的な行動指針を示すもの)
 さらに、SGIは、サミットにあわせて、環境問題に関する展示も開催した(地球評議会、地球憲章委員会と共催)。この展示は、テーマを「静かなる革命」と銘打ち、新しい人類の規範となるべき「地球憲章」と、人間生命の可能性に光をあてたものである。
 会場には、私が撮影した「自然との対話」の写真も、″共生へのメッセージ″として、展示してくださつた。
 この環境展示には、南アフリカのムベキ大統領ご夫妻はじめ、各国や国連の首脳など、約一万五千人が観賞に訪れたという。そして光栄にも、このSGIの展示が、「独立展示部門」の第三位になり、表彰されたのである。(拍手)
 (第一位はヒューレット・パッカード社。第二位は南アフリカ政府の芸術・文化・科学技術省)
 展示内容の質とともに、役員をされたSGIのわが同志の真剣さなどが、多くの人に深い感銘を与えた証左といえよう。
 今や、全世界が、創価の平和・文化・教育の運動に共感し、信頼し、賞讃していることを誇りとしていただきたい。(拍手)
 (サミットの並行行事会場である「ウブントゥ村」の運営責任者、ピーター・リッチー氏は語っている。「SCIの展示は小さなスペースにもかかわらず、SGIの平和理念や地球憲章についてのメッセージが明確であり、一貫性をもって、効果的に伝えたことが評価されたのだと思います」)
4  黄金の光を放つ芸術家を歓迎
 先ほど、私は、中国・陜西せんせい(シェンシー)省の雕塑院ちょうそんいんの先生方から、かけがえのない文化と芸術の宝を拝受させていただいた。この大レリーフに、どれほど優れた芸術の粋が凝結していることか。
 そして、どれほど深い友情と真心が結晶していることか。
 心より尊敬申し上げる趙建勲ちょうけんくん院長はじめ偉大なる芸術家の先生方に、心より感謝申し上げたい。
 かの魯迅先生は、「真の芸術」について、次のように言っている。
 「無限の光源から湧き出てくる太陽の光のような、そんな作品でなきゃ、真の芸術じゃない」(『彷徨』丸尾常喜訳、『魯迅全集』2所収、学習研究社)
 悠久の三千年の歴史を誇るシルクロードの都で、昇りゆく太陽のごとく、光り輝く大芸術を創造しておられる諸先生方に、私たちは、満腟の敬意と感謝をこめて、大拍手を贈らせていただきたい。(拍手)
 なお、このレリーフは、現在、仙台で開催されている「偉大な指導者 周恩来」展(〜二〇〇二年八月二十九日から九月十八日まで)で展覧させていただく予定になっている。
5  贈っていただいたレリーフには″人民の母″と慕われた鄧穎超とうえいちょう先生の優しく、生き生きとしたお姿が刻まれている。
 鄧先生は、私ども夫婦を、わが子のように慈しんでくださった。
 もったいなくも、私ども夫婦が、若き日の周恩来総理とご自身の姿と二重写しになるともおっしゃってくださった。
 忘れ得ぬ出会いは、八回。北京のご自宅にも、二度、お招きいただいた。
 鄧穎超先生は、お会いするたびに、いつの日か、私の自宅を、そして「周桜」のある創価大学を訪問したいと、繰り返し語っておられた。
 最後にお会いしたときも(一九九〇年五月二十八日)、創価大学の「周桜」の写真を、あの笑顔で、それはそれは、うれしそうに見つめておられた。
 早いもので、鄧先生が逝去されてより、この夏で十年。(九二年七月十一日、八十八歳で逝去)
 私と妻は本日、ついに鄧頴超先生を、ここ創価大学にお迎えできたような感動と感慨を禁じ得ないのである。(拍手)
 なお、鄧穎超先生との語らいのさい、通訳を務めてくれたのは、SGI公認通訳の方である。
 学会に対する現在の世界的な共感の広がりは、こうしたSGIの公認通訳の皆さん方が最優秀の実力を発揮してくださった賜にほかならない。″現代の鳩摩羅什″の皆さま方に、私は、あらためて心から感謝申し上げたい。(拍手)
6  人生は戦い、今日も戦い、明日も戦う――郡女史
 あるとき、鄧穎超先生が、周総理との歩みを偲ばれながら、私たち夫婦に、こう語ってくださった。
 「前も敵でした。後ろも敵でした」
 私の妻が、「本当に大変でしたね」と申し上げると、鄧先生は「毎日毎日が、そうでした。何年間、何十年間、そうでした。私たちは戦いました」とおっしゃった。その言葉が今も耳架から離れない。
 きょうも敵と戦う。あすも敵と戦う。何年間も、何十年間も、そういう決心の毎日であった。
 どんな敵も、断じて恐れない。どんな苦境にも、断じて屈服しない。戦って、戦って、戦いぬいて、最後に厳然と勝つ。その人が、人間として、真に偉い人だ。
 「人生は戦い」――これが総理夫妻の信念であられた。私たち夫婦の心もまったく同じである。
 学会を守るため、学会員を守るため、学会の敵とは、どこまでも戦いぬいていく――それが私たち夫婦の決心であった。
 戦うべきときに戦えないのは、臆病である。学会の青年は、絶対にそうであってはならない。
7  鄧穎超先生の崇高な生涯のなかでも、ひときわ鮮烈な戦いは、何であったか。それは、周総理亡き後、後継の分身として、七十代から果たされた、総仕上げの戦いと言われている。
 たとえ七十代であっても、心が戦う息吹に満ちていれば、その人は若い。反対に、戦いをやめれば、いくつであろうと、よどんで、老いた生命となるのである。
 周総理が亡くなるや、四人組は、ますます横暴に権力をふるい、民衆への圧迫を強めた。
 四人組――それは、総理をはじめ革命の同志たちが、心血を注いで築き上げた新中国を乗っ取り、ほしいままに支配しようとした黒い野望の連中であった。
 それに対して、鄧穎超先生は、ご自身の逮捕や投獄さえも覚悟のうえで、敢然と応戦していかれた。鄧穎超先生は、誇り高く語っておられた。
 「唇が破れようとも、舌が焦げようとも、私は叫ぶことをやめません」「困難を前にして、頭を垂れず、一歩も退かず、強く剛毅である人間は、必ずや勝利を勝ち取ることができるのです」
 この信念のままに、鄧先生は、一人また一人と語りあい、皆を奮い立たせ、団結させていった。
 苦しんでいる同志がいれば、ただちに駆けつけ、激励して回った。そして、あらゆる知恵を発揮し、冷酷な弾圧から、厳として、同志を守りぬいたのであった。
8  四人組は、陰険にも、亡くなられた周総理への哀悼の文章を新聞に載せることも、人々が追悼会を開くことも厳しく規制した。
 余談ではあるが、かつて(第一次宗門事件のさい)、学会乗っ取りをもくろんだ宗門の一派は、「聖教新聞」に私の記事を載せるな、写真も載せるなと恫喝し、私が会合に出られないように画策した。そのなかで、誕生したのが、「グラフSGI」であった。
 (月刊誌・国際平和グラフ「SGI」の創刊は、一九八一年〈昭和五十六年〉一月であった。現在、「グラフSGI」として、日本国内はもちろん、全世界で広く愛読されている)
 鄧先生の戦いに呼応して、決起したのが、正義に燃える青年たちであった。
 四人組の首謀者である江青が、周総理の遺体を前にして、帽子さえ取らない傲慢な様子が、テレビで映し出された。そのおごり高ぶった姿に、青年たちは激怒した。当然のことである。
 周総理夫妻が若き日に戦った天津(テンシン)では、洋服工場の青年が、こぞって立ち上がった。彼らは、禁じられた追悼集会を、恐れなく開いた。そして、周総理の遺志を受け継ぐ決意をつづり、皆で作った真心の「綿入れ(防寒服)」と一緒に、鄧穎超先生に送り届けたのである。
 そこには、こう記されていた。「全中国の青年は、皆、敬愛する貴女のそばにおります」「貴方とともに断固として戦いぬいてまいります!」(金鳳『鄧穎超伝』人民出版社)
 鄧穎超先生は、この青年たちの勇気を何よりも大切にされ、重要な場には、その綿入れを着て臨まれたという。
 悪の四人組が電撃的に逮捕されたのは、周総理の逝去から九カ月後のことであった。何ものにも負けぬ、人民の母の正義の一念ありて、邪悪は、厳然と打ち倒されたのである。
 決定した信念をもった女性の力が、いかに偉大か。民を憂う、一人の老いたる母の強き心が、ついに勝利したのである。
9  拡大の旋風が中国広布の源流
 ところで、きょう九月五日は、昭和三十一年(一九五六年)、私が戸田先生から中国方面の広宣流布の開拓を託された、記念の日である。
 当時は、躍進する学会をねたみ、ねらう権力の魔性がうごめいていた。そのなかで、戸田先生は私に、「日本の重大な要衝である中国で、折伏・拡大の旋風を巻き起こしてこい!」と厳命されたのである。
 二十八歳の私は、即座に「わかりました」とお答えした。
 広宣流布の大師匠の願いは、弟子として絶対に虚妄にすることはできない。私は、雄大な中国の天地を駆けめぐった。ずっと広宣流布が進まなかった山口県で、四カ月で約十倍に大飛躍する弘教を成し遂げたのは、楽しい思い出である。
 学会全体に大きな弘教の渦を巻き起こした。これが中国の源流である。
 同じように私は大関西を築いた。北海道にも足を運んだ。
 私が手づくりで築いた組織である。それが今日の創価学会の「人材の大山脈」を築き上げたのである。
 中国の草創の同志も、皆、本当に懐かしい。兄弟・家族以上の存在である。
 昨年(二〇〇一年)、亡くなられた野間浩君(当時、総中国長)も忘れることはできない。優秀な、本当にすばらしい友であった。きょうは、彼の命日である。彼は、総方面長として拡大の大勝利を飾った。誇り高く、胸を張って、学会本部に来たことを思い出す。
 広宣流布に生ききった人は、永遠に常楽我浄の生命となる。「生も歓喜」「死も歓喜」の大境涯を築くことができる。まさに、そのとおりの人生を彼は送った。
 ともあれ、中国青年部の立派な大成長が、私は本当にうれしい。(拍手)
10  音楽は「人類普遍の言葉」
 創価グロリア吹奏楽団の皆さん、きょうはすばらしい演奏を本当にありがとう!
 また先月(八月)は、韓国での友好親善交流の大成功、おめでとう! ご苦労さま!(拍手)
 (同吹奏楽団の「韓国演奏交流団」は八月、韓国を訪問。ソウルでの第一回「韓日親善吹奏楽演奏大会」に出演したほか、韓国SGI本部で「特別演奏会」を行った)
 見事な演奏を讃嘆する手紙が、私のもとにも、たくさん届いている。
 アメリカの詩人ロングフェローは言った。
 「音楽は人類普遍の言語である」
 そのとおりである。音楽は「世界の言葉」である。国や民族や宗教の違いを超えて、人々の心の扉を開く「妙なる鍵」である。
 音楽は、生命と魂の波長を調和させ、人類が一体となって、和合していくための「大いなる推進力」である。
 音楽は、喜びと勇気と希望をうたう「人生の行進」の曲である。躍動と創造と前進の「足音」である。
 だからこそ私は、皆が反対するなか、自力で工面して楽器を贈り、音楽隊を結成し、鼓笛隊を誕生させた。四十年以上も前のことである。今日の世界的な大発展を、当時、だれが思い描いたであろうか。
 「音楽は混沌から秩序をつくりだす」(『音楽 人間 文明』和田旦訳、白水社)
 これは、私が語りあった世界的なバイオリン奏者、メニューイン氏の忘れ得ぬ言葉である。
 テロや暴力が渦巻く混沌の時代だからこそ、人類の心を融合させ、平和の秩序を創り出す音楽の力は、いやまして重要になってきている。
 思えば、陜西省を一つの起点とする、いにしえのシルクロードは、「絹の道」であると同時に、「音楽の道」であり「芸術の道」であった。
 私たちは、さらなる文化・教育の交流で「永遠の友情」を世界に結びながら、新たな「平和のシルクロード」を幾重にも広げてまいりたい。(拍手)
11  婦人部・女子部をいちだんと大切に
 今、「女性の世紀」が始まった時に、すばらしいレリーフをお贈りいただいた。
 鄧穎超先生は、十五歳で革命に立ち上がってから、八十八歳の最期の日まで、いかなる立場になっても、「心は一歩も退かない」と行動を貫いてこられた。人民への奉仕に、また世界への平和外交に、そして後輩の育成に、全身全霊を尽くされた、尊い方である。
 私の妻も、小学校四年生の時に、牧口初代会長に出会ってより、平和の道をひとすじに歩み続けてきた。
 すでに七百年以上も前に、日蓮大聖人は、「男女はきらふべからず」と宣言されている。
 各国各地にあっても、いちだんと女子部を大切に育て、婦人部を最大に尊重していくことを、きょうは、あらためて決議したいと思うが、どうだろうか。(大拍手)
12  百三十の名誉教授・名誉博士号
 私が北京大学から「名誉教授」の称号をいただいた時、鄧穎超先生は、わがことのように喜び、祝福してくださった。
 おかげさまで、私が拝受した世界の大学・学術機関からの名誉博士・名誉教授等の栄誉は、百三十を数えるにいたった。決定の通知をいただいているものを含めると、約百五十になることを、謹んでご報告したい。(拍手)
 (このうち、中国から贈られた名誉博士・名誉教授等は四十五にのぼる)
 世界最高峰の「知性の宝冠」が、名誉博士・名誉教授である。
 私はいつも、同志の皆さまを代表して拝受している。この栄誉と福徳は、すべて創価後継の青年に流れ通っていくことを確信していただきたい。
 その一つの象徴として、うれしいことに、私が創立した東西の創価学園の卒業生で、博士号を勝ち取った英才は、じつに百四十六人になった。北海道の札幌創価幼稚園の卒園生からも博士が誕生した。
 さらにまた、働きながら学び、努力に努力を重ねてきた、わが創価大学通信教育部の卒業生からも、何人もの博士が誕生した。誠実と粘りと執念の勝利の方々である。(拍手)
13  正義へ「戦う心」が学会の精神
 フランスの勇敢なる作家ロマン・ロランは言った。
 「不正を見て、それを攻撃しないでいられるものは、本当に芸術家でもなければ、本当に人間でもない」(「民衆劇論」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』19所収、みすず書房)
 文豪の眼は鋭い。臆病な傍観者は、非難されるべきだ。仏法は、そのように見る。五十年以上、多くの人を見てきた私の経験の上からも、よくわかることである。
 仏法は正しい。Eフンはその傍証をしていると言えよう。
 ここにお迎えした大中国の芸術家である雕塑院の先生方が、北海道を訪問された折、こう語っておられたという。
 「古来、中国には、正義のために戦うという心があります。創価学会の三代会長の根本精神は、世界平和のために戦ってこられたということです。私たち雕塑院の精神も、世界平和のために戦うことです。この一点は、完全に一致しているのです」(拍手)
 大聖人は、青年門下に叫ばれた。
 「願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こせ」(御書1561㌻、通解)
 大願とは何か。人間として、青年として、最も大きな願い――それは「世界平和」ではないだろうか。国境を超え、すべての民衆が幸福になることである。
 一人きりになって、自分を偽り、ただ安逸をむさぼるだけの人生でいいのか。悔いはないか。
 ならば君よ、大願を起こせ! 大いなる希望をもて! 理想をもて!
 大聖人は、「大願とは法華弘通なり」と仰せである。
 平和のため、幸福のために、世界の連帯を築くためには、人間主義しか道はない。広宣流布しか道はないのである。
 わが青年部の闘士の皆さん! 私は、この五十五年間、戦いに戦った。前進また前進した。広布を阻もうとする敵から、あらゆる攻撃を受けた。しかし、ここまで五十五年間、追撃の手をゆるめずにきた。
 今度は諸君の番である。邪悪への追撃を絶対にゆるめることなく、破邪顕正の大言論戦に勇敢に総決起する――きょうを、その出発の日にしていただきたい。(拍手)
 「臆病者は去れ」と戸田先生は言われた。勇敢なる人間で、この民衆の城である学会を守っていただきたい。正義を守りぬいていただきたい。そして、新しい広宣流布の開拓へ、師子奮迅の力で、総攻撃を開始しようではないか!
 海外のSGIの皆さま! 本当に、よくお見えになられた。
 広宣流布の道なき道を開きゆく偉大な功績は、仏法史に不滅である。
 私は一生涯、忘れない。心から感謝申し上げたい。どうかお体を大切に。風邪などひかれませんように!
14  自分らしく自分の歴史を
 自分自身に生きぬくことだ。
 今が、どんなに大変であっても、たいしたことはないのだ。自分自身が強くなれば。
 たとえ今、経済的に厳しくても、努力さえ忘れなければ、時がくれば、必要なお金は自然にできるものだ。
 どんな苦しいことも、後になってみれば、全部、夢の中の出来事のようなものである。
 何があっても、生きて生きて生きぬくことだ。自分らしく、自分の歴史を堂々と築くことだ。
 人を恨んだり、焼きもちを焼く必要などない。私たちには、世界最高の御本尊がある。無量の宝を、自在に引き出していけるのである。
15  二十一世紀の青年たちよ、奮闘せよ
 鄧穎超とうえいちょう先生は、遺言のごとく残された。
 ″二十一世紀の青年よ、二十世紀の青年以上に奮闘せよ!″(中共中央文献研究室編『鄧穎超全集』人民出版社、参照)
 今は、もう二十一世紀である。二十世紀の青年以上に、あなたたちよ、奮闘しなさい! 成長しなさい! 働きなさい! そして戦いなさい!――これが、「人民の母」鄧穎超先生の心からの期待であった。
 明年は、新世紀の「栄光・大勝の年」。
 どうか、愛する青年部の君たちよ! 愉快に、心から愉快に、断固たる信念をもちながら、わが使命の舞台で戦いぬいていただきたい。
 終わりに、「中日友好の宝」「創価の宝」をお贈りくださった中国の先生方に、全員を代表して、謹んで感謝申し上げ、私のスピーチを結びたい。
 謝謝(中国語で「ありがとうございました」)!
 (創大記念講堂)

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